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『杉並区立「和田中」の学校改革』を検証する

2008年10月31日 | 本と雑誌
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岩波ブックレット 杉並区立「和田中」の学校改革

 非常に失望した。岩波ともあろう出版社が、なんという出版物を出したことか。
 この本は藤原和博を擁護し賞賛することに終始し、いかに和田中改革がすばらしいか、それがどれだけ効果的な成果を上げたかと、読む側が赤面するほど誉めつらっている。

 あきれることに、裕福な家庭の学力が高い子どもたちが、杉並区外の私立国立中学に流出している、だから和田中は「困難な状況」にあったというのだ。
 正に詭弁である。経済力と学力は比例するものではない。したがって、和田中の「困難な状況」とはそれが原因ではない。
 杉並区内には、他にも多くの公立小中学校が生徒数の減少によって「困難な状況」におかれているが、それは子どもたちを囲む環境の変化に対応できない行政と国の責任である。

 冒頭で、和田中は「二つの顔」を持っていると説明している。
 メディアに注目される「顔」と、普通の公立中学校としての「顔」であるという。和田中の教育改革が新自由主義的であると見られ批判されるのは、前者のみを注目した議論であり、「ことの半面しか見ていない」と切り捨てている。

 たしかに、藤原校長を中心とした、和田中という枠の中でだけなら、一見すばらしい改革に見える。しかし、もっと広い視点からは、この改革にはそれを利用する強大な力があり、子どもたちをある意図された場所に連れて行こうとする、三っつめの「顔」が見えてくる。

 藤原が行ったことは、基本的に方法論であり、真理ではない。方法論とはすなわち道具なのだから、結果はそれを使うものの手の内にある。優れた道具は恐ろしい凶器にもなりうるのだ。

 この本ではまったくと言っていいほど触れられていないが、このような改革を操る「力」が、教育基本法を改定し、君が代・日の丸を強制していることを忘れてはならない。
 極めて反動的な資質を持つ杉並区長の山田宏が、石原都知事とともにこの改革を推進しようとする理由はそこにある。

 かつてナチスドイツは幼い子供たちを教育して親衛隊をつくった。大日本帝国は「教育勅語」をもって天皇に忠実な国民をつくった。どの時代にも権力者のターゲットになるのは子どもたちなのだ。

 この本の著者は、あまりにも近視眼的であり、そうした歴史的、政治的観点から分析することができていない、あるいは意図的に行っていない。
 新自由主義や格差については調査対象でなかったのだろうが、それは決して切り離すことのできない問題であり、避けて論議したのでは、藤原擁護の学力偏重主義ととらえられてもしかたがない。

 かつてマスコミが和田中改革をもてはやす要因となったと同じような表現がこの本にはある。
 急激な改革が行われた時には、きっと何かが別な場所で起きている。その改革が何を目的に行われようとしているのか、目先の事実だけでなく、それにかかわる人間に目を向け真意を見極めることが必要である。

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