気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く38 その5 「ざる蕎麦と鯛めしです!!」

2022年06月30日 | 大洗巡礼記

 アウトレット施設を辞して、この日の宿に向かう途中で、上図の園みどり子パネルのある「大進」さんに立ち寄りました。この日の宿は朝食のみで予約していたため、チェックイン前に夕食をとることにしたわけでした。

 

 早速、パネルを撮影するホシノ。いつものアクション、いつもの撮影モードで、ガルパン巡礼ならばでのガルパンパネル撮影を行なってガルパンへの「敬意」を表しておくのです。 (上図はTさん撮影)

 

 続いて撮影した、このお店の娘さんのガルパンイラスト。何度見ても素晴らしい出来ですが、この日の画題は長谷川タツでした。その右腕が異様なほどに細長いのがちょっと気になりました。左腕に抱えてるのは、もしかしてカモさんチームのカモ・・・?・・・まさか、カモ鍋の材料確保のポーズではありませんよね・・・?

 

 この日の夕食は、ともにざる蕎麦をいただきました。Tさんは湯豆腐もチョイスしていたようです。 (上図はTさん撮影)

 

 このとき自身が撮影したざる蕎麦。大洗でざる蕎麦をいただいたお店は6ヶ所ありますが、ここのお店が最も回数が多いです。やっぱり立地が良いからですね。聖地メインの商店街の真ん中にありますから、「大進」さんに入らないガルパンファンはあまりいないと思います。

 

 夕食後、この日の宿「さかなや隠居」に入りました。私は十何回目になりますが、Tさんは初めてでしたので楽しみにしていたそうです。部屋は、私も初めて入る円形窓付きの部屋でした。持参した京菓子をつまみつつ、Tさんと色々語り合いました。

 Tさんとは20の年齢差がありましたが、私自身は大学の教職員ですから、ふだん学生連中を相手にしていて若い方との雑談に慣れています。むしろTさんの方が緊張気味でしたが、次第に慣れて、大学教授と学生の会話のような状態が深夜まで続きました。

 

 翌朝はいつもの時間より早めに起床し、ゆうべ行けなかった浴場へ行って朝風呂としゃれこみました。それから朝食までしばらく部屋にて雑談をして過ごし、案内の電話をいただいて一階の食堂に降りて上図の朝食膳の席につきました。

 

 いつもは一人で泊まっていますが、たまにガルパン仲間と泊まると、朝食は鯛飯になります。というか、二人以上で泊まると鯛飯になるのです。上図のように女将さんが配膳に出てこられ、若女将が鯛飯をセッティングして下さいました。 (上図はTさん撮影)

 ちなみにこの画像を、後日に帝国海軍特二式内火艇カミの艇長だった知人に見せたら、「ああ、星野大佐に一段と近づかれましたな」と感慨深げに笑っておられました。祖父に似ている、そっくりだ、と昔からよく言われますが、最近は年齢も外見も近くなっていますから、余計に似てゆくのでしょう。

 

 実に美味しい鯛飯でした。Tさんがバリバリ食べていましたが、よほど美味しかったんでしょう。やっぱり大洗の朝食は「さかなや隠居」のコレですな。

 

 部屋に戻り、10時ぐらいまでゆっくり過ごしていました。部屋の窓からは、マリンタワーも見えました。上図左手の茶色の建物も「さかなや隠居」の一部で、その最上階に浴場があります。そこからもマリンタワーは見えますが、今回の部屋は初めての部屋でしたから、このマリンタワーの見える景色もまた初めてでした。  (続く)

 

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伯爵高校 Ⅲ号突撃砲G型(4号車)(樅の木と鉄の羽の魔女版) 作ります!! その4

2022年06月29日 | ガルパン模型制作記

 ステップ12ではスモークディスチャージャーとノテックライトを組み立てますが、作中車はスモークディスチャージャーを装備していませんので、ノテックライトだけを組み立てます。
 ステップ13では天板の取り付けなどを行ないます。切り取り指示がある三ヶ所のピルツのうち、前の1個は作中車にあるように見えますので切り取らずに残します。

 

 御覧の通り、作中車はスモークディスチャージャー未装備です。

 

 それで、ノテックライトだけを組みます。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ13に進みました。

 

 組み上がりました。切り取り指示がある三ヶ所のピルツのうち、前の1個だけを切り取らずに残しました。

 

 ステップ14およびステップ15にて、キューポラ、車外装備品などを組み立てます。全てガイドの指示通りに進めますが、車外装備品や予備ホイールは塗装後の取り付けとし、左右フェンダー上のワイヤーは作中車に形を合わせます。

 

 ステップ14で組み立てるパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ15で組み立てるパーツ類です。

 

 組み上がりました。左右フェンダー上のワイヤーも作中車に合わせました。ワイヤーや車外装備品や予備ホイールは塗装後の取り付けとします。  (続く)

 

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紫野大徳寺9 瑞峯院の閑眠庭

2022年06月28日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大徳寺塔頭の瑞峯院の本堂(方丈)内陣です。中央の襖が開かれた奥に開祖の徹岫宗九(てつしゅうそうきゅう)の木像を祀っていますが、暗くてよく見えませんでした。襖絵は、江戸期までは狩野元信や土佐光信の筆になるものが残されていましたが、残念ながら明治期の廃仏毀釈の頃に売却されて流出しました。現在は日本画家の野添平米(のぞえ へいべい)の襖絵がはめこまれています。

 

 本堂(方丈)前縁より折玄関部を見ました。外観や雰囲気が興臨院の折玄関部によく似ていますが、こちらのほうは客待の花頭窓が無いので地味に見えます。ですが、前後とも唐破風を造っていますから、贅沢さはこちらが上です。

 

 本堂の前縁にてしばらく座ってまったりしました。

 

 本堂裏手、北側の石庭「閑眠庭」です。作庭家の重森三玲(しげもり みれい)の設計、造営であるそうです。こちらでは古い時期の庭園は残っていなかったのでしょうか。

 

 中庭です。本堂の東側にあり、庫裏書院との間に細長い空間があって、北の「閑眠庭」から続いて一つの庭園になっています。個人的には上図左のいわくありげな礎石が気になりましたが、寺の受付で訊ねても分からないとの事でした。

 

 茶室の安勝軒は非公開でした。

 

 中庭にある、キリシタン灯籠と呼ばれる変わった形状の灯籠です。開基の大友義鎮(宗麟)ゆかりの品と寺では伝えているようですが、真偽のほどは定かではありません。大友義鎮がこの寺に関与したことは、寺号が彼の法号「瑞峯院殿瑞峰宗麟居士」より命名されている点に明らかです。

 

 この中庭を、U氏が気に入っていて、ウチにもこういう庭あったらな、と三度ほど繰り返していました。

 

「おい星野、あそこにも釣瓶の野井戸があるぞ」
「ああ、あるな。覆い屋をかけてあるね。玄関廊の横だから来客の足水とかに使ったのかもな」
「あ、なるほどね・・・、足水か・・・」

 

 玄関廊に戻って本堂を振り返りました。

 

 いい雰囲気の方丈でした。U氏が受付で貰ったパンフレットを再読し、「これの建立年次が天文四年(1535)になってるけど、なんか確証あるのかな」と訊いてくるので、受付でそのことも訊いてみましたが、受付の初老の男性は「分かりません」の一点張りでした。瑞峯院の関係者ではないのかもしれません。

 

 表門まで引き返し、内側からその綺麗な建築の姿をしばらく眺めた後、門外へ出ました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)サンダース大学付属高校 M4A1シャーマン76mm砲搭載型(テレビ版仕様)

2022年06月27日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  ドラゴン (商品コードDR6083

  制作期間   2017年12月2日~12月20日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 その7 完成です!!

  総評・備考
 サンダース大付属高校チームは3種類のシャーマン戦車を運用しているが、アリサが搭乗するM4A1は車体を全て鋳造とする唯一のタイプである。主砲は75ミリと76ミリとに分けられるが、劇中車は後者に該当して攻撃力が大きい。防御性も鋳造車体ゆえの避弾経始効果により優れており、劇中でも何度か打たれ強さをみせている。
 その1/35スケールキットはシャーマンシリーズの中では稀少に属するものの、公式キットがイタレリ製品(下のキット一覧の1)とアスカモデル製品(下のキット一覧の2)の二種類発売されており、いずれも適応キットの採用によっている。今回はテレビ仕様にて製作したが、劇場版と異なって細部の追加パーツは無いものの、それでも劇中車に仕上げるには各所の小改造が必要となる。簡単な作業ばかりではないので、難度はやや高めと言えよう。ケイの無印M4をタミヤ製品やファインモールド発の公式キットで作って練習するなどして、ある程度シャーマン戦車の知識を得たうえでチャレンジすることをおすすめしたい。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く38 その4 「SHOWCASE大洗です!!」

2022年06月26日 | 大洗巡礼記

 SHOWCASE大洗見物の続きです。こちらは我らが黒森峰女学園、我らが西住まほ、逸見エリカのフィギュア類コレクションです。市販のフィギュア類は優品をメインにまとめられているようで、所蔵主はおそらく黒森峰女学園のスタンダードが大変によく分かっていらっしゃる方であろう、と思います。いわゆるプライズ系の安物フィギュアが殆ど見当たらない、というのがポイントでした。

 

 おお、懐かしいポスターですね・・・。ガルパンブーム黎明期に雑誌などに出ていたキービジュアルのひとつだったと思いますが・・・、あれ?・・・なんか違いますな・・・。最終章・・・?

 

 少女&戦車・・・、なるほど、台湾での上映時のグッズ類ですか。所蔵主が台湾の方なのか、それとも日本から台湾へ行って上映を観て特典品類をゲットしてきたか、のいずれかでしょう。

 

 ああ、聖グロリアーナ女学園のクロムウェル・・・。フミカネ氏の原案にあったアールグレイの搭乗車ですな。最近はコミック版のひとつ「プラウダ戦記」にも登場していますので、今年の2月にプラウダ戦記仕様にて製作しましたが、上図の作品は模型雑誌記事上で紹介されていた作例を参考にしたのか、プラウダ戦記仕様とは異なる外観になっていました。これによってプラウダ戦記仕様の特徴が再認識出来るのは、楽しいことでした。

 私のガルパン車輌プラモデル製作は、アニメ本編だけでなくコミック版にも対象車輌を広く求めており、ここ数年は「リボンの武者」に登場する多数の軽戦車群に注力していましたが、ある程度の再現製作数をこなせたため、今年からは「プラウダ戦記」の作中車にも対象を定めています。
 「プラウダ戦記」オリジナルの車輌は全部で6輌みられますが、そのうちの1輌、新潟ビゲン高校のStrv/m42を除いて、5輌は適応キットがあります。今回の大洗行きまでに4輌を既に作りました。そのうちの1輌がクロムウェルでした。

 

 我らが黒森峰女学園のコーナーは他にもありました。前回も見たような気がしますが、とにかく黒森峰女学園のコレクションが色々とあるのは喜ばしい事です。これで最終章、無限軌道杯の優勝旗は貰ったも同然ですな・・・。

 

 ガルパンギャラリーにはまた立ち寄る予定がありましたから、今回は残り少ない時間でサッサと見て回るにとどめました。

 

 初期の広い空間には及びませんが、今までの窮屈なスペースに比べると劇的に改善されている、現在のガルパンギャラリーです。営業環境が安定せずにあちこち移転して仮店舗での営業時期もあった頃を知っていますから、ようやく落ち着いたかな、といった感じです。

 

 あれ、これは確か最終章シリーズの劇場公開日までのカウントダウンイラストですね。ここに展示してあるということは、公式スタッフの誰かの描画だった、ということでしょうか。もしかして、段ボール板に描かれている・・・?

 

 ギャラリーの入口にあるパネルです。いまは無きアウトレット施設の北端の建物、かつてのまいわい市場の建物が描かれていますので、ある意味貴重です。この位置に現在はドラッグ店舗のカワチが建っています。

 

 外へ出て、駐車場の脇にある宝くじ販売所のテント内のあの自販機があるか確かめに行きました。同道のTさんは「何を見に行くのだろう」と思ったようです。当然、このグッドスマイルカンパニーのねんどろいどぷち自販機も初めて見たそうです。それで簡単に説明しておきましたが、自販機そのものは既に稼働していないようで、閉鎖状態になっていました。 (続く)

 

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伯爵高校 Ⅲ号突撃砲G型(4号車)(樅の木と鉄の羽の魔女版) 作ります!! その3

2022年06月25日 | ガルパン模型制作記

 ステップ7では点検ハッチなどを組み立てます。ステップ8ではエンジン吸気グリルなどを組み立てます。全てガイド図の指示通りに進めます。

 

 ステップ7の組み立て前のパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ8の組み立て前のパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ9では防盾や砲身の基部を組み立てます。

 

 海外メーカーのキットではこの範囲は細かくパーツ割されていて組み立てにも手間がかかりますが、タミヤ製品では極力簡素化が図られて組み立て易さを優先しているようで、子供でも難なく組み立てられます。

 

 組み上がりました。ここまでで、ちょうど一時間が経過しました。

 

 ステップ10で砲身を組み立てて取り付けます。ステップ11で車体上部を取り付けます。ガイド図の通りに進めます。

 

 ステップ10の組み立て前の状況です。

 

 組み上がりました。

 

 車体に仮組みしてチェックしました。問題は全くありませんでした。

 

 車体上部を組み合わせてステップ11の工程を完了しました。次のステップ12から、ガルパン仕様への工作が幾つか加わります。  (続く)

 

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紫野大徳寺8 瑞峯院の表門と玄関と方丈

2022年06月24日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 興臨院を辞して、南隣の瑞峯院に行きました。ここは常時拝観可能な塔頭のひとつですが、U氏も私も大徳寺参拝は今回が初めてでしたから、山内のどこへ行っても入っても、全てが初めて見る物ばかりでした。

 

 表門です。瑞峯院は、「黄梅院文書」によれば北隣の興臨院の地を天文二十一年(1552)に分割して創建されたことが知られますので、現存の主要建築は天文二十一年以降に建てられたものと考えられます。表門も同じで、本堂(方丈)とともに国の重要文化財に指定されています。

 

 U氏が表門の細部を観察しつつ、「室町期の建築はどれも優美でいいなあ、よくぞ今日まで残ってくれたもんだねえ」と感心していましたが、私が「この部材とこの部分、軒廻りと小屋組は戦前の修理でたぶんいじってるよ、茅負は交換してあるね、妻飾りも大体交換しちゃってるのと違うか」とそれぞれを指して教えると、ガッカリした表情になってしばらく沈黙していました。

 後日、この表門の資料を探して読んでみたら、見立て通りに軒廻りと小屋組、野地は昭和六年に修理を受けており、茅負と妻飾りは新材に取り替えた旨が記録されていました。その状態で昭和四十七年から屋根の葺き替え工事を実施したとのことでした。だから現在も屋根が割合に綺麗に見えるわけでした。

 

 表門から中に進んで本堂(方丈)の折玄関口に進みました。こちらも興臨院の玄関とよく似た外観ですが、建築年代が近いからでしょう。この玄関も、本堂(方丈)とともに国の重要文化財に指定されています。

 

 こちらでもU氏が細部を観察していましたが、そのうちに「もしかして、これ、この玄関の部材も修理とか受けて交換したりしてる?」と訊いてきました。それで私もじっと観察して「これは修理は受けてるけど、解体修理も受けたみたいで表面処理が丁寧に仕上げてある。たぶん、創建時の状態に戻してあるんじゃないかな」と答えました。
 するとU氏は「そうか、創建当時の姿なわけか」と急にテンションが上がって、柱の干割れのヒビや修理時の継ぎ目などをルーペで観察したりしていました。

 

 装飾意匠の細部もさきに見た興臨院の玄関建築とよく似ています。が、こちらは上図の大瓶束(たいへいづか}の下部にフクロウの顔のような装飾が施してあるなど、やや建立時期が下がる頃の特徴が見られます。一説にてこの瑞峯院の本堂および玄関の建立時期を弘治年間(1555~1558)とするのも、こうした建築細部の特徴をとらえての見解かもしれません。

 

 玄関の柱礎盤付きの礎石です。丁寧に彫り込まれて柱を支えています。

 

 玄関の扉板です。地方の有力寺院ではこうした扉を一枚板で造るケースが散見されますが、大徳寺のような京洛の禅寺においては建具を細かく組み合わせてなるべく軽くする傾向がありましたから、このような薄い板を並べて貼りつけて扉板を造っています。

 

 折玄関の後ろにもみごとな唐破風が施されます。いわゆる前後唐破風造ですが、さきに見た興臨寺の唐破風と切妻の組み合わせよりは格式が上で贅沢に造られます。
 瑞峯院は徹岫宗九(てつしゅうそうきゅう 大徳寺第九十一世住持)を開祖とし、豊後の大友義鎮(宗麟)を開基としますが、徹岫宗九は興臨院開祖の小渓紹怤(しょうけいじょうふ)の法嗣にあたりますので、師匠よりも立派な寺を建てているわけです。

 

 本堂の前庭の「独坐庭」です。

 

 本堂(方丈)の前縁です。さきに見た龍源院の本堂(方丈)と同型式の六室構成をもちます。室町期禅宗方丈の典型的な平面を伝える遺構として貴重であり、国の重要文化財に指定されています。

 

 本堂正面上方に掛かる寺号額です。後奈良天皇の宸翰であるそうです。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)サンダース大学付属高校 M151 MUTT

2022年06月23日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.130 (商品コード35130)

  制作期間   2016年10月6日~10月9日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 完成です!!

  総評・備考
 M151 MUTT(マット)は、戦後にアメリカ陸軍および海兵隊が運用したフォード製の1/4トン積の小型軍用車両である。「ケネディジープ」の愛称で親しまれたが、正式な「ジープ」であるウイリス製M38の系列とは別車種である。ガルパンではサンダース大学付属高校チームのケイ達が試合観戦時の移動用車輌として使用しており、テレビシリーズの第10話に登場する。
 M151は製造年次によって幾つかのバリエーションがあるが、劇中車は1970年代に製造されたM151A2に該当し、フロントフェンダー前端の形状や前後の大型のターンシグナルランプなどが識別点として挙げられる。脇役の車輌であるために公式キットは出ておらず、適応キットはタミヤやアカデミーから数種類が発売されるが、アカデミー製品は入手困難なために下のキット一覧には載せていない。タミヤ製品の違いは装備品の有無だけなので、お好みで選んで劇中車に外観を合わせてゆけば事足りる。組み立て易く、改造も殆ど不要なので、初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つとされる。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く38 その3 「ザザコーヒーです!!」

2022年06月22日 | 大洗巡礼記

 曲松カノウヤにて、今回同道する岩手のTさんと合流、カノウヤのカツサンドを昼食にいただきながらしばらく話をしました。Tさんとは、彼のガルパンプラモデルが契機となって最近に交流が始まり、私から不要のプラモデル群を送ったり、岩手県南部の各観光地のパンフや観光資料や地図類などを送ってもらったりしました。その流れで大洗へ行こうと持ちかけ、実現に至ったものです。

 そのTさんが、大洗へ行ったら必ず立ち寄りたいと話していた場所が、上図のザザコーヒーさんでした。有名な「マリーのモンブラン」を食べてみたいとの事でした。

 

 ザザコーヒーには17時40分頃に入りました。「マリーのモンブラン」は予約制で予約日の19時までに来店し食べないといけないからです。私も前回12月の訪問時に予約していただきました。

 

 ザザコーヒーさんの店内に入ってすぐ右側の陳列棚は、御覧のようにガルパンコーナーになっています。前回の訪問時にはこれに全く気付きませんでした。棚の最上段にアクリルフィギュアや缶バッジなどのグッズ類が並び、二段目には戦車の模型もありました。ですが、あるべき戦車、ルノーFT-17が無いのは残念でした。

 

 おお・・われらが黒森峰のコーヒー製品ですな。普段の生活でも嗜好品はコーヒーなので、職場でも家でも飲みます。一日に最低2回は飲みます。それでこの種の品は買う機会も少なくありませんが、こちらはガルパンの品です。帰りに買おうと思いましたが、荷物になりそうでちょっと迷いました。店の方に訊ねたところ、通販対応もしているとの事でしたので、後日の通販購入にて確保することにしました。

 

 この日はTさんが「マリーのモンブラン」、私が「メロンショートケーキ」をいただきました。(上図はTさん撮影)

 

 同じタイミングで私が撮影した、「メロンショートケーキ」とコーヒー。「マリーのモンブラン」は前回いただいたので、今回はお店のオススメメニューをチョイスした次第です。

 

 ザザコーヒーさんの次は、同じアウトレット内にあるSHOWCASE大洗に行きました。Tさんは大洗へは今回が三度目だそうで、SHOWCASE大洗も今回が初めてだということでした。今回の同道コースは基本的にTさんの希望に合わせていましたから、初めて行くという場所には大体立ち寄っていました。

 

 SHOWCASE大洗には前回初めて入りましたが、それから半年が経っているためか、展示品の大半は入れ替わっていました。上図の1/700スケール艦船模型は、私自身もガルパンに出会う以前は艦船模型専門でしたから、見ていて実に楽しいものでした。
 現在は大部分の艦艇キットがリニューアルまたは新製品となっていて精度も向上しており、それ以前のキットを楽しんでいた身からすると「最近のフネはどれもこれも精密化、細密化が進んでリアルになっているな・・・」と隔世の感を禁じ得ないものがありました。

 ですが、私自身の模型サークルでの所属部会は今も昔もずっと艦船部会です。ここ数年ずっとガルパン車輌ばかりに集中していますが、AFV部会には所属しないまま交流と情報交換を重ねています。「陸にあがった海軍」と揶揄される通り、600隻に及ぶ作品も、それらを「建造」した自製の「造船ドック」もツール類も、変わらず手元にあります。まだ作っていない艦船キットも大量に仕舞ったままです。夢よいつかは再び、となるかもしれません。

 

 艦船模型でテンションが上がりましたが、その隣のケースのゆるキャンコーナーでさらにハイテンションになりました。しかも身延山の武州屋さんオリジナルの身延山ゆるキャンステッカーの現在のラインナップが揃っているので嬉しくなりました。
 ええと、各務原なでしこ、志摩リン、犬山あおい、鳥羽美波先生は私も買って部屋に飾っているので・・・。

 

 この大垣千明と各務原桜さんが新製品として出た訳ですね・・・。ゆるキャン聖地巡礼へはいずれ行くので、この2種も買いに行かねば・・・、いや待て、斉藤恵那と土岐綾乃がまだ出てないな・・・、この2種も出てからまとめて買いに行こうかな・・・、と考えを巡らせたことでした。  (続く)

 

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伯爵高校 Ⅲ号突撃砲G型(4号車)(樅の木と鉄の羽の魔女版) 作ります!! その2

2022年06月21日 | ガルパン模型制作記

 ステップ2では上部転輪などを組み付けます。ガイドの指示通りに進めます。

 

 組み立てるパーツ類です。上部転輪だけは塗装後に取り付けますので、ここではランナーに付いたまま組み立てて別に保管します。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ3ではマフラーなどを組み立てて、ステップ4ではホイールを組み立てます。全てガイドの指示通りに進めます。

 

 ステップ3で組み立てるパーツ類です。

 

 組み上がりました。

 

 ステップ4で組み立てるホイール類です。

 

 組み上がりました。ここまでで30分ほどですから、思ったよりもスムーズに進んでいました。

 

 ステップ5ではホイールを車体にセットしますが、私の製作では塗装後に取り付けますので、ホイールは保管したままで次へ移ります。
 ステップ6ではベンチレーターなどを組み立てます。ここからガルパン仕様に合わせての組み立てになります。

 

 ステップ6にて取り付ける予備履帯のA26、A27は、作中車には見えませんので不要となります。

 

 したがって、組み付けるのは中央の丸いベンチレーターカバーD8、左右のアンテナ基部D23、D24の3点です。

 

 取り付け位置を上図の治具B48にてトレースして決めます。鉛筆で軽くなぞりました。

 

 取り付けました。ここまでで42分経過、かなり早いペースで進んでいました。  (続く)

 

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紫野大徳寺7 興臨院の方丈と茶室

2022年06月20日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大徳寺塔頭の興臨院の続きです。折玄関廊より本堂の方丈を見ました。室町後期の典型的な方丈建築の様相をよく伝えています。昭和五十年(1975)より三年間の解体復元修理を受けて、玄関、表門とともに創建時の姿を取り戻しました。いずれも国の重要文化財に指定されています。

 寺伝では天文二年(1533)頃の創建としていますが、修理前の発掘調査にて本堂のほぼ全ての礎石が火災に遭ったことが確認されており、創建直後に本堂が焼けて、その後すぐに再建されたのが現存の建物であることが判明しました。その最初の桧皮屋根の葺き替え工事が天正九年(1581)に行われた記録があるので、当時の檜皮葺屋根の葺き替えが約二十年毎であったことを考え合わせると、その二十年ほど前の永禄年間(1558~1570)には既に現存建物が存在していたものと推測出来ます。

 

 「龍寶山大徳寺誌」の「龍寶塔頭位次」という史料には、現存本堂の内部に江戸期まであった障壁画に関して作者が「古法眼」と記されます。古法眼とは狩野派二代目の狩野元信の通称ですが、彼は永禄二年(1559)に亡くなっていますので、本堂の障壁画が描かれたのはその前と分かります。したがって本堂そのものも、その前に建てられていたことがわかります。

 

 さらに本堂正面上方に掲げてある上図の寺号額にも本堂建築の建立時期を示唆するヒントがあります。額の右端に「為日本国天啓和尚」と記されていますが、天啓和尚とは大徳寺第九十四世住持の天啓宗歅(てんけいそういん)で、興臨院の開祖の小渓紹怤(しょうけいじょうふ 大徳寺第八十六世住持)の法嗣にあたります。
 その天啓和尚への為書(ためがき)が額に記されているので、天啓和尚の在世時に額が掛けられたことが分かります。天啓宗歅は天文二十年(1551)に亡くなっていますから、この額が本堂に掛けられたのはそれよりも前となります。額は本堂の完成直後に掛けられるものですから、現存の本堂の竣工時期も天文二十年(1551)より前であることが確定します。

 以上の事柄をまとめると、興臨院の現在の本堂は、天文二年(1533)頃に創建された最初の本堂が火災で失われた後に規模を同じくして再建され、天文二十年(1551)には存在していた事が分かります。大徳寺の史料のひとつ江戸期の「龍寶摘撮」にて、開基の畠山義総(はたけやまよしふさ)の創建堂が焼けた後に天文年間に畠山義総の孫の畠山義綱(はたけやまよしつな)が建立したとの記載があるのと一致します。つまり、現在の本堂は畠山義綱(はたけやまよしつな)の建立した建物であるわけです。

 

 本堂の前庭も、本堂と同時期のもので、修理復元工事によって往時の姿をよみがえらせています。寺の古文献にもとづいて復元されていますが、景石の大半はそのまま使用されているそうです。天文二十年(1551)当時にこのような姿であったかは分かりませんが、石のレイアウト自体は変わっていないようです。

 天文二十年といえば、その三月には三好長慶(みよしながよし)暗殺未遂事件があり、七月には相国寺合戦で三好長慶軍が細川晴元軍を撃破し、九月には周防の大内義隆(おおうちよしたか)が陶晴賢(すえはるかた)の謀反により自刃するなどの出来事があり、十月にはイエスズ会の宣教師フランシスコ・ザビエルが日本を離れインドへ帰っています。戦国争乱の戦雲が色濃くたなびいてきた頃ですが、この年に尾張では織田信長の父の織田信秀が病死しています。
 そんな物騒な情勢のもとで、このような庭園を丁寧に造営していたのですから、戦国期においても大徳寺山内は平和であったということでしょうか。

 

 U氏が特に熱心に観察していた、本堂正面中央の双折桟唐戸(ならびおりさんからど)の外扉板です。御覧のように唐草の透かし彫りが斜め格子にちりばめられて一種の美麗さを醸し出しています。室町期の建築装飾意匠の全盛期の遺品に比べるとやや粗っぽさが感じられますが、それも戦国争乱期の殺伐とした空気を反映しているのでしょう。

 

 扉に貼ってあった説明文です。本堂の再建時期を天文二年(1533)頃としており、創建の堂が火災で焼けた後にすぐ再建したとする従来の認識のままになっています。京都に限らず、古社寺の遺構の説明文には、こうした古い認識や学説のままの内容が多いので、そのまま鵜呑みにしてしまうと、最新の研究成果や学術調査成果との隔たりが大きくなってきて、歴史への理解も歪んで正確さを失ってしまいます。注意が必要です。

 

 本堂前縁に立って、玄関廊のほうを見ました。U氏が「ただの廊下なのに贅沢に造ってあるよなあ」と感心していました。

 

 確かに贅沢な造りです。玄関からの通路空間の屋根は、当時は簡素な板葺が一般的であったらしいのですが、興臨院においては本堂と同じく檜皮葺とし、壁も漆喰の白亜塗りとしています。床面も四半瓦敷きで仕上げて水はけ効果を高めてあります。戦国争乱の時期の建物ですが、室町幕府全盛期の平和な時期の建物のような雰囲気です。

 

 本堂の西側に回りました。U氏が「能登守護職修理大夫参るうぅぅぅ」と妙な節で低く唸り、なぜか軒下の疎垂木(まばらたるき)を指さして、「エヘヘヘ」と不気味に笑うのでした。能登守護職修理大夫、とは現本堂を建立した畠山義綱(はたけやまよしつな)の公称なので、なりきっていたのでしょう。はたから見ると奇人変人の類です。

 

 ここでも紅葉が見事でした。

 

 本堂背面を庫裏へと回りました。御覧のように背面東側の一部が北縁に突き出ています。手前の開け放たれた障子口から中をのぞいて、方丈建築の空間の一部「眠蔵(めんぞう)」であることを確かめました。U氏が「メンゾウって、納戸のことかね」と思い出しながら言ったので、大きく頷いておきました。納戸や後室の空間を北に拡げる手法は、室町後期から戦国期の建築によくみられます。

 

 庫裏の北側に隣接する茶室の「涵虚亭(かんきょてい)」です。昭和三年(1928)に実業家の山口玄洞が寄進建立したものですが、基本設計には古田織部こと古田織部助重照(ふるたおりべのすけしげなり)の「織部好み」とされる意匠表現が織り込まれているそうです。

 

 「涵虚亭(かんきょてい)」は庫裏から通廊でつながっていて参拝順路に含まれるので、内部を見ることが出来ます。昭和の建築で文化財指定を受けていないせいもあるのでしょうが、大徳寺山内の塔頭にて茶室までが公開されている所はあまりないので、ある意味必見の見どころかもしれません。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)サンダース大学付属高校 シャーマン・ファイアフライ(劇場版仕様)

2022年06月19日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  アスカモデル (商品コード35-009

  制作期間   2016年8月19日~8月30日

  製作記事   その1 その2 その3 その4 その5 その6 完成です!!

  総評・備考
 シャーマン・ファイアフライは、第二次大戦中にイギリス軍が国産の17ポンド(76.2ミリ)対戦車砲をアメリカ製のM4シャーマンに搭載して運用した巡航戦車であるが、ガルパンにおいてはアメリカ戦車の括りにてサンダース大付属高校チームの所属車輌として登場する。ガルパンでも屈指のスナイパーであるナオミの搭乗車であり、存在感も大きく人気も高い。
 劇中車はテレビ版仕様と劇場版仕様とに分かれ、車体寸法からみて前者は実際のICタイプに、後者はVCタイプに該当するが、外観はともに溶接車体のVCタイプの様相にまとめられて車外装備品などに若干の変更がある。公式キット(下のキット一覧の1から3)は劇場版仕様のVCタイプで、元キットはアスカモデル製品(下のキット一覧の5)である。組み立て易く、劇中車への改造も大半は簡単な作業で済むが、劇中車特有のハウスポートブラケットのアーム部のパーツは市販のどのキットにも含まれないので、プラ板等での自作が必要となる。ガルパン仕様制作においては微妙に難度が高いほうに属するので、初心者クラスよりは中級者クラス向けのケースとして捉えるべきであろうか。

  公式および適応キット一覧(2022年4月現在) 黄帯が今回の使用キット  


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ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く38 その2 「晴天の大洗です!!」

2022年06月18日 | 大洗巡礼記

 大洗への移動で乗ったガルパン車輌の2号車の塗膜の剥がれ具合が、御覧の通りの目立ちようでした。悲しいことにダージリンの頭頂部も剥げ落ちていました。しかしそれでも一滴たりとも紅茶をこぼしたりしないのでしょう。

 

 大洗駅に着きましたが、なにか工事をやっているらしく、階段の下方で半分余りが閉鎖されていました。マリーと西絹代のパネルが並んでいたのは、最終章シリーズの無限軌道杯にて大洗に敗れたことによる罰ゲームだったりして・・・。

 

 改札を出ると、御覧のとおり無人でした。土曜日の昼前でこの閑散ぶりですか、大洗ガルパンの巡礼ムーブメントもやっぱり「最終章」に入っているのか・・・。

 

 大洗駅に着くたびに、ここの駅名標とあんこうチームパネルは必ず撮るのでした。

 

 今回の大洗では、最近に知り合った岩手のフォロワーのTさんと同道する予定でした。12時ぐらいに曲松のカノウヤにて合流しようと打ち合わせてありましたが、私が大洗駅に降り立ったのが12時前でした。町内巡回バス「海遊号」の運行時間には大きく外れており、どういうわけか客待ちタクシーが1台もターミナル内に見当たらなかったので、歩いていくしかありませんでした。

 それで、上図のマリンタワーが奥に見える道へ進み、商店街への最短ルートをとって歩きましたが、久しぶりに歩くルートでもあったので、なにか懐かしい気分にもなりました。

 

 この日は晴天で、気温もかなりの高さでしたが、終始海の方から風が吹いていたので、汗ばむまでにはなりませんでした。上図の道は大洗駅からほぼ一直線に商店街の若見屋交差点まで連絡するルートで、半分ほどは昔ながらの集落地域の中を通って旧水浜線の軌道跡の道も横切ったりします。

 

 駅から5分ほどで永町商店街に到達、上図のタグチさんの店先も横目に見て通り過ぎました。このあたりまで来ると何人かのガルパン巡礼らしき人影が認められました。模型展示会の参加者の一部が前日から大洗入りしていることを聞いていたので、その方々かなと思いました。

 

 通り町商店街で鳥孝に立ち寄って稲石さんに挨拶し、手土産品を渡してすぐに曲松地区へと移動しました。この範囲には全く人影を見ませんでしたから、大洗ガルパンの巡礼ムーブメントが特別なイベントの日以外は最低限になっているとの噂は、どうやら本当らしいな、と感じました。明日は2年ぶりの模型展示会が開催されますが、ガルパンのイベントとしてはマイナーなほうに属して模型ファン中心の同窓会みたいな規模だと聞いていましたから、千人、万人単位の大勢がやってくる、というのではなさそうでした。

 

 12時17分、曲松のカノウヤに着きました。かつての私たち有志のカノウヤ応援作戦の象徴であるガルパン一番くじフラッグはなお健在でした。思えばあのフラッグが、その後の三年余りにわたる紆余曲折と応援作戦の発端だったなあ、と懐かしく思い出しました。

 店内に進んで柴沼さんに挨拶して手土産を渡し、前回の訪問時からの御無沙汰を詫びた後、休憩席で待っていた岩手のフォロワーのTさんと対面し挨拶を交わしました。先方は水戸駅で一つ前の列車に乗ったので、私より15分ぐらい早く到着していたことになります。  (続く)

 

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伯爵高校 Ⅲ号突撃砲G型(4号車)(樅の木と鉄の羽の魔女版) 作ります!! その1

2022年06月17日 | ガルパン模型制作記

 私のガルパン車輌プラモデルの第118作目は、上図のガルパンコミック「樅の木と鉄の羽の魔女」の作中車にしました。ルーマニア軍テイストの伯爵高校チームの所属車輌です。以前にそのうちの2輌を製作しましたから、今回は3輌目にあたります。

 

 作中にてサンダース大付属高校チームと対戦試合を行なう伯爵高校チームの主力部隊のカットです。隊長の毬奈コンスタンティネスクが搭乗する1号車のⅣ号戦車G型以下、4種の戦車が描かれています。以前に制作した2輌とは、主人公小檜山野咲が乗る3号車のⅢ号戦車N型と、7号車の五十嵐瑞希先輩の38(t)戦車E型です。今回製作する3輌目は、上図左手前のⅢ号突撃砲G型です。これはチームの4号車にあたる由、以前の記事にて述べた通りです。

 

 ガルパンにおいては、アニメ本編の最終章シリーズ第3話に初めて登場した継続高校チームのスナイパー、ヨウコの搭乗車がⅢ号突撃砲G型であろうと推定されますが、まだ外観のシーンがありませんので、確定は第4話を待たねばなりません。それで現時点では、Ⅲ号突撃砲G型はコミック版の「フェイズエリカのこぼれ話」の黒森峰女学園チームのレンの搭乗車と伯爵高校チームの所属車の2例が挙げられる形になります。
 その伯爵高校チームの所属車のほうは、各アングルからの描写があって大体の特徴がおさえられます。上図のシーンではシュルツェンを装備していることが分かります。

 

 別のシーンにて、シュルツェンを装備したG型の初期型であることが分かります。むらかわみちおさんの描画は細かくて繊細かつ美麗なタッチが特徴で、メカニックは正確に細密に描かれることが代表作の宇宙戦艦ヤマトシリーズによって知られますが、戦車においても同様で細部まできちんと描かれます。これは非常に有り難いことです。

 

 Ⅲ号突撃砲G型の初期型の適応キットといえば、上図のタミヤの製品がド定番として挙げられます。ドラゴンからも色々出ていますが、組み立て易さではタミヤがダントツです。三年ぐらい前に中古ショップで安値で購入し、「フェイズエリカのこぼれ話」の黒森峰女学園チームのレンの搭乗車を作ろうととってあったのですが、計画を変更して伯爵高校チームの所属車に仕上げることになりました。

 

 中身です。さすがは安定のタミヤ、履帯もベルト式パーツで全くのストレスフリーな内容です。ストレートに作れば3時間ぐらいで仕上がりそうですが、私の製作はいつも亀の歩みに等しいので、数日は確実にかかります。

 

 説明書と組み立てガイド、塗装マーキングのガイドです。

 

 上図の「国防軍第237突撃砲旅団」の所属車の外観が、作中車のそれにもっとも近いので参考にします。

 

 ステップ1では、サスペンションアームを組み立てます。今回の車輌はガルパン仕様への改造がほぼ不要で、パーツの一部も不要となるので、組み立て工程そのものもほぼガイド通りになります。

 

 全てのパーツを切り出して、並べて準備し、一部のパーツを仮組みしてチェックします。安定のタミヤですから、仮組みチェックはあまり必要ないのですが、いつもの癖で、仮組みをやってしまいます。

 

 楽に組み上がりました。今回のⅢ号突撃砲G型から始めて伯爵高校チームの戦車を計3輌作る予定ですので、その組み立てスタートが楽であればあるほど、2輌目、3輌目の製作時の負担もそれだけ軽くなります。今回、Ⅲ号突撃砲G型から作り始めたのも、3輌の中で最も楽そうで、組み立て所要時間も短いだろう、と考えたからでした。  (続く)

 

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紫野大徳寺6 興臨院へ

2022年06月16日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 大徳寺塔頭特別公開の二ヶ所目、興臨院の門前に着きました。大仙院から引き返して中心伽藍の西を南へ進んで、右に曲がった突き当りに位置しています。御覧のように大きな立て看板が設置されていたので、分かり易かったです。

 

 表門です。U氏が「これまた優雅な、軽快にして繊細な門建築だな」と感動していました。一間一戸の平唐門で、檜皮葺とします。室町末期頃の本堂(方丈)と同時期の建立とみられ、国重要文化財に指定されています。

 

 表門の横の案内説明板です。例によって二度繰り返して読むU氏でした。この種の説明文はとにかく寺の歴史を古くに置きたがる傾向が強いので、公刊資料や文化財関連報告書類も読んで客観的な見解や中間考察類にも目を通しておくことが肝要です。私自身の研究経験からすると、この種の案内説明文の内容はおおむね戦前からの伝承類に重きがおかれているために、年次や由緒の類はそのまま鵜呑みには出来ないケースが多いです。U氏もそのことは心得ていて、参考程度に読んでいるそうです。

 

 表門を横から見ました。最低限度のカーブを綺麗に表した破風が美しいです。懸魚の唐草文様の透かし彫りも丁寧に施されており、中世戦国期の宮大工の技術の巧みさが随所に示されます。貫が長く突き出るので、豪壮さの要素も加味されていますが、こうした趣向は戦国期の建築に多いように思います。
 なので、寺では本堂とともに天文二年(1533)頃の建築としていますが、もう少し下げて永禄までの幅を見ておいたほうが良さそうに思います。

 

 表門をくぐって中に進みました。ここでも紅葉が見事でした。右手に庫裏、奥に方丈の玄関が見えました。

 

 庫裏は昭和五十年(1975)からの本堂、玄関、表門の解体復元修理に際して新たに建て直されたもので、規模も広げているそうです。特別公開期間の拝観窓口も庫裏にあって、庫裏から出入りしました。

 

 奥の玄関の前まで行きました。この日は本堂で茶道の催しがあったようで、茶道関係者のみがこの玄関から出入りしていたようです。その受付担当の和装の娘さんが玄関前に控えていましたが、我々が近づくと静かに一礼して庫裏側に退いて、見学の邪魔にならないようにしていました。我々も恭しく一礼して謝意を伝えました。

 

 檜皮葺の玄関口です。本堂(方丈)に付属する折玄関形式の出入口で、正統的な唐門の形式に造られます。正面は唐破風造、背面は切妻造となります。内部の客待(きゃくまち)と呼ばれる空間の花頭窓(かとうまど)が門口の奥に見えて折玄関の空間構成の妙を示しています。本堂の附けたりの建築として共に国の重要文化財に指定されています。

 

 細部に至るまで丁寧な造りこみがなされた門建築です。大徳寺山内でも屈指の優美な玄関で、解体修理によって創建時の姿に復元されていますが、こうした玄関建築は大徳寺山内でもここぐらいなので、必見の価値があります。
 U氏もこの玄関は念入りに見ていて、ずっと溜息をつきっ放しでした。古建築に興味があって京都の芸大でも論文のテーマによく取り上げていたU氏ですが、その情熱的な探究心ぶりは20年余りを経た現在でも変わっていませんでした。

 

 U氏が特に感心して双眼鏡でじっくり鑑賞していた蟇股の装飾彫刻。雲紋の中央に植物をあしらって深く彫りこんで浮き上がらせる手法で立体的に仕上げています。

 

 組物の木鼻(きばな)の雲紋装飾、小ぶりの斗拱(ときょう)の繊細な繰形(くりがた)、欄間のやや開き気味の波形連子(なみがたれんじ)の微妙な開放感、虹梁(こうりょう)下部隅の細やかな段差処理、いずれにも中世戦国期の建築意匠のこだわりの技巧が光ります。「素晴らしい・・・」を連発するU氏でした。

 

 玄関口から中を見ました。典型的な折玄関の形式で桁行は三間、梁行は一間を測ります。客待の壁面に花頭窓が設けられ、その内側に腰掛棚がしつらえてあります。客がここで住僧の案内を待ちながら花頭窓より庭園を鑑賞出来るようになっています。

 

 その花頭窓に近寄ってみました。御覧のとおり、本堂(方丈)と前庭の石庭が花頭窓を枠に見立てた一幅の絵画のように望まれます。禅刹の「静」にして「涼」の香りも潜ませた法境の世界観が凝縮されています。中世戦国期の人々が理想として描いていた「禅」の心の具象化、とも言えましょうか。  (続く)

 

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