気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

伏見城の面影29 泉涌寺法音院書院

2024年10月31日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 泉涌寺総門をくぐって100メートルほど進むと、右手に上図の塔頭の門が見えました。左脇の寺号碑に「法音院」と刻まれています。U氏が「ここだな」と言って門前に立ち止まり、右脇の説明板に視線を移しました。

 

 説明板です。一読してU氏は「うむ」と満足げに呟き、再度読み始めました。御覧のように「寛文五年幕府及び本多正貫・同夫人の支援を得」とあり、「書院は伏見桃山城の遺構の一部である」と明記されています。

 本多豊前守正貫は、徳川家康の参謀であった本多正信の一族で、正信の弟の正重の養子となって下総舟戸藩を継いだ人です。その後に減封となって旗本に転じ、幕府の書院番頭を勤めています。書院番頭は将軍の親衛隊である馬廻衆の頭であり、幕府の最高格式の職制のひとつです。

 この法音院は、その本多氏の菩提寺でもあり、もとは応仁の乱で焼けて廃寺になっていたのを、江戸幕府の支援によって現在地に移転し再興された歴史を持ちます。その書院が伏見桃山城の遺構の一部であるとされるのも、何らかの記録なり根拠なりが存在するのでしょう。

 

 説明板の隣にはカラーの境内図がありました。泉涌寺塔頭のひとつとして参詣客が訪れているためか、境内の各施設を分かりやすく示していました。目的の建物も「客殿 大書院」とありました。

 

 門をくぐって中に入ると、正面に庫裏玄関と受付があり、その右側に七福神の堂がありました。庫裏玄関から急ぎ足で出てきた住職に挨拶すると、これからお勤めだとかで自転車にまたがって出ていかれました。伏見城から移した書院建築を・・、とU氏が問いかけたのにも、「ああ、あの裏の建物ですんで、外から見るだけになりますんで」と左手でその方向を指し、「では」とサーッと門を出てゆかれました。

「お勤めって何だろう」
「塔頭の住職なら、本寺での諸々の奉仕作業があるやろうな、時間的には午前の勤行か読経かのタイミングやしな」
「なるほど、忙しいみたいだな・・・」

 

 とりあえず、住職に示された方向へ回り込んで、上図の書院の建物を見ました。

「お、まわりの建物とちょっと違うな。外観の設えとか屋根の意匠とか、それに古めかしくみえるな」
「せやね」
「寛文五年、だったか、その頃には伏見城はもう無くなってるな。解体された建材が再利用のために保管されていた段階になるな。それで幕府の支援があって、檀乙は将軍家直属の書院番頭の名門の本多氏であるわけだ。その本多氏が菩提寺にしてるんだから、それ相応の格式の建物を寄進した可能性がある。伏見城の遺構が再利用されたとしてもおかしくはない」
「春に行った養源院と同じケースやな。幕府の要人が関わってて、幕府の支援がついてる」
「そういうことだな」

 

 これで決まりだな、と言いつつ屋根の妻飾りと鬼瓦を見上げるU氏でした。建物の各部に移築の跡がみられ、部材のそれぞれも相当の風食がみられました。解体後もかなり長い間放置されていたような雰囲気でした。左右分割で二枚の部品から構成される妻飾りに、合わせ目の隙間が出ているのも、そんな感じでした。

 伏見城が廃城となって城割りや建物の解体が始まったのが元和六年(1620)からで、三年後の元和九年には「先年破壊残りの殿閣にいささか修飾して御座となす」とあって本丸御殿の一部がまだ残されていたものの、それも解体され、城跡は元禄年間に開墾されて桃の木が植えられたといいます。

 法音院の再建が寛文五年(1665)でありますので、伏見城の建材を再利用して書院を建てたのであれば、その建材は元和六年(1620)の廃城解体開始からすでに40年余りを経ていたことになります。いまの建物の部材にやつれや風食が見られるのも当然かもしれません。

 

 上図では下半分が隠れていますが、鬼瓦にある家紋は「本」と見えました。つまりは本多氏の家紋で、この建物がもとは本多氏の所有であったことが分かります。
 伏見城の廃城後のある時期に、その建物を本多氏が貰い受けて一時期は使用していたことを伺わせます。それを寛文五年(1665)の法音寺の再建に際して寄進し、本多氏の菩提寺の一施設として再利用した、という流れではなかったか、と推測します。

 

 妻飾り部分を拡大して撮影しました。装飾の彫物の部分がかなり風化しており、中央の合わせ目に残る釘穴から、何らかの形状の釘隠しが打たれていた痕跡がうかがえます。一般的な花紋であったのか、家紋をあしらったものであったかは分かりません。

 

 建物の主屋部分の外観はかなり改造されていますが、戸口の上に透かし窓を配置する点に御殿建築の面影がしのばれます。

 

 建物の向こう側は庭園に面しているようで、半分ほどが建て直されてガラス戸が追加されたようで、新しい感じになっていました。

 

 ですが、主屋の頭貫にあたる横長の一材をよく見ると、各所にほぞ穴やダボ穴、切り込みの痕跡が見られて、もとは別の建材を横に付け直して転用した状況がうかがえます。
 ほぞ穴の位置から、もとは他の建物と繋ぐ廊下のような部分が接していた可能性が考えられますが、いずれにしても単独で建っていた施設ではなかっただろうと思います。

 

 屋根庇の内側の様子も、垂木だけが妙に古めかしいのでした。野地板は新たに張り替えられているようで、白っぽく見えました。こちらの頭貫にはほぞ穴やダボ穴、切り込みの痕跡がみえないので、屋根の妻飾りと同じように当初の建材がそのまま再利用されているのかもしれません。

 

 隅部を区切る尾垂木の伸びもしっかりしていて気品があります。先端断面に釘穴が見えますので、もとは金具か装飾具を取り付けていたものと思われます。
 全体的にみると、書院建築の典型的なタイプであるのは間違いなく、伏見城の御殿の建築群の一部であったとしても違和感はありません。規模が小さいので、繋ぎの施設か付け書院のタイプであったかもしれません。

 

 かくして20分ほどで書院の外観の観察を終えました。由緒といい、建物の様相といい、まず伏見城からの移築遺構であるとみて良いでしょう。
 それでU氏は大変にご機嫌でしたが、私も似たような気分であったのは自然なことでした。二人で書院に向かって一礼し、境内をあとにして門を出たのでした。

 泉涌寺塔頭法音院の公式サイトはこちら。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 Ⅲ号突撃砲G型(フェイズエリカのこぼれ話版)

2024年10月30日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  タミヤ ミリタリーミニチュアNo.310 (商品コード35310)

  制作期間   2023年11月20日~11月23日

  製作記事   完成記事

  総評・備考
 III号突撃砲は、第二次大戦中にドイツでIII号戦車の車体を流用して開発された突撃砲である。0シリーズから最終型のG型に至るまで九種類のパリエーションが知られるが、ガルパンのアニメシリーズでは、大洗女子学園カバさんチームのF型、最終章第3話に登場した継続高校チームのヨウコ搭乗車のG型、の二種が出ている。
 これに対して、コミック版では「樅の木と鉄の羽の魔女」に伯爵高校チームのG型、「フェイズエリカのこぼれ話」に黒森峰女学園チームのG型が登場しており、いずれも後期型であるが、前者はシュルツェンも装備する。
 今回の作例は「フェイズエリカのこぼれ話」に登場する黒森峰女学園チームのG型後期型を再現した。使用キットは継続高校チームヨウコ車の製作にてフィンランド軍仕様パーツ類を使用したあとの残りのタミヤ製品で、ヨウコ車の製作で使用したグンゼ産業キットの不要パーツを使用するなどして、各部を作中車に合わせて後期仕様に作り替えたものである。

  公式および適応キット一覧(2024年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その26  碓氷峠鉄道文化むら 数々の展示車輌 下

2024年10月29日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。上図は西側の車列の北端に位置する、気動車のキハ20形です。

 キハ20形は、日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十二年(1957)に開発した一般形気動車の一種で、昭和四十一年(1966)までに同系列の車輌があわせて1126輌製造され、日本各地で広く使用されました。
 ゆるキャン聖地の範囲内では天竜浜名湖鉄道でかつて走っており、現在も天竜二俣駅の隣の公園内に1輌が静態保存されています。

 

 こちらはキハ35形です。キハ35形は日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十六年(1961)から製造した、大都市近郊の非電化通勤路線向け気動車の一種で、昭和四十一年(1966)にかけて同系列の車輌があわせて413輌製造されました。

 このキハ35形は、動いているのを見た記憶はありませんが、兵庫県に住んでいた頃に西脇市や多可町の鍛冶屋線の廃線跡の駅舎などで静態保存されている2輌を見ました。西脇市にあった1輌はラッピング車輌のようになっていましたが、多可町で見た1輌は現役当時のカラーであるブルーに白帯の姿でした。
 なので、こちらの赤い車体には珍しささえ感じましたが、本当はこちらのカラーが本来の大都市近郊の路線でのカラーであったそうです。鉄道模型Nゲージでもキハ35形はだいたい赤色で、首都圏色と呼ばれます。

 

 キハ20形の後ろにあるスニ30形と、その右隣のEF59形電気機関車です。スニ30形は、日本国有鉄道の前身である鉄道省が昭和二年(1927)から導入した、初の鋼製車体をもつ客車オハ31系客車の形式群の一種で、荷物車として昭和六年(1931)までに84輌が製造されました。

 

 EF59形は、日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十八年(1963)から運用した電気機関車の一種です。山陽本線の瀬野と八本松の間にある「瀬野八」と呼ばれる22.6パーミルの連続する勾配区間の補助機関車として、EF53形とEF56形から改造された24輌が運用されていました。信越線の碓氷峠越えのための補助機関車であったEF63形と同じ立ち位置の車輌です。

 

 EF59形の手前、キハ20形の隣にあったEF60形電気機関車です。EF60形は、日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十五年(1960)に開発した、平坦路線向けの電気機関車の一種で、昭和三十九年(1964)までに143輌が製造されました。東海道線や山陽本線などの主要路線の特急列車、臨時列車、貨物列車を牽引して活躍しました。

 

 見学路を引き返して、スニ30形の横を通りまして・・・。

 

 その東側にあるマイネ40形客車とEF80形電気機関車を見ました。EF80形は日本国有鉄道(国鉄)が昭和三十七年(1962)から製造した電気機関車の一種で、昭和四十二年(1967)までに63輌が製造されました。常磐線や水戸線の電化区間の専用機として活躍しました。現存するのはこの63号機のみです。

 

 EF80形の向かいのマイネ40形客車は、日本国有鉄道の前身である運輸省鉄道総局が運用した寝台車両の一形式で、もともとは進駐軍専用車輌として進駐軍の指示により新製されたマロネ40形客車がキャンセルとなったため、運輸省鉄道総局が購入して特急および急行列車に使用し、また改造してマイネ40形客車となりました。

 上図の保存車は新造当時の塗装色に復元されており、クリーム色の帯には当時の運輸省の英語表記である「Japanese Government Railways」の略語「J・G・R」のロゴがあります。この「J・G・R」はサンフランシスコ講和条約締結後に廃止され、昭和二十四年(1949)からは日本国有鉄道「Japanese National Railways」の略語「JNR」に変更されました。

 

 マイネ40形客車の北側へ回ると、さきに見かけて気になっていた、上図の大型の車輌がありました。ふと時計を見て、16時3分であるのに驚きました。
 入場したのが14時48分でしたから、すでに1時間15分が経過したわけでした。もうそんなに経ったのか、閉館時間の17時までもう45分しかないのか、あと鉄道資料館も見ていきたいし、この屋外展示場の車輌群の見物はこの大型の車輌でしまいにしよう、と考えました。

 

 この大型の車輌はソ300形貨車といいます。、日本国有鉄道(国鉄)が昭和四十一年(1966)に製造した、橋桁架設専用の事業用貨車です。エンジンを持っていて自走出来ますが、分類上は貨車となっています。2輌が製造され、現在はここの保存車が唯一となっています。

 

 架橋用の作業車だったのか・・・。車輪が16もある・・・。4軸ボギー台車を前後2群に配置しており、ずらっと並んだ車輪が独特の迫力を示しています。ガルパンにも出ていたカール自走臼砲みたいな重量感が感じられます。

 このソ300形は、Nゲージでも製品化されていたそうです。サンメックというメーカーが出していたそうですが、いまでは絶版となってどこにも無いそうです。

 

 時間が無いので、ソ300形の東側のDD53形ディーゼル機関車は、横目で眺めただけで通り過ぎました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その25  碓氷峠鉄道文化むら 数々の展示車輌 上

2024年10月28日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。D51形蒸気機関車をしばらく眺めました。

 

 やっぱり蒸気機関車といえばデゴイチですね。京都の梅小路機関車庫の保存機にもこれと同型の1号機がありますが、そちらは扇形車庫に収まったまま静態保存されていますので、こちらの96号機のように青空の下の広い場所で全容を眺めることが出来ません。

 

 最近にメンテナンスがなされたのか、車体の黒塗装は塗り直されたばかりのようでピカピカでした。唯一の蒸気機関車展示機なので、子供たちにも人気があるそうです。

 

 運転席を見上げていて、そのサイズがなにか小さいように感じました。鉄道模型のNゲージをともに楽しんでいる嫁さんが、自身の山陰線ジオラマ化計画の一環としてD51形の通常型(カトーの2006-2番)を購入して時々走らせているので、すっかり見慣れているのですが、その運転席のサイズ感とちょっと違うな、と思ったのでした。

 後日調べてみたら、やっぱりサイズが異なっていました。D51形の「ナメクジ」と呼ばれる初期型は、後の通常型に比べると運転席の奥行きサイズが短いそうです。Nゲージというのは小さいけれど、実機の外観や輪郭そのままですから、その姿をきちんと覚えていけば、実車をみたときに色々と見比べたりするので、その際に様々な気付きや発見があったりして楽しいです。

 

 東屋からの園路を南へと回りました。上図の電気機関車の並びの景色が、次第に作中のシーンと一致してきました。

 

 このシーンですね。原作コミック第16巻126ページ3コマ目です。各務原なでしこが指さしているのはEF53形電気機関車でしょうか。

 

 いいですね。多様多種の車輌が一堂に会しているのを見るのはワクワクしてしまいます。鉄道模型Nゲージにはまり出してからは、余計にそのワクワク感がヒートアップしています。

 私がゆるキャン△に登場する車輛も集め出した頃、サークル仲間の川本氏が「碓氷峠鉄道文化むらの展示機も対象なのか?全部揃えるんかね?」と訊いてきましたが、「さすがにそれは無理や、看板機関車のED42、EF62、EF63の三車種ぐらいで充分やな」と返しておきました。しかし、心の中では「全41輌の展示機を揃えてジオラマで作ってみたいかも」と時々思います。

 

 屋外展示場の南側に位置する車輌群です。手前右がEF58形電気機関車、左がEF30形電気機関車、左端奥はお座敷列車の12系のスロフ12客車です。

 

 南側から西側へ回りました。このあたりの車輌群はボロボロだったり、汚れがひどくなっていたりします。メンテナンス作業が追い付いていないのでしょうか。

 

 左が10系のオシ17形客車、中央奥がEF70形電気機関車、右は12系のオロ12形客車です。EF70形電気機関車が置かれた線路には、まだ1輌分のスペースが残されています。新たな展示機が加わることはあるのでしょうか。

 

 10系のオシ17形客車の北には上図の2輌の電気機関車が並びます。左がEF62形の1号機、右がEF15形の165号機です。EF62形の1号機は、車体塗色が登場当時のぶどう色2号に復元されています。

 

 EF62形の1号機の北にはEF65形電気機関車の520号機があります。EF65形は日本国有鉄道(国鉄)が昭和四十年 (1965)に開発した平坦路線向け電気機関車です。昭和五十四年(1979)までに308輌が製造されました。

 このEF65形は大半が昭和四十一年(1966)に製造されているため、現存する車輛も私と同じ年齢のものが殆どです。子供の頃に、父や叔父が何度か「お前と同い年の機関車だぞ」と指さして教えてくれたのを覚えているので、今回もその姿を見て感慨深いものがありました。現在も約30輌ほどが各地で運用されており、まだまだ頑張っています。私も頑張ろう、という気持ちにさせてくれます。

 

 屋外展示場の外、西の高台にはトロッコラインの引き込み線があり、「アプトの道」からも見た動態保存機のEF63形電気機関車や189系の「特急あさま号」クハ189-5およびモハ189-5が停めてあります。

 

 園路の右側に視線を戻すと、作中にも描かれるEF65形電気機関車、気動車のキハ20、同じくキハ35が見えます。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻126ページ4コマ目です。360度カメラの画像が元になっているようで、右横の景色までが同じコマに入っています。

 

 そこで右横の景色を続けて撮りました。

 

 2枚撮ってひとつのシーンになるのが、ゆるキャンの原画の常です。原作者のあfろ氏が「MONO」で描いている「ヴィータ」なる360度カメラのモデル機を取材などで使っているからだろうと思います。

 周知のように、ゆるキャンの舞台は広大な自然の景色が多いので、その画像もワイドな範囲が撮れる広域レンズや360度カメラのそれが資料として適しているのでしょう。普通のカメラならば二枚か三枚ぐらいを撮らないといけない範囲を一度に撮れますから、そのままトレースして描けば、コマ数の節約にもなるわけですね。 (続く)

 

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黒森峰女学園 Ⅲ号突撃砲G型(フェイズエリカのこぼれ話版)を作りました

2024年10月27日 | ガルパン模型制作記

 2023年11月に、継続高校チームのヨウコ搭乗車、Ⅲ号突撃砲G型後期型をグンゼ産業の旧ドラゴンキットで製作した際、上図のタミヤの有名なキットよりフィンランド軍仕様のパーツ群と戦闘室天板を転用しました。

 あとに残ったパーツを組むと、ほぼⅢ号突撃砲G型前期型のタイプに仕上がります。それでこちらは、コミック版「フェイズエリカのこぼれ話」に登場する黒森峰女学園チームの副隊長磨或レンの搭乗車に仕上げることにして、ヨウコ車の製作と併行して作りました。

 

 製作は、私自身は車輪類を組み立てだけで、そのあとは嫁さんが「ウチも組みたい、作らせて」と言うので任せました。暇つぶしにササッと半日で組み立てて、上図の状態まで進めてくれました。ヨウコ車の製作時に交換したパーツを使用したほかは、ほぼストレート組みでした。

 

 ですが、嫁さんは上図の「フェイズエリカのこぼれ話」を見ないままで作っていました。

 

 なので、上掲の磨或レンの搭乗車の姿とはちょっと違いました。それで、私が少し手直しして、作中車の仕様に近づけていきました。キューポラの跳弾板を外し、天板右側前方の機銃防盾と左右フェンダー上のワイヤー、戦闘室前面右側の予備履帯などを追加しました。

 が、嫁さんが取り付けていた天板右側後方の機銃防盾と車体前端の予備履帯は、外すのも勿体ない気がしたので、そのままにしておきました。

 

 かくして半日で改修工事と塗装を終え、上図のように仕上がりました。黒森峰女学園チームの初めてのⅢ号突撃砲G型が戦列に加わりました。車体色がグレー系であるのは、これまでに作った「フェイズエリカ」シリーズの作中車を全てグレー系で塗っているからです。

 

 ヨウコ車は側面に丸太をくくりつけているために外観の輪郭がガッシリして見えましたが、こちらはスマートで背も低くていかにもⅢ号突撃砲らしい姿です。映画「バンド・オブ・ブラザーズ」の戦闘シーンが脳裏に鮮やかによみがえってきたりします。

 

 ガルパンのⅢ号突撃砲はこれで3種、3輌目となりましたが、今回のはドイツ軍の一般的なタイプの姿で、車体後部に背負った2個の予備転輪がアクセントになっています。

 

 予備履帯、車外装備品もキットの指示通りに取り付けましたが、左右フェンダー上のワイヤーだけは作中車独特の形状でしたので、ジャンクパーツからの改造で作りました。こういうワイヤーの取り付け方が実際にあるのだろうかと、色んな適応キットを検索して調べましたが、探した限りでは見当たりませんでした。

 

 以上で、コミック版「フェイズエリカのこぼれ話」に登場する黒森峰女学園チームの副隊長磨或レンの搭乗車、Ⅲ号突撃砲G型前期型が完成しました。製作期間は2023年11月20日から11月23日までの4日でした。組み立てに3日、塗装および塗装後の組み立てに1日かかりました。

 キットは安定のタミヤ、組み立て易さは抜群で、ヨウコ車製作時に交換したパーツの取り付けにも支障はなく、スムーズに作業が進んで楽しかったです。基本的に、コミック版の作中車はアニメの劇中車と比べると変更や相違点があまり無く、多くの場合は適応キットをほぼストレートに組むだけで出来上がります。ガルパンプラモデルの練習にももってこいでしょう。

 

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伏見城の面影28 泉涌寺へ

2024年10月26日 | 洛中洛外聖地巡礼記

 2024年10月5日、水戸の友人U氏と4月に続いて四度目の旧伏見城移築建築巡りを楽しみました。いつものように前の晩に京都入りして祇園四条のカプセルホテルに泊まったU氏と祇園で待ち合わせ、市バス202系統に乗って上図の「泉涌寺道」バス停で降りました。

 

 バス停の横の辻から東に進むと泉涌寺への参道であった緩やかな登り坂に入りました。
「この辺に来るのも久しぶりのことだな」とU氏が懐かしそうに景色を見回しつつ言いました。私も頷きました。

 平成10年から13年までの三年間、この通りの北側の街中のアパートに住んでいた時期があったからです。U氏も三度ほど遊びに来て、泊まり込んでは京都社寺巡りを楽しんでいたものです。

 

 しかし、二人とも、近くの名刹である泉涌寺には、一度しか行ったことがありませんでした。いつでも行ける距離にあったため、次に行こう、次の機会に寄ろう、と延ばし延ばしにしているうちに私が奈良市に戻ってしまい、それ以来20年ずっと泉涌寺界隈には寄る機会がありませんでした。

 ですが、上図の泉涌寺総門と左脇の即成院の表門のたたずまいは、20年前のままでした。

 

 ですが、U氏も私も、この泉涌寺総門から中へ入ったことは無いのでした。20年前も何度も前を通っていたのに、です。U氏はともかく、約100メートルほどの至近に住んでいた私ですら、不思議なことにこの門をくぐっていません。

 

 泉涌寺には一度だけ行った、というのは正確には泉涌寺塔頭のひとつである上図の即成院(そくじょういん)に行ったことを指します。その即成院にも20年ぶりに入ることにしました。

 

「あー、あれも昔のままだなあ、門の上に鳳凰が載ってるって、京都広しと言えどもここだけだな」
「せやな」

 

 門をくぐって右に曲がり、細長い境内地を進んで上図の本堂に向かいました。そのたたずまいも20年前と変わっていませんでした。

 

 20年前にここを訪れたのは、本堂内陣の聖衆来迎像つまり木造阿弥陀如来及び二十五菩薩像を拝観するためでした。藤原彫刻を学んでいた私としては、ここに現存する藤原期の十一躯の菩薩坐像を一度は実見しておく必要があったからです。

 この藤原期の十一躯の菩薩坐像は、即成院を創建した橘俊綱が病を得て出家し、ほどなくして没した嘉保元年(1094年)頃の制作と推定され、橘俊綱が摂関家の藤原頼通の三男であったことと合わせ、当時の一流の仏師つまりは定朝一門の系譜に連なる仏師の作とされています。定朝様式を長く研究していた私にとっては重要な基準作例のひとつでした。

 昔も今も、本堂内陣の仏像群は撮影禁止なので、外陣に貼ってあった上図のパネル写真だけを撮っておきました。

 

 しかし、隣の上図のアニメシーンのパネルは初めて見ました。U氏が「何かのアニメになってるらしいが、知ってるか」と私を振り返りました。私も知らなかったので「さあ?」と返すにとどまりました。本堂の入口部分が影絵のようになっているだけで、外は架空の都会の景色になっています。

 

 同じアングルで撮ってみました。毎年10月に催されるお練り供養行事の舞台廊下が設置されていました。U氏が「奈良の當麻寺を思い出すなあ」と言い、「その當麻寺のお練り供養の菩薩に扮するアルバイトを一度やったことがあるよ」と私が応じると、「それは最高の体験と違うかね」と言いました。

 思い起こせば、最高どころか、不安と恐怖に包まれた供養行事でした。菩薩の衣装とお面を付けて左右に移動しつつ両手で持ち物を支えて回り歩くのでしたが、お面の目玉部分の小さな穴からしか外が見えず、視界が限られて周囲や足元の様子もよく見えないまま、高くて細い舞台廊下の上を進むのでした。怖いことこの上なしでしたから、次の年もバイトに来ないかと誘われて即座に辞退した記憶があります。

 

 右手の建物は、たぶん本坊か庫裏だろうと思います。その奥の白い建物が地蔵堂だったかと思います。お練り供養の菩薩の行列は地蔵堂から発して本堂に至るものか、またはその逆かもしれませんが、とにかく舞台廊下は本堂から地蔵堂へと続いています。

 

 即成院を辞して、隣の泉涌寺総門をくぐりました。くぐりながらU氏が「伏見城からの移築伝承の建物が泉涌寺にもあると聞いてびっくりしたんだが、何か謂れがあるのかね?」と訊いてきました。
 私もその件は去年に知ったばかりで詳細を知らなかったので、「謂れがあるんやろうけど、とにかく現地へ行って関係者に話とか伺えたらええんやけどな・・・」と返しました。U氏は「なるほど」と言って頷きつつ、門内参道を歩き出しました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その24  碓氷峠鉄道文化むら 屋外展示広場へ

2024年10月25日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。ED42形機関車のある西展示室の出口へ向かいました。検修車庫の裏口にあたるようですが、その景色にも既視感がありました。

 

 原作コミック第16巻125ページ2コマ目のシーンてした。セリフの吹き出しが多いので、左右にある展示物が殆ど隠れてしまっていますが、出入口の左側にキャラクター写真撮影機ボックスが置かれているのが同じでした。

 

 外に出ると、アジサイが咲いていました。その横から西へ登る園路に進みました。

 

 検修車庫の西側は一段高い平坦地になっていました。もとは低丘陵地だったところを、碓氷峠鉄道文化むらの建設にあたって削平し、屋外展示場としたもののようで、後で鉄道資料館にて見たかつての横川車両区の航空写真で状況を知ることが出来ました。

 

 御覧のように、舌状の低い尾根を切り開いた様子が現在の傾斜面からもうかがえます。そこに並べられた車輌群は、横を通る信越線の新線跡の線路からクレーンで移されたと聞きます。

 

 木立のなかを抜けて園路をぐるりとたどると、屋外展示場の車輌の並びが見えてきました。このアングルで作中に出ていますが、作者はおそらくシータのような360度全天球カメラを用いて撮影しているので、実際の見え方とは異なる広域ワイドの図になります。ゆるキャンの景色はほとんどそのパターンですから、普通のデジカメでは同じ範囲や角度での撮影が出来ないのが常です。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻125ページ3コマ目です。御覧のように園路の正面奥に蒸気機関車が見えますが、同じように撮ると今度は右のディーゼル機関車の並びがカメラのフレーム外になってしまいました。シータのような360度全天球カメラも持っていたほうが良いかな、と一瞬考えたりしました。

 

 屋外展示場の外周をめぐるミニSL運行コースの線路です。パンフレットでは「一周 約300メートル」とありましたが、もっと長いような印象でした。

 

 屋外展示場の北東隅にあるDD51形ディーゼル機関車1号機です。日本国有鉄道(国鉄)によって昭和三十七年(1962)から昭和五十三年(1978)にかけて649輌が製造されたディーゼル機関車です。最盛期には四国地方を除く日本全国で使用され、非電化幹線の無煙化・動力近代化に貢献しています。

 DD51形は現在でも主力級のディーゼル機関車として各地で見かけますが、塗装色は赤が一般的です。しかし上図の1号機のブラウン系のぶどう色2号に白帯というスタイルが、実は登場時の塗装色であったそうです。

 

 DD51形の隣には上図のロータリーヘッドを連結したDD53形1号機がありました。幹線列車牽引と除雪で兼用することを目的として、日本国有鉄道(国鉄)が昭和四十年(1965)から昭和四十二年(1967)にかけて3輌を製造しています。その唯一の現存機です。作中で各務原なでしこがスマホ撮影しています。

 

 右のシーンです。原作コミック第16巻126ページ1コマ目です。瑞浪絵真にはエビかカニのように見えたかもしれませんが、作中では描写がありません。

 

 園路の近くに東屋がありましたので、そこへ入って一休みしました。アプトの道からずっと歩きっ放しであったため、足が少しだるくなっていたからです。そこから改めてロータリーヘッドを連結したDD53形1号機を眺めましたが、その後ろには銀色の大型の見たこともない車輛が繋がっているので、あれは何だろう、後で近寄ってみよう、と思いました。

 

 それから上図のD51形蒸気機関車96号機を見ました。D51形は、日本国有鉄道(国鉄)の前身である鉄道省が設計、製造したテンダー式蒸気機関車の一種です。昭和十年(1935)から昭和十九年(1944)にかけて1115輌が製造され、ディーゼル機関車や電気機関車などを含めた日本の機関車一形式の量産数としては最大を記録し、現在も更新されていません。

 上図の96号機は、初期型に属し、ボイラー上の砂箱と煙突の間に給水加熱器を置き、それらを覆う長いキセ(覆い)を付けるのが外観上の特徴で「半流線形形」と呼ばれ、鉄道ファンからは「ナメクジ」の愛称で親しまれました。碓氷峠鉄道文化むらにおける唯一の蒸気機関車であり、作中にも登場しています。

 

 左のシーンですね。原作コミック第16巻126ページ2コマ目です。D51形の前で各務原なでしこと斉藤恵那が揃って謎のリアクションをとっています。ギャグの積もりなんでしょうね。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その23  碓氷峠鉄道文化むら なでしこが見たかったED42形

2024年10月24日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。かつての検修車庫を利用した鉄道展示館の奧、西展示室に入りました。入って右側の天井に、上図の看板がかかっていました。各務原なでしこと同じように「あ、あった、あった」と声に出してそちらへ向かいました。

 

 同じアングルで原作コミック第16巻118ページ4コマ目に出ています。「日本国有鉄道関東支社」の文字だけが省かれています。
 それで、コミック上で国鉄の名称を出したらダメなのかな、と疑問に思いました。なぜならば、「準鉄道記念物」というのも国鉄の制度名であるからです。国鉄の各支社において、地方における歴史的文化価値の高いものを対象として指定するという制度であり、これは民営化後もJR各社に引き継がれています。

 

 その「準鉄道記念物」である、ED42形電気機関車の1号機です。信越本線最後のアプト式電気機関車として昭和四十二年(1967)に指定されています。静態保存機ですが、後ろに連結した軌道モーターカーTMC200Bによって動くことも可能で、年に1、2日ほど屋外展示と模擬走行が行われているそうです。

 

 同じアングルで原作コミック第16巻119ページ1コマ目に出ています。各務原なでしこが「これが一番見たかったんだ」と話しています。以前に大井川鐡道井川線のアプト式列車に乗り、アプト式機関車ED90形の「ブッピガン」も見ていますから、こちらのアプト式機関車ED42形にも興味があったのでしょう。

 

 なにしろ、いま現存しているアプト式機関車は、大井川鐡道井川線の現役のED90形を除けば、このED42形しかありません。かつては信越線にて蒸気機関車が4型式、電気機関車が4型式の計8型式が運用されていましたが、その最後の型式にあたります。
 ED42形機関車は、この1号機のほか、2号機が軽井沢の東部小学校に静態保存されています。

 

 見学路の一部は上図のように階段で下に降りられるようになっていて、機関車のアプト式機構を間近で見る事が出来ます。

 

 御覧のように、信越線のかつての三条のラックレールに噛み合わせた三枚のピニオンギアがよく見えます。作中でも各務原なでしこ達がこれを見ています。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻12ページ1コマ目です。ピニオンギアが「オイス」と挨拶してくるのは、松ぼっくりなどが「コンニチハ」などと挨拶してくる、ゆるキャンならばでのお約束です。

 

 走行用ボギー台車を見ました。軸間のドラム缶状のものは主発電機で、その側面ジャック軸から動力が連結棒(カップリングロッド)で各動輪に伝達されるシステムです。

 このシステムは、大井川鐡道井川線のED90形でも同様だと聞きますが、あちらの走行用ボギー台車は防護フレームや外郭板に囲まれていてよく見えませんので、こちらの走行用ボギー台車を間近で見る事が出来たのは良かったです。

 

 車体側面中央のナンバープレートの下にはメーカーズプレートもあり、この1号機の製造元が日立製作所であることを示します。

 ED42形は、昭和九年(1934)から昭和二十三年(1948)にかけて28輌が製造され、日立製作所のほか、芝浦製作所、川崎車輛、三菱重工業、汽車製造が製造を分担したそうです。当時は国鉄でしたから、国策としての機関車製造を国内の主要各メーカーに割り当てて発注していたわけです。

 

 このED42形機関車は、模型のNゲージではワールド工芸やマイクロエースから出ています。

 私が、大井川鐡道や天竜浜名湖鉄道の車輌とは別に、ゆるキャンに登場する車輛をも集めようとしていることを知った嫁さんが、ヤフオクでワールド工芸の中古品を落札してくれましたので、1輌が手元にあります。いつでも手に取って眺められますが、この碓氷峠鉄道文化むらの展示車輌の姿そのままですから、実車を見た際の感動が鮮やかによみがえります。

 

 同じアングルで原作コミック第16巻122ページ4コマ目に出ています。

 

 もう最高でした。記念の自撮りは必須でしたが、撮影時にどうしても笑ってしまう癖はなかなか治りませんでした。

 

 ED42形機関車の後ろに連結されている、軌道モーターカーのTMC200Bです。これがED42形機関車を推進または牽引することで、年に1、2日ほどの屋外展示と模擬走行が行われているそうです。

 

 西展示室は二階建てになっていて、二階は多目的スペースのようになっていましたが、その端からは上図のようにED42形機関車を見下ろせました。下からは見えない屋根部分の様子がよく分かります。戦前のタイプのパンタグラフもよく見えました。  (続く)

 

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(車輌目次表紙)黒森峰女学園 Ⅳ号戦車G型(最終章仕様)

2024年10月23日 | ガールズ&パンツァー

  使用キット  プラッツ/ドラゴン 公式キット (商品コードGP-7)

  制作期間   2023年12月4日~12月9日

  製作記事   完成記事

  総評・備考
 Ⅳ号戦車G型は、ガルパンにおいては長らくコミック版にて伯爵高校チームの車輌のみが知られていたが、後に黒森峰女学園チームの車輌が加わり、アニメの最終章第4話においても黒森峰女学園チームの車輌が加わった。アニメ劇中車の外観および仕様は、大洗女子学園あんこうチームのⅣ号戦車の第二形態であるF2型仕様と共通で、F2型の後期型がG型とも称された史実にちなむものとされる。公式キットはまだ出ていないが、大洗女子学園あんこうチームの同型車の公式キット(下のキット一覧の1、2)がそのまま利用出来る。
 キット自体はドラゴンスマートキット特有の組み立て易さで知られ、パーツ数は適度におさえられる。D型やH型仕様の公式キットにて指摘された不備や欠点の数々ともなぜか無縁であった。最近にタミヤより適応キットとして外姿のほぼ似たG型がリリースされたが、それと比べてもまだ遜色の無い良キットである。難しい工作が散見される公式キットのなかでは、わりと初心者向けの内容にまとまっている。ガルパン仕様への改造箇所は、起動輪および減速機カバー、予備エンジンマフラーの交換、車外装備品の変更、誘導輪のスポークぐらいで、あとはボルトやモールド等の細かくて目立たない部分になるため、改造や修正のいずれも簡単な作業で済む。初心者クラスにもおすすめ出来るガルパン仕様制作の入門キットの一つとされる。

  公式および適応キット一覧(2024年10月現在) 黄帯が今回の使用キット  


目次へ

 

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継続高校 Ⅲ号突撃砲G型 完成です!!

2024年10月22日 | ガルパン模型制作記

 塗装作業を行ないました。劇中車はグレーの車体に白で冬季迷彩が施され、それが雪にまみれている状態で行動していますので、雪を取り払った状態を再現することにしました。
 まず劇中車のグレーに近いと思われる、ミスターカラーの37番のRLM75グレーバイオレットで吹き付けてみました。それが上図の状態ですが、やや暗めに感じられましたので、もう少し明度をあげようと考えました。

 

 そこで73番のエアクラフトグレーを薄く重ねて吹き付けました。少し明るい色調にまとまりました。

 

 続いて62番のつや消しホワイトで細く吹き付け、クルクルと回すようにして白の濃淡をつけ、車体の後部ではジグザクに付けて劇中車の模様に近づけました。

 

 出来上がりはこんな感じでした。劇中車の冬季迷彩は、場所によってはモップで塗ったような痕跡が見られますが、ユリ搭乗車のKV-1ほどではないので、この程度でまとめておきました。

 

 左右に括りつけられた丸太の部品です。

 

 これは白樺の木なので、表皮を62番のつや消しホワイトで塗り、横の縞模様を43番のウッドブラウンで付けました。相変わらず、雑な仕上がりです。

 

 転輪のタイヤゴムはポスカの黒、履帯とクリーニングロッドは28番の黒鉄色、ジャッキ台の木製部分は43番のウッドブラウンで塗りました。

 

 車輪と履帯を取り付けました。

 

 クリーニングロッドとジャッキ台を取り付けました。他の装備品、ワイヤーカッター、消火器、ワイヤーは車体と同じ色になっていますので塗り分けは不要でした。

 

 左右の丸太を取り付けて、塗装後の組み立てが完了しました。

 

 校章マークは2枚、上図のモデルカステンの「MGデカール ガールズ&パンツァー デカールVol.9」から適当なサイズのものを選びました。

 

 車体前面左側のコンクリートアーマーの上に1枚を貼りました。

 

 もう1枚は車体後部の雑具箱の上面中央に貼りました。

 

 最後に、つや消しクリアを薄く吹き付けて仕上げました。

 

 ドラゴンの旧キットで仕上げた劇中車の雰囲気もなかなかのものです。今回はフィンランド軍仕様のパーツをタミヤの有名なキットより転用しました。そのフィンランド軍仕様のパーツが、タミヤか他のメーカーから改造パーツセットとして単体で販売されていればいいのに、と思います。

 

 斜め後ろからの図です。劇中車は、試合中に園みどり子率いる別動隊と接触した際に背面の雑具箱を吹っ飛ばされ、その後も作戦行動をしていましたから、雑具箱は取り外し自在にしようかと迷ったのでした。しかし、接着せずに置いただけではすぐにずり落ちてしまうので、接着固定せざるを得ませんでした。

 

 斜めからの正面観です。今回の製作で有り難かったのは、左右のワイヤーが車体色と同じ色なので塗り分けが不要で、組み立てておいての塗装が可能だった点です。劇中車のように車体形状に沿わせてセットしているワイヤーは、取り付けるのも塗り分けるのも大変ですから、塗装の手間が省けたのは大きかったと思います。

 

 かくして継続高校チームのヨウコ搭乗車、Ⅲ号突撃砲G型がフィンランド軍仕様の姿にて完成しました。製作日数は、2023年11月20日から11月25日までの6日でした。組み立てに5日、塗装および塗装後の組み立てに1日かかりました。

 今回は、劇中車がⅢ号突撃砲G型の後期型であるのに合わせて後期型の適応キットを使用することにし、第4話を初視聴した10月9日の翌日にブックオフにてグンゼ産業の旧ドラゴン製品を見かけて買いました。これに、タミヤの有名なキットのフィンランド軍仕様のパーツ群を転用して組み合わせる形で製作を進めました。
 ただ、厳密には戦闘室の天板や車体後部の一部に前期型の様相が見られるため、そのあたりにも留意して戦闘室の天板を前期型のと交換したりしました。それ以外は特にガルパン仕様への改造というものは無く、タミヤのフィンランド軍仕様のパーツ群の取り付けに若干の微調整を施した程度でした。

 なので、Ⅲ号突撃砲G型の後期型の適応キットであれば、例えばボーダーモデルやミニアートの製品であっても、劇中車再現へのだいたいの作業工程はほぼ同じであろうと思われます。タミヤの有名なキットをそのまま使っての再現製作も楽しいですが、後期型の適応キットをお好みでチョイスして作ってみるのも、別の楽しさが味わえて良いのでは、と思います。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その22  碓氷峠鉄道文化むら 旧検収車庫にて

2024年10月21日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。EF62形54号機の運転室に入りました。

 

 いいですね、こういうメカメカ感あふれる運転席特有の雰囲気がたまりません。幾つになってもこういう場所に入るとワクワクして、血沸き肉躍るような高揚感というか、心地よい緊張感に包まれます。
 私も最近は鉄道ファンになってきましたので、マニアの方々がこういう運転席に入って狂喜し感涙にむせぶ気持ちが、だんだんと分かるようになっています。

 

 後から入ってきた鉄道ファンの方と写真を撮りあいまして、運転席にいる姿を記念に撮って貰いました。

 

 運転席から外に出て、かつては検収車庫であった展示館内部の諸設備や備品類を見下ろしました。以前に1/35スケールで製作したガルパン戦車工場の設備や備品によく似たものも幾つか見られましたので、乗り物の整備工場というのはどこも似たり寄ったりだなあ、と感じました。

 

 天井を見上げると、ガントリークレーンが見えました。ダブルガーダ天井クレーンのタイプでしょうか。ガーダ底面に方位板が付いているのが見えました。クレーン作業中に方位を指示するからでしょう。

 

 このタイプのダブルガーダ天井クレーンの容量は最大で350トンだと聞きました。EF63形電気機関車1輌の運転整備重量が108トンですから、余裕で吊り上げられるわけですね。

 

 あらためてEF63形10号機の前から見上げると、車庫の天井が高いことが分かります。鉄道の整備工場というのはどこでも大型の建物がありますが、屋根が高いのはあんまり見かけた気がしません。

 

 ダブルガーダ天井クレーンのレールが建物内部の端から端まで設けられています。つまりクレーンは建物内部のどこへも動かせるわけです。電気機関車を吊り上げて、端から端まで移動する、という作業も昔は行われていたのでしょうか。

 

 横の棚には工具類が置いてありました。どれもこれもサイズがビッグで、家庭用の工具の10倍はあろうかと思うほどの大きさでした。左手前のスパナの端を試しに片手で持ち上げてみましたが、これとて重くて全然持ち上がらず、両手で握りしめて力んでやっと上がる程度でした。鉄道の整備工具ってこんな重いのか、戦車の工具よりも大きいんじゃないか、と呆れました。

 

 戦車の車外装備品とよく似た形状の工具もありました。が、パールとかはもっと長さがあるようでした。よく考えたら鉄道車両は戦車の数倍もの大きさがありますから、工具もでかくて当たり前でした。

 

 工具類を見てから奥の通路に進み、奥の部屋に出てから振り返りました。このアングルで作中に出ているからです。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻118ページ3コマ目です。左側の壁にかけてある2つの円板は何だろう、と思いましたが・・・。

 

 実物はヘッドマークでした。いずれも実際に使われていたものでしょう。

 

 そして右側の奥に描かれていたものが、こちらの鉄道関連設備類でした。警報機、信号灯、輪轍器標識、標識灯などが並べてありました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その21  碓氷峠鉄道文化むら EF63とEF62

2024年10月20日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。EF63形10号機を見て回ったのち、隣のシミュレーターの前に移動しました。正面観は御覧のように箱状になっていますが、奥をのぞけば、赤い車体のEF63形18号機の運転席が箱状のシュミレーターに覆われているだけであるのが分かります。このアングルで作中に登場します。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻115ページ2コマ目です。実際の看板は「EF63シミュレーター」とありますが、作中では「電気機関車シミュレーター」と変えてあり、看板のサイズも小さくなって右側に切り欠きがあります。

 このとき、シミュレーターでは家族連れの観光客が体験運転中だったので、シミュレーターの中を覗くことは出来ませんでした。それで次へ行こう、と奥に進みました。

 

 奧にはもう1輌の電気機関車が置いてありました。EF63形10号機の真後ろに、似たような姿で見えたので、これもEF63形かと思いましたが、よく見るとEF62形の54号機でした。

 

 作中でも同じアングルで描かれます。原作コミック第16巻117ページ1コマ目です。右がEF63形10号機、左がEF62形54号機です。

 

 EF62形も、EF63形と同じく、信越線碓氷峠越えの運用向けに開発された電気機関車です。昭和三十七年(1962)から昭和四十四年(1969)までに54輌が生産され、その1号機と54号機とが碓氷峠鉄道文化むらにて静態保存されています。

 

 外観は、EF63形とほとんど同じです。信越線碓氷峠越えにおいては、EF63形のほうは碓氷峠区間専用の補助機関車という位置付けであり、牽引力およびブレーキ力に重点を置いた特殊形式であったのに対して、上図のEF62形は信越本線の前後区間をも直通できる主力機関車として開発されており、碓氷峠区間ではEF63の補助を受けて通過することを前提とした設計で造られました。

 

 つまり、こちらのEF63形が碓氷峠区間専用の電気機関車だったわけですね。「峠のシェルパ」の愛称が付けられているのもこちらです。

 

 そのEF63形10号機の、俗にジャンパ線などと呼ばれる、上図のジャンパ連結器(ジャンパれんけつき)に近寄ってみました。ジャンパカプラとも呼ばれ、鉄道車輌の制御回路や冷房などの電源回路を接続、連結する部品です。ちなみにジャンパとは、電気回路や基板同士を接続するための電線や端子の総称です。

 このジャンパ線を、作中にて瑞浪絵真が見て「スチームパンクぽくてちょっとかっこいい」と思っています。

 

 このシーンです。原作コミック第16巻117ページ3コマ目です。作中では手前に白い枠のようなものが描かれていますが、実際には見当たりませんでした。それで向かいのEF62形54号機のジャンパ連結器のほうを振り返りました。

 

 こちらのジャンパ連結器はシンプルな形状をしています。ここには他に機関車がありませんので、瑞浪絵真が見ていたのは、やっぱりEF63形10号機のそれでしょう。
 ちなみに上図のアングルも、瑞浪絵真の視点で描かれています。「確かにフグっぽい」と思っています。

 

 右のシーンですね。原作コミック第16巻118ページ1コマ目です。次の2コマ目で、三人がその横の通路を奥へと進んでいきます。

 

 このアングルですね。三人は奥へ進んでいき、EF62形54号機の運転席へと通じる階段には登らなかったようです。ですが、折角来たのですから、登って運転席へと上がりました。

 

 こちらもカッコいいです。さきに見たEF63形の運転席と比べるとこちらのほうが若干広く感じました。やっぱり主力機関車なので、長距離を走っても疲れないように運転席もゆったりスペースで設けられているのでしょうか。  (続く)

 

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黒森峰女学園 Ⅳ号戦車G型(最終章仕様)を作りました

2024年10月19日 | ガルパン模型制作記

 ガルパン最終章第4話にて、無限軌道杯の第3試合にエントリーし、聖グロリアーナ女学院チームと対戦した黒森峰女学園チームは、新隊長逸見エリカの指揮のもと、中戦車と軽戦車を中心とする機動力重視の編成で挑み、終盤では肉弾戦に及んで敵フラッグ車を仕留めましたが、僅差にて敗れ去っています。

 上図は、その試合で初めて参加したⅣ号戦車G型です。一見して、大洗女子学園あんこうチームの搭乗車の第二形態のF2型とあまり違わないな、と思いましたが、公式設定資料図などでチェックしてみたら、まったく同じ仕様でした。

 

 そうなると、手元にあった上図のプラッツの公式キットで劇中車を再現出来ることになります。組み立て手順は共通ですので、悩むこともなく気軽に作れました。
 製作手順は、同じキットを使用した大洗女子学園あんこうチームの搭乗車の製作記事を参照して下さい。

 このタイプが黒森峰女学園チームにも登場したのは、大洗女子学園あんこうチームの搭乗車でも一度しか使われなかった第二形態である、という点も影響しているかもしれません。あんこうチームのⅣ号戦車といえば、私でも初期のD型と現行のH型のイメージが強くあって、第二形態のF2型は下手すると忘れているぐらいなので、黒森峰女学園チームの車輌を見てもダブり感があまり感じられないのでした。

 むしろ、個人的にはドイツ機甲部隊の中核戦力として活躍したⅣ号戦車が黒森峰女学園チームに今まで出ていなかったことのほうに、相当の違和感があったぐらいです。なので、最終章第4話での登場に関しても「やっと出てきたか」というのが正直な感想でした。

 

 ガルパンのⅣ号戦車は、これまでに5輌を製作しましたので、手順も頭に入っていてスイスイと作れました。誘導輪のスポークを6本に変更する改造だけはちょっと手間取りましたが、あとのガルパン仕様への工作の大半が完成後は目立たなくなる部分ですので、最小限の工作にとどめておきました。

 

 塗装も、使用カラーが異なるだけで、車外装備品類の塗り分けもほぼ同じでした。車体カラーはパンターG型と同じに見えるので、Mrカラーの39番のダークイエローを使いました。

 

 校章マークは、車体背面左側と砲塔左右側面につきます。デカールはモデルカステンの「MGデカール ガールズ&パンツァー デカールVol.5」より適当なサイズのものを3枚選んで使いました。

 

 やっぱりⅣ号戦車というと、個人的にはこのアフリカ戦線カラーのイメージがあります。このカラーで製作したのは、今回が初めてでした。

 

 以上、黒森峰女学園チームのⅣ号戦車G型の完成記事でした。製作期間は2023年12月4日から9日までで、組み立てに5日、塗装および塗装後の組み立てに1日をあてました。誘導輪の例の改造以外は、ガルパン仕様への工作も目立たない箇所は省いて最低限にとどめましたので、ほぼストレート組みに等しいものでした。

 この車輌が加わったことにより、黒森峰女学園チームは、アニメシリーズの最後の段階にてほぼ史実のドイツ軍機甲部隊とほぼ同じ顔触れを揃えた事になります。未だに姿をみない主力級の車輌は、同系列車のⅣ号突撃砲ぐらいでしょう。

 

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継続高校 Ⅲ号突撃砲G型 作ります!! その10

2024年10月18日 | ガルパン模型制作記

 追加工作の九つ目は、車体側面のワイヤーの取り付けです。今回のキットにはワイヤーのパーツがありませんので、ジャンクから適当なパーツを転用し、ワイヤーの固定具については上図のモデルカステンのA-7「Ⅲ号突撃砲G型用小パーツセット」を使用します。以前に模型サークルの定期譲渡会にてゲットしたものです。

 

 「Ⅲ号突撃砲G型用小パーツセット」の中身です。各種の留め金具のパーツが入っています。

 

 今回のキットでは、御覧のようにワイヤー固定具の取り付け位置がモールドされていますが、劇中車のワイヤーはもう少し内側にセットされています。それでこのモールドは削り取り、その内側にモデルカステンのパーツを取り付けます。

 

 モデルカステンのパーツを取り付けました。左右フェンダー前端と車体前端の増加装甲に上図のように取り付けました。

 

 ワイヤーは、最近は上図のダイソーの100円の飯田水引をよく使っています。両端のホールド部はジャンクよりタミヤと思われるパーツをもってきました。

 

 瞬間接着剤でチョイとくっつけて、ワイヤーが出来上がりました。

 

 劇中車のシーンを参考にして、上図のようにワイヤーをセットし、瞬間接着剤で接着してマスキングテープで仮留めしました。こうすればワイヤーの曲げた部分がそのままで取り付けられます。

 

 車体前部におけるワイヤーの取り付け状況です。

 

 車体後部におけるワイヤーの取り付け状況です。

 

 マスキングテープを外しました。いい感じで固着しています。

 

 100円の飯田水引、なかなか使えます。タミヤやドラゴンのキットに入っている糸に比べれば、太さもあり表面がツルッとしていますので、ガルパン車輌のワイヤー類全般に似た雰囲気があります。

 

 以上で塗装前の組み立て、およびガルパン仕様への九つの追加工作が完了しました。次は塗装を行ないます。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く41 その20  碓氷峠鉄道文化むら 碓氷峠を走ったEF63

2024年10月17日 | ゆるキャン△

 ゆるキャンの横川鉄道博物館こと碓氷峠鉄道文化むらの続きです。上図の鉄道展示館に向かいました。平成九年の廃線時まで車両区の検修車庫として使用されていた建物で、当時のまま改修も加えずに碓氷峠鉄道文化むらの施設として再活用されています。

 

 まず目につくのが、右のEF63形電気機関車10号機、これはさきにトロッコラインで動いているのを見た車輌の同型車輛で、こちらは静態保存となっています。EF63形は、かつての信越線の碓氷峠越えで活躍した機関車ですから、この碓氷峠鉄道文化むらの看板的存在として、このように入ってすぐの目立つ位置に展示されているのでしょう。

 その左隣にある大きな箱状の施設はEF63形電気機関車18号機を使用した運転シュミレーターです。

 

 まず右側のEF63形電気機関車10号機に近寄りました。近づくにつれてジワジワと既視感が感じられてきました。

 

 なぜなら、原作コミック第92話の表紙イラストになっているからです。108ページのアングルです。

 

 そして、EF63形電気機関車10号機のすぐ前にある線路の覆い板にも既視感がありました。

 

 右のシーンです。原作コミック第16巻113ページ3コマ目です。各務原なでしこがしゃがんで見下ろしていたのは何だろうと思っていましたが、現地で実際に確かめてみたら、ただの覆い板でした。4コマ目で、その板から視線を外に移して、5コマ目から各務原なでしこが妄想にひたるわけです。

 

 各務原なでしこと同じように、原作コミック第16巻113ページ4コマ目のアングルで線路の先を追いました。実際にはレールが残されているだけで、この線路を車輛が走る事は出来ません。

 

 あらためてEF63形10号機を見上げました。子供の頃に見た電気機関車はほとんどがこの外観のイメージで、車体色も青か赤でした。現在各所で走っている電気機関車は派手な車体色やマーキングがなされているものが多いので、この昭和以来のカラーを見るとなぜかホッとしてしまいます。

 

 傍らに置いてあった備品のひとつ。何に使われていたのかは分かりませんが、側面にはプッシュスラーと書かれてありました。メカメカ感がいいです。

 

 これも何かの備品です。先端がノズル状になっていてキャップがはめてありますので、繋いで何かを行なうための器械だろうと考えました。展示施設内の展示物のひとつですから、説明板とかあればいいのに、と思いました。

 

 EF63形10号機は階段が付けられていて運転席や機関室の内部を見られます。上図のように側面の放熱板が全て外されていますので、機関室の内部が見えます。

 

 説明板が全くありませんので、どのような部品かは分かりませんでしたが、上図右の上の丸いのは発電機、その下の丸いのはたぶん送風機の一部、左の銀色の柵状のものは主抵抗器か遮断器ではないかと思われます。

 

 運転席を見ました。カッコイイですね。小学校の頃、叔父が国鉄に勤めていて運転士だったのですが、二、三度ほど、キハ気動車の運転席に座らせてくれたことがあります。

 叔父の職場は名古屋車両区で、鉄道技術者だった父が検査業務でよく出かけていたのですが、時々の休みに私を連れて行き、検車区の建物内に並んでいた車輌の中へ入れてくれたり、ディーゼル機関車の運転席に座らせてくれたりしました。名古屋車両区の全ての車輌が関西本線で使われる気動車で、当時はキハ40、キハ47、キハ58などがずらりと並んでいたのですが、それよりもお菓子やラムネをくれるのが楽しみだった記憶があります。

 

 運転席に座ってみました。心躍る瞬間でした。男は幾つになっても、こういうのが好きなわけですね・・・。各務原なでしこは運転席に座ったのでしょうか。作中ではその描写はありませんでした。

 

 反対側の助手席にも座りましたが、そちらは操作機器が無いので座っても心が躍りませんでした。  (続く)

 

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