離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

何を基準にするか

2020-01-27 00:00:01 | 日記
おそらくこのブログを読んでくれている方は、
スマホかタブレット、パソコンなどを持っているだろうし、
その通信費だって払っているでしょう。

屋根のある生活だろうし、
最低限の食事ができるのではないだろうか。

先日、NHKドキュメンタリーで中国のマンホールチルドレンについてやっていた。
いろいろな事情で親と別れ、マンホールの中の地下で、着るものも食べるものもなく、
わずかな酒におぼれたり、表立っては言えないようなことをして日銭を稼いで
命をつないでいる子供たちがいる。見ていて、壮絶な人生だと感じました。

この日本だって、河川敷に行けはそういう方がたくさんいる。
理由はいろいろだが、以前も書いたように、私たちも紙一重だと気づいている人は少ない。

一方で、どこかの元社長さんのように1000億円を通帳記載するのをYOUTUBEに載せる人たちもいる。
億の保釈金を捨ててでも逃亡する人もいる。

だが、すべての人に共通するのは、最後は死であり、何も持っていけないということは明確。
死を前にしては、自分の生きてきた中身だけが残る。
周囲や自分自身をごまかして生きていても、最後のときに自分はごまかせない。

昔から、「おてんとうさまが見ている」なんて言葉が日本にはあるが、

結局のところ、ほんとうのところを知っているのは、自分であり、
おてんとうさまは、自分ではないだろうかとも、勝手な解釈ですが、思うのです。

離婚調停でどんなことを言おうとも、どれだけのお金を得ようとも、
周囲に対してどんなことを言っても、言われても、
自分の生き方だけは自分が一番知っているのではないだろうか。
その時々、または生涯ごまかして、何もなく生きてきたとしても、
その生き方を問われるのは最後ではないかとも思います。
もちろん、私もその最後を迎えていはいないのですから
あくまで想像ですが、そう思って生きているのです。

苦しい時間は、その時々を乗り越えるだけで精一杯ですから、
そんなことを考えることなんてできないと思います。
もし、その苦しみに少しの余裕ができたり、新たな一歩を踏み出そうとしているなら、
自分自身の在り方を一度考えてみる機会としては、最良のタイミングかもしれません。

今日もまた一歩ずつ歩んでいるのを応援しています。



コメント (4)
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