この英国旅行は、2010年5月のものです。旅行後にはすぐ記事をアップしようと考えていたのですが、そのうちに~と思っていて、あっというまに3年が過ぎてしまいました。これ以上先延ばしすると、記憶も薄れてしまうので、記事にしました。
5月10日(月)英国のスコットランドの首都エジンバラ駅から、午前10時52分にバーミンガム行きの特急列車に乗り、リバプール駅を目指しました。
※エジンバラ駅の発券機で購入した列車のチケット(事前に予約しておいたものです。)
前の日までは、スコッチ文化研究所の蒸留所ツアーで団体の一人として過ごして来ました。この日からは、個人での旅行です。終点の2つ前の駅で乗り換えなので、車内で寝込んではいけないと思いサンドイッチを食べるだけにして、停車する駅名をチェックしながら過ごしました。それでものすごく緊張していたと思います。
ともあれ、午後5時半頃に無事にリバプール駅に到着できて、依頼をしていた個人ガイドの阿部卓也さんの出迎えを受けました。この方は年齢が私と同じくらいで、30年以上前に移住された方でした。(ガイドの合間に伺いました。)一般の観光ツアーガイドをされていますが、リバプール市のビートルズ公認ガイドでもあるので、今回の私のご案内をしていただくことになった訳です。
駅前からそのまま阿部さんの車で案内をしてもらいました。ここは、ジョン・レノンが生まれた病院です。
入り口の右横にあるプレートです。ジョン・レノンのメガネを掛けた顔の部分がレリーフされています。
この建物は、ジョン・レノンが通っていた美術学校です。
これは孤児院の入り口の門ですが、ジョン・レノンが頻繁に訪ねていた所だそうです。施設の名前はメモしていなかったです。また、すでに建物は取り壊されて更地になっていました。
さて、ここが「ビートルズ」のスタートのところと言える「カスバ・クラブ」です。それは1960年12月だったそうです。カフェですが店の名前は、初代ドラマーの「ピーター・ベスト」の母親が経営していて、北アフリカ・アルジェの旧市街地「カスバ」を舞台にした映画が好きだったからこれにした、らしいです。(ローク・ベストさんの話し。)
次の4枚は、この建物の一番下(地階)の中です。ビートルズとしてメジャーデビューする前、ここで音楽演奏していたそうです。
話しをしてもらったローク・ベストさんが、このドラムのある上の天井にジョン・レノンの落書きがありますよ、と言うので見上げたら、確かにありました。写真を撮りたかったのですが、カメラのバッテリーがダウンして写せませんでした。残念です。
「カスバ・クラブ」から程近いところにある教会?のホールだったと思います。
3つの窓の真ん中の下にあるプレートです。ジョン・レノンとポール・マッカトニーが最初に出会ったところと言うようなことが書いてあります。
「ペニーレイン」と書いてありますが、通り名の標識です。ビートルズのアルバム「MAGICAL MYSTERY TOUR」(マジカル ミステリー ツアー)の第9番目の作品名に「Penny Lane」として使われています。
以下3枚のモノクロ写真は、上に書いてある「カスバ・クラブ」の販売コーナーで買ってきたものです。クラブで話しをしてくれたローク・ベストさんのお兄さんが「ピーター・ベスト」で、この写真にサインをしています。
この写真だと5人で活動していた時もあったようですね。
おまけの1枚
リバプールは、かって造船業でも繁栄していたところでした。この建物は「株式会社ホワイトスター」の本社です。あの「タイタニック」を航行させた会社です。
リバプールには、もちろんビートルズの誕生のところということで訪れました。それで十分満足できましたが、その他にも沢山思い出に残るいい「旅」だったと思います。
マイブログ:ビートルズ・アビイロード記事はこちらです。
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