家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

利上げの行方と家づくりと相場観

2007年02月22日 | 家について思ったことなど
2月21日の金融政策決定会合で日銀が追加利上げを決定した。
これから家を建てる人や、短期固定や変動金利の住宅ローンを抱えている人は悩むことが増えてくる。
いつ借りればいいのか、いつ借り換えをすべきか、いつ繰り上げ返済をしようか…

これから家を建てる人にとっては、本当に切実な問題だろう。
具体的に進んでいる人はもう後戻りもできないので割り切って突き進むしかないが、これから計画を着手する人は簡単に割り切ることもできない。今後の金利動向をどう読んだらいいのか、難しいからだ。今がいいのか、先がいいのか、という悩み。しかも選択して、それが良かったか悪かったかの判断ができるのは何年もかかる。つまりすっきりしない。

福井日銀総裁の発言
「『極めて低い金利水準を維持しながら』という言葉を使っている間は正常化の余地が残っている。 ・・・(中略)・・・ 『極めて低い金利水準』という言葉を使わなくなるまでは正常化のプロセスだと思っていただいていい」

この言葉から読み取られること。
・ 現在は極めて低い金利水準である
・ 極めて低いということは正常化していないということである
・ 正常化のプロセスということは利上げの機会をうかがう期間が続くということ

以前も言ったが、長い目でみれば、金利が極めて低い現在はお金を借りるのに相対的に不利な時期ではないのはわかるだろう。だから、具体的に家づくりが進行中の人はそんなに悪い環境ではないと思う。じゃあ、これから計画する人はどうかというと、ここ1年くらいの間にローンを組むところまで持っていけるのであれば(長い目で見て)不利ではないのではないか。日本経済はそんなに急ピッチで利上げできるような状況にないから。
ただ、私は構想には時間をかけるべきと思っており、あわただしく家づくりをすることをすすめたくない。資金面でさほど損をしなくとも、出来上がったものに満足できなければ元も子もないからだ。

2、3年先はなんともいえないが、例えばバブル経済崩壊初期のころの金利に比べたらまだましかもしれない。最近封切りした「バブルへGO!!」という映画では主人公が1990年3月の世界にタイムトリップするそうだが、そのころの公定歩合は5.25%である。
どのくらいの長さの時間軸で捉えるかによって、ポジティブシンキングはできなくもないが、それこそそんなに簡単に割り切れるものでもない。
住宅ローン金利の変遷グラフ↓をにらめっこしてもそんなに簡単に答えは出せそうにない。
http://realestate.yahoo.co.jp/docs/myhomeguide/01_66_01l.html


これもかつて言ったことだが、実は消費税率引き上げの方がもっと恐い。
こっちは近い将来の引き上げは色濃い。この場合、駆け込み需要のリスクも気になる。
建材価格の上昇も気がかりだし、それを考えると今のうち、とも思う。
かといってやっぱりあわただしいのはすすめられない。非常に難しい。

奇想天外な方法をひとつ思いついた。
いつ建てるか決まっていなくて住宅ローンの頭金程度の資金が手元にあるのなら、ひとまず住宅に使えるくらいの成木がある山林を買ってしまうこと。(関連エントリ
山林はいまとても安いし、固定資産税もほとんどかからない。
今後もし材木価格が上がっても、山林を買った時点から材木の値上がりを気にする必要はなくなるし、材木価格が上がるようなら山林の資産価値も上がる。自家消費なので材木分については消費税率引き上げも気にならない。建て終わったら山林は売ってしまえばいい。
当然、条件もリスクもある。
・建設地へと運搬可能な場所で山林を手に入れる必要がある。あまりに遠いと運搬費が問題になってくる。
・樹種はヒノキがいいかもしれない。いろいろな箇所に使えるからだ。ただし、建材が総じて値上がりしてもヒノキに比べればやっぱり外国材のほうが安い、なんていうことは当然考えられる。
・材木を施主支給となると、とてもハウスメーカーは受けてくれない。工務店でも受けられるところを探すのに労力がかかりそう。
・木材価格は上がらないかもしれない。中国やインドなどの大人口国の経済成長によって建材の需要が高まっていくという推測はあるものの、金利が上昇して円高になって外国材が今後も安く手に入る状況も否定できない。
・山林は買い手がなかなかいない。売れなければ成木を使い切ったあとの山林の使い道を考えなければならない。
…こう書いてくると有利になるための条件は厳しいし、リスクのほうが多そうだ。
もし可能ならば、土地は買わず立ち木だけを買っておく、という手がいい。それならばメリットはさほど変わらず、リスクは抑えられる。これは意外によさそうだ。

「相場観」というものを持つことは重要だ。金利動向だけでなく、土地やそのほかのモノについても。
家を持つにあたってそういう視点を持つ人が少ない気がしている。
大学生から東京で暮らしていた私は、バブル期に東京で住居を持つのはあきらめた(やがて新幹線通勤を始めた)。私の相場観ではあまりにばかばかしい住宅価格になっていたからだ。
ゼロ金利政策のときに家を建てた。相場観としてこんな金融政策はいずれ解消されるのは間違いないので金を借りるのはいまのうち、と考えたからだ。デフレで建材も人件費も安いとも考えた。
いまのところ、自分の相場観は当たっている。バブル崩壊で住宅価格は下がったし、やはりゼロ金利は解除された。デフレも脱却しようとしている。この局面で私はお金を手に入れたわけではないが、余計な出費をしなかったことで得はしていると思う。
もちろん、相場観というのは考えていれば当たるというものではない。
人に投資を勧めるプロである証券マンがバブル期に高級マンションを買っていた。彼らの相場観が外れたのは周囲が短期売買を繰り返していたせいだと想像する。「家」という長いスパンで考えるべきものを短期的な相場観で考えたら失敗する確率は高い。
バブル期からゼロ金利解除までの期間を考えたら私は相当に長い期間にわたって家のことをそれとなく考えていたことになる。
ちなみに私の相場観では現在の山林価格は依然として安い。上がる時期に確証はないが自分が生きている間には上がるような気がしている。相当に気が長い投資になる。「投資は自己責任で」ということは一応言っておくが、そんな投資をする人はまずいないから大丈夫だろう。

自分は別に頭がいいわけではない。それなのにこのように相場観があたったのは、祖先のおかげ(もしくは導き)のような気がしている。実際祖先の住んでいた土地で現在暮らしている。気が長い性格は祖先のDNAによってもたらされたという見方もできるし。
祖先に感謝し、伝統行事( **)を大事にする、古屋も残している、それで守られているように思う。だから、古いもの、古い考えを最近の価値観を元に捨て去ることを躊躇する。非科学的に見えるかもしれないが私はそういう暮らしを続けていくことになるだろう。




「家を建ててしまった人バイアス」に気をつけろ

2007年02月22日 | 家について思ったことなど
バイアス (「はてなダイアリー」のキーワードより)
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%D0%A5%A4%A5%A2%A5%B9
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(英:bias)、斜め、または偏りや歪みを意味し、転じて偏見や先入観という意味をもつ。心理学や社会学などの統計から一般論を導く分野で使われることが多い。
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バイアスがかかった意見は政治をテーマにした世界ではよく見かけ、そのバイアス自体が話題になることがある。
マスコミなど中立性が要求される業態ではバイアスは悪いものと認識されがちだが、実際は発言者それぞれに何らかのバイアスがあると考えるのがむしろ自然だ。重要なのは、情報の中のバイアスの介入具合だし、その存在を意識して読むかどうかで情報の有用度が違ってくるということだ。

家づくりの世界においてもバイアスがかかっている情報は存在する。
建築業界人が発する情報にバイアスがかかっていることは容易に想像できる。
ロコツに我田引水なものはバイアス云々以前にセールストークといっていいが、ロコツでないものも、よく読むとバイアスが存在するのが分かる。
ハウスメーカー、工務店、建築家など業態によるバイアスのほか、工法、素材・建材などにかかわるバイアスもあると実感している。

一方、施主の情報にはバイアスがかかっていないかというとそんなことはない。立場上バイアスがかかりにくそうに思えるので、むしろ気をつけて読まなければならなかったりする。
「いやそんなことはない、正直な意見を書いている」といいたい施主も多いだろう。しかしバイアスの有無というものは情報を発する人が正直かどうかは問題ではないのだ。
バイアスの存在が批判されるのは意図的にある方向に誘導しようとしたり、印象操作したりする場合で、それは正直者とは言いがたいが、バイアスは必ずしも「意図的な操作」が付随しているわけではない。実はバイアスがかかりつつもその時点で当人が本当にそう思っているから操作の意図もなにもなく、自然に主張することは多い。ウソをついているのではないし、善意を動機とした情報発信なら正直者といわれてふさわしい存在だったりする。

人は一貫性を求めるというのが心理学のセオリーらしい。
自分がそれを選択するまでは、その選択肢に対して中立性を維持していても、それを選択したとたんに楽観的にその選択肢が有利なもの、正しいものに思えてきてしまうという。それは人間には一貫していたい、一貫していると思われたいという強迫観念があるせいらしい。
だから、悪意も善意も、意図的な計算がない場合でも自分の選んだ選択肢については自然にバイアスがかかった見解を表明してしまいやすいのだ。
だから、ビジネスに関係がない施主の意見だって大なり小なりバイアスはかかっていると考えた方が情報を読み誤らない。

さて、ここまで書けばわかると思うが、施主OBである私のブログ上の情報にもきっとバイアスがかかっている。
「きっと」と書いたのは、ある程度自分でも推測がつくバイアスと自分では気がついてないバイアスがあると想定できるからだ。

<このブログで気をつけたほうがいいと自分で気がついている(笑)バイアスのキーワード>
建築家、工務店、無垢材、国産材、通風、手作り、庭、日本の伝統文化、職人、古い家、子育て

これらの項目やそれに関連する事象に関して、第三者から見たらきっと私はたいした根拠もなく楽観的観測を持ち、好意的心情で発言している恐れがある。それを意識して読んでほしいと思う。

このブログに限らず、バイアスとは、そのキーワードに直接関係する話題でなくとも発言者の思考の背後や底辺に存在して、いろいろな発言に影響していることは意識しておいたほうがいい。

家づくりを経験した人、家づくりの仕事に携わっている人で「自分の家づくりの情報にバイアスなんて一切ない」なんて言い切る人がいたらそれは、バイアスのことを勘違いしているか、人を騙そうとしているかどちらかだと思っている。

こういうことを表明するのは、私の言葉をそのままうのみにしないよう注意喚起しておいて、あとから苦情を受けないようにするせこいディスクレーマーであったりするのだが、私の正直さも背景にあることは間違いない。
そう、正直さとバイアスは同居しうるのである。


追記)
こういうの(↓)もわかりやすいかもしれない。
「確証バイアス」 Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A2%BA%E8%A8%BC%E3%83%90%E3%82%A4%E3%82%A2%E3%82%B9
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確証バイアス(かくしょうバイアス)とは社会心理学における用語で、個人の先入観に基づいて他者を観察し、自分に都合のいい情報だけを集めて、それにより自己の先入観を補強するという現象である。
例えばグループに一人だけAという女性がいた場合、Aが様々な行動を示していたにもかかわらず、自分が持つ女性への固定観念に合致する行動だけを特別に認識して、「やはり女性は○○である」という結論を導くといった行為を指す。
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たいがいこういうことは自分の先入観を認識せずにやってしまうから困るのである。