小学生の頃の話
中学の教諭をしていた父は、呑み会が多くて、深夜帰宅すると近くのラーメン店に出前を注文させた。何しろ教員は強飲と書くのだとうそぶいていた位に、何かとかこつけて飲み会があった。
空酒というか、呑み会の時には殆ど食べずに呑んでいたらしく、小腹が空いていたのだろう。
ところが注文させたのはいいが、泥酔状態でそのまま寝てしまい出前が届いても一向に起きないのが常であった。
そもそも父は無類の麺好きで夏はソーメンばかり食べていたし、呑んだらラーメンなんであった。
食事中に口の中でクチャクチャとでも言わせようものなら、厳しく叱っておきながら、自分はラーメンをズルズルと食べていた。
目をつむって黙って食べていた。
父が逝って34年にもなるのだが、そんな光景が思い浮かぶ。
ラーメンが、まだ50円だった頃の話
そしてとうに父の没年齢を超えた私も。
酒を呑むと〆はラーメンを食べている。然も私も呑む時にはあまり食べない。
父の子供だから仕方が無いが、こんなに旨いものはないと思っている。思えば我が一族のソウルフーズなのかも知れない。
呑んだ帰りは後楽園さんのラーメン
たまに御船山の山裾にある来久軒にも立ち寄る。
博多に行ったら山ちゃんラーメン
長浜公園の前にある居酒屋ラーメン店のラーメンは芸術品
スープまで完食の浅ましさ。
どうしてこんなにもラーメンが好きなのか、父親に聞いてみたいものである。
其れ、DNAの恐ろしさであろうか。
はたまたオヤジの歩いた道を子もまた歩くのであろうか。
それは定かではないが、54で亡くなった父を偲ぶよすがでもあり、少しばかり嬉しい気にもなる。
今夜も祝賀会の帰りに後楽園に立ち寄った私であった。
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