monologue
夜明けに向けて
 

fz1  


その頃、ロックギタリストはいかに迫力を出すかに凌ぎを削っていた。
ヴォーカルが必死で咆哮して喚き歌っているのに美しい音色で伴奏するだけでは的外れでバンドの一体感が出ない。わたしの憧れたキンクスの名ギタリスト、ディヴ・ディヴィスは「ユー・リアリー・ガット・ミー」などのキンキー(ひねくれもの)サウンドと呼ばれる一連のヒットソングで迫力を出そうとしてスピーカーを破るという過激な手段で音を歪ませようとした。それでも思うようには音が割れてくれなかった。
そして1965年、高校3年18才で社会に出る頃のわたしはローリングストーンズの新曲「サティスファクション」のイントロのリフに衝撃を受けた。その音に驚愕した。どうしたらあんな歪んだ音が出るのかとギターをいろいろいじっても似た音も出ない。学園祭でローリングストーンズのコピーバンドが「サティスファクション」だけを延々と演奏していたけれどイントロのリフの雰囲気が出ないのでショボくて残念ながら盛り上がれなかった。その頃はエフェクターなどだれも知らなくてわたしも知識がまったくなかったがただ迫力のある音を出したいとだけ思っていたギターキッドのわたしがなんとアメリカでローリングストーンズのイアン・スチュアートが入ったその楽器店に入り浸って伝説化したエフェクターGibson/Maestro FUZZ-TONE FZ-1という名のファズを実際に目にすることになろうとは想像もできなかった。
その店はわたしが英語学校スピークイージーランゲージセンターの帰りに降りるサンセット通りとヴァイン通りの角のバス停の前にあるWallichs Music City楽器店で店内にはGibson/Maestro FUZZ-TONE FZ-1が最初のエフェクターとして誇らしくガラスケースの中に置いてあった。
わたしはこれが高校時代に夢見たファズボックスかとなんとなく思ったが時代が進んでアメリカはエフェクターが花盛りでわたしも様々なエフェクターを組み合わせて使ってギターと思えない音を出してプロのミュージシャンとして生活していたので別にそれほどの感動はなくFZ-1そのものを購入する気にならなかった。買うならギターシンセとかいろいろな選択肢があって迷ったのだ。
fumio


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