気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

2023年大晦日の感慨

2023年12月31日 | ゆるキャン△

 2023年の暦も大晦日となりました。2012年10月に「ガールズ&パンツァー」のテレビ放送を初めて観てファンになって以来、11年余りが過ぎたことになります。その11年目の10月に最終章第4話が公開され、三回視聴しました。

 この一年は、「ゆるキャン△」がメインとなりました。合わせて13回の聖地巡礼を計画し、全て実施することが出来ました。なかなか行けなかった地域にも行くことが出来、原作コミック連載の最新話の直前のストーリーの聖地にも歩を進める事が出来ました。特に2024年4月からのアニメ3期の主舞台となる大井川鐡道には4回も行きまして、聖地巡礼に関連する現地の色々な情報を持ち帰りました。以下は行った地域と月日です。

1月11日 大井川鐡道
1月21日 大井川鐡道
1月22日 天竜浜名湖鉄道
3月19-22日 身延・韮崎・笛吹
4月8-9日 伊豆半島
7月27日 甲府・三峰神社・滝沢ダム
7月28日 雁坂みち
7月29日 みずがき湖・瑞牆山・甲府
9月16日 渥美半島
10月28日 霧ヶ峰高原
10月29日 高ボッチ高原
11月21-22日 大井川鐡道
12月9日 大井川鐡道

 来年もゆるキャン聖地巡礼を幾つか計画しています。1月から3月までの間に富士山スタンプラリーミニ巡礼、4月以降にアニメ3期の大井川鐡道エリア再訪、5月以降に原作コミック第89話からの碓氷峠アプトの道ルート、夏ぐらいに志摩リンと土岐綾乃のデスロード第2弾国道152号線ルート、という流れで考えていますが、天候次第では変更も有り得るでしょう。特に碓氷峠アプトの道ルートは鉄道博物館や伊香保温泉、野反湖まで行くのでかなりの長いコースになりますから、三泊四日ぐらいでじっくり楽しんでみたいところです。

 

 模型サークルの活動は、今年は計画通りに議事会および月1回の定期会合と年4回の宴会、年2回の売買譲渡会を実施、一昨日に忘年会も行なわれました。私も嫁さんも全ての活動日に参加していましたので、模型関係は充実していました。家でもお互いの積み在庫を減らして家の中を広くするべく、ほぼ毎日、夕食後に二人でプラモを作っていました。

 嫁さんが嫁いできた2020年11月時点で、嫁さんのガンプラの積みが161個、私のガルパン戦車関係の積みが109個ありましたので、とにかく作って減らそうと相談して、2020年12月時点では155個と104個、2021年12月時点では127個と94個、2022年12月時点では68個と45個にしました。
 そして本日12月31日の時点で、7個と5個になりました。積み在庫をともに10個以下、出来たら5個以下にしましょう、というのが今年2023年度の目標でしたが、それを達成することが出来ました。

 なので、私自身のガルパンプラモデル製作は、今年も頑張りました。6月に鉄道模型Nゲージを始めてハマり出してしまい、一時期はNゲージ関連ばかりを楽しんでいたりしましたが、それでも少しずつガルパンプラモデルも製作していましたので、余りキットの活用を目指してのオリジナル二次創作チーム「室町桜輝高校」の車輌群製作、あんこうチームの5人、最終章第4話に新たに登場した車輌群も含めて、38点を作りました。

 2023年度に製作した38点は、下記の通りです。キット名、キットのメーカー、製作月を記します。

1 室町桜輝高校 Ⅳ号戦車F型 タミヤ 2月
2 室町桜輝高校 ベルゲヘッツァー サンダーモデル 2月
3 室町桜輝高校 Ⅳ号戦車G型改 タミヤ 3月
4 室町桜輝高校 Ⅳ号戦車G型 タミヤ 3月
5 室町桜輝高校 Ⅲ号戦車K型 ドラゴン 3月
6 室町桜輝高校 Ⅳ号戦車J型 タミヤ 3月
7 室町桜輝高校 Ⅳ号突撃砲 ドラゴン 4月
8 室町桜輝高校 ヘッツァー アカデミー 4月
9 室町桜輝高校 Ⅲ号戦車J型 プラッツ 4月
10 室町桜輝高校 38式偵察車 ドラゴン 4月
11 聖グロリアーナ女学院 クルセイダー ボーダーモデル 5月
12 聖グロリアーナ女学院 クルセイダー タミヤ 5月
13 伯爵高校 Ⅳ号戦車G型 グンゼ産業 5月
14 聖グロリアーナ女学院 クルセイダー イタレリ 5月
15 黒森峰女学園 パンターG型 グンゼ産業 6月
16 黒森峰女学園 パンターG型 プラッツ 6月
17 ヨーグルト学園 38t戦車 ホビーボス 7月
18 BC自由学園 ARL-44 プラッツ 7月
19 プラウダ高校 エアロサンRF-8 トランぺッター 8月
20 プラウダ高校 BTR-70 トランぺッター 8月
21 ビゲン高校 L60軽戦車 ホビーボス 9月
22 コアラの森学園 センチネルAC1 コマンダーモデル 9月
23 黒森峰女学園 マウス プラッツ 9月
24 ぷちゅあらいず 西住みほ バンダイ 9月
25 ぷちゅあらいず 秋山優花里 バンダイ 9月
26 ぷちゅあらいず 五十鈴華 バンダイ 9月
27 ぷちゅあらいず 武部沙織 バンダイ 10月
28 ぷちゅあらいず 冷泉麻子 バンダイ 10月
29 黒森峰女学園(最終章4話) Ⅱ号戦車F型 アカデミー 10月 上図の画像
30 黒森峰女学園(最終章4話) Ⅳ号戦車G型 プラッツ 10月
31 黒森峰女学園(最終章4話) ティーガーⅠ タミヤ 11月
32 継続高校(最終章4話) Ⅲ号突撃砲G型 グンゼ産業 11月
33 黒森峰女学園 Ⅲ号突撃砲G型 タミヤ 11月
34 継続高校(最終章4話) KV-1E トランぺッター 11月
35 継続高校(最終章4話) T34-76レイノ タミヤ 11月
36 継続高校(最終章4話) T34-76アリ タミヤ 12月
37 聖グロリアーナ女学院(最終章4話) センチュリオン プラッツ 12月
38 戦車道連盟(最終章4話) M29ウィーゼル タコム 12月

 ちなみに、拙ブログでの製作レポート記事は、現状ではほぼ11ヵ月遅れになっていますので、上記の38番目のキットの記事はおそらく2024年12月頃にアップの見込みになっています。ほぼ一年遅れじゃないか、そんなに遅れてどーすんだ、と自分をいつも罵っておりますが、なんとか掲載ペースを早めて少しでも前倒し出来れば、と思います。

 とにかく、未製作のガルパン車輌をほとんど作りましたので、残っている車輌は2、3つぐらい、あとはキットが出ていない車輌ばかりだろうと思います。それはおいといて、来年はとりあえず積み在庫の5個をゆっくり作ってゆくことにします。

 

 その5個とは、上図のように全てフルインテリアキットです。精巧な品ばかりですので、時間がかかると思います。楽しみながら少しずつ作っていこうと考えています。
 予定としては、ミニアートのⅣ号戦車H型はあんこうチーム最終章仕様、タコムのティーガーⅡは逸見エリカ車、AFVクラブのT34-76はプラウダ高校車輌、ライフィールドモデルのⅢ号戦車J型は最終章4話の逸見エリカ車、になる筈です。残るボーダーモデルのⅢ号突撃砲G型は、たぶん継続高校車輌になるでしょうが、ヨウコ車とは別の個体に作るかも・・・。

 

 今年は鉄道模型Nゲージを6月より始めました。ゆるキャンに登場する鉄道路線を対象として、大井川鐡道と天竜浜名湖鉄道とJR身延線に絞り、関連する車輌や関連品などを色々と買い集め、または製作しました。
 その一部は既に拙ブログでレポートしていますが、改めて全ての内容を列記します。下記の通りで、品名、メーカー、品番またはシリーズ名、購入か改造か製作、の順に記します。

大井川鐡道関連 
1 近鉄16000系2両 グリーンマックス 4572 購入
2 近鉄16000系2両 グリーンマックス 30857 購入 上図の画像
3 南海21000系2両 トミーテック 鉄道コレクション3弾 購入
4 南海6000系後期型冷房改造車2両 鉄道コレクション限定 購入
5 京阪3000系2両大井川鐡道 マイクロエース A0668 購入
6 東急7200系2両 トミーテック 鉄道コレクション上田電鉄7200系 改造
7 大井川鐡道E31型電気機関車(E32) マイクロエース A9952 購入
8 西武鉄道E31型電気機関車(E33) マイクロエース A9959 購入
9 ED500形電気機関車(いぶき501) 鉄道コレクション限定 購入
10 C10-8号機 大井川鐡道 マイクロエース A7306 購入
11 C11-190号機 大井川鐡道 マイクロエース A7311 購入
12 C11-227号機 大井川鐡道SL「かわね路」号客車セット カトー 10-224 購入
13 C11-312号機 大井川鐡道 カトー 2002 改造
14 C12-164号機 大井川鐡道トラストトレイン44系客車セット マイクロエース A4295 購入
15 国鉄9600形(デフ付き) トミックス 2050 購入
16 客車オハフ13 カトー 5017 購入
17 客車オハ14 カトー 5036 購入
18 客車スハフ14 カトー 5037 購入
19 客車オハニ36 カトー 5077-1 購入
20 客車オハ35茶 一般形 カトー 5127-1 購入
21 客車オハ35ブルー 一般形 カトー 5127-2 購入
22 客車オハフ33茶 一般形 カトー 5128-1 購入
23 客車オハフ33 ブルー 一般形 カトー 5128-2 購入
24 客車オハ12 国鉄仕様 カトー 5302 購入
25 客車スハフ12 100前期形 国鉄仕様 カトー 5304 購入
26 JR貨車ホキ800形 トミックス 2777 購入
27 国鉄貨車トラ70000形 トミックス 2713 購入
28 トラ45000形 カトー 8027 購入
29 ワ12000形 カトー 8060 購入
30 大井川鐡道きかんしゃトーマス号 ネコ・パブリッシング 製作
31 大井川鐡道きかんしゃトーマス客車4両セット ネコ・パブリッシング 製作
32 井川線 DD20形ディーゼル機関車 アルナイン A1061 製作および改造
33 井川線 スロフ客車2両 アルナイン A1062 製作
34 井川線 クハ客車 アルナイン A1063 製作
35 井川線 DB1形ディーゼル機関車 ワールド工芸 製作
36 井川線 DD100形形ディーゼル機関車 プラ板にて製作
37 井川線 スロフ客車5両 トミーテック 鉄道コレクション 改造
38 井川線 スロフ客車動力台車 トミーテック 鉄道コレクション 改造
39 井川線 私鉄木造貨車ワフ・ト トミーテック 鉄道コレクション1弾 購入
40 千頭駅 スチレンボードや段ボール、プラ材などで製作 上図の画像の背景
41 井川駅 スチレンボードや段ボール、プラ材などで製作

天竜浜名湖鉄道関連
1 ゆるキャン・ラッピングTH2100形 トミックス 8609 購入
2 エヴァ・ラッピングTH2100形 トミックス 8610 購入
3 天浜線TH2100形改造品 トミーテック 鉄道コレクション19弾 購入
4 天浜線TH-01形 トミーテック 鉄道コレクション15弾 購入
5 里山交通キハ2001形 トミックス KD2-P1 購入

JR身延線関連
1 313系2350番台2両 カトー 10-588 購入
2 313系3000番台2両 カトー 10-423 購入
3 373系特急電車セット(特急ふじかわ)3両 トミックス 92424 購入

 御覧のように、2023年中に買える分、作れる分は全て買い、作りましたので、来年からはレイアウトやジオラマの構築にチャレンジしていきたいと思います。嫁さんもジオラマ作りには興味があるそうなので、来年から井川線のジオラマを一緒に作っていこうか、と話しています。

 

 年末年始はずっと家でゆっくり過ごします。私も嫁さんも職場の休みが12月29日からの6連休となりました。静かに過ごし、穏やかな正月をまったりと迎えつつ、のんびりとNゲージやプラモ製作を楽しみます。
 今回も強い寒波が襲来しているようで、このところ寒さが一段と厳しくなっています。私も嫁さんも寒さに弱いので無理はせず、初詣などの外出も必要最低限にととめ、暖かくして休みます。

 それでは、皆さま、よいお年を。

 

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「ゆるキャン△」聖地巡礼 大井川鐡道エリア編 覚え書き 2024年1月版

2023年12月30日 | ゆるキャン△

 2024年4月よりアニメ3期の放送が始まります。そのストーリー範囲は原作コミック第10巻の第53話からになりますが、メインは第56話から第63話までの8話に及ぶ大井川エリアキャンプ編であるようで、アニメ3期のシンボルロゴもそれを表徴したデザインになっています。

 その大井川エリアキャンプ編の舞台は文字通りの大井川流域で、聖地の分布域は、下流の蓬莱橋から寸又峡温泉を含めて上流最奥部の畑薙大吊橋までのべ約130キロにも及びます。

 作中では一泊二日の行程で、各務原なでしこ、志摩リン、土岐綾乃の三人が参加しています。各務原なでしこは大井川鐡道の本線と井川線(上図)を利用して奥大井湖上駅およびレインボーブリッジ展望所まで行きました。志摩リンと土岐綾乃の「孫ライダーズ」は千頭駅で落ち合って小山吊橋、八橋小道などの橋巡りを楽しんだ後、地獄のデスロードを経て「デス・ブリッジ」畑薙大吊橋まで行きました。
 それから三人はアプトいちしろキャンプ場に集まって一泊し、翌日は寸又峡温泉郷の夢の吊り橋までの散策路を楽しみ、次に大井川流域で最長の吊橋である塩郷吊橋を渡り、ラストを蓬莱橋でしめくくっています。

 これらのストーリーに沿っての聖地巡礼は、ゆるキャン史上最も困難なレベルであるとされ、聖地スポットは主な場所だけでも50ヶ所を越えます。さらに各務原なでしこのルート、志摩リンと土岐綾乃のルートの二つのルートがありますから、それぞれを作中の通りにたどる場合は、とても一泊二日では行けません。まして、ゆるキャン史上最恐の難関スポットである畑薙大吊橋までの往復だけでも半日はゆうにかかりますから、寸又峡温泉郷や蓬莱橋まで回るのも大変です。

 それぞれの聖地巡礼コースは、私自身はとりあえず一通り全部回りました。拙ブログでのレポートで全て紹介していますので、詳細はそちら(「ゆるキャン△」の目次 その二の19、21、22、23、28、29)を御覧いただくことにして、こちらでは大井川鐡道エリア編の聖地巡礼に関する基本情報、および基幹交通手段である大井川鐡道、地元の路線バスなどの参考情報を列挙し、作中に登場している主な聖地へのアクセス方法も簡単に紹介します。2024年4月からのアニメ3期放送後の聖地巡礼のご参考になれば、と思います。

 なお、自身は京都在住ですので、巡礼の起点は京都としており、それに沿っての巡礼基本情報群をまとめる形になります。御了承下さい。   

1 大井川流域へのアクセスについて
 作中の大井川流域とは、静岡県の大井川に沿った地域のうち、大井川鐡道の本線と井川線が走っている地域を中心とした範囲で、作中での描写が多い場所は千頭駅、寸又峡温泉、井川地区、畑薙地区、蓬莱橋の五つが挙げられます。

 各務原なでしこと同じ公共交通機関利用の場合は、大井川鐡道に乗ることになりますから、その起点である金谷駅を目指すことになります。JR東海道線の金谷駅に隣接していますので、東京方面からでも大阪方面からでも、JR東海道線の金谷駅へ向かうことになります。

 新幹線を利用する場合は、掛川駅まで行き、JR東海道線の静岡または沼津行きの普通列車に乗り換えれば、二つ目の駅が金谷駅です。静岡駅でJR東海道線に乗り換える場合は、浜松行きの普通列車に乗って八つ目の駅が金谷駅です。掛川経由の方が近くて時間もかかりません。

 金谷駅からは大井川鐡道本線に乗りますが、2024年春の時点でも川根温泉笹間渡駅から千頭駅までの区間は2022年9月の台風15号の影響で不通となったままです。ですが、家山駅よりの代行バスが地元川根本町により運行されていますので、それに乗れば千頭駅まで行くことが出来ます。

 大井川鐡道の公式サイトはこちら
 家山駅から千頭駅までの代行バス便の案内情報はこちら
 家山駅から千頭駅までの代行バス便の時刻表はこちら

 志摩リン、土岐綾乃と同じバイク、もしくは車の場合は、二つのルートが利用出来ます。志摩リンが山梨県から静岡市経由で走った国道362号線が、東京方面からの唯一のルートになります。大阪方面からのルートとしては、土岐綾乃が浜松からの国道1号線を経て、大井川鐡道の日切駅近くの大代インターから入った国道473号線が唯一のルートになります。その国道473号線は大井川鐡道の下泉駅付近で国道362号線に合流します。

 土岐綾乃が志摩リンと落ち合って、大井川吊橋巡りツーリングの起点としたのが大井川鐡道の千頭駅ですが、そこへは国道362号線から千代橋を渡って県道77号線に進んで行けば到達出来ます。駐車スペースは千頭駅前にはありませんから、大井川鐡道井川線の踏切を西へ渡ってすぐのところにある道の駅「音戯の郷」の駐車場を利用して下さい。

 「音戯の郷」の公式サイトはこちら

2 大井川鐡道本線および井川線の利用について、切符の買い方について
 大井川流域の基幹交通である大井川鐡道は、金谷駅から千頭駅までの本線、千頭駅から井川駅までの井川線とに分かれており、両者は千頭駅にて連絡しています。作中では各務原なでしこが金谷駅から本線の普通列車(近鉄16000系)に乗って千頭駅まで行き、千頭駅前でダムカレー、豚串、川根茶ソフトを食べた後、千頭駅から井川線に乗ってアプトいちしろ駅まで行きます。

 ですが、大井川鐡道本線は前述したように2022年9月の台風15号の影響で川根温泉笹間渡駅から千頭駅までの区間が不通となったままです。全面復旧にとりかかったとしても、完了までに数年はかかるとされていますので、2024年4月からのアニメ3期の放送後においても、作中と同じように大井川鐡道に乗って楽しむことが出来るのは家山駅までとなります。
 現在は普通列車のほかにSL急行「かわね路号」やトーマス号、快速急行、臨時列車などが日替わりで運行されていますので、いずれに乗っても家山駅まで行くことが出来ます。それぞれの運行日は毎日ではありませんので、あらかじめ大井川鐡道の公式サイトの時刻表で確認しておきましょう。

 家山駅からは、地元の川根本町の町営バスが代行便の形で千頭駅まで連絡しています。春秋の観光シーズンには増発便や千頭駅までのノンストップ便も運行されています。
 ただ、川根本町の公式サイトにリンクされる時刻表には通常運行のバス便のみが掲載され、季節限定の増発便やノンストップ便に関する情報は出ませんので注意して下さい。家山駅からのバス便の状況については、家山駅まで乗って来た乗客数によって左右されるそうなので、現地へ着いて初めて判明するという形になるわけです。

 なので、春秋のシーズン期間や連休中のバスの臨時便の有無については、事前に問い合わせて確認しておくことをおすすめします。問い合せ先は、川根本町のくらし環境課 環境政策室、電話番号は0547-56-2236です。メールでのお問い合わせフォームはこちら

 千頭駅からは井川線が利用出来ます。作中では各務原なでしこがアプトいちしろ駅まで乗り、そこからは廃線跡のトンネルをくぐってキャンプ場へ行き、長島ダムを見物し、長島ダム駅から再び井川線に乗って奥大井湖上駅まで移動しています。井川線が通常通りの運行であれば、作中の通りに井川線を利用出来ます。アプトいちしろ駅での「ブッピガン」ことアプト式電気機関車の連結作業を見物することも出来ます。

 ただし、井川線は大井川上流の渓谷沿いの山岳地帯を走ります。もとはダム建設のために中部電力が敷設した工事用軌道であったものを旅客営業線に転じている路線ですから、地形的に険しい箇所を幾つも通ります。大自然の真っただ中を走りますので、台風や豪雨、地震や強風の影響を受けやすく、落石や土砂崩れなどで運休になることもしばしばです。直前までどうなるかは分かりませんし、乗った途端に運休が決まってしまって先に行けなくなるケースもしばしばです。

 なので、なるべく天候が安定している時期、例えば台風とか豪雨が無い季節を選んで乗ることをおすすめします。

 

 参考までに、大井川鐡道エリアの鉄道とバスの路線図に、作中での三人の利用駅を書き添えておきます。大井川鐡道を本線、井川線とも利用しているのが各務原なでしこですが、井川線のほうで乗ったり降りたりを繰り返していますので、出来る事なら井川線の運行が安定的に行われる季節、時期を選んでおくべきでしょう。

 大井川鐡道の切符の買い方は、本線と井川線とで分かれます。作中では各務原なでしこが金谷駅で「奥静周遊きっぷ」を買っており、以前はそのモデルである「大井川周遊きっぷ」が同じ価格で販売されていました。が、2022年9月の台風15号の影響で川根温泉笹間渡駅から千頭駅までの区間が不通となってからは、「大井川周遊きっぷ」が廃止されて本線と井川線とで別々に切符を買う方式になっています。

 まず本線ですが、これは金谷駅から家山駅までの切符を買います。片道830円です。家山駅から千頭駅までは川根本町の町営バスを利用しますので、普通にバス内で乗車賃を払って下さい。片道500円です。日帰りであれば切符はあらかじめ往復で買っておくのも良いです。

 千頭駅からは井川線に乗りますが、切符の買い方は聖地巡礼のコースによって二通りに分かれます。各務原なでしこと同じルートで奥大井湖上駅へ向かうのであれば、普通の切符を往復で買います。奥大井湖上駅までの片道で720円ですから、往復で1440円になります。アプトいちしろ駅での途中下車が可能かどうかは、切符購入の際に確認してください。

 それとは別に、寸又峡温泉の夢の吊り橋も回るコースをとる場合は、井川線と寸又峡温泉へのバスが乗り降り自在で利用出来る「井川寸又峡周遊きっぷ」2100円がおすすめです。二日間有効ですので、一泊する場合でも井川線や寸又峡温泉へのバスが乗り降り自在で利用出来ます。この「井川寸又峡周遊きっぷ」は、井川線の千頭駅・奥泉駅・井川駅の3ヶ所でしか買えませんので、だいたいは千頭駅にて買うことになるでしょう。
 また、「井川寸又峡周遊きっぷ」では千頭駅から閑蔵駅までの路線バスも利用出来ますので、その途中にある「湖上入口」バス停で降りると、各務原なでしこも行ったレインボーブリッジ展望所へ簡単に行けたりします。

 その他の詳細に関しては大井川鐡道の公式サイトを御覧下さい。

3 千頭駅エリアの聖地スポット、食べ物などの紹介
 大井川鐡道の千頭駅は、2022年春と2023年春に大井川鐡道が開催したゆるキャンとのコラボキャンペーンの効果もあって、既にゆるキャン聖地としての認知度が高く、これまでにも多くのファンが訪れています。2022年9月の台風15号の影響で川根温泉笹間渡駅から千頭駅までの区間が不通となってからも、その波は絶えるどころか、ますます訪問者数が増えていると聞きます。その主な理由は4つ挙げられるでしょう。

 まずは作中にて各務原なでしこが金谷から乗ってきて降りた駅であること、志摩リンと土岐綾乃が大井川吊橋巡りツーリングの出発点にして落ち合った駅であることが大きなポイントです。鉄道、バイクと二つのルートに分かれて大井川流域を回る3人が出揃う唯一の駅ですので、聖地スポットも駅の内外にかたまっていて回りやすく、一時間程度あれば全部を回れる気軽さがあります。

 次に、作中に登場する志摩リンと土岐綾乃のバイク、ビーノとエイプの実物が、実際に見られて、レンタルで利用出来る点が挙げられます。千頭駅北の「カーケア中原」がゆるキャンファン向けのサービスとして提供しているもので、「カーケア中原」が休日の時は向かいの「カフェうえまる」の店先に展示されていたりします。
 ゆるキャン聖地は山梨県を中心に静岡県、長野県、愛知県、埼玉県、群馬県と広範囲に及んで各所でビーノの展示があったりしますが、エイプまで揃っているのは千頭駅エリアだけです。しかもレンタル利用出来ますので、作中と同じように志摩リンと土岐綾乃の大井川吊橋巡りツーリングを追体験出来ます。これがやりたくて千頭駅まで行くファンが少なくない、と聞きます。
 ビーノとエイプのレンタルサービスに関しては「カーケア中原」に問い合わせてください。私がビーノをレンタル利用した2021年7月の時点では電話による予約制で、土日の休日でも予約してあれば利用可能でした。

 「カーケア中原」の公式サイトはこちら

 三つ目は、作中で各務原なでしこが千頭駅前のお店を回って、豚串、ダムカレー、川根茶ソフトを食べて楽しんでいますが、それらの実物を実際に食べられることです。聖地巡礼の重要な要素の一つが、作中と同じ食事を楽しむ事でありますが、それらを全て味わえる聖地というのは、全国的にはあまり無いのです。千頭駅へ行けば、作中の食べ物を全て味わえるというのは、非常に高いポイントです。

 ちなみに豚串は、千頭駅向かいの「奥大井ふるさと特産振興会おみやげ店」の屋台「やんばい処」で売っています。現地ではジャンボ串焼と呼ばれているようで、トンネギマ(豚ねぎま)が1本400円、ギュートンネギマ(牛豚ねぎま)が1本500円です。
 屋台のお店ですので、営業日が不定期で、土日でも休んでいる場合があります。事前に電話で問い合わせておくのが良いでしょう。電話番号は0547-59-1215です。

 「やんばい処」の食べログでの案内情報はこちら

 ダムカレーは、千頭駅から北へ30メートルほど行った左側にあるカフェ「うえまる」でいただけます。もともとは限定メニューでしたが、ゆるキャンに登場したことによって有名になり、訪れるファンの全員がこれを食べるので、現在は定番メニューになっています。実際の品名は「長島ダムカレー」で、1430円です。他に「大井川ダムカレー」1700円もあり、大井川流域エリアでいただける三大ダムカレーの二つがいただけます。
 カフェ「うえまる」は、千頭駅エリアにおける唯一のゆるキャン聖地食事処で、店内にはゆるキャンコーナーもあり、お店のゆるキャン限定品の「なでしこダムカレーTシャツ」も売っています。日曜日が定休日ですので注意下さい。
 なお、作中での店舗は旧位置にあった時の内観で描かれており、現在は移転後の店舗になります。

 カフェ「うえまる」の公式サイトはこちら

 川根茶ソフトは、千頭駅の向かいの交差点の東の角に建つ川根物産の茶菓販売店で売っています。400円です。

 川根物産の公式サイトはこちら
 川根茶ソフトの食べログでの案内情報はこちら

 四つ目の理由としては、ゆるキャンとのコラボグッズや関連商品群が千頭駅売店と、千頭駅向かいの奥大井観光案内所で買える点です。大井川鐡道に乗ってやって来るファンの目当ての一番は、奥大井観光案内所で販売しているゆるキャンポスターやポストカード類と聞きます。原作者あfろ氏の原画をそのまま使用しているため、ゆるキャン成分が濃厚であるうえ、奥大井観光案内所だけの限定販売品であるため、希少価値も加わります。

 なお、奥大井観光案内所では、ゆるキャン聖地巡礼用のマップ「ゆるキャン大井川MAP」も配付しています。この「ゆるキャン大井川MAP」は、作中の景色と実際の景色を並べて聖地スポットを紹介しており、50か所が網羅されていますので、ゲットしておきましょう。

 奥大井観光案内所(川根本町観光協会)の案内情報はこちら。定休日は毎週水曜です。

 さらに大井川鐡道が去年春と今年春に開催したゆるキャンとのコラボキャンペーンにて豊富に展開販売したコラボグッズ群も魅力的な品揃えで人気を集めています。こちらも原作者あfろ氏が特別に描き下ろした原画をベースに使用しており、大井川鐡道だけでの限定グッズとして千頭駅の売店のほか、金谷駅の売店と新金谷駅向かいのプラザロコの3ヶ所でしか販売していませんので、千頭駅に行けば買えるわけです。

 大井川鐡道ゆるキャンコラボキャンペーンの案内および販売グッズ紹介はこちら

 以上をまとめますと、千頭駅エリアの聖地スポットは、作中に登場した千頭駅の駅内および外のベンチ、大井川沿いの堤防、道の駅「音戯の郷」の駐車場の他に、奥大井観光案内所、やんばい処、カフェうえまる、カーケア中原、川根物産茶菓販売所、を数えることになります。一時間もあれば全部を回れますので、食べ歩きとあわせて楽しんで下さい。

4 寸又峡温泉エリアの聖地スポット、食べ物などの紹介
 寸又峡温泉エリアは、千頭駅エリアに次いでファンの巡礼が多いと聞きます。作中では、各務原なでしこ、志摩リン、土岐綾乃の3人がキャンプ泊の翌日に揃って寸又峡温泉街に行き、足湯カフェを楽しみ、夢の吊り橋までの散策路である観光プロムナードコースを歩き、温泉街に戻ってから「渓流そば」を食べ、温泉施設の「美女の湯」で温泉を楽しんでいます。

 そのコースをそのまま追体験出来るのが大きなポイントで、各務原なでしこが食べていた「芋餅」、足湯カフェで3人が食べていたジェラート、チーズケーキ、そして「渓流そば」も同じものが味わえます。「芋餅」は観光プロムナードコース入口の近くにある土産品店「さとう」でいただけます。足湯カフェは「さとう」の隣です。「渓流そば」は温泉街のほぼ中央にある「紅竹食堂」でいただけます。

 足湯カフェ「晴耕雨読Village」の公式サイトはこちら
 土産品店・手造りの店「さとう」の公式サイトはこちら
 「紅竹食堂」の公式サイトはこちら
 「美女の湯」のモデルである町営露天風呂「美女づくりの湯」の案内情報はこちら。各務原なでしこの姉の桜さんも入浴したことがあるとか。

 寸又峡温泉郷には宿泊施設が幾つかありますから、大井川エリアでの聖地巡礼での宿泊地としても魅力的な候補地として挙げられます。作中では、各務原なでしこと井川線の列車で一緒に乗った三重からのお姉さんコンビが「翠紅苑」に泊まっており、志摩リンと土岐綾乃がバイクを停めさせてもらった旅館が「求夢荘」でした。

 「翠紅苑」の公式サイトはこちら
 「求夢荘」の案内情報はこちら
 寸又峡温泉についての案内情報はこちら

 寸又峡温泉から夢の吊り橋までの散策路は、かつての千頭森林鉄道の軌道跡を利用したもので、観光プロムナードコースとして整備されています。このコースは一般車やバイクの通行が禁止されていて、歩行者用の道になっています。温泉街から夢の吊り橋までは歩いて約30分ですが、作中ではさらに飛龍橋まで行って一周して戻っているようなので、途中の聖地撮影などを含めて片道一時間をみておいたほうが無難でしょう。
 ちなみに私自身が2021年5月に宿を「翠紅苑」にとって、宿を発着点にして同じルートを一周したときのタイムは1時間46分でした。

 寸又峡温泉および夢の吊り橋の案内情報はこちら

 観光プロムナードコースは街灯が全くありませんので、作中の三重のお姉さん達のように夕方から行ったりすると夜は真っ暗闇になります。野生のサルやシカに襲われる危険もありますので、注意して下さい。

 寸又峡温泉へのアクセスは、車やバイクならば千頭駅の北の川根大橋を渡る県道77号線に入れば、あとはその県道77号線をたどるだけで行けます。県道77号線の終点が寸又峡温泉の広い観光駐車場です。そこから先は、地元住民や宿泊客以外の一般車の通行が禁止されていますので、温泉街や夢の吊り橋までの散策路は全て徒歩になります。
 なお、台風や豪雨などの時期には通行制限や災害による通行止めが発生する場合があります。直前に道路情報などを確認しておくと良いでしょう。

 静岡県の道路情報はこちら。大井川エリアは「中部地域」に含まれ、県道77号線は「川根寸又峡線」の名で表示されます。

 大井川鐡道およびバスで千頭駅まで来た場合は、千頭駅前のバス停から寸又峡線のバスに乗れば、約40分で寸又峡温泉に着きます。通常期は観光駐車場横の「寸又峡温泉入口」バス停が終点ですが、冬季の限定期間のみ温泉街の「寸又峡温泉
」バス停が終点となります。運賃は900円です。
 なお、井川線も利用しつつ寸又峡温泉エリアへ行く場合は、千頭駅にて販売している「井川寸又峡周遊きっぷ」2100円がおすすめです。二日間有効ですので、例えば寸又峡温泉に一泊する場合でも井川線と寸又峡線のバスに自在に乗れますので便利です。

5 井川地区エリアの聖地スポット、食べ物などの紹介

 井川エリアは、静岡市葵区井川を中心とする範囲で、大井川鐡道の井川線の終点である井川駅があります。作中では志摩リンと土岐綾乃が大井川吊橋巡りツーリングの途中で井川ダムに立ち寄ってダム横の水神社にお参りし、井川駅の北で県道60号線に進み、井川にある最後のガソリンスタンドで補給し、井川大橋(上図)へ向かっています。その後、井川湖ぞいの県道60号線を北上して食事処「てしゃまんくの里」に寄っておでんを食べています。

 また原作コミックの挿絵に井川大仏と毘沙門天を見る二人の場面がありますので、少なくとも井川大仏には立ち寄っているようです。さらに井川湖と井川集落の景色の描写のシーンがありますが、その景色は井川ビジターセンターの展望塔からの眺めであることが判明しています。

 以上をまとめますと、井川エリアの聖地スポットは、井川ダム、水神社、井川のガソリンスタンド「エネオス井川石油」、井川大仏、井川大橋、食事処「てしゃまんくの里」の6か所になります。これらを回る際の観光・休憩スポットとして井川ビジターセンターが利用出来るでしょう。

 井川ダムの案内情報はこちら。中部電力の井川ダム・井川展示館の案内情報はこちら
 井川大仏の案内情報はこちら
 井川大橋の案内情報はこちら
 食事処「てしゃまんくの里」滝浪商店の食べログでの案内情報はこちら。不定休および休業期間があるようです。
 井川ビジターセンターの案内情報はこちら
 ガソリンスタンド「エネオス井川石油」は井川ビジターセンターの東の県道60号線沿いにあります。

 井川エリアへのアクセスは、車やバイクならば千頭からの県道77号線から県道388号線に進み、井川で県道60号線に入ればそのまま井川エリアの中心地域へ行けます。
 大井川鐡道井川線の井川駅まで来た場合は、井川駅に発着する井川地区の自主運行バスを利用すれば、井川エリアの全ての聖地スポットに行けます。

 井川地区の自主運行バスの案内情報はこちら。時刻表はこちら。井川駅からは「白樺荘方面行き」に乗って下さい。井川駅へ帰るバスは「横沢方面行き」に乗って下さい。下記の「」内
は聖地の最寄りのバス停です。
  井川ダム---「井川駅前」 
  井川大仏---「井川小中学校入口」 
  井川ビジターセンター---「南アルプスユネスコエコパーク井川ビジターセンター」
  井川大橋---「井川大橋」
  食事処「てしゃまんくの里」滝浪商店---「田代」

6 畑薙地区エリアの聖地スポット、アクセスなどの紹介
 畑薙地区エリアは行政区のうえでは静岡市葵区田代に含まれます。作中では志摩リンと土岐綾乃が大井川吊橋巡りツーリングで県道60号線を北上し、「七つのタシロ」こと田代トンネル群を抜け、畑薙第一ダムまで行きます。
 そこで畑薙湖を見ながら志摩リンが畑薙大吊橋まで行くことを提案し、沼平のゲートまでバイクで行き、それからは徒歩で畑薙湖の東岸の林道を進んで、ついに奧静最奥部の「デス・ブリッジ」畑薙大吊橋に到達します。その帰り道に「畑薙荘」に寄って温泉に浸かります。

 このエリアが最も行くのが難しい範囲になります。大井川鐡道を経て井川地区の自主運行バスを利用する場合は、「畑薙荘」のモデルである「白樺荘」が終点のバス停になります。白樺荘から畑薙第一ダムまでは5キロ、沼平のゲートまでは6.5キロ、そして畑薙大吊橋までは8キロありますが、この往復16キロを歩くことになります。健脚の方か、ハイキングや登山に慣れている方でないとキツいかと思います。

 車、バイクならば県道60号線の終点の沼平ゲートまでは行けます。ゲート前に20台程度の駐車スペースがあります。そこから先の林道「東俣線」は中部電力の管轄下の工事保線用路ですので、一般車・バイクの通行は禁じられています。
 沼平ゲートから畑薙大吊橋までの片道2.5キロは徒歩になります。沼平ゲートの管理事務所に申し出て歩行許可を貰ってから、畑薙大吊橋へ向かうことになります。

 ちなみに私は2021年11月に千頭駅前の「カーケア中原」でレンタカーを借りて沼平ゲートまで行きましたが、片道の所要時間は1時間47分でした。つまり、千頭駅から車で沼平ゲートまで行って戻ってくるだけで3時間余りがかかります。沼平ゲートから畑薙大吊橋までは歩いて片道31分でしたが、畑薙大吊橋を渡って往復する時間も含めたら1時間20分かかっています。千頭駅からの往復時間は、あわせて5時間半ぐらいでした。
 つまりは半日かかりますので、気楽に行ったり、午後遅くから行くのは控えておくべきです。ちなみに沼平ゲートは夕方から夜間は歩行者も通行止めになります。冬季には通行止めになります。

 このエリアにおいては、宿泊・温泉施設である白樺荘より先、畑薙大吊橋までの片道8キロのルート上にはコンビニもありません。トイレは沼平ゲートだけにあります。
 弁当持参なら問題はありませんが、食事をとってから向かう場合は、井川ビジターセンターか白樺荘のレストラン、食事処「てしゃまんくの里」滝浪商店ぐらいしかありませんが、いずれも営業日が不定期で休業の場合もあります。注意して下さい。

 畑薙第一ダムの案内情報はこちら
 林道「東俣線」の通行規制情報はこちら
 畑薙大吊橋の案内情報はこちら
 白樺荘の公式サイトはこちら

7 蓬莱橋、および他の主な聖地スポット、アクセスなどの紹介
 蓬莱橋は、三人が一番最後に立ち寄った橋で、島田市南2丁目の大井川に架かります。寸又峡温泉から塩郷の吊橋に行き、その後で解散する流れになるはずでしたが、土岐綾乃が「まだ帰りたくない」と言ったため、各務原なでしこが蓬莱橋を追加した、というストーリーです。そして蓬莱橋を楽しんで北詰のカフェで一服した後、3人は解散してそれぞれの帰途につきます。

 蓬莱橋へは、大井川鐡道利用の場合は本線の終点の金谷駅まで戻り、JR東海道線の静岡行きまたは沼津行きに乗り換えて次の島田駅で降りてあとは25分ほど歩きます。車、バイクの場合は、島田市街まで行って大井川の北岸を通る県道342号線を目指せば、島田大橋の西側に蓬莱橋が見えてきます。観光駐車場が県道342号線の北側にあります。

 バスを利用する場合は、富士山静岡空港アクセスバス、島田市コミュニティバス島田駅東線、の2ルートがあります。
 富士山静岡空港アクセスバスは、富士山静岡空港、JR金谷駅、大井川鐡道の新金谷駅、JR島田駅、蓬莱橋を結ぶルートで運行しています。大井川鐡道の新金谷駅から蓬莱橋まで行くバスは1日3便があります。アクセスバスの案内情報はこちら
 島田市コミュニティバス島田駅東線は、JR島田駅の南口から出て島田市中心街を巡回して島田駅に戻るルートですが、途中の「宝来町」バス停が蓬莱橋の最寄になります。「宝来町」バス停から蓬莱橋までは約250メートル、徒歩5分ぐらいです。島田市コミュニティバス島田駅東線の時刻表はこちら

 蓬莱橋の案内情報はこちら
 3人が一服した蓬莱橋北詰のカフェ「蓬莱橋897.4茶屋」の案内情報はこちら

 他の主な聖地スポットについては、以下に列挙して紹介します。

アプトいちしろキャンプ場
 各務原なでしこが大井川鐡道井川線に乗ってアプトいちしろ駅で降り、旧線跡を歩いてトンネルをくぐって出たところがキャンプ場です。作中では各務原なでしこが先に着いて手続きをして場所を確保した後、長島ダムと奥大井湖上駅レインボーブリッジの見物に向かいます。その後に戻ってきて、サイトからアプト式列車を眺め、薪割りなどをしながら志摩リンと土岐綾乃を待ちます。
 3人が揃ってからはテントを張って一泊します。大井川キャンプ編のメイン聖地で、もともと地元で人気のキャンプ場でしたが、ゆるキャン効果でさらに利用客が増加、よけいに予約が取りにくくなっていると聞きます。

 大井川鐡道利用の場合は、前述したように井川線のアプトいちしろ駅で降り、旧線跡を歩いてトンネルをくぐって行きます。歩いて10分ぐらいです。
 車、バイクの場合は県道388号線の四季彩公園の西側のヘアピンカープの途中に案内標識がありますので、それに従って左の林道に進み、少し行ったところで右へ入ってターンして長い下り坂を下ります。道なりに進んで林を抜けるとキャンプ場の入口に着きます。

 アプトいちしろキャンプ場の公式サイトはこちら

長島ダム
 各務原なでしこがアプトいちしろキャンプ場で手続きしてテントサイトを確保した後に、近くの長島ダムへ見物に行きます。どのようにして行ったかは作中に描写がありませんが、四季彩公園の北東隅の吊橋を渡って東屋のあるダム展望所でダムを見物しています。その後、四季彩公園の南側の園路から長島ダムの西詰に行って堤体上を渡り、東詰の長島ダム駅まで移動しています。

 大井川鐡道利用の場合は、井川線の長島ダム駅が最寄りですが、各務原なでしこの歩いたコースをたどるのであれば、アプトいちしろ駅で降りて旧線跡を歩いてトンネルをくぐってキャンプ場を通り、四季彩公園の北東隅の吊橋を渡って東屋のあるダム展望所まで行き、それから長島ダムに登ります。
 その経路は、私自身の巡礼レポートを参照下さい。井川線利用の場合は列車の時刻を事前に調べておくことをおすすめします。
   「ゆるキャン△の聖地を行く19 その5  なでしこの歩いたルート
   「ゆるキャン△の聖地を行く19 その6  長島ダムへの道
   「ゆるキャン△の聖地を行く19 その7  長島ダム

 車、バイクの場合は県道388号線を進んで長島ダム駅の横の観光駐車場に入れば、長島ダムまで歩いて3分です。また県道388号線から分かれる支道が四季彩公園の南からそのまま長島ダムの堤体上を通って長島ダム駅の横で県道388号線に合流しますので、車、バイクに乗ったままで長島ダムを渡ることも出来ます。

 長島ダムの公式サイトはこちら

両国吊橋
 志摩リンと土岐綾乃が大井川吊橋めぐりの最初に行った吊橋です。千頭駅からのハイキングコースのスポットの一つに含まれる吊橋で、千頭駅から徒歩25分ぐらいで行けます。

 大井川鐡道を利用する場合は、井川線の川根両国駅が最寄りです。そこから歩いて5分程度です。井川線の車両基地である両国車両区が吊橋のすぐ東下に見えます。千頭駅では見られないディーゼル機関車や貨車などが駐機していて、鉄道ファンの見物・撮影スポットにもなっています。
 車、バイクの場合は、千頭駅前から県道77号線に進み、両国橋を渡って北へ進み、左側に大きな川根茶の看板があるところで左に曲がって降りると、そこが両国吊橋北詰の観光駐車場になります。

 両国吊橋の案内情報はこちら

ただの電柱
 志摩リンと土岐綾乃が大井川吊橋めぐりの二番目に行った場所です。遠くから見ると電柱が吊橋の主塔のように見えるため、二人が吊橋じゃないかと考えて近づいていきましたが、ただの電柱が二本並んでいるだけでした。

 このただの電柱は、川根本町桑野山424に所在する「桑野山ふれあい広場」の南西側の大井川堤防上に建ちます。
 現地へは車、バイクならば両国橋を渡って県道77号線を400メートルほど北へ進み、次の分岐で左へ降りて道なりに行けば着きますが、大井川鐡道の駅からはちょっと離れています。最寄りの駅は沢間駅、川根両国駅の双方ですが、いずれの駅からも約800メートルほど離れています。駅から歩いて15分ぐらいでしょうか。
 一番楽に行ける方法は、千頭駅から寸又峡線のバスに乗ることです。約5分でバス停「桑の山」に着き、そこから歩いて200メートルです。

 ただの電柱への巡礼レポートは「ゆるキャン△の聖地を行く21 その4  ただの電柱から小山吊橋へ」です。

小山吊橋
 志摩リンと土岐綾乃が大井川吊橋めぐりの三番目に行った場所です。橋上でタヌキの親子とすれ違ったのもここです。

 大井川鐡道で行く場合は、井川線の川根小山駅で降りて、歩いて300メートルほどです。駅からの一本道を集落の中へ進めば、右手下の大井川沿いに小山吊橋が見えてきます。吊橋に向かって道を降りていくと、吊橋の北詰に着きます。

 車、バイクの場合は県道77号線から西の昇泉橋を渡り、道なりに200メートルほど進むと右手に広場のようなスペースがあります。そこに停めて徒歩に移り、次の辻を右折すれば、そのまま小山吊橋の南詰に着きます。北詰へ行く場合は、県道77号線の小山トンネルの手前で左に曲がって降りていき、次の辻でぐるりと大曲りで左折すれば、そのまま小山吊橋に着きます。駐車スペースは最低限で、転回もギリギリ出来る程度のスペースしかありませんので、車で行くのはあまりおすすめ出来ません。

 小山吊橋の案内情報はこちら

八橋小道・長島公園(清流公園)
 志摩リンと土岐綾乃が大井川吊橋めぐりの四番目に行った場所です。長島公園の広い駐車場にバイクを停めて、接岨大吊橋からの八橋小道を歩き、欅橋を除く七つの橋を回ります。

 大井川鐡道で行く場合は、井川線の接岨峡温泉駅が最寄りです。駅から県道388号線を南へ500メートルほど歩くと、南の接阻大吊橋に着きます。これを渡って大井川の東岸に行って八橋小道の入口に行きます。右へ行く道は通行止めになっていますので、左に進んで「栃の木橋」から「犬返り橋」までの七つの橋をめぐり、県道388号線に出て接岨峡大橋を渡り、駅前に戻ります。一周するのに約1時間ほどかかります。

 車、バイクの場合は県道388号線の西側にある長島公園の広い駐車場に停めて下さい。そこから南の接岨大吊橋へは、県道388号線の下をくぐる園路にて5分ほど歩きます。あとは前述のルートを一周して、長島公園の広い駐車場に戻ります。

 八橋小道の案内情報はこちら。現地では「ラブロマンスロード」と銘打っていますが、春秋にはクマ、夏にはマムシが出る山道ですので、十分に注意して下さい。

塩郷吊橋
 各務原なでしこ、志摩リン、土岐綾乃が二日目の寸又峡温泉郷巡りの次に立ち寄った吊橋です。大井川に架かる吊橋では最も長く、全長220メートルを測ります。吊橋の下を県道77号線と大井川鐡道本線が並行して走っており、いずれからのアクセスも容易です。

 大井川鐡道で行く場合は、本線の塩郷駅が塩郷吊橋の下にあるので、駅からすぐに行けますが、2022年9月の台風15号の影響による不通区間に塩郷駅も含まれるため、2024年4月のアニメ3期放送後もしばらくは鉄道では行けません。その代わり、家山駅から千頭駅までを結ぶ川根本町営の代行バスが利用出来ます。そのバス停「塩郷駅」が塩郷駅の横にありますので、そこから歩いて3分ぐらいで塩郷吊橋にあがれます。

 車、バイクの場合は、県道77号線の塩郷駅の向かいに駐車スペースがあります。そこから歩いて3分ぐらいで塩郷吊橋にあがれます。

 塩郷吊橋の案内情報はこちら

8 大井川エリア聖地巡礼で利用出来る便利な施設、食事処、宿泊施設などの紹介
便利な施設
道の駅「オクシズの駅 きよさわ里の駅」
 国道362号線沿いにある道の駅です。東京方面から車、バイクで千頭駅へ行く途中にあり、食事や休憩が出来ます。

道の駅「川根温泉ふれあいの泉
 大井川東岸の県道63号線沿いにある道の駅です。大阪・東京方面から車、バイクで千頭駅方面へ行く途中の休憩スポットとして利用出来ます。温泉入浴、食事や休憩、買い物が出来ます。川根温泉ホテルに隣接しています。温泉は川根温泉の源泉かけ流しです。川根本町の物産品コーナーも充実しており、川根温泉より析出した天然塩を用いた「幻の塩ラーメン」が人気です。
 大井川鐡道本線の現時点での終点である川根温泉笹間渡駅から徒歩5分です。バスは島田市のコミュニティバスの川根温泉線が運行しており、家山駅および島田駅から川根温泉ホテル前へ連絡しています。

 島田市のコミュニティバスの案内情報はこちら
 島田市のコミュニティバスの川根温泉線の時刻表はこちら

道の駅「KADODE OOIGAWA
 大井川西岸の国道473号線の両側に施設がまたがる大規模な道の駅です。新東名高速道路の「島田金谷IC」の南隣にあり、大阪・東京方面から車、バイクで千頭駅方面へ行く途中の休憩スポットとして利用出来ます。
 大井川鐡道本線の門出駅に隣接しており、施設の東側に駅ホームがあってそのまま道の駅に出入り出来ます。多目的広場や公園も併設してあり、食事処や物産品コーナーも充実していて、地元のレジャースポットにもなっています。

新金谷駅「プラザロコ(ロコミュージアム)」
 大井川鐡道本線の新金谷駅の向かいにある、大井川鐡道直営のミュージアム兼商業施設です。大井川鐡道の各種切符、サービス、関連グッズ、物産品、ゆるキャンコラボグッズ類を取り扱っています。ゆるキャンコラボキャンペーン期間中の各種限定商品もここで取り扱っており、ここでしか入手出来ない品もあります。聖地巡礼の立ち寄り必須スポットのひとつです。
 隣接する新金谷車両区では、きかんしゃトーマスや急行かわね号のSLやEL、昭和の客車など、大井川鐡道が保有し運行する多くの電車、機関車、客車が見られます。鉄道ファンにも知られた聖地のひとつです。

 「プラザロコ(ロコミュージアム)」の案内情報はこちらこちら

食事処・カフェ
 大井川エリアの食事処は、大半が道の駅の内外に点在していますので、それ以外の主な食事処・カフェを紹介します。

This Is Cafe 新金谷駅店
 新金谷駅の改札口横にあるカフェです。新金谷駅での列車待ち時間などにもどうぞ。This Is Cafeは静岡県内に6店舗を展開し、ゆるキャンコラボキャンペーン期間中は「ゆるキャンラテシリーズ」などのサービスを展開しています。

 This Is Cafe の公式サイトはこちら

川根カフェen
 道の駅「川根温泉ふれあいの泉」の向かいにある二階建てのカフェです。一階は宿泊スペース(1泊1人3300円より)、二階はギャラリーカフェになっています。広い駐車場がありますので、車、バイクでも気軽に利用出来ます。

 川根カフェenの食べログでの案内情報はこちら
 川根カフェenの「enプロジェクト」開業時の紹介記事はこちら

接岨峡温泉会館
 接岨峡温泉にある温泉施設で、食事休憩も出来ます。千頭駅前以外で川根茶ソフトがいただける所としても知られています。温泉は、全国的にも数少ない ナトリウム炭酸水素塩冷鉱泉です。

 接岨峡温泉会館の公式サイトはこちら

アルプスの里
 井川地区の農林産物加工センター の食事処です。大井川流域エリアでいただける三大ダムカレーのひとつ、井川ダムカレーが食べられます。

 アルプスの里の食べログでの案内情報はこちら
 井川農林産物加工センターアルプスの里の案内情報はこちら

宿泊施設・キャンプ場
 大井川エリアの宿泊施設は、寸又峡温泉郷の旅館群が知られていますが、それ以外の主な宿泊施設、キャンプ場を紹介します。

川根温泉ホテル
 大井川鐡道の直営ホテルです。道の駅「川根温泉ふれあいの泉」の南隣に位置し、大井川に面して鉄橋を渡るSL列車が部屋から見える宿として有名です。「温泉宿ホテル総選挙」2023にてファミリー部門3年連続全国1位・食事3部門全国1位に選ばれた超人気のホテルです。
 ゆるキャンコラボキャンペーン期間中は関連グッズ購入特典の温泉入浴チケットを配布し、ゆるキャンファンにもよく知られています。夕食および朝食のバイキングの美味しさ楽しさはトップクラスです。

 大井川鐡道本線の現時点での終点である川根温泉笹間渡駅から徒歩5分です。バスは島田市のコミュニティバスの川根温泉線が運行しており、家山駅および島田駅から川根温泉ホテル前へ連絡しています。

 川根温泉ホテルの公式サイトはこちら
 島田市のコミュニティバスの案内情報はこちら
 島田市のコミュニティバスの川根温泉線の時刻表はこちら

民宿奧大井
 川根本町の奥泉にある民宿です。県道77号線の東側に位置し、寸又峡温泉郷や井川・畑薙エリア方面への入口にあたりますので、泊りがけの聖地巡礼にも最適です。大井川鐡道井川線の奥泉駅から徒歩3分ほどです。SLや鉄道が好きな宿主が趣味にしているNゲージのレイアウトがあり、宿泊客がマイ車両を持ち込んで走らせて楽しむスポットとしても知られています。

 民宿奥大井の公式サイトはこちら

森林露天風呂
 接岨峡温泉にある超人気の温泉旅館です。大井川鐡道井川線の接岨峡温泉駅の西側に隣接し、歩いて1分もかかりません。本館と新館のそれぞれに内湯と露天風呂があり、ペット同伴でも宿泊出来ます。井川・畑薙エリア方面への入口にあたりますので、泊りがけの聖地巡礼にも最適です。

 森林露天風呂の公式サイトはこちら

たぶの家

 接岨峡温泉にある温泉旅館です。大井川鐡道井川線の接岨峡温泉駅から歩いて5分ほど、県道388号線の接岨峡大橋を東へ渡ったところにあります。八橋小道の終点にあたる湯彩香公園の北に位置しています。井川・畑薙エリア方面への入口にあたりますので、泊りがけの聖地巡礼にも最適です。

 たぶの家の公式サイトはこちら

民宿なかむら
 接岨峡温泉にある民宿です。大井川鐡道井川線の接岨峡温泉駅から歩いて1分ほどの至近にあります。南アルプスへの登山客がベースとして利用することが多いそうです。井川・畑薙エリア方面への入口にあたりますので、泊りがけの聖地巡礼にも最適です。

 民宿なかむらの公式サイトはこちら

大井川流域のキャンプ場
 ゆるキャンに登場するアプトいちしろキャンプ場が有名になって予約が取りにくくなっているため、近場の他のキャンプ場を利用する動きがゆるキャン聖地巡礼者の間でも出ています。ゆるキャンファンの口コミや、地元民からの紹介などで知られる、大井川流域の主なキャンプ場を紹介します。

 グリーンヴィレッジ川根 大井川鐡道本線の家山駅の近くにあるキャンプ場です。県道64号線沿いにあります。

 くのわき親水キャンプ場 大井川鐡道本線の塩郷駅の近くにあるキャンプ場です。県道473号線沿いにあります。

 南アルプス井川オートキャンプ場 井川地区の田代にあるオートキャンプ場です。県道60号線沿い、食事処「てしゃまんくの里」の向かいにあります。

掛川、藤枝などの宿泊施設
 大井川鐡道を利用して寸又峡温泉エリアや井川エリアまでの聖地巡礼を楽しむ場合、金谷駅発の始発に乗っても、例えば奥大井湖上駅に着くのは約3時間後になります。もともと列車の運行数が限られるうえ、代行バス便も一日6便しかありませんので、千頭駅経由で寸又峡温泉に行って夢の吊橋まで行って帰ってきたとしても金谷駅に戻るのは夜になるケースが少なくありません。

 作中でも各務原なでしこは金谷駅発の始発に乗っていますし、志摩リンが土岐綾乃と千頭駅前で待ち合わせるのも夜明け後間もなくの時間帯です。それぐらい早い時間帯から動かないと、作中のようなコースはたどれないわけです。三人もキャンプ場で一泊しての行程で回っていますから、日帰りで行くのは大変です。
 
 そこで、私自身は常に金谷駅発の始発(7時36分発)に乗って聖地巡礼を行っていました。この始発に京都から行って乗るのは無理なので、いつも近隣の掛川か藤枝の駅前の宿で前泊していました。金谷駅へは、掛川駅から二つ目、藤枝駅から三つ目なので、それぞれ15分ぐらいあれば行けます。
 なので、宿を7時過ぎに出れば、金谷駅発の始発(7時36分発)に十分に間に合います。そうした形で前泊しての始発スタートという形で、大井川流域エリアの聖地巡礼を重ねてまいりました。
 以下は、今までに前泊で利用した宿泊施設です。参考になれば幸いです。

 くれたけイン掛川 JR掛川駅北口より徒歩4分。
 掛川ターミナルホテル JR掛川駅北口より徒歩1分。
 掛川ステーションホテル JR掛川駅南口より徒歩1分。
 東横イン掛川新幹線南口 JR掛川駅南口より徒歩4分。
 東横イン静岡藤枝駅北口 JR藤枝駅北口より徒歩1分。

 

 最後に、大井川流域のゆるキャン主要聖地スポットなどの位置を地図に入れて、聖地巡礼のエリア全体がわかるようにしてみました。それぞれの位置は大体ですが、聖地の位置関係はこのようになっている、と受け止めていただければ幸いです。
 とにかく長いし、遠いです。基本的に日帰りで行って一回で全部を回るのは無理です。長いスパンで計画を組んで、泊りがけでも二、三度は出かけたほうが、大井川と南アルプス山系の大自然に囲まれた魅力的な景色の数々をも楽しめるでしょう。

 以上、「ゆるキャン△」聖地巡礼の大井川鐡道エリア編の覚え書きをざっとまとめました。とりあえず、2024年1月版としておきます。

 これは個人の経験則によるまとめですので、内容にズレや間違いがあるかもしれませんが、御指摘いただければ、その都度直してゆきたいと思いますし、今後の巡礼活動にて得られた知見も順次反映させてゆく積りでおります。必要ならば、改訂版を編んでお送りすることも考えております。同好同趣の皆様、どうぞ宜しくお願い致します。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く36 その5  土岐綾乃がバンザイした場所

2023年12月29日 | ゆるキャン△

 赤羽根海岸ロコパークのテラス状の広場に行きました。御覧のように砂浜より一段高くなっていて、海岸線が見渡せます。数人の観光客が居て、波の状態とかを話し合っているのが聞こえました。この方々もサーファーなのかな、と思いました。

 

 とりあえず、土岐綾乃がバンザイ写真を撮った地点を探しました。赤羽根海岸では一時間余りの滞在時間がありましたが、後で道の駅の施設にも立ち寄って、バス停に戻らないといけないので、あまりゆっくりしているわけにはいきませんでした。

 

 だいたい、この辺ですかね・・・。右に展望塔、中央に立て看板が三つ、遠くに灯台。

 

 これが土岐綾乃が志摩リンにメールで送った自撮りのバンザイ写真。正確にはパンザイピースですか・・・。

 

 真似してバンザイピース写真を撮るホシノ。デジカメの三脚が短いのでアングルが上向きになってしまいましたが、聖地巡礼記念ですから、これで充分でした。現地に来られたことが重要なのでした。

 なんか、南太平洋の無人島に転進して占領記念のバンザイ三唱をやってるうらぶれた日本兵みたいですな・・・。

 

 ということで、なんとか土岐綾乃の自撮り地点がほぼ特定出来ました。作中の画像では平坦な砂浜っぽく描かれていますが、実際にはこのように緩やかな傾斜地で、芝生地帯の9月の伸び盛りの状態でした。

 

 土岐綾乃と同じ冬季に行けば、このあおあおとした芝生地帯も枯れて地面が露出して広がるのでしょうか。

 

 これだけ広いのに、海水浴場ではありませんから、海浜公園ロコパークと銘打って園地にはなっているものの、実態としては自然のままの海岸線の緑地帯、という雰囲気でした。

 

 で、土岐綾乃がバンザイ写真を撮った際にカメラかスマホをタイマーセットして立てていた場所がこの場所と思われます。上図では分かりにくいですが、周囲にかなりの起伏があって、全体として砂浜に向かって傾斜していますが、手前の場所だけがやや高い平坦地でした。

 

 展望塔の横を通って、道の駅あかばねロコステーションに向かいました。  (続く)

 

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ヴァイキング水産高校 M24チャーフィー軽戦車 作ります!! その6

2023年12月28日 | ガルパン模型制作記

 ステップ23からは砲塔部分の組み立てに進みます。ステップ23で砲身を組みますが、今回の製作ではハッチも接着固定するため、内部のパーツは全て省略します。砲身の尾部関連のパーツF24、F27、F28、F30、F35、F38、F48は不要とします。
 ステップ24では砲身と防盾を組み合わせて同軸機銃を組み付けます。

 

 ステップ23で組み立てるのは砲身部分だけですので、上図の4つのパーツを準備しました。砲身は金属製パーツのM、これにF22、F23、F42、Zのスプリングを合わせます。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ24で組み立てる防盾や同軸機銃のパーツです。小さなパーツF1、F7、F10は紛失しないようにプラ皿に入れています。

 

 組み上がりました。砲身のセットは後で行います。

 

 ステップ25およびステップ26では砲塔を組み立てます。F12、F13、F39は不要で、D50はD49の誤記です。

 

 ステップ25で組み立てる砲塔のパーツ類です。キューポラはクリアパーツになっています。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ26で組み付けるパーツ類です。細かいパーツが多いので無くさないように慎重に進めました。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ27では機銃を組み立てますが、劇中車は機銃を外してあり、機銃架だけが残されています。機銃と弾倉関連のDのパーツ群は全て省きます。F44の差し込み穴は、劇中車では円蓋でふさがれていますので、プラ材で円蓋を追加します。

 

 ステップ27で組み立てる機銃架関連のパーツ類です。

 

 これらは砲塔の上にセットする形で組み付けました。そのほうが組み立てが安定するからでした。

 

 ステップ28では砲塔の各部分を組み合わせます。砲塔背面の雑具箱の側面のG7が劇中車では少し上に付きますので、それに合わせます。

 

 ステップ28で組み付けるパーツ群です。エッチングパーツを含みます。

 

 組み上がりました。これらのパーツの取り付け位置については、組み立てガイドよりも劇中車の公式設定資料を参考にしました。

 

 砲身を組み付けてステップ28の工程が完了しました。F44の差し込み穴は、劇中車では円蓋でふさがれていますので、後でプラ材で円蓋を追加します。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く36 その4  赤羽根ロコパーク

2023年12月27日 | ゆるキャン△

 土岐綾乃が行った海岸は、作中では地名が示されていませんが、渥美半島南岸に所在する「片浜十三里」と呼ばれる砂浜の独特の景観によって、「片浜十三里」の一角を占める赤羽根海岸であることが分かります。

 「片浜十三里」とは、愛知県田原市渥美半島の先端、伊良湖岬付近にある日出の石門から、静岡県浜松市の浜名湖と外海の境目である今切口までの約52キロにわたって続く砂浜を指します。土岐綾乃は地元が浜松市ですから、とうぜん「片浜十三里」のことは知っているでしょうし、その愛知県側へソロキャンプに行こうと思いついたわけでしょう。

 

 赤羽根海岸ロコパークの駐車場付近から海岸線を見渡しました。御覧のように砂浜の内側には広大な芝生が広がっており、地元では「表浜」と呼ばれます。田原市の住民は、渥美半島の遠州灘(太平洋)側を表海、北の三河湾を裏海と呼ぶことが多いそうで、赤羽根海岸を含む「片浜十三里」全体を表浜(おもてはま)と呼ぶのが普通だそうです。

 そういえば、昼食をとった「渥美の丼屋まるみ」でも、海鮮丼の食材の魚はどこで獲れるのかを尋ねた際に、店員さんが「裏海のほうです」と答えていましたね・・・。つまりは三河湾産の魚介類がネタということですね。

 

 赤羽根海岸一帯は公園として整備されており、ロコパークの名前が付けられていますが、広域的にはもとの渥美郡赤羽根町(平成15年(2003)に渥美郡田原町へ編入、田原町が同時に市制施行して田原市となる)の海岸部分を指し、太平洋ロングビーチまたは赤羽根ロングビーチという愛称で親しまれています。

 そのわりには海岸という雰囲気が希薄な感じがして、はじめは海水浴場だろうと思っていたのですが、現地にはそれらしき看板も見当たらないのでした。不思議に思って調べてみたら、赤羽根漁港が隣接して船舶が出入りする関係で、一帯は遊泳禁止であるといい、つまりは海水浴場ではないのでした。

 

 だから海水浴場の雰囲気があまり感じられないわけか、つまりは赤羽根海岸を海浜公園として整備しているのが、あかばねロコパークなのだな、と理解しました。
 とりあえず、ロコパーク敷地のほぼ中央の東寄りに建っている上図の展望塔へ向かいました。

 

 これが土岐綾乃の自撮り画像の背景に写っている建物ですな・・・。

 

 一階部分はこんな感じで、三面の柱の内側にベンチがありました。

 

 二階の展望所に登ってみました。南側の景色は御覧の通りです。芝生帯と砂浜の境目にタイル敷きのテラス状の施設があり、サッカーボールのような亀甲デザインがなされていました。たぶん、砂浜と海岸線を見渡す展望スポットの一種であるのでしょう。

 そのテラスを、上図のように一人のサーファーが横切っていきました。それを見て思い出したのですが、確か田原市は季節を問わず名古屋、関西方面を中心に多くのサーファーが集まるサーフィンの聖地で、サーフィンの世界大会なども開催されるメジャーポイントです。それで付近に駐車場やシャワー設備等が整備されているのか、と納得しました。

 奈良に住んでいた頃、職場の同僚にサーフィンの上手な人がいて、競技大会などで上位に入る活躍をしていましたが、彼が休暇でサーフィンの練習に行く場所が田原市だったのでした。なんで三河まで行くん、関西の海でサーフィンは出来ひんのか、と訊いたら、「波が高くならねえのよ、田原ぐらいの高え波はこっち(関西)には無いのよ」と笑っていました。そんな記憶があります。

 

 展望所から東のほうを見ました。「片浜十三里」の長い砂浜がずうっと浜松市の浜名湖と外海の境目である今切口まで続いているわけです。この海岸線に沿って国道42号線が浜松市まで続いていますから、たぶん土岐綾乃もその国道42号線をエイプで走ってきたのでしょう。

 

 展望所から北西の方角を見ました。御覧のように駐車場とロコパークの芝生公園が広がります。さらに向こうには道の駅「あかばねロコステーション」の施設群が望まれました。

 

 はて、土岐綾乃が志摩リンにメールで送った、バンザイ記念写真、を撮った場所はどのへんだろう・・・。

 

 展望所から南南西方向には赤羽根港東堤防灯台が見えました。そうだ、あの灯台は土岐綾乃のバンザイ記念写真に写っていたな・・・。

 

 展望塔から降りて、砂浜のほうへ少し降りてみました。テラス状施設の前に上図の「津波注意」の看板がありましたが、ここで既視感を覚えました。

 

 「津波注意」の看板と園路をはさんで東側には、上図の渥美半島地図の看板がありますが、これにも「おや」と思いました。つまり、二つの看板が並ぶ様子が既視感バッチリだったのでした。土岐綾乃のバンザイ記念写真に写っている二つの看板は、これじゃないのかな、と思いました。  (続く)

 

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ヴァイキング水産高校 M24チャーフィー軽戦車 作ります!! その5

2023年12月26日 | ガルパン模型制作記

 ステップ17では、左側のフェンダーの部品などを組み付けます。このあたりでは劇中車と異なる箇所が幾つかあります。まず側面板のC1は劇中車にありませんので不要です。次にC9の三ヶ所の下向きの突起は全てカットします。予備履帯もありませんのでパーツB29の2個は不要です。また金具のG10も不要です。留め具のG9は、劇中車では1個だけですので、それに合わせます。

 

 ステップ17で組み付けるパーツ類です。金色のエッチングパーツは留め具のG9です。

 

 C9の三ヶ所の下向きの突起は全てカットします。

 

 カットしました。この状態で貼り付けます。

 

 全て組み付けました。

 

 ステップ18では、右側フェンダー上の各部品を組み付けます。全てガイドの指示通りに取り付けます。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ19は、ステップ18の続きで各部品の組み付けを進めます。劇中車に合わせてフェンダー上にG9の金具を2個追加します。側面板のC2は不要で、C8の三ヶ所の下向きの突起は全てカットします。

 

 ステップ19で組み付けるパーツ類です。

 

 組み付けました。

 

 車体側面に小さな部品が色々付いてますが、何の部品なのかは分かりませんでした。

 

 劇中車に合わせて、フェンダー上にG9の金具を2個追加しました。

 

 車外装備品類です。これらは劇中車にありませんので不要となりました。

 

 ステップ21およびステップ22では、背面部を組み立てます。ステップ21で取り付けるホールドのB23は誤記で、正しくはB22です。また金具のG12は劇中車に見えませんので不要です。

 ステップ22で取り付けるCG1とI6は劇中車のパーツと違います。不要パーツの中にあるI8が劇中車のパーツと同じ形状ですので、これを使います。このI8のパーツはタミヤやイタレリのキットにはありませんから、今回のAFVクラブの製品が劇中車のモデルではないかと思います。

 

 ステップ21で組み立てるバックランプなどの部品です。

 

 部品をはめ込むダボ穴が小さかったので、ピンバイスで浚って拡げました。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ22で組み付けたI8のパーツです。背面部のカゴの基部だけが付いている形です。本来なら車外装備品などを入れるカゴなのでしょうが、劇中車は一切の車外装備品を持たないため、カゴも必要無いのでしょう。  (続く)

 

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紫野大徳寺26 大徳寺方丈唐門

2023年12月25日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大徳寺本坊伽藍の特別公開におけるラストは、一番の目玉である国宝の唐門でした。もともと一般公開区域の範囲外に位置しているうえ、平成11年から四年間にわたって修理を受け、その後の十数年も非公開とされ、さらに令和2年から方丈が6年間の解体修理に入ったこともあって、方丈正面の玄関口に位置する唐門も非公開区域に含まれています。

 今回の特別公開では、その唐門を近くまで行って見られる稀有の機会ですから、U氏や私だけでなく、拝観客の大多数がこの唐門を目当てにしてやってきていた筈です。

 

 俗に、京都の国宝の三大唐門というのがあります。古社寺名刹の多い京都には、唐門に限っても名建築と謳われる遺構が少なくありませんが、とくに国宝に指定されている、安土桃山期の立派で豪華な三棟の唐門が有名です。西本願寺の唐門、豊国神社の唐門、そしてここ大徳寺の唐門です。

 京都ファンや古社寺巡礼マニアの間では、この国宝の三大唐門を見なければ京都に来た意味が無い、とまで言われているようですが、実際にいつでも見られるのは西本願寺の唐門、豊国神社の唐門の二棟だけで、ここ大徳寺の唐門は滅多に見られません。

 

 その国宝の三大唐門の共通項は、いずれも豊臣秀吉政権が建立した聚楽第または伏見城の門であったと伝えられている点です。その真偽はともかく、建立時期そのものは解体修理や文化財調査などの所見によって豊臣期にあたることはほぼ確定しています。豪華絢爛な唐門建築を好んで建てた豊臣秀吉の治世期以外に、こういった唐門が建てられることが有り得ないのも理由の一つですが、次の江戸幕府徳川家が建てた日光東照宮以下の建築の豪華絢爛さとは性格が異なっている、という指摘も多いそうです。

 個人的には、豊臣期の豪華絢爛さを一言で形容すれば「雄大で大らか」、徳川期の豪華絢爛さとは「繊細にして華美」と解釈しています。江戸期の日光東照宮や三峰神社の諸建築を見て感じたのは、徳川期において豊臣期への対抗意識から豪華絢爛さを競ってはいるが、豊臣期建築の特色である「伸びやかさ」までは模倣し得なかったようで、細部にわたり細かく彫り物や装飾を施して全体的には「せせこましく」なっている傾向がある、という点でした。

 

 なので、今回この大徳寺唐門を見て、やっぱり大らかで伸び伸びした雄大な気宇があるな、と感じました。そのことをU氏に言うと何度も頷いていて、「やっぱ、そういう時代だったもんな」と応じてきました。

 U氏の「そういう時代」とは、端的に言えば「大航海時代」を指します。豊臣政権期とは、南蛮つまりスペイン、ポルトガルなどからの貿易船や宣教師の動きが「大航海時代」のピークに達してアジアにも活動範囲を拡げて日本にも渡来し、さまざまな技術や文化をもたらして織田信長の天下統一事業にも関与して日本の近世をスタートさせた安土桃山時代の後半期にあたります。南蛮諸国の建築様式にも影響を受けた、雄大な建築への志向が高まった時代です。

 それが、次の徳川政権期には鎖国、伴天連追放、と真逆の施策に転換して外国文化への意識も封印してしまうのですから、「大航海時代」の恩恵に浴した豊臣期建築の特色である「伸びやかさ」までは模倣し得なかったのも当然と言えましょう。

 

 案内人の説明のなかに、この門が当時は「葡萄門」と呼ばれた、というのがありました。U氏が「なるほど葡萄か、うまいこと形容したんだな、実際に葡萄の彫り物とかがあるんかね」と言いつつ、双眼鏡で観察していましたが、「うーん、葡萄は見当たらんな」と言いました。

 それもそのはず、唐門の装飾意匠のなかに葡萄はありません。彫り物の植物の意匠は唐草と牡丹がメインで、あとは仙人や天女、霊獣、鳥類、魚介類が天地自然の描写のなかに配置されています。それらの彩色配置の下地の黒漆の色が全体的に茶色っぽく見えて葡萄色に近いので、葡萄門と呼ばれたのだろうと思います。

 

 この唐門は、平成11年からの修理で小屋根裏から発見された慶長八年(1603)の棟札によって由来が判明しています。
 要約すれば、大徳寺第129世住持の天叔宗眼が天正から慶長の頃に塔所(塔頭、住房、墓所などの通称)として大慈院を創建し、その際に天叔宗眼の帰依者のひとりである村上周防守頼勝から「官門」を賜り、それを先師が創建した興臨院の総門として寄付した、という内容です。

 実際、この唐門は、明治十九年(1886)に現在地へ移築されるまでは、龍源院の北側の辻、興臨院や大慈院への参道の入り口に建っていました。それまで方丈南面には明智光秀が寄進した唐門があって明智門と呼ばれていましたが、明治十九年の開山五百五十回忌に際して明智門を南禅寺金地院に譲り渡して移したため、その跡地へ現在の唐門が移されてきたわけです。

 なお「官門」とはいわゆる朝廷や幕府などの公的施設の門を指した用語で、豊臣政権期の政治本拠であった聚楽第や伏見城の門も、公的には「官門」と見なされます。村上周防守頼勝から「官門」を賜ったというのは、豊臣秀吉の重臣堀秀政の与力であった村上頼勝から聚楽第か伏見城の門であったものを賜った、という意味になります。

 この大徳寺唐門は、昔から聚楽第の遺構であるとの伝承があって、江戸期には「日暮門」とも呼ばれていたことが古文献などから知られますが、「日暮門」とは「雍州府志」(江戸期の山城国に関する地誌事典)には聚楽第の門の号である、と述べられています。これが史実であれば、「官門」の用語にも矛盾はありません。

 それを大徳寺側では「葡萄門」と言い換えているわけですが、言い換えたのは何らかの事情があったためでしょうか。おそらくは、滅亡した豊臣家と政権に就いた徳川家の双方に対する思慮が介在したのだろう、と個人的には受け止めています。

 

 ちなみに、大徳寺に「官門」こと現在の唐門を賜った村上周防守頼勝は、出自がはっきりしませんが、河内源氏の流れをくむ信濃村上氏との関連が江戸期の武家系譜集成である「断家譜(だんかふ)」に述べられ、戦国期に上杉謙信の与力となった村上義清が外祖父にあたると言われます。

 確かなのは、織田信長政権期において重臣の丹羽長秀に仕え、後に豊臣秀吉の与力となり、丹羽長秀の没後に嫡子長重に替わって越前北ノ庄城へ入部した堀秀政の与力大名と位置付けられていた経緯です。豊臣秀吉政権期にもその位置は変わらず、堀秀政の後を継いだ嫡子堀秀治の与力として後に越後本庄に領地を与えられています。つまりは豊臣政権を担った重臣のひとりであったわけです。
 関ケ原合戦では堀秀治とともに東軍に属し、徳川家康から所領を安堵され、後に越後村上藩の初代藩主となっています。

 このような重要な人物であれば、慶長の頃に「官門」を大徳寺に賜ることが出来たのも当然でしょう。豊臣政権期の聚楽第や伏見城は廃城になったわけですから、その関連の門を他へ移築させることも可能でしたが、それに関与出来たのも豊臣政権期の重臣格であったからこそのことでしょう。ひょっとすると、村上周防守頼勝自身が、聚楽第や伏見城の「城じまい」の処理業務に携わっていた一人だったのかもしれません。

 

 今回の特別公開見学では、唐門を囲む柵の出入口も開かれて、見学者は唐門の真下に行って門の細部や装飾を間近に見ることが出来ました。

 U氏はすっかり感動にひたっていて、「治部少輔(石田三成)も右京大夫(佐竹義宣)もこの門をくぐったのか」と小声で言いました。もはや聚楽第の門だったと思っているようでしたので、私が「(聚楽第の)唐門なら身分や格式は限られる。皇族か、秀吉本人の為の門だったと思うな」と話すと、ああ、と弾かれたように背筋を伸ばして「なるほど、それはそうだ。君のほうが正しい」と何度も頷いていました。

 この唐門は四脚門ですので、有職故実の慣例にしたがえば、中納言か、三位相当の高官でなければ設けることが許されない最高格式の門にあたります。豊臣政権期において城館や邸第(屋敷)に四脚門を設ける事が出来た武家は5人しか居ません。
 挙げれば、豊臣秀吉(関白太政大臣)、織田信雄(内大臣)、德川家康(大納言)、豊臣秀長(大納言)、豊臣秀次(中納言)となり、この5人だけが大徳寺唐門クラスの四脚門を通れるわけです。石田三成は従五位下、佐竹義宣は従四位上でしたから、四脚門を構える身分ではありませんし、通ることも許されません。

 それにしても、よくぞ今日まで残ってくれたものです。豊臣家を完璧に殲滅して滅ぼすことに全力をかけた徳川家康も、豊臣家関連の建築に関しては破却するどころか転用するか移築するかしての再利用を認めています。お蔭で現在も相当数の建築遺構が伝わって、殆どが国宝や重要文化財に指定されています。

 おそらく、豊臣政権期の贅沢だが大らかで伸び伸びした志向のある、見応えもあって心を打つような建築だったからこそ、徳川家康も格別の配慮をもって応えずにはいられなかったのでしょう。江戸期の初めごろに徳川家が関与した社寺建築がいずれも似たような豪華絢爛の風をまとっていたのも、豊臣期の煌びやかな建築群の素晴らしさの真髄が、德川家にも評価され継承されていったからではないか、と思います。

 

 国宝の大徳寺唐門、初の見学でしたが、初めて知る情報量も半端なく、様々な考究と解釈の種を豊富に貰えた、という気がしました。
 他の見学者たちの多くは、これで京都の国宝三大唐門を制覇した、などと話していましたが、私自身はこれほどに濃厚な安土桃山時代の気宇壮大さや美意識の感覚というものを建築遺構を通して本格的に理解したのが初めてのことであったので、そちらのほうが衝撃的で、大きな感動として心に残りました。

 何よりも、聚楽第や伏見城クラスの建築でないと持ち得なかった要素や特徴が、大徳寺の唐門を見れば一目瞭然であったのでした。建築の様式や細部意匠はもちろん、彫り物の傾向や彩色のしつらえの特色などが、他の時代のものとは明確に違っていて、天下布武への美意識が建築に反映されるとこうなるのか、と理解出来ました。

 この唐門が、安土桃山時代後半期の最高格式の建築であることが分かる要素を試みに一つ挙げますと、写真でも見えますが、地垂木(じだるき)や飛檐垂木(ひえんだるき)の鼻先の逆輪(さかわ)と呼ばれる部分の造形です。案内人の方もこれは説明しませんでしたが、唐門の建築造形の真髄ともいえる部分なので、私が双眼鏡で観察して知り得た状況をここで簡単に説明しておきましょう。

 まず、逆輪は一本の垂木から造り出してあります。その鼻先に黒漆を塗り、縁に唐戸面(材の角を落として面(めん)をとる際に、平滑面ではなく丸い面で処理したもの)などを取って金箔が押されています。
 そのうえに鍍金された桐紋(豊臣家の紋)や菊紋(皇室の紋)などの錺金具(かざりかなぐ)が多数取り付けられています。さらに菊座が付く小錺鋲(亀甲形の鋲釘の古名)が垂木逆輪の入八双形(いりはっそうけい)の片側に一列3本ずつ、一本の垂木に合計18本も並べてあります。

 小錺鋲の唐門全体での使用本数は、垂木の数からみて1400本ぐらいと計算されますが、同じ質の菊座付小錺鋲をいま復元すれば1本で3万円ぐらいすると聞いたことがありますので、小さな丸釘だけで現在の価格に換算して4200万円ぐらいをかけているわけです。戦国乱世の時期にこんな贅沢で高度な造形が出来るわけはなく、天下統一後の静謐を維持した豊臣政権期であったからこそ成しえた、費用と手間暇を惜しまない密度の高い重厚な造形の結晶である、といえます。
 その、極限までに織り込まれた伝統的手法の最高格の技を結集している点も、天下泰平の到来を象徴させる建築に相応しい要素のひとつですが、日本の歴史のなかで、そのような建築が数多く建てられたのが、教科書では安土桃山時代の名で習う時代であり、その安土桃山時代以外に、そうした建築を生み出した歴史はありません。

 U氏は端的に「そういう時代(大航海時代)だったもんな」と表現しましたが、その意味するところが物凄く大きいことは、私にも理解出来ました。
 なにしろ、応仁の乱以来乱れに乱れてしまった日本の、悲しく辛い戦国乱世の流れを絶対に終焉せしめて、大航海時代の大きく躍動している世界からの波にも揺るがぬ日本という国をまとめて建て直さなければならない、と思い定めた織田信長、豊臣秀吉の意識と視線が、そういう時代に生きた権力者の基本方針として明確に見えるからです。安土城はもちろん、その精神を昇華させた聚楽第や伏見城なども、その時代の建築的産物として輝いているように感じられるからです。

 同時に、最近に京都の古社寺巡礼の一テーマとして新たに始めた聚楽第および伏見城の建築遺構の巡礼における、明確な建築要素の識別のための基本情報、基本理解が色々と得られました。今後に予定している伏見城の建築遺構の巡礼において効力を発揮してくれるものと期待しています。

 

 特別公開範囲の見学を終えて、帰途につくべく本坊伽藍の南へ回って東の総門へと向かいました。上図の勅使門を見上げつつ、U氏が「これは確か慶長の京都御所のどっかの門を下賜されたものだったかな」と言いました。

 その通り、平成11年からの修理にて小屋根内部で確認された墨書によれば、「御内裏西之かわ」「西かわ南御門」などの文があり、さらに野垂木に禁裏の御用材であることを示す「禁」の丸刻印も発見されています。

 

 大徳寺の基本史料のひとつ「龍寶山大徳寺世譜」によれば、江戸期の寛永十七年(1640)に内裏の門を下賜されたとあります。一説では内裏の南門つまり陽明門かとされていますが、近年の研究によって慶長期内裏の西唐門である可能性が説かれ、それが現在では定説になっているようです。

 大徳寺を出た後、U氏が、今日は大満足したからそのまま新幹線で帰る、と言うので、京都駅近くのヨドバシの食事処で遅い昼食をともにしました。
 その際に、出来れば秋ぐらいに伏見城から移築された建築遺構の巡礼を予定している、と話したら、「それはいい、俺も行こう。どうせなら高台寺とかも行かんかね?」と応じてきたので、それで秋の予定がほぼ決まりました。

 それで、京都市内にあるとされる、伏見城からの移築建築遺構をそれぞれに名を挙げて話しましたが、虚構や伝承が多い所が少なくないので、確実に本物だと言える所になると、思ったよりも少なくなるのではないか、と思います。秋からあちこち回って実物を確かめることになるでしょう。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く36 その3  赤羽根海岸へ

2023年12月24日 | ゆるキャン△

 渥美の丼屋まるみでの昼食の後、三河田原駅に戻りました。今回の聖地巡礼の二ヶ所目へは、豊橋鉄道バスを利用して行きますが、そのバスは三河田原駅から発着しているためでした。
 駅に戻ったのは12時57分、バスの時刻は13時10分でしたので、13分の待ち時間がありました。バス停の横にある上図の線路のモニュメントを見ました。

 豊橋鉄道の渥美線は、いまは三河田原駅が終点になっていますが、かつてはさらに西へ線路が続いていて、さらに加治駅、黒川原駅があったそうです。その線路が廃止となって後に、その一部を残してこのようにモニュメントとして保存しているということです。

 

 バスの時刻が近づいてきたので、三河田原駅のバス乗り場の2番に行きました。三河田原駅のバス乗り場は1番から3番まであって、1番は豊橋方面行き、2番は伊良湖、保美、赤羽根方面行き、3番は田原市内コミュニティバス用、となっています。

 

 2番乗り場の時刻表です。ここからのバス路線は二つあり、伊良湖本線と伊良湖支線に分かれますが、これから乗るのは伊良湖支線のほうでした。

 

 路線図を確認しました。三河田原駅から青い線で繋がるバス停が伊良湖本線のバス停で、赤い線が伊良湖支線のバス停です。これから乗るバスは伊良湖支線なので、赤い線のバス停をたどってゆきます。

 

 13時9分、伊良湖支線の堀切行きバスがやってきました。

 

 13時10分に発車しました。バスの旅はのんびり景色を眺めていられるので個人的には好きです。ゆるキャン聖地巡礼ではバスを使う機会も少なくないので、楽しくて良いです。

 

 16分後の13時27分に、上図の西赤羽バス停で降りました。土岐綾乃が行った赤羽根海岸への最寄のバス停です。バス停から赤羽根海岸までは約450メートル、徒歩で10分ぐらいです。

 

 バス停の時刻表で帰りのバスの時刻をメモしておきました。三ヶ所目の聖地スポットへもバスで向かいますが、バスのダイヤの関係でいったん三河田原駅に戻る必要があるからです。それで、次の三河田原駅・渥美病院行きの便を見たところ、15時15分となっていました。

 つまり、赤羽根海岸の聖地巡りに約1時間半をあてられるわけで、余裕だな、と思いました。赤羽根海岸には道の駅や物産コーナーもあるので、土産物の買い物も楽しめるかな、と考えて歩き出しました。

 

 バス停から赤羽根漁港へと降りて行く車道を歩いて11分、上図の赤羽根海岸の道の駅あかばねロコパークの横に出ました。道の駅の向こうに太平洋の大海原が見えましたので、あれが赤羽根海岸だな、と気付きました。

 道の駅の建物は改修工事中でしたが、営業中であることを示す幕がかけられていて、利用は出来るのだと分かりました。赤羽根海岸の聖地へ行ってから立ち寄ることにしました。

 

 さらに3分ほど歩いて、赤羽根海岸の公園地区である、上図の赤羽根ロコパークに着きました。原作コミック第88話にて土岐綾乃が記念撮影をしていた海岸がここです。  (続く)

 

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ヴァイキング水産高校 M24チャーフィー軽戦車 作ります!! その4

2023年12月23日 | ガルパン模型制作記

 ステップ13では、車体後部の各所にハンドルなどを取り付けます。G6とエッチングパーツのCG2は劇中車にありませんので不要です。またB24は向きを斜めにします。

 

 ステップ13で取り付けるハンドル等の小さなパーツ群です。AFVクラブのキットはこういった細密なパーツも少なくないので、作業量はどうしても増えます。

 

 全て取り付けました。

 

 ステップ14ではベルト式履帯を作ります。ステップ15では左右のフェンダーなどを取り付けます。左のフェンダーC6の中央寄りにハの字のモールドがありますが、劇中車にはありませんので削り取ります。

 

 ステップ13で作るベルト式履帯です。個人的には嬉しいベルト式履帯です。しかも両端の穴に金属棒を通して繋いで固定するという、珍しい方式です。この方式は、今回初めて経験しました。

 

 履帯が出来上がりました。焼き止めも接着剤も要らないこの方式は、他メーカーでも積極的に採用していただきたいものです。

 

 ステップ15で、左右のフェンダーを取り付けます。

 

 左のフェンダーC6の中央寄りにハの字のモールドがありますが、これは劇中車にはありませんので削り取ります。

 

 ハの字のモールドを削り取りました。

 

 左右のフェンダーを組み付けました。実は、劇中車のフェンダーは後端がやや長いのですが、寸法でいうと2ミリ程度になるため、外見上は大して変わらないです。それでキットのパーツのままに組み付けました。

 

 細かいパーツも全て取り付けました。

 

 ステップ16では、左側フェンダー上のステーを取り付けます。全てエッチングパーツになります。

 

 エッチングパーツのG21です。

 

 組み上がりました。  (続く)

 

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紫野大徳寺25 大徳寺法堂

2023年12月22日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 仏殿の次は法堂(はっとう)に行きました。ここ数年は修理のため非公開であったそうで、U氏はもちろん、私もこの建物には近づくのも中に入るのも初めてでした。

 

 法堂は、禅宗寺院における講堂に該当し、長老が修行者に説法したり教えを継いだりするための施設です。禅宗においては、法を説き、教えを継ぐことが最も重視され重んじられるため、法堂は伽藍において非常に神聖な場所とされています。

 

 法堂も、仏殿と同じく創建時の建物は失われています。創建の法堂は、正中二年(1325)に宗印禅者を檀越として修造されましたが、応仁の兵乱によって焼失しました。仏殿はすぐに再建されましたが、法堂は資金難でなかなか建てられず、仏殿が法堂を兼ねる時期がしばらく続きました。現在の建物は寛文十三年(1636)に江月和尚の参徒であった小田原藩主の稲葉正勝・正則の寄進によって再建されたものです。

 

 法堂も、典型的な禅宗様建築として、屋根は一重、裳階付、入母屋に造られています。前述の仏殿と同じ様式ですが、こちらは平面規模が桁行五間、梁間四間ですので、ひとまわり大きいです。

 組物は出組で、台輪の上の中備えは詰組として平三斗(ひらみつと)が置かれています。柱は禅宗様特有の上端が絞られた円柱で、粽柱(ちまきばしら)と呼ばれます。その頭貫(かしらぬき)と台輪には木鼻が付けられます。頭貫の下には、波状の弓欄間が設けられます。

 

 法堂内部は撮影禁止でしたので、内部の画像は一切ありません。建築自体の様式は仏殿と共通ですので、内部の設えや空間の構成なども仏殿と同じです。平面規模が、仏殿の桁行三間、梁間三間に対して桁行五間、梁間四間とひとまわり大きいので、空間規模もそれだけ広くなっています。

 

 法堂の天井には、上図の案内パネル写真のように大きな雲龍図がはめこまれています。龍は仏法を守護し、法の雨(仏法の教え)を降らせると共に、水を司ることから、寺院における防火神獣として崇められています。
 こちらの雲龍図は、狩野探幽が35歳のときに描いたものです。方丈障壁画にみられるような後年の作風とは異なり、若年期特有の力強い筆致が示されて見るものを圧倒します。この雲龍図の真下で手を叩くと、龍が鳴いたように響くことから「鳴き龍」とも称されます。

 今回は、その「鳴き龍」を体験しましょうということで、見学者が一人ずつ順番に雲龍図の真下へ行って手を叩き、堂内に響く音の反響と余韻を聴きました。U氏も私もそれぞれの番で手を叩き、「鳴き龍」のエコーを味わいました。

 

 法堂の次は唐門に向かいましたが、その途中の順路上にて案内人が上図の寝堂(しんどう)を指して説明してくれました。法堂の背後にあって廊下で結ばれており、「茶堂」とも呼ばれます。今でいう応接間としての機能を果たした建物です。

 現在の建物は、梁間三間・桁行二間の規模で屋根は切妻、檜皮葺とします。寛永七年(1630)に長州藩家老の益田元祥により寄進建立されたものです。

 

 寝堂には近寄れませんでしたので、デジカメの望遠モードで南面の部分を引き寄せて撮りました。こちらも仏殿や法堂と同じ禅宗様式の建築で、本坊伽藍の軸線に連なる建物が外観を統一して造られていることが分かります。

 

 ぐるりと回って西側にいったん出て、本坊の庫裏を外観のみ見学しました。以前に見学した国宝の方丈に隣接する建物で、方丈の解体修理が終わり次第、こちらの庫裏の解体修理に入ると聞きました。

 この庫裏は、以前の方丈の古材を利用して寛永十三年(1636)頃に再建されたものといいますから、 前年の寛永十二年(1635)の再建である方丈とは建築史的に密接な関連性があるわけです。いまだに不明かつ不詳の事も少なくない建築ですので、解体修理によって初めて明らかになる歴史があることでしょう。

 

 本坊庫裏を出て、最後の見学地点である国宝の唐門に向かいました。今回の特別公開にて、個人的に最も楽しみにしていた建築遺構でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く36 その2  渥美の丼屋まるみ

2023年12月21日 | ゆるキャン△

 三河田原駅から歩いて14分、11時5分に州田信号交差点の角の食事処に着きました。御覧の通りの外観で、交差点の北西角に位置し、北側に広い駐車場がありました。かなりの車が入っていたので、既に開店後5分で満席になっているという雰囲気でした。

 

 玄関口の横のベンチには数人の待機行列が見えました。地元では有名なお店らしいので、遠方からもお客さんがきて平日でも行列が出来るそうです。この日は土曜日でしたから行列も長いかな、と思いきや、まだ6人でしたので、その後について7人目となりました。待ち時間は約20分ほどでした。

 

 お店の外壁には、大きな主力メニューの看板が並べられていて、どういうお店であるかが一目瞭然で大変に分かりやすいのでした。むしろ、お店の名前が見当たらないので、どこに店名が掲げてあるのか、しばらく探してしまいました。

 

 店名の看板は、玄関口の直上に控えめな感じで掲げてありました。御覧のとおり、「渥美の丼屋 まるみ」といいます。メニュー看板のほうが大きくて目立つ上に、道路脇に目立つ表示も無いので、もう少し店名の標識なども大きく見えるようにしたらどうかな、と思います。

 このお店が、原作コミック第88話にて土岐綾乃が志摩リンにメールで「めしてろクロスカウンター!伊良湖の海鮮丼をくらえ!」と画像を送った、その海鮮丼のお店です。渥美半島エリアでは、この種のお店は少ないので、作中の海鮮丼を特定するのにも時間はかかりませんでした。

 

 土岐綾乃は冬か春の寒い時期に渥美半島ソロキャンプを楽しんだようで、作中での服装が完全に冬の装いでした。それで、2024年4月放送予定のアニメ3期のキャラクタービジュアルの3枚目が夕方の海岸にて休む土岐綾乃であるのは、たぶんこの渥美半島ソロキャンプのシーンではないかな、と推測しました。

 なぜならば、作中で土岐綾乃が海岸沿いをバイクで走ってソロキャンプをするのは第88話の渥美半島しかなく、彼女がキャンプをしていた場所が田原市のほうべ海岸の太平洋に面した「表浜ほうべの森キャンプ場」であるからです。

 それで、アニメ3期のキャラクタービジュアルの3枚目の土岐綾乃のいる海岸がほうべ海岸である可能性が高い、と考えているのですが、アニメ3期が原作コミックの第88話までをカバーするとは思えませんので、そのへんはどう解釈すべきなのか、今でも迷っております。

 さて、土岐綾乃はこのお店に寒い時期に訪れましたが、こちらは残暑が続く9月に行きましたので、おすすめメニューは上図の「夏季限定マグロ鉄火丼」でした。

 

 ですが、ゆるキャン聖地巡礼で来ましたので、ここは土岐綾乃と同じメニューを選ぶことにしました。注文をとりにきた店員さんに、作中の海鮮丼シーンを示して、こちらの海鮮丼のメニューですか、と尋ねたところ、上図の真ん中を指して「中盛りですね、今は夏ですので同じ具材にはなりませんが宜しいでしょうか」と答えてきました。それで良いです、と注文しました。

 

「少しお時間をいただきますので、それまであちらの漁師汁や漬物をお楽しみ下さい、おかわりも自由です」と上図のコーナーを示されました。

 

 それで椀にとってきた漁師汁と漬物です。漁師汁は、具材が豊富で魚と野菜が5種類ぐらい入っていて、しかも濃厚でいてさっぱりした汁の旨さに驚かされました。こりゃ美味しいなあ、素晴らしいなあ、と二杯もおかわりしてしまいました。
 三河の海の幸には子供の頃から親しんでいて、蒲郡や篠島などへ家族や親戚でよく行って海鮮料理を食べましたが、渥美半島エリアで食べるのは今回が初めてじした。

 

 運ばれてきた海鮮丼の中盛りです。夏ですので同じ具材にはなりませんが、と言われていた通り、土岐綾乃の海鮮丼とはかなり違いました。具材の数もこちらが多かったです。季節によって具材が変わるため、土岐綾乃の海鮮丼と同じものを食べたければ、冬季に行くしかないそうです。

 

 これが作中で土岐綾乃が志摩リンに送った海鮮丼の画像です。一致しているのは椀のサイズだけで、具の数は夏季より少なく、配置も異なっています。

 

 お店のメニュー見本画像にあった、冬季の海鮮丼中盛りの写真です。こちらのほうが作中の画像と似ていますね・・・。冬にまた来れば、こういう感じで食べられるかもしれませんが、その日の具の仕入れ状況によって日替わりで提供しているそうですので、全く同じ盛り付けをいただけたらラッキーですね。

 「渥美の丼屋 まるみ」の公式サイトはこちら。  (続く)

 

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ヴァイキング水産高校 M24チャーフィー軽戦車 作ります!! その3

2023年12月20日 | ガルパン模型制作記

 ステップ7では転輪と誘導輪を組み立てます。ステップ8では車輪を車体に取り付けますが、いつものように転輪のタイヤゴム部分を塗装してから取り付ける予定です。

 

 ステップ7で組み立てる転輪と誘導輪のパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 車体に一度仮組みして、サスペンションなどにズレが無いかを確かめました。

 

 ステップ9では、車体の上下を貼り合わせ、エンジンフードのパネルなどを組み付けます。

 

 ステップ9で組み合わせる各部のパーツ類です。

 

 仮組みしてみたら、歪みがあって隙間などが生じることが分かったので、上図のようにテープで仮留めして接着しました。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ10およびステップ11では上部車体の各部品を組み付けます。このうち、ステップ10にて取り付けるB20の表面のモールドは、劇中車にありませんので削って消します。またエッチングパーツのCG1も不要です。

 

 ステップ10で取り付ける前部機銃やエンジン点検ハッチなどのパーツです。

 

 ステップ11で取り付けるハッチや前照灯などのパーツです。細かいパーツが多いので、紛失などを避けるために、ステップ10と11の工程をまとめて一気に進めました。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ12ではライトガードなどを組み付けます。

 

 ここでは、今回のキットで最も小さなパーツを含めた、取扱い注意の小パーツが殆どなので、慎重に慎重を期して進めました。

 

 組み上がりました。

 

 ここまで殆どストレート組みに近い状態で作業が進みました。このスムーズさはその後も続きますので、今回のキットがいかに劇中車仕様に近いかを実感出来ました。タミヤやイタレリのキットを使う場合は色々とモールドを削ったり、形状を変更するなどの追加作業が発生しますから、ガルパン仕様の再現においてはキットの選択も重要だな、と改めて思いました。  (続く)

 

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紫野大徳寺24 大徳寺仏殿

2023年12月19日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 三門の次は仏殿に行きました。仏殿は普段は正面外側まで行けて内陣も拝めますが、今回の特別公開では内陣に入れるということで、これまた稀有の機会でした。

 

 仏殿の内陣の様子です。中央の須弥壇上に本尊の釈迦如来坐像が安置されています。その釈迦如来坐像は、大徳寺の基本史料である「竜宝塔頭位次」によれば、豊臣家が建立した方広寺の大仏の1/10スケールの試作品として大仏製作を手掛けた仏師玄信が製作したものであるそうです。

 その試作品の像は、いつしか徳川家で保管されていたようで、江戸期の方広寺の再建に際して将軍徳川家綱が大徳寺に寄進したと伝わります。再建された方広寺に安置出来ない何らかの事情があったのでしょうか。

 

 仏殿そのものは、大徳寺一世の徹翁和尚により創建されましたが、応仁の乱までに二度焼失し、文明十一年(1479)に一休和尚の参徒であった堺の豪商の尾和宗臨により再建されました。さらに寛文五年(1665)に播磨国の檀徒であった那波九郎左衛門常有が再建したものが、現存の建築にあたります。

 

 内陣の天井には、いまは退色や剥落などで見えにくくなっていますが、円環内に東西に一対の飛天(天女)が描かれています。作者は古法眼こと狩野元信とされています。この飛天図の部分は、文明十一年(1479)に堺の豪商の尾和宗臨が寄進して再建した以前の仏殿からの再利用であるそうです。

 

 建物は典型的な禅宗様を示しています。平面規模は桁行三間、梁間三間で、屋根は入母屋、本瓦葺で一重、裳階付ですので、内部に入ると天井が非常に高いのが分かります。そのぶん空間が広く感じられ、禅宗で重視されるところの「悟道」の精神的結界空間が意識されています。

 

 U氏が主屋の列柱の柱を順に凝視していて、「柱に妙な模様みたいなのが見えるが、あれ何だろう」と小声で訊いてきました。木目と油煙と煤とが模様のように見えるんじゃないか、と答えておきました。

 

 案内人に率いられた一行がさっさと次へ行ってしまっても、U氏と二人で一分ほど内陣にとどまって天井や裳階の内部などを見上げていました。私はともかく、水戸のU氏にとってはなかなか行ける場所ではありませんから、この機会にじっくりと見学しておきました。

 

 外に出て、柱間の桟唐戸や火灯窓などをじっくり近くで見ました。縁側はなく、内部も土間であるのが禅宗様建築の特徴の一つです。

 

 U氏が指差して「何と書いてある?」と訊いてきました。上の大きな二文字はすぐに「仏殿」と読めましたが、下の小さな文字の羅列は読むのに手間取りました。右が「重文」で中央は「寛文五年」、左は「再建」のようでした。要するに現在の仏殿の文化財指定区分と再建年代を示してあるわけです。

 

 さらにU氏が感動しながら眺めていた火灯窓と、その上の柱間の波状弓欄間。柱上の組物は出三斗。中備えの詰組は、平三斗です。
 U氏は地元の水戸市でもこうした古い社寺建築を見て回るのが趣味の一つで、ともに京都造形芸術大学で学んでいた頃は自由研究の課題レポートを全て古建築関係でまとめていたほどです。なので、20年余り経ったいまでも、本場の京都や奈良の古社寺の建築を見て回るのが嬉しくて楽しくて仕方がないそうです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く36 その1  三河田原へ

2023年12月18日 | ゆるキャン△

 2023年9月16日、名古屋駅で乗り換えた新幹線こだま710号が、予定より5分遅れの10時6分に豊橋駅に着きましたので、これはマズイ、と考えて降車後すぐにダッシュに移りました。豊橋駅にて次に乗り換える豊橋鉄道への移動所要時間が、切符の購入も含めると10分は必要とされていて、その10分に満たないタイムになってしまったからです。

 

 なにしろ、新幹線のホームから豊橋鉄道のホームまでは長い距離を移動しないと行けません。初めての方なら絶対に迷ってしまうであろうルートを、小走りに走って右折し、直進し、階段を降りて長いコンコースを通り、JR東海道線と名鉄の改札口前を通過し、右折して細い路地を抜け、エスカレーターを使い、息を切らしつつ豊橋鉄道の新豊橋駅の改札口にたどりつき、切符を買いました。
 そうして、上図の10時15分発の列車に乗り込んだのは、発車時刻の30秒前ぐらいでした。

 

 乗り込んだ列車内は御覧の通りで、乗客は私のみでした。土曜日だったからでしょうか。

 しかし、途中の駅で少しずつ乗り込んできて乗客数が増えてきて、最終的には両側のロングシートの九割ほどが埋まりました。なぜか若いカップルや家族連れが多くて子供も沢山いたので、なにかイベントとかがあるのだろうか、と思いました。

 

 目的地である終点の三河田原駅には10時50分に着きました。今回のゆるキャン聖地巡礼コースはこの三河田原駅を発着点としました。

 

 ここに来るのは15年ぶりでしょうか。前に来た時は、田原城跡や城宝寺、田原市博物館、伊良湖の史跡東大寺瓦窯遺跡などを見物し、伊良湖岬からの伊勢湾フェリーで鳥羽へ移動し、近鉄で帰ったのでした。

 

 乗って来た列車を撮りました。撮っていて、どこかで見たような面構えだなと気付き、車番から1800系らしいとは知れたものの、それ以上は分からなかったので、上図にも写っている駅員さんに尋ねました。

 その結果、この車輌はもと東急電鉄の7200系を譲り受けたものだと分かりました。そうか、大井川鐡道でも普通列車として走ってる車輌だなあ、道理で見たことあるわけだ、と納得しました。
 ただ、大井川鐡道では旧東急のカラーのままで運行されていますが、こちら豊橋鉄道では運行されている3両編成の全10編成が渥美半島の10種類の花のラッピングデザインに包まれており、「渥美線カラフルトレイン」と呼ばれて親しまれているそうです。

 

 三河田原駅の駅舎は、前に来た時に見た三角屋根ではなくて、円形ドーム形の真新しい建物になっていました。玄関口近くの壁にあった竣工銘板には平成25年とあったので、その年に改築されたようです。

 駅前には、大勢の人々が集まっていました。私と共に乗って来た乗客の大部分がそれに加わって行きました。改札口横の観光案内所のモニターで、田原祭りのスケジュール案内を流していたので、ああ今日は田原祭りなのか、と気付きました。

 田原祭りは、江戸期から続く伝統ある祭事で、市の有形民俗文化財にも指定される「からくり人形」を載せた山車や趣向を凝らした神輿が練り歩き、夜は山車の上で子どもたちが手踊りを披露します。フィナーレを飾るのが夜の花火大会で、勇壮な手筒花火や夜空を彩る打ち上げ花火、仕掛花火など多彩な花火が見られるそうです。

 

 ですが、この日の目的はゆるキャン聖地巡礼ですので、田原祭りの賑わいとは別の方向へ向かうべく、駅前の上図のウォーキングマップに近寄って最初のルートの道順を確認しました。

 

 現在地の三河田原駅から、駅前通りを左(南)へ進み、一本橋を渡って真っ直ぐ行って、突き当りの赤石信号交差点まで行き、右折して次の信号交差点の州田の角、赤丸の位置へ行く予定でした。距離にして約700メートル、私の足で15分ぐらいだな、と考えて歩き出しました。

 

 駅前通りを左(南)へ進みました。今回のゆるキャン聖地巡礼は、原作コミック第88話にて土岐綾乃が志摩リンにメールで画像を送った渥美半島キャンプ旅のスポット3ヶ所を回るルートでした。

 土岐綾乃は、作中にて初めてのソロキャンプを地元浜松に近い渥美半島で楽しんでおり、バイクで出かけて田原市にあるキャンプ場で泊まっています。そのキャンプ場の他に、渥美半島を一周する形で3ヶ所を回っていますが、今回はその3ヶ所を日帰りで回ろうと計画したものでした。

 そのうちの1ヶ所は食事処で、土岐綾乃がそこで昼食をとっています。これから向かうのがその食事処で、11時から営業するので、その時間の前後に着くように予定を組み、三河田原駅に10時50分に着いて徒歩で移動して11時過ぎに食事処に行って、昼食にするつもりでした。

 

 食事処に向かう途中で、上図のバス停「赤石六丁目」の横を通りました。三河田原駅から発着している路線バスのバス停で、これから行く食事処の最寄りのバス停でもありますが、最寄といってもまだ500メートルぐらい離れていますので、歩いたほうが早いわけです。

 

 その時刻表は御覧のとおり、一時間に1便のローカルダイヤです。11時過ぎに食事処に行こうとする場合には全然利用出来ません。だから徒歩で移動しているのでした。
 車やバイクで行くなら問題はありませんが、私は車は既に手放して久しく、バイクも原付のビーノしかありませんから、今回の巡礼行動も鉄道やバスなどの公共交通機関を利用して後は徒歩という、健康的かつのんびりしたコースでありました。  (続く)

 

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ヴァイキング水産高校 M24チャーフィー軽戦車 作ります!! その2

2023年12月17日 | ガルパン模型制作記

 ステップ3ではサスペンションなどを組み付けます。ここはガイド図に従います。

 実は、劇中車のサスペンションアームは1本多くて、実車ではサスペンションが付かない第3転輪にも付きます。しかし、今回のAFVクラブのキットでも、タミヤのキットでも、サスペンションのパーツは実車の通りに片側4本しか無いので、1本増やして劇中車に合わそうにもパーツがありません。それで、このままガイド図の通りに組み立てます。

 

 御覧のようにサスペンションのパーツ群はエッチングも含まれ、細かく分かれていますので、組み付けも慎重に行って順序を間違えないようにしました。

 

 第一段階でサスペンションの2本、第1転輪と第5転輪の分を組み付けました。

 

 続いて第二段階に移りました。第2転輪と第4転輪の分を組み付けます。

 

 組み上がりました。実車はこのようなサスペンションの配置で、第3転輪にのみサスペンションが付きません。

 

 エッチングパーツの円筒部分はおそらくスプリングのカバーと思われます。軸部を全て接着しない場合はスプリングを中に入れて、サスペンションを可動にすることが出来るようです。が、今回は全て接着固定しました。

 

 ステップ4では、反対側の足回りの組み立てを進めます。ステップ2およびステップ3と同じ段取りです。あわせて背面部も組み立てますが、B34およびG8は劇中車にありませんので不要です。

 

 左側で組み立てたのと同じように右側の足回りも組み立てます。ガルパンに出てくる米軍戦車のサスペンションはVVSS方式が多くてそれに慣れてしまっているので、今回のサスペンションの組み立ては何から何まで初めてのことで、新鮮なワクワク感もありました。

 

 第一段階でサスペンションの2本、第1転輪と第5転輪の分を組み付けました。

 

 ステップ5では、足回りの組み立ての続き、背面部の組み立ての続きを行ないます。背面部の牽引フックのD17、D18は劇中車にありませんので不要です。
 ステップ6では、起動輪と上部転輪を組み立てます。

 

 組み上がりました。

 

 背面部の仕上がり状況です。今回のAFVクラブ製品が、タミヤ製品やイタレリ製品よりも劇中車仕様を再現しやすい一つの範囲がこの背面部です。さきに不要としたB34は、タミヤキットのパーツではモールドになっているので削り取る作業が発生します。またタミヤキットではロッドの留め具が無いので他キットから持ってくるか自作するかになりますが、今回のAFVクラブ製品ではパーツB36が使えます。

 これらの点から、劇中車はどうもAFVクラブのキットをモデルにしているのではないか、と思います。

 

 ステップ6では、起動輪と上部転輪を組み立てます。

 

 組み上がりました。上部転輪はランナーに付けたまま組み立てて保管しました。  (続く)

 

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