昨夜は、月例の懇親会があった。
電車の下車までに1名ないし2名が同じ電車に乗り合わすのであるが、誰も乗車してこない。
本当に、今日なのか?と、又しても不安となった。
自問自答した。
13日・木曜日、よっしゃ!間違いない。
そして、会場に到着「いらっしゃい。今日は三階に御用意しております」と案内された。
ほっとした。
何時のとおり、楽しい会話はあっと言う間に過ぎ去った。
帰りはK氏と、三駅を伴にして帰宅した。
K氏が「日記を続けられることが凄い!」と面映いお言葉を頂いた。
私の文書は「くどい!」と子供に受け入れてもらえない。
日記にする場面の環境状態や雰囲気などを説明するのに”此れでもか!”と二重三重に説明を重ねるクセがある。
そのことで、文書が長文化し”くどい”と言う文書になってしまう。
私の”くどい”と云われる文書と、余りにも簡潔すぎる文書がある。
Twitterと言われるものの文章である。
140文字と言う制約があるにしても、理解できる文書がどれ程あるだろうか、と考える。
多く観られる、疑問符で終わる文書は、何を訴えたいのだろうか、私は理解できないでいる。
確かに「此れは!」と考えさせられる表現のものもある。
日本には17文字で言い表す文化がある。
「140文字の制約」と云っても、17文字に比ぶれば表現できる情報量は膨大である。
「起承転結」と言う言葉がある。
そして「5W1H」による文書表現の手法がある。
5W1Hのうち、どれが欠落しても、不明確な文書になると云われる。
長すぎても短すぎても、読む側に不快感を与えてしまう結果となる。
やはり、作文は難しい!!
*
*
”つぶやき”をつぶやく
「つぶやき」&「つぶやく」は、問い掛けたり、話しかけたりする事でなく、内面的な事と思う。
従って、他人に対して、意味不明であっても、何ら差し障りはない事になる。
しかし、つぶやく言葉を公開する意味とは・・・・・??
電車の下車までに1名ないし2名が同じ電車に乗り合わすのであるが、誰も乗車してこない。
本当に、今日なのか?と、又しても不安となった。
自問自答した。
13日・木曜日、よっしゃ!間違いない。
そして、会場に到着「いらっしゃい。今日は三階に御用意しております」と案内された。
ほっとした。
何時のとおり、楽しい会話はあっと言う間に過ぎ去った。
帰りはK氏と、三駅を伴にして帰宅した。
K氏が「日記を続けられることが凄い!」と面映いお言葉を頂いた。
私の文書は「くどい!」と子供に受け入れてもらえない。
日記にする場面の環境状態や雰囲気などを説明するのに”此れでもか!”と二重三重に説明を重ねるクセがある。
そのことで、文書が長文化し”くどい”と言う文書になってしまう。
私の”くどい”と云われる文書と、余りにも簡潔すぎる文書がある。
Twitterと言われるものの文章である。
140文字と言う制約があるにしても、理解できる文書がどれ程あるだろうか、と考える。
多く観られる、疑問符で終わる文書は、何を訴えたいのだろうか、私は理解できないでいる。
確かに「此れは!」と考えさせられる表現のものもある。
日本には17文字で言い表す文化がある。
「140文字の制約」と云っても、17文字に比ぶれば表現できる情報量は膨大である。
「起承転結」と言う言葉がある。
そして「5W1H」による文書表現の手法がある。
5W1Hのうち、どれが欠落しても、不明確な文書になると云われる。
長すぎても短すぎても、読む側に不快感を与えてしまう結果となる。
やはり、作文は難しい!!
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”つぶやき”をつぶやく
「つぶやき」&「つぶやく」は、問い掛けたり、話しかけたりする事でなく、内面的な事と思う。
従って、他人に対して、意味不明であっても、何ら差し障りはない事になる。
しかし、つぶやく言葉を公開する意味とは・・・・・??