monologue
夜明けに向けて
 

浦島  


夏休み昔話料理講座第六回>
  献立「浦島太郎」

 今回は『浦島太郎』を採り上げようと思う。
これは本当に名作で人々のイマジネーションを刺激するよくできたストーリーなのでタイムパラドックスや円盤、アブダクションなどSF的な様々な解釈が展開されているがそちらの方面に足を踏み入れると出られなくなる。
 わたしがアメリカに留学した頃、ロックヴォーカルコーラスバンド、スリードッグナイトがよく流行っていて留学先学校で先生たちに毎週ライヴパフォーマンスを求められて「マイウエイ」「思い出のグリーングラス」などお決まりのレパートリーとスリードッグナイトの喜びの世界シャンバラなどもよく歌ったものだった。
そのシャンバラの意味はよくわからなかったけれどどどうも異界伝説の歌のようだった。フォークグループ「ポコ」の「シマロンのバラ」もそのころヒットしてシャンバラとシマロンには共通するなにかを感じたものだった。日本では極楽という表現に近い場所のようだが浦島は西洋ではシャンバラと呼ばれるのかもしれない…。

それではまずは浦島太郎伝説の歌とされる『万葉集』(萬葉集)巻九、高橋虫麻呂の水江(みづのえ)の浦の嶋子(しまこ)を詠む歌
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春の日の霞める時に墨吉(すみのえ)の岸に出で居て釣舟のとをらふ見れば古(いにしへ)のことそ思ほゆる水江(みづのえ)の浦の島子が堅魚(かつを)釣り鯛(たひ)釣りほこり七日(なぬか)まで 家にも来ずて海界(うなさか)を過ぎて榜(こ)ぎゆくにわたつみの神の娘子(をとめ)にたまさかにい榜(こ)ぎ向ひ相かたらひ言(こと)成りしかばかき結び常世に至りわたつみの神の宮の内の重(へ)の妙なる殿にたづさはり二人入り居て老いもせず死にもせずして永世(とこしへ)にありけるものを世の中の愚か人の我妹子(わぎもこ)に告(の)りて語らくしましくは家に帰りて父母に事も告(の)らひ明日のごと我は来なむと言ひければ妹が言へらく常世辺(とこよへ)にまた帰り来て今のごと逢はむとならばこの篋(くしげ)開くなゆめとそこらくに堅めし言(こと)を墨吉(すみのえ)に帰り来たりて家見れど家も見かねて里見れど里も見かねてあやしみとそこに思はく家ゆ出でて三年(みとせ)の間に垣もなく家失せめやとこの筥(はこ)を開きて見てばもとのごと家はあらむと玉篋(たまくしげ)少し開くに白雲の箱より出でて常世辺にたなびきぬれば立ち走(はし)り叫び袖振りこいまろび足ずりしつつたちまちに心消(け)失せぬ若かりし肌も皺みぬ黒かりし髪も白(しら)けぬ ゆなゆなは息さへ絶えてのち遂に命死にける水江の浦の島子が家ところ見ゆ
反歌
常世辺に住むべきものを剣大刀(つるぎたち)汝(な)が心から鈍(おそ)やこの君
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ということで、水の江の浦島の子が七日ほど鯛や鰹を釣り帰って来ると、海と陸の境で海神の娘、と出会い、常世にある海神の宮で暮らす。三年ほどして、父母に知らせたいと、娘に言うと「これを開くな」と化粧道具を入れる篋(くしげ)を渡され、水江に帰ると三年の間に家や里はなくなり、箱を開けると常世との間に白い雲がわき起こり、白髪の老人になって息絶える。
 反歌で常世辺(あの世、隔り世、シャンバラ)に住んでいれば良かったのに自分の心からこんなことになってしまった、というようになるほどこの話しは常世辺での夢のような生活とこの世に帰って現実に目覚めることが主題になっている。
舞台は日本書紀や丹後国風土記では丹後国(京都府北部の日本海に面したあたり)だが、この歌では摂津国住吉のあたりの入江ということになっている。「水江浦嶋子」は丹後国風土記逸文では「嶼子(しまこ)」。墨吉は今の大阪市住吉区あたり。その摂津国とは現代の摂津富田。わたしは高校卒業後、その富田にあった松下電器のブラウン管工場でテレビのブラウン管を七年間製造して働いていたので馴染み深い。日本の古代、そのあたりは長髓彦(ながすねひこ)が統治していたが出雲の後継者饒速日(ニギハヤヒ)の器量を見込んで妹、三炊屋姫(みかしぎひめ)を娶(めあわ)せて大同団結して饒速日をその地の王として立てたのだった。ところがのちに日向の後継者、伊波礼彦(いわれひこ)が東征と称して東の方面を征服しに来た時、抵抗して戦ったが、敗れてしまったのだった。それでそれ以来、王であった饒速日は現世の政権を神武に譲り、自らはツキヨミとして冥界の王となる。

それでは以下に「御伽草子」を少し長いけれど掲げよう。
「御伽草子」
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昔、丹後の國に浦島といふもの侍(はべ)りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり。あけくれ海のうろくづを取りて、父母(ちちはは)を養ひけるが、ある日のつれづれに釣をせむとて出でにけり。浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし、貝をひろひ、みるめを刈りなどしける所に、ゑじまが磯といふ所にて、龜を一つ釣り上げける。浦島太郎此の龜にいふやう、「汝、生(しゃう)あるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽(たちま)ちここにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には此の恩を思ひいだすべし。」とて、此の龜をもとの海にかへしける。
かくて浦島太郎、其の日は暮れて歸りぬ。又つぐの日、浦のかたへ出でて釣をせむと思ひ見ければ、はるかの海上に小船(せうせん)一艘浮べり。怪しみやすらひ見れば、うつくしき女房只ひとり波にゆられて、次第に太郎が立ちたる所へ著(つ)きにけり。浦島太郎が申しけるは、「御身いかなる人にてましませば、斯(か)かる恐ろしき海上に、只一人乘りて御入り候やらむ。」と申しければ、女房いひけるは、「さればさるかたへ便船(びんせん)申して候へば、をりふし浪風荒くして、人あまた海の中へはね入れられしを、心ある人ありて自らをば、此のはし舟に載せて放されけり、悲しく思ひ鬼の島へや行かむと、行きかた知らぬをりふし、只今人に逢ひ參らせ候、此の世ならぬ御縁にてこそ候へ、されば虎狼も人をえんとこそし候へ。」とて、さめざめと泣きにけり。浦島太郎もさすが岩木にあらざれば、あはれと思ひ綱をとりて引きよせにけり。
さて女房申しけるは、「あはれわれらを本國へ送らせ給ひてたび候へかし、これにて棄てられまゐらせば、わらはは何處(いづく)へ何となり候べき、すて給ひ候はば、海上にての物思ひも同じ事にてこそ候はめ。」とかきくどきさめざめと泣きければ、浦島太郎も哀れと思ひ、おなじ船に乘り、沖の方へ漕ぎ出す。かの女房のをしへに從ひて、はるか十日あまりの船路を送り、故里へぞ著きにける。さて船よりあがり、いかなる所やらむと思へば、白銀(しろがね)の築地をつきて、黄金の甍をならべ、門(もん)をたて、いかなる天上の住居(すまひ)も、これにはいかで勝るべき、此の女房のすみ所(ところ)詞(ことば)にも及ばれず、中々申すもおろかなり。さて女房の申しけるは、「一樹の陰に宿り、一河の流れを汲むことも、皆これ他生の縁ぞかし、ましてやはるかの波路を、遙々とおくらせ給ふ事、偏(ひとへ)に他生の縁なれば、何かは苦しかるべき、わらはと夫婦の契りをもなしたまひて、おなじ所に明し暮し候はむや。」と、こまごまと語りける。浦島太郎申しけるは、「兎も角も仰せに從ふべし。」とぞ申しける。さて偕老同穴(かいろうどうけつ)のかたらひもあさからず、天にあらば比翼(ひよく)の鳥、地にあらば連理の枝とならむと、互に鴛鴦(えんおう)のちぎり淺からずして、明し暮させ給ふ。さて女房申しけるは、「これは龍宮城と申すところなり、此所(ここ)に四方に四季の草木(さうもく)をあらはせり。入らせ給へ、見せ申さむ。」とて、引具(ひきぐ)して出でにけり。まづ東の戸をあけて見ければ、春のけしきと覺えて、梅や櫻の咲き亂れ、柳の絲も春風に、なびく霞の中よりも、黄鳥(うぐひす)の音も軒近く、いづれの木末も花なれや。南面をみてあれば、夏の景色とうちみえて、春を隔(へだ)つる垣穗(かきほ)には、卯の花やまづ咲きぬらむ、池のはちすは露かけて、汀(みぎは)涼しき漣(さゞなみ)に、水鳥あまた遊びけり。木々の梢も茂りつゝ、空に鳴きぬる蝉の聲、夕立過ぐる雲間より、聲たて通るほとゝぎす、鳴きて夏とは知らせけり。西は秋とうちみえて、四方の梢紅葉して、ませのうちなる白菊や、霧たちこもる野べのすゑ、まさきが露をわけわけて、聲ものすごき鹿のねに、秋とのみこそ知られけれ。さて又北をながむれば、冬の景色とうちみえて、四方の木末も冬がれて、枯葉における初霜や、山々や只白妙の雪にむもるゝ谷の戸に、心細くも炭竃(すみかまど)の、煙にしるき賤(しづ)がわざ、冬としらする景色かな。かくて面白き事どもに心を慰め、榮華に誇り、あかしくらし、年月をふるほどに、三年(みとせ)になるは程もなし。浦島太郎申しけるは、「我に三十日のいとまをたび候へかし、故里の父母をみすて、かりそめに出でて、三年を送り候へば、父母の御事を心もとなく候へば、あひ奉りて心安く參り候はむ。」と申しければ、女房仰せけるは、「三とせが程は鴛鴦(ゑんわう)の衾(ふすま)のしたに比翼の契りをなし、片時みえさせ給はぬさへ、兎やあらむ角やあらむと心をつくし申せしに、今別れなば又いつの世にか逢ひまゐらせ候はむや、二世の縁と申せば、たとひ此の世にてこそ夢幻(ゆめまぼろし)の契りにて候とも、必ず來世にては一つはちすの縁と生まれさせおはしませ。」とて、さめざめと泣き給ひけり。又女房申しけるは、「今は何をか包みさふらふべき、みづからはこの龍宮城の龜にて候が、ゑじまが磯にて御身に命を助けられまゐらせて候、其の御恩報じ申さむとて、かく夫婦とはなり參らせて候。又これはみづからがかたみに御覽じ候へ。」とて、ひだりの脇よりいつくしき筥(はこ)を一つ取りいだし、「相構へてこの筥を明けさせ給ふな。」とて渡しけり。
會者定離(ゑしゃぢゃうり)のならひとて、逢ふ者は必ず別るゝとは知りながら、とゞめ難(がた)くてかくなむ、
日かずへてかさねし夜半の旅衣たち別れつゝいつかきて見む
浦島返歌、
別れゆくうはの空なるから衣ちぎり深くば又もきてみむ
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この『御伽草子』のあらすじでは、
浦島太郎は丹後の漁師で釣り糸にかかった亀を逃がしてやる。数日後、一人の女人が舟で姫の使いとして浦島太郎を迎えに来る。亀を逃がした礼に宮殿に迎えられ三年暮らした太郎は両親が心配になり帰りたいと申し出ると、姫は自分は助けられた亀であったことを明かし玉手箱を手渡す。太郎が帰ると村はもうすでになく近くにあった古い塚が太郎と両親の墓だと教えられる。太郎が玉手箱をあけると、三筋の煙が立ち昇り太郎は鶴になり飛び去る。
舞台は丹後の國で主人公は「浦島太郎」という名前をもち、年は二十四五の男性となっている。この名は「浦々島々入江々々、至らぬ所もなく釣をし」というように海辺の不特定の地域の長男というだけで特別な情報を排除してあるようにみえる。それでもこの名前をつけた真意を探ると結局、「裏島太郎」ということである。つまり裏の世界に行った男という意味。龜を一つ釣り上げる「ゑじまが磯」は「會者定離(えしゃぢゃうり)」の「會島(えじま)」であるのだろう。つまり太郎と亀が会った島としてその名前をつけたのだ。龍宮城とは裏の世界、(隔り世、シャンバラ)。ここにはなぜかヒロインの名前は出ていないがわたしたちはかの女の名前が乙姫であることを知っている。乙姫とはもちろん「音秘め」ということ。龍宮城の主「音を秘めた亀」は○の存在で北の玄亀。太郎は最後に鶴になって、虚空に飛びのぼるが鶴のイメージは一。鶴と亀が揃うと一〇でめでたい噺に仕上げてある。
「鶴と亀が統べった、釣ると亀が術った 蔓と瓶が滑った。」などと考え、後ろの正面「誰」と歌うと、誰の言に「フル鳥」で饒速日の幼名「フル」の鳥がやっと表われる。すなわち裏の世界とは冥界で太郎はツキヨミである、饒速日であったという結論にようやく辿り着いた。今回は古代史に踏み込んだのでずいぶんむづかしい料理でした。
fumio


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