気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

(車輌目次表紙)大洗女子学園 レオポンさんチーム ポルシェティーガー

2021年11月30日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  プラッツ/ドラゴン 公式キット (商品コードGP-5)

  制作期間   2014年12月26日~12月29日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 完成です!!

  総評・備考
 ポルシェティーガー(VK4501 (P))は試作砲塔型と量産砲塔型とがあるが、ガルパンの劇中車は前者であり、砲塔天板中央にモヒカンと俗称される張り出しが付くのが特徴である。公式キットは旧シリーズ(下のキット一覧の1)が量産砲塔型で、これを試作砲塔型に改造できるモヒカンの追加パーツ等が、プラッツより別に販売されていた。
 その後アミュージングホビーより試作砲塔型の新キット(下のキット一覧の8)が発売され、これが公式キット化された(下のキット一覧の3)ことにより、より劇中車に近い仕上がりを楽しめるようになった。こだわるならば、車体後面の放熱用グリルの改造などが必要になるが、ストレートに組んでも劇中車の雰囲気は充分に楽しめる。大洗女子学園チームでは最大最強の戦車なので、キットの存在感もピカイチである。

 

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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西住家 Ⅱ号戦車F型 作ります!! その2

2021年11月29日 | ガルパン模型制作記

 ステップ1の続きです。転輪やサスペンションを組み立てます。まずDの転輪を2個組み立てます。

 

 組み上がりました。転輪は塗装後に取り付ける予定です。

 

 続けてCの転輪を8個組み立てます。

 

 組み上がりました。

 

 下部車体のパーツZへの足回り部品の組み付けに移りました。H1およびH2を取り付けます。

 

 取り付け終わりました。

 

 続いて、組み立てておいたサスペンションを取り付けました。

 

 次に前面装甲板A24、起動輪およびギアケース、誘導輪の車軸G4を取り付けます。

 

 このうちの前面装甲板A24にて、ガルパン仕様への改造が必要となります。オリジナルのパーツは御覧のように下端左右にリベットが2個ずつ並び、片側に円形のハッチが2つあります。

 

 ところが公式設定図を見ますと、劇中車の該当箇所のパーツには2つの円形のハッチが無く、リベット2個ずつの並びは左右の端についています。これに合わせて改造します。

 

 2つの円形のハッチのモールドをパテで埋め、それからヤスって平滑面に仕上げました。下端左右のリベット2個はまだそのままでした。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)大洗女子学園 カメさんチーム 38(t)戦車

2021年11月28日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ドラゴン (商品コードDR6290

  制作期間   2014年11月7日~12月6日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10 完成です!!

  総評・備考
 38(t)戦車のキットは各メーカーから各型の多数が発売されているが、プラッツ発の公式キットはガルパン劇中車と形状が異なる。劇中車に形状が最も近いのはB型で、ホビーボスの製品(下のキット一覧の13および14)のみである。これは絶版となったトライスター製品(下のキット一覧の4)の再販品である。
 公式キットはE型がベースとなっているため、劇中車を再現するには車体形状の改造などが必要になる。E型からG型までは外見がほぼ同じなので、いずれも適応キットになり得るが、今回使用したドラゴンのG型(下のキット一覧の5)はエンジンも含めたフルインテリアキットであり、カメさんチームの雰囲気を味わうにも適している。
 アニメとは別に、「リボンの武者」や「フェイズエリカ」や「樅の木と鉄の羽の魔女」等のコミック版においては一部にA型が見られるものの、殆どの38(t)戦車がE型準拠となっており、その作中車を再現する場合はE型からG型までの各適応キットが利用出来る。

 

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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(車輌目次表紙)大洗女子学園 カモさんチーム ルノーB1bis

2021年11月27日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.282 (商品コード35282)

  制作期間   2014年5月20日~5月28日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!! 改修します!!

  総評・備考
 ルノーB1bisの1/35スケールキットは、タミヤの製品が唯一であり、公式キットも未だに出ていない。タミヤからの適応キットはフランス軍仕様とドイツ軍仕様の2種類が出ているが、ガルパンの劇中車は前者に該当する。
 劇中車には独自の形状やパーツも幾つかあるため、こだわるならば修正および改造の作業が必要となる。公式設定資料図などを参考にして作りこんでみるのも良い。特に4つの保護カバー付きの転輪部分はかなり目立つので再現にチャレンジしてみるのも良いだろう。排気管の先端はドイツ軍仕様と同じく上向きにセットする。車体形状も厳密には各所で異なるが、そこまでの改造に踏み込むと大変になってくるので、八割ぐらいの再現にとどめたほうが無難である。

 

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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西住家 Ⅱ号戦車F型 作ります!! その1

2021年11月26日 | ガルパン模型制作記

 私のガルパン車輌製作の通算109作目は、上図の西住家Ⅱ号戦車F型に決めました。劇場版にて熊本の実家に帰省した西住みほが大洗に戻る際、姉の西住まほが送っていく場面です。その途中での西住みほの回想シーンにも、同じ車輌が登場しますので、西住姉妹は子供の頃からこのⅡ号戦車F型に乗って親しんでいたようです。

 

 Ⅱ号戦車F型の部分を拡大してみました。マークも識別標も何もマーキングされていませんので、西住家の自家用車として使われているのでしょう。御覧の通り、外観はキットでいえばドラゴンの6263番の品にほぼ一致するようで、プラッツ発の公式キットも同製品を用いています。
 なお、このⅡ号戦車F型は青師団高校チームも保有しており、最終章の無限軌道杯試合にてエル隊長以下が搭乗していました。その公式キットも発売されていますが、同じドラゴンの品です。

 

 手元には、5年ぐらい前に姫路の中古ショップで見つけて2000円で購入した、ドラゴンの6263番の品がありました。これで劇中車を作ることにしました。

 

 中身はいつものドラゴンのスタンダードです。不要パーツも含めて細かく分割されたパーツの山、気が遠くなりそうな連結式履帯のパーツの袋、縦長の大きな組み立てガイド図、パンフレット仕様の製品案内、等です。公式キットも、ガルパンデカールが追加されている他は全く同じ中身だと聞きます。

 

 ステップ1では、足回りや背面部分などを組み立てます。起動輪および誘導輪は各種のパーツが入っていますので、劇中車の形状に近いものを選択します。起動輪はE2、誘導輪はE6を選択して使います。ガルパン仕様への変更および改造が幾つか加わりますので、組み立てながら紹介してゆきます。

 

 最初に起動輪と誘導輪を組み立てます。右が起動輪、左が誘導輪のパーツ群です。

 

 誘導輪のほうは、組み立て前にガルパン仕様への工作を行ないます。パーツE6は御覧の通り、中央に段差が付きます。

 

 ところが、劇中車の誘導輪には中央の段差がありません。この形状に合わせて改造します。

 

 左右の誘導利輪のパーツE6です。右が改造前、左が改造後の状態です。段差をリューターで削り落とし、中央のリベットもカットしました。

 

 完成した起動輪(右)と誘導輪(左)です。  (続く)

 

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龍と仁と天と12 天龍寺門前へ

2021年11月25日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大方丈東の拝観受付口を出て、上図の法堂の前に出た。いま法堂と呼ばれるが、もとは塔頭の雲居庵の禅堂であった建物である。禁門の変(蛤御門の変)で天龍寺の伽藍が焼失した後に移築され、明治三十三年(1900)に法堂とした。なお仏殿が資金難により再建されなかったため、仏殿をも兼ねて現在に至る。寺内では数少ない江戸期の建物である。
 堂内は通常は非公開で、釈迦三尊像およびを光厳上皇の位牌と歴代住持の位牌、開山夢窓疎石と開基足利尊氏の木像が祀られる。正面には、雲水が座禅修行するための禅堂だった名残である「選佛場」の扁額がかけられる。

 

 法堂の東には本来ならば仏殿が建つが、焼亡して再建されないままなので、その区域は現在は駐車場になっている。それを過ぎて東にゆくと、放生池があって、伽藍中央軸線の参道に沿った上図の石橋が掛けられる。
 かつてはこの石橋の前にて仏殿を礼拝し、渡って仏前に進んで再拝礼するのが普通であったが、現在は石橋の通行が禁止されている。それで、いまの参道が北寄りに置かれて、山門から中門を経て庫裏へと真っ直ぐに進む形になっているわけである。

 

 勅使門の横に戻った。本来ならば伽藍の正門であるが、勅使門として開かずの門になっている。先述したように、かつては伏見城の門であったと伝えられるが、確証は無い。正式名称の「旧慶長内裏裏御門」が示すように、もとは慶長年間の京都御所内裏の明照院の門であった、と受け止めれば充分であろう。

 

 寺外へ出て、しばらくブラブラしているうちに三条通に出て、上図の臨川寺の山門の前まで来た。かつては天龍寺の塔頭に列したがその後独立し、現在は非公開寺院となっている。私が大学生の頃、この寺の境内地に隣接して「嵐山コレクション」と呼ばれる古武器から第二次世界大戦までの旧日本軍兵器の展示施設である京都嵐山美術館があった。

 私自身は、その京都嵐山美術館に三回訪れたことがある。海軍の零戦や回天、陸軍の疾風、特殊潜航艇や戦艦陸奥の主砲、九五式軽戦車などを見学した記憶があるが、いま考えても、あれだけの内容をもった軍事系収蔵展示施設は珍しかったな、と思う。所有者の死去と京都市の街区整理事業区域にあたったことによって運営は5年ぐらいで終わってしまい、展示品の主なものは各地の施設に引き取られていると聞く。

 が、古武器や銃火器の大半は散逸してしまって行方が知れないという。確か、遺品が唯一とされた大発や震洋も在ったのだが、それらもどうなったのかは不明である。臨川寺近くの土産品店で買物をした際に、店主らしき老人に話を聞いてみたところ、大発や震洋は閉館後に市がゴミとして破棄処理したらしいとの事であった。大発も震洋もいま現存遺品が皆無なのであるから、本当にもったいないことをしたものである。

 

 京都嵐山美術館の跡地は、いまは観光バスなど大型車両の駐車場となって売店などが立ち並ぶ。かつて見上げた零戦の深緑色の翼、施設内に無造作に横たわっていた飛燕の残骸、赤さびた特殊潜航艇、ずらりと並んだ野戦砲の列、空を睨んでいた25ミリ単装機銃などの姿を思い出しつつ、半ば空しい気分で三条通を引き返した。左手には大堰川の流れと渡月橋が望まれた。

 

 なんとなく、渡月橋を渡って、川の南岸に行った。今回の巡礼行動は天龍寺で終わったのだが、まだ日は高く、たまには何も考えずにのんびりしたくなった。

 

 それで、しばらく、ぼんやりと大堰川の水面を眺めていた。

 

 まだ2月のことであるから、じっとしていると数分もたたずに体が冷えてきた。ならば温まろう、と思いついて近くの嵐山温泉「風風の湯」へ立ち寄った。入浴と休憩あわせて二時間余りをまったりと過ごした。

 

 再び外に出ると、薄暗くなりつつあった。まだ明るいなあ、と思ったが時計は17時過ぎであった。

 

 では、と傾く西陽と薄黒く広がりつつある山かげの陰影を遠くに眺め、渡月橋の南の中島のバス停から市バス28系統に乗り、帰路についた。久しぶりに史的好奇心と探究考察とを心行くまで満喫出来た楽しいミニ巡礼であった。  (了)

 

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(車輌目次表紙)大洗女子学園 アヒルさんチーム 八九式中戦車甲型

2021年11月24日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ファインモールド 公式キット (商品コード41101)

  制作期間   2014年4月26日~5月2日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 完成です!!

  総評・備考
 八九式中戦車甲型の1/35スケールキットは、現時点でファインモールドの製品が唯一である。すなわち下のキット一覧の3に該当する。これをガルパンパッケージで公式キット化したのが下のキット一覧の1であり、今回の製作で使用したキットである。それをリニューアルして劇中車仕様の主砲防盾パーツを追加したのが下のキット一覧の2であり、現在市場に出回っている公式キットの殆どが2である。
 キット自体は組み立てやすく、初心者でも気軽に楽しめるが、ガルパン仕様に作る場合は、幾つかの改造および修正が追加される。とくに車体右側の水タンクキャップの追加についてはパーツの複製が必要となるので、複製方法や手順を試して覚える機会とするのも良い。

 

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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戦車工場、作ります!! その37

2021年11月23日 | ガルパン模型制作記

 西住まほが注文した小型の車載クレーンは、ミニアートの3トンクレーンのキットで調達出来ました。さすがはサンダース大付属高校チーム、米軍ばりの物量の豊富さを誇って何でも揃えています。ガルパン世界のドラえもんですね・・・。

 

 中身は至ってシンプルです。クレーンのパーツのランナー1枚と、封筒に入ったエッチングパーツとチェーンです。

 

 クレーン本体のパーツは、数は少ないですが、細かいので組み立てには少し手間がかかりそうです。

 

 組み立てガイド図はパッケージの裏面に印刷されています。

 

 2日で組み立てて塗装して仕上げました。御覧の通りの小さなクレーンです。小型のトラックでも運べます。ケイはこれをセットして運ぶのに適した小型トラックが大洗女子学園チームにあることに思い至って、「オカッパさん」に連絡して呼ぶことにしました。

 

 そうして呼ばれたのが園みどり子でした。ケイは今回が初対面で、名前も正しく知らなかったようで、髪形から単に「オカッパさん」と呼んでいましたが、園が本名を名乗って覚えるように要請しました。
 園が乗って来た、県立大洗女子学園広報車の九五式小型乗用車は、まさに小型トラックです。3トン車載クレーンも荷台にぴったりおさまりました。移動クレーン車輌そのものです。

 

 この、にわか移動クレーン車輌にて、ケイと園は戦車工場B棟へ向かったのでした。  (続く)

 

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龍と仁と天と11 天龍寺の曹源池

2021年11月22日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 天龍寺の大方丈の東辺から南へ回って西側へ移動した。大方丈の裏側にあたる西側には、今回の参拝の目的である、庭園の園池である曹源池(そうげんち)が広がる。創建以来8度の焼亡を経て全ての創建堂宇を失った天龍寺において、唯一残された創建時の遺構がこの池である。

 

 天龍寺の庭園は、この曹源池(そうげんち)を中心とした池泉回遊式の形態を示し、夢窓疎石の作庭とされている。江戸期までに数度の補修を受けており、方丈に面する洲浜や汀の一部は変更されている可能性が高い。全体としては、創建当時の作庭の面影をとどめているようである。

 

 天龍寺の寺域はもとは、亀山天皇の系統である大覚寺統の離宮であった亀山殿の故地である。足利尊氏が後醍醐天皇の菩提を弔うため、亀山殿を寺に改めたのが天龍寺であるが、亀山殿にあった庭園は、いまの曹源池(そうげんち)に繋がっているかは不明である。
 周辺での発掘調査では、南側の大堰川寄りに九世紀代の庭園遺構および亀山殿期の庭園遺構が検出されており、いずれも西の小倉山麓からの湧水を水源としたものと推定されている。いまの曹源池も同様なので、亀山殿にあった庭園を造り直したのか、それとも完全な新造であったのかは、発掘調査でも実施しないと分からないであろう。

 

 個人的には、この曹源池は天龍寺開創にともなう新造の庭園の池であろう、と思う。その根拠の一つとして、上図の龍門瀑(りゅうもんばく)と呼ばれる滝石組の存在が挙げられる。これは鎌倉期までの「作庭記」流に則った浄土系庭園には無かった要素であり、 宋からの渡来僧によって持ち込まれた新たな庭園の造形思想の主軸となっている。その早い頃の事例が鎌倉建長寺の庭園であるとされるが、要するに初期の禅宗庭園の形態を示している。

 

 初期の禅宗庭園は、当時の宋式禅宗伽藍の庭園を範として平安期以来の作庭技術に一新をもたらしたが、その様式上の特徴のひとつは、宋式禅宗伽藍の後方に池泉庭園を配する、という点であった。その作庭思想を日本にもたらしたのが、建長寺の開山禅師ともなった蘭渓道隆であったが、天龍寺開山の夢窓疎石はその蘭渓道隆の門流に連なるので、夢窓疎石もまた宋式禅宗伽藍の作庭思想の担い手であったことになる。

 

 なので、鎌倉建長寺の庭園とここ天龍寺の庭園の基本レイアウトが共通するのは偶然の一致ではない。いずれも宋式禅宗伽藍の後方に池泉庭園を配する、という共通項がある。その意味では天龍寺の庭園も純然たる初期禅宗庭園の一典型であり、したがって亀山殿にあった平安期以来の庭園との接点は想定し難い。やはり天龍寺開創にともなう新造の庭園であり池なのだろうな、と思う。

 

 だから、現在の大方丈をはじめとする堂宇も、創建時の建物は失われたものの、旧軌にのっとって再建されていることに気付く。宋式禅宗伽藍の後方に池泉庭園を配するという基本レイアウトが、伽藍の後方建築たる大方丈とその後方の庭園および曹源池のありように明確に見て取れるからである。
 同時に、大方丈の正面は仏壇に対する東面だが、西面が庭園に向かって広縁を回して開けた造りになっている点も、曹源池を中心とする禅宗庭園への重視の姿勢をあらわしているのだと納得がゆく。

 

 大方丈が庭園とセットになっている以上、その北側に隣接する上図の小方丈は実質的に書院の機能を持つことになる。いまの天龍寺でも書院と称して東の庫裏とともに寺の事務的空間を担っている。大方丈の付属施設と理解すれば分かり易くなるであろう。
 ただ、現在の天龍寺伽藍は、正門たる勅使門からの中心軸上にあった仏殿を失い、法堂ももとは塔頭のそれを移設して再建しているので、外観上は半分ぐらいになっている。伽藍の後ろ半分が残っている、という感じであるから、いまの天龍寺の建築群が伽藍の全てではないのだな、と改めて理解した。この理解が無いと、天龍寺の歴史的全体像がなかなか見えてこない。

 

 だから、いま大方丈の本尊として祀られる釈迦如来坐像が、寺の創建より二世紀も遡る藤原期の遺品である点が非常に気になって仕方が無かった。この謎が解けない限り、私自身の天龍寺への基本理解は完結しないからである。

 図版で見た限りでは、藤原期十二世紀後半あたり、というのが釈迦如来坐像に関する個人的な仮説である。これが室町期創建の天龍寺に迎えられた経緯は、寺でもよく判っていないそうである。とりあえずは、前身の亀山殿に関連する像か、もしくは当地に存在した九世紀以来の檀林寺および大井寺、そして鎌倉期までに存在した舎那院や浄金剛院や西禅寺の旧仏であった可能性をも考えなければならないが、いまの私には手持ちの情報が皆無に等しかった。

 なにしろ、問題の釈迦如来坐像をまだ拝観していないのである。機会をみて必ず一度は拝観に赴かなければならない。その機会を、出来れば年内に持ちたいな、と願いつつ、大方丈の東辺へ引き返す途中で内陣に一礼し、まだ見ぬ本尊像に祈りをささげたことであった。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)大洗女子学園 ウサギさんチーム M3中戦車リー

2021年11月21日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  アカデミー (商品コードAM13206)

  制作期間   2014年2月12日~3月29日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 その8 その9 その10 その11 その12 その13 その14 その15 その16 完成です!!

  総評・備考
 今回制作した大洗女子学園のM3中戦車リーはテレビ版仕様の劇中車を再現したが、これはアニメ独自の要素が多い形状であるため、公式キット、適応キットのいずれを用いても大幅なガルパン仕様への改造工作が必須となる。基本的には中期型の車体に前期型の特徴が混じる形状で、ディーゼルエンジン車であるため背面に点検ハッチが付く他、排気管が前期型の形状となる。
 これらの諸特徴に公式キットのタミヤ製品は完全に一致せず、最も近い適応キットが今回使用したアカデミー製品であったが、この状況はタコムやミニアートの新製品が出揃った2021年11月時点でも変わっていないようである。タコムやミニアートの新製品群はテレビ版仕様よりも劇場版仕様の劇中車に近いので、テレビ版仕様の劇中車の製作にはやや不向きである。
 なお、公式キットを用いて作る場合、車体背面は完全な作り直しとなる他、転輪も5本スポークタイプに交換する等の必要があり、制作時のハードルが最も高くなるため、初心者クラスには厳しいものがあるだろう。割り切ってストレートに組んで雰囲気を楽しむ、という選択肢もおすすめである。
 M3中戦車リーの適応キットに関しては、最近のミニアートの新製品群が注目されている。アカデミー製品では省かれていたエンジンも含めたフルインテリアキットもあるので、内部構造を学び楽しみながら、ウサギさんチームの雰囲気にひたりつつ作りこんでみるのも良い。

 

  公式および適応キット一覧(2021年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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戦車工場、作ります!! その36

2021年11月20日 | ガルパン模型制作記

 ガルパン戦車工場で使用する運搬具は、ミニアートのハンドパレットトラックセットのキットで作りました。出来は御覧のとおりで、おケイさんも張り切って納品に向かいました。

 

 戦車工場B棟にて皆に披露されました。カチューシャと西絹代は以前に見た事があるようでしたが、西住まほは初めて見るようでした。西絹代は、この運搬具の日本での呼称「ビシャモン」も知っていました。流石ですね。

 

 西絹代はどうやら以前にこの道具を扱った経験があるようで、実際にドラム缶をパレットに載せたまま、ハンドパレットトラックで持ち上げて片手で動かしてみせました。西住まほが一番驚いていました。

 

 ドラム缶が2本になっても片手で扱える点は変わりません。西住まほが更に驚いていましたが、ケイはもっと積んでもいけると指摘しました。
 まさにその通りで、私自身も前の会社に居た頃、取引先の物流倉庫にてハンドパレットトラックを扱った経験があり、パレット一杯に積んでも片手で引っ張って運べたことを覚えています。

 

 さっそく、西住まほが初のハンドパレットトラック操作にチャレンジしました。パレットに色々積んでも楽に持ち上げて楽に引っ張ったりすることが出来るのに感心していました。カチューシャもケイも満足げに見守っていました。

 

 これで運搬具も揃ったので、あと必要なものは何か、という話になりました。西住まほが「小型のクレーン」と言いました。類似のクレーンは既に皆の背後にありますから、西住まほが言ったのは、おそらく車載用の3トンクラスの小型のクレーンでしょう。それを察知して、すぐに用意すると答えたケイでした。

 

 ケイの確約にカチューシャも驚いていました。車載用の小型クレーンはプラウダ高校チームには無いようです。それは黒森峰女学園チームも同様らしく、西住まほも感心していました。サンダースを米軍と形容しているのをケイは否定していましたが、どうみてもサンダース大付属高校チームは米軍そのものなんですね・・・。  (続く)

 

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龍と仁と天と10 天龍寺の庫裏と方丈

2021年11月19日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 天龍寺の総門より、中門への参道を進んだ。この寺に参るのは実は今回が初めてであった。以前に「中世嵯峨を歩く」と称して天龍寺の周辺を散策した際にも、この寺には入らずに次の楽しみにとっておいた経緯がある。その機会がようやく訪れたというべきか。
 総門は明治以降の建物だが、中門は江戸期の慶長年間(1596~1615)の建立で、天龍寺では数少ない明治以前の遺構である。

 

 だが、中門の南に建つ勅使門のほうがさらに古い可能性がある。いまは勅使門と呼ばれるが、正式には「旧慶長内裏裏御門」といい、もとは慶長年間の京都御所内裏の明照院の門であったもので、現在地へは寛永十八年(1641)に移築された。京都御所の前は伏見城の門であったと伝わるが確証は無い。

 

 勅使門は、江戸幕府京都大工頭の中井家伝来の「中井家文書」によれば慶長十八年(1613)の建立とされる。豪華な扉の意匠や龍虎の彫刻が、安土桃山期の絢爛にして繊細な建築様式を示すが、極彩色だった筈の装飾も色褪せて古色蒼然となっているため、一見しただけでは建物の美しさが分からない。いずれにせよ、天龍寺においては最古の遺構であり、双眼鏡持参でじっくり見たい建築である。

 

 しばらく勅使門を見学した後、中門からの参道に戻って庫裏の前に至った。

 

 庫裏の建物は明治三十二年(1899)の再建である。天龍寺は室町期の康永四年(1345)の創建以来8度の大火を経験しており、創建時の建物は皆無である。応仁の乱でも戦場となって焼亡壊滅し、幕末には禁門の変(蛤御門の変)で長州藩兵が立て籠もり、幕府軍や薩摩藩兵の攻撃を受けて炎上している。現在の寺観はその後、明治期に入ってからの再建事業で整えられたものである。

 

 だが、建物の細部には江戸期の様式要素が随所にみられるので、焼失前の建物を再現しているか、もしくは伝統的建築工法に拠っての再建であったようである。

 

 コロナ流行下においても一応、拝観は可能であったが、観光客の大半が遠慮して誰も中に入らないので、内部は閑散としていた。その寂漠たる雰囲気が外からも感じ取れたので、私も今回の拝観は遠慮しておいた。

 

 なので、庫裏の南に繋がる、明治三十二年(1899)の再建である大方丈の建物も、今回は外から仰ぎ見るにとどめた。内陣に祀られる本尊の釈迦如来坐像は藤原期の作であるが、内陣の仏壇は垂れ幕と柵に囲まれていたため、像の姿は外からは見えなかった。

 後日、国重要文化財の集成の図版にて尊容を把握したが、定朝様式の展開の最終段階の要素が見られ、十二世紀初頭を軸にして捉えたいような作風ではあった。
 しかし、図版を見るのと実像を拝観するのとは見え方も情報も全然違うから、やはり一度は拝観して仏前に進まないと確かなことは分からないな、と悟った。

 

 なので、もと仏像彫刻史専攻にして研究対象のメインが藤原期の定朝仏およびその周辺の仏像であった私としては、またここにお詣りする新たな楽しみが増えたことになる。今回は参拝の目的が別にあったので、大方丈本尊像の拝観は次の機会にとっておくことにした。  (続く)

 

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知波単学園 九五式小型乗用車(福田車) 完成です!!

2021年11月18日 | ガルパン模型制作記

 塗装後の組み立てのラストは、窓ガラスや前照灯レンズなどのクリアパーツの取り付けでした。つや消しクリアを薄く吹き付けて仕上げた後に、クリアパーツを取り付けました。上図は幌の背面の窓ガラスを取り付けたところです。

 

 幌の側面はドア部の上端と側面窓を劇中車に合わせて改造しましたが、側面窓の窓ガラスのパーツはそのまま使用出来ました。

 

 前照灯のレンズをウェーブのアイズのパーツを利用して取り付けました。劇中車の前照灯のレンズは大きめに見えますので、その感じになるべく合わせてみました。

 

 幌をはめ込みました。接着せずに取り外し自在としています。幌の畳んだ状態のパーツもありますから、差し替えるとオープンカーの状態になります。

 

 予備車輪は、劇中車は未装備なので不要でしたが、予備車輪を載せる場合はダボに差し込むだけなので、いちおう別に予備車輪も作って保管しました。車体後部に予備車輪の留め具が3つありますが、実車でもそれらしき円筒状の留め金具がありますから、そのままにしておきました。

 

 斜めからのアングル。

 

 側面観。

 

 斜め背後より。

 

 正面観。ラジエター中央の知波単学園校章がけっこう目立っています。

 

 以上で、知波単学園チームの九五式小型乗用車(福田車)が完成しました。製作期間は、2021年10月10日から10月22日までの計12日でした。組み立てに5日、塗装および塗装後の組み立てに2日かかりました。

 ガルパンの九五式小型乗用車は、幌を展開した状態での姿で登場する「お好み焼き道」脇の駐車シーンが唯一の劇中画であるため、適応キットはピットロードの製品一択となります。ガルパン仕様への改造も簡単なものばかりで、製作は楽でした。
 九五式小型乗用車のキットはファインモールドからも出ていますが、幌の展開パーツがありませんので、ファインモールドのキットを使う場合は展開状態の幌を自作するか、ピットロードのパーツをもってくるかのいずれかになります。

 

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戦車工場、作ります!! その35

2021年11月17日 | ガルパン模型制作記

 カチューシャに依頼された戦車工場用の運搬具、ケイはノリノリで上図のミニアートのハンドパレットトラックセットをチョイスしました。

 

 中身はこんな感じでした。ハンドパレットトラックが2台、木製パレットが4枚、容器が大小1個ずつ、でした。デカールも付いていました。

 

 ですが、組み立てガイドが入っていませんでした。

 

 組み立てガイドはパッケージの裏面に印刷されています。実に合理的です。

 

 ハンドパレットトラック2台は、パッケージの見本絵では赤と黄に塗り分けてありますが、なかなか良い感じなので、その通りに塗り分けることにしました。

 

 組み立てと塗装に5日を要して、上図のように出来上がりました。デカールも指示された位置に貼りました。今回の塗装は、ガンダムマーカーを購入して実験的に使ってみましたが、思った以上に綺麗に仕上がりました。  (続く)

 

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龍と仁と天と9 天龍寺へ

2021年11月16日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 仁和寺二王門から南に下って、門前町の風情が残る旧境内南端に至った。この辺り一帯の地名には「御室」が冠されるが、それが御室仁和寺の旧境内地の名残である。その南端は双ヶ丘の丘陵も含むので、創建当時の寺地がいかに広かったが伺える。

 

 通りの突き当りの辻には、嵐電の御室仁和寺駅がある。15年ぐらい前に利用した時は、上図の古い駅名標のとおり「御室駅」であったが、平成19年に現在の駅名に改称されたという。
 が、上図の古い駅名標はそのまま残されている。大正十四年(1925)開業以来の歴史ある駅名を顕彰する意味もあるのだろう。

 

 御室といえば仁和寺、仁和寺といえば普通に御室仁和寺の通称が浮かぶので、御室と聞けば京都の人はだいたい位置も由緒も知っている。それだけならば御室駅のままでも良かったのだろうが、日本人以外の人々からすると、御室って何、どういう所なのか、仁和寺と関係あるのか、となるだろう。

 しかも、インバウンドの波が高まっていた時期のことなので、海外からの観光客にも分かり易いように駅名を改称して、国際的な人気観光地の一つでもある仁和寺への玄関である事をアピールしたのだろうな、と思う。観光施策としては決して悪くないのだが、それよりはもっと重要であるはずの歴史的意義が薄らいでしまうのは否めない。

 

 上図左端に見える駅舎部分が開業以来のままであるそうだが、ホームの屋根は建て替えられていて新しくなっている。平成に入って海外からの観光客が激増していた時期、元の小さな古い屋根は雨天時に役にたたなかったからであろう。

 

 京都では相変わらず「鬼滅の刃」とのコラボが続いているようであった。二年前に太秦映画村へ行った時にもコラボイベントをやっていて、壬生寺であの羽織を売っていたりしたが、今回は京都鉄道博物館も加わったようである。人気アニメとのコラボは、観光施設にとっては儲かるイベントの一つになっているから軽視出来ないのだろう。

 

 電車待ちの間、反対側の四条大宮行きホームに入ってきた電車。2010年の開業100周年を機に採用された新車体カラーの「京紫色」をまとっていた。
 嵐電といえば、上半分が薄茶色、下半分が緑色のツートンカラーで長く親しまれてきたが、現在はこの「京紫色」である。個人的には、慣れるのにちょっと時間がかかりそうである。

 

 嵐山駅に着いた。嵐山へは月に一度ぐらいの頻度で行くが、いつもはバイクで行っているので、嵐電利用で入ったのは数年ぶりであった。駅舎もいつしか改札が無くなり、ホームも延長され、足湯が出来、キモノフォレストとかいう電飾棒の列が林立し、構内に売店が並び、以前の落ち着いた風情は消えてしまっている。

 一時はインバウンド需要をあてこんで駅舎の上階にカプセルホテルのファーストキャビンが入ったが、コロナ流行後の観光客激減のためにあえなく閉館に追い込まれている。いまの京都では何でもかんでも長期的展望にもとづく取り組みが無くなってしまっているから、いかなる新規の事業でも簡単に挫折してしまいやすいのであろう。

 

 しかし、海外からの観光客が殆ど居なくなった京都の景色というのは、どこでも子供の頃に眺めたそれと大して変わらないので、個人的にはなんとなくホッとする。嵐山駅から北の清凉寺に続く通りも、国際観光地らしからぬ御覧の有様であったが、この程度でええんやないか、とも思った。

 

 さて、今回の古刹巡礼のラスト、天龍寺の山門に着いた。龍は龍安寺、仁は仁和寺、そして天がこの天龍寺だったから、今回の巡礼記のタイトルを「龍と仁と天と」と安直に題した次第であった。  (続く)

 

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