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monologue
夜明けに向けて
 




わたしの最も親しかったケイオン仲間川井鶏造(ケーゾー)が手紙で、カリフォルニアにやってくるにあたってなにかおみやげを持っていきたいけれどなにがいい?と尋ねる。なにがいいか考えた結果アメリカでは手に入らないものをと思って1983年当時、日本で発売されたばかりの「 YAMAHA MUSIC COMPUTERヤマハミュージック・コンピューター 「CX5」定価59,800円を頼んだ。アメリカでは発売されていないので興味があったけれどわたしの手にはとても入らなかった。久しぶりに会ったケーゾーから直接「CX5」の箱を手渡された時は本当にありがたくうれしかった。今にして思えばそれがわたしにとって大きなモニュメントだった。コンピューターの勉強になってまだDTM(デスクトップミュージック)ということばもない時代だったけれど「CX5」はその後のわたしの音楽作りの中心機器として大活躍することになる。水面に書いた物語シリーズの多くの曲はこのコンピューターに音源をつないで作ったものである。感謝。
ケーゾーとは日本でも縁があって近畿放送テレビ「山崎弘士のお昼は天国」に呼ばれて出演した時もケーゾーを途中で拾ってスタジオに車で行ったのだった。ケーゾーはスタジオでわたしが歌う姿を見ていてくれた。そして番組が終わるとテレビ放送を録画しておいたからとVHSビデオカセットテープを渡してくれたのだった。ずいぶんあれこれ世話になった。感謝…。
fumio

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「ウエザーリポート ライヴ・アンダー・ザ・スカイ'83」」に超人気天才ベーシスト、ジャコ・パストリアスを見に来たわたしのケイオン仲間、川井鶏造(ケーゾー)は高校生時代、京都市立桃山高校の軽音(ケイオン)部のソウルファンクバンド「ブルー・マウンテン・ブルース・バンド」のメンバーとしてベースを弾いていた。かれ自身は他の全日性の普通高校の生徒だったが桃山高校定時制の授業が6時に終わってクラブ活動が始まる時間を見計らって毎日ケイオンクラブが練習するクラスにやってきた。わたしも桃山高校の生徒ではなくすでに社会人だったが「ブルー・マウンテン・ブルース・バンド」のメンバーたちと洋楽ライブ喫茶店で知り合ってケイオンクラブの練習に誘われて参加することにした。それで有名な曲よりリアルリアルラヴなどオリジナルナンバーを作って「ブルー・マウンテン・ブルース・バンド」のメンバーたちと練習するために毎日わたしも練習時間に桃山高校に定時制の生徒のふりをして自転車で通った。ケーゾーは一緒に練習して親しくなるとわたしの家によくやってきてそのたびに餃子を焼いて一緒に食べるようになった。それからかれは真剣にむづかしいジャズコードプログレッションなどを書物で勉強してワタナベプロでプロのベーシストになったのだった。それでわたしが生活しているカリフォルニアへ相棒ドラムプレーヤーと一緒にジャズフェスを見に来たのだ。カリフォルニアでもやっぱりわたしは日本のようにかれに餃子を焼いて一緒に食べたのだった。それがお互いにわかる一番のもてなしだった。
fumio

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