ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆文章というもの

2014年11月14日 | 日記
 昨夜は、月例の懇親会があった。
 電車の下車までに1名ないし2名が同じ電車に乗り合わすのであるが、誰も乗車してこない。
 本当に、今日なのか?と、又しても不安となった。 
 自問自答した。
 13日・木曜日、よっしゃ!間違いない。
 そして、会場に到着「いらっしゃい。今日は三階に御用意しております」と案内された。
 ほっとした。
 何時のとおり、楽しい会話はあっと言う間に過ぎ去った。
 帰りはK氏と、三駅を伴にして帰宅した。
 K氏が「日記を続けられることが凄い!」と面映いお言葉を頂いた。
 私の文書は「くどい!」と子供に受け入れてもらえない。
 日記にする場面の環境状態や雰囲気などを説明するのに”此れでもか!”と二重三重に説明を重ねるクセがある。
 そのことで、文書が長文化し”くどい”と言う文書になってしまう。
 私の”くどい”と云われる文書と、余りにも簡潔すぎる文書がある。
 Twitterと言われるものの文章である。
 140文字と言う制約があるにしても、理解できる文書がどれ程あるだろうか、と考える。
 多く観られる、疑問符で終わる文書は、何を訴えたいのだろうか、私は理解できないでいる。
 確かに「此れは!」と考えさせられる表現のものもある。
 日本には17文字で言い表す文化がある。
 「140文字の制約」と云っても、17文字に比ぶれば表現できる情報量は膨大である。
 「起承転結」と言う言葉がある。
 そして「5W1H」による文書表現の手法がある。
 5W1Hのうち、どれが欠落しても、不明確な文書になると云われる。
 長すぎても短すぎても、読む側に不快感を与えてしまう結果となる。
 やはり、作文は難しい!!
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  ”つぶやき”をつぶやく
   「つぶやき」&「つぶやく」は、問い掛けたり、話しかけたりする事でなく、内面的な事と思う。
   従って、他人に対して、意味不明であっても、何ら差し障りはない事になる。
   しかし、つぶやく言葉を公開する意味とは・・・・・??
 
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☆「ふくちゃんの絵日記」は、お引越しします。

2014年11月14日 | 日記
 Blog「ふくちゃんの絵日記」は引越しを余儀なくされました。
 Blogを運営する「OCN」がブログ・サービスを終了するするとの事で止む無しです。
 「体験版」で、予行演習を行うも、絵(写真)の添付方法等の手順が、今一つ・理解できません。
 元の絵日記の形態も整うまでに、いま暫く時間が掛かりそうです。
 何はともあれ「OCNブログ人」から「gooブログ」に、引っ越す事を御通知申し上げます。
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