21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

「潜在」待機児童数 170万人

2016年05月22日 21時43分56秒 | Weblog
 とある試算によると、潜在的な待機児童数は170万人らしい。
待機児童数を少しでも少なく見せたい政府としては、いろいろと条件を付けて統計上の「待機児童数」を減らしている。政府の統計では、待機児童数は4万人台である。つまり、約165万人の待機児童は統計的に無視されている。

 政府発表の待機児童数「4万人」の定義は明確である。非常に著しく緊急性の高い待機児童数である。
一方、待機児童数「170万人」の基準はよくわからない。


 単純に子供の数を見てみると、日本国内には約650万人の就学前児童がいて、全国の保育園の受け入れ規模は約250万人分である。シンプルに考えれば、この差「400万人」が待機児童数でいいのではないか?

 「170万人」の推計はどこから出てきたのだろうか?
保育園が受け入れられない400万人との差、「230万人」はどこに消えてしまったのだろうか?


 待機児童数を400万人と考えると、政府発表の数字は99%の待機児童を除外していることになる。

 待機児童の問題が解決しない原因は、明確である。待機児童を抱える「親」が仕事・育児に追われ、政治活動に参加できないからである。400万人の待機児童に対して「両親」は800万人  650万人の就学前児童に対して両親は1300万人。 祖父母まで含めれば、3900万人の有権者が待機児童の問題に関心を持っているはずである。

 3900万人が抱えている問題にもかかわらず、待機児童の問題は政治的な関心を集めてこなかった。その一方で、少子化の流れは止まらない。 かなり多くの日本人が、政治家を信頼していないことがよくわかる現状である。



 「少子化」の影響で、文部科学省が担当している小中学校では統廃合が進んでいる。教員の数も減らそうとしている。
 一方で、厚生労働省が担当する保育園では、400万人の待機児童の問題がある。

私には、不思議な矛盾を感じる。

次の日本銀行総裁は?

2016年05月22日 15時55分05秒 | Weblog
 黒田総裁の任期切れまで、まだかなり期間があるけれども、すでに気になるのは次の総裁候補である。

 アメリカ大統領選挙の候補者選びも、現役大統領の人気のど真ん中から始まる。
次の日本銀行総裁を今から考えるのは、早すぎないと思う。


 何といっても、黒田総裁は賞味期限切れだ。
1月に「マイナス金利」で失敗をしたことが大きい。2015年の最高値に比べて、日経225は5000円近く低く、米ドルも15円近く安い。ヨーロッパでのマイナス金利導入に比べて、黒田総裁のマイナス金利導入は、タイミング的にも導入手段に関しても、最悪だった。
 日本銀行の(というか、黒田総裁の)実力が露呈してしまい、市場から不信感を持たれるに至った。マイナス金利導入の失敗で、日本銀行は能力不足を宣言したに近い。


 安倍首相は、アベノミクス絡みで、インフレ率の目標を設定した。黒田総裁も、2年で2%のインフレ率達成を「コミットメント」していたが達成できなかった。民間企業であれば、コミットメントには責任が伴う。
 総理大臣が国民と約束したインフレ率の達成を実現することができなかった。責任問題があり、黒田総裁の再任・任期延長は難しいだろう。「白川デフレ」からの脱却途上で、日本銀行総裁を交代させるリスクもあるが、交代させないリスクのほうが高い。安倍首相の「インフレ目標達成」への本気度が疑われ、アベノミクスの信頼も失う可能性が高い。

(ちなみに私は、黒田総裁の残り任期期間中に2%のインフレ率達成は不可能だと思っている。


 黒田総裁が交代して「インフレ目標」「量的質的金融緩和政策」はどうなるだろうか?
戦前、昭和恐慌の時は、高橋是清総裁が交代することで金融緩和政策が転換され、日本経済は混乱に陥った。
 その際の教訓が残っているだろうから、同じ過ちを今回繰り返す可能性は低い。と思われる。が、「白川デフレ」の問題も含め、日本銀行は過ちを繰り返す組織だ。どうなるか、分からない。突然に、金融引き締めに舵を切る可能性も否定できない。


 理想としては、市場との対話を進めながら金融緩和拡大を続けられる人に総裁になってもらいたい

原爆投下は正しかったのか?

2016年05月21日 13時59分35秒 | Weblog
1945年の米軍の原爆使用は正しかったのか?

 広島の原爆でも、長崎の原爆でも、多くの民間人が犠牲になっている。東京大空襲と同じぐらいの市民が犠牲になっている。

 一方、戦争中の最大の死因は病気や餓えなどで、日本軍が市民を搾取したことが原因となっている。戦争中、「日本人」は「米軍からの攻撃」と「日本軍からの搾取」で二重の苦しみを受けた。


 単純に数だけを比較すれば、米軍に殺された日本人よりも、日本軍に殺された日本人のほうが、圧倒的に多い。
 戦争中に日本軍は、アジア各国で苛烈な搾取を行った。現地住民だけでなく、多くの一般日本人もその犠牲となった。

 統計の数字のみを客観的にみると、日本人の最大の敵は「日本軍」であり、米軍や外国人ではなかった。

 一般日本人達は、自分たちの生活を守るための「反政府組織」をなぜ戦時中に作れなかったのか? 日本軍からの搾取に対抗できる組織があれば、戦争の犠牲者はもっと少なかったかもしれない。




震災後、熊本の文化財保護

2016年05月21日 09時47分51秒 | Weblog
 度重なる地震で熊本の文化財が被害を受けている。
何とかしないといけない。できるだけ早くきれいに直したいと思う。


それでも、震災から1ヶ月程度しかたっていない今日、「50億円以上をかけて文化財を直し始めている」と聞くと、かなり違和感がある。

 被災地って、建築作業員が余っているの? 仮設住宅は十分にあるの?
 道路、病院、上下水道、学校施設等の修復は終わったの?
 予算も余っているの?


被災者の生活よりも、文化財の修復が優先されているとしたら、私には違和感がある。

ニュースを見ていると、北朝鮮で貧しい市民を無視したまま、高額のモニュメント建設が進んでいたりする。熊本の文化財修復のニュースをみると、同じ印象を受ける。


市民の命よりも、文化財の保護が優先ですか? 私は、文化財保護よりは市民の命を優先したい。

それとも、被災地では建設作業員も予算も余っているのかな???


私も文化財の修復は大切だと思う。
だから、文化財の保護にかかる費用は、クラウドファンディングを使って広く有志から集めるべきだと思う。しっかりと使用方法を明示して、結果説明責任も果たすべきだ。
被災者の生活再建と関係のある予算からは出すべきではない。



 クラウドファンディングで有志から資金を集めて、事業者側もしっかりと説明責任を果たせば、きっと結果は変わるはずだ。
 密室で予算が決まり、効率性も考慮されないままバラ撒かれてしまえば、貴重な文化財も悪名が立ち、文化的な価値が減退してしまう。

経済優先か、憲法改正優先か、

2016年05月21日 09時34分22秒 | Weblog
 民進党が、消費増税の先送りを訴える一方で、
 自民党側の最優先事項は、憲法改正

次回選挙の争点は、
経済回復優先 対 憲法改正優先
となりそう。



有権者がどちらを選ぶのか? 想像がつかん。
投票率はずっと下がり続けている。組織票が強い側が押し勝のかな?

いずれにせよ、政治の間違いは、投票するしないにかかわらず国民全体が負うことになる。

復興支援としての金融政策

2016年05月03日 11時48分46秒 | Weblog
 大地震が起きると、円高になる。
理屈は単純で、復興資金が海外から日本に流れ込むからである。

まず、大企業が再建資金を海外からも集める。(もしくは海外投資に回す予定だった資金を国内で使う)
中小企業も、資金を集めて再建費用に充てる。もしくは海外への投資を抑える。
個人も、海外資産を引き上げて住居の再建に充てる
保険会社は、保険金の支払いのために海外への投資分を引き上げる。もしくは海外への投資を抑える。
そして、世界中から寄付金が集まる。義援金が集まる。無償の支援物資が集まる。そしてその分だけ、有償の輸入製品が減る。


 しかし、円高が進みすぎることは、支援者にとって良くない。
例えば、1000万ドルの寄付金があるとする。 1ドルが110円であれば1000万ドルは、11億円になる。しかし、1ドルが95円になると、1000万ドルは9億5000万円に減ってしまう。
 為替の影響で、1億5000万円の資金が消えてしまう。


どこに行くのか? 地震で円高が進むと予想して「円買い」に賭けている博打打ちのポケットに入る。善意の資金が、強欲な人に流れ込んでいく。 それで良いのか?

 私は、よくないと思う。人々の善意が、一部の人の私腹を肥やすことに使われるのは間違っている。

 対策はある。単純な対策がある。日本銀行が動けばよいのである。
4月28日の時点で、一切の対策を発表しなかった日本銀行に私は失望している。多くの人が失望した。そして、5円以上の円高が進んだ。




 日本銀行がとるべき対策は、「義援金を日本円に両替するときに、相対取引で対応すること」である。単純である。
 対象を被災企業、被災個人、保険会社、慈善団体に限定して、義援金・復興資金の両替申請を受けつける。その両替の依頼に対して、為替市場を通さずに、日本銀行が相対取引で対応すればよい。この際適応する為替レートは、2015年の中央値にする。


 一部の強欲な人達が、慈善資金で私腹を肥やそうとしているのは、為替市場を通してである。つまり、復興資金が為替市場に入ることなく、日本円に両替されれば問題を防げる。

 必要とされる資金は、5兆円程度かと思う。大した額ではない。日本銀行は、毎年80兆円の国債を買い集めている。その16分の1の資金を投入すればよいだけである。 また、後々円安が進んだタイミングで、「円の買い支え資金」として使用すれば「為替差益」が期待できる。



 「為替市場」に介入するのは難しい。為替市場は規模が大きい。そして、「為替市場」に介入する場合、諸外国からの批判が大きい。

 被災者、被災企業、援助団体を支援するために、無駄金を使って、為替市場に介入する必要はない。
 復興資金を日本円に両替したいと思っている人達だけを対象にして、日本銀行にできる金融支援がある。必要な資金もわずかである。

US$1=95円へ向かう

2016年05月03日 11時22分52秒 | Weblog
 中央銀行の存在意義とは何か? 19世紀・20世紀前半の教訓から、なぜ中央銀行は誕生したのか? それを考えてほしい。

 「市場」は長期的な視点に立てば、完璧にふるまう。しかし、短期的な場合はノイズを生むことがある。特に、AIが市場取引の中心に出てきたために、1m秒のような超短期間で市場が非合理的な動きをすることが増えた。

 中央銀行が設立されたのは、そんな市場のノイズを修正するためだったのではなかったか?
「長期的には市場は合理的にふるまう。しかし、短期的には市場は非合理的な動きをする。そして、社会に悪影響を及ぼす。バブル発生や世界恐慌など。短期の非合理的な市場の動きを抑制することで、社会を安定させる」ことが中央銀行に求められる役割ではないのか?

 「市場の動きに任せる」だけでは、中央銀行の存在価値はない。



2016年5月の外国為替市場には円高圧力がかかっている。
 主な要因は、熊本での地震と、その復興費用の流入である。 義援金、支援金、保険金、等々、repatriationと呼ばれる資金の流れがあり、円高圧力をかけている。

 特に東日本大震災後、地震保険の加入率が上がったこと。そして、今回は計1000回を超える余震の影響で全壊した住宅が多かったことから、保険金の支払額が膨らむと予想されている。


1997年の阪神大震災後に80円を超えて進んだ円高
2011年の東日本大震災後に75円台に進んだ円高
今回は、そこまでの円高は進まないと思う。

日本銀行が異次元量的金融緩和を継続して、年間80兆円の資金を市場に供給している。円資金は国内市場に余っている。また、マイナス金利導入で円安に市場が向いている。
 そのため、中立的な為替水準が110円前後まで円安に振れていると考える。

 その上で、地震による復興資金の流入を考えると、最大で15円程度の円高が進むのではないかと考える。つまり、対米ドルで95円台まで円高が進む可能性が高い。

 この「95円」って数字は天変地異(地震)の影響で市場が極端に振り回される場合の「最大値」である。当然ながら、「長期的に合理的な為替水準」ではない。

 つまり、中央銀行が設立された目的が「市場の短期的な暴走を抑制する」ことであるならば、為替介入をして極端な短期的円高の進行を抑制するべきだ。
 多くの人は、そう考えている。

 そのため、4月28日に日本銀行が「追加緩和政策を見送った」だけでなく「復興支援の金融政策を発表しなかった」ことに失望した人が多かった。それが、1000円を超えるNikkei225の暴落、5円を超える円高につながっている。



 求められているのは、「復興支援としての金融政策」である。「為替市場に介入」する必要は全くない。米国からの非難を抑えることもできるだろう。
 日本銀行の金融政策決定会合以前のブログにも具体策を書いたが、別のブログに繰り返し書きたいと思う。