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中学生のころ、鉛筆削りにハマった。
グルグル回して削るソレではなく、刃物で鉛筆を削る方。
父に「肥後の守(ひごのかみ)」という昔からある簡易ナイフの存在を教えてもらって購入したのがきっかけだ。
当時、鉛筆削り器は当然のように所有していた(電動ではなく手回しのヤツだが)。刃物で鉛筆を削るなどという行為が合理的でないことはあきらかだった。
そこで自分では美しさの追求のようなテーマを後付けして鉛筆を削る意義を見出した。
鉛筆というものは六角柱であり、先端部分を六角錐(すい)の形状にすることができる。そこで、きれいな六角錐状(角を削るので正確には六角錘ではない)にすることに執念を燃やした。電動でも手動でも鉛筆削り器では六角錐にはできず、円錐になってしまう。刃物を手で動かしてこそできる形状にひそかな(自己)満足感を得ていた。
そのうち、削り終わるまでの速さも追求し始めた。
六角錐という形状は、理論上最低6回、刃を動かすことで完成させることができる。それまでは木軸の方を六角錐状に整えたあと、あらためて芯を削っていたが、木軸と芯を一気に削ってしまえば6回のアクションでできあがるはず。極めたら、鉛筆削り器より速く削れるのではないかと考えるに至り、自己満足の追求はディープな世界に突入していったのだった。
現実は木にはクセがあり、そんなに素直に刃は進まない。また、木から芯に刃を進める段階で微妙な力加減の調整も必要になる。6回の切削できれいに仕上げるのはかなり困難。中学時代、千回程度削る機会はあったと思うが、6回でほぼ満足できる仕上がりになったのは10回に満たなかったろう。この道も奥が深いのである(求道者が他にいるかは知らないが・・・)。
自分で削るようになると、おかしなものでなかなか鉛筆を捨てにくくなる。長さが短くなると「鉛筆補助軸」を使って極限まで使った。あまり短くなるときれいに削れないこともあって、極限まで削った鉛筆は捨てていたが、最後のころにはそれをとっておくようになった。それをビンにつめたのが写真のブツである。
自分の鉛筆削りへのコダワリを説明するのが面倒なとき、コレを「貧乏性が作り上げたオブジェ」と説明するようにしている。
ちなみに、ネットをやり始めてから鉛筆芸術とでも呼べるような世界もあることを知った。
http://www.infofreako.com/jad/enpitsu.html
「六重螺旋」「有芯長方形斜方交差透かし彫り」なんて作品名も実物もスゴイ。貧乏性の人間からたまたま発生したブツと違ってまさに芸術で必見。
グルグル回して削るソレではなく、刃物で鉛筆を削る方。
父に「肥後の守(ひごのかみ)」という昔からある簡易ナイフの存在を教えてもらって購入したのがきっかけだ。
当時、鉛筆削り器は当然のように所有していた(電動ではなく手回しのヤツだが)。刃物で鉛筆を削るなどという行為が合理的でないことはあきらかだった。
そこで自分では美しさの追求のようなテーマを後付けして鉛筆を削る意義を見出した。
鉛筆というものは六角柱であり、先端部分を六角錐(すい)の形状にすることができる。そこで、きれいな六角錐状(角を削るので正確には六角錘ではない)にすることに執念を燃やした。電動でも手動でも鉛筆削り器では六角錐にはできず、円錐になってしまう。刃物を手で動かしてこそできる形状にひそかな(自己)満足感を得ていた。
そのうち、削り終わるまでの速さも追求し始めた。
六角錐という形状は、理論上最低6回、刃を動かすことで完成させることができる。それまでは木軸の方を六角錐状に整えたあと、あらためて芯を削っていたが、木軸と芯を一気に削ってしまえば6回のアクションでできあがるはず。極めたら、鉛筆削り器より速く削れるのではないかと考えるに至り、自己満足の追求はディープな世界に突入していったのだった。
現実は木にはクセがあり、そんなに素直に刃は進まない。また、木から芯に刃を進める段階で微妙な力加減の調整も必要になる。6回の切削できれいに仕上げるのはかなり困難。中学時代、千回程度削る機会はあったと思うが、6回でほぼ満足できる仕上がりになったのは10回に満たなかったろう。この道も奥が深いのである(求道者が他にいるかは知らないが・・・)。
自分で削るようになると、おかしなものでなかなか鉛筆を捨てにくくなる。長さが短くなると「鉛筆補助軸」を使って極限まで使った。あまり短くなるときれいに削れないこともあって、極限まで削った鉛筆は捨てていたが、最後のころにはそれをとっておくようになった。それをビンにつめたのが写真のブツである。
自分の鉛筆削りへのコダワリを説明するのが面倒なとき、コレを「貧乏性が作り上げたオブジェ」と説明するようにしている。
ちなみに、ネットをやり始めてから鉛筆芸術とでも呼べるような世界もあることを知った。
http://www.infofreako.com/jad/enpitsu.html
「六重螺旋」「有芯長方形斜方交差透かし彫り」なんて作品名も実物もスゴイ。貧乏性の人間からたまたま発生したブツと違ってまさに芸術で必見。
あなたという人は!
なんて面白い人なんだ!
今これを書きながら、
garaikaさんが椅子に座り一心不乱に
ナイフで鉛筆を削っている後姿を想像している。
それも、部屋の電気はつけず、
スタンドの明かりだけで黙々と削っている姿を。
>6回でほぼ満足できる仕上がりになったのは10回に満たなかったろう。
って、出来たことがあるのか?!
でも、鉛筆手削りは、やり始めると、
『如何にきれいに削れるか』極めたくなる気持ち
すごーく、よく分かります。
ちなみに
garaika邸の床板、随分と焼けましたか?
色が以前よりも、飴色になってきた感じがします。
気のせいかな?
私も分かりますよ。
小学生の頃、カッターで鉛筆を削る授業がありました。
それ以来、ちょっとハマりました。
今でも、ペンシルタイプのアイライナーはカッターで削ることあります。
まず、木目がきれいで均一でないといけない。しかし、そんなにいい木目ばかりではないのです。
そして、鉛筆の長さが握りやすい程度にあること。補助軸を使うかどうか微妙な長さのときはやりにくいです。
当然、よく切れる刃物でないといけません。当時、肥後の守はよく研ぎました。カッター以上に切れるように研ぐのは中学生には難しかったです。
そうそう、それで思い出したのですが、当時文房具屋さんには「鉛筆削り用ナイフ」(商品名は知りません)って売ってませんでした?
平べったいプラスチックとかみそり刃で出来ていたヤツ。
これがまた削りにくい。こんなもの使わせるから「鉛筆削りも出来ない子供」になっちゃうんだ、って憤慨した記憶があります。
ちなみに、大人になっても仕上がりは「ほぼ満足」にとどまり、「満足」には至れそうにありません。削る機会は極端に減っていますし…。
今の子供は学校にカッターを持って行ってはいけないらしいので、かわいそうです。私の「後継者」(笑)は現れそうにないです。
ただ、ウチの子供には鉛筆削りはともかく、刃物を正しく理解させるつもりです。
普段刃物を使っていないから、逆におかしな使い方してしまう子供が増えているのではないかと考えております。
息子には「元服」みたいな儀式をもってナイフをプレゼントしたいなぁ、などとも考えています。
朝妻さん、写真は例のワークショップの据付机の天板です。ヒノキなので当然焼けてきています。今後のエージングが楽しみです。
garaikaさんのようにそこまで意識的なものではありませんでしたが、鉛筆削りの円錐仕上がりとは異なる六角錐を如何に精密に形作れるかは相当こだわってました。
が、美大受験のために鉛筆デッサンをするようになると削り方がまったく変わっちゃうんですね。芯の長さも木の削られた部分も標準の3倍くらいの長さが必要になり、カッターの刃の入れ方も変わってきます。そして六角錐の状態だと鉛筆を寝かせて描くと角張ったところに芯の粉が付着するので、円錐型に剃り落とさなければなりません。
始めたばかりの頃は六角錐にコダワリがあったもんで、円錐に修正するのに妙な抵抗感を覚えたものです。現在は標準式の鉛筆を削るときでもむしろ如何に美しい円錐とするかにこだわってしまうんですが。。
いましたか求道者がそこにも(笑)。
私の場合、きれいな円錐に挑戦するのは丸い(円柱の)鉛筆の時でした。
円錐の場合、何回も刃を動かす必要があり、速さの追求はできませんでしたけど、できるだけ機械削りに近づける、などという挑戦はした覚えがあります。