坂田先生直筆のハガキ賛歌から始まりはじまーり。
4日は連休のさなか、本降りの雨の中を、私のブックマークにもリンクさせて頂いている喫茶店「山閑人」を訪れました。
先日ここで今村さんのジャズライブがあり、遊びに訪れて以来、ご夫妻に会いにゆっくり出かけるのは何年ぶりのことでしょうか。
ここのご主人ご夫妻とは実は25年ほどのお付き合いなんです。
カウンターで
最近はママさんとブログのご縁で愉しい人生論を交換していましたので、美味しいと噂のコーヒーをいただきに・・・・ 不意打ちの訪問
私がドアをあけるとママさんが満面の笑みでお出迎え
とても心の綺麗な素敵なお方です。芸術に造詣が深くていらっしゃるのは、ご主人新里眞沙生さんとの長年の夫唱婦随の産物なのでしょうか。お二人共、あうんの呼吸とてもよい年輪の重ね方です。
オーダーもそこそこに、ママがわざわざ見つけてきて頂いたのは、このお店を訪れたお客様の来店日記というか、自由に書きたいことを書けるお洒落な落書帳の一冊
いたずらっぽくも、やさしく微笑みながらママさんが中の1頁を開いてみせられたのが、この写真なんであります。ワアーオーッ
何と昭和61年3月8日ハガキ道の達人で第一人者坂田成美(道信)先生と一緒に山閑人に訪れ、あろうことか連署でいっぱしのことを殴り書きしているではないか・・・・。しかも下手な字で・・・・。赤面と同時に当時のことが一度に脳裏を逆流占拠し始めた。
坂田道信先生は広島県高田郡向原町に在住、複写ハガキの教えを在野の哲学者森信三先生から学び、さらにその手ほどきを、熊本県下で校長までなってのち子供達の教育に全身全霊を傾けるためにヒラの教師が良いと降格願いまで出した鉄筆の聖者「徳永康起先生」から受けている。※徳永先生は生涯を通じて五木の山村の子供達をハガキにより励まし続けた。またガリ版刷りで連日「天意」という学級通信を編集し続けたことから、教育界において鉄筆の聖者と称えられている。顕彰著作「徳永康起先生の人と教育」「徳永康起先生」をクリックすればご経歴が見れます。
坂田先生はハガキ道の伝道師として日本中を忙しくご講演される日々、一日30枚ものハガキを書かれ、年賀状が1万5千通もくるという凄い人脈を築かれたんである。
電話やFAXインターネットに携帯メールの時代だからこそ、手書きのハガキが相手の心の奥深くに届くのである。大げさでなく、一枚のハガキで人生が変わることだってあるのだ。複写ハガキのことはまたいつかご紹介しますね。
森信三先生も日本の教育界に広く功績のあったお方で、その教えは「実践人の家」に現在も引き継がれている。また山内町では森先生の立腰教育が実践され、「ハイという返事」「挨拶ができること」「履物をそろえる」「腰骨を立てる」が誠実に美しく校風化されてきたのでありますよ。
だから山内っ子は、みんな道ですれ違ってもよく挨拶をするのだ。
森信三先生が91歳のときに神戸まで新里先生の版画をお土産に、直接お会いしに行ったことがあるが、老齢にも関わらず眼光鋭きは筆舌に尽くし難い凄い先生でありました。
「人生二度なし」「人は一生涯を通じて出会うべき人には必ず出会う、それは一瞬早からず、遅からず」というのは森信三先生の有名な言葉であります。
在りし日の慈愛に満ちた森信三先生のお姿をご紹介致しましょう。
マヒの右手で私に何枚ものハガキを頂いた。
そんな精神的な出会いが今から24年も前、たくさんのご縁と共に私に訪れたのである。当時まだ駆け出しの33歳に過ぎなかった私にとって、人生哲学上も強烈なカルチャー・ショックだったのであります。
そして私も複写ハガキの手ほどきを坂田先生から受けて24年余り、書いたハガキは何と1万通を超えた。何もはからいのないハガキがベスト、相手のことを思いやって一枚のハガキと対峙する一種の修行は禅宗の修行にも匹敵するといわれてやり続けてきたものの、私の場合は例外中の例外であるようだ。相手様の名前を借りて実は自分に書いているようなものであるのだ。
新里眞沙生先生ともかれこれ25年のお付き合い・・・・・。
当時は木版画の製作に没頭しておられ、私も氏の魂のほとばしる作品を、あちらこちらへとご紹介をさせて頂いたりして、お互いに心の中を理解し、又されましたね。
純粋で温厚、いつも細やかなお気遣いと芸術にかける激しい情熱・・・・
そのご努力と若さ・・・教えられます。今日はお会いできて嬉しかったです。今度焼酎を呑みながら是非語り明かしたいものです。
さて、突然24年も前の私からハガキが届いたような、封印していたタイムカプセルを開けたような、そんな精神的な一日でありました。
感謝の言葉もありません。ママとの会話も楽しかったでーす。
また「60歳のラブレター」も話題に。
僕はラジオ番組の永六輔さんの「7円の物語」も大好きです。
いずれも手書きのメッセージです。
尚志君にも1993年からの便りというのがありましたよね。それが潜在意識に残っていたようですね。
自分への葉書! 本当に一瞬で当時に飛べるものでしたでしょう? 私はあの複写葉書、四、五冊位しか書けていませんから恥ずかしいばかりです。一万通ですか!素晴らしい。手書きの温もりのあるハガキを頂くのは本当に嬉しいものですね。一瞬で届くメールでは届かないもので、思いは直筆の文字の中に籠もるんですね。風竿さんが残された日記様の葉書も又。いいことばです。含蓄のある深い言葉ですね。
又 誰かに 言葉を届けたくなりました。暖かい気持ちを込めて。私も風竿さんに感謝です(*^ー^)ノ
http://sankanjin.exblog.jp/8038213/うふふですねえ。
たまに立ち止まる事、、、ハガキはそうした役目もある気がします。いい雨でしたね。また、のんびり時間を忘れにいらして下さい。何も考えずにぼーーっとするのもいいかもです。私はぼーーーっとし過ぎていけませんが、、、
さてさて、、明日からお仕事ですね。
五月病にならない様に気合いです。(*^_^*)
日記帳が二十冊余りありますけど、昨年その中に一度だけ書いたと八年振りに自分の言葉を見つけられた女性がおられましたがあの頃の自分に会えてとても嬉しかったそうです。
純粋にひたむきに生きていた事が。
直筆の自分の文字って、沢山の埋もれた中から見つける事が出来るんですね。びっくりしました。 意外と簡単に探されたのです(*^o^*)
きっと、前世を信じるとするならば、お友達であったか近い所にいたんではないかと、偶然に出会った必然繋がりの人達とお喋りをするのです。
輪廻転生を信じる事で辻褄が合う事がいっぱいですね。