家づくり、行ったり来たり

ヘンなコダワリを持った家づくりの記録。詳しくは「はじめに」を参照のほど。ログハウスのことやレザークラフトのことも。

バリア「アリー」な家

2004年11月10日 | 家について思ったことなど
blogめぐりをしていて、ツボにはまる投稿をひとつ見つけた。


笹川勇氏のblog「新しい仕事」より↓

 新しい家のアイデア。今、バリアフリーの家が注目されているが、逆に生活をしながら筋肉が鍛えられる「バリアアリー(バリアあり)」な家はどうだろう?ローカはハードルを越えながら進まなければいけなかったり、戸棚はつま先立ちしなければ届かなかったり、ドアがめちゃめちゃ重かったり…。人にやさしい家より、ある程度厳しい家の方が人は長生きできると思うのだが…。



バリアフリーって、さも良いことのように扱われるけど、負の面もある。
例えば、
駅とか、公民館とか、公共施設はバリアフリーの名のもとにエレベーター、エスカレーターの設置を推進しているが、それを健常者まで使ってしまっている。これは次第に健常者の足腰を衰えさせてはいないだろうか?

我が家はバリア「アリー」にはならないけど、「フリー」化のマイナス面は意識して暮らそうと思っている。

ちなみに、笹川氏の考える「新しい仕事」は切り口が面白い。ここのところ、更新されていないのが残念である。私も、一つ、二つ新しい仕事のアイディアを持っているのだが・・・。

ワークショップ

2004年11月09日 | 我が家のスペシャルな仕様
家族はみんなモノを作るのが好き。
妻と長女はビーズクラフトをやり、長男も工作大好き。父は木工、母は裁縫をする。
私はレザークラフトが趣味である(家づくりに追われてここのところ作っていないが・・・)。
新築にあたっては、工作室を作りたかった。

しかし、モノ作り専用の部屋を確保するのは予算的に苦しく、あきらめざるをえなかった。
裁縫用のミシンだけは小さな部屋を確保したが、他のモノ作りのための部屋は無理でも「場所」はほしかった。

それを実現させたのが、ワークショップである。
廊下というべき空間に4mを超す幅広の机がつくりつけられる。
子供部屋の前にあり、PCも置く。すなわち、勉強机兼作業机。
4mもあればいっぺんに4人が使っても大丈夫だ。
さすがに電動工具は使えないが・・・。


実は、ここの上が「越屋根」になっている。
天井が高く、気持ちのいい空間になると期待している。



床下の炭――「究極」の施主支給

2004年11月08日 | 我が家のスペシャルな仕様
建築家からの提案で床下には炭を入れる。
主に調湿効果を期待している(*注)。

この炭は施主支給とした。不織布の袋に炭を入れたもので、240袋用意する。
施主支給といっても、施主がどこか安いところから買ってくるというわけではない。
自前で炭を焼くのだ。この「支給」はちょっとないだろう。

炭の材は竹。知人の竹林の手入れをかねているのでタダで竹は手に入る。
材の切り出しをやるところからの調達である。

炭焼きをするのは父。
某所にドラム缶を利用した炭焼き釜を作ってある。一回、焼くと3袋分できる。
1日に一回しか焼けないのでコツコツとした作業だ。

不織布の袋も自製した。布を巻物で購入し、母がミシンで縫った。
私は何もしていないので、厳密に言うと「施主」支給というと怒られるかも。

炭焼き自体を楽しんでいる部分もあるが、結構な重労働であるのには間違いなく、父母に感謝である。


(*注)炭については、マイナスイオンだとか、遠赤外線だとかいろいろな人体に対する効能をうたう人がいるが、私はマイナスイオン、遠赤外線ともその効果は疑問視している。マイナスイオン(ってそもそもなに?)が身体にいいなんて科学的根拠はないようだし、まして遠赤外線なんて熱しなければ出てこない。

雨どい

2004年11月07日 | 我が家のスペシャルな仕様
 子供のころから、雨どいの存在が気になっていた。
雨水を下に落とす管とあわせて、「なんだか、かっこよくない」と思っていた。

今でもその感覚はあまり変わらない。雨どいの管が外壁に目立つ格好で設置されているのを見ると、「顔の中で、あんまりついていて欲しくない位置にあるホクロ」のような感じがしてしまう。

雨どいは家にとって必要なものなのだが、なぜか機能美とむすびつかない。

それで、目立たなくするか、隠すしかなくなる。

設計事務所も雨どいのデザインについての問題意識が強かったので、うまく工夫してくれている。
 我が家は陸屋根なので、横に這う雨どい(側溝)は屋根と一体化して外からは見えない。縦に水を落とす管は、並べて2本を上から下まで一直線に落としてあり、パイプがアクセントのように壁に張り付いている感じで、雨どいとしての存在感のない設計になっている。


現場記録 11/6

2004年11月06日 | 建築現場記録
大工工事は、カーポートの門扉部分をやっていた。
玄関の門扉と一体化しており、横に長い四角のゲートになる。外観上のひとつのアクセントにもなる部分である。
結構重い戸がつくのだが、建具を作る会社から、当初設計では重みで将来動かなくなる危険があるとの指摘があって、着工して以降に設計変更したところ。
工務店社長が現場に訪れたので、何がまずくて、どう変更したのか教えてもらった。

水道工事屋さんも入って配管工事をしていた。

足場に上って、近くから越屋根を撮らせてもらった。


「工法」ブーム

2004年11月05日 | 家について思ったことなど
 最近の住宅業界ではいろいろな「工法」があみだされ、かまびすしい。

 供給サイドにしてみれば、モノを売り込むのに他社と差別化するというのは、極めてオーソドックスな戦略であるから、工法の乱立も自然の成り行きなのかもしれない。

 ただ、施主サイドから見れば、いたずらに混乱を招くものともいえる。

 画期的な工法で、家作りに変革をもたらすようなものもあるのだろうが、多くがこれまでの工法の改良版か、流行の工法の亜流のように見える。

 最近開発された工法なら、施主としては、20年後、30年後も生き残る「工法」かどうか考えながら選択したい。5年くらいでちょっとやり方を変えて名前が変わってしまうような「工法」に付加価値をつけられて余分な金を払って建てたくはない。
 20年後でも、「この家は○○工法で建てました」って施主が胸を張れる工法ならいい。
しかし、名前も残っていない「工法」だったら、「建てるときの、あのおおげさなアピールはなんだったのか、単なるキャッチコピーにすぎなかったのか」と、だまされたような感じがすることだろう。

家の機能美

2004年11月04日 | 家について思ったことなど
「機能美」という言葉がある。
辞書的に言えば、「機能本位で余計な装飾がないことから感じられる美しさ」ということになるが、装飾の有無はともかく、機能を考えて作ったことがデザインとしての価値を生むことはよくある。それは家にもあてはまるのではないか。

 古くからある民家は総じて美しい。
 例えば、沖縄の民家は美しい。
台風の被害を抑える石積みの塀、平屋で日陰をつくる軒、風通しの良いつくり、機能的な要素が絡み合って、そこの土地に建つ美しさがある。

その土地ごとに、それぞれ気候の特性があるはず。厳しい環境は避けつつ、快適な環境は取りこむというような機能が機能美につながることがあるように思う。

最近は家づくりにおいて、周囲の自然環境があまり考慮されなくなってきているように思う。
風通しなどは家の重要な要素になっていない感がある。外部環境と遮断することによって家の中の環境を快適にする性能が向上したせいではないだろうか。
その方向でどんどん進行すれば、そのうち、日当たりが悪くても快適環境となる家なども出てくるかもしれない。
だんだんと、どこに建っていても同じ形式の家でよくなってきそうだ。

立地条件を問わない家というのは、高い機能を持っているといえ、進化していけばある種の機能美が感じられるようになるかもしれない。
しかし、その機能美は単体としてのものであって、風景に溶け込むのではなく、風景から浮き上がるような形で美が存在するのではないだろうか。周囲の風景とシンクロした沖縄の民家の機能美とは異なる。

草原に、銀色に輝く一隻の宇宙船が降り立っている、というような風景は美しいかもしれないが、同じような宇宙船が何百も降り立っているのはちょっと気味の悪い風景にも思える。


ミシン室

2004年11月03日 | 我が家のスペシャルな仕様
我が家には普通の家にない部屋がある。
それはミシン室だ。

もともとは工作室を設置するよう希望していた。
家族それぞれがモノを作る趣味を持っているためで、ミシンはそこに置くつもりだった。
 だが、工作室は断念した。予算的な問題であきらめたのだ。
 それでも、ミシンを置く場所は特別に作った。

うちのミシンは足がついた業務用のものだから、しまったり出したりすることができない。必然的に部屋になった。広さは3畳ほどの小さい部屋だ。

 我が家はかつて呉服と洋服の小売業を営んでいた。既製品を売るのではなく、注文服だったから、ミシンは必需品だった。
今でも普通の家庭よりは活躍する時が多いと思う。

 ミシン室に我が家の歴史が垣間見える。

木が好きなわけ

2004年11月02日 | 家について思ったことなど
 日本人は木が好きである。
家は木造が多い。
「木の家」というキーワードは住宅業界にあふれ、「木」であることに魅力を感じる人が多いことを証明している。
 なぜ、木が好きなんだろう?
 
 私は人間に、猿の時の記憶が残っているせいではないかと考えた。

猿は木と一緒に暮らしている。木が猿の家といっていい。
 進化の過程で人間は木から下りたが、木の存在がDNAに染み込んでしまっているのではないだろうか。
木があると落ち着くという感覚はそれでなんとなく説明できるような気がする。

 日本は島国で、かつ森林が多い。日本人の祖先は、木から下りても、木の近くで生活していたはずである。だから、いっそう木を好む性質があるように思う。
一方、大陸で、森林から離れた地域に住み着いた人たちの間で、石でできた家を好む文化が生まれていったのではないか。

 そんなことを考えているのだが、もう誰かが研究しているかもしれない。


お客さんの気持ちはわかるの?

2004年11月02日 | その他
 11月2日の日経新聞夕刊1面の企画「そこまでやるか」第6回を読んだ。

「闘う社長は眠らない」という副題で、モーレツ社長が紹介されている。
午前3時50分に起床し、車で移動しながら5分で立ち食いそばをすすり、5時前には会社の席に座る。その後、メールの応答、会社の前の箒掃除までやりつつ、営業現場に行き、社長業をこなして、午後9時30分過ぎに会社をでる。会社を出た後ジムに行き、眠るのは午前0時前だという。18時間働いて4時間眠るという生活らしい。
 まさに「そこまでやるか」といいたくなるほどで、ビジネスマンとしては「スゴイ」としか言いようがない。記事も、そのモーレツぶりに焦点をあてている。

 しかし、私が気になったのは、この人がアパマンショップの社長だということだ。アパート、マンション賃貸の仲介をする不動産屋の大手である。
こういう生活をしている人が、「住宅にやすらぎを求めたい」というようなお客さんの気持ちがわかるとは思いにくい。

南向き、日当たり良好、駅徒歩○分、○LDK、オートロック、オール電化・・・というような条件を機械的に当てはめていって条件にあう住民とマッチングする。そんな家選びの業態を普通の生活でない人が広げていっているとしたら、ちょっと悲しい気がする。

また、この人の家族のことは紹介されていなかったが、家族がいたら心配になる。私も単身赴任し、平日は12時間働いているが、こんな生活はおかしいと思っているのだ。家族のことを考えたら、いっしょに住んで、会話を交わすべきだといつも葛藤している。
この人は自分の家族はどういう家に住むべきか、どういう家に住ませたいかというような考えを持っているのだろうか?

社長への疑問は、スローライフにあこがれる怠け者のひがみなのだろうか。

越屋根--お気に入りの家のパーツ

2004年11月01日 | 我が家のスペシャルな仕様
 我が家は2つの四角い箱が組み合わさったような形状で、基本的には陸屋根なのだが、実は「越屋根」(こしやね)がある。

 越屋根のメリットはいろいろある。

 まず、風通し。高い位置に開口がくるので熱気が抜ける。2階の北側窓は地窓にしてあり、涼しい空気が下から上に流れる仕組みになっている。

 そして採光。越屋根の庇の出具合で、夏の日差しは入らず、冬の日差しは入る。普段でも上からの光と、窓からの光が混ざり合う効果が期待でき、一つの窓からの採光より変化が楽しそう。

 空間を広げるという効果も大きい。越屋根のところは、吹き抜けほどではないが、高さのある空間になる。

 アクセントとしてもいい。中庭から見上げると越屋根が見える。
越屋根の垂木が「あらわし」になっているため、我が家が木でできていることが認識できる。
人間が地面に立った目線だと、外側からは存在がわかりにくいのが少し残念である。