ふくちゃんの絵日記

バイク等での旅行記や、日常生活で感じたことを、絵(写真)に描けるものは描き(添付)絵日記風にしたいと思います。

☆古きカメラ

2014年11月06日 | 日記
 先日、子供から「ブロニカのカメラ、今も持ってる!」と電話があった。
 「ああ、持ってるよ!」と返事すると「使わせてもらえる?」と云うので「ええよ!」と返事を返した。
 何時でも出せるように準備した。
 思い出のカメラが出てきた。
 私とカメラの出会い(「カメラと私(2014.10.06)」)は、中学生の時であった。
 兄が、カメラを所有し、簡易な暗室を持っていた。
 中学の修学旅行に、借りて行った以降”カメラ”と言うものを意識したと思う。
 加えて、仲が良かった友人も、カメラ好きであったことが影響したと思われる。
 しかし、高校に入学して以降、写真撮影の機会も、疎遠になった。
 そして、再度目覚めたのが社会人になってからである。
 初めて”高額”な買物をしたモノが、カメラであった。
 現金で購入することなどは出来ない(薄給な)ことから、当時、流行っていた”割賦販売”を利用した。
 会社の福利厚生を担当する部門(別会社)から購入する形式である。
 一眼レフ・カメラが主流と成り始めた時代であったと記憶している。
 当時、印象深い宣伝の効果もあり、一眼レフと言えば「アサヒ・ペンタック」であったと、今も思い出される。
 しかし、何故か私は「ミノルタ」に拘った。
 初めて所有したカメラは、ミノルタ社製一眼レフ・カメラであった。
 ペッタックスに比べ、形状も大きく、重量も重かった。
 兄が持っていた、ミノルタ社製(二眼レフ)に影響されただけではない、選択基準が私なりにあったのであろうが、今となっては、その記憶はない。
 当時の私は、時間があると山登りを楽しんでいた。
 それは、日帰りであったり、宿泊(山小屋)での山歩きであった。
 そして、紅葉であったり、雪景色の山であったり、山の風景を撮影していた。
 しかし、カメラにとって良い環境であったとはいえないだろう。
 此のカメラは”過酷”と思える使い方を強いた様に思う。
 リックに押し込まれ、汗や雨で湿気”ムンムン”な環境では・・・
 時間が過ぎ、長男が誕生した。
 御多分にもれず、親ばか振りを発揮し、山登りは中断、被写体は専ら「長男」となっていた。
 長男が二歳位に成長した頃には、レンズにカビと思われる斑点が大きく成長しているし、フォーカル・プレーン・シャッターの動作が、我慢できない程に劣化していた。
 二代目となるカメラは「ニコン社製ニコマート」である。
 東京の企業に就職した中学の友人(前出)から、想いもしない価格で購入出来る事を教えられた。
 そして、思い切って購入した。
 40数年を経過した現在も、カメラとしての”かたち”は現存している。
 ピント機能に不具合がある様で”ピント”が合わないことから”写真機”として不適切である。
    =少し早送りして=
 仕事に疑問や、不安を持つような時代をも経験した。
 親戚を頼って写真の修行をしよう等と大胆な想いもあった。
 ”ゼンザブロニカ”というカメラを入手した頃である。
 此のカメラは、流石にシッカリとした造りで、現在も、あの独特な「カッシャァ!」と言うか「バッシャ!」というシャッター音も健在で、ブロニー・サイズの独特な映像が魅力的である。
 現在では、ピント合せの必要も無く、撮影した映像は、その場で確認することが出来る。
 そして、撮影したその夜には、映像処理が出来ると云う(便利さ)誘惑に負け、デジ・カメ一辺倒になっている。
 子供に言われなければ、物置から出すことも無く、カメラにまつわる”若き頃”を思い出すことは無かっただろう。
 写真撮影に、情熱を燃やしていた若かりし頃が思い出され、日記とした。
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