Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

無気力にウェルカムと言う

2011-08-29 | フォルテネージュ


ネガティブな感情がやってきたら、
迷わず、その海にダイブするの




たとえば、無気力

身体がだるくて何もやる気が起こらないとき、
できるかぎりで、しなくちゃいけないことをちょっと脇へ置いておく



そして、

無気力の海に、とっぷり全身浸らせるの









無気力の海の底で、私はエラ呼吸を使って、
無気力を、身体の内部に取り込んでいく

身体の外だけじゃなく、
内側にもどんどん無気力を浸透させていくんだ


昔のことを思い出したり、
いろんな感情が出てきたら、そのまますくい取っては流していく


「再起不能になるんじゃないか?」
「無理にでも何かしなくちゃいけないんじゃないか?」
そんなマインドの声を、やさしく、ハートに吸い込んで、

私は、無気力の体感覚を十分に感じて、
最後には、無気力そのものになる







そうやって、無気力と同化し続けてると、
ある時点で、MAXポイントを超えて、
陰陽反転の瞬間が訪れるのが分かる

私は、急にお腹が空いたのを思い出して、
立ち上がって、台所にあった食べ物をパクついて、

さて、とばかりに、活動を始めるの

さっきまでとは別人モードで、
エネルギー充填、やる気も湧いて、テキパキと仕事をこなしていく









嫌悪の海、憎悪の海、羞恥心の海、罪悪感の海・・・

何でも応用可能だよ


良いとか悪いとか考えず、
そのネガティブ感情を自分に迎え入れること


陰陽反転を心待ちにせず、
身体がいたいと思うだけ、その海にいようと決意すること










そうすると、
ネガティブ感情の中にひそんでいた、正反対の性質の種が、
発芽するしくみになっているみたいだよ








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踊るフォルテと見る私

2011-08-29 | フォルテネージュ


いつだったか、
テレビでフィギアスケートの世界大会の様子を2,3時間見たあとに、
フォルテの散歩に出かけたことがあったの



そしたらね、

フォルテが、ツツツツって電信柱に走り寄って、
片足をあげて、ちぃ~ってする姿が、


もう、氷の上で優雅に踊っているようにしか、見えなかったんだ

いつものフォルテの散歩姿が、
本当に、違う様相を持って、私に迫ってきたのを覚えているの







現実なんてものは、とてもファジーなものだから、
それをどう見るかって視点は欠かせない

言ってみれば、視点がないと、何も見えず、
視点次第で、なんとでも見えるものなんだ

「これは、こういうことだ!」と思えば、
混沌の中、たちまち、そのような模様が浮き出て見えてくる



散歩するフォルテの姿を、
爆弾投下しつつ進む戦闘機として捉える視点も、私にはリアルにあるよ(笑)








こないだ、お友達から、数秘術のセッションをしてもらったんだけど、
「数秘から見ると、去年は、里誉ちゃんにとって宝物をもらった年だったんだけど、どうだった?」って言われたから、
振り返って考えてみたらね、

やっぱり、そう見えてくるの

そして、ああそうか、そういう見方もあるんだねって、
改めて、捉え直したんだ







自分の現状を、
目の前の出来事を、
どんな視点で観察するか、

それは正しい見方なんてありゃしない
自分が選んだようでいいんだと思う


そして、そう見ることによって、その模様を見せてくれ、
その模様が、次の展開を、紡ぐ素材となっていくんだね








だから、フォルテは、いつだって、優雅で美しいこと、この上ないのさ~









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洞窟の決心

2011-08-26 | フォルテネージュ



私は、あらゆる人のつらい経験を、
経験として尊重しよう

「そこから、脱出させてあげよう!」などと偉ぶらず、
その人が、そうであることで、
宇宙がもたらそうとしている果実を透視しよう





人の悩みや迷いは、洞窟探検のようなもので、
それを見せてもらっている私は、
ただ、その人とともにいて、
闇に心が引き裂かれるのを感じながら、

引き裂かれ、ふたつに割れた心の間から、
必ず、見えてくる、一条の光まで、

その人ともに進んでいこう





痛いときに痛いと言いながら、
憎いときに憎いと言いながら、
美味しくないときに美味しくないと言いながら、

別に、何もしてくれなくていい、
気持ちをそのまま受けとめてくれる相手がいることが、
どんなに解き放たれる気持ちがすることか、

私は、それを、とてもよく知っているから







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あなたの美徳の示し方

2011-08-25 | フォルテネージュ


あなたが親しみと友愛を込めて、
「こんにちは」というその言葉の音節が、

ある国の人々にとっては、
「お前を殺す」という意味になることが分かったら、

それでも、あなたは、その国の人に「コンニチハ」を言うだろうか?








「相手が理解すればいい。日本ではそうなのだから!」と、
そう言い続けたとしても、

あなたのせっかくの優しさが、
あなたのせっかくの美徳が、
まったく、通じないどころか、
正反対ともなる行為は、あなたを愉快にするはずがない。








だとしたら、
心の中で、相手への最高の情愛を感じながら、

相手の国の言葉で「こんにちは」の意味を持つ、
「オマエヲコロス」を、言ってあげるのが、

あなたの大切にしている“思いやり”を示すことになる可能性について、

ちょっと考えてみるのも、悪くないと思わない?








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私には夢はないの、全部・・

2011-08-24 | フォルテネージュ


「私には夢はないの、全部、叶うから」

思い切って、そう、言い切ってみない?





「望む」ことより、「分かっている」ことのほうが、
現実を創造するチカラが強いんだ

だから、「起こって欲しいと望むこと」を、「起こると分かっていること」に、変換していけば良いの




皮肉にも、人と、夢が、一緒になると、儚(はかな)いとなる
だから、その儚さを、

必ず、そうなるっていう、揺るぎないものにする呪文として、

「私には、夢はないの。全部、叶うから。」

って、言ってみて欲しいんだ








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乙武さんと、「富める者はますます富み・・」

2011-08-23 | フォルテネージュ


少し前、

乙武匡洋さんが、
東北の地で、野球の始球式をしていた映像とともに、


講演会で、
「失われたものを嘆くより、
残されたものを生かして、前に進むこと」について、話しているのを、ニュースで見たの



彼のやることと話すことは、完璧なまでに一致していて、
見ている私たちに、迫力を持って、「あなたはどうか?」と問うてくる







そして私は、シンクロするように、

「富める者はますます富み、貧しき者は持っているものさえも奪われる」

という聖書の中のお話に触れたの







一見、「なんて、神様は不公平なんだ!」って憤りや無力感さえ感じるこのお話だけど、
ホントは、ものすごく、スピリチュアルなことを表現しているんだよね

「富める」とか、「貧しい」とかは、所有物や財産の量では決まらない
大富豪でも、才能あふれる者でも、自殺するこの世の中



それは態度で決まる
態度は意識で決まる
意識は信念で決まる







「少ししかないこと」を恨んで不満だらけで、
「世の中、ひどいところだ」と信じるか、

「これだけある」と、あるものからもたらされる贈り物をめでて、
「宇宙はいつも完璧な状況を用意してくれる」と信じるか、

それが、「富める者」と「貧しき者」を分かつ、
唯一の判断基準なんだと思う







乙武さんは、五体不満足なその究極のビジュアルの魔力で、
自分だからこそできることを、まっすぐ受けとめて、淡々とやっている姿を、
私たちに見せてるって思ったよ


ああ、そういえば、
彼は、今年の長岡の花火大会にもゲストで来てたことを思い出した
姿は見えなかったけど、
とても謙虚で落ち着いたスピーチが、会場に流れていたよ


 



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「赤ずきん」のトライアングルドラマ

2011-08-21 | フォルテネージュ


「赤ずきん」ってどんなお話だか覚えている?

諸説あるらしいんだけど、グリム童話では、

森の奧に住むおばあちゃんを訪ねるために、
クッキーやワインを持って森を行く赤ずきんちゃんは、
狼に騙されて、道草をしてしまう。
先回りした狼は、おばあちゃんを食べて、おばあちゃんになりすまして、
見舞いに来た赤ずきんちゃんまで食べちゃうの


満腹で寝ている狼を、通りかかったハンターが見つけ、
狼のお腹から二人を救出して、
お腹に石を詰めておく。
起きた狼が、バランスを崩して池に落ちてしまう っていうお話・・






超シンプルなお話なんだけど、

登場人物の、赤ずきんちゃん、狼、ハンターは、
見事に、いわゆる、人間関係のトラブルにおける“3つの役割”に当てはまってるんだよ


被害者、加害者、救済者の、トライアングルドラマ

古今東西、人間関係のトラブルってやつには、だいたいこの役割が登場する
もちろん、誰がどの役割に当てはまるかは、
語る人によって、全然、違ってくるんだけど・・・


家族でも、友達でも、仕事上でも、

誰かが被害感情を持つと、当然、加害者がいるわけであって、
それを、見るに見かねて、救済者をかって出ようって人が現れて、
おとぎ話と現実の違いは、
現実では、そのあと、いわゆる泥沼の惨劇になっていくってこと・・









だから、逆に言うと、
どの役割も存在させないのが、円満な人間関係のコツ


誰もが一番陥りやすいのが、被害者だから、
どんなことがあっても、「私は被害者にならない」って決める
被害体験のように見えることがあってとしても、
それは自分の新たな境地のオープニングなんだ



救済者ってのも、みんなが憧れる立場だから、
(とくにカウンセラーなんかも陥りやすいんだけど!)
「私は誰も救わない」って決める
表面上、可哀想に見えても、
実際、救わなければならない人なんて、いないんだからね



そして、加害者の立場、
誰もが嫌う、その立場に関しては、
「私は、被害者と呼ばれることをおそれない」って決めるの
呼ばれても、実際、私は加害者としてのアイデンティティは持たない
誰かに迷惑をかけたら静かに詫び、それ以上自分を責めない










みんながこれをすると、
世の中の人間関係のトラブルがなくなるよ

まずは、自分から
日々、精進しています











あのさ、ちょっと妄想したんだけど、

救出された赤ずきんちゃんはハンターに恋したりしていないかしら?
そして、じつは、すべてが、
赤ずきんちゃんを嫁にもらいたいがために
ハンターが、おばあちゃんと狼を抱き込んで大芝居してたとしたら・・?

女性は、ドラマティックに弱いからなあ~





その昔、
レイジーが、♪赤ずきんちゃん、ご用心♪ を歌っていた少し前に、
三浦友和と仲間たちが、♪赤ずきんちゃん、秘密だよ♪ って曲を歌っていたって、知ってる









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「自信がない」っていう考えをキャッチすること

2011-08-18 | フォルテネージュ


自分が楽しくない考えにとらわれているとき、

たとえば、
「自分は無能だ」とか、
「成功していない」とか、
「何も分かっていない」とかね、


そんな考えをキャッチしただけであって、
決して、あなた自身の考えではないし、
まして、その言葉の羅列は、あなたの何をも表していないことを、

思いだそうね







「あいつは間違っている」とか、
「あの人達は可哀想」とか、


そんなことも、
実際、誰の真実も表していない


フォーカスするのは、
そんな考えに自分が浸っていると、
当然味わう、ネガティブな気持ちってやつに、


「お、宇宙には、こんな気持ちがあったんだね。出てきてくれて感謝」って挨拶することだと思うの
なんなら、柏手打ってもいいくらい









そういえば、

私、先日、
友達が、「自信が持てないの。。」って言った言葉に、
思わず、「ありがとう」って、言っちゃった


才能あふれる彼女が、
私の前で、敢えて、ネガティブな思いを見せてくれたってことに、
本当に、感謝が湧いてきちゃってね


だって、最後には、彼女、
「シンプルにただ自信を持つ」って考えを、すんなり、採用したんだもの







どんなギフトをもらっていても、自信がなくなるときがある

それは、まったく、自分の真実とは無関係で、



要は、「自信がない」ってのは、こんな気持ちなんだって再確認して、

自分を嫌な気持ちにさせているその考えを、

それでもまだ選び続けるかどうか、っていうだけのことだって、

彼女に見せてもらったよ


 




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「~しなければならない」に愛の手を!

2011-08-17 | フォルテネージュ


「~しなければならない」と考えて、
そのように行動することによって、
集中力や精度の高いエネルギーが出せて、気持ちが良いバイブレーションが産まれるのであれば、

まったく、「~しなければならない」を排除することはないと思うよ






ギリギリまで追い込まれて何かをすることで、
自分は成果を出してきたって経験があって、
それでもって、人生を渡ってきた人は、

「~しなければならない」ってことが、
幸運を予感させる言葉になることだって、あると思う







要するに、

好きだったり、
信頼できたり、
自信があったり、
納得していたり、
楽しかったり、
誇らしかったり、

自分の行為に、命を吹き込むことができているのであれば、
「~しなければならない」だって、力強い味方になる






一方的な悪者なんて、
この宇宙に存在しない

「悪魔だって愛が欲しくて生きてる」って言うから、
「~しなければならない」は、今頃、カラカラに干からびているかもね








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突然悲しくなった経験

2011-08-15 | フォルテネージュ


数年前、
私が仕事で通っていた、とある駅の駅ビルの中で、
通り魔殺人事件があったの。

夜、ニュース速報で流れて、
とても衝撃的だったし、
私もよく行くお店だったから、驚いちゃった。




事件翌日の朝、
私はいつものようにその駅に降り立って、

そのとき、考えていたのは、
「駅前、マスコミ、来てるかなあ」
「ワイドショーの中継とか、やってるかも」ってな、
なんとも、野次馬な思いだったわけ・・



そんなノーテンキな感じでホームを歩き、
改札口へ向かうエスカレーターに乗っている途中、
突然、悲しみがやってきたんだ。


一瞬にして、頭の中が、恨みと悲嘆と絶望でいっぱいになった。
そして、涙が止まらなくなったの。


頭では、「あれあれ、そんなはずじゃないんだけど・・」って思いながら、
周囲の人々を見たら、
皆、沈痛な無表情だった。












この経験から、私は、
感情は、自分の中から湧いてくるものじゃないって確信したの。

状況や条件によっては、
いかにも自分の奥深くからやってくるように思えるんだけど、

ううん、違うよ!

感情は、キャッチしてるもので、
自分のものじゃない。

でも、どこかで、それを自分が選んでる。
(私は、自分の不謹慎さがイヤだったんだね)










このことが役に立つのは、


感情に翻弄されそうになったとき、
「あ、これ、私のじゃない。」って思ってみると、
イヤならリリースできるし、
持っていたければ、好きなだけ持っていられるってこと!


主従逆転せず、
「今、私は、この気持ちを味わっている」って立ち位置を確認するの。


感情に浸るとき、
どこかで必ず、自分が選んでいて、

その選んだほうの自分こそ、
動かない自分こそ、主人公なんだって思うの。









出来事と感情は直結しない。

いろんな感情を味わいたくて、この物理次元にやってきたときを思いだそう。
「そうそう!これに浸りたかったんだよね~」って分かっていれば、

悲しみだって喜びに変わるよ 











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「世の中、そんなに、甘いんだ!」

2011-08-14 | フォルテネージュ


けなげに頑張ろうとか、
いつも正しくあろうとか、
我欲を捨てようとか、


それが楽しくてやってるんじゃなければ、
がむしゃらになる必要なんかないよ





それよりも、

心が浮き立つものを手に入れたり、
とことん気持ちよさを追求したり、
思うところを正直に話したり、

そういうことのほうが、
命は喜ぶんじゃないかなって思う







ある人は幼い頃から他の人のことを考えてきて、
でも、自分はあまり幸せじゃなくて、
だから、今度は、自分の幸せを考えようとしてる


ある人は幼い頃から自分のことばかり考えてきて、
でも、実際、あまり幸せじゃなくて、
だから、今度は、みんなの幸せを考えようとしてる


みんなと自分がつながっていることが
おぼろげながらじゃなくて、本心から分かっているのであれば、
どっちからアプローチしても同じだと思うの

楽しく感じるほうからすればいい






何をするか、何を考えるか、そんなことは二の次なのさ

それをしているとき、
それを心に思うとき、

あなたがどれだけ、のびやかな感じがするか、
もっともっとそれをしたい情熱を感じるか、


「そうは言っても幸せは苦労の代償」という頭の声を、
ハートにシュルッと吸い込んで、

シンプルに、大胆に、

喜びだけを見つめて突進すれば、万事が必ずうまくいく









「ものごと、そんなに甘くいくものなんだね!」

それをスコンと信じられるには、
かなり、愚かで賢くないといけないんだけど、

あなたはきっとそのラインをクリアしているよね






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穏やかな構図

2011-08-13 | フォルテネージュ




まちなかで子どもを叱っているお母さんにも、
こちらが挨拶しているのに返事を返さない隣人にも、
自分の仕事を押しつけてくる誰かにも、


まったく、穏やかな気持ちを保ち続ける自分がいたよ


だって、誰のどんな振る舞いも、
本当の私を、これっぽっちも脅かすことはできないから


たとえ、眼の前で人が怒鳴っていようと、
たとえ、私が殺されようと、

私という本質は、まったく傷つかないし、
永遠に死ぬことはないから










「人間関係はすべて鏡だから、
この人のこんなところも私の中にあるんだ~」って思うことが、

あまり、楽しくないときは、そんなふうに受け取らなくていいと思うの

 



誰かの振るまいに接して、
とてもがっかりしたり、嫌な気分になることがあったら、



そのキャラクターは、私という役者から愛されたくて、
ラブコールを送り続けているのだと思う



実際に、それをやってみてもいいし、
やってみなくてもいいけど、

ただ、世界という舞台を構成するひとつの役として、
それがあることにうなづくだけでいい





きっと、その部分は、
私が生まれてこのかた作り続けているジグゾーパズルのひとつのピースだから、

「お、見つけた!ようこそ~」って言ってあげれば、
あるべきところに、カチっとはまって、収まって、
静かに誇らしげに、私の作品の一部を担い続けてくれると思うんだ









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お豆腐を食べながら・・

2011-08-13 | フォルテネージュ


ふだん、活動的でパワフルな印象のその人が、
豆腐料理を食べながら、


「柔らかいものを崩すときってためらっちゃうんだよね、固いもの相手ならガンガンいけるんだけど・・」

って、つぶやいたのを聞いて、








彼女は本当にコミュニケーションに生きているんだなって、
ちょっと、ハッとした、今日でした










誰かを神とみなす試みのススメ

2011-08-11 | フォルテネージュ


それが可能だと思える誰かを選んで、神として見てみない?




会ったり、話したり、触れたりできる、
この世で人のかたちをとった生命体なんだけど、

この人は神だと、思ってみるの

 

 

 

 

間違えないで欲しいんだけど、

あなたはその人のこと、大好きだとしても、


性格や言動を、
何でもかんでも気に入っている必要はないの

賛成する面もあるし、
価値観や趣味が違うってことが、あって当然


何でもその人の言う通りにしようとか思わなくていいし、
おすがりすれば、ステキな道具を出してくれる便利な人じゃなくていい




 




ただ、神として見ると思うだけで、

あなたが、
何を言っても、やっても、
その人はそれをそのまま見ていてくれるだろう

放置でなく、
ちゃんと見ていてくれるだろう

どんなあなたに接しようと、その人のまなざしは、まったく変わらないだろう









そして、あなたの宇宙において、その生命体は、

この上ないタイミングで魔法を使い、
ナイスなメッセージを送ってくれ、

あなたはそれで救われて、
あなたはそれで気づきをもらい、
あなたはそれで満ち足りる


 

 

 




すべてはあなた自身が創り出していることだから、

自分の外側に神を見ることで、
自分の内側に、その光源である神を見出しているんだってこと、
気づいているといいと思うよ



 





 
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出来事はあなたが与えた意味以外の意味を持たない

2011-08-11 | フォルテネージュ


どんな出来事も、あなたが与えた意味以外の意味を持たない


たとえば、他の人から見て、
あなたが誰かに裏切られたように見える出来事でさえ、

あなたが、そう意味づけしない限り、

あなたは“裏切られた可哀想な人”にはならない

それは、
当の誰かの心の中とも無関係なんだ







中立である出来事に、与えたい意味を選んだら、
それを目の前に据えることで、自分の心が決まり、
言いたいこと、やりたいことが、浮かび上がってくるよ

そして、心のままに行動していくことで、
自分の与えた意味が、もっと展開していくのが分かる


だから、
自分のしたい経験は、自分で選ぶことができるんだよね

 

 

 

裏切りと経験したいか、
新たなチャンスと経験したいか、

自分で決めることができる


だって、何も、決まっていないんだもの
あなたの世界は、あなたが変えられるの











だから、
出来事の完璧さを見る癖と、
古いページを破り捨てて、いつもまっさらな眼で出来事をとらえる視点があると
相当、生きるのに心地良いって思うよ







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