気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く19 その38  塩郷の吊橋

2021年07月31日 | ゆるキャン△

 今回のゆるキャン聖地巡礼のラストである塩郷駅に降り立ちました。御覧の通りの無人駅ですが、原作コミック第11巻142ページ3コマ目、144ページ1コマ目にホームの景色が描かれています。各務原なでしこ、志摩リン、土岐綾乃のトリオが渡った塩郷の吊橋も、ホームの向こうにかすかに見えました。

 

 ということで最後の記念の自撮り。塩郷の吊橋を渡ったら、今回の聖地巡礼は終了となります。ずっと公共交通機関を利用して移動中も楽々と構えているため、ラストの目的地に至ってもあまり疲労が無く、元気でノリノリ状態でした。

 

 早速、駅から吊橋に向かいました。御覧のようにいったん吊橋の下をくぐりました。吊橋への連絡道が向こう側にあるからです。原作コミック第11巻135ページ3コマ目のアングルです。

 

 くぐってから振り返って撮影。原作コミック第11巻133ページ4コマ目のアングルです。ここからは塩郷駅もあまり目立ちません。ホームと小さな小屋しか無い駅だからです。

 

 この塩郷の吊橋は、今まで渡ってきた大井川の吊橋のなかでは低い方に属し、高さは11メートルです。しかし、高所恐怖症の私には、その11メートルでも非常に憂慮すべき数値でした。あー、これを渡るのか・・・。

 

 吊橋への連絡路の入り口です。大井川にかかる吊橋のなかでは最長の220メートルを誇り、すぐ下を大井川鉄道の列車が通るのを見られるという人気の吊橋であり、観光客も多く訪れるスポットなので、案内板が2つも立てられてありました。

 

 なに恋金橋とな・・・。拙者にとっては恋も金も無縁じゃ、ただ恐怖のみがたちはだかる地獄の橋じゃ・・・。

 

 付近には色々なスポットがあるようで、全部が縁結びに結び付けられているのは愛嬌でした。

 

 吊橋への連絡路を登りました。原作コミック第11巻135ページ1コマ目のアングルですが、恐怖心があるためか、吊橋がだんだんと映画「遠すぎた橋」のアルンヘム鉄橋に見えてきて、その確保に向かう英軍第1空挺師団先遣隊のフロスト中佐の心境になってきました。橋の向こうに独軍第2SS装甲軍団が待ち構えているとの情報がある、との気分になりました。  (アホかお前は)

 

 原作コミック第11巻135ページ2コマ目のアングルです。これが高さ11メートルか?もっとある気がするぞ・・・!しかも長さは220メートルもある・・・。
 そしてその向こうにはビットリッヒの第2SS装甲軍団が陣取っているのか・・・、おや、あれに見える人影は第9SS装甲師団偵察部隊の斥候兵か・・・。  (アホかお前は)  

 

 映画「遠すぎた橋」の妄想が次第に膨らんでくるのを抑えて平常心に戻り、慎重に足を進めて吊橋を渡り始めました。

 

 この高さは、大井川の吊橋のなかでは低いほうに属しますが、それでも個人的には怖い!まったくの恐怖でした。懸けるんならもっと低い位置に懸けてくれ・・・。
 いや、それだと列車にぶつかる・・・!どうしたらいいんだ・・・、そうか、横の道路に戦車を配置して吊橋を砲撃で吹っ飛ばせば良いんだ・・・。  (アホかお前は)

 

 怖くてなかなか前へ進めず、何度も左右の景色を眺めて心を落ち着かせました。なにしろ、今回の聖地巡礼旅行にて渡った吊橋のうち、往復で渡るのはこの塩郷の吊橋が唯一だったからです。全長220メートルを往復するのですから、あわせて440メートルを高さ11メートルにて恐怖心と戦いながら渡らなければならないのです。

 まったく、ゆるキャン△聖地巡礼はどこへ行っても全然ゆるくないな・・・、と溜息をつかざるを得ませんでした。  (続く)

 

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継続高校の待ち伏せ狙撃戦術に関して

2021年07月30日 | ガールズ&パンツァー

 御存知、継続高校チームのスナイパー、ヨウコです。最終章第3話にて、対戦相手のサンダース大付属高校チームのフラッグ車を一射で仕留め、次試合にて大洗女子学園チームの中心車輌を一撃で無力化させて全国のファンを驚愕と絶望の渦中に叩き落としました。
 同時に話題も劇的に沸騰、登場シーンがたった2度しかないにもかかわらず、人気キャラクターのランキング上位に急上昇しました。ですが、それ以上の場面がまだ無く、搭乗車輌の外観すら出ないままに全てが第4話へと先送りされたため、相当のモヤモヤ感が多くのファンの胸奥に沈潜したままとなっています。

 このヨウコの狙撃は、見ていて実に天晴れと言うべきで、継続高校チームの一つの強みといいますか、切り札であるのは間違いないでしょう。あんな形で次々に敵主力を撃ち倒せるのであれば、それへの対応に全ての対戦校が苦慮するはずです。

 ですが、このヨウコは果たしていつから継続高校チームに居るのか、という疑問もわきあがってきます。周知のように無限軌道杯の第1試合にて継続高校はヨーグルト学園を下しましたが、それはミカ達BT-42の単騎の奇襲突撃にて相手フラッグ車を仕留めた事によります。ヨウコの狙撃シーンはありませんでした。
 さらに思い起こせば、劇場版の対大学選抜戦に継続高校は初登場したもののBT-42単独での義勇参戦であり、当然ヨウコの姿はありませんでした。

 これらの成り行きを振り返りますと、ヨウコの狙撃は継続高校チームの強みの一つ、切り札ではありますが、必ずしも試合を確定的に勝ちに導けるものではないらしい、ということがうかがえます。
 もし、ヨウコが敵の主力を常に撃破し続けている実績があれば、そして継続高校チームの連戦連勝に大きく寄与しているのであれば、対大学選抜戦への参加は無理であったとしても、全国大会ならびに無限軌道杯の第1試合からそれなりの働きをみせてくる筈です。しかし、そのような形跡はなく、いきなり無限軌道杯の第2試合にて劇的なデビューを果たしたわけです。

 なので、ヨウコは以前から継続高校チームのメンバーではあったけれど、試合に参加したのはサンダース大付属高校チームとの第2試合から、という可能性も考えられます。待ち伏せして狙撃するという特性上、他の車輌が射撃ポイントへ敵兵力を誘い込む作戦が必須となり、第2試合ではミカたちBT-42がいわば勢子の役目を果たしています。勢いに乗った相手の隙を突くという、継続高校の見事な作戦勝ちでした。

 ただ、そういう単純な誘い込み作戦がいつでも通用するとは限りません。だから、第3試合では作戦を変えて大洗女子学園チームを集落内での奇襲にて四散させ、フラッグ車のアリクイさんチームを護るのがあんこうチームのみという、あまり見ない危機的状況を作り出しています。
 つまりは集落内に待ち伏せされると具合が悪いため、あえて数輌を雪だるま内に潜ませ、奇襲をしかけて相手をかく乱し四散せしめた流れですが、おそらくこれも作戦の内であったのでしょう。
 そして集落から追い出されてバラバラになったことで、フラッグ車を護衛すべき車輌が1輌しかないという大洗女子学園の隙が生まれてしまいました。そこをヨウコが突いたわけですが、これが意図した作戦であったならば見事という他ありません。このときの撃破車がフラッグ車のアリクイさんチームであったならば、試合はそこで終わっていました。継続高校の連勝記録が重ねられた筈です。

 ですが、撃破されたのは前に出てガードしたあんこうチームⅣ号戦車でした。フラッグ車の盾替わりとなったわけです。これをテレビシリーズの対黒森峰女学園戦の時の恩返し的な場面、とみる向きもありますが、事態はより深刻です。対黒森峰女学園戦の時はまだ僚車が左右に戦列をなしてフラッグ車を支えていたのですが、対継続高校戦のときはフラッグ車が孤立無援の状況に追い込まれたのです。冷泉麻子に既に視認され位置を知られているとはいえ、ヨウコの次弾はいつでもアリクイさんチームを捉え得る状態になっている筈です。

 もし、この時に次弾が放たれれば、ヨウコの狙撃の腕からして外すことはまず有り得ません。なにか想定外または不測の事態がヨウコ側に生じなければ、護衛もまだ四散したままで追いついていないアリクイさんチームは、絶好の目標であるままです。アリサのM4A1、あんこうのⅣ号を一撃で仕留めた悪魔的な狙撃術が既に必殺の照準を合わせているはずです。

 なので、第4話の冒頭では、この極度の緊迫シーンがどのように展開されるかが描かれるに決まっています。一瞬の迷いもなく放たれたヨウコの次撃が三式中戦車チヌをも雪原に沈めるのか、または違う流れにいきなり入ってゆくか、のいずれかでしょう。

 全体的にみて、テレビシリース以来においてこんな息詰まるような緊迫の対峙シーンというのは、この無限軌道杯第3試合の対継続高校戦までありませんでした。ヨウコの存在がその大きな構成要素になっているのであれば、その待ち伏せ狙撃戦術というのも、これまでの試合ではあまり成功していなかったか、もしくはヨウコが参戦していなかったか、のいずれかに該当するかもしれません。

 ですが、その本質的な解答は、第2試合で敗れたサンダース大付属高校チームのナオミの表情が物語っているように思えます。ヨウコの居る方向を睨みつつ、舌打ちしていたナオミの姿からは、どうやら相手とは旧知の間柄であるような、そんな雰囲気がただよっているように感じられたからです。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その37  千頭駅前の川根茶ソフト

2021年07月29日 | ゆるキャン△

 千頭駅前にて、約40分ほどの待ち時間がありました。大井川鉄道本線の帰りの列車は12時45分でしたので、それまでに千頭エリアでの聖地巡礼ラストミッションを実施しました。原作コミック第11巻7ページ3コマ目に登場している上図の建物、川根物産の茶葉販売所に行きました。

 

 このお店で売られている川根茶ソフトを、各務原なでしこがダムカレーの食後にデザート気分で食べていたのです。ファンとしては、当然これを外すわけにはいきませんでした。

 

 作中では値段が書かれていませんが、実際には350円でした。

 

 これが川根茶ソフトですか・・・。原作コミック第11巻7ページ4コマ目に描かれるそれはもっとボリュームがありましたが・・・。まあ、描画としての演出でしょう。

 

 店先で川根茶ソフトをいただきつつ、千頭駅前の街並みを眺めました。上図は北へ行く県道77号線の通りで、昨日ダムカレーをいただいたカフェ「うえまる」も奥の左に見えます。

 

 千頭駅前のロータリーです。周回路ではなく、県道77号線から分かれて半周する形なので、車の往来があるときに駅前に乗り入れるには注意が必要です。そのため、人の行き来が多い土日には警備員が交通整理をやっていると聞きました。

 

 千頭駅に戻って駅舎に入る際、上図のSLかわね号の座席状況案内板を見ました。そうかこの日もSLが走るのか、と気付きましたが、今回はその前の列車で出て、途中の塩郷で降りて吊橋を渡る予定でした。だからSLかわね号を見るチャンスは無いな、また次の楽しみにとっておくか、と思いました。

 私の聖地巡礼計画においては、大井川鉄道エリアへのアプローチは最低でも三回は想定されるため、今後は二回は必ず訪れることになります。今回は各務原なでしこの歩いたコースを辿りましたが、次回以降は志摩リン、土岐綾乃がバイクで行った吊橋巡りコースを目指すことになるでしょう。

 

 12時35分、改札口を通ってホームに待機中の列車を見ました。往路と同じ旧近鉄特急車輌でした。旧南海電鉄のズームカーとともに、大井川鉄道本線の普通列車の主力であるため、何回も往復していて乗る機会も多いです。

 

 個人的には、この列車は奈良に住んでいたころの思い出を甦らせてくれますので楽しいです。

 

 12時45分、車輌内の乗客は私のみ、という状態で千頭駅を出発しました。

 

 途中の駅で、旧南海電鉄のズームカーとすれ違いました。

 

 ともに2分ほど停車しましたので、ホームに降りて上図の両方の列車の姿を撮りました。ともに関西ではおなじみの車輌であっただけに、関西人の私には懐かしさも感じられました。右の列車で吉野山へ行き、左の列車で高野山へ行ったこともあったなあ、と思い出しました。

 

 13時14分、塩郷駅にて下車しました。

 

 発車してゆく列車をしばし見送りました。この塩郷が、今回の聖地巡礼のラストポイントでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その36  寸又峡温泉郷から千頭駅へ

2021年07月28日 | ゆるキャン△

 寸又峡温泉街を抜けて、観光駐車場脇のバス停に向かう途中、右手に上図の鯉のぼりを見ました。

 

 11時19分、寸又峡温泉入口バス停に着きました。千頭森林鉄道の保存車輌が展示してある場所の隣です。

 

 既にバスが待機していました。昨日乗ってきたバスと同じかと思いましたが、ナンバーが違うので同型の別車輌だと分かりました。大鉄バス、つまり大井川鉄道のバス部門にあたる大鉄アドバンスの車輌です。

 

 今回使用した大井川周遊きっぷでこの路線のバスも乗れますから、一泊二日の今回の巡礼行程ではめいっぱい利用出来ました。大井川鉄道本線およびアプト式列車の往復と寸又峡バスの往復とで4900円は大変にお得でした。

 

 11時22分、千頭駅行きで出発しました。乗客は私の他に2人でした。

 

 山奥の峻険な地形のなかの、曲がりくねった道をゆっくり走りました。周りの景色が色々と楽しめました。崖上の道路も少なくなく、豪雨や台風の時期には土砂崩れや路肩崩壊などに見舞われて通行止めになることもあります。
 現に今回の巡礼の後の6月に土砂崩れがあって、このバス路線も通行止めとなり、7月20日の時点でもバスは奥泉までの運行となっていて寸又峡へは行けない状態でした。

 

 かなり長い間、下り坂を走ってゆくので、景色が山の中腹から渓谷のほうへ移ってゆくのでした。寸又峡が高地にあることがよく分かりました。

 

 途中で駅と橋が見えました。昨日降りたアプトいちしろ駅とその横の市代吊橋でした。周囲の地形が険しいのがよく分かります。

 

 12時3分、千頭駅に着きました。

 

 千頭駅前は静かでした。平日ですからこんな感じなのでしょう。上図の左半分が、原作コミック第10巻97ページ2コマ目のアングルです。

 

 駅前の様子です。上図左手前の円形ベンチが、原作コミック第11巻8ページ1コマ目で各務原なでしこが川根茶ソフトを食べていた場所です。

 

 駅の向かいに観光案内所、土産物屋が並びます。

 

 土産物屋の屋根の看板に「千頭温泉」とあります。ここも温泉があるのか、と思いましたが、観光案内所で問い合わせたところ、平成9年に源泉が湧出した新しい温泉だと教えられました。大井川の向こう岸に日帰り温泉施設の「千頭温泉 旬」があるほか、付近の旅館3軒に引湯されているそうです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その35  紅竹食堂の渓流そば

2021年07月27日 | ゆるキャン△

 タバコならぬお茶の自販機の奥に、上図のログハウス調の小屋があります。昨日から何度か前を通っていたのですが、ずっと閉まっている雰囲気でしたので、倉庫か何かかな、と思っていました。

 

 ところが近寄って案内板を読んでみますと、かつての千頭森林鉄道の大間駅跡に関連する小屋であるようでした。位置的には大間駅構内にあたるようですが、旧駅舎というには新しく、また駅とは異なる建物のように思えました。

 

 戸口の右横の表札には「ログハウス飛龍」の小屋名が書かれ、千頭営林署の施設であることが分かりました。営林署の出張小屋であるのでしょう。千頭森林鉄道も営林署が管理運行していた鉄道ですから、その大間駅跡に営林署の施設があっても違和感はありません。
 閉まっている戸口から中をのぞきこむと、何かの展示品や書棚などがあり、時々公開しているような雰囲気でした。千頭森林鉄道に関する説明展示もあるのかな、と思いました。

 

 向かいの「晴耕雨読」の足湯カフェはこの日は定休日でした。コロナ禍下における営業短縮および臨時休業が増えているとのことでした。
 建物の外観は、これもログハウス調ですので、もしかしたらかつてここに並んでいた千頭営林署の施設を模してあるのかな、と思いました。建物がピカピカなのに、敷地の石垣などはかなり古いものであり、この石垣も千頭森林鉄道大間駅関連の遺構の一部であるのかもしれません。

 

 引き返して、外森神社の鳥居前を通りました。今回は行きませんでしたが、ここから参道をずっと山の中腹まで登っていって、上の神殿にお詣りするそうです。位置的に大間集落の鎮守的な性格を帯びた神社であるようです。

 

 あちこち歩き回って少しお腹も空いてきましたので、予定通りにここ寸又峡温泉郷における最後のミッションにのぞむべく、上図の紅竹食堂に行きました。ゆるキャン聖地のひとつで、原作コミック第11巻126ページ2コマ目に上図のアングルで登場します。
 各務原なでしこ、志摩リン、土岐綾乃のトリオが寸又峡プロムナードコースおよび夢の吊橋の散策の後でここに立ち寄り、食事をしています。なので、巡礼ファンとしては当然ここに立ち寄ることになります。

 

 既にお店のほうでもゆるキャン聖地になったことを御存知であるようでした。メニュー案内の上に原作コミックの該当コマが貼られてあり、聖地になったことを喜んでいる雰囲気が伝わってまいりました。

 

 11時前でしたが、既に開店していて、お店の方が「どうぞどうぞ」と招き入れて下さいました。挨拶してゆるキャン聖地巡礼で来たことを伝えると、厨房の店主らしき老人も笑顔になり、「それはそれは、ようこそ」と頭を下げてきました。

 

 出されたメニューは、心得たようにゆるキャンに出た「渓流そば」の項を開いてありました。
「つゆが、冷たいのと温かいのとありますが、どちらになされます?」
「・・・それでお尋ねしたいのですが、ゆるキャンの品はどちらですかね?」
「ああ、お客さん、・・・そうなんですよ、・・・よく聞かれるんですよ。漫画ですとね、寒い時期に来てるんですね、温かいほうになります」
「ではそれを」
「イナゴの佃煮入りですので、もし苦手でしたら無しにもできますが」
「えっ、イナゴ・・・?」

 

 そこでお店に置いてあった原作コミック第11巻の126ページを開いて、作中の品にはイナゴの佃煮が入ってるのかどうかを訊ねました。すると「これですね、レモンの左に三つ並んでるの、これがイナゴの佃煮です」と教えられました。それで、作中と同じ品をいただくことにしました。

 

 5分ほどして、作中と同じ「渓流そば」の実物が運ばれてきました。レモンの上にしっかりイナゴの佃煮もセットされてありました。

 

 もともと蕎麦が大好物のひとつですので、感想はまさしく「渓流そば うまし!!」でした。ただ、ボリュームがかなりありました。ヤマメの唐揚げも一匹まるまる入っていますし、蕎麦の量も普通の蕎麦店の1.5倍ぐらいあって、天ぷら2品とイナゴの佃煮が添えられてあります。かなり空腹でないと、食べるのが大変かもしれません。私は蕎麦大好きですのでペロリと平らげましたが・・・。

 

 かくして「渓流そば うまし!!」ミッションもクリアしました。大満腹、大満足にてバス停へ向かいました。  (続く)

 

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イオン限定「ゆるキャン△」キャンペーン

2021年07月26日 | ゆるキャン△

 既に公式サイトなどで発表されている、7月21日スタートのイオン限定「ゆるキャン△」キャンペーンです。ついに「ゆるキャン△」も大手スーパーの期間販売コラボ企画に取り上げられるようになってきました。
 要するに、「ゆるキャン△」もいまでは再放送を繰り返して有名になり、また人気もあって、一般大衆への認知度も広がってきているため、販売促進のキャンペーン素材としても有力視されてきているということでしょう。でなければ、イオンのような全国規模の企業がこういったコラボ企画をしかけるはずがありません。

 イオンでは、ガルパンのほうでも以前に缶コーヒーやペットボトル飲料での期間販売コラボ企画をしかけており、他の人気アニメも対象として定期的にキャンペーンに挙げていますが、今回は「ゆるキャン△」が取り上げられたわけです。いずれそうなるだろうと予想していましたが、存外に早かったです。

 公式サイトでの案内はこちら。関連情報の詳細まとめはこちら

 開始日の7月21日は、静岡ゆるキャン聖地巡礼旅行の二日目にあたって行けませんでした。帰着後の23日に嫁さんと近所のイオンに買物に行き、そのついでにチーズ売場の「ゆるキャン△」キャンペーンコーナーを見つけて、対象商品を16点買いました。景品は4種があり、対象商品を4点買うと景品が1種貰えるからです。

 嫁さんは「ゆるキャン△」には全く興味が無いので「ふーん、こういうのをやってるんだ・・・」といった顔つきで普段買っているチーズを選んでいましたが、それらがみんな「ゆるキャン△」キャンペーンの対象商品に含まれていたため、無理して色々買わなくて済みました。もともと嫁さんも私もチーズは毎日おやつとして食べるのです。

 

 景品は4種あり、2種はランチョンマットでした。これと・・・

 

 これでした。

 

 あとの2種はクリアファイルでした。これと・・・

 

 これでした。

 今回はイオン限定での販売キャンペーンでしたが、そういえば「ゆるキャン△」は他アニメと違ってコンビニチェーンでのコラボ販売がまだ行われておらず、一番くじ等でのキャンペーンもまだ出ていません。版元のフリューさんがそうした動きを極力避けて作品のイメージを堅実に大切に守り育てようとしているから、という見方もあるようですが、いずれにしても安易に商業行為に絡めないスタンスは、ある意味評価出来ます。

 「ゆるキャン△」は山梨県や静岡県を舞台にしているため、それらの聖地エリアでの自治体や関連企業による販売戦略のほうを最初から重視しているような傾向が全体的にうかがえますが、それはそれで良いと思っています。そのほうが「ゆるキャン△」というアニメの独特のカラーを鮮明に出来るうえ、地域的な展開にとどめることで聖地巡礼へのニーズも高める効果があるからです。

 なので、限定企画とはいえ、今回のイオンでの販売キャンペーンというのは、いちおう本州・中四国のイオンリテール直営店のみとはいえ、聖地エリアを超えた全国的展開の試みとして最初の事例になるはずです。対象商品がアニメグッズやキャンプ用品でなく、一般に売られている食品となっているのも初です。
 このケースが、これから増えてゆくのでしょうか。楽しみになってきましたね。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その34  寸又峡温泉郷散歩

2021年07月25日 | ゆるキャン△

 寸又峡温泉郷の観光駐車場の入口付近に行きました。奥にバス停と森林鉄道の保存車輌が見えます。

 

 この櫓形の標識は、原作コミック第11巻の表紙に出ているほか、109ページ1コマ目の志摩リン、土岐綾乃の寸又峡到着シーンにも登場しています。

 

 再び温泉街へ歩き出して、旅館「翠紅苑」の横を通り過ぎて右手にあった観光案内板をみたところ、先ほど見てきた森林鉄道の保存車輌とは別の保存車輌の写真があるので驚きました。寸又峡プロムナードコースの散策にて行かなかった尾崎坂展望台に置いてあるようです。

 それを知り、しまったな、尾崎坂展望台にも立ち寄れば良かったな、と思いました。同時に、なんでそんな山奥に置いてあるのだろうと不思議に思いました。後日調べてみたら、尾崎坂展望台はかつての千頭森林鉄道の尾崎坂停車場の跡だということでした。そして、そこに置いてある保存車輌は、以前は千頭駅の横に展示してあったのを移した、ということも分かりました。

 ここ寸又峡は面白い所ですが、今回はゆるキャン△聖地巡礼のコースだけで過密スケジュールになってしまい、他の観光スポットへなかなか行けませんでした。だからいつか再訪したいと考えますが、その時には尾崎坂展望台にも立ち寄って写真の保存車輌を見てみたいです。

 

 昨日よりも青く晴れ渡っていますので、温泉街の写真も今日のほうが綺麗に撮れました。とりあえず、端から端まで適当に撮って回ることにしました。

 

 ですが、月曜日とあって、観光客の姿は疎らでした。昨日は大勢来ていて混雑もしていましたから、週末に賑わう観光地なのだな、と思いました。

 

 旅館「光山荘」の敷地内にある温泉施設です。この日は閉まっているような雰囲気でしたが、シーズンには営業して観光客も訪れているのでしょうか。

 

 火の見やぐらのある、寸又峡バス停の付近です。左にあの水車、奥に橋と土産物屋「さとう」が見えます。

 

 同じ場所で振り返ると、この景色です。原作コミック第11巻129ページ4コマ目のアングルです。土岐綾乃と志摩リンがバイクで出発して寸又峡温泉郷から帰路につくシーンです。

 

 この火の見やぐら、いい雰囲気ですね。昭和の古い街並みにはよく見られますので、ここ寸又峡温泉街の昭和37年の温泉掘削以降の街区の形成にともなって建てられたものかと思われます。その頃には、まだ千頭森林鉄道も健在で、いま観光駐車場の脇にある保存車輌も忙しく動き回っていたのです。

 

 橋のところで撮影しました。山の若葉の緑が朝よりも綺麗に見えて良いです。街区が南東から北西に連なるため、陽光の角度の関係から午前中が温泉街の景色を撮るには適しているようだ、と気付きました。午後になると日陰が増えて逆光気味になる場所が多いので、昨日はあんまり良い景色が撮れなかったことを思い出しました。

 

 散策中に妙な自販機を見つけました。タバコのそれかと思いきや、「コレ、たばこ・・・ではなく、お茶です」の吹き出しプレートが付いていました。

 

 これみんな、マジでお茶なのか・・・。パッケージはタバコと書いてあるけど・・・。お茶なのか・・・。値段が600円?・・・このサイズで高過ぎないか・・・!!  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その33  千頭森林鉄道の車輌

2021年07月24日 | ゆるキャン△

 宿にて朝食をいただき、部屋にて一時間ほど休んで過ごした後、帰りのバスの時間まで2時間ほどを温泉街の散歩および撮影にあてて有意義に使うことにしました。支払手続きを済ませて、9時過ぎに宿を出発しました。

 

 まず宿のすぐ南にある千頭森林鉄道の保存車輌を見に行きました。バス停のすぐ横ですから昨日も見ているのですが、軌道跡の寸又峡プロムナードコースを歩いた後は、そのルートをかつて走っていた車輌をきちんと見ておきたい気持ちが強まりました。そこで一度じっくり見ておこうと、近寄りました。

 

 保存車輌の覆屋根の天井から吊るされていた木製の説明板です。千頭森林鉄道の概要とデータが簡潔に記されてありました。国内では最大規模の運行区間および対象地域を誇った千頭森林鉄道の説明がこの短文ですから、その長い歴史と実態とを広く知らしめるには不足です。もっと詳しい説明があれば、と思いました。

 なにしろ、ここ寸又峡温泉は、千頭森林鉄道の遺跡探索の前線基地として鉄道ファンや廃線ファンの間では有名です。ここを訪れる人々の何割かは千頭森林鉄道の遺跡探索に向かう鉄道ファンや廃線ファンであり、彼らの聖地の一つとしての側面もかなり大きい筈です。そのあたりにも配慮しての、現地の観光情報の拡充が必要なのではないかな、と思います。

 ですが、ゆるキャン△の今後のアニメ第3期が実現した場合、ここ寸又峡温泉も間違いなくアニメに登場します。そうなると、既に静岡県内ではアニメ聖地にて色々なイベントを仕掛けている実績がありますし、大井川鉄道沿線でもゆるキャンマップが配られ始めていますから、寸又峡温泉でもパネル設置などの動きが出てくるでしょう。
 むしろそちらの方向でコラボを行なって積極的に観光宣伝をしかけたほうが、一般観光客の呼び込みも拡大出来るので、マニアしか知らない千頭森林鉄道の遺跡などは忘れ去られるいっぽうになるでしょう。

 

 保存車輌のうちの客車です。岩崎レール製鋼鉄製といい、最近に修復されて外装も塗り直されたと聞きましたが、千頭森林鉄道時代の本来のカラーではないそうです。

 

 客車は内部も公開されていて、入ることが出来ます。井川線のアプト式列車の客車よりも簡素な造りです。観光用ではなく、森林鉄道の作業員用でしたから、この程度で充分だったのでしょう。

 

 車内後端にある上図の白いハンドルは、ブレーキ機構であるそうです。そういえば、井川線のアプト式列車の客車内にも似たようなハンドルがありました。操縦席かと思っていたのですが、あれもブレーキ機構なのでしょう。

 

 客車を出て、先頭の機関車を見ました。

 

 標札には「機関車」としか書かれていません。協三工業製の4.8トン機のDB12機関車です。千頭営林署所有の機関車の一両で、千頭森林鉄道にて廃止まで使用され、廃止後にここに客車とともに保存展示されています。
 それで、この位置がかつての軌道跡なのかなと思いましたが、後日に調べたところでは、軌道跡とは別の位置であるそうでした。

 

 機関車の内部へも入れますので、運転席にのぼってみました。

 

 この計器や運転レバー類のメカメカ感がいいですね。最近に1/35スケールの牽引機関車のプラモデルを買いましたが、内部もわりと再現出来るみたいなので、こういう実物の運転席の様子が参考になります。

 

 客車の後ろには、木材輸送用の台車がありました。これに伐採した丸太を何本も積み重ねて運んだのです。

 

 横のバス停です。ここから11時22分のバスに乗って千頭駅まで戻る予定でした。現在時刻が9時22分でしたので、あと2時間ありました。この日は天気が良くて青空が広がっていたので、温泉街の景色を撮るにもよいタイミングだなと思い、まず南の観光駐車場の入口から撮ることにしました。

 

 南の観光駐車場には、まだ一台の車も見当たりませんでした。この時期にやってくる観光客はあまり居ないのでしょうか・・・。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その32  寸又峡温泉郷の朝

2021年07月23日 | ゆるキャン△

 7時25分、寸又峡プロムナードコースのゲートをくぐって温泉街に戻りました。付近にまだ人影は無く、静かな朝の雰囲気は6時の行きの時のままでした。

 

 千頭森林鉄道の大間駅跡のすぐ隣にある旅館「求夢荘」も静まり返っていました。原作コミック第11巻110ページに出ている、この旅館の飼い犬の姿も見当たりませんでした。

 

 しばらく周囲を探しましたが、見当たりませんでした。聞けば、自由にあちこちへ行って行方不明になる事も珍しくない犬だそうです。昨日も「さとう」の女将さんが「今日も全然見なかったねえ、どっかで放浪してんのよお」と笑っていましたが、こちらは一度でもいいから本物に出会ってみたいので、放浪してほしくないなあ、と思いました。

 

 その「さとう」の女将さんに声をかけられました。70代から80代ぐらいのようですが、陽気でお喋りな方でした。

「あらー、お兄さん、夢の吊橋行かれましたんですか?・・・お早いお帰りですねえ・・・」
「お蔭様で、素晴らしい景色を堪能いたしました。千頭森林鉄道が通っていた頃とあんまり変わっていないのでしょうね・・・」
「いいえぇ、かなーり変わりましたよ、ウチがここに来て間もなくの頃に何度かあの辺に遊びに行きましたけどねえ、ちょうど鉄道が廃止になるすぐ前でねえ、線路の下の道歩いて吊橋渡ってダムまで行ってね、それから夢の吊橋渡ってね、向こう岸に行って大間川沿いの道歩いたのよねえ・・・」
「昨日話して下さった遊歩道の事ですね。あれさっき確認しました。観光案内板の裏に道の跡が見えましたよ」
「んだろ?昔は線路のところは歩けなかったからねえ、みんな下の道を行って行き来していたもんね・・・」
「つまり、いまのプロムナードコースは、鉄道廃止になるまで歩行禁止だったのですね。下の道というのはプロムナードコースの下にあったわけですか?」
「そうだよ、線路が廃止になった後もしばらく使われてたんだよ。そっちのほうがね、眺めが良くってね、大間ダムだって近くで見られたからね。ダムまで行く途中に滝があってねえ、吊橋渡りながら滝を見たの。ああいう道は残しとけば良かったのにねえ、廃止になっちゃってねえ・・・」
「その遊歩道ですが、一部だけでも残っていないわけですか?」
「ああ、一部ならいまも使われてるね。いまの道(寸又峡プロムナードコース)のダムの横から夢の吊橋へ降りて行くところがあるでしょ、下っていく道・・・」
「ああ、吊橋へ通じる坂道ですか」
「そうだよ、あれが昔の遊歩道の名残だね。昔は大間ダムの横からずーっと繋がってたからね・・・」

 このお話によって、かつて千頭森林鉄道が運行していた時期には、その軌道の下に歩道があって、通行者や観光客はそれを通って大間ダムや夢の吊橋、そして飛龍橋の下にあった寸又峡キャンプ場まで行き来していたのだそうです。そして鉄道の廃止後もしばらく使われていたが、軌道跡の寸又峡プロムナードコースへの整備にともなって廃止されたということです。大間ダム管理施設の横の階段下から夢の吊橋までの間のチンダル湖畔の下り坂部分が、その歩道の現存部分にあたるそうです。

 そして「ちょっとさあ、あの犬、今日もまだ見てないんだよねえ。いつもは朝早くからそのへんうつろいてるんだけど、昨日から全然見てないのよ・・・」と急に「求夢荘」の飼い犬の話になりました。
「たぶん、いまも放浪中なんでしょうね。その犬を一度見たかったんですが・・・」
「そんなら、ウチに写真があるんだよ、見ていって下さい」

 

 その写真は、お店の奥の壁に立てかけてありました。まさしく、原作コミック第11巻110ページに出ている犬の姿そのままでした。この犬が「求夢荘」の飼い犬でした。

「これ、夢の吊橋のたもとで撮ったんですか?」
「そうですね。ウチが撮ったんじゃないで、いつやったか、お客さんに頂いたものですよ・・・」
「この犬は、放浪しながら夢の吊橋まで行くんですか・・・!」
「そういうのは時々ですよ。もっと遠くまで行っちゃうこともあったしねえ・・・」
 なかなかの放浪癖のある犬のようです・・・。聖地巡礼で出会った方は幸運だと思います・・・。

 

 そういえば、犬だけじゃなく、今回はニホンカモシカにも出会わなかったなあ・・・。残念。

 

 相変わらず静かな温泉街でした。コロナ禍下の観光客減少の影響もあったのでしょう。

 

 物見やぐらの真下の道路わきの水車だけがカラカラと音を立てて回っていました。

 

 来た道を引き返して、「晴耕雨読」の店舗の辻を曲がりました。この上図の道が千頭森林鉄道の軌道跡だとされていますが、昭和22年の米軍撮影の航空写真では少しずれた位置に軌道らしき線が見えます。その線の位置はこの道路の左手の低いところにあたります。軌道跡の正確な位置に関しては、もう少し検証してみる必要があるでしょう。

 

 7時36分、宿の「翠紅苑」に帰り着きました。5時50分に出発しましたので、散策全部に1時間46分を要したことになります。
 行きは時間節約のために早めのペースで歩きましたが、飛龍橋を過ぎてからは時間に余裕が出来たために景色をのんびり眺めながらゆっくり歩きました。全コースを早めのペースで歩き通せば、1時間半にも満たなかっただろうと思います。

 

 玄関口に掛けられた九曜紋の暖簾です。私の家の家紋と同じなので、普通にこの暖簾が欲しかったです。

 

 朝食を8時に頼んでありましたから、まだ20分余りの余裕がありました。散策後の短い入浴を楽しみました。

 

 8時2分、朝食をいただきました。急な登りを含む約一時間半の散策ですっかり腹ペコになっていましたので、ことのほか美味しく感じられて良かったです。

 翠紅苑、温泉も良かったし、夕食も美味しかったし、ゆったり過ごせました。何よりも、ゆるキャンの聖地の一つですから、もう最高でした。ファンは必ず一度はここにお世話になりましょう。  (続く)

 

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最終章第3話に登場しなかった島田愛里寿

2021年07月22日 | ガールズ&パンツァー

 周知のように、最終章第2話まで出ていた島田愛里寿が、第3話には登場しませんでした。それが多くのファンにとっては重大なる問題であったのか、上映開始直後からネット上などで相当数の憶測が飛び交ったと聞いています。ですが、公式側がいっさいその理由に触れていないため、真相は不明のままであるようです。

 これに関して、個人的には二通りの解釈をしております。そのひとつめは、島田愛里寿はそもそも無限軌道杯に参加していませんから試合の流れとは無関係であり、第3話に出てこなくても違和感は無い、という解釈です。第2話の時点で転校したい高校が決まっていない、という個人的事情でしか出てきていませんので、今後第4話に出てきたとしても、あと1、2試合しか残っていない無限軌道杯に途中から参加するとは考えにくいです。

 二つ目の解釈は、どこかで無限軌道杯に途中参加してくるか、別の形で再戦する、という逆の内容です。島田愛里寿は西住みほとの再戦を希望して高校への転入を真剣に検討しており、その様子は既に劇場版DVDの特典OVA「愛里寿・ウォー!」で描かれています。そのストーリーを最終章第2話でも見せているため、無限軌道杯に途中参加出来なくても、何らかの形で西住みほとの再戦を実現させてくるのではないか、という解釈です。

 ですが、西住みほ率いる大洗女子学園は第3試合で継続高校と対峙しており、これを勝ち抜けたとしても残るは決勝戦のみ、相手は聖グロリアーナ女学院と黒森峰女学園の試合の勝者であることが決まっています。島田愛里寿が無限軌道杯に途中から参加するのであれば、転校先は聖グロリアーナ女学院、黒森峰女学園のどちらかしか有り得ませんが、このような流れは少々無理があります。可能性としては限りなく低い、と思います。

 なので、無限軌道杯の終了後に、劇場版のエキシビジョンマッチのような形で、どこかの高校に転入してその戦車道チームを率いて西住みほ達大洗女子学園と対戦する、という流れになるのではないか、と推定しています。その場合の転入先は、第2話の時点で無限軌道杯に参戦している諸高校のいずれにも決めていなかったため、これまで登場していない新たな高校のチームである可能性も考えられます。

 もし新たな高校に転入するのであれば、どこになるでしょうか。以前にヨーグルト学園ではないかという仮説を披露したことがありますが、それは見事に外れました。ネット上では、中立高校ではないか、とする説も見かけましたが、もともと島田愛里寿は大学選抜チームの隊長でしたから、その指揮下のチームはかなりの手練れが集まった強い陣容でなければ物足りないかもしれません。全国大会および無限軌道杯に参加している16校の他に候補を挙げるとなると、現時点では中立高校以外に全く見当たらないし、まったくイメージも湧きません。

 それ以前に、島田愛里寿が転校するという事の意味をもう少し考えるべきかと思います。島田流家元の後継者にして、飛び級で大学生になっている優秀な人材、しかも社会人チームを撃破して名実共に国内最強クラスに達した大学選抜チームの隊長である人です。その転校が普通の転校であるわけはないだろうと思います。これだけの人材を受け入れられる高校もそんなに存在しないでしょう。
 なので、彼女の転校というのは、彼女の意志で判断した高校への手続きが進められるのか、それともどこかの高校が戦車道の発展を期して彼女を三顧の礼にて招き入れるのか、のいずれかになりますが、個人的には後者のケースが可能性としては高いだろうな、と思います。

 しかし、いずれにしても仮説、妄想の域を出ません。よって、現時点で島田愛里寿の今後の動向を類推すること自体が無意味であろう、との結論に落ち着きます。確かなのは、第6話のラストまでには答えが出されるであろう、という点でしょう。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その31  帰りは気楽に

2021年07月21日 | ゆるキャン△

 7時9分、分岐点に戻りました。行きで初めて渓谷を見下ろして夢の吊橋を捉えた地点でした。

 

 分岐点付近の観光案内板です。

 

 近くにあった木造のレトロな電話ボックスです。ピンク電話が懐かしいです。

 

 分岐点からは、もと来た道を温泉街まで引き返しました。天子トンネルがすぐに見えてきました。

 

 かつての千頭森林鉄道の隧道の一つですが、国策事業の一環であって惜しみなく資金や資材が投入されていたため、昭和初期のトンネル施設としては非常に丁寧に造られており、しっかりと頑丈に仕上げてあるため、90年近くを経た現在でもあまり劣化や老朽化がみられません。

 

 中を見れば、これが昭和8年の竣工かと思うような、現代のトンネルのような新しさすら感じられます。コンクリートも当時の最高級品がふんだんに使用されたといいます。その後の太平洋戦争の期間に作られた劣悪なコンクリート建物の状況とは全然違って見えます。

 

 一度、入ってから後ろを振り返りました。何かが居た気配を感じたからです。ニホンカモシカかな、と思いましたが姿は見えませんでしたので、気のせいかな、と考えました。

 

 天子トンネルを抜けて後、のんびりと気楽に歩きました。散策タイムは予定よりも早めに進んでいたため、残り時間にも余裕がありました。

 

 このあたりまで来ると、来た時に宿から30分もかかっていませんでしたから、宿には8時前に余裕で着くことが見込まれました。

 

 途中にある地蔵尊の祠にも、立ち止まって手をあわせておきました。

 

 7時23分、寸又峡プロムナードコースの出入口の広場が見えてきました。

 

 7時24分、広場横の観光案内板を見ました。行きは急いでいたのでスルーした観光案内板でした。寸又峡プロムナードコースの飛龍橋を中心とした範囲の山林が自然観察教育林であることを知りました。
 自然観察教育林とは、小中学校の自然科学教育に適した地域や特異な自然で自然探勝などで接することにより、国民の自然科学的興味を助長させることに適した地域のことです。

 

 7時26分、寸又峡プロムナードコースの出入口に戻ってきました。行きは6時3分に入りましたから、今回の寸又峡プロムナードコースの散策の所要時間は1時間23分となりました。観光案内板に示される約90分のタイムより7分短かくなりました。
 まあ、こんなものかな、と納得しました。夢の吊橋からの急な三百四段の登り坂も、割とハイペースで登りましたから、かなり時間を短縮しているのは間違いありませんでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その30  大間ダムへ

2021年07月20日 | ゆるキャン△

 6時54分、飛龍橋を後にして再び歩きました。千頭森林鉄道の軌道跡、いまの寸又峡プロムナードコースはずっと平坦なので楽に行けました。カーブもきついのはなく、上図のような曲がり方でもきついほうでした。鉄道は急カーブを曲がれませんから、軌道跡のカーブはみんなゆるい感じです。

 

 方向的には夢の吊橋に向かって進む形でしたので、木々の間にチンダル湖および夢の吊橋がチラチラ見えていました。

 

 途中の視界が開けた地点で、チンダル湖および夢の吊橋を望遠モードで撮りました。

 

 付近の案内板です。千頭森林鉄道は、千頭国有林の材木の運搬または千頭ダム建設の資材輸送の為に建設されていますが、つまりは国策事業の一環でありました。今に残る軌道跡や隧道の遺構が立派なのも、惜しみなく資金と資材が注がれてきちんとした構造物が建設されたからです。
 寸又峡の険しい地形と崩落の多い脆い地質を考えると、その地域に森林鉄道を敷設するというのがいかに難事業であったかがしのばれます。現在でもこの規模の事業は大企業でも尻込みしてしまいますが、まともな建設機材や重機も無かった昭和の初期に工事を成し遂げているのは、国の直轄事業として強力に推し進められたからです。一説では軍部の関与もあったといい、太平洋戦争中でも材木の伐採や運搬が積極的に進められていたそうです。

 

 ですが、そうした歴史すら、いまの寸又峡の風光明媚な景色のなかには微塵も見えてきません。いまの寸又峡プロムナードコースを歩く観光客の大部分が、かつて千頭森林鉄道の軌道跡であったことも知らないのだそうです。

 

 ですが、私なりには千頭の御料林および国有林、森林鉄道のことは僅かながら聞いたこともありましたので、旅行前に色々資料を調べて、必要最低限の知識だけは仕入れておきました。しかし、現地に行ってみると、それ以上の歴史的痕跡を色々と目の当たりに出来てとても勉強になりました。なので、来た甲斐がありましたし、大満足で最高の気分で散策を楽しめました。

 なので、もし自身が鉄道マニアであったならば、より廃線跡の魅力にハマって、総延長約62キロに及んだという千頭森林鉄道の軌道跡を全て回ろうというような、無謀な取り組みに熱中していたかもしれません。
 でも、その無謀な取り組みを実際に成し遂げてしまったツワモノの大先達(「廃道探索 山さ行がねが」の平沼義之氏氏のサイトの千頭森林鉄道の取材記事)がいらっしゃいますから、その業績にただただ感嘆するのみです。

 

 周囲の山並みを見回すと、あたこちに大きな崩落の跡が望まれます。崩れやすい地質、地形であることがよく分かります。数年のうちに地形も大きく変わっているのでしょう。

 

 ですが、寸又峡プロムナードコースの範囲は割合に地盤がしっかりしているためか、飛龍橋の前後を除けば、目立った崩落個所や落石などはあまり見かけませんでした。

 

 夢の吊橋の斜め横まで進みました。

 

 同じ地点からは飛龍橋も見えました。二つの橋が同時に視認出来る場所は限られています。付近のガードレールがあちこちで曲がったりひしゃげたりしているのは、過去の落石の衝撃によるものですが、その威力の大きさがどんなものかは頑丈なガードレールがボコボコになっているのを見れば分かります。人間に当たったら致命傷にもなりかねません。

 

 7時8分、大間ダムを眼下に見下ろす地点に着きました。行きの分岐点の近くです。かつての千頭森林鉄道の大間堰堤停車場があった所で、道幅が広くなっています。

 

 大間ダムを望遠モードで撮影しました。戦前の昭和13年に竣工した、国内でも最古クラスに属する重力式コンクリートのダムで、ダム水路式の大間発電所をともなっています。日本土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選 」に選定されています。
 現在は中部電力の管轄施設ですが、建設したのは昭和初期に大井川水系での水電事業を展開していた富士電力(株)でした。

 

 大間ダムのある谷の急峻さ、両側の山の険しさがよく分かります。ここにダムを築いたのでチンダル湖が形成され、そのチンダル湖のうえに夢の吊橋が位置しています。

 夢の吊橋そのものは、千頭森林鉄道の大間堰堤停車場への連絡ルートとして戦前から存在しており、以前に紹介した昭和22年の航空写真にも存在が確かめられますが、昔からずっと「夢の吊橋」と呼ばれていたのかな、とふと疑問に思いました。「夢の吊橋」というのは観光宣伝用にあとから付けた名前っぽいので、本来は大間吊橋とか、寸又峡吊橋とかの正式名称があったのではないかな、と思います。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その29  飛龍橋にて

2021年07月19日 | ゆるキャン△

 寸又峡プロムナードコースの最奥部に進み、飛龍橋へと近づきました。かつての千頭森林鉄道の軌道跡であり、飛龍橋もそのまま車道の橋に転用されています。

 

 寸又峡プロムナードコースの各所で見かける落石は、飛龍橋の前後の範囲で数が多くなります。千頭森林鉄道の運行も落石と戦いながらの歴史であったといいますから、付近の岩崖などがもともと脆いのでしょう。歩いていて、上からカラカラッと小石が転げ落ちてくるのを二度見かけましたが、大きな石ですと怪我のもとになりかねませんので、なるべく崖面とは離れて、上を注意しながら歩きました。

 

 飛龍橋の北詰で道が分かれます。右の道もかつての千頭森林鉄道の大間川支線の軌道跡であるそうです。現地には上図の道標が立っています。ここから前黒法師岳への登山口へ行けます。

 

 ですが、道の入り口は御覧のように封鎖されていて、少なくとも車輌の通行は禁止であるようです。道そのものが廃道に近づいていて崩落や損壊などが各所にあるそうです。

 

 分岐から左に行けば飛龍橋に進みます。かつての千頭森林鉄道の本線跡です。その大間駅跡から尾崎坂停車場跡までの区間が現在の寸又峡プロムナードコースにあたりますが、現地ではそういった情報が観光案内板にも記されていません。

 

 飛龍橋の北詰に休憩用ベンチがありました。時計を見ると6時49分でした。この日の散策ルートの最奥部に、予定した二時間ちょっとの散策タイムの半分以下で到達出来ました。飛龍橋からの片道が約30分とされますので、これから温泉街に戻って宿まで行けば、7時半前に着く勘定となります。
 ですが、宿での朝食を8時に頼んであったので、それまでにゆるゆると戻れば良いのだと考え、飛龍橋からの帰路はスピードを落としてのんびりと進むことにしました。

 

 なので、飛龍橋の北詰のベンチにて5分ほど、お茶を飲みつつ休憩しました。朝の寸又峡渓谷を吹き抜ける山風が時折サーッと来て、少し寒いぐらいに感じられました。

 

 ふーん、寸又峡プロムナードコースは平成16年に再整備されて現在の状況になったのですか・・・。

 

 飛龍橋から大間川を見下ろしました。高さ70メートルであるというのを忘れてしまい、うっかり下を覗きこんでしまったので、一気に足がガクガク、背中がゾゾゾッと来て柵にしがみつきました。そんな状況でよく撮ったな、という一枚。

 

 ですが、景色は御覧のとおり、なかなかの秘境感があります。いかにも奥静といった感じで、奈良県に例えれば吉野の十津川渓谷を思い出させます。

 

 飛龍橋を渡っている途中で、一度北詰を振り返りました。

 

 渡って南詰に着きました。上図左の立派な銘板は、昭和8年に飛龍橋の初代が吊橋形式で竣工した際に、橋の命名者であった当時の帝室林野局長官の三矢音松氏の筆によるものを修復したとの事です。
 現在の橋は三代目にあたるそうで、昭和45年の竣工です。その前年に千頭森林鉄道が全線廃止となった後に、車道橋に架け替えられたものです。ちなみに二代目は昭和32年に初代の吊橋形式を改めてアーチ形に架け替えており、現在の橋はそのアーチ形を引き継いだもののようです。

 

 道理で、昭和初期の森林鉄道の橋梁というにはあんまり古さが感じられない筈でした。
 そういえば、昨日「さとう」の女将さんに聞いた話のなかで、昭和43年に寸又峡を舞台にした金嬉老事件というのがあって全国的に報道されたため、それまでは無名の秘境であった寸又峡が有名になって、観光地として大々的に宣伝し廃線跡も観光用車道に転用して車やバスも走っていた時期があった、という内容が印象的でした。

 いまでは一般車両の通行が禁止されている寸又峡プロムナードコースですが、かつてはバスも走っていた時期があったわけです。飛龍橋の下には寸又峡キャンプ場や展望台のある公園もあったそうで、昭和60年代まではそれなりに賑わっていたのだそうです。  (続く)

 

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無限軌道杯第2試合における知波単学園とサンダース大付属高校の負け方

2021年07月18日 | ガールズ&パンツァー

 無限軌道杯の第2試合において、知波単学園は大洗女子学園と初の対戦にのぞみ、あんこうチームを仕留めることを目標とした作戦を果敢に展開し、執念の追撃にて見事に仕留めたものの、カメさんチームの奇襲をくらって敗退しています。

 

 一方、サンダース大付属高校は継続高校と対戦し、継続高校の兵力の大半を占める軽戦車T-26の縦横にわたる機動戦をものともせずに次々に撃破、フラッグ車のBT-42のみが単独行動となるまでに追い詰めてこれを全車で包みこんで捕捉しようとした際に、ヨウコの思わぬ狙撃で一気にひっくり返されて敗退しました。

 こうしてみると、この2チームは負け方が良く似ています。敵の中心車輌もしくはフラッグ車を追い詰めてやっつけることに熱中するあまり、冷静に敵の残存車輌数を把握していないところがソックリです。なので、いずれも残った伏兵にフラッグ車を撃たれて終わってしまうというパターンも同じです。

 もしかして、この両チームは負け方だけでなく勝ち方のパターンも共通している・・・のか?

 

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ゆるキャン△の聖地を行く19 その28  飛龍橋へ

2021年07月17日 | ゆるキャン△

 寸又峡の夢の吊橋からの急な三百四段の登り坂は、とにかく長いので、次第に足が痺れて息も荒くなってきました。途中で何度か立ち止まって休みましたが、三度目の小休止の際にふと振り返ってみたら、真下に夢の吊橋が見えました。

 同時にこの景色に既視感を覚えたので、後で確かめて原作コミック第11巻125ページ4コマ目のアングルだと分かりました。土岐綾乃がひいひい言いながら登っているシーンでした。

 

 少し戻って、夢の吊橋がよく見える位置に行きました。うわー、こんなに高低差があるのか・・・。70メートルだとか聞きましたが、もっとありそうに思えました。

 

 デジカメの望遠モードで撮影。人影は見えませんでした。それでこの時間帯は私だけが吊橋を渡って、急坂を登っているのかなと思いました。

 

 いったいどこまで続くんだ・・・。三百四段あるのかと数えていたのが、途中でくたびれて頭が回らなくなり、何段あるのかが分からなくなりました。

 

 くろう坂ですか・・・。本当に苦労してるんですから、そのまんまのネーミングはやめて欲しい・・・。もっと励ますような、元気を出せるような名前にしてほしかった・・・。

 

 いつしか階段が、ゆるやかな登り道になりました。おお、ゴールが近い・・、近いのか・・・?

 

 まだ階段があるじゃないですか・・・。ここで休んで下さい、と言わんばかりのベンチ。原作コミック第11巻125ページ5コマ目のアングルです。土岐綾乃がぜぇぜぇ言いながら登っているシーンでした。

 

 「やれやれどころ」ですか・・・。やれやれどころか、艱難辛苦どころですよ・・・。

 

 階段を登りきると道標がありました。どうやら寸又峡プロムナードコースに着いたようでした。左に進んで飛龍橋まで350メートルです。右の尾崎坂展望台には行きませんでした。

 

 付近にあった地蔵尊とみられる素彫りの木造の祠。円空仏みたいな雰囲気でした。

 

 道の合流地点にもベンチがありました。原作コミック第11巻125ページ6コマ目のアングルです。このベンチに土岐綾乃が腰かけてひと息ついていました。

 

 ふたたび寸又峡プロムナードコースを進みました。道幅はいかにも森林鉄道の軌道のそれで、廃線跡の雰囲気が色濃くただよっていました。

 

 間もなく、前方左手に鉄橋の一部が見えてきました。あれが飛龍橋ですな・・・。  (続く)

 

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