離婚に苦しむ人へ

今、苦しんでいるあなたに寄り添って。

どう苦しみに耐えるかの意思

2014-02-13 00:01:00 | 日記
離婚で

打ちひしがれて、ボロボロになり、

もう駄目だ、、、、

自分はこれまでか。。。


そこまでボロボロになりながらも、

ふとどこかで、自分の内面にある

小さいときから、

ずっとあなたを支えてきた何かがある。。。

親から叱られて孤独になったとき、

受験での不安

部活動での苦しさ

失恋したとき

病気で入院したとき

これまでの人生で、苦しみの中にあるときに

あなたを支えてくれた


目には見えないし、話したこともないけれど

確実にあなたの中にいると、、、確信できる

自分だけが確信できる何か。

この離婚という最大の苦しみにも

そのあなたの中の何か、何者かが、、、

確かに、必死にもがいて、耐えている。

そして行く道を探している。

今日は、定期購読している「致知(ちち)」という月刊雑誌の
中で、紹介されていた詩を紹介しようと思う。

理論ではなく、それぞれの生き方が書いてある
珍しい雑誌だ。ネットでしか買えないのかもしれないが。。。
フェイスブックもあるので、見出しだけでもどうぞ。

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茨木のり子 「苦しみの日々 哀しみの日々」

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苦しみの日々

哀しみの日々

それはひとを少しは深くするだろう

わずか五ミリくらいではあろうけれど

さなかには心臓も凍結

息をするのさえ難しいほどだが
なんとか通り抜けたとき 初めて気付く

あれは自らを養うに足る時間であったと

少しずつ 少しずつ深くなってゆけば

やがては解るようになるだろう
人の痛みも 柘榴(ざくろ)んおような傷口も

わかったとてどうなるものでもないけれど
(わからないよりはいいだろう)

苦しみに負けて

哀しみにひしがれて

とげとげのサボテンと化してしまうのは

ごめんである

受け止めるしかない

折々のちいさな棘や病でさえも

はしゃぎや 浮かれのなかには

自己省察の要素は皆無なのだから

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何ミリ成長できるのかは

物事によるだろし、人によるだろう。

わずかな事でも大きな気づきとなることもあるし、

離婚しても、病気になっても

死別しようとも、何も気が付けない人もたくさんいる。

だが。。。

私は、この一文が気になる。

「とげとげのサボテンと化してしまうのは

ごめんである」

そう、「ごめんである」 ここに覚悟がある。

どんな苦難を受けようとも

人としての道をまっすぐに歩き、

自分を見失わないこと。

たしかに相手はひどいし、冷酷だし、あまりの仕打ちだ。

とてつもなく、苦しい時間だ。

だが、、、

最後は、どう自分がこれから先、生きていくのか、

どういう人間であろうとするのか、

自分という人間性をどこまで高めて、成長させることができるのか、

人間は、いずれ死ぬ。

だが、どう生きるかだけは、自分で選択できる。

それは生きた時間に関係なく、自分の心持ちである。


今は、苦しいし、絶望し、ボロボロで、

何の道も見えない。

けれど、

ここで、あきらめるのはごめんだ!

それは、もはや極限まで追い詰められた先に

自分の奥底から出る 無意識の叫び。

まずは、ゆっくり悲しもう、休もう。

それからでいい。

あせらないことだ。