ひまわり博士のウンチク

読書・映画・沖縄・脱原発・その他世の中のこと

ショック! 赤星引退

2009年12月10日 | スポーツ
Akahoshi
 
 タイガースの赤い星、レッドスター、赤星憲広外野手(33)が甲子園を去る。
 まさかまさか! そこまで深刻だったとは知らなかった。
 まさに、寝耳に水、5年連続盗塁王、ゴールデングラブ賞6回の名選手が、わずか9年で現役を終えてしまった。
 持病のヘルニアだけでなく、「中心性脊髄損傷」があって、このままプレーを続けて同じところを傷めたら、命に関わるそうだ。
 今シーズン終了後に球団からは再三引退を勧告されていたらしいが、それでも1年待って欲しいとねばっていたそうだ。
 
 「最後の3年間は、それまでの6年間の3倍しんどかった」
 「僕は気持ちで負けないと、気持ちで乗り越えてきましたが…。今回のけがは気持ちでカバーできる部分じゃなかった。引退するとはまったく考えていなかったんで、現実を受け止めるのに時間がかかりましたし、今も実感はありません」
 「(医師から)今後、悪化させれば不随になる可能性もかなりあると。最悪、命の危険もあると言われて。万が一ですが…。今のまま現役を続けることはかなり危険、と言われた」
 「僕は100%の力を毎試合出せなければ他の選手に勝つことはできないと思ってやってきた。どこかでセーブしなければいけないという恐怖感もある。やはりプロとして、身を引くべきじゃないかと」
 
 Akahoshi2
 
 あばら骨を骨折しながらプレーを続けたこともあった。忍者赤星と言われたほどの超人的なプレーも見せてくれた。
 長打力のなさを足で稼いだ。内野安打やフォアボールで出塁すれば、いつの間にかセカンドにいた。
 赤星が出塁すると、必ずホームに帰ってくるので、ファンは「よし、これで1点入った」と思ったものだ。
 
 残念どころの騒ぎではないが、命に関わるということではしかたがない。
 今後は、ぜひ走塁コーチとして、球団に残って欲しいと思う。タイガースには足は速くても盗塁の下手な選手がたくさんいる。特に、鳥谷や平野には30盗塁ぐらいできるようにして欲しいと思う。
 
 第二の赤星をたくさんつくって欲しい。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。






12月8日は何の日か

2009年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム
128kaisen
 
 「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入(い)れり」
 
 戦争が終わった8月15日はたいていの人が知っているが(まれに知らない人がいて驚く)、12月8日が日米開戦の日であることは、思いのほか知らない人が多い。(ジョン・レノンが暗殺された日でもある)
 
 1941年のこの日、連合艦隊はハワイのパール・ハーバーを奇襲し、米艦隊にかなりの損害を与えた、と見られていた。
 ところが、アメリカは日本の奇襲をかなり速い段階で察知していて、その日パール・ハーバーに停泊していた艦船は、廃船寸前のぽんこつばかりだったと言われる。
 しかもこの攻撃は駐米大使館の怠慢で、宣戦布がなされておらず、いまだに卑怯な手口として批難され続けている。
 
 いずれにしろ日本は、泥沼化する中国との戦争を収拾する手段を持たないまま、疲弊する国力をまったく省みることなく、風車を攻撃するドン・キホーテのように、超大国アメリカに戦争を仕掛けたのである。
 
 「平和の大切さ」「命の大切さ」「戦争をしてはいけない」などの言葉があたかも常識のごとく飛び交っていながら、その実戦争の準備が着々と進められている日本という国は、いったいなんなんだろうか。
 
 戦争をしないなら、武器はいらない。戦争をしないなら、軍事同盟(日米安全保障条約)は不要だ。
 「もし、他国から攻撃されたとき、武器を持たなかったらどうしようもないではないか」という人がいる。そしてその当面の脅威は北朝鮮だという。
 思い起こせば、日本は常に仮想敵国を作り続け、脅威であると言い続けてきた。ソビエト、中国、北朝鮮など、それらはすべて日本にとっての脅威ではなく、アメリカにとっての脅威だ。
 そうした脅威という名目のもとに、自衛隊は莫大な国家予算を使って無用な兵器を大量にアメリカから購入している。
 これは、アメリカの兵器産業を肥やすためであり、日本がアメリカの戦争を手伝うためのものにほかならない。
 現在、世界の戦争はすべてアメリカが仕掛けたものである。湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタンと、いずれもアメリカが手を出さなければ戦争にはならなかった。
 
 パール・ハーバーの攻撃は、日本国民にとっても寝耳に水だった。国民に何も知らされないうちに、戦争が突然始まることも十分考えられる。仮に日本が攻撃をしかけなくとも、アメリカが東アジアで戦争をはじめたら、否が応でも付合わされること必定だ。
 今の時代はボタン一つで戦争を始めることができる。しかもそれは、世界の破滅につながる。
 お互いの要望を聞き、協調すべきところは協調する、援助すべきは援助する。戦争という手段でなくでなく、外交による解決手段に徹底するべきだ。人間は野生動物ではない、言葉という最高の手段を持っているのだから。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。



松本清張~小倉~森鴎外

2009年12月08日 | 本と雑誌
Ohgaiseicho

 今年は松本清張生誕100年、1909年12月21日の生まれ。本名、まつもと・きよはる。
 広島市に生まれて下関で育ち、小学生のときに小倉(現・北九州市)に移り住んだ。
 家は貧しく、高等小学校を卒業すると就職し、30歳で朝日新聞広告部に勤める。
 41歳のとき勤務中に書いた「西郷札」が「『週刊朝日』百万人の小説」に入選。それから3年後の1953年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞する。
 代表作は「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」など。時代小説やノンフィクションも手がけ、希代の多産作家といわれた。
 特に、戦後の不可解な事件、松川事件や下山事件などを描いた「日本の黒い霧」はセンセーションをまき起こした。
 
Seichou1
 
 芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」は当時所在不明とされていた、森鴎外の小倉時代の日記がテーマである。
 障害をもって生まれた青年が、小倉時代の日記が存在しないのであれば、自分が森鴎外について調べようと、かかわった人々や地域を訪ね歩き、彼による鴎外の「小倉日記」をまとめあげる。しかし、戦後の食糧事情の悪化もあって、彼は短い生涯を閉じた。
 その後東京で、鴎外の息子が疎開先から持ち帰った荷物の中に、鴎外の小倉日記が発見され、彼のまとめた「小倉日記」が日の目を見ることはなかった。
 この小説は1993年、筒井道隆、松坂慶子の主演でテレビドラマ(TBS)になっている。
 
 昭和二十六年二月、東京で鴎外の「小倉日記」が発見されたのは周知の通りである。鴎外の子息が疎開先から持ち帰った反古ばかり入った箪笥を整理していると、この日記が出てきたのだ。田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分からない。
 
 「或る『小倉日記』伝」は、最後をこう結んでいる。
 
Seichou2
 
 現在、「小倉日記」の原本は東京の鴎外記念本郷図書館に所蔵されている。
 ちくま文庫の『独逸日記・小倉日記』で読むことができる。
 手持ちの「森鴎外 小倉日記」は北九州森鴎外記念会発行のもの。「松本清張記念館」も北九州市にあり、東京都杉並区高井戸にあった松本邸の書斎・書庫・応接室をそのまま移し保存されている。
 リンク→松本清張記念館
 
 「或る『小倉日記』伝」は、芥川賞受賞作ではあるが、後の代表作、「点と線」や「ゼロの焦点」などとくらべると、決して優れているとは言えない。しかし、実際に足を使って調査した行動力と、真相を究めようとする推理力は、ミステリー作家の片鱗を見せている。
 
 ところで、清張作品は実に多く映像化されている。特に「砂の器」は、映像が原作を超えたと言われる数少ない作品だ。野村芳太郎監督、 川又昂撮影、加藤剛主演の松竹映画が、この小説を有名にした。
 あくまで僕自身の価値観であるが、原作は松本清張にしては駄作だと思っている。ハンセン病に対する差別と、家族の問題などの社会性は、映画によってこそはっきりと浮き彫りにされているのだ。終盤の日本の四季を縦断する川又昂カメラマンによる映像の美しさは秀逸である。
 「砂の器」のテレビドラマは過去に4回放送されているが、見たのは2004年の中居正広版のみだ。これはまったくお話にならないくらいのひどい作品である。ホテルが元ハンセン病患者の宿泊を拒否する差別事件が起きたばかりだというのに、「ハンセン病は過去のこと」とでも思ったのか、父親を殺人事件の犯人に変えてしまっていた。これでは意味がまったく違ってしまう。
 中居正広の演技もひどかったが、映画の印象的なところだけを踏襲したやり方は、いったい何を考えているのかと疑いたくなる。テーマ曲もそっくり、全体の組み立てもそっくりだ。この時からTBSドラマの低迷が始まった。
 
 この他の映画では、1958年の「点と線」(南廣、山形勲、高峰三枝子)、1983年「天城越え」(渡瀬恒彦、田中裕子、平幹次郎)がいい。
 
 松本清張の作品は、その多くが敗戦直後から日本の高度経済成長期とそれ以前が舞台となる。その時代背景こそが松本清張の描きたかった世界である。今の時代に清張作品をドラマ化、映画化することは、半世紀近い時代の変化をどう処理するかが大きな問題となる。
 物語をそのまま現代に移せば社会性は失われ、ただの娯楽作品になってしまう。あの時代を再現するには、ロケもセットも考証が必要で、男女の関係も現代とはだいぶ違う。
 登場する女性のいわゆる“おしとやか”な物言いに、最近の女性は違和感を持つだろう。男性の多くはヘビースモーカーで酒飲みだ。タバコを吸う女性は“商売女”と見られた時代である。
 時代背景の再現と現代との連動が、今、清張作品を映像化する重要課題だそうである。

◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。



二度も楽しませてもらいました

2009年12月07日 | 日記・エッセイ・コラム
Aki_sudachi
 
 取り残した酢橘が、すっかり色づいた。今年はたくさんの実を付けて、せっせと取って友人や近所に配ったのだが、それでも取りきれず、ずいぶん残してしまった。
 酢橘は基本的に青いうちの、それもあまり大きくならないときに収穫する。現在はもう小さめのみかんといった風情で、こうなるともう水分が少なくなって苦味が増し、食用には適さない。
 
 緑の葉に混じって鮮やかな黄色は実に美しい。こんなにたくさん残っていたのかと、黄色くなってはじめて気づく。
 ベランダから見える木のてっぺん付近は、高い脚立に乗らなければ届かない。しかも、木にはトゲがあるので、枝の繁茂したところは、傷だらけになることを覚悟しなければ収穫できない。
 そのために、上の方はほとんど諦めていたので、実がたくさん残った頂上付近が最も美しい。
 
 秋刀魚や焼酎と一緒に楽しんで、今は目を楽しませてくれている。酢橘の木、二度のご奉公である。
 
 来年も実をつけてもらうためには、体力を温存するためにこんなに実を残してはいけない。たくさん成った翌年はあまり実を付けないのはそのためだ。
 せめて肥料をたっぷり与えて、来年も頑張って欲しいと思う。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




どうなる「普天間基地移設」     グァム? 硫黄島?

2009年12月04日 | 国際・政治
 沖縄には、日本の国内にある米軍基地の75パーセントが集中している。沖縄本島の地図を広げて、関連する米軍施設(米軍向けの住居や娯楽施設)なども含めた被占領地域を塗りつぶしていくと、あの小さな島の3分の1近くが埋まってしまう。
 那覇の飛行場から北に向かって車を走らせていくと、基地のフェンスがどこからも見えない場所はほとんどない。まさに、「基地の中に沖縄がある」と言われる所以だ。
 
 米軍による住民の負担は尋常ではない。騒音、海洋汚染などの環境問題だけでなく、重大な事故や犯罪があとをたたない。
 1959年には、嘉手納基地を離陸した米軍機が小学校に墜落炎上して、児童らが多数死傷する事故があった。
 1955年にはコザ市(現・沖縄市)で少女暴行事件が起き、1995年にも米兵3人による少女暴行事件が起きた。
 2004年には、米軍のヘリコプターが沖縄国際大学に墜落した。
 
Photo
 普天間飛行場(GoogleEarth)
 
 普天間飛行場はヘリコプターと空中給油機を中心とする基地で、空中写真で見る通り、周囲は住宅に囲まれている。
 米軍機の中には離着陸時に不安定になる機種があり、周辺住民は常に危険にさらされている。
 度重なる事件もあって、少女暴行事件が起きた翌年の1996年、日米両政府は普天間基地の全面返還に合意した。
 しかしその返還は、2014年までに名護市辺野古沿岸に代替基地を造ることが条件だった。
 
Henoko3
 辺野古の海
 
 先の衆議院総選挙で、民主党は在日米軍基地見直しをマニフェストに掲げ、政権交代で発足した鳩山内閣は、普天間基地の辺野古移設を再検討することを約束した。
 それが、政権を取った民主党の約束であり、鳩山内閣の最も期待される政策の一つだった。
 
          ◇
 
 しかし、あちらにもこちらにも笑顔をふりまきたい鳩山総理は、アメリカと沖縄の両方にいい顔をしているうちに、その優柔不断な態度から連立を組む、社民・国民新党から突き上げを喰らうはめになった。
 対アメリカ政策を優先して沖縄住民の意志を無視した辺野古移設を年内に決着させることに、両党は猛反対、社民党は辺野古移転を強引に進めるなら、連立離脱も辞さないとの態度を表明した。
 社民党の国会議員はわずか12人だが、連立を離脱すれば民主党は参議院で過半数を取れなくなり、国会が空転する。
 鳩山総理は結局年内決着を断念、辺野古以外の代替地の検討を、岡田外相と北沢防衛相に指示することとなった。
 そこで浮上した選択肢は最初から考えられたはずの、グァム、硫黄島が今になってようやく候補地として検討対象になる。
 グァムにはすでに8000人の海兵隊を移動することが決まっており、普天間規模の基地を増設できるスペースも十分ある。今現在行われているアメリカの戦争である、アフガニスタンやイラクとも近い。地理的には沖縄よりずっと便利なはずなのだ。
 硫黄島は大激戦が行われ、映画になったことでも有名だが、現在は自衛隊の管理下におかれていて住民はいない。ヘリが墜落しても海の中だ。
 ところが鳩山総理はまだ、「辺野古案も生きている」などと、党内外の右派にゴマを摺るような発言を記者会見で行っている。
 はっきりと、「県外もしくは国外に代替地を求めることにする」と言えないおぼっちゃま体質は、今後の指導力に大きく影響するだろう。
 
          ◇
 
 沖縄住民の多くは、沖縄からすべての米軍基地がなくなることを望んでいる。返還された土地を有効活用すれば、米軍関連からの収益の数倍がもたらされるという試算もある。
 たしかに、年間約900億円ともいわれる軍用地の借地料収入と、約9000人の基地従業員の雇用確保などを、企業誘致などでカバーすることは容易でない。しかし、これまで沖縄に迷惑をかけてきたことに対する保障の意味も含めて、沖縄県だけの問題として放置せず、国家レベルで対策を練り、基地から民間への移行を推進するべきだ。
 長期間にわたり、特定の地域に負担をかけてきたことに対する責任を、国は十二分に考慮する必要がある。
 
 しかし、それにつけても、本土と沖縄の温度差は大きい。沖縄に基地があることはやむをえないなどと言う本土の人間は、一度でも辺野古や高江など、基地候補地を訪ねてみるといい。おそらく、様々な意味で、その現実に驚くだろう。
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。




元外務省局長、「沖縄密約」を証言

2009年12月02日 | ニュース
 1972年の沖縄返還のとき、日本政府がアメリカに対し、巨額の財政負担を約束した、いわゆる「沖縄密約」の公開を求めた裁判で、元外務省のアメリカ局長であった吉野文六氏(91歳)が、東京地裁での口頭弁論で、密約があったことを認め、その密約文書に署名したことを証言した。
 
          ◇

 沖縄は敗戦後27年間にわたり、アメリカの占領下におかれた。
 アメリカは太平洋戦争の当初から、台湾とともに沖縄をアジアの軍事的拠点として占領する候補にあげていた。候補の一つである台湾は、風の具合が爆撃機の離着陸に不適当であったために、アメリカは戦争の進捗とともに沖縄をターゲットにするようになった。
 日本国内で、沖縄が真っ先に攻撃されたのは、そんな理由からである。
 
 したがって、米軍にとっての沖縄は、東アジアの共産化にそなえての重要拠点であり、基地の存続に強く固執することになる。
 アジア太平洋戦争後の大きな戦争である、朝鮮戦争とベトナム戦争では、沖縄の米軍基地が非常に重要な役割を担った。
 ソ連の崩壊とともに東西冷戦が終結したあとも、アメリカは中東や東南アジアの紛争に介入し続ける。そのための軍事基地として、沖縄は現在でもアメリカにとって重要な軍事拠点なのだ。
 つまり、憲法で軍事力を持たないことになっている、日本の安全を保障するために駐留する米軍という大義名分は、名実共に崩壊しているのである。
 
          ◇
 
 米軍占領時代に義務教育を受けた日本人の多くは、当時の沖縄を「米軍による信託統治領」と教わったと思う。しかしそれは誤りであって、「信託統治」とは、国連からの委託で先進国が発展途上国を管理するものであるが、アメリカの沖縄占領は独断であって、明らかに戦勝国としての圧力によるもので、国際法違反であった。
 
          ◇
 
 国際情勢と日米関係の変化にともない、日本側はアメリカに対して領土の返還を要求。アメリカもそれに応ぜざるを得なくなった。しかし、日米安全保障条約という軍事同盟を盾に、アメリカからは基地は残したままなら返還に応じても良いという提案が出された。それに対し、沖縄住民は当時の屋良朝苗主席を先頭に、核抜き・基地抜きの完全返還を強く求めた。
 それに対し、自身の在任期間中に沖縄返還という大きな実績を残したかった佐藤栄作首相は、基地付でも核付きでも、とにかく返還という事実を作りたいがために、様々な裏工作を外務省に命じたのだ。
 
 基地、核、戦闘行動など、沖縄が抱える様々な問題を、アメリカと、日本の国民全体、そして沖縄住民のすべてを丸め込むために交わされたのが、沖縄密約である。
 返還後の沖縄に核は持ち込まないことになっているにもかかわらず、実際には現在でも沖縄の米軍基地には核弾頭が保管されていることが疑われている。つまり、日本の国内向けには、非核三原則(作らず、使わず、持ち込ませず)を唱えながら、実は、アメリカに対しては秘密裏に持ち込みを許可していたのである。
 佐藤栄作は、この非核三原則でノーベル平和賞を受賞し、史上例のないブラックユーモアといわれた。
 
          ◇
 
 そして今回、吉野文六元外務省局長が証言したのは、返還時にかかわる日本側の負担金の問題である。
 沖縄返還に際し、日本側は3億2000万ドルの負担金を了承した。元々この金額も、根拠があってのものではなく「つかみ金だ」(吉野氏)という。
 3億2000万ドルのうちの、施設の返還にかかわる原状回復費用400万ドルが、密約の対象である。本来原状回復にかかわる費用は、アメリカが負担するべきものであった。しかし、アメリカの議会から、400万ドルの負担は承知できないという意見が出る。アメリカの議会を通過しなければ予算は組めない。日本がそれにこだわり続ければ、返還は大幅に遅れることになる。
 すでに述べたように、早期返還を望む佐藤政権は、最初、3億1600万ドルであった負担金に400万ドルを加算し、総額の中に埋没させた。そのうちから400万ドルをアメリカの銀行に基金として一旦入金し、そこからあたかもアメリカが負担したように見せかけて、沖縄にバックするというものである。
 しかし、その基金が全額沖縄には渡っていないという話も聞く。
 負担金全体からすれば400万ドルはほんのわずかに過ぎないが、問題はその金額ではなく、国民を欺いて税金が使われたことである。
 
          ◇
 
 今から37年前、毎日新聞の西山太吉記者(78歳)は、当時交際中であった外務省女性事務官の蓮見喜久子さんから、上記の内容に関する機密文書を入手し、それを元に告発記事を書いた。しかし文書の存在は、情報元保護の原則から記事にしていなかった。
 しかし、この問題をなんとか国会で取り上げられないだろうかと考えた西山氏は、「十分慎重に取り扱って欲しい」と念押しして、若手の社会党議員に手渡してしまった。
 功を焦った議員は、西山氏の意に反し、議場で秘密文書を振りかざしてしまうことになる。
 
          ◇
 
 西山氏は、女性事務官を「そそのかし」て機密文書を漏洩させたとして、密約問題そのものは裁判の俎上に乗らず、マスコミは新聞記者の女性問題として騒ぎ立てた。
 実際は特ダネに困っていた西山氏に、恋人の蓮見さんが情報を提供しようという好意から文書を見せたものであって、「そそのかし」ではなかったというのが、現在でのおおかたの判断である。
 毎日新聞は「そんな、卑劣な取材をしているのか」と批判され、多数の読者を失うことになった。

 西山氏と蓮見事務官は国家公務員法違反(機密文書漏洩)で有罪となる。吉野文六氏はこの時の裁判で検察側の証人として出廷し、機密文書の存在を否定した。
 
          ◇
 
 吉野氏は、「(政府は)もう認めるべきだ」「歴史を歪曲することは、国民のためにならない」と語り、今回の裁判の証人として出廷した。
 2時間にわたる吉野氏の証言のあと、傍聴席にいた西山氏は、退廷する吉野氏と言葉を交わし、軽く握手をしたという。
 
          ◇
 
 まもなく2012年を迎えようとしている。地球が滅亡することはないだろうが、世界は大きな変化を見せようとしている。
 アメリカでは黒人の大統領が誕生し、日本では政権交代が成った。政権交代そのものはたいしたことではないが、それも変化の一つととらえることはできるだろう。
 
 なお、機密文書漏洩事件は、通称「西山事件」と称され、それを題材にした山崎豊子氏の『運命の人』(集英社)は、第63回毎日出版文化賞特別賞を受賞した。
 また、澤地久枝氏の『密約』(岩波現代文庫)はかなり正確に調査された労作である。
 西山太吉氏本人の著作としては、『沖縄密約』(岩波新書)がある。
 
 リンク→澤地久枝『密約 外務省機密漏洩事件』
     西山事件~『運命の人』読了
 
◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆~~~~◆
◆あなたの本を待っている人がいます◆
・お手持ちの原稿を本にしませんか。
・自費出版から企画出版まで。
・きっとあなたのファンが出来る本作り。
■ご相談はメールで galapyio@sepia.ocn.ne.jp まで
*上のメールアドレスをコピーするか、右下の「□メール送信」をクリックしてください。