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生まれた家はあとかたもないほうたる
をとこが をなごに 蛍とぶ水
山頭火
昭和の松尾芭蕉といわれた 漂泊の俳人 種田山頭火は
所謂5・7・5の定型句からはなれ 自由律の句の中に自分の
住処を見つけたのだった。
そんな山頭火は昭和7年1月29日武雄に泊まり、嬉野温泉を気に入り、ここに草庵を結ぼうとしたのでした。その頃詠んだ句が二作だけあります。そして入梅に相応しい句・・・・。
父によう似た声の出てくる旅はかなしい
並んで歩く石だたみしめるほどの雨
山頭火
支援者の賛同が得られぬまま、佐世保に向かって歩いたり、平戸に行ったりしています。
雨なれば 雨をあゆむ
雨降るふるさとははだしで歩く
山頭火
まだ僕が若い頃彼の著作集を明け方まで読み耽ったものです。
とても素晴らしい句が一杯ありますが、全部といってよいほど旅先で詠んだ句です。
彼は乞食坊主さながらの行乞(ぎょうこつ)をしながら各地を歩き回っているのですよ。
武雄も高橋も塩田も鹿島も嬉野も小城も佐賀市も歩き回っています。武雄に入る時は「馬神隧道」も通ってきています。
最後は四国松山で死去するのですが、嬉野に住んでいてくれたらばと思えてなりません。
彼は幼い日に井戸に身を投げて死んだ母のことを思い続けて、一定の場所に留まることができませんでした。
いつも満たされぬ想いを打ち捨てようと旅にでましたが、たまたま立ち寄った生家は朽ち果てていて跡形もなく、そこを無数の蛍が飛んでいたのです。
そんな山頭火のことを思いながら蛍のCGを愉しみましょう。
生まれた家はあとかたもないほうたる
<!-- ほたるの里 -->
まっすぐな道でさみしい
山頭火
私もずっと以前.実践人の会の繋がりで山頭火を知りましたが、こゝろに染みる句も沢山ですね。ちょっと面白いのもありますけれど、、、、
こんなのも「春風のちよいと茶店が出来ました」
ウフフですよね。どんなお店だろうと想像してしまいます.真っ直ぐな道でもでこぼこだってのもあったでしょ?
かって三直さんと生まれ故郷の防府市を訪ねて山頭火の生家付近を散策しました。
酒造場は違う会社の経営でしたが、まだ残っていて、清酒(山頭火)が作られていました。かって故郷を追われたように逃げた人が、今故郷を救っているのですね。
山頭火は山口(防府)で生まれ、愛媛(松山)で亡くなったのですね。
こじつけですが、私は、愛媛で生まれ、やがて山口で朽ち果てる予定です。
「蛍の映像とピアノの音色」のプレゼントに感謝♪アニメの「ホタルの墓」を想い出し、ホロリ。。。。。。としました。
かってそこの社長様とハガキでやりとりをさせて頂きました。ご自分で焼かれた焼物まで頂きました。地産グループの総帥と呼ばれたお方でした。
山口県下松市のNPO法人「いのちを考える会」主宰の前川育さまを取材なされるようお勧め下さい。ちょっとこの世にはいない一級のお方です。
主人と風さんがお話しできればいいんですけれど。
主人はこちらの事はほとんど知りませんから、、、、
m(__)m話題をふって話しはするんですけれど、、アナログな人ですから.
直接話す事しか出来ませんのでね。
雨の音となり蛍の光となり
その情景が浮かんできます。
その句からは彼の想いまで伝わってきます。
ホタルの里の音楽、心に響きました。
何とかグランドデザインを見出そうと・・です。
でも前川さん武雄に来て頂きますが、その時山閑人にお連れしますね。とっても素敵なお方です。「哀しみの川」を渡りきられたお方です。
僕もmomocafeさまの青空が目を閉じれば広がっていましたよ。
レス有難うございます。感謝!