「おやじぃ」の日々つぶやき

日々の生活の中で見聞や体験したことを、その歳なりで感じる気持を綴ります。

2020年のお盆を過ぎてご先祖について思う(1)

2020年08月18日 | 思い出
2020年のお盆も過ぎて、今年もあと残すところ4か月半となりました。恒例のお墓参りは8月13日(木)に、陽ざしの厳しい中で無事に済ませました。
墓所に行くと草取りや墓石の清掃などの間に、今の自分の歳と「墓誌」に刻んだ父の行年を比べることになり、自分は父の年齢を僅かに超えているなあと、感慨のような気持ちを覚えます。そして、この先にあとどれくらい齢を重ねることが出来るのか?と思ったりします。

そうした気持ちの有り方の変化もあって、ここ数年来ご先祖を偲ぶことが多くなってきました。それで過去に収集した戸籍類を整理して、私の簡単な系譜を作って見ました。これを見ることによって道産子四代目としての自分の立ち位置を考える材料になるのではと思います。   

参考:1871(明治4)年4月 「戸籍法」

さて、これが曽祖父から私までの系譜になります。(まずいわゆる男系で辿っています。:exel2013で作成)



上の系譜の中の父の写真ですが、陸軍兵士の平時の服装のようです。おそらく、兵役に着いていた時のものでないかと思います。関連する年表を見てみると、次の2つがあります。
  
  1873(明治6)年 「徴兵令」 満20歳3年間   1927(昭和2)年 「兵役法」

これでいくと、父は1926年で満20歳なので、「兵役法」が施行されたあたりで入隊し、そのころに部隊内で撮影したものと思われます。そして約20年後の昭和20年には40歳を迎える年齢で、北海道内のどこかで終戦を迎えたと思います。この約20年の間に戦地に行ったかどうかは、特に話しを聞かされた記憶はありません。

次の写真は、同じく兵役に着いていた頃の真冬の写真だと思います。顔立ちからすると、向かって右の方が父でしょう。


父の若いころの写真は、これしか残っていません。

戸籍をながめてみると、父は終戦の前に結婚をしていて双子の女子を授かりました。ただ、二人とも病気?などで亡くし更に連れにも先立たれて、戦後直ぐのころは、所謂「男やもめ」になっていました。そして「系譜」にあるとおり、昭和21年に母と結婚し、姉と私が生まれました。この家族について私の記憶に残っている一番古いと思われることは、住んでいた家のことです。築年は相当古いもので、8畳か10畳ほどの居間の真ん中に囲炉裏があり、暖房には薪を使っていたようです。
ただ、今覚えているのは、石炭ストーブを使うようになっていたころです。その石炭ストーブはおそらくダルマ型で直ぐに燃えてしまうものだったと思います。それで、しょっちゅう石炭を補充する必要があり、その石炭庫は家に隣接した物置の中に入っていました。石炭のバケツが残り少なくなると、私たち子供が石炭を取りに行く役目だったので、真冬の外気温が20度以下でも一旦外に出て、その物置を往復していました。  ※つづく





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