気分はガルパン、、ゆるキャン△

「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ゆるキャン△の聖地を行く21 その2  千頭のレンタルゆるキャン△バイク

2021年08月31日 | ゆるキャン△

 千頭駅には9時11分に着きました。予定時刻より10分遅れでしたが、私の巡礼計画にはさほどの支障も無く、予定通りに次のミッションに移ることにしました。駅内にトーマスファミリーに扮した数輌の機関車が見えましたが、前回の訪問時には無かった車輌群なので、やっぱり今日はトーマス関連のイベントがあるのだろう、と察しました。

 

 千頭駅の駅名標です。

 

 ホームに停まった旧近鉄特急車輌です。今回も1番線ホームに入りましたが、原作コミック第10巻126ページ4コマ目では3番線に停まっています。
 たまたまホームに居合わせた駅員さんに、この列車が3番線に入る事はあまり無いのですか、と聞きましたら、「3番線は金谷行きのホームです、折り返してすぐに出る列車が入ります」との事でした。
 それで、この旧近鉄特急車輌は千頭駅にてしばらく駐機になるのか、次の運行まで間があるのだろうな、と受け止めました。

 

 9時13分、千頭駅の前の広場に出て、駅舎に「トーマスフェア会場」の垂れ幕がかけられているのを見、やっぱりトーマスのイベントがあるのだな、と悟りました。駅内の案内を探すと、10時からの開幕となっていました。同じ列車で乗ってきた乗客の多くは既にトーマス機関車展示エリアに集まっていて、開幕を待っている様子でした。その数がざっとみても100人余りなので、開幕後はさらに増えるだろうな、と予想出来ました。

 そうなると、私の計画も若干の変更を必要としました。予定では昼過ぎに千頭駅に戻って前回と同じ「カフェうえまる」で昼食をいただくことにしていましたが、この日はたぶんトーマスフェアの参加客で駅前の飲食店は満席、行列になるだろうな、と思いました。
 そこで弁当にしよう、と駅内の売店へ向かいました。弁当なら、いつでもどこでも好きなタイミングでいただけます。

 

 弁当と飲み物を確保した後、駅の向かいの奥大井観光案内所に行きました。ネット上ではあまり詳細な情報が得られなかった、今回の巡礼エリアおよび大井川鉄道井川線関連の観光情報などについて教えて貰い、関連の資料を色々いただきました。

 

 奥大井観光案内所内のゆるキャン△コーナーです。上図左下の「ゆるキャン△大井川MAP」も目当てでしたので2部いただきました。1部は今回の巡礼で使用し、1部は保存用とします。

 

 次に、駅からの通りを北へ50メートルほど進んで右側、「カフェうえまる」の斜め向かいに位置する上図の「カーケア中原」に行きました。ゆるキャン仕様の原付バイクのレンタルサービスをやっているお店です。

 この日は定休日でしたが、あらかじめ予約しておいたので、レンタルサービスは利用可でした。この日はここのレンタルバイクを利用して、作中の志摩リン、土岐綾乃の吊橋巡りのコースの半分ぐらいを回ってみる予定でした。

 

 店先に展示してあった、レンタルバイクの2種、志摩リンのヤマハビーノ(右)と土岐綾乃のホンダエイブです。

 

 この志摩リンビーノは感動ものです。なぜかというと、身延各所に展示してあったビーノは現行型で、実はホンダ製でジョルノをベースに生産されたものなので、アニメのビーノとは全然別のバイクです。

 これに対して「カーケア中原」のビーノは完全な旧型で、志摩リンの愛車と全く同じグレードです。私自身が同型ビーノに乗っていますから、見ればすぐに分かります。いまでは滅多に見られなくなっている、ズバリの志摩リン仕様ビーノです。ファンとしては感動せずにはいられませんでした。

 「カーケア中原」社長さんのお話によれば、息子さんの友人がゆるキャンファンで、旧型ビーノの中古品やパーツを取り寄せてレストアし、塗装もきっちりとアニメ仕様に合わせて再現したのだそうです。ただ、中古の寄せ集めなので、新車のようなスペックは期待出来ない、との事でした。
 ですが、スピードが落ちていても、走り、曲り、止まってくれれば充分です。完全に志摩リンモードで楽しめるなら、それで良いじゃないか、と思いました。

 

 この土岐綾乃エイブはアニメの劇中車が100ccであるのと異なって原付です。これも中古品やパーツを取り寄せてレストアし、塗装もきっちりとアニメ仕様に合わせて再現したのだそうです。よくやるなあ、とレストアされた方の限りないゆるキャン△愛に魂を揺さぶられる心地がしました。

 このエイブは、ミッション操作に慣れた方向けです。私自身は長らくホンダのMBX50Fに乗っていましたから、ミッション操作も出来ます。だからエイブにも乗ろうと思えば乗れます。実は今回のレンタルサービスを利用するにあたり、まずはエイブでゆくのもいいかな、と考えて相当迷いました。

 

 ですが、ゆるキャン△のバイクといえば、志摩リンビーノのほうなので、今回はオーソドックスにビーノをレンタル利用することに決めました。手続きをして、6時間3500円にてレンタルサービスを利用しました。

 「カーケア中原」のゆるキャン△原付バイクレンタルサービスについて改めて紹介しておきましょう。7月22日時点にて、ヤマハビーノ、ホンダエイブの2種が利用可能です。ビーノ、エイブとも原付ですが、エイブはギアチェンジに慣れた方向けです。
 荷物の多い方には、ビーノ用の志摩リンサイドバッグの貸し出しも有ります。ヘルメットはリン、綾乃の2種があり、お好みで選べます。利用料金は、いずれも6時間で3500円、12時間で3800円です。

 「カーケア中原」は千頭駅から北へ約50メートル右側に位置します。踏切のすぐ横です。定休日は土日祝ですが、あらかじめ予約すればレンタルが可能な場合もあるそうです。
 利用予約はホームページからでも出来ますが、電話が早くておすすめです。0547-59-3181です。 ガソリンスタンドは千頭駅付近には無く、大井川の対岸の県道77号線沿いにコスモと出光の2軒があります。あとは井川の県道60号線沿いにエネオスがあるだけなので、燃料と燃費を計算してガス欠にならないように気をつけましょう。

 今回は日帰りでしたので、作中の志摩リン、土岐綾乃の吊橋巡りのコースの半分ぐらいを回ってみる予定でした。作中では畑薙湖まで行っていますが、千頭からは50キロぐらいあるそうで、寄り道せずにずっと走っても片道2時間ぐらいかかるとのことでした。これは暑さの中では体力的にも気力的にも相当キツイものがあります。
 それで今回は畑薙湖までのデスロードは外して次回の機会に回し、約1時間で行ける接岨峡の八橋小道エリアまでの往復コースとしました。これなら昼過ぎに千頭駅に戻って、予定している14時42分発の金谷行き列車に乗れるだろう、と考えました。

 かくして9時42分、志摩リンビーノにまたがって出発しました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く21 その1  再び大井川鉄道へ

2021年08月30日 | ゆるキャン△

 2021年7月22日、静岡県での聖地巡礼の三日目は大井川鉄道エリアの二度目、ということで朝6時過ぎにスタートしました。宿の「くれたけイン掛川」のバイキング朝食を美味しくいただき、7時ちょうどにチェックアウトしてJR掛川駅へ向かいました。

 

 JR掛川駅からは7時6分発の列車で金谷駅まで移動する予定でした。元々の計画案では7時13分発に乗ることにしていましたが、思う所あって1本早めたのでした。

 

 7時6分発の沼津行きの普通列車に乗りました。

 

 金谷駅には7時20分に着きました。移動時間は14分でした。

 

 JR金谷駅から隣の大井川鉄道金谷駅に行きました。切符を購入する際に、駅員さんが「次の列車は約10分ぐらい遅れる見込みです・・・」と申し訳なさそうに頭を小さく下げてきました。とりあえず尋ねました。

「もしかして・・・、事故か何かですか?」
「いえ、保守点検の関係です」
「それなら良い、安全が優先ですからね」
「有り難うございます・・・」

 10分程度の遅延は、大井川鉄道では珍しくないだろう、と思いました。山岳地帯の渓谷部をうねうねと走る鉄道なので、線路や関連設備が常に大自然の脅威にさらされる確率も高く、大雨や台風の時期には落石や倒木や土砂崩れなどによって時々運行止めが発生します。
 それ以外にも保線作業の関係で運行を止めるケースがありますから、ダイヤの遅延などはしょっちゅう発生していることでしょう。そんなのを気にしていたら、大井川鉄道には乗れないぞ、と割り切っていました。

 

 なので、本来ならば待機しているはずの7時47分発の列車の姿がホームに見えなくても、まあこういうこともあるさ、と気にしませんでした。

 

 とりあえず、記念に駅名標と切符を撮っておきました。

 

 この日の切符は、千頭駅までの大井川鉄道本線の全線往復きっぷでした。今回乗るのは千頭駅までで、この日のうちに帰りますので、ここ金谷との往復切符にしました。大人運賃は3500円なり。

 

 7時52分、遅れていた列車が到着しました。前回と同じ旧近鉄特急でした。

 

 ですが、この日は乗客がかなり多くて、前回のガラガラ状態とはうって変ってほぼ満席に近くなりました。家族連れや子連れ、若いカップルが大半を占めていて、なにかイベントでもあるのだろうかと首を傾げたことでした。
 そのうちに後の席の家族連れが、トーマスがどうのこうの、トーマス列車に乗るだの、と話しているのが聞こえましたので、どうやらトーマス関連のイベントがあるようだな、と察しました。

 

 金谷駅を出たのは8時1分、予定時刻の7時47分より14分遅れでした。この程度なら、途中の増速走行で幾分かは取り返すのかな、と予想しましたが、そうはなりませんでした。さすがは安全運転第一の大井川鉄道です。

 

 ほぼ満席の車内でした。抜里(ぬくり)駅の手前あたりで、それまでウトウトしていたのを近くの子供たちの叫び声でたたき起こされました。
 兄弟らしき二人の男の子が、「ジェームズ!ゴードン!パーシー!」とトーマスファミリーの各機関車の名前を連呼していましたが、それを親も制止するどころか、一緒になって歌っているのには閉口させられました。こういうときにこそ、第11戦車師団の投入が必要だな、と思いました。  (アホかお前は)

 

 騒がしい車内とは対照的に、車窓に広がる茶畑の緑の絨毯は、静かで長閑でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その19  さわやかハンバーグ

2021年08月29日 | ゆるキャン△

 JR新所原駅の南北自由通路から見た、天浜線ホームのゆるキャン車輌です。今まで見たことが無かった、撮ったことが無かった、上からの俯瞰アングルでの姿でした。

 

 このアングルですと、大きな鉄道模型のようにも見えて楽しいですね。

 

 さて、JR新所原駅のホームに降りました。

 

 ホームからも天浜線ホームのゆるキャン車輌はよく見えました。

 

 名残惜しかったですが、二度の乗車への感謝をこめて、ホームの誰も居ない空間にて帽子を右手で頭上に上げ、海軍式の「帽振れ」の挨拶を行なって別れを告げました。
 語り尽くせぬほどの感動と、アニメ聖地巡礼にとどまらない旅の楽しさを有り難う・・・。

 

 新所原駅から17時17分発の列車に乗り、浜松へ移動しました。浜松駅に17時41分に着いて、駅ビル北東隣の上図の遠鉄百貨店に行きました。

 

 その8階にある「さわやか」浜松遠鉄店に行きました。この日の夕食はここで、と決めてあったからです。折角浜松に来たのなら、浜松餃子も肉汁ハンバーグも食べたい私でした。浜松餃子は昨日いただいたので、今日は肉汁ハンバーグを味わうぞ、というわけでした。

 

 うん、これこれ、これですよ・・・。静岡県内でしか味わえない、各務原姉妹が言うところの「あのハンバーグ」ですよ・・・。

 

 御覧のとおり、「さわやか」の肉汁ハンバーグは、静岡県内の「さわやか」店舗での食事のみでしか食べられません。前にも書きましたが、店頭販売および通販は取り扱っていません。
 同系列工場で作られている同じ肉汁ハンバーグの「そのまんま肉バーグ」および「満点ハンバーグ」が店頭販売および通販で売られている為、それらと混同されている向きが昔からあったようですが、「ゆるキャン」に「あのハンバーグ」が登場して以来、混同に拍車がかかったようです。

 周知のように「ゆるキャン」の「あのハンバーグ」はパッケージデザインからして「そのまんま肉バーグ」がモデルであることは一目瞭然です。ですが、肉汁ハンバーグ自体は「さわやか」も「そのまんま肉バーグ」も「満点ハンバーグ」もほぼ同じで味もあまり変わらないため、よく勘違いされているらしいです。

 

 ですが、唯一専門レストランにていただける「さわやか」の肉汁ハンバーグこそが、本来の味と旨味を存分に味わえるため、私は昔から「さわやか」一択でした。「満点ハンバーグ」は食べたことがありませんが、「そのまんま肉バーグ」のほうは浜松の縁戚で御馳走になったことがあり、味が「さわやか」とあまり変わらないのも知っています。原材料と製造法が同じなのですから、変わらなくて当然です。
 しかし、レストランでいただく「さわやか」とは異なって、「そのまんま肉バーグ」や「満点ハンバーグ」は家での調理を必要とするため、調理の腕次第で味が多少左右されてしまいます。

 

 だから、本来の専門レストランの「さわやか」にてプロの伝統の焼き加減にて仕上がった品をいただくのが、ゆるキャン巡礼の「あのハンバーグ」の味わい方としては一番なのだろう、と思います。

 ゆっくり味わって楽しんだ後、浜松駅にて18時51分発の静岡行きに乗り、19時19分に掛川駅で降りて宿の「くれたけイン掛川」に帰りました。

 以上で巡礼一日目および二日目のレポートを浜松掛川・天浜線編として括ります。翌日からの三日目の巡礼行程は、新たに21番目のレポートとして綴ります。  (了)

 

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最終章第3話の黒森峰女学園チームの陣形

2021年08月28日 | ガールズ&パンツァー

 最終章第3話における無限軌道杯第2試合、対プラウダ高校チーム戦における黒森峰女学園チームの陣形は定石のパンツァーカイルでした。以前は隊長西住まほのティーガーⅠが居た楔先端の位置に、マウスが居ました。これを含めて9輌、テレビシリーズの陣容からティーガーⅠおよびラングを除いた顔触れでした。

 このシーンから、ティーガーⅠがあくまでも西住まほの搭乗車であることが分かります。最初はティーガーⅠは隊長の搭乗車なのかと思っていましたが、新隊長逸見エリカはティーガーⅡにとどまったままでした。

 御覧のようにマウスを先頭にして重装甲を誇るヤークトティーガーとエレファントが続き、次いで新隊長逸見エリカのティーガーⅡとヤークトパンターが続きます。フラッグ車はヤークトパンターが務めていて、おそらくはティーガーⅡまでの4輌を「盾」とみなしての正攻法による正面対峙の作戦が企図されていたようです。

 試合後のモニター両端の陣容表から、チームの総数が10輌、他にもう1輌のⅢ号戦車J型が居たようですが、アニメには現れずじまいでした。テレビシリーズと同じく、単独での偵察任務に就いていたのでしょうか。逸見エリカが新たに展開した攻撃作戦は、この偵察車からの情報をもとにして立てられた可能性もありますが、アニメではそれを思わせる場面は描かれませんでした。

 この定石のパンツァーカイルは、新体制の黒森峰女学園チームが採り得る最強の陣形なのだろうと思われますが、プラウダ高校チームは射撃精度の向上によってマウスやエレファントの弱点をピンポイントで突き、この最強の楔をあっさりと破砕してしまいました。

 その瞬間、もうこれで黒森峰女学園チームのパンツァーカイルは通用しなくなった、と悟りました。従来までの黒森峰女学園の戦い方が一気に古びて過去の物に追いやられる劇的な場面を見たわけです。
 その後の逸見エリカ直率の新たな攻撃作戦が高速を活かしての横撃となり、相手のフラッグ車のみに狙いを定めての機動戦となって、勝利に終わりましたから、たぶん、上図の黒森峰女学園チームのパンツァーカイルは第4話以降は見られないだろうと予想します。

 なので、第3試合の対聖グロリアーナ女学院戦においては新たな陣形を見せてくれるだろうと期待しています。覚醒した逸見エリカの次の一手はいかに、と今からワクワクしながら第4話を気長に待っている次第です。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その18  新所原駅へ

2021年08月27日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン車輌に乗り、15時41分に天竜二俣駅を出ました。私のゆるキャン車輌乗車のラストでした。

 

 16時28分、浜名湖佐久米駅に停まりました。「さくめ」のウナギ定食は既に営業時間を過ぎており、今回もお預けとなりました。

 

 車窓に広がる浜名湖の広い湖面。海のように見えます。

 

 浜名湖の景色を撮ろうと、一度上図の対面シートに移動しました。犬山あかりと鳥羽美波先生のデザインの位置でした。

 

 犬山あかりの顔つきは、そのまま姉のあおいの小学生時代の顔つきに通じるでしょう。眉毛が前髪を突き抜けて上に出てくる不思議な表現も同じです。このタクアン形の眉は、間違いなく「けいおん」の琴吹紬のオマージュでしょう。

 

 浜名湖はいつ見ても飽きません。個人的に子供の頃の思い出が沢山あるからでしょう。

 

 その数々の思い出の地、三ヶ日に16時36分に着きました。私が小学生の頃、母の兄にあたる伯父、および弟にあたる叔父の一家がいずれも三ヶ日に住んでいて、母方の縁戚の集まりが毎年ここでお盆と正月にありました。

 

 なので、その時期の四年間は、年に二度三ヶ日に行きました。当時は国鉄二俣線三ヶ日駅でした。駅から北へ行くと伯父の家、南に行くと叔父の家に向かうのでしたが、集まりはたいてい北の伯父の家でした。
 母は6人きょうだいの三女にあたり、長男の伯父は母の十歳上、二男の叔父は母の二歳下でした。それで、私はどちらかというと母と仲が良かった叔父のほうになついていました。

 叔父はバイクや車の運転が大好きで、よくドライブに連れていってくれましたが、行先がたいていは遠州海岸か弁天島でした。そして帰りに「お腹空いたろ、何か食べるか」とアイスとか焼きとうもろこしとかうなぎパイとかを買って食べさせてくれるのでした。それで夕食が食べられなくなり、叔母を困らせたりもしました。母が「なんで夕食前に色々食べさせんのよ」と叔父を叱るのでしたが、叔父はテヘヘと舌を出して私を引っ張って逃げてゆくのでした。

 叔父にとっては最愛の姉の息子、ということで私をとにかく可愛がってくれました。当時持っていた玩具も、父よりも叔父に買って貰った品のほうが多かったようです。殆どがプラモデルだったと思います。そういえば、私が初めて作ったウォーターラインシリーズの駆逐艦「吹雪」も、叔父に買って貰ったのでした。

 その叔父との関係性は、縁戚の葬儀などで集まることが多くなった現在でも変わっていません。伯父をはじめ、母方の6人きょうだいの3人が故人となりましたが、叔父は相変わらず元気です。
 叔父の家は現在は浜松市西区雄踏町にありますが、そこへも何度か遊びに行きました。今年のお盆にも行きまして、私が叔父をドライブに連れて遠州海岸まで行き、帰りに「はじめ」の炭焼き鰻を御馳走してあげました。

 なので、浜松は、私にとっては第二の故郷であります。その地を今は「ゆるキャン△」聖地巡礼であちこち回っているのですから、なにか縁があったのかな、と思う事もしばしばです。

 

 終点の新所原駅に17時に着きました。

 

 前回のゆるキャン車輌乗車は浜名湖佐久米駅まででしたから、今回初めて新所原までの全線を乗ったことになりました。最後の乗車も完了し、達成感や安堵とともに寂寥感もうっすらと覚えました。

 

 天浜線の新所原駅から、連絡路にてJR新所原駅へ移動しました。

 

 JR新所原駅の橋上駅舎の南北自由通路へと移動し、南の天浜線駅舎を見ました。実は、ゆるキャン車輌を上から見下ろす形で見られる唯一のスポットがこのJR新所原駅でした。なので乗車は完了しましたが、撮影のミッションは完了していませんでした。

 

 上から見下ろすアングルでの撮影です。車体全面にラッピングが施されているゆるキャン車輌ですが、さすがに天板までには及んでいませんでした。以前に伊豆堂ヶ島で見たゆるキャンラッピングカーが天板までラッピングをまわしていたため、こちらのゆるキャン車輌もどうなっているのかと興味がありましたが、結果はかくのごとくでした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その17  静かなるゆるキャン車内

2021年08月26日 | ゆるキャン△

 天竜二俣駅の南側の駐機線にていったん停止して、今度は逆方向に進み始めたゆるキャン車輌です。

 

 ゆっくりと、朝に見たのとは逆の順序で本線に戻ってゆきました。

 

 分岐路から本線に入る瞬間です。

 

 そして本線上を駅ホームに近づいてきました。このときの時刻は15時33分でした。

 

 ホーム東の旧ホームにてローアングルで撮影。

 

 ホームに入りました。

 

 これが私自身のゆるキャン車輌乗車の最後の機会となりますので、天竜二俣駅の駅名標とあわせて記念に撮りました。

 

 乗客は私のほかに1名だけでした。静かな車内のラッピングデザインは撮り放題でしたが、既に殆ど撮っていましたから、適当に好きなデザインだけを撮りました。

 

 静かなる車内。

 

 一度振り返って、後部を撮影。

 

 最後の乗車では、前部の横シートに座りました。上図のデザインがすぐ横に見える位置でした。

 

 土岐綾乃です。なにげに好きなキャラクターです。なにしろ苗字の土岐がカッコイイです。土岐、というのは山梨県でいう武田、静岡県でいう今川や北条、と同じぐらいのインパクトをもつ苗字だからです。

 岐阜県各務原市出身で、つまりは美濃国が故郷である私ですが、その美濃国の守護職を務めた源氏の名門が土岐氏なのです。鎌倉幕府および室町幕府の有力奉公衆として長く君臨し、戦国期の斎藤道三が最初仕えた主君でもあります。織田信長の正室となった濃姫、そして明智光秀も土岐氏一族に連なります。家紋の桔梗は、美濃国および近隣諸国に幕府の旗印同然に怖れられたといいます。
 土岐氏の最後の美濃国守護職であった土岐頼芸(よりのり)は斎藤道三によって追放されますが、文化人としても知られ、幾つもの書画を書き残しました。特に鷹の絵を得意とし、その作品は「土岐の鷹」として珍重されています。多くは文化財に指定されて東京国立博物館などに所蔵されています。

 土岐綾乃が、その土岐氏の子孫であるという設定は「ゆるキャン」ではありませんが、浜松市民なのであれば、かつては遠江浜松に勢力を拡げた遠江土岐氏、つまりは土岐左衛門尉光時を祖とする土岐肥田氏の末裔かもしれないな、と勝手に想像しています。
 新所原までの区間はこの土岐綾乃を眺めつつ、のんびり過ごそうと思いました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その16  2輌のラッピング車輌

2021年08月25日 | ゆるキャン△

 天竜二俣駅のホームに停車した音街ウナのラッピング車輌です。前回は機関車区転車台ツアーの際に駐機線に停まっているのを見かけただけでしたので、運行中の姿は今回初めて見ました。御覧のように、ゆるキャン車輌より前にデビューした萌えキャララッピング車輌で、外装もかなり派手でした。ただ、全体的に退色が進行しているようで、昔はもっと鮮やかに見えただろうな、と感じました。

 

 ヘッドマークには音街ウナと駅メモのキャラクターが並んでいました。またまた新たなコンテンツとコラボを展開しているようです。さすがは天浜線、こういうノリの良さは「マカロニほうれん荘」の後藤熊男レベルです。

 

 しかし、すっごい派手な色彩だなあ・・・。ゆるキャン車輌が上品に見えてしまいます。

 

 音街ウナは、エム・ティー・ケーの企画により株式会社インターネットより発売されている音声合成用の音源名、およびそのキャラクターで、ライブラリには声優の田中あいみの声が収録されています。
 デビューは2016年7月30日、ヤマハの「VOCALOID」用の歌声ライブラリ「VOCALOID4 Library 音街ウナ V4」が最初でした。続いて2017年4月20日にはエーアイ開発の話し言葉用の音声合成技術「AITalk」を利用した文章読み上げソフトウェア「音街ウナTalk Ex」が発売されています。

 天浜線は2019年7月よりこの音街ウナとのコラボ企画をスタート、上図のラッピング車輌を運行しています。今年8月いっぱいで運行を終了するゆるキャン車輌とは異なって、こちらはまだまだ運行されるようです。

 

 お子様向けの遊園地の車輌みたいな雰囲気です。音街ウナが被っている大きな丸っこい帽子は「オタマン帽」といい、ウナギをかたどっています。音楽の街、静岡県浜松市の出身、という設定なので、天浜線がコラボするわけですね。

 

 音街ウナ車輌の撮影をして、同じように撮影していた鉄道ファンの方と少し雑談をして、しばらくホーム上で過ごしました。雑談を終えて別れたのち、時計を見て、15時19分であるのを知りました。22分後の15時41分発のゆるキャン車輌でここから終点の新所原まで乗ることになります。 

 

 そのゆるキャン車輌は、相変わらず機関車区の駐機線に停まったままでした。

 

 望遠モードで撮りました。

 

 15時23分、音街ウナ車輌が掛川に向けて発車してゆきました。

 

 その直後に、ゆるキャン車輌に運転士が乗り込むのが見えました。一瞬の事でしたので、望遠モードでの撮影では捉えられませんでした。

 

 駐機線上を動き出したゆるキャン車輌。

 

 上図の、朝に見た駐機位置にいったん停まりました。

 

 車内を運転士が反対側へ移動するのが見えました。ここから今度は本線への分岐路に進むのでしょう。  (続く)

 

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サメさんチームはどう戦うべきか

2021年08月24日 | ガールズ&パンツァー

 最終章第1話から大洗女子学園チームの戦列に加わったサメさんチームですが、搭乗車輌がマークⅣという第一次大戦期の古典であることが災いしてか、第二次大戦期の末期の強力な車輌がひしめく戦車道試合においては、火力、防御力、機動力、のいずれにおいても劣って、撃破どころかまともな対戦車戦すら出来ないままに推移しています。

 第1試合の対BC自由学園戦では、橋での窮地において臨時の退避スロープをつとめ、相手フラッグ車の進路を遮断して足止めして撃破のアシストに成功していますが、単独での撃破は得られませんでした。第2試合の対知波単学園戦では早くも撃破されて戦列から落ちてしまっています。

 なので、メンバーたちが試合後に上図のごとくしょんぼりしていたのは無理もありませんでした。わざわざ来てくれた河嶋桃隊長の激励にやっと立ち上がって、第3試合への決意を新たにしたまでは良かったのですが、しかし内心では暗い気持ちのままではなかったのだろうか、と察せざるを得ません。

 

 ですが、リーダーのお銀だけは沈むことなく闘志をたぎらせて前に進もうとしていました。ですが、試合経験もまだ浅く練度の低いチームを率いて、いかに戦うべきかの青写真までは、さすがに持ち合わせていないようです。
 それどころか、第2試合にて、激しやすい性質ゆえの自滅ぶりを露呈してしまっています。なので、その次の第3試合で劇的な変化そして成長が示される、というシナリオはまず有り得ないでしょう。有ったら奇跡レベルです。

 そうなると、サメさんチームに関しては、単独で適切に判断し臨機応変に対応する、という作戦行動はまだまだ無理であろうかと思われます。指揮官からの適切な指示によって的確に動き、戦陣の一角を堅実に担うのが、あるべき姿でしょう。
 しかし、隊長はポンコツとも噂される河嶋桃です。第1試合からずっとチームの作戦および実質的指揮は西住みほ副隊長に委ねられていました。第3試合ではその西住みほ副隊長も狙撃で落とされてしまいます。指揮官からの適切な指示も得られなくなってしまうのです。

 それ以前に、搭乗車のマークⅣのスペックが低すぎるのが問題です。対戦車戦はおろか、他の車輌が普通に対応可能な、広域なエリアでの機動展開戦にもなかなかついていけません。それが第2試合でも見られましたから、第3試合では発想や視点の変換ということが必須になってくると思われます。つまり、今までのような戦い方をしていたら、とても継続高校の機動力を生かした展開ぶりには対応できないわけです。

 第1試合でサメさんチームのマークⅣが初めて登場したとき、茫然としたファンが多かったと聞きます。骨董品じゃないか、こんなのでどう戦うんだ、等の悲観的感想が相次いだ、と聞きます。
 制作側もネタとして面白がって登場させたのでしょうが、その後は試合での取り扱いに相当困ったんじゃないか、と推察します。マークⅣをどう戦わせていかに見せ場を作るか、という問題は、第二次大戦期の末期の強力な車輌がひしめくステージにおいては、それこそ超コペルニクス的転回レベルで考えないと解けないのではないか、と思います。

 なので、第4話のピンチの状況下でサメさんチームがどう戦うべきか、をこれから皆で考えてゆきましょう。(苦笑)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その15  再び天竜二俣駅へ

2021年08月23日 | ゆるキャン△

 掛川城大手筋の「天城」にて天丼の昼食をいただいたのち、天浜線掛川駅へ戻って上図の13時52分発の車輌に乗りました。

 

 ふたたび天竜二俣駅に着いたのが14時38分でした。

 

 ホームに降りて、駐機線にゆるキャン車輌の姿を追いかけると、朝見た停止位置から機関車区のほうへ移動しているのが認められました。

 

 複数の車輌が駐機している中に並んでいました。車内メンテや小点検などを行なったのでしょうか。

 

 車輌の接近音が聞こえたので、ホームのほうを振り返りました。乗ってきた車輌はまだ待機していました。

 

 その反対側に、通常カラーの車輌が停まりました。

 

 音街ウナのヘッドマークが付いていました。駅名標とともに撮影。

 

 ホームの連絡路に降りましたが、その辺りに鉄道ファンらしき数人がカメラをかまえて待ち構えていました。何を撮るのだろう、と振り返り、ああこの2輌の並びを撮るのかな、と考えましたが、彼らはそれはすでに撮り終えているようでした。ですが、全員がカメラを持ったまま動かずに待っているのでした。

 

 とりあえず右の車輌を撮っていると、また車輌の接近音が響いてきました。

 

 今度は左のホームに茶エンナーレのラッピング車輌が停まりました。待ち構えていた数人が一斉にカメラを向けて撮り始めましたので、この3輌の並びのタイミングを待っていたのか、と気付きました。確かに3輌が並ぶと壮観です。

 

 私は鉄道ファンではないのですが、乗るのも撮るのも好きです。そして車輌も単独よりは複数のほうがカッコいい絵になることはよく理解しています。

 その後、同じように撮影していた鉄道ファンらしき方と雑談を交わし、この後にもう1輌のラッピング車輌が来ますよ、と教えられました。

 

 約5分後に、そのもう1輌のラッピング車輌がホームに停まりました。音街ウナのラッピング車輌でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その14  霊屋と天丼

2021年08月22日 | ゆるキャン△

 掛川古城の本丸にあたる、一番高い郭はいま龍華院の境内地に含まれますが、そのほぼ中央に江戸期の霊廟建築の遺構である龍華院大猷院霊屋があります。大猷院とは徳川家光の法名で、家光を祀る供養堂にあたります。

 

 この霊屋は明暦二年(1656)に掛川藩主の北条氏重が徳川家光の霊を祀るために寄進建立しました。それが文化十五年(1818)に焼失、文政五年(1822)に掛川藩主太田資始により再建されたのが現存の建物です。数少ない江戸期の霊屋の遺構として静岡県の有形文化財に指定されています。

 

 一段高く築かれて石柵で囲まれた方形区画の中央に霊屋が建ちます。手前の石仏も関連のものでしょうか。

 

 現在の霊屋の屋根は瓦葺ですが、再建時は柿葺(こけらぶき)だったそうです。内部には春日厨子が安置され、霊牌が祀られています。

 

 龍華院の門前の郭跡に移動しました。

 

 二段ほど下がって西端の郭に行くと、木々が伐採されていて視界が開けていました。掛川城天守がよく望まれました。

 

 デジカメの望遠モードで撮影。

 

 さらに望遠モードで引き寄せて撮影。このアングルは初めて見た気がしますので、新鮮でした。お茶を飲んで一休みしながら、しばらく眺めていました。

 この掛川古城は、現在の掛川城が築かれる前の当地の拠点として機能した城塞です。築城時期は不明ですが、「駿国雑志」では文明年間(1469~1487)に朝比奈泰煕(やすひろ)が今川義忠(義元の祖父)の命にて築かせたと記されます。
 当時は応仁の乱の最中であり、今川義忠は東軍の細川勝元に応じて上洛していたため、その本拠地駿河国に隣接する遠江国の西軍斯波義廉(よしかど)方の勢力への対抗策として築城したものと推定されます。

 斯波氏方の勢力がが没落した後は、信濃国の小笠原氏が遠江に侵攻しましたが、これに対抗するには不足であったためか、龍頭山と呼ばれた西側の丘一帯に現在の掛川城が築かれました。
 その後より掛川古城は新城の出城として機能したようですが、永禄十二年(1569)に徳川家康が掛川城を攻撃した際に攻め落とし、掛川城攻撃の本陣として使用したと伝わります。

 なので、上図の眺望は、掛川城を攻めた際の徳川家康がみたそれとあまり変わらないのでしょう。ただ、当時はまだ天守が存在せず、物見櫓程度の建物しかなかったと思われます。

 

 掛川古城を辞して、南にある掛川市立図書館に立ち寄って、約30分ほどかけて幾つかの調べ事をしたのち、旧三の丸広場へ回りました。掛川城中心部の東側、四足門の前を通りました。

 

 このアングルもなかなか良いですね。掛川城大手筋の重厚な縄張りの構えが感じられます。

 

 さて、この日の昼食は、かねて掛川市出身の京都造形芸術大学時代の学友に教えてもらった上図の和料理「天城」にていただきました。掛川城公園から掛川駅への通りの西側にあります。昭和29年創業の老舗で、天丼やカツ丼などを美味しく食わせるお店として地元民に親しまれているそうです。

 食べログでの紹介記事はこちら

 

 学友が「とにかく食べてみろよぉ・・」と勧めてくれた「天丼」を注文しました。味噌汁、漬物、ミニサラダが付いて1100円なり。

 

 いやー、ボリュームもあってサクサクでジューシーな天麩羅が大変に美味しゅうございました。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その13  掛川古城へ

2021年08月21日 | ゆるキャン△

 掛川城竹の丸に建つ「旧松本家住宅」の離れ二階の「貴賓室」です。三方の窓が開け放たれていたため風がよく通っていて、しばし涼んでいました。

 

 「貴賓室」の南ベランダより主屋の屋根を見ました。屋根が二重に見えますが、下の屋根は庇屋根です。

 

 「貴賓室」の南ベランダより南を見ると、右奥に掛川城天守が見えます。竹の丸の位置が城の北側であることが理解出来ます。

 

 望遠モードで撮影した掛川城天守。

 

 「貴賓室の」隣の「座敷」に移って東の窓から景色を見ました。住宅地の向こうに平坦な丘陵地が見えました。あれが掛川城が築かれる前の古城、すなわち掛川古城です。
 その掛川古城へは、平成の始め頃、20代前半の頃に一度行ったきりでしたので、今回はあれにも行ってみるか、と思い立ちました。

 

 竹の丸を辞して道を東へまっすぐに150メートルほど進むと、南に小学校を見下ろす丘陵地にあがります。城跡にはいま龍華院という寺があり、古城の中枢部の殆どがその境内地になっています。上図はその龍華院へ登る参道ですが、道から左に分かれる形です。とりあえず、右側のゆるやかな登り坂を進みました。

 

 右側の道も、かつての城内通路であったのかはよく分かりませんが、右下に広がる小学校の敷地がかつての館跡であり、道の左に高さを見せる切岸などに郭の連なりが望まれました。

 

 平坦地や切岸が並んでいかにも中世戦国期の土造りの城郭の雰囲気が濃厚でした。

 

 郭の要所はさらに高く造られてありました。土塁でしょうか。

 

 やがて左側に大きな堀切が見えました。掛川古城の本丸の直下を大きく遮断する防御線です。堀底は散策路になっていました。

 

 道から左にそれて、この公園地にあがりました。ここも掛川古城の遺跡で出郭にあたる場所であったようです。公園の名称が「龍華院子角山公園」ですので、ここも龍華院の境内地に含まれるのかもしれません。

 

 かなり広い公園で周りが住宅地なのですが、暑さのせいか、遊びや憩いの人影は全く見当たりませんでした。木立ちの中から吹き抜けて芝生をなでてゆく夏風が、あおあおした匂いをもただよわせて、空にかけてゆくのみでした。  (続く)

 

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艦船模型スペシャル 2021年9 月号

2021年08月20日 | その他

 去る8月12日に発売されました、季刊「艦船模型スペシャル」の2021年9月号です。御覧のようにウォーターラインシリーズ50周年を記念してのシリーズ歴史総括冊子としてまとめられています。

 アマゾンでの案内記事はこちら

 

 発売日翌日に京都駅前ヨドバシの大垣書店にて購入してまいりました。艦船模型スペシャルは普段は買わないのですが、こういう記念誌かつ通史総覧的な保存版となれば話は別です。

 現在はずっとガルパン車輌のプラモデルを作っていますが、それ以前は艦船プラモデル専門で30年余りやっていた私です。ウォーターラインシリーズ黎明期からのキットを全部作り、年を経るにつれて改造や自作にも広げ、平成のピットロード等の参入以後はそれらのキットも作っていました。PTエイジェンスや工房飛竜などのガレージキットもかなり作りました。旧日本海軍の軍艦、艦艇、船舶が専門でした。
 その製作したキットの一部は、前ブログでも紹介しています。こちらこちらこちらこちらこちら

 とくに駆逐艦以下の小さなフネが好きで、ウォーターラインシリーズのキットを全てピットロード等の後発メーカーのキットに作り変えて揃え、海防艦も80隻ぐらい楽しみました。平成18年に橘型駆逐艦「榎」をピットロードのキットで作ったのがラストになりました。
 その時点で製作総数は600隻を超えていました。最初からかかさず「建造記録」をつけていましたので、現在でもどのフネをいつ、何のキットで製作したかが分かります。

 その半数の300隻余りが駆逐艦でしたから、サークル内でも「星野といえば駆逐艦」とか「駆逐艦の男」などと呼ばれていました。それを英語で言うと「ミスター・デストロイヤー」となりますが、往年のプロレスラーの名前を連想させて笑い話のネタにされるため、私自身はあまり気に入っていません。

 そんな私なので、模型サークル内での所属分会は最初から現在に至るまで艦船部会です。どういうわけか、いまも艦船部会の副代表格にさせられています。600隻も作った人はそうそう居ないからでしょう。ガルパン車輌のプラモデルを作っている現状においても、「艦船の星野さん」とか「陸にあがった海軍」とか言われ続けています。

 ここ数年はサークルのほうでも「艦隊これくしょん」のブームがあって、今も艦船部会の若い面々は舞鶴のイベントなどに出かけたりしていますが、私自身は「艦隊これくしょん」のような擬人化コンテンツにはあまり関心が無かったため、話の輪にもあまり加わらずに、会場の隅っこでフジミの特シリーズやNEXTシリーズ、ヤマシタホビー等の関連新情報などを静かに読んでいることが多いのですが、それさえも「沈黙の海軍」と揶揄されたりする有様です。

 でも、まあ、いいか、です。「沈黙の海軍」ですから、今回の「艦船模型スペシャル」の2021年9月号も黙して読みふけることにしましょう。

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その12  掛川城の竹之丸

2021年08月19日 | ゆるキャン△

 掛川城は、駿河守護職今川氏の家臣の朝比奈氏が永正九年(1492)頃に、東にあった掛川古城に代わる新城として築いたのが始まりです。初代城主は朝比奈泰凞(やすひろ)で、その娘が今川氏親の側室となり、今川義元を生んだという説が最近に発表されていますが、これは本当かもしれません。
 今川義元が桶狭間合戦で織田信長に討たれた後、子の今川氏真に力量がなく、今川領は武田氏と徳川氏の浸食を受けますが、掛川城主朝比奈泰朝(やすとも)は今川氏に忠誠を貫き、武田信玄の侵攻により駿府を追われた今川氏真を受け入れて徹底抗戦しました。周りが殆ど寝返る中での孤軍奮闘ぶりは、今川義元が朝比奈泰凞の孫にあたるならば至極当然の帰結であろうと思われます。

 ですが徳川家康の猛攻防ぎがたく、永禄十二年(1569)に今川氏真および朝比奈泰朝は降伏し城を明け渡して没落しました。その後は徳川家康家臣の石川家成が入城し、掛川城は対武田氏の防御拠点となりましたが、天正十八年(1590)に徳川家康が関東移封となった後は、豊臣秀吉家臣の山内一豊が城主となりました。のちの土佐高知藩山内氏の祖です。

 いま見られる上図の復原天守は、この山内一豊が城主だった頃の様相を示しています。よく高知城天守に似ているとされますが、もともと高知城天守が藩祖ゆかりの掛川城天守を模したものでした。それで、天守の復原事業においても高知城天守を参考にしているそうです。

 この天守にはこれまでに五回ぐらい登っていますので、内部もよく覚えています。それで今回は天守以外の城内遺跡を見て回ることにしました。案内所で問い合わせたところ、コロナ対策でしばらく閉館していた竹の丸の屋敷が公開されているということで、竹の丸に向かいました。

 

 本丸広場から引き返して二の丸への連絡路となっている通路を進み、これを護っていた十露盤(そろばん)堀を見ました。発掘調査で検出された遺構をそのままレプリカで包んで展示しています。

 

 十露盤(そろばん)堀とあわせて本丸の東側の尾根続きを遮断して護った三日月(みかづき)堀です。これも発掘調査で検出された遺構をレプリカで包んで展示しています。

 

 二の丸から本丸天守を見上げました。急な切岸面に護られた本丸東側の様子がよく分かります。その上の尾根を削り残した高所に天守が築かれています。攻めるに難く、守るに易し、の典型的な縄張り事例です。

 この二の丸には、全国でも4棟しか現存しない城郭御殿建築の一つがありますが、何度も入っていて知っていますので、これもスルーして横から竹の丸に行きました。

 

 竹の丸に着きました。これまで修理中、整備中、コロナ対策閉館、と何度も見学機会を得られなかったため、今回が初めての見学となりました。この種の建築遺構を見るのは好きなので、ワクワクしてしまいました。

 

 これは番所ですね。これを見ただけですと近世武家屋敷の建築遺構かな、と思いがちですが、ここの屋敷は文化財指定上の正式名称が「旧松本家住宅」となっています。
 松本家は掛川藩の安政五年(1858)の指定葛布取扱問屋の中に名が見え、要するに藩御用商人のひとりでした。その松本家が廃藩後の明治三十六年(1903)に本宅をここ竹の丸に移して新造したものが、いま現存して公開されている竹の丸の屋敷建築であります。

 

 なので、この屋敷は近世期の豪商の住宅遺構です。国内でも現存例が稀な建築遺構であるため、平成17年に国の登録文化財に指定され、その後平成19年に国から掛川市へ管理移管する形で掛川市有形文化財に指定されています。
 全体的には近世期末期の武家屋敷の様相を残しつつ、近代の洋風建築の要素も取り入れながら和風にまとめた住宅の遺構、となります。

 なので、一見して掛川藩の上級武士の武家屋敷に見えたとしても不思議はありません。竹の丸は、城内の北門を含めた本丸北側の防御区画であってもとは家老クラスの屋敷地が並んでいたエリアですから、私も十数年前に竹の丸屋敷の建築遺構のことを初めて知った際には家老屋敷か何かかな、と思ったぐらいでした。

 

 主屋の式台玄関です。近世武家屋敷でもなかなか見られない立派な構えです。さすがに富裕商人ならばでの、金のかかった高級な造りだなあ、と思いましたが、それにしては木材や瓦が新しいなあ、もしかして復原かな、と感じました。
 その通り、内部の案内説明板によれば、この玄関部分は復原修理工事において復原された部分であるそうです。

 

 この「旧松本家住宅」は、主屋と奥の二階建ての「離れ」から成り立ちます。主屋西端の通廊から「離れ」をみたところです。

 

 主屋西端の通廊です。人ひとりやっと通れる程度の幅です。ああこれは間違いなく武家屋敷じゃないな、商人屋敷だな、と納得しました。武家屋敷の通廊は基本的に帯刀での通行を前提とするため、刀を腰に差して歩いても刀の鐺(こじり)が壁や障子に当たらないぐらいの幅を持たせるのが基本であるからです。

 これまでに全国各地の武家屋敷の建築遺構を色々と見学していますが、大体は廊下または通路空間の幅が上図の「旧松本家住宅」のそれの1.6倍以上はあったかな、と思い出しました。

 

 「離れ」の二階にあがりました。この住宅建築のなかで最も贅沢に金がかけられている空間です。貴賓室と座敷とが廊下をはさんで並びます。

 

 座敷です。床の間が珍しく二畳の畳敷きに作られますが、これは茶室の空間を兼ねていたのでしょうか。他の設えも、近世武家屋敷の要素と大して変化がありません。
 上図左端に見える障子戸の障子枠が上下二段に分けられて繰り上げ戸となっているのは、そちらが東側なので朝の陽光を段階的に入れることが出来るようにする配慮からでしょうか。現在の鉄道車両の窓のスライド式遮光カーテンに通じるものがあります。

 

 廊下の突き当たり、厠の隣にあった棚空間です。各種の備品が置けるように棚板が三種類のサイズで壁に仕込まれ、床にも盆板が置かれます。食器や調度品などをおくスペースであったのでしょうが、こういった小さな区画においても工夫を凝らして金もかけて立派な設えに整えてあります。この住宅建築の数多い見どころの一つです。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その11  掛川城のゆるキャン△パネル

2021年08月18日 | ゆるキャン△

 ゆるキャン車輌の駐機線入りを見届けてから10分ほど後、上図の掛川行きの9時35分発の赤い車輌に乗りました。

 

 10時29分に掛川駅に着きました。

 

 北口のロータリーから北へ続く道が、掛川城へのコースです。徒歩にして約7分でしたので、なるべく日差しを避けて上図右側の街路樹の下を歩きました。

 

 商店街の通りを抜けて逆川の橋手前まで来ました。左の丘上に掛川城の建築群が見えました。

 

 右が三ノ丸から本丸に移築されて現存する江戸期の太鼓櫓、左奥が平成6年に復興再建された天守です。

 

 本丸の正門にあたる四足門です。復原事業前の発掘調査では門の跡は見つかっていませんが、正保城絵図の描写にある門を元にして復元されています。

 

 四足門をくぐってすぐ左上に、江戸期の太鼓櫓が位置しています。三の丸からの移築であり本来の位置ではありませんが、もとは荒和布(あらめ)櫓と呼ばれる隅櫓が建っていた位置ですので、雰囲気をしのぶには良い建物です。

 

 さっそく、ゆるキャンパネルを発見。

 

 本丸広場の入城受付の前、天守閣を背景にしての絶好の位置でした。掛川の市名が入れてあるあたり、掛川市もようやくゆるキャンブームに参入した、といったところでしょうか。

 

 このパネルはここ掛川城本丸広場のほか、ならここキャンプ場、粟ヶ岳ビューポイントの3ヶ所に同じデザインで設置されているそうです。ならここキャンプ場、粟ヶ岳ビューポイントは車でないと行けませんので、今回は割愛しました。

 ですが、アニメ2期においては掛川市エリアで登場したのは「日本茶きみくら本店」のみです。その「日本茶きみくら本店」にはパネルは置かれなかったそうですので、何か事情があったのかもしれません。

 

 ですが、掛川市のシンボルといえばやっぱり掛川城です。本来ならば無関係であるはずのゆるキャンパネル掛川バージョンを置くには最適の位置であることも事実でした。  (続く)

 

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ゆるキャン△の聖地を行く20 その10  ゆるキャン車輌は駐機線へ

2021年08月17日 | ゆるキャン△

 9時13分、乗ってきたゆるキャン車輌が西鹿島で折り返して戻ってきました。数分ほど停車していましたが、やがて扉が閉まりました。私はそれを駅改札口付近で見守り、次いで掛川行きホームに移動して距離を置きつつ、デジカメの望遠モードで撮りました。

 

 わざと距離をおくことで、このように車輌全体が楽に撮れました。扉が閉まっていますので、外側のラッピングデザインが全て見られます。

 

 駐機線に移動するゆるキャン車輌を見るのは今回が初めてでした。6時間後の15時41分からの運行まで、車庫に入って点検を受けるのか、それとも駐機のみとなるのか、が分からなかったので、始終を見守ることにしました。

 

 ゆっくりと機関車区のほうへ進んで行きました。

 

 機関車区への分岐前で速度を落とし・・・。

 

 分岐路のほうにゆっくりと停まりました。

 

 待機線に並んでいる僚車とはちょっと離れた位置でした。しかし、そこから今度はこちらに向かってゆっくりと進み始めました。

 

 どこへ向かうんだ、と思わず反対側を振り返りました。

 

 入ったのはホームの南側の駐機線の一つでした。

 

 私が見守っている位置の正面まで進んできました。

 

 少し進んで停車しました。

 

 絶好の撮影チャンスでした。普段なかなか見られない志摩リンビーノも見られました。

 

 この位置で駐機するのかと思っていたら、また逆方向に進み始めました。

 

 そうして30メートルほど進んだ所でまた停まりました。その直後に運転士が降りて向こうの機関車区へ歩いていきましたので、ああ、そこが駐機位置なのか、と悟りました。ホームからもよく見える位置に駐機させるのは、やっぱり巡礼ファンへのサービスなのでしょう。  (続く)

 

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