21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

禁酒法から学ぶこと

2007年03月27日 20時41分41秒 | Weblog
 西欧諸国では、反タバコ政策に従って,タバコ税が増税され続けている。所によっては、一箱が1000円を超えているらしいね。
 とりあえず、それによってタバコの密輸が増えているらしい。何と言っても、発展途上の東欧諸国では、一箱100円以下でも買える。何と言っても、利幅がでかい。それに、タバコ’そのものが違法な国は少ないので,麻薬の密輸に比べて、リスクも少ない。既に、十分に学ばれていると思われていたが,禁酒法中のアメリカから学ばなければならないことは、まだまだ多そうだ。

 健康被害が大きいモノを禁止する時は、法律で取り締まりをしたり課税/罰金制度を導入するよりも、教育’を通じて国民を賢くして行くことが大切なことのようだ。

消極的な嘘、、、

2007年03月27日 20時23分29秒 | Weblog
 嘘をつくのは良くないことだ。特に、研究者のように社会的信頼が高い人々は絶対に嘘をつくべきではない。(研究内容に関して) これは当然のことだ。

 あまり知られていないが,世の中には「消極的な嘘」ってモノもある。普通の嘘は人を騙す為にあるが,消極的な嘘’ってのは騙されている人を助けない時に使われる。最近の有名な例は、「あるある」関連だ。
 多くの研究者にとって,あの放送内容はかなり昔から信じ難いものが多かった。にもかかわらず,彼らは誰も声を大にしてそれを追求/非難しようとはしなかった。多くの視聴者が騙されていたにもかかわらず、彼は人々を見捨てていたのだ。

 まぁ、人生において「消極的な嘘」って言うのは結構便利なものだ。私には、使うべきなのか/使うべきではないのか、その結論を出すことができないと思う。

 いつの日か,誰も「消極的な嘘」をつかなくて良い日が来ますように。

とりあえず、今の所は「研究者も消極的な嘘をつくことがある」と言う前提に立って,しょうもない宣伝や広告に騙されないように、皆さん自衛して下さい。

義務教育の立て直し、

2007年03月27日 20時08分38秒 | Weblog
 「義務教育」って言われるヤツの義務’は、政府に科せられたものであり,国民の側にとっては教育を受ける権利’ってヤツだ。これは憲法にも書かれた日本国民の正当な権利であり,みんなもっとちゃんとそれを主張して行っても良いと思う。
 「詰め込み教育」って言葉もあるけれど,あくまで、教育は国民の権利なんだから,もし多過ぎる’って思ったんなら,そう思った個人だけがちょっとサボっちゃえば良いだけだ。国が他の人の学ぶ権利を奪ってまで、授業内容を減らすことには、何ら正当性がない。
 もちろん、サボっちゃった人’だって学ぶ権利は持ち続けている。そんな人達にために、みんながもっと気軽に初等教育から留年できる社会も作って行くべきだ。。。。となると,飛び級’も導入して良いのかもしれない。(詰め込み授業をものともせずに、飛び級してくるヤツが出て来たら、きっとそいつは社会性’が少しおかしいだろうから,そんな奴らのために社会生活/一般常識’を教えるための授業も新設する必要もあるかもしれない。)
 さらに意向を変えて,小学校への入学時期を4才~8才位の間で自由に選べるようにしても良いかもしれない。成長の速度、時期って言うのは人によって違う。彼らに学ぶ権利を100%活用する選択肢を与えるべきだろう。

 公営教育システムが疲弊していくなか、海外から優秀な人材を集めようって話もある。それも重要なことです。でも、既に立派になっちゃった人’を外から連れてくるのにはお金ががかる。もっと、国内にいるガキを育て上げることに興味を持ってみても良いんじゃないかと思う。グローバリゼーション下では、人的資材が国の行く末を決める。1000年前と違い、最近,地球は丸くなった。常に日本が「日の上る国」であることはないのだ。来週には、日本は「日の沈む国」になっているかもしれない。

アフガニスタン・イラク戦争への印象

2007年03月27日 10時19分41秒 | Weblog
 米軍のアフガニスタン侵攻、イラク侵攻について、「失敗する」と思っていた日本人は一体何割に上るのだろうか?
 前回の日本政府閣僚の発言を待つまでもなく、私の周りの人の中では、開戦当時から失敗についてのみ語られていた。「失敗後」についての議論はした事があるが,成功する可能性は、誰も想像していなかった。(とりあえず、内戦中の国家を立て直すためには、新都市計画が必要でしょう。)
 疑問としては,アメリカ人は本当に、成功を信じていたのだろうか?

 「失敗をしないように助言するのが’真の友人の役割’」と言う話があるが、日本はどうも米国の親友ではないらしい?

 アメリカの侵攻が成功すると信じていた人は、現地に’人間の盾’になりに行った人だけかもしれない。アメリカの侵攻と占領はうまく行っていない。内戦中の国では、「人の盾」なんて意味が無い。

タミフル使用中止の経済効果?

2007年03月22日 10時36分35秒 | Weblog
 タミフルは、インフルエンザの特効薬と言われているだけあって,治療効果が高い。通常ならば,最低一週間は発熱が続くところが、2/3日で治ってしまう。当然ながら,その分、解熱剤や栄養剤の使用量が減る。そうなれば,解熱剤の副作用の症状を抑えるための薬も必要なくなる。
 逆を言えば,タミフルの使用を制限することで,解熱剤/栄養剤等の売り上げが伸びることになる。当然,医療機関の売り上げも伸びる。そして、発病者の通院期間が長くなれば,その間の交通費も膨らむ。
 エイズでは,感染者は死亡もしなければ,完治もしないために,長年にわたって,発病を抑えるために莫大な時間と費用をかけることになる。
 タミフルを製造/販売している製薬会社にとっては使用中止は痛手だろうが,全体として,正の経済効果はかなり大きいことになるのではないだろうか?
 負の要因としては,病気が長引くために、感染が拡大する等して,完全に労働力を生かしきれないことが考えられる?

タミフルの使用中止を、

2007年03月21日 11時43分38秒 | Weblog
 タミフルを服用した未成年者の以上行動が次々と報告されている。医療機関は直ぐにでも、タミフルの使用を完全に中止するべきだろう。
 タミフルが無ければ,インフルエンザは治療できない。しかし、元々数年前まではインフルエンザは患者が体力だけで直していたものだ。治療薬タミフルを使わなくなった所で,少し後戻りするだけだ。
 確かに、インフルエンザの治療が遅れれば,脳症/肺炎等の深刻な病気を併発する恐れが、タミフルを使用する危険性よりも高くなり、死亡したり障害を負ったりするする患者の数が増加するだろう。しかし、それで医療機関の評判は落ちない。
 現在のマスコミ報道の状態では,タミフルを未成年者に使用して、彼らが以上行動を起こすのに比べて,タミフルを使用せずに彼らを見殺しにする方が、医療機関の評判が傷つく可能性は低い。医者と言っても人間だ。評判が悪くなって,職場が無くなれば,自分達が食べて行く事自体ができない。ここは一つ,涙をのんで見殺しにするべきだろう。

 過去には、「枯れ葉剤(DDT)」が使用禁止になった過去がある。マラリアを媒介する蚊や、その他の伝染病を媒介するノミ/ダニを駆除するのに、枯れ葉剤は大変に効果があった。そしてマラリアによる死亡者の数に比べれば,枯れ葉剤によって障害を負った乳幼児の数は数えられるほどしかいなかった。そう言う背景の中で,イメージを悪化させたために,枯れ葉剤は使用禁止になり,今でも毎年数十万人が発展途上国で,マラリアを原因として亡くなっている。エイズと違い、感染者は確実に短期で死亡するために、この指標が増加しないことも災いした。(感染者がそのまま長生きいていてくれれば,「総感染者数」が増加して,広告効果が上がる)

 医療機関にとっては,信頼/信用/評判が命だ。新薬/タミフル/予防接種・活動で障害者を出す場合に比べて,「重病」に罹ってしまった患者を見殺しにするほうが、日本社会にとって響きが良いのなら,タミフルを即刻使用中止にするべきだろう。

己の欲せざる所, 人に施す事なかれ

2007年03月21日 10時26分43秒 | Weblog
 って、まぁ基本的な考え方です。と言っても、学校・教育機関にではこの考えは当てはまらないと言われるのが当然でした。教員本人がやりたくないような宿題や、受けたくないような授業も、指導・学習と言う名目でまかり通るのが当たり前の世界になっていた。 しかし、これは本当なのか?
 教育は次世代の育成のためにある。彼らの能力を伸ばすために教育はあるべきで、効果がある以上、教員の自己向上のためにも役に立つはずだ。変化が激しい21世紀の教育現場で、これ以上の能力の向上は必要ない等と思っている自己満足的な指導者は直ぐに時代遅れになる。今は’生涯学習’が求められる時代だ。その上、’老化防止’の為の筋トレ/脳トレが推奨されている時代でもある。
 30年後の社会で生き残るための能力は、子供達に必要にされているが、大人達にとっても必要であることには変わりがない。にもかかわらず,学校に教員が児童と一緒に参加したくない授業があるのは何故か? それは教育機関として、将来を見据えられていないと言う事か? それとも、教員個人が自分の将来に諦めを持っていると言う事か?
 さすがに、運動部の指導者に、ずっと部員と一緒に走っていろとは言えないが、大人と言っても体力の衰えを防ぐために最低限の運動が必要だ。自分に体力をつけるためには、必要がないと思っているような練習は人にもやられるべきではない。
 教育機関の指導の内容は,指導者側が「自分達が教わる側でないことを後悔する」ような内容でなければならないのではないだろうか?

歴史を学ぶ/こと??

2007年03月19日 07時54分06秒 | Weblog
 「歴史」とは何か? そんなこと私には分からない。しかし、「歴史を学ぶ」ことについては自分なりの考えがある。
 「歴史を学ぶ」とは、’過去の失敗を教訓にし、将来の発展に生かすこと’である。次世代への歴史の授業は、決して’過去の失敗を覆い隠す’ことや’成功と繁栄の話し’になってしまってはいけない。
 ’過去の成功’にも、失敗しかけた場面は必ずある。それを学ぶことによって、将来に起こりうるであろう間違いを減らすことができる。失敗は決して隠してはいけない。

 確かに、「失敗を表に出す」ということは難しい。自分の子供への教育を考えた場合、その難しさが分かる。やっぱり、子供の中で、親は’絶対’でありたい。しかし、彼等のことを真剣に考えた場合、自らがおかしたことのある間違いを伝え、同じ間違いをおかさないように対話をしてみることが重要なのではないだろうか?

追伸
 私は「現代」をより良く理解するために、1920年代(世界恐慌/第二次世界大戦前夜)の世界史を勉強しなおして欲しいと思う。