奈良

不比等

古都奈良・修学旅行と世界遺産の街(その2761)

2024-04-29 08:15:00 | 奈良・不比等

北円堂を知らずして奈良の歴史は語れない

「日本製鉄名誉会長/三村明夫/私の履歴書」を読んだ。---------

日経新聞の私の履歴書には世に出た様々な人士の回想録が月替わりで掲載されるので/楽しみに読むことが多い。特に/幼少期の育ち(生育環境)に興味を抱いて読むことが多い。後半になると/当然だろうが/自慢話が多くなるので/興味はやや薄らぐ。生家の家系であるとかが詳しく書かれていると/“生れか育ちか”の事例に接するようであり/然(さ)もありなんと納得することが多い。-----------

三村明夫(みむらあきお1940生れ)氏は、教育熱心な家庭に三男として生まれ/中学校までは群馬大付属に通った。当然にして群馬県随一の進学校/群馬県立前橋高校に進み/東大(経済学部)卒。富士製鉄入社/1970新日鉄誕生/社内教育でハーバード大学留学/1972同大学院(ビジネススクール)修了。大分製鉄所勤務/冷延鋼板輸出/自動車用鋼板営業を担当。2001フランス鉄鋼メーカー(アルセロールミタル)との提携を纏めた。2003社長就任。社長任期中/中国の経済成長を受けて業績回復。2008会長就任。2013~名誉会長。---------

“鉄は国家なり”の/官営工場であった八幡製鉄と富士製鉄であり/天下の新日鉄/日本製鉄である。何苦労無く/これまで日本経済の中枢にあったものと思っていたが/三村明夫氏の私の履歴書を読むと/プラザ合意(1985.9.22)からの/長きに亘る日本経済の低迷期はジェットコースターのように/新日鉄の巨体をも揺さぶった。その大変な舵取りを/高炉の休止と従業員の大削減(リストラ)で乗り切って来られた。軽薄短小の産業は海外に移転したが/明治以来の重厚長大の産業は辛うじて日本に残ったと思った。

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