Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

こわいと思うことをやってみること

2010-12-30 | フォルテネージュ

ちょっとこわいと思うことをしてみたの
ある人に対する、ある種のアプローチ


過去、私はその結果、撃沈して、思いっきり挫折感を味わった
だから、それを諦めて、封印していたんだけど、

でも、また新たならせんがめぐってきたから、
勇気をもって、再度、やってみたんだ

今度は、大丈夫って、思いながら・・













でもね、
結果がすぐに出なかった
無反応だったんだ

何を感じたのか、
何を思ったのか、

その人は何も返してこなかった















私は、この手応えのなさをどうとらえたらいいのか、分からなくて、

やっぱり、自分の勇気は無謀だったのかって、
打ち砕かれた気持ちがした

前と違うから大丈夫って期待したのに、裏切られたって思った


無反応なその人を責めてしまう自分がいた














でもね、誰もが陥りがちなそんな幻想を、ちょっと遠くから眺めてみたの

外側に見る世界は、
すべて、自分の内側の投影でしかないんだ


私がその人に見ている、<無反応>や<他人の期待に応えない>っていうのは、
全部、私、自分自身のことなの
自分の中にあって、自分が受け入れられずに、無視して、周縁に追いやっているものなんだ


だから、今、ここで、私は、
<無反応な私>、<他人の期待に応えない私>に、
ひたすら、水をやるように、愛と光を注ぐことにしたの

ホオポノポノの4つの言葉をつぶやいたりもしてね













不思議なことに、
相手を責めずに、自分に向かうと、ちょっと、落ちついてくる
抜けていったカラダのチカラが戻ってくる感覚があったよ

















そしたら、数時間後、
反応が返ってきた

とても無邪気で親しみがこもってて、
私は、さっきまでの<超リアルな被害感>が、一転して幻になったのを感じて、

やっぱり、これからも、この種のプチ冒険はやめられまへんなぁって、思ったんだ















隙間に入り込む快感

2010-12-29 | フォルテネージュ


フォルテのポジショニングは、とってもユニークなんだ

たとえば、
私が洗濯物を取り込んで畳もうとしていると、
広げた洗濯物と私との間に入って来る

私が壁際に座っていると、
壁と私のわずかな隙間に入り込んでくる


他にも、
寝ている夫と私の間に入ってきたり、

リビングに並んでいる鉢植えと鉢植えの間に、お座りしていたり・・ 




そう、何かと何かの間の、狭い場所に入るのが、ものすごく、好きみたいなんだ














そんな姿を見ているとね、
フォルテが、私に、サインを送っているように感じるの

















何かと何かをつなげること
隙間を埋めること

橋渡しをして、つながりをつくること



家庭裁判所調査官って仕事もそうだったけど、
専門分野を分かりやすく、かみ砕いて、利用者に伝えることって必要だと思う


私の周りに、なぜか通訳や翻訳の仕事をしている人が多いのも、そういうことなんだと思う


ベストセラーの「もしドラ」ってのもそう、
世界情勢のことを分かりやすく解説しているテレビ番組もそう、

科学実験のでんじろう先生や、
さかなクンにも、感じる、この感触

戦場カメラマンの彼がバラエティ番組に出演しているところとか見ると、
ものすごく、心が刺激されるんだ













学問分野を学者だけのものに終わらせたらもったいない
とくに、心理学なんて、人類ひとりひとりに実感できるものじゃなきゃ意味がないじゃない

ミーハーとスピリチュアルだって、両立できないわけはない

タオイズムでも、OSHOの言葉でも、量子物理学でも、
人の生活に役立つものは全部、もっと、分かりやすく、語られることが、必要とされていると感じるから、


かなり前から、決めているんだけど、
Manaさんにも、メッセンジャーの役割をすることを申し出たように、
私は、ニッチを埋める存在であろうと思うんだ

 

だって、それって、かなり、気持ちよさそうなんだもん















師走のコペ転

2010-12-28 | フォルテネージュ

いやあ、ビックリした
その人のその言葉は、この年末に来て、私の今年の出来事ベスト3に入るほどの衝撃だったよ

世の中にそんなことを言う人がいるなんて、
信じられなかったのさ











 

 

「私は、無条件の愛なんて、要らないの。」











 

 

誰もが、愛に飢えて、愛を求めているこの時代に、
そんな言葉を聞くなんて、思いも寄らなかった

きっと彼女は、無条件の愛の何たるかを知らない、とんでもないモンスターなんだって思ったんだ












 

 

でもね、よくよく聞いてみると、
ちょっと、ニュアンスが違ってたんだ

「私は、人のニーズを知りたいの。条件を出して欲しい。その人が持つ願望や欲求を知って、その実現のために全力を尽くすことが、私の生き甲斐なの。

だから、無条件の愛を与えられたら、どうしていいか、分からなくなってしまう・・・」


 

 

 

 

 

 

 

 

え?
モンスターじゃなかったんだ・・

それどころか、人の役に立ちたい、奉仕の人だったんだ

 

 

そっかー、こんなこともあるんだね

相手のニーズから自分の立ち位置を決めていく、
それはまるで、マーケティングリサーチに基づいて存在意義を探求するサービス提供者の精神、
人間関係を発展的な組織として見る、社会人の視点だったんだね












 

 

かくして、無条件の愛が至上最高の価値だと思っていた私の信念は、
新年を前に、みごとに崩れ去ったのだ


わっはっは

どんな信念でも絶対なんてことはないのさ

 

 

 

う~ん、すこぶる愉快なり~

 

 

 

 

 

 


言葉にされない真実

2010-12-27 | フォルテネージュ


ただいま、水星逆行中だから、
何となく、コミュニケーションがスムーズじゃなく感じている人も多いはずだよね

送信ミスや連絡ミス、
誤解があったりとか、
一度交わした会話が、また繰り返されたりとか・・

でも、そういうことがあるからこそ、
人との意志疎通をいつにも増して大切にしようって、改めて考えるよね













人のコミュニケーションが難しい原因のひとつとして、こんなことがあると思う

あれは、ミンデルだったかなあ・・
こんなこと、本に書いてるんだ

「老人が同じ話を何度も繰り返すのは、そのことがまだ彼(彼女)の真実になっていないから」

人は、自分の中で堅まっている真実について、もはや言葉にしない
自分の中の常識や、大前提になっていることは、わざわざ表現されない

その代わり、
まだ真実になっていないこと、気づいたばかりのこと、手がかりはあるけどまだはっきりしないこと、
そういうことを言葉に変換して話す


だから、聞き手は、
話している人の常識となっていることを、言葉の外で、探っていくことが、ときに、必要になってくるんだと思うの


















ちょっと、極端な例かも知れないけど、

私の昔の職場で、ちょっとエキセントリックな雰囲気の男性がいて、
上司から、「キミの持つ仕事のノウハウを後輩に伝えて、下の者を育てていって欲しい」と言われ、

彼は、真顔で、「どうして、私が下の人間を育てなければならないのですか?」って、返したんだって

上司としては、<上の者は下の者を育てる>ってのは常識であり、大前提だったんだけど、
彼にとっては、まったく真実外だったようで、通じなかったようなんだ・・・















もし、誰かの話が、あなたにとって、不可解で、意味不明に思えるとき、
そういうときは、その人が口にしていないことに、鍵があるのかも知れないよ

あなたにいつも無理難題をふっかけてくる人の真実は、
「あなたは問題解決のエキスパートだ」ということかも知れないし、

あなたの欠点ばかりを指摘してくる人の前提は、
「その欠点改善のために私が協力する用意があるよ!」ってことかも知れないんだ


その人が、どんな心の地図を持っているか、
感じ取ることができたら、それを言葉にして見せてあげると、相手もちょっとビックリするかもしれないね











真摯であること

2010-12-25 | フォルテネージュ

 

好きな言葉を聞かれたら、
「真摯」って答えると思う

「へぇ~、この字、シって読むんだぁ」っていう驚きでもって印象づけられたこの言葉は、
使うたびにちょっと神聖な気持ちになるよ

ものすごく大切なことを表現している言葉だと思うんだ










 

まじめでひたむきなこと
一生懸命であること

全力で取り組むこと

活動の内容なんて何でもいいの

だから、<真摯に遊ぶ>なんて、私にとっては理想の極み

意識的じゃないと、できないから
情熱と意欲が命を燃やしているってことだから













私が思う「遊びのように仕事をする」ってのは、
この、「真摯」がマストアイテム

真剣そのものだからこそ、仕事と遊びが一致する
だからこそ、それが天職になる


どんなに易々とそれをしているように見えても、
ひたむきって言葉と無縁では、それは存在できないはず
















真摯でありながら軽やかに、
真摯でありながら喜びにあふれて、

とくに、誰かとの関係において、
それは、私の中にあって、私が何が何でも選び取って生きていきたい価値なんだ

きっと、あなたと、同じだよね

 

 


秘儀の祈りは白魔術なの!

2010-12-24 | フォルテネージュ

 

あれは、私が10歳くらいの頃だったかなあ

父が運転が大好きだったから、
何回か、家族で、当時住んでいた愛知県から両親の実家のある九州まで、車で帰省したんだ


交通量の少ない深夜に出発して、夜のネオン街を通り抜けながら、
車の中で、私がやっていたことはね・・

当時のクラスのひとりひとりの顔を思い浮かべて、心の中で話しかけること


「○○ちゃん、行ってきます。その素敵な笑顔がずっと続きますように。」とか、
「○○くん、行ってきます。この間、おもしろいこと言って笑わせてくれてありがとう。」とか・・・

なんで、そんなこと、してたのか、分からないんだけど、
結構、そういう癖は、ずっとあるの















数年前、
外国から有名なヒーラーさんが来日したとき、
セミナーに出席したんだけど、

最後に、集団ヒーリングの時間があって、
「みなさんの大切な人を思い浮かべて下さい。」って言われたから、

私は、家族はもちろん、当時の職場の同僚ひとりひとりをスキャンするように思い浮かべたよ

人間関係いろいろあるけど、
忙しい皆が、少しでも安らぎを得られますようにって

















これが私の愛のチカラ
私の、深く人を想う心は、天からの授かりものなんだ

何の見返りもなくても、
嫌いな人にでも、

「幸せにね」って祈ることができちゃうんだわさ
















さて、このたび、フォルテネージュでは、
この1年間、フォルテネージュを訪れて下さったクライエントさんに、
オリジナルアートカードとクリスマスメッセージを郵送いたしました
(一部、ご住所が分からないかた以外です。。)


もし、クリスマスに間に合わなかったら、ごめんなさい


この聖なる夜に、MAXの感謝を込めて、
おひとりおひとりの名前を呼びながら、愛と光の祝福が訪れるよう、お祈りします
ちっちゃい頃からの年季が入ってるので、乞うご期待だよ


そして、
このブログを、いつも見て下さっている方、時々見る方、今日初めて見た方、
御縁のあったみなさま、

つながってくれて、ありがとう


ちょっと珍しく、「里誉’s クレヨン」に季節感がトッピング
やっぱり、クリスマスばかりは、ちょっと、違うんだよね~

                                 
           
                    May the miracle of X'mas fill your heart with love 



 

 


あなたの性格をひとことで言うと?

2010-12-17 | フォルテネージュ


確かに、私は、自分について、
「あまのじゃくだなあ」って思うときと、
「なんて、素直!」って思うときと、
両方、あるんだよね



同じように、
私って自信過剰?って思うときと、
なんだか、自信ないなあって思うときと、
両方ある



結構、こういうことって、みんな、あるんじゃないかなぁ・・











 

 

どっちにアイデンティティを置くかなんだ

「私って素直!」ってのに、何度もスポットライトを当てると、
「えっとー、私の性格は、ひとことで言うと、素直です」って、心の底から思うことになる

たとえ、その人が、
周りのみんなが、「キムタク、カッコいいよねー!」って話をしているときに、「私も大好きなの!」って言えなくても・・ (え、誰のこと?)
その人にとっては、そういうシチュエーションで言えないのは、
素直じゃないんじゃなくて、
シャイなだけなの・・・ってことになるんだ

















新しい人生経験によって、自分の隠された性格や人格が出てくることって、よくあるよね


平社員から管理職になった途端に、人格が変わるとか、
車の運転すると、人格変わるとか、
ゴルフクラブ握ると、人格変わるとか、


今まで穏やかで安らかな恋愛ばかりしてきて、
初めて、誰かに狂おしいほどの恋心を抱いたとき、
「こんなに自分が嫉妬深いって知らなかった」ってびっくりするとか、さ



だから、性格とか人格とかっていうものは、周囲の人間関係や環境や立場で引き出されるものであって、
最初から、自分と密着したものなんか、ありはしないってことなんだと思うの

好きなら選び取ればいい、
イヤなら、いくらでも、違う性格を繰り広げることができるって思うの

だって、みんな、結構、女優度(男優度)、高いじゃん



 

 

 

 

 

 

占星術のホロスコープっていうのは、
ものすごい、矛盾のかたまりなのね

ひとつのホロスコープの中で、正反対のことが、平気で、共存しているの

それは、ホロスコープが、人間そのものを表していて、
人間そのものが、矛盾のかたまりだからなんだと思うんだ


だって、私たちの本質は「空(くう」なのだから、
すべての概念を含むのだから



「こんな自分になりたいなあ」って、頭に浮かんでいるのであれば、
いつだって、その、今までと違った自分を生きるチャンスはあるのだよ



「私は、いつもこういう損な役回りだわ・・・」って不満を抱くんだったら、
それを演じているのは、誰でもない自分であって、自分がそうしているだけなんだって、気づきたいものだよね














私は、
素直さについて、
自信について、テーマを持っているから、

それが私の意識にのぼっている

正反対に見えるものは、実は、同じレバーの上にあるものなんだ

素直レバーが、ローレベルの<あまのじゃく>も私、ハイレベルの<純真少女>も私

自信レバーが、ローレベルの<自己卑下マニア>も私、ハイレベルの<ハイパー女王様>も私

 

「あなたの性格を一言で言うと、何ですか?」
世の中に、これほどの、難問があるだろうかって思うよ、マジで

 

 

 




願いを持つことと現状を受容すること

2010-12-16 | フォルテネージュ


少し前にね、
こんなことを考えたことがあるんだ

<願いを持つ>なんて、しなくても、
宇宙を信頼して、起こってくるできごとを、ひとつひとつ、丁寧に受け入れて、
自分と関わる人たちを大切にしていくことだけをして、日々過ごせば、
それでいいんじゃないかって

むしろ、「こうなりたい」「これが欲しい」なんて願望を持たないほうが、
執着のない自然な道が歩めるんじゃないかってね

こんな気持ち、分かるよね?












 

なんか、ステキな感じ、しない?

逆らわず、すべてを受け入れていく生き方は、まさに悟り寸前って感じだよね

でもね、
私、気づいちゃった

この生き方は、ちょっと間違えちゃうと、
何かに対して意欲を持つってことが、極端に減っていって、
まさに、<うつ病>の状態になるんだ

すべてを受け入れるだけ  辛くてもただ受け入れる  苦しいのは当たり前  ただ日々が過ぎるままに 

これじゃ、命の炎に、酸素が供給されないよ
生きていても、輝きがない、そんな生活に、もしかしたら、陥ってしまうかも知れない














思うのはね、

たとえば、RPGの世界

主人公は、悪者にとらえられた姫を助け出すために、いろんな冒険をして旅を続ける
仲間を得たり、武器を入手したり、敵キャラを倒したり、宝物をもらったり・・・
起こってくるできごとに、ひとつひとつ対処していって、
そこに、感動があって、成長がある

要は、こういうことだと思うの

願望ってのが、<悪者にとらえられた姫を助け出すこと>
できごとを受け入れていくことが、<それまでのあらゆる冒険>















やっぱり、人間は、何か願望があるほうが、燃えるんだ
何かに向かっていたほうが、エネルギーが湧いてくるのは、当然の人間の基本構造

叶えたい夢があるから、愛だって生まれてくる

これは、私たちの顕在意識には、必要な環境設定なんだと思うのね
だって、姫を助けるって使命がなければ、誰も、RPGやらなくない?
自分にとって価値があると思える願いを原動力に、まずは、冒険を始めることが大切なんだ




でね、

私たちの意識の9割を占める潜在意識の部分では、選んだ願望がいつでも変更可能なことを知っているの

姫を助け出すってのは、もしかしたら、あなたがやらなくても、
平行世界でゲームを楽しんでいる、他の誰かがやってくれるかも知れないんだよ!


だから、「あ、自分にとって、こっちのほうが大切!」って気づくことがあったら、
途中で、願いをチェンジしてもいいの

あるいは、「姫の救出に直接的に関係あることしかしません!」なんて、こだわってたら、
RPGは、進められないよね


潜在意識にとって大切なのは、冒険によって、経験値が上がっていくこと
そのときどきで起こってくるできごとを、「今」を逃げずに受けとめて、大切にすることを重ねること

そうしているうちに、
経験値がある域に達すれば、

顕在意識にとって大切な、”願いが叶う”って瞬間がやってくるんだ




 

 

 

 











願いを持つことで、
自分の種が、自分らしい樹木に成長して、花が咲き、実を結ぶと、願うことで、

不本意で理不尽で不合理なできごとを経験する勇気が生まれるし、
その経験の束が、自分が本当に望むことへの成就へと導いてくれる


願望と、現状の受容は、セットになって働くんだって思うんだ



 

 

 

 

 

 


偉大で神聖なる愚か者の強さ

2010-12-13 | フォルテネージュ


私の夫は、子どもの頃からの阪神ファンで、
二人でスタジアムに行って盛り上がったり、してきたんだけど、

プロ野球を見ていて、たびたび感じることがあってさ

先発投手が頑張って、味方も点を取ってくれて、
もう少しで勝利ってとき、相手の反撃にあってピンチを迎えると、リリーフ投手が出てくる

そのリリーフ投手は、前日の試合で、
交代直後に逆転ホームランを打たれて、負け投手になっていたりする場合・・

ピッチャー交代のアナウンスが流れた途端、
場内が、テレビを見ている人たちが、実況中継のアナウンサーや解説者が、
ザッと、不安の空気に飲まれる瞬間があるよね

昨日の悪夢が甦るんだ

















でも、監督は冷静沈着な表情を崩さない

彼への期待、
彼への信頼、
それは、絶対なんだって、決意しているかのように、強い気持ちで送り出す















こういうとき、

監督は、「Fool」(愚者)の状態なんだって思うんだ
ボイジャータロットでは、「Fool Child」(愚かな子ども)、大アルカナ0(ゼロ)

Foolは、学習しないんだ
どんなに裏切りを経験しても、信頼が実を結ばない経験をしても、

その都度、それをO(ゼロ)に戻して、

また、新たに、相手を信頼する
それが裏切られる結果になっても、またリセットして、同じことを繰り返す

観衆は、それを見て、「あいつを出すなよ、学習しろよ!」ってヤジを飛ばすけど、

マスターには、どうしても、愚者の質が必要なの
生きていくうえでは、学習してはいけないことも、あるんだ












 

それはね、
信頼しようとする相手の中に、宇宙があるから

私たちは、相手を信頼することによって、宇宙を信頼していることになるんだ

何度も何度も経験をリセットして、目の前に現れた相手を信頼し続けることは、
どんな経験をしても、変わらずに、宇宙を信頼し続けることと同じだから


 

 

 

 

 

 

正反対に見えることは実は同じ軸の両極だから、
愚かであることと、賢くあることも、実は同じ軸の上にある



私はいつも、
私にとって、文章を書くことは自分が愚かであることを露呈させるプロセスだと感じるんだけど、
きっと、そうやって、自分の愚かさを何度も確認することが必要なんだって発見したよ


















価値があるから愛するんじゃなくて、愛するから価値が生まれる

2010-12-12 | フォルテネージュ

 

 <人から認めてもらいたければ、まず、自分が自分を認めなさい> 

自分に対して自分が認めた分だけ、あなたは人から認められるようにできているから、
今すぐ、最大限に、
自分で自分を、絶賛、賞賛の嵐に巻き込むこと!!!













私は、それを聞いたとき、
同じロジックで、

<愛が欲しければ、まず、自分から愛を与えなさい>と言われるけど、
これは、<愛が欲しければ、まず、自分から自分に、愛を与えなさい> ってことだねって思ったよ

目的語に微妙なトラップがあったんだね





















そっかぁ
そういうことだったんだ

他の人に求めたくなったら、自分で与えてしまえば良いのだ

それを聞いたときから、
私は、自分が光であることを思い出し始めたよ

これまで、出来事や人を通じて伝えられた、自分の愛や価値がたくさん浮上してきた

かつてない確実な手応えを持ってそれを確認できたと思ったら、
自分の外側の宇宙にも、それが反映されていくのが、分かったんだ















そして、
「もうこれからは、自分だけは何があっても最後まで自分の味方でいる」と、思ったのと、わずかな時間差でもって、

まるで、らせんが一周して戻ってきたかのように、
他人と比べて自分が粗末に扱われるというビジョンを見せられた
もちろん、そんなの幻想なんだよ、
とってもリアルなんだけどさ(笑)

たぶん、
光を見つめるうちに、光のすぐ隣にセットで存在している闇が、がぜん、クローズアップされたんだと思う

自分の闇の深さに、ちょっとたじろぎながら、
私は、幼児の頃から一緒に生きてきた、この「自己無価値感」とともに、
ただ、ただ、気の済むまで、過ごしてみたよ

安心できる場所があって、本当に良かったって思いながら・・


















そしたらね、
「ボクは、世界一の役立たずになる!」って宣言した、天才障害児を思い出したんだ

「役立たず」ってことさえも、それを志せば、自分にとって「価値」が出てくるじゃない?

たとえ、生産性とか将来性とかはゼロだとしても、
自分が自分を認められるかどうかは、それに影響されない

だいたい、「生きてるだけで丸儲け」なんだしさ~

何かができるから、とか、
何かの質を持っているから、とか、

そんなの一切ないところで、本当に、私は、私を認められるかどうか、

それが究極だったんだわさ・・・












 





あー。

そっちかぁー

またしても、unconditional  ッスか~


 

 

 

 

 

 

 

了解です

もう、こうなったらさ、
unconditional surrender しかないよね






ホントの自分を選び取らないという戦略

2010-12-11 | フォルテネージュ

 

たとえば
あなたが、誰かから、感情を刺激されて、


瞬間的に、物分かりの良い大人として振る舞いながらも、
後から、でもやっぱり、悲しみや怒りが湧いたりしたとする


こんなふうに、自分の中に、違うトーンの自分がいる感覚があるときって、ないかしら?







 

そつなく、洗練された大人として振る舞った後に、
何とも言えない気持ちがこみ上げて、

「ああ、私、やっぱり、泣きたかったんだ。」って、大泣きしたとしたら、

そのとき、

<泣きたい自分>が本当の自分で、
<大人を演じた自分>が偽りの自分ってことに、一瞬、なってしまうんだけど、

実際のところ、両方自分なんだと思うの

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん
一度にふたつは表現できないから
出力するときは
どっちかを選ぶにしても

相矛盾するそのふたつが共存してる、自分の心の中を、

何とか整理しようとか、つじつま合わせようとか、
ホントの自分を選び取ろうとか、

それは、必ずしも、必要ないように思う


何かを選ぼうとすると
選ばれなかったほうの体験が先延ばしにされちゃうだけだから、


だから、魂の経験の時短テクニックとして、ちょっとした時間差で両方味わっちゃうのさ


大人な気持ちで慈愛に満ちてる成熟した自分もホント、

「でもやっぱり、心乱されちゃうよね」って、ネガティブ感情に浸りきる自分もホント

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何だかね、それだけで、少し、癒やされるような気がするの

自分の中には、一瞬だって、嘘の自分っていなくてさ、
瞬間的にでも、表現されたのなら、それは本当の自分なんだ

背伸びしたり、勇気がなかったり、ひと目を気にしたり・・・の結果と見えたとしても、

それは、顕在意識がそう感じているだけであって、
実際、そのような振る舞いが、その場の空気(=ドリームボディ)に一番フィットしていることを、

あなたのハートはよく知っているんだよ


だから、惨めでもなんでもなくて、
むしろ、偉大で、尊敬されるべきことなの!!















 

あなたがなにかすれば、それが真理なの

そうやって、自分のさまざまな分身たちを、
ひとりひとり、認めて、ねぎらっていくことによって、

あなたはどんどん
自分が完璧な球体であることを思い出していくんだって思うよ

 

 


あなたの「三年寝太郎」体質を要チェック!

2010-12-10 | フォルテネージュ

 まんが日本昔ばなし 「三年寝太郎」


 、

彼は寝ている間、
川のない村に水を引くルートを緻密に計算していたって言うお話になっているけど、


いや、実際、グースカ、寝てたんだよね


だからこそ、村人たちから「ナマケ者」扱いされて、日照りの責任を負わされて抹殺されそうになった・・

考えているか、寝ているか、見てれば分かるっしょ






 

 

 

でもね、

彼が、寝ている三年間に、
少しでも、村人たちの非難を真に受けて、

「あー、オレは本当にダメなヤツじゃ、なまけ者じゃあーーー」って、自己嫌悪していたら、

あの偉業は成し遂げられなかったんだ

「オレは寝てていいんだよ。 いや、寝てないとダメなんだ!」って感じの、つよ~い決意と意志でもって、寝続けたんだよ

彼の大きな大きな器に、
エネルギーを充分に満たすために














宇宙戦艦ヤマトが波動砲を発射するのに、エネルギーを120%以上、充填しなければならないように、
人々のルーティンワークをはるかに上回る大事業をするには、
何もしない期間が必要なの

怠けているように見えるかも知れない
寝ているだけのように見えるかも知れない

でもそれは、器の大きな、使命の大きな人には、絶対に必要な時間なの

しかも、心から気持ちよくそれをするんじゃないと、
濁りのない、純粋な質のエネルギーは溜まらない

自己嫌悪しながら寝ていたら、5年経っても、1o年経っても、ターゲットスコープはオープンしやしないんだ


















自分の使命は、自分の身体がよく知っているよ

どうしても、身体が動かない、気力が湧かない、そんな中で、自分にむち打って、無理してない?

あなたは、「三年寝太郎」体質なのかも知れないんだ

大事業を成し遂げるために、相当期間かけて充填する仕組みになっているってことを、
そうしないと、できないことを、やるように、設定して生まれてきているってことを、

ちゃんと気づいてあげないと、

ただ、他の皆と同じにできないからっていうだけで、
自分のお役目を果たさないことにつながってしまう危険性について、

もっと、敏感になって欲しい

謙虚なフリして、それこそ、怠惰だって、本気で思うよ

















村人たちは、一度は「バチ当たり」と抹殺しようとしたけど、
彼が村に水を引いた後、また、寝始めたら、
「今度は何をしてくれるのか?」と、ワクワクとして待ち続けたそうな



たとえ、その後、一生、寝ていたとしても、
きっと最後まで、彼は人々の「夢と希望」であり続けるっていう、大きな仕事を果たしたんだね







星降る夜にささやいて

2010-12-10 | フォルテネージュ


「ねえ、里誉ちゃん、私、里誉ちゃんのこと、だーい好き!」って言われるのも、
それはそれは、天にも昇る思いで超ハッピーなんだけど、











「ねえ、里誉ちゃん、私、私のこと、だーい好き!」って言われたら、
なんか、違う意味でムチャムチャ感動するような気がする









その人が、堂々と、嬉々として、それを表明して憚らない社会になったってことと、

そのことを宣言する相手として、里誉を選んでくれたって事実で、

ダブルな至福に包まれると思うの


「おお! そっかー、イイネ! おめでとう」って、
素直に、一緒に、嬉々と裸々になって、星のダンスを踊るくらい、嬉しいんじゃないかなあ


たぶん、私にとっては、コミュニティの発展と、自己実現が、
一緒に押し寄せたような幸福感だよ、きっと














言われたことないから、

誰か、私の耳もとでささやいてくれないかな

イヤ、結構、マジな話なんだけど



 

もちろん、

「里誉ちゃんのこと、だーい好き!」も、歓迎するから、ねっ

 

 

 


伝えたいの!

2010-12-09 | フォルテネージュ

小さい頃に聞いたこんな言葉が、心に残っているよ

「言葉がある人は、必ずしも<徳>があるとは限らないけど、<徳>のある人には、必ず言葉がある。」

話すの苦手な私は、子どもながらに、
「私、徳のある人になれるかなあ・・」なんて、心配になったの覚えてる



 

 

 





 

私にとっては、
話すことも、書くことも、

鶴が自らの羽根を抜いて織物を織っていくような作業だから、

苦悩し、逡巡して、模索し、探求し、
それをし続けているとき、心の中は、もどかしさいっぱいが99%なんだけど、
でも、100回に1回くらいは訪れる、
言霊が曇りなく現れたときの、あの爽快感は、それまでの混沌のスープのコクと旨みを教えてくれる


私は、一度だって、言葉で完璧に人に何かを伝えきったと思ったことはないけど、
人とコミュニケーションする仕事から離れないのは、
それをやり続けることが、私の真実の願いであり、使命に関わるんだって、確信してるんだ

















体験を言葉にすること、
気持ちをコトバにすること、
意図を持って、伝えること、

そういうことに接することで、人は次の何かに向かって動き出す

「言葉に惑わされるな!」とか、「言葉じゃない、ハートだよ!」とか、
言葉は、時々、ハンパ者扱いされちゃうけど、

周縁に追いやられる者ほど、エネルギーを高めていくから、太陽光のように、恵みとして利用しない手はないのさ

















まどろっこしく、たどたどしく、スムーズになんか、いきやしないからこそ、

私は、言葉のある人でありたい

その思いで、私は自分の美徳につながっていくんだ







愛で芽吹く、オリジナルな種

2010-12-08 | フォルテネージュ


たとえ、私が、どんなに苦悩していても、無気力になっていても、
それは、悲惨なことなんかじゃない

誰かのところに、この状態から脱出する方法を教えてもらいに行かなくてもいい

私はただ、私の経験を、尊敬しよう、
苦しみや悲しみの中に入っていこう、

無力感に苛まれても、
誰かを責めたくなっても、

やるべきことを先延ばしにしちゃっても、
誰かに優しくしてあげられなくても、

成し遂げたことがあってもなくても、性格が良くても悪くても、私は私の心精一杯で、私に愛を送ろう

私は、そう、決心しているんだ













 

「条件なしで、私は、私を愛している!」

それが大切だと思うのは、
それが、喜びであり、快感であるからってだけじゃなく、
他の人に対しても、それをしてあげられるからってだけじゃなく、

純粋な愛情を自分に注ぐことで、
自分の中にあるオリジナルな種が、芽吹き始めるから



私たちは、みんながそれぞれ、唯一無二な才能を持っていて、
それは、自分が’本当にやりたいこと’の中に眠っているんだよ

だから、
心の奥底にあるそれを見つけて、栄養を与え、大切に育てていくことに集中することで、

誰でも、イチローみたく、個性豊かな天才になれるんだ


自分の欲求を満たすことに忠実になること
それは、大好きな人の願いを叶えたいっていう恋心にも似ているよね

 

だから、「私は、私が大好き!」って気持ちが必要で、それは、盲目的であればあるほどいいって思うの

 

 

 

 

 

 

 

あなたのカリスマは、あなただけであって、
そのカリスマの一番の信奉者にあなたがなることで、
カリスマの所望を何としてでも叶えようとするうちに、

必死に喜びを追求するうちに、


気がついたら、天賦の才を発揮しているってことになるんだよ


そこまでのプロセスを、世間の人は「努力」と呼ぶかも知れないけど、
本人にとっては、制限することなく、自分を喜ばせ続けているだけなんだ


そうやって、あなたが自分の花を開かせるのを見て、
他の誰かが、それに続き、またそれを見て、誰かが続いてく・・・

 

 

 

 

 













だからね、

自分を無条件に愛することは、
自分の使命を果たすのに必要なことでもあり、

世の中に調和をもたらすことにもなるの


さあ、もう、あまり、時間もないことだし、
何も待つ必要はない

条件は始めから、とっくに整っているから、


今、すぐ、この瞬間から、
自分を嫌いな自分も含めて、「それで、すべて、OKだよ」って言ってあげてね