ひまわり博士のウンチク

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12月8日は何の日か

2009年12月08日 | 日記・エッセイ・コラム
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 「大本営陸海軍部発表。帝国陸海軍は今八日未明、西太平洋において米英軍と戦闘状態に入(い)れり」
 
 戦争が終わった8月15日はたいていの人が知っているが(まれに知らない人がいて驚く)、12月8日が日米開戦の日であることは、思いのほか知らない人が多い。(ジョン・レノンが暗殺された日でもある)
 
 1941年のこの日、連合艦隊はハワイのパール・ハーバーを奇襲し、米艦隊にかなりの損害を与えた、と見られていた。
 ところが、アメリカは日本の奇襲をかなり速い段階で察知していて、その日パール・ハーバーに停泊していた艦船は、廃船寸前のぽんこつばかりだったと言われる。
 しかもこの攻撃は駐米大使館の怠慢で、宣戦布がなされておらず、いまだに卑怯な手口として批難され続けている。
 
 いずれにしろ日本は、泥沼化する中国との戦争を収拾する手段を持たないまま、疲弊する国力をまったく省みることなく、風車を攻撃するドン・キホーテのように、超大国アメリカに戦争を仕掛けたのである。
 
 「平和の大切さ」「命の大切さ」「戦争をしてはいけない」などの言葉があたかも常識のごとく飛び交っていながら、その実戦争の準備が着々と進められている日本という国は、いったいなんなんだろうか。
 
 戦争をしないなら、武器はいらない。戦争をしないなら、軍事同盟(日米安全保障条約)は不要だ。
 「もし、他国から攻撃されたとき、武器を持たなかったらどうしようもないではないか」という人がいる。そしてその当面の脅威は北朝鮮だという。
 思い起こせば、日本は常に仮想敵国を作り続け、脅威であると言い続けてきた。ソビエト、中国、北朝鮮など、それらはすべて日本にとっての脅威ではなく、アメリカにとっての脅威だ。
 そうした脅威という名目のもとに、自衛隊は莫大な国家予算を使って無用な兵器を大量にアメリカから購入している。
 これは、アメリカの兵器産業を肥やすためであり、日本がアメリカの戦争を手伝うためのものにほかならない。
 現在、世界の戦争はすべてアメリカが仕掛けたものである。湾岸戦争、イラク戦争、アフガニスタンと、いずれもアメリカが手を出さなければ戦争にはならなかった。
 
 パール・ハーバーの攻撃は、日本国民にとっても寝耳に水だった。国民に何も知らされないうちに、戦争が突然始まることも十分考えられる。仮に日本が攻撃をしかけなくとも、アメリカが東アジアで戦争をはじめたら、否が応でも付合わされること必定だ。
 今の時代はボタン一つで戦争を始めることができる。しかもそれは、世界の破滅につながる。
 お互いの要望を聞き、協調すべきところは協調する、援助すべきは援助する。戦争という手段でなくでなく、外交による解決手段に徹底するべきだ。人間は野生動物ではない、言葉という最高の手段を持っているのだから。
 
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松本清張~小倉~森鴎外

2009年12月08日 | 本と雑誌
Ohgaiseicho

 今年は松本清張生誕100年、1909年12月21日の生まれ。本名、まつもと・きよはる。
 広島市に生まれて下関で育ち、小学生のときに小倉(現・北九州市)に移り住んだ。
 家は貧しく、高等小学校を卒業すると就職し、30歳で朝日新聞広告部に勤める。
 41歳のとき勤務中に書いた「西郷札」が「『週刊朝日』百万人の小説」に入選。それから3年後の1953年、「或る『小倉日記』伝」で芥川賞を受賞する。
 代表作は「点と線」「ゼロの焦点」「砂の器」など。時代小説やノンフィクションも手がけ、希代の多産作家といわれた。
 特に、戦後の不可解な事件、松川事件や下山事件などを描いた「日本の黒い霧」はセンセーションをまき起こした。
 
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 芥川賞を受賞した「或る『小倉日記』伝」は当時所在不明とされていた、森鴎外の小倉時代の日記がテーマである。
 障害をもって生まれた青年が、小倉時代の日記が存在しないのであれば、自分が森鴎外について調べようと、かかわった人々や地域を訪ね歩き、彼による鴎外の「小倉日記」をまとめあげる。しかし、戦後の食糧事情の悪化もあって、彼は短い生涯を閉じた。
 その後東京で、鴎外の息子が疎開先から持ち帰った荷物の中に、鴎外の小倉日記が発見され、彼のまとめた「小倉日記」が日の目を見ることはなかった。
 この小説は1993年、筒井道隆、松坂慶子の主演でテレビドラマ(TBS)になっている。
 
 昭和二十六年二月、東京で鴎外の「小倉日記」が発見されたのは周知の通りである。鴎外の子息が疎開先から持ち帰った反古ばかり入った箪笥を整理していると、この日記が出てきたのだ。田上耕作が、この事実を知らずに死んだのは、不幸か幸福か分からない。
 
 「或る『小倉日記』伝」は、最後をこう結んでいる。
 
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 現在、「小倉日記」の原本は東京の鴎外記念本郷図書館に所蔵されている。
 ちくま文庫の『独逸日記・小倉日記』で読むことができる。
 手持ちの「森鴎外 小倉日記」は北九州森鴎外記念会発行のもの。「松本清張記念館」も北九州市にあり、東京都杉並区高井戸にあった松本邸の書斎・書庫・応接室をそのまま移し保存されている。
 リンク→松本清張記念館
 
 「或る『小倉日記』伝」は、芥川賞受賞作ではあるが、後の代表作、「点と線」や「ゼロの焦点」などとくらべると、決して優れているとは言えない。しかし、実際に足を使って調査した行動力と、真相を究めようとする推理力は、ミステリー作家の片鱗を見せている。
 
 ところで、清張作品は実に多く映像化されている。特に「砂の器」は、映像が原作を超えたと言われる数少ない作品だ。野村芳太郎監督、 川又昂撮影、加藤剛主演の松竹映画が、この小説を有名にした。
 あくまで僕自身の価値観であるが、原作は松本清張にしては駄作だと思っている。ハンセン病に対する差別と、家族の問題などの社会性は、映画によってこそはっきりと浮き彫りにされているのだ。終盤の日本の四季を縦断する川又昂カメラマンによる映像の美しさは秀逸である。
 「砂の器」のテレビドラマは過去に4回放送されているが、見たのは2004年の中居正広版のみだ。これはまったくお話にならないくらいのひどい作品である。ホテルが元ハンセン病患者の宿泊を拒否する差別事件が起きたばかりだというのに、「ハンセン病は過去のこと」とでも思ったのか、父親を殺人事件の犯人に変えてしまっていた。これでは意味がまったく違ってしまう。
 中居正広の演技もひどかったが、映画の印象的なところだけを踏襲したやり方は、いったい何を考えているのかと疑いたくなる。テーマ曲もそっくり、全体の組み立てもそっくりだ。この時からTBSドラマの低迷が始まった。
 
 この他の映画では、1958年の「点と線」(南廣、山形勲、高峰三枝子)、1983年「天城越え」(渡瀬恒彦、田中裕子、平幹次郎)がいい。
 
 松本清張の作品は、その多くが敗戦直後から日本の高度経済成長期とそれ以前が舞台となる。その時代背景こそが松本清張の描きたかった世界である。今の時代に清張作品をドラマ化、映画化することは、半世紀近い時代の変化をどう処理するかが大きな問題となる。
 物語をそのまま現代に移せば社会性は失われ、ただの娯楽作品になってしまう。あの時代を再現するには、ロケもセットも考証が必要で、男女の関係も現代とはだいぶ違う。
 登場する女性のいわゆる“おしとやか”な物言いに、最近の女性は違和感を持つだろう。男性の多くはヘビースモーカーで酒飲みだ。タバコを吸う女性は“商売女”と見られた時代である。
 時代背景の再現と現代との連動が、今、清張作品を映像化する重要課題だそうである。

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