彼は、末期ガンを患っていました。
私たち夫婦と古くからの仲間だった彼は、
便りに、「あと余命1から3年と、医者から宣告されました。」と書いてよこしました。
「お二人とも、元気で仲良く共にお過ごし下さい」と・・・
私はその頃、
患者本人のビジュアライゼーションやイマジネーションが、
重篤な疾病を奇跡的に回復させる要因となるとの報告も聞いていたので、
ふと、世界遺産の写真集を彼に送ろうと思い立ちました。
「世界中の美しいものを見て歩いているご自分を想像してみて下さい。」とのメッセージを添えて。
すぐに、良さそうな本を取り寄せました。
でも、
果たして本当にそれが彼のためになるのか、
彼の心の状態によっては、
もしかしたら、不要な波風が立つかも知れないとも思い、躊躇していました。
便りをもらって、約2週間後、
奥さまとまだ幼い男の子を残して、彼は亡くなりました。
世界遺産の写真集は、彼の棺に入れてもらうように、ご遺族に頼みました。
今思うと、
彼は、あの便りを書いた時点で、
旅立ちの決意は固められていたと思います。
だから、
私は、写真集を送らなかったことを、後悔する気持ちはありません。
あれから、彼のことが時に頭をかすめます。
最近では、こんなメッセージを送ってくれました。
結局さ、闇は光なんだよね。 光と闇はふたつでひとつだったよ。
その数時間後、
私の読んでいる本に、こんな記述が出てきました。
私たちは、陽、光ばかりを追い求めがちだけど、
陰がなければ、陽の価値はない。
こころが開花するためには、闇を味わうことが不可欠で、
それでこそ、魂の成熟がある。
陰陽のどちらが欠けても世界は成り立たず、
陰陽のどちらもあって、完全性がある。
ちょっとシニカルで、脱力系無頼派って感じで、
でも、まっすぐにあったかく、人に接する人でした。
今、私の手元にも、彼に送った、同じ写真集があり、
光にあふれた神々しいばかりの風景を眺めながら、
彼のことを思い出しています
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
彼女は、いつもそうなのですが、
そのときの魔女界の最新情報、秘儀、奇跡のアファメーションなど、
とっときのお話を、私に聞かせてくれます
それも、おしげもなく、ふんだんに
これこそ、リッチの法則
彼女は、
豊かさと悟りのアファメーションを、私に教えてくれて、
なおかつ、その場で、
唱えてごらんなさいと、言いました
私の口から出たその言葉は、
熱を帯びて、確かなエネルギーとなって、そこにありました
私は、
そのアファメーションもさることながら、
彼女のカラダそのものから、光を受け取ったような気がします
他の人を豊かにしようとする人が豊かになる・・・
どうやら、
彼女に、リッチ&ハッピーなできごとが雪崩のようにやってきて、
今までより、いっそう、ライトワーカーとしてのお仕事が多忙になるのは、
時間の問題のようです
よく、
お金が欲しい人は、他の人にお金を与えなさい、
愛が欲しい人は、他の人に愛を与えなさいって、言われます
これって、
一見、道徳的なことのように、聞こえますけど、
別に、
自分より他の人を大切にしましょうって、言ってるわけではないのです
ものごとが、実現化するには、
エネルギーレベルで働きかけると確実
エネルギーレベルで、「私」とは、生きとし生けるものすべてだから、
目の前にいる人を自分だと思って、その望むことをしてあげようとすることは、
「私」の意識が、宇宙の意識に近づいたことになって、
だから、宇宙そのものが本来持つ、豊富さ、喜び、愛情が、
自然に、三次元に流れこんでくることになるのだと思うのです
出ていったものは必ず入ってくる、循環の法則は、宇宙の大原則
ボイジャータロット、大アルカナ10、「Fortune(運命の輪)」です
そして、入ってきたら、再び出す
出すときは、他の人と喜びを分かち合う方法を見つけてね
富でも、情報でも、エゴのなかに貯め込むのでなくて、
循環させていくと、
皆、豊かになって、自分も気持ちいいでしょ?
宇宙には、
全人類が充分すぎるほどもらっても、まだ余りある、富の泉「コノコピア」がある・・
だから、
心配しなくても、
与えるものがもらうもの
何に対しても、お金を払うときには、
しぶしぶではなくて、
必ず、喜びを伴って出すようにすると、
何より、とっても豊かな気持ちになりますよね
税金の払い込みに対しても、「私には、これを払うお金があって、良かった!」とか、
プレゼントを買うにしても、「あの人が喜んでくれると、私も幸せ!」とか、
そんな気持ちです
「一応、出すけど、絶対、入ってくるんでしょうねえ」っていう欲得ずくな心は、
本当に裕福な人には、無縁です
何のために豊かになるか
自分だけは!というサバイバルでなく、自分なんか・・・っていう卑小感でもなく、
私もハッピー、あなたもハッピー を、目指しましょう
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
またまた、
興味深いパラドックスをひとつ、見つけちゃいました
自分の欠点を素直に認められる人は、完璧である
素晴らしい
欠点があるのは、人間であることの前提条件みたいなもので、
当たり前のことなのに、
素直に認めるには、ある程度の悟りが必要ですよね
これも、私が好きなたとえ話、
導師と他の村に住む男の会話です
村人A 「この村に引っ越して来ようと思うのですが、ここの人たちはどんな人たちですか?」
導師 「あなたの村の人たちはどんな人たちでしたか?」
村人A 「嘘つきや詐欺や悪人ばかりでした。」
導師 「ここの村の人たちも同じですよ。」
村人B 「この村に引っ越して来ようと思うのですが、ここの人たちはどんな人たちですか?」
導師 「あなたの村の人たちは、どんな人たちでしたか?」
村人B 「とても親切で、優しくて、温かい人たちでした。別れるのが残念です。」
導師 「この村の人たちも同じですよ。」
スピリチュアルの達人のみなさまには、
すでに、耳たこになっていることだと思いますが、
人間関係は自分を映す鏡だっていう考え方があります
自分が嫌いだと思う人、好きだと思う人の要素は、すべて、自分が持っているものだと言うのです
たとえば、
Aさんが、Bさんのことを「無能で、ぐずで、人に頼ってばっかりだ!」と思ったとすると、
無能、ぐず、人に頼ってばっかり という、この3つの特質は、
すべてこのAさんが持っている性格です
なぜなら、
相手には実体がなく、
常に、人は、自分の中で作られた相手のイメージを相手だと思って見ているのであって、
その幻は、自分の中にある材料でしか、構成され得ません
相手の人物像を説明するときに、自分のなかでどんな形容詞が思い浮かぶか、
どんな才能を認めているか、いないか、
それらに注目してみると、
全部、言っている本人が持っているものであることが分かります
自分の見ている宇宙は、自分の内面の投影であって、
同じものを他の人が見たら、まったく、違ったように見えるものなのです
同じことが、憧れる人に対しても言えます
歌舞伎役者の市川海老蔵が、亡き祖父の舞台を録画で見て、
「しびれるほど美しかった」と思ったのは、
海老蔵のなかに、それを体現できる才能があるから・・・って、江原さんがおっしゃってましたね
人は、自分の中にないものを、他の人に見ることはできません
このとき、
本人がとてもその要素を嫌っていて、
絶対にそれが出てこないように抑圧していると、
何が何でも、否定したくなります
「絶対に、私には、そんなところはありません!!!」
でも、
本当は、
それが出てこないように、一生懸命、努力して、無理して、頑張っているのです
その否定が強ければ強いほど、
その性質は、表現の場を求めているので、
いつか、暴走して、大惨事に発展する危険さえあります
おっと、これは、脅しに聞こえますが、
そのとおりです
だから、
人のことを悪く言うとき、
それは、自分のことを言っていると聞こえることを、
知っておくと良いと思います
そう思って、テレビを見ると、
時事問題を批判しまくっている、ワイドジョーの司会者とかコメンテーターの人となりもよく分かります
そして、
人は、こういう考え方を知ると、
他の人、とりわけ、誰かに不満を持って怒っているような人に、
「それって、あなたの鏡なのよ。」って、伝えたくなるのですが・・・
やっぱり、
こういう、スピリチュアルな法則って、
自分自身で見つけて、自分のものにしていくものなので、
現在、
人間関係で苦しみまくっている人に、それを言うのは、
新たに、別のハードルを設定することになります
被害者が新たな被害を受けるという、二次被害です
もちろん、
精神状態に余裕がある場合は良いのですが、
悩みや怒りに翻弄されている人には、残酷で、イタいことです
だから、
思慮深いカウンセラーさんは、
人間関係に悩む人に、法則を突きつけるようなことはしないと思います
嫌いな人には、自分が見えていないところを見せてもらえるし、
好きな人には、あなたにもそれができると励まされる
人間関係は、
栄養がいっぱい詰まっていて、魂が伸びるのに必要なようです
時々、成長痛ってのもありますが。。
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
先日、あるヒーラーさんと、遠隔ヒーリングの交換をしたのですが、
とてもパワフルでした
仰臥の状態で受けていたのですが、
開始直後に、ハートチャクラにズキュンと圧がかかり、
それがどんどん広がって、強くなっていきました
私のイメージとしては、
大地の女神から、ハートに直接、栄養のミルクを注がれているような。。
そんな安心感がありました
やっぱり、テーマとしては、グラウディングだったと思います
ビジョンは、
地球のすぐ上に浮かぶ土星でした
そして、
私が彼女に送ったときは、
すぐに、ある色を受け取ったそうです
それは、私の一番好きな色でした
もちろん、
私は彼女に、その色が一番好きだと話したことはありませんが、
ちゃんと、伝わっていたようです
また、
約1ヶ月前から、
別のヒーラーさんたち4人で、週1回、同時に遠隔ヒーリングをしています
それぞれの願望実現を互いに支え合う目的です
4人は、
レイキのブラッシュアップクラスでたまたま席が近かった者同士ですが、
遠隔後のシェアリングで、メール交換するうち、
たくさんの共通点があることが分かってきました
性格的にも、
好きなものも、
過去、悩まされたことも、
家族関係も、
そして、現在置かれている、立場も・・・
遠隔している30分の間の、
同じような時間帯に、
一人は、突然の強い熱を感じ、一人は突然の強い光を感じる・・・なんてこともありました
ある人が受け取ったメッセージが、
他の人にぴったり当てはまったり、
メッセージとシンクロするようなできごとがあったり、
確実に、縁のある4人でした
私は、レイキをするときは、だいたい、ビジョンを伴うのですが、
4人の遠隔のときは、
ローズピンクの薔薇が出てきます
お花がダイヤモンドのしずくでつややかに濡れていたり、
大きなパラボラアンテナに変身したり、
そのときどきで表情を変化させて、成長していくので、自分でもおもしろかったりして・・・
ふつう、人が他の人を理解していくプロセスは、<会話>を始めとするコミュニケーションだったりしますが、
遠隔をすることで、
レイキというエネルギーの世界に一緒に入り込む経験を共有して、
体感や感覚、ビジョンに先導されながら進むと、
無意識の深いところで触れあっているような感じがします
そして、
物理的な身体という垣根を越えて、<大きな自分>として、エネルギーの世界に存在することが、
願望の実現や、健康や、スピリチュアリティの成長に、
直接つながっていくのだと思うのです・・・
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
オードリーに、かなり、やられています
去年のM-1、敗者復活戦からの準優勝のときから
一見、華がなくて地味に見えるけど、
キワモノ春日をあやつっている若林クンに釘付けになりました
今年の夏頃、「未来創造堂」という番組で、若林クンが言っていたこと
デビューして6年くらい、ずっとウケなくて、落ち込んでいたとき、
岡本太郎さんの本に出会った若林クン
そこには、太陽の塔が造られたいきさつが書いてあって、
「進歩と調和」がテーマだった大阪万博で、
岡本さんは、調和と真逆のものを造ってやろうと思い、
太陽が上から見下ろしている不気味な塔を造ったとのこと
「伝わらないことをやれ」という、岡本さんの情熱に、
若林クンは、いたく感動して、
「ウケないことをやって、客をイラつかせてやろう」と思ったのです
そして、
春日に、太陽の塔の真似をして、胸を張って、客を見下して立ってもらったのが、
今のスタイルのはじまりだったとか・・・・・
ねらいどおり、客はイラついて、
「お金払っているのに、見下されてバカにされているみたい」って、文句を言ってくる人もいたらしくって、
でも、
それがネライだった若林クンは、シメシメと思ったそうです
すごい、セルフ・プロデュース力ですねえ
要は、
ねらいを定めるってことだと思うのです
自分たちをどう見せたいか、
何を求めるか、
ターゲットを決めて、行動したとき、漫才してウケなくても充実感があるんです
スピ的に言うと、
願望と意図が、いかに成功に必要かを見せてくれていますよね
それから、ついでに、
アイデアを得た若林クンとそれを実現する春日の関係性は、
女性性と男性性の結合、
神秘の結婚です
インスピレーションを得るのは女性性、それを現実に行動に移すのが男性性、
オードリーは、
理想のコンビネーションというわけです
お互いが、お互いの価値をちゃんと分かっていて、
イーブンに働いているから、
あんなに安定しているし、おもしろくって、ホッとする
人気があるのは、当たり前って感じです
それにしても、
若林クン、歌だけは、すさまじく、前衛的です
私は、オードリーのDVDで若林クンが歌うのを聞いて、
初めて、GReeeeNの「キセキ」という歌を知ったのですが、
思わず、すぐに、着ウタでダウンロードしちゃいました
だって、
本当はどんな歌なのか、聞かないではいられなくなりますよ
「芸術は、爆発だ」 すさまじい破壊力の 「キセキ」はこちら
「笑う門には福来たる」って、言葉があります
よく、お正月のお笑い番組なんかで聞きますよね
あれって、よく考えると、ものすごく、スピリチュアルな言葉です
だって、
ハッピーになったから、笑う のでなくて、
笑うと、ハッピーが来る って言ってるんですから
「引き寄せの法則」のことですね
日本人は、とうの昔から、secret を知っていて、公然と口にしていたようです
感情や思考は、やがて起こるできごとの理由になります
このとき、
強迫的な人は、
「ネガティブなことを考えると、ネガティブなことが起こるから、
ワクワクを保たなくてはならない~」 って、頑張って無理しちゃうんですよ
本当は悲しいのに、見ないようにして、無理に笑うとか。。
でも、
ごまかしは、宇宙<=本当の自分>には通用しないから、
自然な感情や思考以外は、引き寄せは起こりません
だから、「無理して頑張って笑ったのに、何にもいいことがない・・・・」ってことになって、
よけい、がっくり来ちゃったりする
私も、経験あり☆です
こう、考えたら、どうでしょう?
ネガティブな感情は、自分のものではないと
できごとや状況に反応して、ネガティブな感情が襲ってきます
そう、外部から襲ってくるのです
それは、まるで、超リアルに、自分の中からわいて出てくるように思えますが、
本当の自分とは、愛と喜びに満たされた存在なので、
怒りや悲しみやむなしさは、自分じゃないものなのです
それらに襲われたら、
もう、抵抗しても無駄です
ちょっとの間、経験として、その感情を自分の器に入れてみて、
苦さ、辛さ、しょっぱさを味わうと、
しばらくしたら、流れて出ていきます
私の経験上、このとき、
あまり、他の人と、そのまずい味を共有しないことをオススメします
相談という名の愚痴をこぼしたりすると、
時と場合によっては、他の人の過去の同類なものを呼び起こすことになって、
ますます、増幅されて、グロテスクに成長することがあります
誰かに聞いてもらいたいときは、
自分が尊敬する人や、こうなりたいと思う人に言いましょう
これも経験上なのですが、
尊敬する人や憧れの人は、あなたの愚痴に極めて無反応です
ちゃんと、知っているのです、増幅がいかに無益なことか
だから、
あなたは、結局、自分でその感情を抱えなくてはならなくなりますが、
それが正解です
だって、
一時期慰められたって、また、同じ思いに襲われたとき、進歩がないから
自分の思いを抑圧して話さないのではなくて、
「言ってもどうせ何も変わらないから・・」と悲観して話さないのでもなくて、
話すことでフォーカスしない
これは、不正直なことではなく、賢者の智恵です
抵抗していなければ、自然と流れて、またもとの自分に戻ります
日本人が昔から語り継いできたことに、根拠がないはずがない
Smile って、 ¥0 なのに、激ウマですよ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
改めて、気づかされた感じがする
瞑想の目的は何か
心の平穏を得るため?
雑念のない聖人のような境地に至るため?
エゴを殺して慈悲の心を持つため?
そういうことは、おまけでついてくることで、
本当の瞑想の目的じゃない
瞑想は、
本当の自分の世界にアクセスするためだ
身体レベル、意識レベルを超えた、深層である、魂のレベル
宇宙意識、神、おおいなるすべて、レイキの源、プラーナ、マナ、・・・・何と呼んでもいいけど、
形あるものが生まれる前の、形のない世界
そこは、豊かさの宝庫で、すべての生命のエネルギー源
それは、空や星や雲や鳥や花々のなかにも生きていて、
だから、
私たちは自然のなかにいると、癒されて元気になる
癒されるとは、全体性を取り戻すこと
善悪の判断とか、高低の意識とか、大小の比較とか、
そんな二元論のない場所
すべての裁きから自由で、
ただ、可能性に満ちた、まだ現実化していないエネルギーと情報のカオス
瞑想が苦手ならば、
自然に触れることでもいいし、
ものごとを比較、判断しないことを心がけてもいい
それは瞑想と同じで、
生命の源の世界に生きることになる
無限の豊かさをたたえる泉に戻って、
本当の自分がどんな存在かを思い出すと、
現実の人生に豊かさを実現できる
それが瞑想の目的だ
だから、
方向性としては自分に向いていることになる
「人から褒められたい。」とか、
「人に喜んでもらいたい。」とか、
真面目な人ほど思うけど、
人に行動は強制できないし、そんな思いは実はエゴで、
エゴは本当の自分ではないから、
それを握りしめていると不安や恐怖で息苦しくなる
自分の外側のことは永久にコントロール不能だ
でも、自分の内側に入っていくと、
外側は何にも変わっていなくても、至福の瞬間の連続である世界があったりする
レイキって、
祈りのある瞑想だと思う
エネルギーのカオスに、祈りの意図で方向をつけて、創造を生みだしているようだ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
快適な住まいがあって、
お気に入りの洋服もたくさんあって、
愛すべき家族がいて、
時間も自由に使えて、
楽しいと思えるお仕事もあって、
ちゃんと動く健康な体もあって、
ゆとりある豊かな生活ができるお金もある
思い煩うことのほとんどは、何とかなることだ
未知のことに挑戦できる、恵まれた環境
こんな幸せな生活が可能なのも、
がいてくれるから
たくさん、喧嘩もしてきたし、
考え方も違うし、
やることすべてに賛成できるわけでもないし、
話すことも時々カチンとくるし、
もきっと、私に対して、同じことを思っていると思うけど、
でも、やっぱり、大好きだし、
感謝している
毎日10分の遠隔ヒーリングは、
私がから受け取る恩恵の反転形
エネルギーは循環させていかないとね
メールでは決して言えないから、
お酒の飲めない私は、webの力を借りることにして
いつも愛をありがとう
I LOVE YOU
エリアに入った途端に、
何か大きなものに見下ろされているような、圧倒的な存在感があった
たぶん、この、something great を感じに来たのだ
行かなきゃと思い立って、やってきた明治神宮
door to door で30分で到着する、我が家から最も近いパワースポット
若者の街原宿と隣り合わせにある、
大鳥居、参道脇の大きな木々たち、広い砂利道・・・
ザック、ザックと歩いていると、
それだけで、瞑想的思索が訪れる
維新の時代、
明治天皇という人は、
降ってわいたような、リーダーのポジションで、
変革をしなければ国の生きる道がないという状況のなか、
ひよってしまったことはなかったのかしら?
「変わりたくない!このままでいい!」と、朝、起きられない日とか、なかったのかしら?
メッセージは、やはり、
世の中のお役に立つために、進むときには、進まねば!
でした
おみくじ です
ジェームズ・ヒルマンの、どんぐり理論を思い出しながら、
参道に落ちていた、青くて小さなどんぐりを拾ったら、
見知らぬ女性から、
「あっちで拾ったの。こんなに大きいのもあるんですよ。」と、
私が拾ったのの、2倍くらいある大きさの珠を数個、くれた
色も形も大きさも違うけれど、
この小さな物体の中に、あんなに大きな樫の木のすべての情報があると思うと、
とても不思議
帰宅して、
ボイジャータロットを引いた
今の私にアドバイスを下さい
Chariot(戦車)だった
またもや、進め とな
高い理想に向かって、リラックスしながらも、最高の効率で進む、重くて熱くて堅くてモノ
決意に満ちて、
主導権を持って、
意図と願望の力を用いて。。。
最近、再会した、
大地のスピリチュアリティを理解する人から、メールが届いた
昨日のブログの感想
力強さを感じると、力強く、励まされた
人間は、自分が人から遠ざかっておいて孤独を嘆いたりするけど、
誰もが、きっと、一人だった試しなんてないはずだ
Kさん、メール、本当にありがとう
さあ、
とにかく、
私は今年、Fool Childの年で、
何でも、好奇心の向くまま、常識や判断や評価なしに、やりたいことをやっていくことにしよう
混沌の中から、宇宙が生まれたように、
あれやこれやが、どう収まるかを考えるのでなく、
最終的な配置がまだ分からない、たくさんのパーツを、
今は、増やすときなのかも知れない
そして、
時が来たら、
それらが、ピタッと収まるように、
宇宙という指揮者が、まとめあげてくれるはずだ
細かいことはおまかせして、
私は、与えられたお役目を果たすべく、上質を目指すことしよう
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
昨日の記事を書き終えて、夜、
私は、今年最大級の激しい偏頭痛に襲われた
早速、プロセスワークを自分自身で実践しろと言われているのは、確実だったので、
辛くて、逃げ出したかったけど、やるしかなかった
今なら、分かるはずだと、
私のドリームボディからの機会の提供だ
そして、何より、昨日のレポートをより具体的にするために必要らしい
まず、偏頭痛の感覚を、自我のレベルでじっくりと感じ抜いてみる
最初に感じるのは、重いこと
それから、熱い 実際、おでこに手をやると発熱している
重くて、熱くて・・・
そして、堅い 凝りが肩、背中の中ほどにまで達している
重くて、熱くて、堅い・・・
しばらく、その感覚に浸っていると、
どっしりとした力士が、私の頭の中にデンと居座っているビジョンが浮かんだ
かと、思うと、
力士が立ち上がって、分裂して、土俵での取り組みが始まった
身体がぶつかり合うたびに、ドシンドシンと、激震が走る
あぁ、この感覚が、痛みとなっていたんだ
裸の男たちの、燃える闘志の激突に次ぐ激突
そのとき、私が口にしていた言葉は、
「リングに上がれ 突進しろ 激しくぶつかれ」だった
私は、変性意識状態の中で、
頭痛そのものになって、顕在意識に向かってそうつぶやいていたのだと思う
それから、
最近、よく見る、乗り物の夢を思い出した
動いている電車や飛行機は、それ自体、重くて、熱くて、堅い
目的に向かって突進する
目的、突進、進行、行動、闘志、貫徹、達成、などという、キーワードが思い浮かぶ
すべて、男性性を表現する言葉だ
偏頭痛の世界とリンクして思い出された夢
どうやら、ドリームボディは、
私の頭痛を通じて、
内なる男性性からメッセージを送っている
確かに、
私の昼間の意識は、女性性に価値を置いていて、
穏やかに、美、愛、調和をめざしたいと思っている
でも、
女性性を磨きたければ、内なる男性性にアクセスして、
聖なる結婚に至る必要があるのだ
力士のイメージとあいまって、
裸つながりなのか、
「王様は裸だ!」と叫ぶ男の子のビジョンも見えた
嘘やまやかしを見破って、
はっきりと真実を表現する、そんな男性性に、私は恋をする
そして、
その男性性は、私の中に確実にある、アニムスだ
だから、私たちは、結ばれることになる
偏頭痛は、私の内なる男性性の顕現だった
目標を定めて、まっすぐに貫き通して真実に到達する、エネルギッシュなしぶとさ
まるで、スサノオのように、激しく、強く、たくましく
・・・・・と、以上が、
痛みと嘔吐で七転八倒していた3時間余りの間に、
私の中に展開していたプロセスの概略です
確かに、重くて、熱くて、堅いものは、
私の自己イメージとは、真逆のもの
でも、気づかないふりをしていただけで、本当は自分の中にあって、
それを現実に活かしていくことが、
陰陽のバランスのために、全体性の回復のために、必要なのだと感じます
でも、
プロセスワークはあくまで個人的なもので、完全オリジナルで、
世の中のすべての頭痛がこの意味を持つわけではありません
それから、
こんなふうに、無意識の領域のことが、意識化されたからといって、
私の頭痛が完全に治まるとも限りません
むしろ、
これからも頭痛とつきあうことで、
ドリームボディとのアクセス回路がより確実なものになっていくことが期待できます
そう考えると、
私の頭痛も宝に思えてきたりして・・・・
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
今日は、トランスパーソナル心理学の中でも「プロセスワーク」についてご紹介します
身体に痛みや違和感が出たら、
西洋医学では、人はその原因を探ろうとします
たとえば、
胃が痛くなれば、「何か悪い物を食べたかしら?」「ストレスが原因?」「胃が弱いのは遺伝だから。。」・・・・etc.
そして、その原因となっているものを薬や手術などで取り除いて、症状をなくそうとする、
それが、西洋医学の考え方です
痛みや違和感は、
本来の自分ではないとされ、それを切り離せば本来に戻るというわけです
それに対して、
プロセス指向心理学では、症状を取り除くことが第1の目的ではありません
症状とは、身体が夢を見ているような状態だととらえます
夜に見る、あの夢です
夢は、その人が日常的に心奪われていることだったり、抑圧していることだったり、予知だったり、お告げだったりすることがありますが、
身体症状も、そのような要素として見るわけです
夢と身体はひとつの「ドリームボディ」という次元をつくることになります
そして、
変性意識状態を使うことで、その身体症状とコミュニケーションを進め、
ドリームボディからのメッセージに気づいていくことで、
痛みや違和感を自分の一部としてとらえ、
自分の全体性を回復していくというのが、プロセスワークです
結果として、症状が治っていく場合もあるし、
治らない場合もあります
気づきを得て、意識が拡大するわけですから、
よりよい質の人生を生きることができるとも言えるかも知れません
胃が痛ければ、その痛み自体の立場に立つ
痛みを感じている自分しか自覚していなかったところから、
痛みを起こしているのも自分だという視点を持って、その自分が何を言いたいかに気づく
西洋医学とは違ったアプローチ方法で、身体症状をとらえる、ものすごくおもしろい考え方です
プロセスワーカーである藤見幸雄さんのセミナーに参加して、
その実践を体験してきました
かなり、衝撃的でした
藤見さんは、米国トランスパーソナル心理学研究所で
ユングの流れを汲む「プロセス指向心理学」のA・ミンデルから直接指導を受け、
ご自身も、イスラム哲学や道教、新フロイト派、家族療法など幅広い領域のバックボーンを持つ、とてもアカデミックな臨床家です
セミナーでのデモンストレーションで、
ある参加者が前に出て、
自分の気になる身体の痛みについて、藤見さんとワークしながら、
そのメッセージを探っていったのですが。。。
その時間は、
ユーモアにあふれ、創造的で、遊び心に満ち、躍動感いっぱいで、
爆笑、最後には感嘆の声とともに、拍手喝采という、まるでショーのようなものでした
最後に、クライエントさんご自身が、ピタッとあてはまるメッセージにたどりつき、
本当に、ビックリしました
実際、
セッションの間、藤見さんは、クライエントさんの感覚や体験に焦点を絞り、
セラピストとして、受容的に接しながら、
ご自身は、舞台の上に昇り降りし、床に寝ころび、四股を踏み、スーフィーダンスを踊り、だだっ子になって「やだ、やだ」と言い、最後はニュージーランドのマオリ族の力強さを表現しました
これじゃ、何のことか分からないと思いますが。。。
藤見さんは、セッション中のご自分について、
「私自身が、三次元的なロールシャッハテストの図版になって、それをクライエントに見せているのだ。」
と、おっしゃっていました
ご存じのかたなら、何となく、想像つくでしょうか?
プロセスワークとは、
今、ここでを扱う体験であり、
とっても、現象学的なので、
過ぎ去ってしまうと、元に戻って追うことができない不可逆的なものなのです
したがって、
ここでレポートすることは、かなり難しいです
私が感じたのは、
一般に人が、いかに、顕在意識の部分だけを使って生きているかってこと
ふと、頭によぎること、
ふと、身体が感じることには、
そのとき、顕在意識が分からなくても、
必ず意味があって、
あとから、意識がついてくるものだということ
自分と相手との距離を縮めて、一体化を図ると、自然と必要な流れ(プロセス)の中に入るようにできていると、実感しました
ちなみに、
藤見幸雄さんは、冨士見ユキオさんと同一人物です
あるとき、
出版社のかたが名前を間違えたのを、
「小さい頃から、富士山が好きだから」という理由で、
使うことにしたとのこと
このへんも、
流れに逆らわない、道教的思想を感じませんか?
何か、今日は、全然、「里誉’sクレヨン」っぽくないのですが、
こんなときもあるということで・・・
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スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
最近、乗り物に乗って移動中という風景の夢をよく見る
飛行機だったり、電車だったり、スケボーだったり、
とにかく、どこかに向かっている
そして、
乗り物の中で何かしら、一緒に乗っている人とドラマが展開される
スパイのような心理戦だったり、
到着後、父が車で迎えに来るのを期待していたり、
宇宙空間で、クラッシュ事故に遭いそうだったり・・
夢の中での乗り物の時間は、単なる、待ち時間ではなくて、
それ自体が大切なプロセスだった
現実のうえでは、
移動時間って、そんな位置づけではないことが多い
まだ本番の時間じゃなくて、
リラックスしているような、でも何かに向けて準備するような、不思議な色合い
とくに、忙しくしている人は、
目的地に到着するということが、何よりも大切なことで、
移動時間は短ければ短いほどよいと思う
でも、
宇宙は、もしかしたら、
たとえば、移動させることそのものを計画したのかも知れない
行かなければならないどこかを設定しなければ、
乗り物には乗らないから、
目的地に行くことになったのは、移動させるための方便だったとしたら?
私は9年間、
毎日片道1時間半の通勤をしてきた
しかも、方向が都心から郊外に向いてだったので、
毎日がちょっとした小旅行気分だった
その長い移動時間の間に、
私は、自分でないものを手放していって、自分自身になっていったように思う
だから、きっと、必要なあの距離、あの時間だったのだ
夢はその名残なのかも知れない
未来や過去を志向するのではなくて、
「今、ここ」という視点の価値を教えてくれる
どこにいても、どんなときも、今ここで、生きることを楽しもう
魂は肉体の乗り物で、
私たちはいつも移動中だから
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
最初に、昨日のブログの訂正です
日本で最初に象を飼ったのは誰?というクイズで、
徳川綱吉と書いたけど、私の勘違いで、
正解は、徳川吉宗でした
歴史オタクから指摘がありました
そして、今日も、夫話ってとこッス
以前、こんなことがあった
朝から止まらない、夫のしゃっくりを何とかしようと思って、
朝食の用意をしながら、私は夫に軽い調子で話しかけた
「ねえ、好きな人ができたから、離婚して。」
夫はほんの一瞬、ドキッとした表情をしながら、
でも、体制を崩さずに、
興味津々って顔で、「へえ、そうなんだ 誰?誰?教えて」
と、返してきた
その、数分後には、しゃっくりは止まっていたから、
ちょっとは驚いたかな
そして、つい先月のこと
今、自分が絶対手放したくないモノは何だろうと考えたことがあって、
最初、
「夫」が思い浮かんだけど、
すぐに、「やっぱ、フォルテかな」と思い直した
夫は、私がいなくても、自分で自分の幸せをゲットするだろうと思ったからだ
一方、今のフォルテは、
私がいなくなると、どうやって暮らしていくだろう・・・、
どう考えても、この犬は我が家でしか生きられないし、私が世話するしかないと思ったら、
フォルテを絶対守り抜く!と決意している自分がいた
さて、
ふと思い出したこの2つのエピソードは、
夫と私の関係において、私の中で共通項がある
いざとなれば、相手の幸せに必ずしも自分は必要ないし、
それならそれでいいと思っている
しゃっくりのときの夫は、
まるで、身内のように、私の<架空の>相手に興味を示したし、
手放したくないモノを考えた時の私は、
私が手放した後、夫はどうするだろうと考えて、
「ああ、きっと、彼は大丈夫だ」と、妙な確信があった
「私って、そんな考え方もするんだ」と、発見した気分だった
きっと、世の中のみんな、
家族とか、身内とかってこんな感覚を抱いているのだと思う
とくに、夫婦は、血のつながりがないから、
その気になればいつでもサヨナラできるにも関わらず、
一緒にいることを自由意志で選択し続けるのであれば、
その人はやっぱり、ソウルメイトなのだ
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
こういうことは男性には珍しくないのかも知れませんが、
私の夫は、どこにいても常に東西南北を把握しています
そして、
高層ビルの展望台など、高いところに昇ると、
景色を見ながら、
視界に入るランドマークが何であるかはもちろんのこと、
たとえ、都心であっても、山、川、丘、谷などの地形をチェックするのです
必ず、毎回、それを無意識のうちにやっています
まるで、
その地の利を活かす戦い方を考える戦国武将のようです
そう、
たぶん、彼の過去世のひとつに、「軍師」(いくさの参謀役)があるのです
実際、
ゲーム「信長の野望シリーズ」はすべて持っていますし、
本棚には、
「大江戸おもしろ役職役人読本」とか、「戦国名将の後継者」とか、歴史本が並んでいます
大河ドラマを見ていて、背景で分からないことがあると、
ものすごく詳しく解説してくれます
秀頼だの、秀家だの、宇喜田だの、小早川だの、
私にとっては、混乱を極める、日本史上の主な人物の名前は当然ながら、
日本で最初にゾウを飼ったのは誰かといった、トリビアな情報まで知っています
(ちなみに答えは、徳川吉宗)
そのかわり、
カタカナには、めっぽう、弱いのです
初めて聞いた4文字以上のカタカナ単語を正確に復唱するのは、
彼にとっては、かなり、困難なことでしょう
おもしろいのは、
たとえば、「エクアドル」という言葉を聞いたとすると、
彼は、「エアクドル」と発音することがあります
「マケドニア」であれば、「マドケニア」
2文字目と3文字目が入れ替わるのです
この法則を発見したとき、私はその正確さに心撃たれたものでした
彼のカタカナ単語の認知パターンを見抜いたのは、たぶん、私が最初です
それから、
彼の危険予知、危機管理能力の高さは群を抜いています
たとえば、
私が、大きなアメジストの天然石を買ってきたときのこと
家の守護石としようと、
リビングのチェストの上に置いたところ、
「もし、地震が起きて石が落ちて、チェストの下にフォルテがいたらどうするんだ!」
と、石をなるべく奥に配置し直しました
石が落ちるほどの地震の起きる確率と、そのときにフォルテがチェストの下にいる確率を考えたら、1万分の一にも満たないのですが、
彼は本能的にそういう考え方をします
さらに、
ギターの弦が長く伸びていると、
「フォルテの目に入ったら大変だ」と、すぐに始末しています
(例示がフォルテ関係ばかりですが・・・・)
こんな調子で、すべてのことについて、常に最悪の事態を考えて備える人です
一般的には、「心配症」という言葉で片づけられるかも知れませんが、
「不安」を追い払うためには、やはり、警戒は必要です
楽観的な私は、常に、彼から、シャドーの部分を指摘され、
それが理解できないときは、
彼に対して、「いつも、嫌なことばかり言う」と思いましたが、
最近では、発言の動機の部分に注目するようにしています
そこには、たいてい、
「大事なものを守りたい」という愛情があるようです
また、彼は女性性が強く、
何でも「育てる」ことが大好きです
フォルテはもちろんのこと、
パソコンも、車も、常にメンテナンスと状態管理を怠りません
掃除は好きではないけれど、
「手入れ」はお得意のようです・・
確か、
イスラム社会に生きたとき、馬を育てる仕事をしていたのでした
そのせいか、家の中でフォルテが走っていると、
「馬みたいに走っている!」と、コメントします
そして、同じイスラム社会で、
女だてらに馬に乗って、鼻息荒く戦う戦士が私でした
階級制度が大嫌いで、
実力で男を蹴散らして、暴れ回っていた跳ねっ返り
だから、「リボンの騎士」のサファイヤや、「ベルばら」のオスカルは、とても親近感のわくアニメキャラです
でも、そんな女戦士も、最後には、
静かに馬を育てていた彼に安らぎを感じたようでして・・・
こんな個性の魂を持つ夫は、現在単身赴任中です
スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」
先日、あるホーリーショップに行ったところ、
お店のオーナーさんが、お客さんに話しているのが聞こえてしまいました
「嫌いな人に対してはね、現実のその人を無理に好きになろうとか、仲良くなろうとかしなくていいのよ。ただ、その人と魂の部分で会話して、赦してあげようと思えば。。。」
これを聞いて思い出した話があります
たしか、ニールさんの「神との対話」に載っていた、こんなたとえ話
細かい部分はちょっと違うかも知れませんが・・・
ある小さな魂が、地球に生まれてこようとするとき、
神さまにこう願い出ました。
「私は、今回、”完璧な赦し”というものを経験してこようと思います。」
でも、
周りを見回してみても、
魂の世界では、
たくさんの魂たちのどれもが完全で、非のうちどころがなく、
赦してあげなければならないような存在は誰もいなかったのです。
「さて、困った。誰も赦してあげる人がいないと、赦しが経験できない。」
小さな魂が困っていると、
近くにいたある魂が、
「それなら、わたしが、キミに、うんとひどいことをするよ。キミを傷つけるような行いを。」
と、申し出ました。
「え、あなたが?こんな完璧な魂なのに?そんなことができるの?」
小さな魂は、とても信じられないような気持ちでした。
「そうさ。キミが”完璧な赦し”という経験をするために、してあげよう。キミもわたしにそうしてくれたから。」
「え? 私が? そうなの?」
「そうだよ。だから、わたしがキミにひどいことをしているその最中に、どうぞ、その行いだけを見ないで、魂の部分を見て、思い出して欲しいんだ。今のこのわたしの完璧な姿を。」
「分かりました。約束します。どうもありがとう!」
もし、
あなたの周りに、誰からも嫌われるようなことをしている人がいたとすれば、
その人は、生まれる前に、
とてもたくさんの約束をしたのでしょうね
そういう人を「菩薩」と呼ぶそうです
ふつう、誰もそんな役割をしたくはないから
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