ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

その昔

2014年11月24日 | 日記
 昨日(23日)のツーリングで、観音寺市有明浜から豊年池に向う途中、国道11号線「十三塚」交差点を通過した。
 そして、その昔を思い出した。
 国道から山側の地域を「残水」と云う地名らしい。
 40数年前まで溯るが、此の地に実家を持つ、知人がいた。
 現在では、音信も途絶えている。
 実家は農家で、私がその知人と、訪れた時、広いお庭に、野菜と思われるモノが山積みされていた。
 良く観ると、それは”レタス”であった。
 「此れどうするの?」と訪ねると「廃棄する」という。
 豊作であったらしく、収穫はしたものの(価格維持のため)出荷出来ないという。
 「頂いて良い!」「全部、持って帰って!」「・・・・」 2~3個を頂いて還った。
 ”ミズモノ生産する農家”の苦悩のようなものを感じたと記憶している。
 そして、年間を通じて、雨量が少なく、河川での水量も少ないことから、農耕には切り離せない「水」に苦労してきたと言うお話しを聞いた。
 讃岐平野には人口湖・溜池が多く点在する。
 昨日、訪れた「豊年池」や満濃池、然りである。
 そして、知人のご家族の方から、地名に関するお話を聞いた。
 用水路からの農耕用に頼りとする(農業)水が”残り水”でしかなかった地域ということで、名付けられた地名・残水(のこず)であるという。
 その時、お話しを聴いた私は、水に対する”戒め”の様な地名だな!と感じさせられていた。
 私より、少しお若かったと記憶しているが「お元気だろうか?如何、御過ごしだろうか?」と思い出された信号機に掲げられた、地名表示「十三塚」であった。
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 お断り、私が、知人のご家族から聞いた地名に関するお話であり、認識違いや記憶違いなところがあれば、お許し願いたい。
 知人と表したことについて、当時は友人としてお付き合いをさせて頂いていたが、40数年が経過し、音信不通となった現在においては”知っている人(=知人)”と表現させて頂いた。 気持ちは今も”友人!”