21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

コンパクトシティ化 構想

2016年03月07日 08時14分10秒 | Weblog
 人口が減少し始めている地方都市では「コンパクトシティ」って構想がある。
人が少なくなる分だけ街を小さくして、行政コストを抑える目的があった。

 しかし、現実では「補助金+ハコもの」のバラ撒き事業化している。

 利用者を無視した「郊外開発」が失敗したように、住民を無視した「市街地の再開発」も失敗する可能性が高い。

 誰も近づきたがらない市街地を作っても、コンパクトシティ化にはつながらない。
人が集まりたくなる仕組みが必要だ。 必ずしも「ハコもの」を建設する必要はない。




 一方で、東日本大震災の被災地では、居住地の分散化が進んでいる。
表向きは、「被災前に住んでいたところの近くに戻りたい」との被災者の希望を叶えるため。
となっているが、本音は「復興予算を無駄に使い切りたい」ってことだ。

津波対策の防波堤にしろ、地盤のかさ上げにしろ、上下水道整備にしろ、送電網整備にしろ、道路整備にしろ、
住民がまとまって住む場合は、まとめて工事ができていしまうため、少ない工事費で足りる。
住民がバラバラになれば、それぞれで工事が必要になり、工事費が膨らみあがる

住民がまとまって住む場合は、出会いが生まれ、助け合うことができる。運動会や祭りなどのイベントも再開できる。
住民がバラバラになれば、個人個人で生きていくことになる。面倒な近所づきあいはなくなるが、地方都市では「助け合える仲間」がいなくなるリスクのほうが多い。



 コンパクトシティ化構想にしろ、被災地復興にしろ、
そこに利用者への思いやりや、将来設計、計画性はない。いかに多額の建設予算を使い切るか? そこに行政の視点がある。 次世代の地域住民に残されるのは、使い道のない空家と地方債務だけになりそうだ。