「機能美」という言葉がある。
辞書的に言えば、「機能本位で余計な装飾がないことから感じられる美しさ」ということになるが、装飾の有無はともかく、機能を考えて作ったことがデザインとしての価値を生むことはよくある。それは家にもあてはまるのではないか。
古くからある民家は総じて美しい。
例えば、沖縄の民家は美しい。
台風の被害を抑える石積みの塀、平屋で日陰をつくる軒、風通しの良いつくり、機能的な要素が絡み合って、そこの土地に建つ美しさがある。
その土地ごとに、それぞれ気候の特性があるはず。厳しい環境は避けつつ、快適な環境は取りこむというような機能が機能美につながることがあるように思う。
最近は家づくりにおいて、周囲の自然環境があまり考慮されなくなってきているように思う。
風通しなどは家の重要な要素になっていない感がある。外部環境と遮断することによって家の中の環境を快適にする性能が向上したせいではないだろうか。
その方向でどんどん進行すれば、そのうち、日当たりが悪くても快適環境となる家なども出てくるかもしれない。
だんだんと、どこに建っていても同じ形式の家でよくなってきそうだ。
立地条件を問わない家というのは、高い機能を持っているといえ、進化していけばある種の機能美が感じられるようになるかもしれない。
しかし、その機能美は単体としてのものであって、風景に溶け込むのではなく、風景から浮き上がるような形で美が存在するのではないだろうか。周囲の風景とシンクロした沖縄の民家の機能美とは異なる。
草原に、銀色に輝く一隻の宇宙船が降り立っている、というような風景は美しいかもしれないが、同じような宇宙船が何百も降り立っているのはちょっと気味の悪い風景にも思える。
辞書的に言えば、「機能本位で余計な装飾がないことから感じられる美しさ」ということになるが、装飾の有無はともかく、機能を考えて作ったことがデザインとしての価値を生むことはよくある。それは家にもあてはまるのではないか。
古くからある民家は総じて美しい。
例えば、沖縄の民家は美しい。
台風の被害を抑える石積みの塀、平屋で日陰をつくる軒、風通しの良いつくり、機能的な要素が絡み合って、そこの土地に建つ美しさがある。
その土地ごとに、それぞれ気候の特性があるはず。厳しい環境は避けつつ、快適な環境は取りこむというような機能が機能美につながることがあるように思う。
最近は家づくりにおいて、周囲の自然環境があまり考慮されなくなってきているように思う。
風通しなどは家の重要な要素になっていない感がある。外部環境と遮断することによって家の中の環境を快適にする性能が向上したせいではないだろうか。
その方向でどんどん進行すれば、そのうち、日当たりが悪くても快適環境となる家なども出てくるかもしれない。
だんだんと、どこに建っていても同じ形式の家でよくなってきそうだ。
立地条件を問わない家というのは、高い機能を持っているといえ、進化していけばある種の機能美が感じられるようになるかもしれない。
しかし、その機能美は単体としてのものであって、風景に溶け込むのではなく、風景から浮き上がるような形で美が存在するのではないだろうか。周囲の風景とシンクロした沖縄の民家の機能美とは異なる。
草原に、銀色に輝く一隻の宇宙船が降り立っている、というような風景は美しいかもしれないが、同じような宇宙船が何百も降り立っているのはちょっと気味の悪い風景にも思える。