21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

鹿をさして馬となす

2011年10月30日 16時38分22秒 | Weblog
『史記』からの故事成語で、「馬鹿」の由来。


絶対的権力を利用して、教科書の内容に矛盾を感じる児童・生徒を排除する「詰め込み教育」に通じるものを感じる。


教科書の内容に異議を唱えることなく「受験戦争」を勝ち抜いたエリートが日本社会の中心に座り、日本経済が20年以上も低空飛行を続けていることに不思議はないのかもしれない。

絶対にあたる為替予想

2011年10月23日 21時05分06秒 | Weblog
「米ドルは76円を割り込んでドル安が進まなければ、76円以上で推移するでしょう」

って、絶対に外れない為替予想。

当たり前の話だけど・・・。

「負けない限り勝てる」っていうのと似てる。



ネット・ウエブ上だと、そんな感じの文章が多いね。


戦後最安値を更新して、75円78銭をつけたらしいけど、今後はどうなるのかな?

「米ドルは76円を割り込んでドル安が進まなければ、76円以上で推移するでしょう」
ってことだけは、間違いなく分かっているんだけど。


自国通貨高は永遠に続いてくれるのであれば、国益にかなう。

ただ、通貨高が続くと、国内産業の空洞化が起きて、国際収支化悪化して、将来的な通貨「安」の原因になる。


将来の極端な通貨「安」を防ぐために、今はバランスを欠いた通貨「高」を防ぐ必要がある。






通貨高のタイミングで「外貨買い」を行い極端な円高を抑える。
そうすることで、外貨準備を増やせる。

外貨準備が増えれば、将来的に「通貨安」が進んだ時に、「外貨売り」介入をする減資を得られることになる。



サラリーマン職場の「共有地の悲劇」が起きている以上、柔軟な対応は難しいだろうなぁ・・・。

失敗から学ばない

2011年10月19日 22時49分02秒 | Weblog
財政問題の解決策は無数にある。

「だから財政破たんはしない」ってことはない。

むしろ解決策が豊富にあるからこそ、どの対策を採用するかモメる。

結果として、財政破綻する可能性は高いと言える。




第二次世界大戦は敗戦だった。

今から歴史を振り返ってみると、立ち止まり決定的な敗戦に陥る前に取れた対応は多かった。

しかし、結果として、当時の政府はほとんどの対応を取らなかった。そして敗戦に至った。

当時を生きていた人の中にも、敗戦を予感し、食い止めるための手立てを考えていた人は多かった。しかし、彼らは考えていただけで行動に移さなかった。そして「敗戦」となり数百万人が犠牲になった。

イタリアでも、ドイツでも、国内に反政府活動が広がった。連合国が入ってくるまで、中央政府を倒そうとした国民はいなかった。

今でも同じである。政府を変えようとするほどの「大規模なデモ」は起きない。





私も傍観者である。対策を持っていても行動には移さない。結果として国家は破綻するかもしれないが、それでも私は傍観する。





「総評論家時代」ともいわれる。傍観者ばかりが多く、実践者がいない。
思考を重視する朱子学を捨てて、行動を重視する陽明学を取り入れる必要がある。

過度な変動を警戒する。

2011年10月16日 09時38分25秒 | Weblog
「為替の過度な変動を警戒する」と言っても、どのレベルで対応が取られるのか読めない。


ユーロで言えば、ここ10日間で7%近く変動していても、対策が取られる雰囲気はナイ。

10日で7%なら、1ヶ月約23%の変動になる。

77円の米ドルが、23%安くなると、約60円。

一か月後に、米ドルが60円になっても「過度な変動」とは言わないのか?


基準が分からん。

ふむ、ふむ、

2011年10月14日 22時07分36秒 | Weblog
急激な円高が進んでも何もしない。

急激な円安が進んでも何もしない。



1ヶ月間で為替が10%も動いたら、M&Aを計画するにしても大変で仕方ない・・・。
安い買い物の予定が思わぬ高値になる可能性もある。

1週間で為替が5%も動いたら、円高を利用する計画を進めるヒマもない。





教科書に出てくる「完全市場」であれば、為替の動きはできるだけ市場の流れに任せるべきだ。
現実の市場は、思惑だけで投機資金が動いている「不完全市場」だ。

適正な価格に誘導する必要がある。

仮設住宅孤独対策

2011年10月02日 23時05分16秒 | Weblog
仮設住宅には、風呂もついていて、キッチンもしっかりしている。

自力での外出が難しい高齢者には、ボランティアが買い物を代行したりしている。

それぞれのサービスは素晴らしい。

けれども、「合成の誤謬」として、孤独の問題が上げられる。

仮設住宅入居者同士の近所づきあいが・・・。仮設住宅には、近隣住民が近所づきあいをする「必要性」が無い。

入所者は「孤独」に、誰とも会うことなく、生きていける。


家族と同居している人、職探しをしている人、もしくは仕事をしている人は、仮設住宅街で人と触れ合うから、問題ない。

生活保護を受けている人、年金生活をしている高齢者は、部屋から出る必要性が無い。
その結果として孤独に陥る。

地震や津波で、家族全員を失った高齢者が、部屋で孤独に時間を過ごすのは、精神衛生面上良くない。


家族向けは別として、個人用の仮設住宅の設備は、風呂ナシ・簡易キッチンにして、仮設住宅そばに、「仮設銭湯」「仮設食堂」を建てるぐらいの工夫は欲しかった。




風呂に入る必要性、食事をする必要性から、孤独に暮らしている人も外出するようになる。人と会うようになる。人と話をするようになる。家族を失った哀しさを人と共有できるようになる。1人で悩むことが無くなる。



全ての仮設住宅に風呂がついてれば「便利」。でも、便利であれば全てが良いわけじゃない。

精神衛生面、体力維持の観点からみれば、少し不便な生活を用意して、住んでいる人が部屋から出て体を動かす(歩いて買い物に行くとか、ラジオ体操をするとか)機会があるようにする。人と触れ合う必要性が出るようにする程度の工夫は欲しかったかもしれない。



孤独死対策とかはどうなっているんだろうね? 仮設住宅では阪神淡路大震災の教訓を生かして、孤独死対策が進んでいるらしいけど。既存アパートを避難先として選んだ高齢者は、近所づきあいが無い地域で暮らしている。3年後とか、孤独死が問題になりそう。