Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

誰かの行動の原因はその人の価値観にある

2011-06-29 | フォルテネージュ


誰かの行動が受け入れられないとき、
その行動に、根本からの変化をもたらそうと思ったら、

その人が持っている価値観や信じていることに働きかけることが不可欠

行動だけをコントロールしようとしても、
一時的な変化だけで、また元に戻ってしまう

だって、行動の根本には、価値観があるから







たとえば、あなたに子どもがいるとして、
その子が、なかなかやるべきことをやらないでいるとする

学校の宿題とか、決められた家の手伝いとか、
伸ばし伸ばしにして行動しないとする

そんなとき、
親のあなたは、
しばらく様子を見ながらも、改善の兆しがなければ、
「宿題、やりなさい!」って叱るよね、当然

で、子どもはしぶしぶやるか、反抗するか、
いずれにしたって、
叱られて何かやることが楽しい人なんて誰もいないんだ









その子は、こう考えているのかも知れない・・
「ボクなんて、どうせダメな子だもの。」

もし、そう思い込んでいるとしたら、
「ダメな子」ってのは「何事もちゃんとできない子」のことだから、
ダメな子のボクは、宿題しない、お手伝いしない・・・

こういうことって、本人も無意識のうちにやっちゃっていることって案外ある

そして、叱られて、落ち込んで、
ますます、「自分はダメな子だ」っていう幻想を裏付ける現実を創り続けていくんだ








そうであれば、
「ボクはダメな子」から、「ボクはステキな子」に変わるような働きかけをするのがいいよね

ひとつの方法は、

好きなこと、得意なことを見つけて、光を当ててあげる
何でもいいんだ
その子を、さりげなく、でも、他の人のいる前で褒める、とかね

「笑顔がいいね。」
「ご飯を美味しそうに食べてくれて、お母さん、嬉しい!」ってのもアリだよね


もしくは、皆の注目を集めるような立場に置くのが効果的なこともある





そうやって、自分の中にステキなところがあるってことに気づかせていくと、
自己肯定感ってのが生まれてきて、
自尊心ってヤツに育っていって、

そこまでいけば、
自然とやるべきことをやるってことに結びつく

「この素晴らしいボクが宿題をやらないなんて考えられない!」











その行動がどこに端を発しているか、
その源は、必ず、その人が、考えていること、信じていることであって、
その信念に照らし合わせれば、
人間は、誰も間違ったことをしていないし、最適だと思う行動をしている


何かを無理矢理やらせようとせず、

ただ、何を信じた結果そうしているか、って視点を持つだけで、
相手にとっても優しい対応になるし、
理解し合える一歩になると思うんだ

 



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            *このたび、フォルテネージュのホームページが携帯からもアクセスできるようになりました! 


                           

  


自分を個体ではなく振動する波だと認識する

2011-06-24 | フォルテネージュ



ある三人模様のお話を聞いたのね

三つどもえとか、三すくみ状態とかって言葉があるように、
三者関係ってのは、緊張を産みやすいんだけど、
少しの刺激が全体に大きな影響を及ぼす関係性でもあるよね

 




で、三角形を織りなしていた、その3つの点、

あくまでも、自分たちは、点だ、粒だと認識するのが、
物理世界にいる立場としては、最も理解しやすい状態だから、
それまでそうしてきて、緊張感ある三角関係だったわけだけど、


ここで、そのうちのひとつが、
自分は、粒じゃなくて、波にもなれるってことを思い出したとする

で、実際、
自分を波として認識し始めたの

ひとは、つねに、自分の中に見るものを外界にも見るから、
他のふたつの点も波と見えてきて、

そうなるともはや、三角形などではなく、
なんだか、ゆらゆらとお互い影響しあう、形容しがたい形状になって、
奥行きやら丸みやらが出てきて、
開いていたり、閉じていたりとかする、単細胞生物みたいなものに変貌を遂げて見えたわけ









3つが絡み合っている以上、

そのひとつの認識の変化は、
他のふたつに、瞬間移動するから、

自分も以前と同じ状態じゃいられなくなる、
変わらざるを得なくなる









こんなふうにして,
動かない三角形,テンションのある堅い質感を持ってたそれは,
柔軟で流動的で,不定形な有機的エネルギー体として存在する時空間を開いたんだ







おもしろいのはね,

見せてもらった,この同じ場に相対するものが,
私の目の前だけじゃなく、私の背後にもあるってこと

私自身は,この2つの三者関係に内包されてはいなくて、
一見、蚊帳の外なんだけど、

蚊帳の外じゃなければ、果たせないことがある



まるで,今のこのダイナミクスを,
もうひとつの場に転写する媒体になれと言われているみたいに感じたよ








もちろん,私がその立場に立った途端,
もう変容は始まったみたいなんだ







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「真実はいつも無限大数」(by 迷探偵コナン)

2011-06-22 | 量子論?


古典物理学では、

客観的事実というものが、私たちとは別個に存在して、
私たちはそれを観測できるものということが、疑いなく信じられてきたけど、

量子論では、

客観的事実は存在しないってことが世に提示された


自然は、誰も観測していないときは何も決まっていなくて、
誰かが観測したときに、初めて状態が決まるんだ







電子は普段波の性質を示していて、
観測したときには粒の性質を示す


電子は、あちらにもある、こちらにもあるという非局在的性質を持っていて、
観測したときには、一カ所に収縮して、ある場所にいる状態になる


人は決して、波の状態にある非局在的な電子を見ることは、できないの
なぜなら、見ようとして光を当てることで、
光のエネルギーが対象に影響を与えてしまうから、
どうしても、その前の状態そのままを、見ることはできないんだ



ミクロの世界のものだけでなく、巨大な月でさえ、
誰にも見られていないときは、
厳密に言えば、ファジーでぼやけて、さまざまな場所にいる








アインシュタインやシュレディンガーは、
人間の観測に左右されない「客観的事実」や「実在」が存在することを信じたかったけど、

最後には、

「それ(量子論の考え方)は好きじゃない。」という渾身の反論に出るしかなかった









「客観的事実なんかない」

そういう立場に立ったとき、初めて、
人生が気づきのプロセスじゃなくて、創造のプロセスになると思う


確固としたものが、自分の外側にあるわけじゃないんだ
「真実」だって、「ライフパーパス」だってそう、
いつでも変わらずそこにあるものなんてないんだと思う、万物は流転しているんだしね


でも、そのときのそれを、観測することはできる

そして、観測は、自分という存在を通じてすることになるから、
自分と対象をセットで考える、一元論の見方になって、
そこで、陰陽の太極図のイメージが登場するの








自分という存在がある限り、
自分が知覚、体感、体験する「真実」は、
やはり、「自分にとっての真実」でしか、存在しない

・・というのが、「私の真実」なんだよ


   



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さよなら、ピアノ、ぼく、フォルテ

2011-06-21 | フォルテネージュ


数日前、
近所を歩いてたら、
ある家の2階の窓へ、ピアノを運び入れようとしているのに遭遇したのね





そしたら、昨日、
実家の母から電話があって、
「ピアノ、Rちゃんに譲ることにして、明日運び出すからね。」って言われた

「そっかぁ・・分かったよ」





私が小学3年生頃に、我が家にやってきたアップライトピアノ
最初はとっても嬉しかったんだけど、
指動かなくて、全然うまく弾けなくて、
毎週のレッスンが嫌いになって、小6で辞めちゃって、

中学高校では、ポップスなんかの楽譜を買ってきて、好きな曲を好きなように弾いてたっけ


家族で私以外に弾く人はいないから、
私が大学入って実家を離れてからは、時々帰省のとき、気まぐれに弾くか弾かないかだったから、
リビングで、あの巨大な黒い箱は、休眠状態に入ったわけだ







Rちゃんは、私の唯ひとりの姪っ子で、
まだ3歳なんだけど、ピアノを習うことになったんだって
で、有効利用ってことで、実家から数百キロを運ぶらしい







私、ちょっとノスタルジックになって、
夫に「ピアノ、家からいなくなるよ・・・」って、メールしたらね、

「可愛い姪っ子が嬉しそうに弾いている姿、想像するだけでも幸せになりそうだ。ピアノもきっと喜んでいるよね。」って返ってきた

「そだね。ピアノ、もう40歳近いよ、Rちゃん3歳なのにね。」

「里誉の幼なじみが、Rちゃんのお友達になるのか・・」





ねえ、私、
この人のこの優しさが大好きで、結婚したんだよ





あまり触ってあげられなかったけど、
うまく弾いてあげられなかったけど、

Rちゃんにたくさん奏でてもらってねって、心でピアノに話しかけてたら、
突然、ツーンって耳鳴りがしてさ、
まるで、ピアノのひとつの鍵盤を、ターンって叩いたみたいな音だった

絶対音感がないから、何の音階か分からないけど、
確かに、答えてくれたって思ったよ


そして、今、私の足元では、
「そろそろ、ボクにご飯、ちょうだいよ~」って、ピアノならぬフォルテが鼻を鳴らしておねだりしてる






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ちゃんと見てる?ちゃんと聞いてる?

2011-06-20 | フォルテネージュ

 
世界には問題が山積みになっているのに、
どうして、失業している人の数が増え続けているんだろう?





世界で起こっていることは、
私たちの中で起こっていることなのだとしたら、




私たちが、自分の能力を最大限に生かしていないってことかもね




見えているのに、ちゃんと見ていなかったり、
聞こえているのに、聞こえていないと思っていたり、


自分で思うより、いろんな才能があるのに、
「私にはない・・」と思い込んでいたり、






眠っている感覚や、
休業中の脳細胞や、
開いていないハートのひだなんかを、

この際、目覚めさせて、活動開始と指令を出して、
出力全開にしていけば、








みんなが自分の仕事を活き活きと誇りを持ってする、
そんな地球になるかもね







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一方的な彼女を創った私

2011-06-18 | フォルテネージュ


友達が電話をかけてきて、
興奮した様子で、テレビ番組で見た宇宙のお話を始めたの


「ねえねえ、聞いて、聞いて!」

宇宙の謎のひとつが、最新の研究によって明らかにされていて、
それは、現在の「科学」のもののとらえ方を、
遙かに超えないと理解不能なことで、

そんなパラダイムシフトの入り口に立った彼女は、
宇宙の番組を見ながらにして、この地上の、人間にまつわることを理解しつつあったんだ

私は、目を閉じてその話を聞きながら、
彼女の瞳が、その発見に、キラキラと輝いているのを、心で見て、嬉しくて、

時々、相槌を打ちながらも、
彼女のペースで、話したいことを話したいように話すスペースを空けてたのね








でね、

どんなに心躍ることだったかを語り尽くした後、
彼女は、「じゃ、仕事があるから」って、電話を切ろうとして、
「なんか、相変わらず、一方的だったけど・・・・」って、言ったんだ
そう、彼女からの電話は、そういうパターンって、多いかも


でもね、
彼女が一方的だったとしたら、それは私の態度なくしてはできないこと


彼女が「一方的」であることを表現したのは、私との共同創造で、
私が自分の目の前に、一方的な彼女を出現させたのも、彼女との共同創造ってやつ


だって、そうじゃないことを選ぼうと思えば、
私にも、彼女にも、たくさんの選択肢があったはずで、
にも関わらず、彼女も私も、それを選んだのは、



それが一番望むことだったから








誰かとの関わりの中で、
「どうしてこの人、いつもこうなんだろう」って思うことがあれば、

それが、快適でも、そうでなくても
それは、その人と自分との共同創造でしか、あり得ないんだと思うの







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フルーツ好きな私のオルタナティブな選択

2011-06-16 | フォルテネージュ


久しぶりに見たテレビの情報番組で、
とある老舗の高級フルーツパーラーが、
「世界のフルーツ食べ放題」ってのをやってるって聞いて、

フルーツ好きな私は、非常に興味をそそられたの




予約は1ヶ月以上前から、ネットと電話で受付だったから、
その日の午前9時、予約開始のタイミングでもって、ネットでアクセスしようとしたけど・・・!


まったく、もって、つながらないのさ

15分後、やっとページを開けたかと思ったら、
すでに満席状態だった・・


電話予約も同じこと、
殺到してつながらないんだ

何度かけても同じこと・・







そこで、私は思ったの
そんなに行きたい人たちが多いなら、私はその人たちに譲ろうって

だってね、ついこないだ、
街の果物屋さんがやっている、素朴なフルーツパーラーを発見したばかりなんだ
思えば、まるで、このことを見越していたかのように


そして、私は、何日も待たずして、

果物のように瑞々しく可愛らしいママさんや、
果物に生涯を捧げた職人かたぎのマスターが、気さくに話しかけてくれる、
果物を愛するお客さんでいっぱいの、明るく楽しいお店に行って、

季節のパフェやフルーツサンドを、
あったかい気持ちで、とっても美味しく、いただいてきたってわけ



 

 





競走して、一部の人たちだけが、何かをゲットして、勝者の気分を味わうような、
そんなシステムは、もう、見直す時代になっている

それでなくても、自分を喜ばせる方法は、いくらだってあるから、
誰かによって、<ステキ>とレッテルを貼られたものだけを、一生懸命追いかけてなくていいんだ

大切なものや価値あるものは、あまりあるほどある
皆に行き渡るだけ、充分にあるからだいじょうぶ
急がなきゃ、人を蹴落とさなきゃ、ハッピーになれないってのは、
やっぱり、どこか、おかしい気がする


何がほんとうに、自分にとっての豊かさか、
心で考えて、気づいて、選んでいくことって、とっても気持ちよいと思ったよ







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宝と傷が一緒だなんて誰が思う?

2011-06-15 | フォルテネージュ


私は、その人のある部分を見て、「宝物」だと思ったわけ
それがあるからこそ、その人は、繊細で深みのある感覚を持っている

天が与えた、とても素敵な条件設定だと感じたの

 


でも当の本人は、それを「傷」だと言ったんだ
「コンプレックス・・、ときどき、他人がうらやましくなる」とね




私は何だか悲しくて、
その価値を、素晴らしさを、伝えられない自分の無力さ加減が恨めしかったなぁ




でも、そのことについて二人で話すうち、
不思議な感覚になってきたのね

 


「傷は傷のまま、そのままでいい。なんとかしようと思わない。
それを愛でて、慈しむ。自分に傷があるから、傷のある人を見たとき愛おしいと感じるよ。」

 


静かに穏やかにそう話すその人を見ていたら、
何だか私と同じことを言っているように感じて、



えっと、私、なにが悲しかったんだっけって
分からなくなっちゃった

 



ふふ
おもしろいね


世の中に
もしかしたらこういうことって多いかも


すれ違いだと思ってたら、
ビンゴで合致してるって可能性

 


同じことを表すのに、人によって、違う言葉を使ってて、
ときには、それが、正反対の意味にさえ聞こえる
それは、心で話さないと、分からないことなんだね

 



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自由に生きる 愛に生きる

2011-06-14 | フォルテネージュ


あなたは、人一倍、自由であることが必要な人なんだと思う


誰が何と言おうと、
やりたいことを、やりたいときに、やりたいようにすること

道徳とか、障害とか、常識とか、しがらみとか、
ときには、自分の過去の発言すらにも、束縛されず、
万が一、束縛されるとしたら、自分で束縛されることを選んだときだけ・・


そんなふうに生きることを、自分の命題としてこの人生に携えてきたんだ






でも、今まで、そうしようとすると、つきまとってきたのが、
ジコチュウだとか、無慈悲だとか、一貫性がないとか、って非難の声なんだよね

「自由は、そういうことと共存しなければあり得ないのだろうか」って、
ずっと、苦悩し、葛藤してきたんだよね


だから、
自分の一番やりたいことを黙殺して、
我慢して、努力して、いつも、ふらふらになっていたんだよね









自由であることと、愛であることを両立させる
あなたが、したいのは、そういうことだと思う


自分と他人と環境はじつはつながっていること、
人にすることは、自分にすることだというニューパラダイムに生きたとき、


自由であろうとすると、愛そのものになるしか他に方法がないって次元に、
今、シフトしようとしているからこそ、
あなたの心の中に、何度も繰り返し、浮かんでいるんだと思うの






 
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カップルをひとりの人間としてみる

2011-06-10 | フォルテネージュ


ある一組のカップルがいて、
彼は彼女からずっとこう言われ続けている

「私のことだけを見て!他の女に目もくれないで!」



彼がすっかり圧倒されるくらいの激しさで、彼女は、いつもそう迫ってくるんだ





もし、そんな状況があったとして、こういう見方はどうかしら?




そこには、ひとりの人間しかいない
彼と彼女がいるように見えるけど、
じつは、“彼ひとり”しかいないんだ


彼は、幼い頃から、自分のことをあまり振り返らず、
人のことばかりを優先してきた
人の気持ちや人の望みを叶えることばかりを、考えて生きてきた
だから、大人になった今、自分が何をしたいか、何を感じているか、どうなりたいか、分からない

自分が自分を大切にすること、
それをすることは、今、彼自身の、緊急課題なんだ






で、そこへ持ってきて、
彼女のように見える彼が言うの

「私のことを見て!他人なんて気にかけないで!」

きっと、彼女は、彼の中にいるこれまで抑圧されてきた彼自身が、具現化した姿なんだ


だから、たぶん、ほんとうに、彼が自分自身を大切にするまで、
彼女は、彼に、そう言い続けるんだと思う



そして、彼が変わっていくにつれ、
彼女の言動も、変わっていくんだと思う







そして、これは、彼から見たストーリー
彼女のほうから見れば、また、まったくちがったお話が展開されているんだよね






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信じようとするとき、信じていない自分に気づく

2011-06-09 | フォルテネージュ


誰かを、何かを、
信じよう、信じようとすればするほど、
「今、信じていない」ということが、強く迫ってくる




誰かを、何かを、
愛そう、愛そうとすればするほど、
「今、愛していない」ということが、浮き彫りになってくる




誰かに、何かに、
なろう、なろうとすればするほど、
「今、なっていない」ことが、大きく立ちはだかってくる











《何かをしようとする》ことによって、
《そうでないこと》とのコントラストにスポットが当たる
だから、
気づいたら、すでにそうなっていたってのが、ハーモニックでいい感じ






気づいたら信じていた
気づいたら愛していた
気づいたら、なりたい自分になっていた


 

「では,そうするためには、どうしたらいいか」、なんてのも要らないの
《しなければならないこと》なんて、何もない
もちろん、《何もしてはいけない》ってのもないんだよ




《信じようとする》のをやめることが、《信じている》の、
《愛そうとする》のをやめることが、《愛している》の、
《なりたいと切望する》のをやめることが、《そう在る》ことへのファーストステップとなる


これが、無為の為ってやつだよね





でも、そうなると、
望むことから遠ざかれって言うの?って、疑問が湧いてくるけど、

望みはね、それを決意するときに意味がある

それは、私たちが、自分はこういう人間だと宣言する方法だから


努力や試練を経験してこそ真の自分になれると信じていればそうなるし、
変化の選択肢から、望みのひとつを選んで、一度、Enterキーを押しておけばOKって信じていれば、
力まずとも、宇宙がそこに連れて行ってくれるのさ


少なくとも、私は、そう考えると、自分のこれまでがしっくりくるの



自分の心に浮かんできた、真の望みの実現は、
自分の中に、すでにセットになって、存在している

宇宙のシステムエンジニアに聞いた、とっときのヒミツ、
これ、間違いないよ~






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おめでたい、左脳停止!

2011-06-08 | フォルテネージュ


「ホント、珍しいよねー」って言っちゃった
私がそんなことをするの、あまりないんだよ





大好きな友達が案内してくれた中華街のとあるお店で、
超美味しいあれこれを、ふたりで、満腹まで食べまくって、

デザートに、
マイ・フェイバリット・スウィーツ、ココナッツ餅団子を食べていたときのこと


友達は、初遭遇のその中華菓子に感激で、

最後のひとつを食べるとき、
「これ、さめても美味しいんだ!」って言ったのね

私、「さめても」のところが、別の言葉に聞こえて、
間髪入れず、聞き直しちゃったの。。




 

 

 

 

 

「たぬきも???」





 

普通なら、
文脈から考えて、そこに「たぬき」が入るわけはないのだから、
いくら聞こえたとしても、聞き返すなんてことはしないさ、断じて

ウケ狙いで言うことはあるかもだけど、、、

でも、そのときは、
ご馳走の消化のほうにエネルギーがいっていたせいか、
そういう思考回路が機能停止状態で、

聞こえたとおりに、
左脳の検閲なく、
狙いもなく、
気づいたら、発音してて、

そのあまりの原始的な反応に、
自作自演で、いきなり、笑いのツボに入り、
上半身を揺らして、隣のテーブルに頭ぶつけながら、笑いこけちゃったのさ

それ見て、友達も、大笑い

ふたり、しばらく、回復できなかった・・







「SAMETE と、TANUKI は、3つの子音が酷似している!」とか、やっぱり分析しながら、
またおかしくて、立ち直れず、笑い崩れ・・・






常識や理性といった左脳の働きが超ブリリアントな里誉さんとしては、
たいていの場合、意味ある会話を進めたいって思うんだけど、


いやあ、
意図せず、左脳が止まるときってのは、こんなに、愉快なんだね

摂取せずして、自動的に、脳内にアルコール様脳内物質が生成分泌されている感じだった







だって、今日も、ひとりで道を歩きながら、思い出しちゃって、
吹き出して、にまにまして、
まるで、「イカレテイル」状態が、ふと再現されるんだよ






みんな、祝福してねっ

「おめでたいねー」って

 

 



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誰も何も批判しない‘深層民主主義’

2011-06-06 | トランスパーソナル


大きな舞台で卒業宣言できなかった、一国の代表を、
どうか批判しないでいて
彼は、自分がヒーローになることより、
国民に強いることになる大きな犠牲を優先して考え、
何とか回避できないものかと、わずかな希望を持っているのかも知れない



マニュアルでしか動けない若者を、
どうか非難しないでいて
だって、彼らは、宇宙から来たエイリアンで、
未来で活躍するための、高度に進んだ意識はあっても、
現在の地球での身の処し方は知らないのかもしれないんだ

 


福島県ナンバーの車に、
口紅で「帰れ!」と書いてしまった関東の人を、
どうか、ひどいヤツだと切り捨てないで
彼も、こわくて、しかたがないんだ
安全が欲しいだけなんだ







一見して、

ていたらくだったり、
怒っていたり、
情けなかったり、
愚かだったり、
理不尽だったり、
攻撃的だったり、することって、

 

批判したり、抑圧したり、見ないようにしたり、したくなるんだけど、
それにはそれの立場があって、全体に何かを投げかけている
賛成しなくていいの、ただ、受け入れよう
受け入れることは、変化を諦めることではなくて、変化のための第一歩になる


グループに立ち現れるどんな部分も、大切な構成メンバーとして尊重して、
「そうである」と認めることからしか、グループとしての変容は生まれない

これが、プロセスワークでグループを扱うときの、
深層民主主義(ディープデモクラシー)という態度なんだ


何も批判しないこと
何も非難しないこと

 

 



だって、たまたま、ある人が、そういう行動を取っているように見えるけど、
じつは、その行動は、グループの他の人々の中で抑圧されている感情とつながっていて、
敏感に呼応した人が、その役割を担って行動化しただけのこと




だから、皆つながっている
一度無視しても、また、つぎ、違うかたちで、現れ続ける

手放すためには、いちど、しっかり握りしめてからじゃないと、できないじゃない?






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自分を定義すること~宣言のススメ~

2011-06-04 | フォルテネージュ


あなたは、
「自分が何をしたいのか分からない」という幻想から逃れて、
私のところに来たよね



幻想を<抱いてきた>のではなくて、
もうすでに、置いてきていたのが、分かったよ


だから、
考えるのをやめようって言ったんだ

必死に考えることで導き出される答えは、また、その後、ひねり出された考えで翻ってしまうから




ブルース・リーも言っている
感じること、
自分の身体の感覚に集中することの大切さ

どうしたらいいかは、身体が知っているのだから、
感じることによって、そこにアクセスを試みる
それで得られた「感覚」は、
魂に、深く消えない印を刻み込んで、やがて、インスピレーションとなって意識の層に浮上する



だから、私が何を言うでもなく、
あなたは、自分で自分を思い出し、
高らかに、宣言文を、私に送ってよこしたんだ


それには、たくさんの、「私は、○○である」って意図が綴られていたね

 

葛藤や苦悩という幻想にとらわれたときは、
自分について宣言をするチャンスらしい


それだけで、自分のある部分から、ある部分へシフトできるから


「私は気分がふさいでいる。」から、「私は実に愉快である!」へ
「私には充分な能力がない。」から、「私は仕事をできぱきこなす!」へ


好きなように、思うように、
ただ、自分は、○○であると、言ってのければいいだけなんだ





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すでに全員が覚醒しているとの意識にシンクロせよ!

2011-06-02 | フォルテネージュ

 

私の先を行き、光となって道を照らしてくれる人から、
こんなメッセージがあったんだ




                        すでに全員が覚醒しているとの意識にシンクロせよ!

 

 

だから、私も、賛同することにしたよ
すでに地球上の全人類が悟りを得てる「平行現実」にシフトする






魂はすべてを知っている叡智そのものだから、
私たちは、何かを学ぶ必要はなくて、ただ、思い出すだけでいい

その証拠に、
何か新しいことに触れたとき、
確かに初めて見知ったことのはずなのに、
「これ、私、知ってた!」って思うことってない?




私たちは皆完璧
そう思えないのは、幻を見ているから


起こる出来事も、すべて完璧


望むことが起きますようにと願うより、
起こることはすべて完璧だと知っているのが、あなたでしょ?


だからこそ、
起こることと望むことが一致するんだよね



     
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