念願(?)の旧字旧仮名「漱石全集」を入手した。
荻窪の竹中書店で見つけて、半年以上ほっておいた。
最優先で購入するべきものではないので、売れてしまったらそれでいいと思っていたのだが、ずっと売れないでいた。
「今度買いにくるからね、売れちゃったらそれでいいから」
「大丈夫だよ、売れないから」
おばちゃんと何度同じ会話を交わしたことか。
しかし、本当に売れなかった。
ということは、こんなものを欲しがる人間はそうそういないということだ。
いくら何でも、そろそろ買っておかなければいけないかなあと思い、意を決して買うことにした。
店を訪ねると、何も言わないのに「漱石だね」という。
「踏み台を貸すから自分で取ってよ」
新書判上製箱入り全35巻。
完全な揃いはネット上で探しても数セットしかない。それもほとんど動いていない。
だから、一般的にはさほど価値のないものだ。
棚から下ろして確認すると、34冊しかない。「あれ、1冊足りないね」
「でも、全34巻てなってるよ」
「後から追加で35巻が出てるんだよ」
「そうかあ、じゃ、負けとくよ」
いずれにしろ、負けてもらうつもりだったが、何冊か箱の壊れた巻があったことも含めて、だいぶ安くしてもらった。
おばちゃんが(おじちゃんはそのことを知っていたが)全34巻と信じていたことには理由がある。
この全集は1957年に34巻で一度完結している。それが、完結から23年も経った1980年に「補遺」として索引つきの第35巻が出版された。
だから、34巻で全巻揃いとして売っているのはまったく不思議でないし、発行元がこうした出版の仕方をするのも不思議なことではない。
しかし、23年後とは長過ぎる。
普通、この手の全集は終わりの方の巻が欠落していると、その巻は極めて入手し難いものだが、ネット書店で思いのほか簡単に、しかも安く入手できた。
写真の、端にある1巻が真新しいのはそのためである。
この全集の価値は、夏目漱石が原稿用紙に書いた原稿にきわめて近いかたちで出版されていることだ。
最近の漱石は、全集や文庫で様々に出ていても、ことごとく新字新仮名に変えられているのだ。その理由は「より広範な読者の需要に応えるため」だったり「近代文学の鑑賞が若い読者にとって少しでも容易となるよう」にだそうである。
日本語の文章は表音文字である仮名と表意文字の漢字が合わさってでき上がっている。これはアルファベットだけで構成された欧米の文章との大きなちがいである。
作家は漢字と平仮名の組み合わせを選択することで、文章に奥行きとコクをもたせる。
したがって、読み難いからとか、まして当用漢字表にないからといって使用されている文字を変えてしまっては、作家の意図がかなり削られることになるわけである。
新字新仮名のなかった時代に書かれた文章は、旧字旧仮名のままで読むのがふさわしい。
ストーリーを追うだけならそんなことにこだわる必要はないが、それは、インスタント食品とおふくろの味ほどのちがいがある。
今の時代、旧字旧仮名の本は、薄暗い古書店の隅から掘り出さなければ見つからないかもしれないが、漱石なら岩波文庫の古いのが見つけやすい。
ぜひ一度読み比べてはいかがだろう。きっと新しい発見があるはずだ。
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夏目漱石は、中長編のものが多いせいか、青空文庫でも旧仮名のものは余りありません。
味わい深い旧仮名での著作がきちんとした形で後世に残ると良いですね。
はじめまして、かな?
コメントありがとうございます。
昨今の出版事情では、旧字旧仮名を残すのは困難でしょうね。
先日、友人から古い『小林多喜二全集』を譲ると言われていただいたら、それが既に新字新仮名でがっかりしました。
新字と旧字では、偏や旁によって意味が違ってきますからね。