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澤地久枝『密約 外務省機密漏洩事件』

2009年09月10日 | 本と雑誌
Mitsuyaku
 
密約 外務省機密漏洩事件
澤地久枝 著
岩波現代文庫
 
 
 山崎豊子の『運命の人』を読んですぐ、こちらを読み始める予定だったのだが、とんでもなく多忙な状態になってしまい、ようやく読み終えた。
 『運命の人』を読んだ直後は「よくぞまあここまで書き込んだものだ」と感動したものだったが、『密約』を読み終えた今は、全4巻の膨大な作品がなんとも虚しく感じられてしまった。
 誤解のないように言っておくが、山崎氏の作品の出来が良くないと言っているのではない。それはそれで大変な秀作ではある。
 言ってみれば、「ああ、やっぱり小説なんだ」という、美しく演出された世界を感じざるを得ないのだ。
 それほどまでに、澤地久枝の『密約』は存在の大きな作品だということである。
 
 『密約』を執筆した当時の澤地氏はこの仕事しかやっていない。失業中で、これからどこに向かっていけば良いのか、人生の方角が見えない状態で、余りある時間のほとんどを裁判の傍聴と国会図書館での調査に費やしていた。
 鋭い観察力と綿密な調査、さらに氏の才能に加えて、不本意ながらも偶然置かれた環境があってこそ書き上げることの出来た代表作である。
 
 『運命の人』も『密約』も、テーマは佐藤政権時における沖縄返還にまつわる、いわゆる「西山事件」、すなわち毎日新聞の西山太吉記者と外務省事務官の蓮見喜久子さんによって、機密文書が持ち出された事件である。
 『密約』では『運命の人』で描かれている渦中の男女の姿が、一層リアルな輪郭を与えられているとともに、小説では見えて来なかった国際政治という大きな嵐に飲み込まれていった男女の位置が実に明確にわかる。
 
 沖縄返還交渉では、本来アメリカが支払うべき400万ドルの軍事基地原状回復費用を、日本側が肩代わりするという裏取引が行われた。
 その交渉が行われる過程で交わされた電信文の記録を、交際相手であった蓮見さんから西山記者が受け取り、それが社会党議員の手に渡ったことから漏洩が発覚して、両名は国家公務員法違反で起訴された。
 
 政府側は一貫して??証拠を突きつけながらも??頑に「密約」の存在を否定する。
 起訴した検察側と弁護側とでは、お互いに論点がまったく異なる裁判を進行することになった。
 弁護側が国民の利益と憲法21条の表現の自由のもとに、国民の「知る権利」を主張したのに対し、政府側の利益を守ろうとする検察側は、被告の両名が交際関係にあったことを理由に、記者が外務省職員と「情を通じ」、「そそのかし」て機密文書を持ち出させたという、極めて卑俗な下半身問題にすり替えた。
 
 国民の税金を支出する件については、国民に対し秘密があってはならないのであって、したがって「400万ドル肩代わり」は開示されてしかるべき事案である。だから、国民の目から隠れて「密約」を行った当事者こそ裁かれるべきなのだ。
 しかし、検察は文書の持ち出し方法を訴訟対象とすることに終始し、国民の視線を「下半身」に向けさせることに成功する。
 
 仮に「そそのかし」があったとしても??事実は「そそのかし」ではなく、交際相手としての好意であったと言う方が正しい??機密の持ち出しと「密約」は別個に裁かれなければならないはずである。
 文書の入手方法が不正な手段であれば、その内容も見なかったことになるというものではない。
 しかし、下半身問題にすり替えられた「密約」は、その本質が消滅してしまう。それは、人間の性(さが)というか、あまり認めたくないことではあるが、どうしても人というものは下卑た出来事に目を奪われると、その向こうにある大きな問題が見えなくなる傾向にある。
 したがって権力は、都合の悪い問題が表面化しそうになると、スケープゴートをしつらえて、いとも簡単に国民の目を欺く。
 それは、つい先頃ようやく崩壊した自民党政権が常日ごろから行ってきたことだ。
 
 『密約』が最初に出版されたときに寄せられた、五味川純平氏の解説が、実に端的に、かつ鋭く、怒りを込めて指摘している。
 
 「情を通じ」たからどうだというのか。子どもではあるまいし、情を通じるか否かは、男女当事者同士の自由意志である。西山記者の情報入手の経路がスパイ小説もどきの高等科学的経路でなかっただけのことである。
 権力側が外国と重大な密約を行った。国民は当然知る権利があった。その権利を阻む官僚組織の壁が厚かった。一人の記者がその壁を通して隠された事実を明らかにしようとした。官僚組織内の一人の女性が関係した。事件を簡略に図式化すれば、それだけのことなのである。

 
 「情を通じ」云々の情報は、もっぱら蓮見さんの一方的な証言によって成り立っている。その内容は事実と違う点が多々含まれているにもかかわらず、西山氏はそれについて一切反論していない。
 西山氏が反論しないのは、ニュースソースを秘匿できなかったことに対する負い目から、これ以上蓮見さんを傷つけたくないという男気から来ているであろうことは想像がつく。
 しかし、もし西山氏が心を鬼にして、事実はこうだったと反論していれば、泥仕合になったかもしれないがまた違う結果にもなっていただろう。そしてそれは、権力側のスケープゴートを破壊して、「密約」を世にさらすことになったかもしれないのだ。
 そのほうが、どれだけ国民の利益になったか測り知れない。
 しかし、「小の虫を殺して大の虫を助ける」という体制的な思考を持つことは、西山氏にとって心情的に許されることではなかったのだろう。
 それにしても、逮捕されてからのちの蓮見さんが、手のひらを返したように西山氏を攻撃する側に転じたのはどうにも解せない。
 それからの蓮見さんの態度には、何か別な意図的なものが見え隠れする。
 そのことは、『運命の人』にも、この『密約』でも明らかにされておらず、ともに想像の範疇を出ていない。
 したがって、結果、蓮見さんが性悪の悪女に思えてきて仕方がないのだが。
 蓮見さんの坂田弁護人が意味深なことを言っている。
 「この事件の真相を知っているのは私ぐらいでしょうね。私はお墓に持ってゆきますからね。真相はついにわかりますまい」
 
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