21世紀航海図;歴史は何も教えてくれない。ただ学ばない者を罰するだけ。

個人の時代だからこそ、個人を活かす「組織」が栄え、個人を伸ばす「組織」が潤う。人を活かす「組織」の時代。

リスクを取れ!!!

2008年06月03日 08時48分27秒 | Weblog
リスクを取って、積極的に投資をしていかなければ、競争力を維持して経済成長を続けることはできない。が、、、、

投資を促進する目的で、投資家の責任は出資額に限定されている。たとえ、化学工場が爆発し地域に大打撃を与えたとしても、会社を倒産させてしまえば投資家はそれ以上、その地域の再建に責任を持たなくてよいのである。四日市の郊外では、チッソは地域の再建に資金を拠出し続けるためだけに国の支援を受けて存続した、そしてしている。責任は投資家にあるが、企業の失敗の対応は、国・国民全員がするのである。その点で、企業は過剰にリスクをとり利益を最大化しようとする。ように法律ができている。(現実には、日本企業の最大の目的は「利益」ではなく「長期的存続」になっているため、問題は起きていない。)

そして、企業は社員に失敗の責任を取らせることができない。小さな間違いの話じゃない。たとえば、フランスの銀行ソシエテ・ジェネラルのある社員は、個人で社員に1兆円を超える損害を与えたが、企業側ができるのはその社員を首にすることぐらいだ。まぁたとえ、1兆円の損害賠償が請求できたところで、その社員に自己破産されてしまえばそれで終わりだ。特にボーナスの制度が社員個人の業績に基づいている場合、社員は過剰にリスクを取って収益を最大化しようとする。失敗して1千万円の損失を出しても首になるだけだが、成功して1億円の利益を出せば数千万円のボーナスが期待できるからだ。(現実には、終身雇用制度と並列のボーナス制度が日本人社員が不必要なリスクを取らないようにしている。)


経済界がリスクを取れるのは、最終的な責任を(工場が爆発しようが、バブルが崩壊しようが)国がとることが大前提となっている。しかし、世界は政治家にも過剰なリスクを取らせようとしている。たとえばテロ対策。テロ対策を強化しようとする(予算がかかるし、検問ができれば経済交流が阻害される)政治家は人気が出ないが、テロが起きた後にテロリストを追求する政治家(アフガニスタンを侵略したり、イラクに攻め込んだり)は人気が出る。バブル対策。バブル潰しをする政治家は株価が上がるのを邪魔するとして嫌われるが、バブル崩壊後、対策として公的資金を大量に注入したり・小切手を印刷したりする政治家は人気が出る。疾病予防でも同じ。病気がはやり始まる前から、副作用が出るかもしれない予防接種と推奨する政治家よりも、病気がはやり始めた後になってから対策を取り始める政治家に人気が出る。しかも人気者が権力を握る民主主義下、この傾向には拍車がかかる気がする。

いや、この傾向には既に拍車がかかっている。問題点を指摘し、危機感をあおり、対応力を誇示する政治家は多くいるが、問題の発生を予測し予防に尽力する政治家はほとんどみない。地球温暖化問題を考えてみてほしい。既に起こってしまっている「空気中の二酸化炭素の増加」を問題視し危機感をあおり、二酸化炭素の排出量を削減しようと努める政治家はいても、地球温暖化が起こることを前提に、海面が何m上がるのかを予測し、その後の対策、土地の利用策を提案する政治家は出てこない。首都東京の一部が海に沈むなら、土地の利用方法を検討し直さなければならない、そして、別に海面が上昇しないならわざわざ苦労して二酸化炭素の排出量を削減する必要をする必要はない。

バブルの遺産、

2008年06月03日 08時47分20秒 | Weblog
日本の平成バブルの崩壊は「後悔」と「平成不況」以外の遺産を何も残さなかった。残ったのは、不良債権と地方で乱開発された自然環境、それに維持費ばかりかかる公共施設である。そして、企業のみならず公共団体も負債を隠していたために、資産価格が再投資に適するレベルに下がるまで時間がかかり、不況が長引いた。

フリードマンの「フラット化する世界」によると、アメリカのITバブルの崩壊では地下に施設された大量の光ファイバー・大容量の情報通信インフラが遺産として残り、再投資も受けて、その後の経済成長の基盤となった。

将来、2007年のサブ・プライムローン・バブルの崩壊では何が遺産として残った、と言われるのだろう。単純に考えれば、アメリカ全土に建設された大量の「住宅」と言うことになる。国境にフェンスを建設しようとしている現状では無意味だろうが、アメリカの移民政策が変った場合、空家として残った大量の住宅が移住者の受け入れ基盤として力を発揮して経済成長を助けるのではないかと思う。すでに住宅価格は十分に下がりきり、再投資に適する価格になろうとしている。空っぽになった住宅街丸ごとを買いたたき、設備を整理し直し、移住者に合うように改装し(日本人向けの大きめのバスタブ? 中国人向けのキッチン? インド人向けの大部屋?)、売り出せばよいのである。電気代を抑えるために、太陽電池・風車をつけたり、インターネットの回線を強化したり。郊外にあり、ガソリン代が高騰した(と言ってもガソリン税が無い分、日本よりも欧州よりもかなり安いが)ために、通勤者には向かないというのなら、老後過ごそうとしている大量の超裕福・中高年を対象にすれば良いのである。

アメリカ経済の景気回復は08年7月に始まる。

非暴力・不服従は成り立つのか

2008年06月03日 08時46分37秒 | Weblog
インド・ガンジー、米・キング牧師の平和的抗議活動とその後のインド独立・人権状況の改善を持って、非暴力・不服従の理想を語るバカがいるが、現実を全く理解していない。

非暴力では人権を回復することも独立に得ることもできない。インドの独立の要因は第二次世界大戦後の大英帝国国力の減退だ。国力が衰えていたイギリスは世界中に点在する植民地を物理的に維持することができなかったのである。インドの独立とガンジーの運動には関連はない。同時期に、オーストラリア・ニュージーランド・南アフリカ・エジプトも大英帝国から独立している。その一方、ガンジーの平和的運動に効果があったとするのなら、インドとパキスタン・バンクラディッシュが分離独立して対立しはじめるはずがないが、実際インドとパキスタンは敵対してきた。ガンジーの理想は「大インドの平和的共存」だったが、現実にはカシミール地方の国境争いに始まり(一部を中国にもってかれ)、数々の戦争を経験し、今インド・パキスタンの両国は核保有国になっている。(もしかしたら最初から、ガンジーは第インド圏に二つの核保有国を成立させたかったのかもしれない。さすがは「平和的」運動家!!)。私の主張は違う。大英帝国は自国が植民地を維持できないほどに弱体化していることを隠すためにガンジーを利用したのだ。ガンジーの偉業はマスコミが作り上げたものであり、虚像である。イギリスとしては「武力独立派」に屈してインドの独立を認めたと世界に見られるのを恐れた。そのため「平和的独立派」のガンジーを政治的に利用したのだ。大英帝国の国力に余力のあったボーア戦争・南アフリカ侵略戦では、イギリス軍は武装・非武装を問わず抵抗勢力を皆殺しにしている。第二次世界大戦での消耗がなければ、ガンジーの「塩を求める行進」参加者はマシンガンで一掃されていたと思う。

キング牧師の活動も似たようなものだ。黒人優位主義者による暴力的抵抗活動に手を焼いていたアメリカ政府が、武力に屈したと見られずに、黒人大多数の代表と和解して黒人暴動に対処したいと考えたために平和的運動を続けていたキング牧師に白羽の矢が立ったのだ。「人権」って言葉があるが、100年前の黒人達の人権を守る活動は、現代のクジラの生存権を守る活動ほどに活発ではなかったでしょう。まぁ、日本人の伝統文化(人権)への尊敬もなく、クジラの人権を唱えられても困るんだけど、黒人の人権保護活動をしていた人たちは本当に彼らを「人」と考えていたのですか? 私には分りません。黒人は平和的な活動を続けていただけでは、おそらく無視され続けていただろうと思う。

人権活動家とクジラ保護活動家・菜食主義者を比べるのは間違っていると、私は思います。でも「なぜ、間違っているのか?」、人によって二通りの考え方があると思う。

 それそれで。チベット・ラサで暴動が起きるまで、ダライ・ラマは無視され続けていた。それ以前に、軍事力を持つインド政府が英米と協力して、中国の南下を牽制するためにダライ・ラマの亡命を受け入れなければ、平和的に自治権拡大を求める坊さんは、どこかで中国に暗殺されていただろうし、ノーベル平和賞も受け取れなかっただろう。

汝自身を知れーーー

2008年06月03日 08時45分45秒 | Weblog
ソクラテスの言葉に触発されて、私自身について考えてみました。私は誰ですか?

「あなたは誰ですか?」と聞かれれば、何と答えますか?
まずは名前でしょうが、別に名前が変わったところで、私が私であることには変わりない。名前は記号であっても、私の正体ではないでしょう。それこそ、納税者番号を答えているようなものです。

次は職業でしょうが、私は別に天職についているわけではないですし、暇つぶしにブログを書いているからと言って「作家」と言うわけでもないでしょう。ほとんどの課題は、計画的に努力をして乗り越えてきたので、転職しようと思えば、どんな職にも就くことができると思います。かと言って、今の職が天職でもなければ、これからなってみたいと思っている職業があるわけでもありません。とりあえず、ソクラテスの言葉を思い直してみている私は哲学者です。(笑)

趣味は? 今の私の趣味は、今の私を語るのに相応しいでしょう。趣味にはその人の現状が現れるものです。だからこそ、私の深層・普遍的な面を考えた時、趣味を語ることは間違っていると思います。

あと、出身地でも行ってみますか? 確かに、生まれる場所が違えば、私の人生はかなり変わったものになっているだろうと思いますが、私の故郷はどこでしょう。母が出産した産婦人科がどこにあるは知っていても、引っ越しも何回か経験しましたし。どの場所での経験が今の私に最大の影響を与えているのでしょうか? 関西弁も話せますが、かと言って共通語を話せない訳はないですし、言ってしまえば英語も話せます。

私は両親の子供で、祖父母の孫です。彼らの内、もし戦争とかで誰かが死んでいれば私は絶対にここにいません。とう言う意味で、私は幸運な人間ですが、同じぐらい幸運な人間は日本中に無数にいます。また、同じように私と同じぐらい不幸な人も無数にいるでしょう。そして、私より幸運な人も不運な人も世界中にあふれています。人を助けたことも、人に助けられたことも沢山あります。そして、一人でさみしい思いをしたこともあります。私の祖先の中には、大成功をおさめた方もいれば、大失敗をした方もいると思います。それこそ、豊臣秀吉の父は乞食で、本人は天下人で、子供は殺されています。人それぞれ、先祖もそれぞれです。

年齢は、儒教の年功序列が影響力を持っている社会でしか意味を持ちません。年齢では世界での私の位置を語れないのです。誕生日も私を語る一つのものですが、地上に60億人いる内、誕生日が同じ人は2000万人近くいます。そして、血液型の場合15億人は同じ血液型を持っていると考えて間違いないでしょうし、星座・干支では5億人と一致するはずです。「これが私だ」と言うような明確さは出てきません。


私は誰ですか? 今までの長い人生で、私は私を分かっていません。おそらく今後も、死ぬまでには自分自身が誰かわからないでしょう。まぁ、それで良いです。考えるのも面倒くさい。そして、ここで面倒くさいって思っている私は、「今」の私であって、「明日」の私はわかりません。

あなたは誰ですか?

アフガンの呪い

2008年06月03日 08時44分47秒 | Weblog
アフガニスタン侵攻を諦め、軍隊を引き揚げた直後にソビエト連邦は崩壊した。これを受けて、オサマ・ビンラディンは「イスラム聖戦士がアフガニスタンでソ連を打ち破り、ソ連の崩壊を引き起こした」と勘違いした。そしてその後、「最強」のイスラム聖戦士の敵としてアメリカ合衆国を選び、アフガニスタンでアメリカも打ち破れると思い込んでいる。とか書いている記事を読んだことがある。記者はおそらく「文明の衝突」を読んだ誇大妄想主義者だと思う。しかし残念ながら、完璧な戦略家が計画的に策動して歴史を動かしているわけじゃない。現実の社会は間違いも起こす人間が、思い込みや感情に動かされながらそれなりの判断を積み上げて進んで行く上に成り立っている。それを超・簡略化することで本質が見えなくなっているのだとおもう。

しかし、この中に出てくる「アフガニスタンでビンラディンと戦うと超大国が崩壊する」って言うのは意外と合っているのではないかと思う。少なくとも(直接的な要因は経済運営の失敗だったとしても)ソ連は崩壊した。そして、アメリカの国力もアフガニスタン侵攻後、着実に減退してきている。(直接的な要因はブッシュ大統領の失策だとしても)経済成長は減速し、ガソリン高・食糧高が確実に米国民の消費体力を奪っている。景気対策に赤字国債を大量発行して支出を増やそうにも、すでに戦時出費がかさみ財政に余裕がなくなっている。今、アフガニスタンから(っていうかイラクから?)撤退すると戦時特需で好況に沸いていた産業が全滅しかねない。(経済理論上は、利益を生み出さないような産業が存在すること自体無駄なんだから、全滅してくれた方が良いんだけどね。)そして、アフガニスタンから撤退したソ連のように崩壊するのだ。(笑)

と言っても、「超大国」を打ち負かす敵は存在しない。ソビエト連邦も「ロシアの独立宣言」から内部崩壊した。だから、アメリカ合衆国が崩壊するとしたら、州政府のいくつかが独立宣言を出すときでしょう。現状で合衆国から独立宣言を出す州があるかと言うと、無い。かな? ニューヨーク市長のブルームバーグはクセ者だとして、フロリダ州知事はブッシュ弟だし、カリフォルニア州知事のシュワちゃんは根からの共和党員だし。(民主党員・オバマさんとか?・が大統領になったら独立しちゃうかな?)州によって、保守派が強い所と自由主義派が多い所がある。かと言って、みんな学校で南北戦争の悲劇と無意味さについて学んでいるはずだし。って、公立教育制度は機能していたっけ? ローマ帝国は東西に別れたあとさらに分散化して行ったけど。州によって平均収入の格差も激しいよね。


さて、はて。
備えあれば、憂いなし。