家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

ファスト風土と住宅

2007年08月29日 | 家について思ったことなど
三浦展という人は「下流社会」(光文社新書)で有名になったが、それ以前にも面白い切り口で社会分析をした著書がある。
ファスト風土化する日本――郊外化とその病理」(洋泉社新書)がそれ。
「ファスト風土」とは三浦氏の造語で、ファストフードのように全国均質な大量生産された風土のこと。多少コジツケ感はあるものの、わかりやすいネーミングだと感心したものである。

わが地域を眺めてみても幹線道路には郊外型量販店が幅を利かせ、大規模ショッピングセンターが進出していて、ファスト風土化が進んでいるのが良く分かる。
駅前に並ぶのは、大手「サラ金」(←私はこの言葉を復活させたいのであえて使う。「高利貸し」でもいい)、カラオケボックス、駅前留学、ハンバーガー屋、チェーン居酒屋、コンビニ…。
没個性そのものである。
地場産業をもっと前面に押し出せば外部の関心を集めるだろうに、どこにでもあるものをどこにでもあるように配置しているだけ。狭い地域で自己完結し、外から人が訪問しない。これじゃあ地域が活性化するわけがない。
街並みを眺めていると、そんなオヤジの小言をこぼしたくなる。

「ファスト風土化する日本」では、地方で均質な「郊外化」が急速に進行して地域社会・文化にゆがみが生じ犯罪が増加している、というような説が述べられている。犯罪増加の主因かどうかについてはあくまで仮説として聞いておくが、地域特性が薄れてきていることは実感できる。

私は、個々の住宅でもファスト風土化が進んでいるのではないかと思っている。
全国一律で規格を定めて大量生産したパーツを組み立ててできあがる住宅、土地の特性や環境を活かさずとも「閉じる」だけで身体に負荷なく暮らすことが可能な超高性能住宅…、どんな土地柄に建てても同じような家になる傾向は強まっているように思える。
裏を返せば「ファスト風土にマッチした住宅」が開発されてきているということになりはしないだろうか。
大量生産でコストが下がるのも、住宅性能が向上するのも、経済的にはプラス面があるので、そういう住宅が供給されることを否定するつもりはない。だが、そればかりになるのはいただけない。地方が都会の亜流になる構図が強まるだけになるから。
地方の工務店・ビルダーは、現在売りやすいからといって、むやみなローコスト化とか特色のない高性能化に動くと、自ら「ファスト風土住宅化」に力を貸すことになり、やがて全国展開する競合社とのパワーゲームに巻き込まれていくのは必定だ。性能でも、素材でも、コストでも、デザインでも地域特性を加味していることを強みにできる住宅に力を入れたほうがきっといい。

「ファストフード店がどこにでもあるのが普通」であるかのごとく、「どんな土地柄に建ててもかまわない家が普通」と認識されるようになれば、地方の特性はどんどんなくなっていくことだろう。
「普通」は細かな地域ごとに違っていてもいい、と私は思う。

そんなこともあって「普通の家」と安易に語ることにちょっとした問題意識を持っている。

どんな形の「普通」であれ、「普通」と称することが出来るレベルならば、たぶん住宅個体としては特段の問題があるわけではないだろう。ただ、全国が均質化することを推進するような「普通」であったなら、それは風景や文化の面から特に推奨したいことでもない。

商業施設も、住宅も、全国どこへいっても同じ、「それが普通だ」なんていうようなつまらない世の中になってほしくないものだ。

先日、夏休みをとって家族と鎌倉に行った。
鎌倉は神社仏閣の多い街でそれが観光資源になっているが、個人住宅もなかなかどうして観光資源といっていいような価値がある。魅力的な家がたくさんあって決してデザインが統一されているわけではないが、落ち着いた調和が感じられた。
よくよく考えると、ファストフード店もコンビニも量販店も極端に少なかった。商店も住宅もファスト風土化していないことが鎌倉という街の魅力を維持していると実感できた。