ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆日本流?

2014年11月09日 | 日記
  品質管理(Quality Control=QC)&統合的品質管理、または、全社的品質管理(Total Quality Control=TQC)という言葉を耳にしなくなった。
 現役を退いた為であろうか?
 指導し・指導され”業務改善”の取組みを経験した。
 工程を見直し、無理・無駄を徹底的に無くす事などに、血眼になった時代を経験したのである。
 当時、手本となったのが「トヨタ」の取組みであったと思う。
 技術系・事務系を問わず”業務改善”に取り組んでいた。
 その様な取組みが、今ある日本の”(高品質を産み出す)仕事のやり方”と云われ、世界的に評価されているとすれば、喜ばしい事と思う。
 合理主義であるか・多少の合理性を犠牲にしてでも”美”と云うか”+α(付加価値)”を求め、QC手法で不合理分を軽減するか。
 そして”煌びやかさ”を好むか”ワビ・サビ”を好むかは、人・夫々であると思う。
 大上段に振りかぶった文書から始まったが、大した日記ではない。
 些細な事であるが、私のバイクで思うことがある。
 例えば、排気管と消音器を連結し、固定する部品の扱い方に違和感を覚えるのである。
 クランプと言うかバンドと言うか、両者を固定するボルト・ナットの扱い方が”日本流”で無い様に思うのである。
 ボルトの頭を表面(見える側)にして、体裁を整えるのではないかと思う。
 しかし、ナットとボルトのネジやまが目に付く表面に取り付けらている。
 ある時、消音器を交換した、
 その時、私が”美”と思う、ボルトの頭を表面にしておいた。
 その後、整備工場(ディラー)に整備依頼をし、受取ると、ボルトのネジやまとナットが表面になる様に戻されていた。
 マニュアルに基づき”正当”な形状に戻されたものと思われた。
 合理性の観点からすると、工程(締付ける)は単純化される。
 ”美的”とか体裁から考えると、長く伸びたボルトとナットが見えないほうが良いように思うのである。
 工程の無駄を省くためには、工具を考案したり、バンドにナットを溶接して一体的な部品にするのではないだろうか?と考えてしまう。 所謂、QC手法を用いて(業務)改善を図ると言うことになる。
 時代を少し溯って、現役時代、無線での中継回線を作成する業務を担ったことがある。
 ”貿易摩擦”たら言う政治問題にも関わった。
 使い慣れた国産品で設計し、施工する段取りであったが、急遽、外国産を使用することになった。
 無線通信での”電波”を空中に送出したり受けたりする空中線(アンテナ)である。
 その空中線を、鉄塔に設営する工事に、メーカーの技術者と通訳が立ち会った。
 地上からクレーンで鉄塔上まで吊り上げ、設置をする際に、鉄材の端に指が触れた。
 軍手をしての作業ではあったが、軍手が刃物で切られた様に口が開いていた。
 良く観ると”バリ”の処理がされていなく、刃物のような形状であった。
 「危険ではないか」と通訳を通じ、質問した。
 「性能には影響しない。 何故、そこ(研磨)まで、しなければならない?」と云う回答であった。
 「施工の際に、気を付ければ良いだけ!」との発想であった。
 「商品・製品としての総合品質ではないか」と反論したが、通じることでは無かった。
 求める電波伝播上のスペックだけなら、正当ではある。
 合理性を追求した結果ではあるだろうが、人間との整合性から考えて”如何なもの”かと、私は思ったことであった。
 国産では考えられないことであり”文化の違い”と云えば片付く話ではあった。
 バイクの車検時期を迎え、消音器を取り替える作業で、昔を懐かしく思い出された話である。
 QCから、モノ造りと国民性と、壮大なテーマで始まり、些細な内容で”オチ”となりました。
 だから(冒頭に)云ったでしょ!大した内容の日記ではないと・・・
  注:消音器は純正部品ではあるが、ノーマルなカタチで車検を受けるため交換したものである。
    車検後、再度の交換はしない。 此れからは、大人しくノーマルでいきます。
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