風竿の「人生の達人」烈伝

愛すべき友、仕事・趣味の磯釣り・ゴルフ・音楽、少しの読書などにまつわるあくまで「ヒト」に重点をおいたブログです

クリスマスウイークに

2015年12月21日 00時01分00秒 | 風竿の音楽夜話

やっと冷え込んで冬らしくなってきたと想っていたら、いつの間にかもうクリスマスウイークを迎えることになった。

師走をソリに乗って駆け抜けるが如しである。

今年のクリスマスイブは、久留米市にライブででかけることになった。

FUNKY DOGというお店。

ビートルズバンドで親しくさせて頂いている「筑後のビートルズ」ことThe StripesのリーダーDr.中野のお誘いなので、何をさておいても駆けつけねばならないのだ。

愛犬の体調が悪く、ちょっと心配なのだが、日帰りなので、行くことにした。

今年も都合30回以上のライブをこなしてきたが、これで今年の弾き収め、唄い収めなんである。

私が一番好きなビートルズナンバーである

「Happiness is a warm gun」を唄い収めの曲としたいと想っている。

いい歳だからいつまでビートルズバンドをやれるだろうかと思っているが、今年はとりあえずやれた。

来年は少し違うメンバーともやってみたいと考えている。

ともあれ、久留米近郊の皆さん、西鉄久留米駅の近く東町にあるFUNKY DOGでお会い致しましょう。


不思議な話・・・ 見えない世界その3

2015年12月17日 00時06分32秒 | 風竿日記

これまで、第一話、二話と私が体験してきた不思議なパワーの話をしてきた。

恐らく頭の固い御仁には理解できないことだと思う。

そこで、主観を交えず淡々と、ただ起こったことだけを書き連ねてきた。

老境を迎えたとはいえ、我が家の愛犬に次々と訪れる体の不調を通じて、

いや、私達家族も含めて、石橋先生の不思議な力に何度も助けられてきたのは、紛れもない事実なのであった。

 

山口大学病院まで3度通ったのも苦しかったが、良い体験であった。

この写真は手術には大変なリスクがあり、死んでしまうこともあると云われ、レオンが初めて越えた関門海峡をバックに撮ったもの。これから手術に向うところなんである。

最後の写真になるといけないので、無理して作り笑いしている。

これは退院して再び関門海峡を渡れる喜びの写真なのだが、長距離運転で疲労困憊している。

そしてこの手術についても石橋先生は間断なくパワーを送り続けて頂いたのであった。

その後も数え切れないほどレオンの具合が悪くなる度に助けて頂いたのであった。

先生の施術はまず体の全部の状態を診て、脳から臓器、骨に筋肉まで見えない力で治していかれる。

これは体験しないと、とても理解はして貰えないであろう。

それを誰よりも判っているのはレオンである筈だ。

そんなにお世話になった石橋先生の施術院コスモライト石橋さんの大忘年会が武雄で開催された。

12月12日土曜日のことである。

東京・大阪・広島などから総勢105名のお方が二ューハートピア武雄に集まっての石橋フアンの集いのようなもの。

最近も、脳梗塞の後遺症が残っていて元気がないレオンを家に置いたまま夫婦で出かけるのはちょっと抵抗があったのだが、それでも大恩人のパーティだから行かねばならぬ。

ましてや、レオンはゲージの中に閉じ込められるのを極端に嫌っていて、私が着替えようとするや否や、

留守番させられると察知してコソコソとソファーの裏側に隠れてしまうのが常なのであった。

この日も、体調が頗る付きで悪くヨロけながら歩く状態なので出かけるのを躊躇していると

あらまあ・・・なんとも不思議なことが起こった。

自分からゲージに入ることなど一度もなかったレオンがケージに入ったのであった。

ちょっと待ってくれよ・・・。まだ夕飯を食べさせてないので、ゲージから引きづり出して・・・(中々出てこないのだ)

ドッグフードを食べさせ、水を飲ませた。

するとまた、一人でゲージに入ったのである。

私はもうびっくりポンの状態で、この現象がどうにも理解できなかった。

あんなに嫌がっていたゲージに自分から入るなんて・・・。

お陰で気持ちよくコスモライト石橋の忘年会に出席することが出来たのであった。

レオンには、私がこれから石橋先生とお会いすることが判っていたのだとしか思えない、実に摩訶不思議な出来事であった。

コスモライトの忘年会では、この1年の感謝の想いを込めて奥様のマリア先生からのリクエスト通りにピアノを弾いて歌を唄わせて頂いたのだった。

私の守護神に憑いてくれているジョンレノンの平和の歌Imagineと、マリア先生が好きだと仰る「いっそセレナーデ」の2曲であるが、

忘年会の間中ゲージの中のレオンを想っていたのは云うまでもない。


見えない世界の話2

2015年12月15日 23時38分10秒 | 風竿日記

犬はとても素直ではからいがない。

あるがままをそのままに受け入れ、悲しければ泣くし、嬉しければ尻尾を振りまくる。

だから、ある種の信号をそのままに受け入れるから、石橋先生の施術がダイレクトに効くのであろう。

彼はもうすっかり老犬の域に達していて、このところは満身創痍も手伝ってか、いつも、きつそうに寝ているばかり。

無理もない。

9月に大手術をして脾臓を全摘したのである。

その時の写真はこれ・・・・。

今でもこの姿を見ると、胸が痛む。

意識は朦朧としていて、私達の心の声も届かない状態であった。

その時、石橋先生はイタリアにおられたのだが、私達の心配を察してメールで手術は成功、これでいいぞ。

とのお知らせを頂いた。

そのご配慮が胸に響き、その後の順調な回復も先生の遠隔治療のお陰だと思っている。

10月はすっかり元気になったレオンであったが、下旬に再び元気をなくし、とうとう特発性前提障害という脳の病に陥り、いわば脳梗塞のようなもので、歩けなくなってしまった。

にも関わらず、脳が冷静に機能しないことから、斜行してヨロヨロと歩く状態に加え訳も判らず、やみくもに吼え続けて、とうとう声帯が枯れてしまうほとであった。

主治医はお休みで、仕方なく違う動物病院に駆け込み投薬治療を受けることになった。

しかし、一向に彼の気が狂ったような吼え方は収まらず、思い余って石橋先生にスカイプ施術をお願いした。

すると見る見る間にピタリと泣き止み、翌日にはまっすぐに歩けるまでに回復したのである。

左に顔が傾くという後遺症は残ったのだが、もうこのままでは死んでしまうと覚悟した状態からの生還は言葉に云い表せないほどであった。

6月頃だったか、古くから知っているお方の癌が骨に転移していて、とても辛いというお話を聞いた私は、いても立ってもいられずにコスモライト石橋に行くことを勧めた。

そのお方は藁をもすがる気持ちで施術を受けに行かれたのだが、ちょっと俺には合わんからもう行かないとの電話があった。

そして、その日、私宛に石橋先生からメッセージが入った。

「尾形さんからご紹介されたAさんは、残念ながら私の施術を受け入れる脳の構造にはなっておられないので、申し訳ないが私には治せない。」

とのことであった。残念ではあるが、これもご縁なんである。

後日そのAさんと会う機会があり、どうでしたと尋ねると、先生とは一言も会話はしていないとのことであった。

先生は瞬時にして患者さんの脳の中まで見抜かれるのだが、まさにAさんも見抜かれていたのである。

そのことをAさんに告げたら、随分と驚かれた様子であった。

一言も話さず、失礼な素振りもみせていないのに、心の中をビシッと読まれている・・・・。絶句された。

思い換えて行けばよいのにと思ったが、他人様の人生だけに強制などできる訳もない。

自分で納得して施術を受けられないと、自分で人生を切り拓かれないと・・・・。私のできる事は紹介することまでなのだ。

さて、レオンは特発性前提障害を脱したものの、12月に入ると再び元気がなくなった。

呼びかけにも反応が鈍くなり、いつも私が仕事に行くときに必ず「行かないで・・・。」とばかりに玄関まで走ってきて大きな声で吼えることもなくなってしまった。

昨夜は再び、東京の分院にいらっしゃる石橋先生のスカイプ治療を受けることになった。

脳幹は機能し始めたが、脳にボケが入っていて、自分で何をしたいのかも判らずにいるという診たてであったが、まさにそのような素振りであった。

脳を活性化させるから、左足も弱くなっているから強くするね。

左の肺も、右目の視力も落ちているからパワーを上げる。

ハイ、歩かせてみて・・・・・。

ヨロヨロしながらではあるが、まっすぐに歩いてくれた。

信じられないことが起こることに慣れっこになってしまった私であるが、こんなに顕著に施術効果が現れるのには、ホトホト驚かされる。

こんなエピソードなど別に珍しいことではない。そこかしこにゴマンと転がっているのだ。

私の横の患者さんが、長い間脳梗塞でマヒされていた左足でスックと立ち上がり、歩かれるのも見せていただいた。

治療にこられていたたくさんの患者さん一同、感動の拍手の瞬間であった。

かくして今日の朝は、久しぶりにレオンが私をお見送りしてくれたのである。

「行くな!」という意味のワンワンワンという大きな声と一緒に。

信じるものは救われる。

肩が痛かろうが、恋の悩みであろうが、癌の治療であろうが、一律5千円、マッサージに行くような施術料。

他に請求されることは一切無い。

そして石橋先生は一日僅か3時間の睡眠で遠隔治療・スカイプ治療・施術院での治療に明け暮れておられる。

食事の時間すら惜しんで人を助けたい、幸せにしたいの一心から動いていられる。

私が最も尊敬に値する人だと思う素晴らしいお方である。

 


目に見えない世界の話

2015年12月15日 00時16分40秒 | 風竿日記

見えない世界のことを書くと・・・

当然ながらじぶんの前で起きていることしか信じない皆様には、信じられないことなので、ヒンシュクを買うのであろう。

だから実際に起きたことのみ、出来るだけ客観的に書くことに留めたいと思う。

無論、私は普通の宗教観を持っている。

特段敬虔な仏教徒という訳でもなく、かといってクリスチャンでもなければ、神道に通じている訳でもない。

父・母の命日には手を合わせ、節目の時には神社にお参りもするというどこにでも居る日本人であるつもりだ。

それは昨年の9月、愛犬レオンの尿道付近が妙に腫れているのに気付いたことから始まった。

かかりつけの信頼している動物病院に診て貰うと、精巣に癌が出来ているというので、音楽イベントをやっているさなかに摘出手術をして貰うことになった。

手術の日は完全看護の病院に泊まらせ、二日目の夜はいつものように我が家のベッドで一緒に寝ることとなったが、老犬故に痛み止めは処方しないというのである。

体を切り刻まれた愛犬は、断末魔のような唸り声をあげて、本当に目から涙を流して痛がっていたのだった。

病院に泊まっていた昨夜も苦しかったに相違ない。鳴く声がもう枯れているくらいなのだ。

赤子をあやすように抱きかかえて、何とか傷みを和らげようとするのだが、一向に泣き止む気配もないまま、途方にくれていた。

あんまり苦しがるので、万策尽きた私は、ふとコスモライト石橋の石橋与志男先生のことを思い出したのであった。

一、二度お会いしたご縁があり、奥様のマリアさんともフェイスブックで繋がっていたので、夜中ではあったが、思い余ってSOSのメッセージを送信したのである。

運良く先生はまだ起きてられ、遠隔治療を施して頂いた。

愛犬の様子を写真に撮ってメールで送ったのみである。

何度か状態の説明をして、必死でメールに集中していたが、しばらくの後、

「もういいでしょう。レオンちゃんは今どうですか?」

と聞かれたので、ベッドの上の愛犬を確認すると・・・・

あんなに苦痛でのたうち回っていたレオンは、安心した時にのみ見せるお腹を天井に向けて、スースーと寝息を立てて寝ていたのである。

ちょっとこれには思わず絶句して、私は地獄に仏を見た思いであった。

それから一年、今度は8月のお盆過ぎに、急に水も食事も摂らないようになった。

石橋先生に診てもらうと、癌ではないよ。でも臓器が腫れている。との診たてであった。

念のため信頼している病院に連れて行くと、膵臓の付近が怪しいという。レントゲンとエコー検査の結果では脾臓か膵臓が炎症を起こしている公算が大きく、山口大学の動物医療センターでのMRIによる精密検査を勧められた。

そこで病院からの紹介状を頼りに山口まで往復700キロをかけて精密検査に出向くと

脾臓が以上に腫れていて9割がた癌に侵されているという診断であった。

その場で手術して摘出した方が良いということで、一週間後に再び山口まで出向くことになった。

手術の当日は午前3時に家を出て、暗い気持ちで長距離を走ったのであった。

もう関門海峡を渡って帰れないかも判らぬと不安な気持ちで一杯であった。

朝一番にレオンを預けて手術の終るのを車の中で待つのだが、何と順番もあって、手術が終ったのは夜の10時であった。

モルヒネまで打たれ、麻酔がまだ覚めやらぬレオンは弛緩していて舌はダラリと出たままのヘロへロ状態であった。

手術の結果をドクターは淡々と事務的に告げ、レオンはそれから9日間も私達の手の届かない病院のゲージの中に隔離されてしまったのであった。

レオンの状態が判らないまま、最後に見たあのヘロへロ状態が頭から離れずにいると・・・・

心配して下さっていた石橋先生から1通のメールが入った。

先生ご夫妻は何とイタリアに旅行中なのにである。

「手術は成功した。もう大丈夫、安心しなさい。」

という内容に胸を撫で下ろしたのである。

そして退院の日を無事に迎え、ドクターの所見を伺うと・・・

生検の結果は脾臓の腫れは癌ではなかったことを告げられた。ただ炎症が膵臓を圧迫していて食事が獲れなかったらしい。

「癌はないよ・・・。」

と云われた石橋先生の診立てを思い出した。

脾臓は免疫を支える臓器だけにとらないで済むならそれに越したことは無かったのだった。

同時に石橋先生の云うことの正しさを痛感したのだった。

この世には見えない力というものが存在するのだ。

その昔、私も色んな勉強をしてきたつもりであった。

中村天風先生の丹田呼吸法、静座、

森信三先生の哲学的思考法

石橋先生はいつ修行されたのか、それらの素養をすべて身に就けておられる。

そして人の脳の中まですべて見通す力を持っておられる。

続く・・・・。


晩秋のソネット

2015年12月13日 22時49分13秒 | 風竿日記

12月の声を聞いたと思う間もなく、もう13日なんである。

今年は暖冬だとかで、庭の山もみじはまだ真っ赤に色づいているし、干し柿は2回目の挑戦となった。

光の加減では庭が燃えているように見えるほどである。

この干し柿は第一回目の作

もう出来上がって、友人へ配ることに・・・。

正月用の干し柿をもう一回挑戦することになったのだ。

例によってまた27個の柿を剥くことに。

私がやらないと犬が剥いてくれる筈も無いし・・・。

少しは暮れらしさを味会うために、大切な土曜日を捧げて、ひたすら剥いた。

お陰で少しは包丁使いも上手くなった。

なんでも経験がモノを云う。

かくしてモミジと柿の共演の図となった次第である。

これで、後はお餅があれば新しい歳は迎えられそうである。

カレンダーも残り少なくなった。

今年やり残したことをすべて片付けて、いい年の瀬と、希望に満ちた新年を迎えたいものだ。