気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く39 その13  静岡ホビースクエア

2024年07月17日 | ゆるキャン△

 静岡駅に着いた後は、駅ビル内のアスティ静岡に移動して昼食をとるべく上図の石松に入りました。ゆるキャン聖地巡礼で静岡に来るとどうしても浜松餃子が食べたくなってしまいます。

 

 安定の浜松餃子定食。

 

 やっぱり、これだよね。旨し。

 

 昼食後は駅南口のホビースクエアに行きました。次に乗る列車の時刻まで一時間ぐらいあったので、久しぶりに模型の聖地に立ち寄ることにしました。

 

 アーマーモデリングでとりあげられたという作品が展示されていました。これはもしかして、終戦時に浜名湖に新型の四式中戦車チトを沈める場面では・・・?

 聞くところによると、この戦車の探索が何度か行われているにもかかわらず、いまだに発見出来ていないそうです。もしかして、水没推定地点が違うのでは?と思ったりもします。

 

 きかんしゃトーマスの大型模型。HOゲージよりも大きいので、1/50ぐらいかな。Nゲージではトミックスから出ています。中古品で買おうかな。

 

 なにかのアニメのワンシーンかな、蒸気飛行艇とありますが・・・。

 

 これがベルゲパンツァーの一種ですか。車体はパンターですな。ガルパン最終章第4話の冒頭に出ていたのは車体がティーガーⅠでしたが、ドラゴンやライフィールドモデルのキットをそのまま作っても劇中車にならないのが悩ましいところです。

 

 ウッディジョーの慈照寺銀閣。庭園が実際よりも簡素化されているので、印象が全然違います・・・。建物自体も創建当初の状態ではなくて現在の姿です。

 

 ウッディジョーの木製模型はいいですね。昔からずっと憧れています。年取ってガルパンプラモや鉄道模型Nゲージをある程度やりきった後は、この精巧かつ温もりに満ちた木製模型の世界に浸ってみたい気がします。問題は費用ですかね・・・。

 

 個人的に人生最高の聖地である、宇治平等院鳳凰堂。憧れの模型です。いつかは必ず買って作ります。広い家を見つけて引っ越してからの話になりますが・・・。

 

 この平等院鳳凰堂は、最近の修理復元で藤原時代創建当初の要素が戻されて彩色も鮮やかに復原されていますが、この模型はそれ以前の状態をうつしとっています。藤原時代仏教美術史専攻であり、定朝様式の仏像と平等院鳳凰堂を長年研究してきた身としても、少なからぬ違和感を禁じえませんでした。

 それで、この模型を作る時には、色々と手直しして、いまの復原整備された鳳凰堂の姿に仕上げてみたいという気持があります。

 

 この翼廊部分とかも、細部のあちこちで江戸期修理の要素が見えるんですね・・・。屋根の形も微妙に違いますし。藤原時代の甍のカーブはもっとゆるやかですね。

 

 こちらは奈良の薬師寺の東西両塔。慣れ親しんだ故郷の風景のひとつなので、こちらも作ってみたいです。

 

 これですか、一時期嫁さんが騒いでいた「安宅船」は・・・。個人的には織田信長の鉄甲船に興味がありますが、史料的に具体的な姿が分かっていないので、その模型化は無理でしょうね・・・。

 

 ウッディジョーの人気商品は城郭シリーズだそうです。姫路城と首里城。首里城のほうは城郭というより宮殿でしょうね。

 

 熊本城です。サークルの先輩がこれを作って、周囲の櫓や塀も含めた本丸全体をスクラッチで製作していましたが、材料は紙と木材だったそうです。展示会でそれを見た時には、電飾も仕込まれているので驚いた記憶があります。

 

 安定のタミヤコーナー。

 

 今回の展示品のなかで一番テンションがあがった品。海賊戦艦アルカディア号。中学から高校の頃は、アニメのキャプテン・ハーロックシリーズの大ファンでした・・・。

 うちゅーうーのうーみーはーー、おーーれーーのうーみー・・・と心の中で歌いつつ、ふと時計を見たら12時13分でした。わっ、いつの間にか時間が経ってるぞ、次の電車の時刻まであと8分しかないじゃないか、と慌てて退出してスカイウォークを静岡駅へ駆け戻ったのでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く39 その12  静岡へ

2024年07月13日 | ゆるキャン△

 白糸の滝および音止の滝、お鬢水を見てバス停に戻りました。上図の、来た時に降りたバス停ですが、これは行きの路線のバス停だったと気付いて、反対側の帰りの路線のバス停へ向かいました。

 

 こちらが帰りの路線のバス停でした。次の便の時刻9時20分まで7分ありましたので、周辺の景色を見て撮りました。

 

 やっぱり富士山が綺麗に見えているので、何枚でも撮ってしまいます・・・。

 

 どこから富士山を撮影したかの記録の意味で、上図のように白糸の滝の案内看板を入れて撮ったりしました。

 

 9時20分のバスに乗り、30分後の9時50分に富士宮駅前に戻りました。上図右が今回泊まった富士急富士宮ホテルです。

 

 駅前のコンビニで買い物をして、嫁さんに定期の連絡をした後、10時5分に富士宮駅に入りました。

 

 駅のホームから見える富士山。富士宮駅はこういう景色が楽しめますから全然退屈しません。

 

 富士宮駅の駅名標です。

 

 駅の側線には保線工事用の車輌が停まっていました。以前に大井川鐡道でも似たような車輛をみかけましたが、この種の車輌は地域ごとに形式がバラバラであるような気がします。同型車輛をどこでも見かける、という感じではないように思いますが、どうなのでしょうか。

 模型のNゲージでは、こういう感じの保線工事用の車輌は、トミックスやカトーなどの大手メーカーからは出ておらず、津川洋行やグリーンマックスのキットしか出ていないようです。

 

 ですが、上図のような長い荷台車は津川洋行やグリーンマックスのキットにあったかなあ・・・。

 

 保線工事車両を見物しているうちに、次に乗る列車がやってきました。10時23分発の特急ふじかわ4号、373系の3輌編成でした。この車輛も去年の冬にNゲージのトミックスの製品を購入しましたが、ヘッドマークのインレタシールをまだ入れていないので、いまだに手元で走らせていません。

 

 いつも快適な特急ふじかわの車内。乗って数分もすれば、ウトウトしてしまいます。車やバイクでの聖地巡礼もいいですが、鉄道やバスなどの公共交通機関を利用したほうが、移動中に何か食べたり、ゆっくり寝られるので楽ですね。

 

 窓から見えた富士山。

 

 11時2分、終点の静岡駅に着きました。

 

 静岡駅の駅名標です。

 

 そういえば、特急ふじかわのヘッドマークは何色だったっけ、と気付いて再度前面部を見に行きました。青色でした。

 トミックスの373系のセットには、ふじかわの青色のヘッドマークのほか、373系が運用された特急の「伊那路」や「東海」のヘッドマークも幾つか入っていますので、購入後に好きなのを切り取って貼ることになりますが、まだ貼っていなかったので、実車を見て確かめたわけです。

 

 よく見ますと、青い海のように見えたのは富士川の水流のデザインですね・・・。水色は空で、白い複数の横線は雲ですかね・・・?  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く39 その11  白糸の滝からお鬢水へ

2024年07月09日 | ゆるキャン△

 美しい虹がかかった白糸の滝の朝の光景を、ずっと眺めていて、ふと時計をみると8時55分でした。残り25分になっていました。

 

 もう少し眺めていたかったのですが、帰りのバスに乗れなくなってしまいますので、意を決して退出することにしました。

 

 退出の前に、記念の自撮り。

 

 20年ぶりの白糸の滝、最高でした。富士山の太古の火山活動によって形成された雄大な大自然の地形の妙、と言えましょう。

 

 後ろ髪を引かれる思いで、帰りの園路も後ろ向きに歩いて、少しでも長く滝を見続けて心に刻み込みました。

 

 さて、どっちへ行くのか・・・と上図の道標を見上げました。たぶん、駐車場へ向かえば良いかな、460メートルか、と思案しました。いま歩いている帰路の園路は20年前には無かったと思うので、最近の整備事業によって新たにつけられたものだろうと考えました。

 昔は滝のすぐ近くまで行って、また引き返して駐車場に戻ったと記憶していますが、その駐車場がいまでは「富士山・白糸ノ滝テラス」に転じているのでした。
 なので、現在の駐車場は、20年前の駐車場とは別の位置にあることになりますが、それはバス停の横の広い駐車場のことかな、と思いました。

 

 道を登って駐車場へ行く途中に展望場がありました。白糸の滝の西側の断崖上に突き出るようにして設けられています。

 

 展望場からは、白糸の滝の馬蹄形の滝壺が見下ろせました。

 

 さきに滝の近くまで行った時には分かりませんでしたが、上から見る水の色は透き通った綺麗なエメラルドグリーンでした。

 

 富士山も御覧のように真正面に見えました。

 

 何度見ても素晴らしい。見飽きません。こういう景色が見られる家に住んでみたいものです。
 それで、いま嫁さんとすすめている家探しの件で、山梨県や静岡県を候補地に入れたら「ゆるキャンだけで家の場所決めるの、止めて貰えます?」と軽く笑われました。模型はガンガン作るけれど、アニメやアニメの聖地巡礼には全く関心がない人です。

 

 展望場から駐車場へ行く途中に、上図の「お鬢水」の標識がありました。初めて見る名前なので、立ち寄ってみました。

 

 現地の案内説明板です。なるほど、白糸の滝の上にある水流の池ですか・・・。

 

 「お鬢水」は昔から神泉として祀られており、上図の昭和41年設置の古い説明板には3柱の祭神が記されてありました。

 

 これが「お鬢水」です。小さな水溜まりといった感じの池でした。右手の低い方に浅く水が流れていました。

 

 「お鬢水」の奥には、水流の痕跡というか、水が少なくなって枯れた堆積溶岩の切れ目が見えました。降雨期や増水期にはここにも水流が戻って、白糸の滝への支流が見られるそうです。

 つまり、普段はこのように水流が枯れて「お鬢水」が池として静まるわけか、と納得しました。それで滝にかかわる水神への祭祀の拠点として昔から崇められてきたわけか、と理解しました。

 

 「お鬢水」の礼拝所に回ると、正面の池の向こうに岩窟が穿たれて、3柱の祭神の石祠がまつられていました。水面は静かに止まって鏡のように見え、上の景色が逆さまに映っていました。

 増水期には岩窟のすぐ下まで水が溢れるようで、岩窟の真下の岩肌には水の流れた痕跡が見えました。そこまで水位が上がれば、「お鬢水」に近づくことも出来なくなります。その時期には道を閉鎖して立ち入り禁止にするのだろうな、と思いました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く39 その10  白糸の滝

2024年07月05日 | ゆるキャン△

 白糸の滝テラスエリアから階段を下ると、本来の古くからの滝見学路に合流して左へ進みます。滝の音が依然として響いていましたが、樹木が茂っていて谷間が見えませんでした。100メートルほど進むと樹木が切れて右手の谷間への視界がパッと開け、上図のように白糸の滝の姿が見えました。

 

 その地点から少し進むと分岐があり、左手にも上図の標識がありました。遠くの富士山の白い山頂を見つつ、音止の滝というのがあるのか、と思いました。この音止の滝に関しては、前回来た時の記憶が全くありませんでしたので、たぶん見ていないのだろう、と思いました。

 

 音止の滝展望所に登ると、白糸の滝よりも落差の長い立派な瀑布が谷間の陰に白く浮き上がって見えました。両側の崖面からも数状の細い滝が落ちているところは、白糸の滝と同じでした。位置的には100メートルぐらいしか離れていませんから、音止の滝も白糸の滝も同じ地形環境に派生した滝であることがよく分かります。

 

 音止の滝展望所からは、富士山も見えました。

 

 それで富士山と見比べつつ、しばらく音止の滝の滝壺の地形を眺めました。一見すると火口跡のようにも見えますが、古富士泥流堆積物の上に白糸溶岩流が積もって、それらが水流や滝で削られていった結果の滝壺地形であるそうです。この大きさの滝壺になるまでに何万年かかったんだろう、と思いました。

 

 引き返して、白糸の滝への見学路に戻り、上図の景色を眺めつつ、坂を降りて谷間へと進みました。

 

 この辺りまでくると、前回に来た時のおぼろげな記憶の景色とピタリと重なってきました。ああ、ここだな、と思い出しました。前に来たのは平成17年の夏でしたから、ほぼ20年ぶりの、変わらぬ白糸の滝の景色でした。

 

 現地の案内説明板です。前回来た時には無かったと思います。前回の訪問の翌年に滝見橋が崩落、平成23年の東北地方太平洋沖地震などで滝壺が被害を受け、その後は富士山の世界遺産登録に向けての諸整備事業が進められて、滝壺で営業していた土産物店を移転させ、落石防止柵などの人工構造物を撤去して風致景観の整備を行ったほか、歩経路、展望場、休憩場等の整備が行われたと聞きます。

 なので、今回来て、滝周辺の景色が完全に一変していたのも納得出来ました。

 

 ですが、白糸の滝の本体そのものは昔のままであるようです。度々の地震による落石や崩落なども大半は復旧されたそうなので、平成17年夏の見物時の記憶とあまり変わらない景色が眼前に広がっていました。

 

 この、古富士泥流堆積物の上に、白糸溶岩流が積もっているのが崖面を横切る一本の筋から分かります。その筋の上下の隙間から富士山の地下水が流れ出ています。その様子が白い絹糸を垂らしたようであることから「白糸の滝」と呼ばれるわけです。

 

 気付くと、主瀑の方角に虹がかかっていました。朝早くに来たので谷間の滝壺全体が日陰にありましたが、徐々に陽光が差し込んできたので、滝の水飛沫や霞のプリズム効果が発生したのでしょう。

 

 虹は、しばらくの間あざやかに出ていましたので、滝と虹とをしばらく眺めて過ごしました。マイナスイオンも溢れていて、なにか気分も良くなってきたのでした。

 

 滝に面した見学路の脇には、上図の古い石碑が建っていました。刻字の書体からみて江戸期の遺品とみられます。

 

 石碑の近くにあった案内説明板です。江戸期の富士講の開祖であった長谷川角行(はせがわ かくぎょう)の流れを受け継いで富士講を中興した食行身禄(じきぎょう みろく)の供養碑であるそうです。

 富士講とは、江戸期の富士山信仰の民間信仰団体のことです。広義的には、富士山とその神への信仰を行うための講社全般を指しますが、狭義的には、江戸期の関東で流行した、長谷川角行の系譜を汲む宗教体系および宗教運動全般を指します。仏教考古学や仏教民俗学などの分野における「富士講」の語句も、後者にあたります。  

 その狭義的な「富士講」の聖地のひとつが、ここ白糸の滝であるわけです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く39 その9  白糸の滝の斉藤恵那

2024年07月01日 | ゆるキャン△

 白糸の滝の公園に着きました。時計をみると8時7分でした。9時20分発のバスで富士宮駅へ戻る予定でしたので、持ち時間は1時間13分でした。一時間あれば、白糸の滝とそれに続く数ヶ所の滝をゆっくりと見られるからです。

 

 とりあえず、上図の観光案内書に寄ってみましたが、無人の休憩室と資料コーナーがあるだけで、斉藤恵那のパネルは見当たりませんでした。
 どこに置いてあるんだろう、白糸の滝の瀑布の横には置いていないだろうし、管理の関係で屋外には置かない筈だから、どこかの施設の中だろうか、と考えました。

 

 最近に「名勝及び天然記念物「白糸の滝」保存管理計画事業」によって再整備された、「富士山・白糸の滝テラス」のエリアにて上図の案内標識を見ました。前に来たときはこういった公園施設はありせんでしたから、完全に風景が一変してしまっていました。

 

 「富士山・白糸の滝テラス」の全容です。富士山を見渡せるテラス状の敷地内に5棟の建物が建ち並びます。いずれも売店などの店舗施設であるようです。

 

 近くに案内地図が立ててありましたので、近寄りました。現地の状況がいまひとつ分からなかったので、とにかく情報が欲しい、白糸の滝との位置関係や周辺の地形が分かれば、と考えたからでした。

 

 現在地は、「富士山・白糸の滝テラス」の北端にあたるようでした。すぐ右にある建物が、さきに寄ってきた無人の観光案内書でした。そして左に店舗施設とみられる建物が並んでいるのでした。

 

 まだ朝の8時台でしたから、いずれの建物も閉まっていてシャッターが下ろされていました。が、1棟だけが、上図のようにシャッターを少し上げた状態になっていました。ピンとくるものがありました。斉藤恵那のパネルが置いてあるのかな、と考えました。

 

 その建物の看板を見ました。ハッピーベルしらいと、ですか・・・。観光案内所で貰ってきた案内マップによれば、パワーストーンの店で、水晶を主に天然石のアクセサリーを製造販売しているそうです。

 

 そして、やっぱり斉藤恵那のパネルがありました。ウインドゥの内側に貼り付けてあり、それが見えるようにシャッターを少し上げてあるのでした。

 

 うん、2期とあんまり変わらない感じですね。身延高校の5人のなかで最もノーマルなデザインのキャラクターですから、3期のデザインもそんなに変えようがないのでしょう。

 ともあれ、斉藤恵那のパネルを見つけたことで、今回の第一ミッションは完了、となりました。パネルの場所が公示されていなかったため、あちこち探し回らなければならないのかと思っていましたが、案外に早く見つける事が出来ました。これで、白糸の滝見物をゆっくり楽しめる、と思いました。

 

 斉藤恵那のパネルが置かれているお店の前から、富士山を見ました。御覧の通りの絶好の撮影ポイントです。

 

 さて、それでは白糸の滝へ向かいますか・・・。

 

 付近の案内地図に近寄って、現在位置を確認しました。なるほど、西側の谷間に滝があるわけか、と既にサーッと聞こえてきている滝の音を聞きながらその方向を見ましたが、樹木にさえぎられて視界は全くのゼロでした。

 

 この階段を降りるのか・・・。前に来たときはこういう通路施設は無かったぞ・・・。滝への園路も新たに造り直されているようだな・・・と、前回の記憶と全く一致しない辺りの風景に、時の流れを感じて思わずため息をついてしまったことでした。  (続く)

 

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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その52 夜の千頭駅から家山駅へ

2024年06月28日 | ゆるキャン△

 千頭駅前に戻ったのは17時11分でした。日は落ちて夜の闇が空をも覆いつつありました。駅前のバス停に着いて程なく、17時15分発の家山駅行きの連絡バスがやってきましたので、乗り込みました。

 

 バスに乗り込んだ直後、上図の写真を撮り、あとはウトウトと寝ていたと思います。記憶がありませんので・・・。

 

 大きな揺れで目が覚めました。バスが家山駅前の広場でターンしてバックした際の揺れでした。直後にドアが開いて、ぞろぞろと降りる同乗客の列の後に続いて下車しました。時計を見ると18時4分でした。

 

 千頭駅から乗ってきたバスです。既に行先表示が千頭駅に変わっていました。18時15分に千頭駅へ向かって発車する予定でした。

 

 家山駅の駅舎内に入りました。列車の時刻は18時25分なので、20分ほどの待機時間がありました。それで駅舎の内部を見たりしました。

 

 窓口の横の壁の上方に掛けてあった、C11-227号機のイラスト。昭和五十一年(1976)に大井川鐵道で動態保存を開始した蒸気機関車です。同時に、日本における鉄道省および国鉄の製造車による初の定期的な営業用動態保存運行を行った蒸気機関車でもあり、大井川鐡道のシンボルとも言える存在です。

 

 駅舎の建物は、昭和四年(1929)12月1日に開業して以来のそれです。戦前の典型的な田舎の駅舎の姿をとどめており、何度か映画やドラマのロケ地になっています。映画は「男はつらいよ」や「鉄道員」、ドラマは「学校の怪談2」などが挙げられます。

 

 いまは千頭駅にてトーマスファミリーのジェームズに扮しているC56-44号機のナンバープレートです。真新しく見えるのでレプリカかな、と思いました。

 

 夜の家山駅の景色を撮りに、ホームへと向かいました。この駅の夜の景色もなかなか良い風情がありました。こういうのもNゲージのジオラマで再現出来たら面白いだろうな、と思いました。

 

 側線に駐機されていたホキ800形貨車。車体が黒く塗られているので、夜中に見ると輪郭もおぼろげで、ホームの電灯に淡く照らされた範囲だけが白っぽく浮き上がって見えました。

 

 ホームから駅舎をみたとこです。昭和の鄙びた町の駅の夜、という表現そのままの雰囲気でした。こういう景色を見るとシャイでナーバスでロゥンサムな気分になってしまうのは私だけでしょうか。

 

 18時25分発の列車に乗って家山を出発しました。終点の金谷駅には19時1分に着き、JR線に乗り換えて19時20分に発ち、19時34分に掛川駅に着いて新幹線に乗り換えました。京都駅に帰り着いたのは21時15分でした。

 これで、大井川鐡道の全ての範囲にて、見るべきものを見て、把握すべき事柄はみんな把握した、と思います。資料やネット上の記載からは得られない、現地に行かないと見えてこない情報が沢山ありました。
 例えば、大井川鐡道の車輌のなかには、廃車になって書類上は消滅しているにもかかわらず、いまも側線などに留め置かれている車輛が幾つかあったりしました。それらの確認と見学は、Nゲージジオラマ作成に向けての見学取材も兼ねましたから、記録メモは70ページ余り、写真画像は約4500枚にものぼりました。特に井川線は細かく観察していたので、色々な学びや発見があって面白かったです。

 ゆるキャンに登場して聖地が数多く生まれた大井川鐡道エリアですが、昔から行楽地として親しまれてきただけあって、普通に観光に行っても充分に楽しめるところだと思います。今後も機会があれば遊びに行きたいです。

  以上、「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る旅のレポートを終わります。  (了)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く39 その8  白糸の滝へ

2024年06月27日 | ゆるキャン△

 翌2月12日の朝は6時ちょっと前に起床しました。外は快晴、宿の「富士宮富士急ホテル」の部屋の窓からは、富士山が御覧のように綺麗に見えました。

 

 このように朝から富士山の姿が拝めますので、富士宮エリアでの聖地巡礼では常に「富士宮富士急ホテル」に泊まるわけです。

 

 朝食は6時半からなので、30分あまりを富士山を眺めて過ごしました。

 

 デジカメの望遠モードで撮ったり。

 

 各務原なでしこと同じ「富士山スキー」ですので、この景色はもう最高でした。この日も頑張るぞ、という気持ちが湧いてまいりました。

 

 6時半からバイキング方式の朝食をゆっくりといただき、部屋に戻って20分ほど休み、支度をして7時半にチェックアウトしました。宿のすぐ西のバスターミナルから7時35分発のバスに乗る予定でした。

 上図は、バスターミナルから宿の「富士宮富士急ホテル」を見上げた図です。この至近距離ですから、宿を出て1分でバスに乗れます。

 

 バスターミナルの2番乗り場に行きました。既に数人の登山姿の方がバス待ちをしていました。

 

 2番乗り場からのバスは、御覧の方面へ行きます。この日の聖地巡礼の最初の目的地は白糸の滝でした。

 

 時刻表をチェックしました。白糸の滝へは、白糸の滝が終点の系統と、白糸の滝を経由して休暇村富士、猪の頭へ向かう系統とがありますが、今回は後者の7時35分発に乗りました。

 

 白糸の滝までの片道運賃は710円でした。移動時間は約40分でした。

 

 バスがやってきましたので乗り込みました。

 

 バスの車内では左側の一番前の席に座りました。

 

 なぜかというと、路線の方向の関係で前方に富士山が見えることが多い、と聞いていたからです。富士宮市街を走っている間はだいたい富士山に向かって走っていましたので、上図のように富士山がよく見えました。

 

 8時5分、白糸の滝バス停で下車、去り行くバスを撮りました。

 

 同じ位置でくるりと回れ右をすると、御覧の通りの景色でした。最高の景色にテンションが高止まりのまま、ザックから地図を取り出して付近の様子を確かめました。

 白糸の滝には、30代の頃に甲府の歴史観光団体に参加していた時期に訪れたことがあります。が、最近に公園化再整備事業が行われて、滝周辺の様相が一変してしまったと聞いていたので、念のために下調べをしましたが、現地についてみても、昔の記憶とは完全に違った景色になっていて、どこがどうなったのか、さっぱり分からなかったのでした。  (続く)

 

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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その51 千頭駅周辺

2024年06月25日 | ゆるキャン△

 川根両国駅から千頭駅へ徒歩で移動中に上図の川根大橋の横を過ぎました。
 川根両国駅で列車より降りたのが14時9分、その後両国吊橋へ行って上から川根両国車両区を30分ほど見物し、線路沿いの道をたどって側線の留置車輌を見、再び線路に沿ってここまで来ました。時計を見ると14時59分でした。

 

 それから4分後の15時3分に千頭駅前に着きました。まずは上図の奥大井観光案内所へ寄って、まだ買っていなかったゆるキャンポスターを2点購入しました。

 

 続いて、観光案内所前にて営業していた上図の屋台にて、あの豚串を購入しました。

 

 各務原なでしこも食べた、あのBUTAKUSHIです。千頭駅に来てこれを食べないわけにはいきませんね・・・。

 

 BUTAKUSHIを味わった後は、お決まりのコースとなりました。上図のカフェ「うえまる」へ吸い込まれるように寄りました。

 

 そして各務原なでしこも食べたダムカレーをいただきました。ゆっくりと40分ほど過ごし、上図のゆるキャンコーナーもチェックしました。

 アニメ3期では、「音戯の郷」内のカフェスペースにて各務原なでしこがダムカレーをいただいていますが、そこがカフェ「うえまる」が最初にオープンした場所だったそうです。その後に千頭駅前のバス停の向かいの建物内に移転し、さらに移転して現在地にて営業している、という流れだそうです。

 なので、アニメ3期の描写は、カフェ「うえまる」が2019年に最初に「音戯の郷」内にてオープンした頃のものであるわけです。テーブルや椅子はそのまま現在も置かれて、休憩スペースになっています。

 

 千頭駅前に行きましたが、帰りのバスの時刻までまだ一時間余りもありました。それで、もう一ヶ所、以前からちょっと気になっていたお店に立ち寄りました。

 

 そのお店は、千頭駅の東側の車道沿いの南側に位置しています。そこへ向かう途中で、右手に上図の転車台を見ました。あの転車台のNゲージキットも最近に買いましたが、まだ作っていません・・・。

 

 そのお店は、上図の「井川メンパ工房」でした。メンパとは、スギやヒノキなどの薄板を曲げて作られる円筒形の木製の箱のことで、いわゆる曲げわっぱです。日本各地の伝統工芸品となっており、地域によって呼称が異なります。静岡県では静岡市葵区の井川にその工法が伝承され、上図の「井川メンパ工房」など数軒が昔ながらの曲げわっぱを作り伝えています。
 店主とお弟子さんの二人が出て来られましたので、陳列してある製品の概要や井川メンパの歴史などをうかがいました。そのついでに、ゆるキャンの件も聞いてみました。

 実は、この「井川メンパ工房」の製品であるメンパに、ゆるキャン原作者のあfろさんが興味を示し、取材と許可願いに行ったのですが、断られたそうです。そのことは「井川メンパ工房」の店主さんがブログなどで「なぜ断ったのか後悔している」旨を述べていることからも分かりますが、話をうかがった時にその背景事情とかについて聞いておけばよかったな、と思います。

 ですが、それ以上に、ゆるキャンの大井川キャンプ編のストーリーで井川地区がほぼスルー状態になっていることの理由が、ある程度うかがえます。
 周知のように、ゆるキャンには各地の名産品や木工品がよく登場して、幾つかはキャンプで使われています。メンパも木工品ですから、静岡出身のあfろさんも知っていたでしょう。そして漫画にて各務原なでしこ、志摩リン、土岐綾乃が井川でメンパを買ってキャンプ飯の食器として楽しむシーンも原案に入れていたのでしょうが、井川メンパの職人さんに取材も断られたため、井川でのメンパ食事シーンを削るしかなくなり、井川での行動場面をボツにして切り捨てるしかなくなったのでしょう。

 店主さんの話では、取材を断った時に、あfろさんがものすごく困った顔をしていた、との事でした。それはそうでしょう。静岡の伝統工芸品としても名高い井川メンパをゆるキャンにて紹介しアピールする絶好のチャンスを失ったわけですから。

 それで、結果的には井川地区を不自然なほどにスルーする形で原作コミックのストーリーが描かれています。孫ライダーズの二人は井川で給油だけして通り過ぎ、各務原なでしこも井川線アプト式列車の旅を奥大井湖上駅までとしています。原案では井川駅まで乗ることになっていたのかもしれませんが、結果的にそれは実現しませんでした。

 ですが、個人的にはそれで良かったのだろう、と思います。もし井川メンパがゆるキャンに登場して注目され、大勢のファンが買いに殺到したらどうなるでしょうか。職人の手作り生産で量もきわめて限られる井川メンパですから、あっという間に無くなって注文にも対応出来ないに決まっています。山梨県の西嶋和紙のように、伝統工芸品でありながら一定規模の工場もあって大量生産もきき、ゆるキャンとのコラボグッズも積極的に出しているケースとは違うのです。

 なので、「井川メンパ工房」の店主さんがあfろさんの取材を断ったのは、ある意味正解であったと思います。他の井川メンパの職人さんも断ったそうですが、同じ事情によってでしょう。  (続く)

 

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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その50 川根両国駅側線の留置車輌

2024年06月24日 | ゆるキャン△

 川根両国車両区の上に懸かる両国吊橋より、東の大井川と県道77号線の両国橋を見ました。日は既に西に傾いていて、まだ14時半にもなっていないのに、夕方が近いような雰囲気になっていました。
 川根両国車両区の見学は終えたので、道を引き返して井川線沿いの上の車道を千頭駅へ向かって歩き出しました。

 

 道から左手にずっと線路が見えていて、上図の川根両国駅も見えました。さきに見た貨車も全部見えました。

 

 川根両国駅を見下ろしてから350メートルほど歩くと道はT字交差点となって左右に分かれました。線路沿いにたどる積りなので、左折して線路の上を渡る陸橋に向かいました。

 上図はT字交差点から東をみたところで、井川線の線路と側線の南端、それらをまたぐ陸橋、そして側線に留置される3輌の車輌が見えました。貨車2輌と客車1輌でした。

 

 貨車2輌は、cワフ0形と呼ばれる大井川鐡道専用の有蓋緩急車でした。cワフ0形は、昭和二十八年(1953)12月に4輌が日本車輌製造で製造され、大井川鐡道にて貨物輸送に使用されました。

 

 側線にあった2輌の車番は、cワフ1、上図のcワフ4でした。いま現存する2輌です。あとの2輌、cワフ2とcワフ3は井川線での貨物輸送が終了した後、平成26年に廃車となり、平成30年に群馬県の旧国鉄吾妻線太子支線の太子駅跡地の公園へ移されて静態保存されています。

 その旧国鉄吾妻線太子支線の太子駅跡地の公園というのが、実は、今ゆるキャン原作の連載が進んでいる群馬キャンプ編の野反湖ルートの途中にあります。各務原なでしこ、斉藤恵那、瑞浪絵真のトリオが立ち寄るシーンがひょっとしたら描かれるのかもしれない、とひそかに思っております。

 

 客車1輌のほうは、御覧の通りのボロボロで汚れまくっていて見るに堪えない状態でした。これもう廃車になってるんだろうな、と思いつつ、陸橋を渡りながら見下ろして反対側も見ました。

 

 とりあえず、車番を確かめてみようと扉の脇あたりを探しました。

 

 スハフ503、と読めました。思った通り、既に廃車となっていたスハフ500形客車の3号車でした。

 スハフ500形は、中部電力専用線が昭和三十二年(1957)に大井川鉄道井川線として旅客営業を開始した後の観光客増加に対応するための増備車で、cトキ200形を改造して3輌が両国車両区にて製造されました。
 その後、スハフ502が平成二十三年にスロフ317に改造され、スハフ503は平成二十七年に廃車となって現在に至っています。最後まで休車となっていたスハフ501は令和三年にスロフ318に改造されたため、スハフ500形は書類上は形式消滅となっています。

 ですが、廃車後もスハフ503がこうして残っているので、書類上は存在しないことになっているスハフ500形が実在しているのだと確認出来ました。いずれは解体されるのか、それともスハフ501のようにスロフ300形に改造される予定なのかは分かりませんが、しばらくはこのボロボロの状態で留置されるようです。

 

 これで川根両国駅からの側線上の留置車輛も全て確認し、井川線における全ての車輛の現状を把握しましたので、あとは線路に沿って千頭駅へ戻るだけとなりました。県道77号線に出て大井川を左にみながら、井川線の上を高架橋形式で通る歩道を歩きました。

 

 悠々たる大井川の景色。

 

 井川線の横を千頭駅まで通っていた側線は大部分が廃止撤去されていますが、その面影が上図の橋梁部などにしのばれました。昔はこの側線上を千頭駅から川根両国駅までSL牽引の観光列車が走っていたりしたそうです。

 

 県道77号線の川根大橋のたもとまで来ました。大井川によって東西に隔てられる川根本町の中心街区を結んでいる要衝の鉄橋です。ここまで来ると、千頭駅までは200メートルぐらいとなります。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く39 その7  富士山観光案内処寄って宮の犬山あおい

2024年06月22日 | ゆるキャン△

 富士山世界遺産センターを見た後、その北にある富士山本宮浅間大社に向かいました。上図は二の鳥居で、その左手前には観光案内所や土産物店が並んでいます。

 

 15時7分、観光案内所に立ち寄りました。観光案内処「寄って宮」が施設の正式名称です。

 

 その観光案内処「寄って宮」のウインドー内側に、この日の4人目のキャラクターパネルが貼ってありました。観光案内処「寄って宮」はこの日は15時15分に終了して閉館となりましたが、パネルは閉館後も見えるようになっているわけでした。

 

 犬山あおいです。これも2期までのデザインとはちょっと変わって、原作のやや子供っぽい雰囲気に近づいている感じでしたが、眉毛と片八重歯の二大特徴はそのままでした。

 

 これで、この日の予定だった4人のキャラクターパネルを全て見る事が出来ましたので、道中安全のお礼と明日の交通安全の祈願を兼ねて富士山本宮浅間大社に参拝しました。

 

 これで4度目の参拝でした。初回は甲府の歴史観光団体に所属して活動していた時期に見学会で訪れましたが、あとの3回は全てゆるキャン聖地巡礼で行きましたので、ゆるキャンの影響力は間違いなく大きいです。

 

 拝殿と、富士山をシンボライズした本殿の独特の姿も、すっかり馴染みの景色のひとつになりました。

 

 参拝後、二の鳥居付近の土産物屋の食事処で、上図の富士宮焼きそばをいただきました。これを食べないと富士宮に来た意味が半減してしまいます。
 ゆるキャン聖地巡礼の三回とも富士宮焼きそばを食べましたが、それぞれ食べたお店が異なります。店ごとに味付けが微妙に異なるので、色々な風味の焼きそばが楽しめます。

 

 富士山本宮浅間大社の境内地から南へ流れる神田川の流れを眺めつつ、奥に見える一の鳥居へと戻りました。

 

 富士山はどうだろう、まだ雲に覆われてるのか、と振り返ると、灰色の雲のなかに薄っすらと輪郭が見えました。明日になれば全容が拝めるだろう、天気予報は快晴とあるからな、と思いました。

 

 一の鳥居前の県道414号線を東にたどりました。上図は一度一の鳥居とその奥の富士山世界遺産センターを振り返ったところです。

 

 しばらく歩いて、富士宮駅に着きました。駅にて明日乗る予定の列車の時刻を確認して、それから上図の宿へと向かいました。富士宮エリアでの宿泊ベースとしていつも利用している、富士宮富士急ホテルです。  (続く) 

 

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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その49 川根両国車両区

2024年06月20日 | ゆるキャン△

 両国吊橋を渡りながら右手を見下ろすと、御覧のように川根両国車両区がよく見えました。まるで模型のジオラマのようでした。これはNゲージのジオラマ製作のよい参考になるぞ、と思いました。

 周知のように、鉄道模型のNゲージは1/150スケールですので、そのジオラマはだいたいは俯瞰する形で見下ろすことになります。目線の高さや目線より上の位置で製作することはまずありません。

 なので、高い所から見下ろすような形で模型の製作を進めるわけですが、鉄道模型のモデルになる実際の鉄道を、上図のように上から俯瞰する機会というのはそうそうありません。線路や駅の上をまたぐ陸橋や車道などから見下ろしたり、高い駅ビルや隣接するビルなどから見下ろしたりする程度でしょう。

 大井川鐡道においても、高い位置から鉄道を眺められる場所というのは限られています。本線では新金谷駅の車両区の南側の陸橋ぐらいしか思い浮かびません。井川線では山奥の林道から遠く離れて見下ろせるポイントが幾つかあるそうですが、近接して見下ろせる場所はここ両国吊橋ぐらいだと思います。

 

 しかも両国吊橋はゆるキャンの聖地の一つとして知られ、原作でもアニメ3期でも、吊橋を渡る志摩リンと土岐綾乃の場面に上図に近いアングルで川根両国車両区も出ています。上図のような駐機車輌は描かれていませんでしたが、奥の機関車庫や線路はそのまま描かれています。

 

 さきに川根両国駅のホームからもチラリと見えていた列車は、御覧のように「訓練」のヘッドマークが付けられた訓練用の一編成でした。DD20形機関車、スロフ客車、そして上図のクハ600形客車の3輌編成でした。

 

 その訓練列車は、機関車庫に通じる四本の線路のひとつに停まっていましたが、機関車庫へ収容するためではなさそうでした。同じ線路の機関車庫内に別の車輌がシートを被せて保管してあったからです。

 

 両国吊橋を少し北へ渡って移動し、川根両国車両区を斜めから見ました。この角度からは川根両国駅からの本線も見えますが、駅内の線路がストレートに車両区の線路にポイントなどで繋がっていない様子でした。

 

 訓練列車のクハ600形を望遠モードで撮りました。車番はクハ604でした。

 

 機関車庫の脇へ伸びる三本の側線に駐機してある車輌群を見ました。左の機関車庫わきの側線にシートをかぶせて置いてあるのが、おそらくDD100形ディーゼル機関車でしょう。かつて井川線にて8輌が運用されていましたが、いまはDD107号機のみが残り、廃車となった後もずっと川根両国車両区にて静態保存されています。

 

 その隣の、真ん中の側線には3輌の貨車が見えました。手前は川根両国駅でも見かけたcトキ200形貨車ですが、真ん中の貨車はよく見えず、奥の貨車は初めて見る形式でした。奥の貨車は中央が窪んだトレーラーのような形状で、コンクリートらしい方形の塊を5個載せていました。

 

 デジカメの望遠モードを最大限に発揮して、その中央が窪んだ形状の貨車を見つめました。そうか、あれが井川線に1輌が現存しているというcシキ300形貨車か、と思い至りました。

 cシキ300形貨車は、井川線の前身である中部電力専用線において、井川ダム建設の際に発電機や変圧器の大型機材を輸送する必要があったため、昭和二十九年(1954)に飯野産業(現・日立造船)で2両が製造された2軸ボギー低床式大物車の一種です。現在はシキ301のみが在籍し、井川線の保線工事や土砂崩れの復旧工事などで必要な重機を運搬するために使用されているそうです。

 このcシキ300形貨車もNゲージの模型は出ていませんが、国鉄のシキ70形貨車にほぼ一致する姿で、全長が約1メートルほど短いだけなので、甲府モデルさんが出しているシキ70形貨車の1/150ペーパーキットを利用して、長さを約6ミリほど縮めれば、cシキ300形貨車っぽく作れそうだな、と考えています。

 

 その後、機関車庫の内部を望遠モードで覗いてみて、右から2番目の線路上にトーマスファミリーのラスティーに扮したDB1形ディーゼル機関車が入っているのを確かめました。すでに廃車となっていますが、いまも現役として機関車庫内外の牽引移動用に使われているといい、トーマスイベントの度にラスティーとして展示されていることもしばしばだそうです。

 その右隣の線路にも貨車が見えました。川根両国駅でも見かけたcト100形貨車のようでした。

 

 川根両国車両区、なかなか楽しめました。

 現在、5か年計画で進めているNゲージジオラマの製作においては井川線をモデルにしていますが、車両区を再現製作するとなれば、当然ながら上図の川根両国車両区がモデルとなります。建物も少なくて機関車庫は御覧の通りのシンプルなタイプで、線路のレイアウトも分かりやすいので、これに八割ぐらい似せる感じで規模も八割ぐらいにして再現製作を試みてみようか、と思案しています。  (続く)

 

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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その48 両国吊橋へ

2024年06月19日 | ゆるキャン△

 14時9分、川根両国駅で下車し、向かいのホームに渡って列車を見送りました。

 

 列車はこのあと徐行運転に近い速度で5分をかけて、終点の千頭駅に入りますが、私は川根両国駅周辺の幾つかのスポットを見ながら、線路沿いに車道などをたどって千頭駅へ向かう予定でした。

 川根両国駅から千頭駅までは徒歩で約20分ぐらい、と川根本町の観光ガイドブックにはありましたので、見物も含めて30分程度を見積もっておきました。

 

 列車が走り去った後、川根両国駅の構内には静寂が戻ってきました。側線も含めて線路が4本もある駅は、井川線にはそんなにありませんから、この広さは印象的でした。

 

 降りたホームに戻って、一番東側の側線に停めてある貨車の近くまで見に行きました。上図はトーマスファミリーのキャラクターに扮したcト100形貨車です。

 cト100形貨車は大井川鐵道井川線で使用されている貨車の一種です。形式名に付された「c」は、中部電力所有の私有貨車であることを示し、昭和二十九年(1954)2月に計50輌が日立製作所などで製造されました。その後、中部電力の資産圧縮などによって計40輌が廃車もしくは解体され、2023年時点では10輌が在籍しています。

 この貨車は、Nゲージの模型ではそのものズバリの品は出ていませんが、よく似た貨車がトミーテックの鉄道コレクション第一弾「私鉄木造貨車ワフ+ト」のトの名で出ていましたので、中古ショップなどで計3セットを買いました。アルナインの金属キットで作ったDD20形機関車や客車に繋いで走らせたりもしています。

 

 そしてこちらはcトキ200形貨車です。昭和二十八年(1953)に井川線が中部電力の専用線として全通するのに備えて計50輌が三菱重工業や近畿車輛などで製造されました。
 その後、井川線の貨物輸送の減少と旅客輸送の増加にともなって多くがスロニ200形、スロフ300形、スハフ500形、クハ600形などの客車に改造されており、令和四年現在では5両が在籍しています。事業用として石炭ガラの輸送などに使用されているそうです。

 

 そうか、今回井川駅まで乗った客車のスロニ202も、帰りに乗ったクハ603も、もとはこのcトキ200形貨車だったのですか・・・。御覧のように全長11メートルの長い車輌ですから、客車に改造出来たわけですね・・・。

 この貨車も、Nゲージの模型ではそのものズバリの品は出ていません。似たような品が出ていないかとあちこち探しましたが、出ていないようです。

 

 川根両国駅の構内の側線の二種類の貨車を見ましたので、ホームを通って西側の出入口へ行きました。

 

 ホームの間の踏切から北側つまり井川側を見ました。右側に井川線の車両区である川根両国車両区があり、その建物と車両区内の留置車輌が少しだけ見えました。その川根両国車両区をもっとよく見えるポイントがあるので、そちらへ向かいました。

 

 川根両国駅の西口です。これが駅の出入口かと思うほどの細い路地裏道と階段があり、脇に「両国吊橋 上がる」の看板がありました。ゆるキャン聖地の一つである両国吊橋へは、川根両国駅からも歩いて3分ほどでいけます。

 

 上の車道にあがって北へ進むうちに、右下に川根両国車両区の敷地が見えてきました。1編成の列車が停まっているようで、DD20形機関車の脇に作業員が居るのが見えました。

 

 車道は行き止まりとなって歩道に転じ、上図のように両国吊橋の南詰に通じていました。

 

 両国吊橋の南詰の全景。以前のゆるキャン聖地巡礼の時は向こう側の北詰から渡りましたが、途中で引き返していますので、南詰まで渡っていませんでした。

 

 で、当然ながら渡りました。久しぶりのゆるキャン聖地スポットを楽しみました。アニメ3期でもこの両国吊橋は登場しています。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く39 その6  富士山世界遺産センターの各務原なでしこ

2024年06月17日 | ゆるキャン△

 富士川楽座の展望ラウンジにて大垣千秋のパネルを見た後、外の景色を見ましたが、見えるはずの富士山は雲に覆われてまったく見えませんでした。まあいいか、明日もあるしな、と考えて道の駅エリアへと向かいました。

 

 道の駅エリアの「富士山フードコートテラス」に行って昼食にする積りでしたが、日曜日でしたのでどのお店も満席、行列状態でした。

 

 それならば、駐車場の横にある仮設プレハブム棟の屋台村に行くか、と思いついてそちらへ行きました。そちらはまだ空いていて行列も見当たらなかったからです。

 

 屋台のひとつが海鮮丼のお店で、シラス丼を300円にて出していましたので、そこへ入って上図のシラス丼をいただきました。

 

 シラス丼、うまし!!こういうので良いんですよ・・・。

 

 富士川楽座を出て14時21分のバスに乗り、34分後の14時55分に世界遺産センター前のバス停で降りました。次の目的地である上図の富士山世界遺産センターが、川越しに見えました。富士川駅へ戻ってJR線で富士宮駅へ行くよりも、バス利用の方が時間的に早いし、富士宮駅からの徒歩移動をやらなくて済みました。

 

 富士山世界遺産センターは、富士山本宮浅間大社の正面大鳥居の西側に隣接しているため、敷地の園池の上に朱塗りの大きな鳥居がそびえています。

 

 とりあえず、富士山本宮浅間大社に向かって一礼。

 

 前にも横を通った時に、思い切った大胆なデザインの建物だなあ、と思いましたが、今回はその内部に入るわけなので、内部も思い切った大胆なレイアウトになっているのかなと思いましたが、実際には予想以上でした。
 富士山および富士山周辺の世界遺産のガイダンス施設ですが、その展示室の並びが螺旋状になっていて、ぐるぐると回りながら上に登り、また回りながら降りるという形でした。

 

 そのエントランスにあった各務原なでしこのパネル。

 

 このアニメ3期のキャラクターデザインはあんまり違和感がありませんでした。2期までのそれと大して変化がなく、どう見てもなでしこだな、と思いました。ただ、原作コミック寄りの、やや子供っぽい雰囲気も加味されていて、それはそれでいいな、と思いました。

 

 キャラクターパネルの横に必ずある案内とスタンプラリー景品の紹介パネル。

 

 その後、螺旋状に配置された展示室やコーナーを、螺旋道をぐるぐると回りながら上に登り、また回りながら降りて見学しましたが、一番印象に残ったのが、富士山の過去の噴火で放たれた大きな火山弾の標本でした。  (続く)

 

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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その47 川根両国駅で下車

2024年06月15日 | ゆるキャン△

 13時50分、川根小山駅に停車しましたが、停車時間が長かったので、下り列車とすれ違うのかなと思って時刻表を見ましたが、その通りでした。

 

 ただ、向こうが1分遅れで来たようでした。時刻表通りならば、向こうが先に駅に着いてこちらを待っているはずでした。接岨峡温泉駅までの列車でした。

 

 あれ、初めてみるデザインのヘッドマークを付けているな・・・。全国登山鉄道パーミル会・・・なるほど・・・。

 全国登山鉄道パーミル会とは、鉄道事業者のうち「観光地が沿線にあり、かつ登山鉄道としての性格を有している」という条件を満たす6社が、山岳鉄道路線の魅力をお伝えすることを目的として、南海電鉄が発起人になって2009年9月に結成した会です。現在は南海電鉄、叡山電車、神戸電鉄、箱根登山電車、富士山麓電鉄、アルピコ交通、そして大井川鐡道の7社が参加しています。

 これらのうち、私が乗った事が無いのは富士山麓電鉄だけですね・・・。

 全国登山鉄道パーミル会の公式サイトはこちら

 

 この列車の客車の中に旧型のスハフ1形客車が含まれていました。なかなか走ってる姿を見かけませんから思わず撮ってしまいました。昭和の井川線の雰囲気を伝えるレアな車輌ですので、一度乗ってみたいですね。

 

 最後尾のDD20形機関車はトーマスファミリーのトビー号仕様でした。

 

 川根小山駅を出てからは、集落の車道沿いに進みましたが、その車道も奥の高台へと消えていきました。

 

 13時57分、土本駅に着きました。この駅も周辺に民家が少ししかなく、乗降客は皆無でした。

 

 土本駅の待合小屋。「土本」と書かれた習字の貼り紙が印象的でした。

 

 土本駅を出た直後に右手に見えた鉄橋、土本橋。土本駅へ通じる唯一のルートだそうです。

 

 14時2分、澤間駅に着きました。この駅は、昭和六年(1931)の開業で、もとは千頭森林鉄道の前身であった寸又川専用軌道の停車場でした。四年後の昭和十年に井川線の前身である大井川専用軌道(後の中部電力専用鉄道)が開業して沢間停車場と同位置に沢間駅が開業し、これに寸又川専用軌道が乗り入れていました。

 この寸又川専用軌道の後身が千頭森林鉄道で、いまの寸又峡温泉へと連絡していました。いま観光歩道となってゆるキャンの聖地ルートにもなっている夢の吊橋までの道も、その千頭森林鉄道の軌道跡なのですが、ゆるキャンの原作コミックやアニメではそのことに全く触れていないため、多くの巡礼ファンが軌道跡であるとは知らずに夢の吊橋を渡り、さらに飛龍橋を渡っているわけです。

 千頭森林鉄道は昭和四十四年(1969)に廃止されましたが、いまも駅の内外にその遺構が残っており、廃線マニアの聖地にもなっています。

 

 澤間駅の千頭側の端に、上図のコンクリート造のホッパーが見えましたが、これもかつての千頭森林鉄道の遺構であるそうです。ホッパーとは、生コンクリートや土砂などを一時的に仮受けし、それを下を通る貨車などに流して落とすための施設です。

 

 14時9分、時刻表通りに目的地の川根両国駅に着きました。ここで下車しました。

 

 井川駅から乗ってきたクハ603客車の運転台を記念に撮りました。

 

 ホームから踏切を渡って向かい側のホームに移り、ここで列車を見送ることにしました。列車はこのあと終点の千頭駅へ向かいますが、私自身はここから歩いて、列車に乗ったままだと見られない幾つかのスポットを回りながら千頭駅へ向かう予定でした。  (続く)

 

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「ゆるキャン△」に登場しない大井川鐡道を巡る その46 川根小山駅まで

2024年06月14日 | ゆるキャン△

 接岨峡温泉駅を12時57分に出て、奥大井湖上駅に13時5分に着きました。ここでかなりの人数が乗り込んできて、それまで私だけで独占していたクハ603客車の車内にも6人が座りました。

 上図は、奥大井湖上駅での停車中に見た、旧線跡の橋梁です。長島ダムの建設に伴ってアプト式区間が設けられる前の井川線の線路がそのまま残されていて、接岨峡の湖面が上がると水没し、下がると姿を現します。

 

 13時9分、ひらんだ駅に停車しました。

 

 ひらんだ駅を出たあと、長いトンネルをくぐりました。

 

 トンネルを出たところが長島ダム駅でした。13時13分に着き、「ブッピガン」ことアプト式電気機関車の連結作業のために5分停車し、13時18分に発車して急勾配のアプト式区間を下りました。

 

 急勾配のアプト式区間を下りきった直後の様子です。このあと左に大きくカーブして鉄橋を渡りました。

 

 その鉄橋から見た大井川の渓谷です。長島ダムが放水状態であったため、下流の流量もそれなりにありました。

 

 13時28分、アプトいちしろ駅に着きました。ここでアプト式電気機関車を切り離す作業があり、大勢の乗客が降りて見物に行っていました。

 私は席から動かずに窓から上図の光景をぼんやりと眺めつつ、いま切り離し作業中のアプト式電気機関車つまりED90形のNゲージ模型がどうして無いんだろう、と考えていました。

 ED90形はいまの日本では唯一の現役のアプト式電気機関車として有名で、大井川鐡道井川線でしか見られない貴重な車輛で人気もあるのですが、なぜかNゲージではカトー、トミックス、グリーンマックス、マイクロエースの4大メーカーですら模型化していません。それ以前に井川線の車輌全てがこの4大メーカーから出ていないのですが、それはどうしてだろう、と思いました。

 一説では、井川線の軌間がJRと同じ狭軌であるにもかかわらず、車輌が小型であるために線路の軌間も小さいものだという思い込みが蔓延していて、そのためにNゲージの9ミリ幅の線路より小さいZゲージクラスでないと模型化出来ない、という誤った認識が広まってしまっている、とされています。ネット上でもそれに似た意見をよく見かけますので、4大メーカーの担当者も同じような思い込みに囚われてしまっている可能性がある、ということです。

 ですが、実際には井川線もJRと同じ狭軌ですから、Nゲージでも9ミリ幅の線路のままで良く、車輛のサイズだけを小さくすれば事足ります。現にアルモデルさんはそれを正しく理解しているから、井川線ふうの車輛の金属キットを出しているのでしょうが、そのアルモデルさんもED90形タイプの金属キットは出していません。出していただけないかなあ、といつも思います。

 

 13時31分にアブトいちしろ駅を発して、その南のトンネルを抜けて鉄橋を渡りました。上図は鉄橋を渡った際に見た大井川の景色です。行きにも見た左岸の大規模な崩落跡が目立っていました。

 

 13時40分、奥泉駅に着きました。

 

 ここで3人が降りて1人が乗りました。奥泉駅は割と大きな集落の中に位置していますから、地元住民の利用もあるのでしょう。また寸又峡温泉行きのバス路線と連絡していますので、ここからバスに乗り換える登山客や観光客も少なくないそうです。

 聞くところによると、この奥泉駅の駅舎内に大井川鐡道の昔の写真を展示するフォトギャラリーみたいなコーナーがあって、いまは廃線となっている堂平駅までの区間や堂平駅の在りし日の写真が掲示されているそうです。機会があれば奥泉駅に一度おりて、その写真展示コーナーを見てみたいと思います。

 

 奥泉駅を13時40分に発して、民家や茶畑が広がる中の段差平坦面をゆるやかに下っていきました。まだ14時になっていないのに、日差しは西にかなり傾いていて、なにか夕方に近いような雰囲気でした。

 

 13時49分、前方が開けて駅の敷地スペースが右側に広がりました。

 

 13時50分、川根小山駅に入りました。ゆるキャン聖地のひとつ小山吊橋の最寄り駅で、小山集落の外れに位置して道の行き止まりに駅広場があります。

 以前にテレビの何かのバラエティ番組で、この駅を利用する唯一の常連客である老婦人が紹介されていました。それで、小山集落の大多数の住人は移動手段が車であって大井川鐡道を一切使わないのだ、ということを知って愕然とした記憶があります。  (続く)

 

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