Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

目指すは完全オリジナル

2009-05-30 | フォルテネージュ

私に大切なことを教えてくれた友達がいる


自分のことを深く知ろうというのがセッションのテーマである私に、彼女はこう言った



       「私は、自分のことを知りたいとは思わない。」


少なからず、私はドキッとした



自分のことを知りたくない人がいるなんて、まったく思わなかったから



人間は皆、自分のことを知りたいものだと思っていた



私の常識を壊してくれた、貴重な友達。。。



確かに、自分のことを探求しなくても人は幸せになれる



知ってもいいし、知らなくてもいいってこと








ひとは、自分と同じ考えを持つ人に出会うと、



とても嬉しく感じるものだ



「私も一緒 」と、安心して、ホッと心地よくいられる



それは、その考えが間違っていないとの感覚が生まれるから



一方、違う考え方の人に出会うと、



どちらかが正しくて、どちらかが間違っているのではないかと感じるので、



理解しあえるかどうか、緊張して心地が悪い







でも、この移行の時代、



正しい、間違っているという基準は、通用しなくなっている



大企業の倒産、老舗店舗の信頼の失墜、



今まで「間違いない」とされてきたものが崩壊している社会



すべては、混沌として、あいまいで、矛盾に満ちている



詰め込み教育が批判され、ゆとり教育を実施したところ、やはりそれもまた否定される



価値観は次々とうつろい、枝分かれしていく一方で、



その枝の一本一本はどれも間違っていない





人が知性を持っている限り、



「比較するな」 と言っても無理だ




人は新しいものに出会ったら、



自分の知っているものと比較して理解することからしか始められない



「同じ」とか「違う」とかに注意がいくのも当然だ



だから、同じでもいいし、違ってもいい



そこに、「正しいか、間違っているか」の概念は必要ない



自分と同じだと単純に嬉しいし、違ってもまたおもしろい



そして、無理に人と同じにすることはないし、


人と同じにできない自分に罪悪感を覚える必要などまったくない



                
        目指すは、自然体にして完全オリジナルな存在 



これからはひとりひとりがバラバラになってくるだろう



本当に自分自身に誠実になると、人は孤独にならざるを得ない



でも、お互いを尊重する心があれば、孤独は寂しさにはならない








こんなことを考えているとき出会ったのが、



モルダバイトのペンダントヘッド



六茫星(ろくぼうせい)の真ん中に緑の石が光っている



                       



妙に惹かれて即購入したが、



調べてみると、この石こそ、



昔、隕石が地球に衝突したときにできたとされる、希少価値の高い石で、



他のどの石にも属さない完全オリジナル  だそうです。。




宇宙と地球の調和をうながすために時空を超えてやってきた叡智の石




透明なガラス質がとってもきれいです



                  













私には悪いことは起きない~草なぎクン、復帰おめでとう!~

2009-05-29 | フォルテネージュ

私には悪いことは起きない。なぜなら、私は祝福されて守護されているから


傲慢に聞こえるだろうか


世界中の人たちが一人残らずこう考えるようになることが


アセンションだと思う





草なぎクンが復帰した


謝罪会見のとき同様、復帰した彼を見て、またもや大泣きした私。。。


画面の彼に向かって、


「おかえり 剛クン」と、何回も言ってしまった。。。。


きっと、これから、彼は、前にもまして素晴らしい仕事をしてくれるだろう






彼の復帰について、


まったく風貌の似ていない鳩山兄弟が、


二人で同じことを言っていた


            「失敗から学ぶことが大切だ。」


そのとおりだ


いや、学ぶことができるのだから、もはやそれは「失敗」ではない


         世の中に失敗はない、フィードバックがあるだけ



瞬間だけ切り取ってみると、


自分の顕在意識にとっては、とても、つらくて、痛くて、苦しいことでも、


潜在意識の部分ではそれを歓迎しているかも知れない



「こう行動したら、こういう結果になるんだね。」と教えてくれる経験だから、


フィードバックを生かして、新しい方法を取ればよい



人間万事塞翁が馬


災い転じて福となす


だから、人間には、悪いことなど、起こりえない




犯罪の被害者としての体験でさえ、そうだ


山口県光市の母子殺害事件の遺族、本村洋さん


「全国犯罪被害者の会」を設立し、


それまで、被害者の権利という視点のなかった日本の法律に変革をもたらした


多くの人々が、犯罪被害について考えるようになり、


社会への貢献は計り知れないだろう



本村さんの辛い体験は多くの人々の意識を変えた



彼は、自分に起こった「災難」を、社会を変える「契機」にした






もし、失敗とか、災いとかがあるとすれば、


本人がそう認識したときだ


「私は災いにあった。」


「私は失敗した。」


「私は不幸だ。」


そう思った途端、それは忌まわしい出来事になるだろう





私は、「悪霊」の存在を信じていないけれど、


たとえ、霊能者に「あなたには悪い霊が取り憑いています。」と言われたとしても、


それを災難とは考えないでおこう


その霊を自分が教育して、良い霊にしてあげればよいのだ


報われなさや恨みを持ったままでは、どんな苦しいか、


教えてあげれば良い


カウンセリングに来たクライエントのひとりだと思って







「私には悪いことは起こらない。」


今もどんどんこう信じる人々が増えているはず

                 




            








「被害者意識」救出作戦

2009-05-28 | フォルテネージュ

AさんがBさんに興奮気味に相談する


A:「今まで信じていたCさんに、こんなひどいことをされたわ裏切られた どうして私がこんな目に遭わなきゃいけないの 信じていたのに。。。。ひどい人!最低だわ


これを聞いたBさんは、心の中でこう思う


『Cさんがそういうことをする理由があるはずよ。Aさんの態度に何か問題があったんじゃない?理解が足りなかったとか。。。。』

『それは、Aさんが成長するための試練よ。ここはひとつ、心を広く持って、Cさんを許
してあげない?』

『そういう出来事を引き寄せたのも、あなた自身なのよ。カルマなのかも知れない。』



これらのどの言葉も、

たとえ、それが真実だったとしても、Aさんの心には届かないだろう


真理を語るだけでは、ひとは癒せない


癒しがなければ成長もない、したがって、Aさんの心は変化しない


Bさんは、


苦しんでいるAさんにさらに追い打ちをかけて、

あらたな苦痛の種を与えるだけだ


もちろん、

こうした結果になったとしても、それはAさん自身のなせる技


Aさんの被害者意識が、


Bさんを第二の加害者に仕立て上げ、


Aさんはさらに、自分を悲劇のヒロインにするシチュエーションを創り出す構造





でも、できれば、Bさん的には、


Aさんの波動に巻き込まれずに、


そしてCさんをも責めることなく、


Aさんを変えようとしないでいたい


その場で解決しようとしない


分析も評価も提案もいっさいしない





ただ、Aさんの辛さにだけフォーカスする





それだけ他人を責める人は、

ひとりになった時は、きっと、自分自身をも責めている


こうなったのは自分のせいじゃないかと思っているから、


人の前では防衛的に攻撃するのだ





攻撃的になっているBさんの表面的な行動に惑わされず、


隠れている気持ちが表に出やすくしてあげたい


悔しい、辛いという思いは、人を孤独にさせる


「こんな辛さは、体験した人じゃないと分からない。」と、意固地に思うものだ






だから、


このさい、Cさんの事情やいきさつはともかく、


Aさんの感情だけを取り扱うってのはどうだろう?




「Cさんに優しくしてもらえなくて、悔しい思いをしたよね」


「深く傷ついたら、辛いのは当然だよ」


「我慢せずに、怒るのがいいよ。このクッションに、ほら、憎しみをこめて!」





感情は、本来流れるものだから、


抵抗せずに表現すると、絶対に長続きしない


泣きたい人は、


泣きたいのを歯を食いしばって我慢すればするほど、


怒りたい人は、


その怒りを悪者にすればするほど、


出口のない感情がたまって、いつまでも続く


思い切って、遠慮せずに、泣けば、怒れば


涙は、怒りは、長くは続かない





そして、次の感情が生まれてくる


それが、充実感だか、新たな不安だが、分からないが、


感情が変われば、ものごとは違って見えてくる



そうやって、


うちのめされた経験が、かけがえのないものになっていく日が、


一歩近づくのだと思う





被害者意識を持って生きると、


どんなに自分が無力かが思い知らされる


自分の人生を自分でコントロールできないとの絶望感が生まれ、


自分は不幸だと感じやすくなる



真実から最も遠いことを信じて生きると、


どういう気持ちがするか、「被害者意識」は教えてくれる



人間の思考(マインド)はものごとを二元的に理解するから、



その意味で「被害者意識」は価値がある



そして、十分に味わったなら、


「私は、もう、それを選ばない。」と宣言しよう



              




                











誰も尊敬するな

2009-05-27 | 紹介(レビュー)

私に透視を教えてくれた人は、


「自分(里誉)以外、誰も尊敬するな。」と、言った



  -キリストであっても、仏陀であっても、


       自分の内なる神より上の存在を創るな-と。






私の長所は、すぐに人をリスペクトできるところだ


家庭裁判所調査官をしていた頃、


犯罪を犯した少年と一対一で話していると、


その子のものの考え方や才能の特徴がキラキラと輝いて見えて、


「この子すごい素晴らしい」と、率直に思えた


問題点や欠点を指摘することなら、誰でもできるから、


この特技は私の「たからもの」だと思っている





ただ、


この長所は、時と場合によって様相を変えることがある



名の知れた「先生」と呼ばれているような人に対しては、



リスペクトを通り越して「崇拝」に至る危険がある



            その人の言うことは絶対正しい



            従っていれば間違いはない



            人を信じるってステキ・・・



みたいな、妄信的な態度・・・・



そんな、神様みたいな完璧な人を、無意識に探していた時代が、


私にはあったように思う



当然ながら、



崇拝しても、しばらくすると、



どんな人でもかならず色あせていく



「なんだ、この人も完璧じゃないのか。。」と、失望する



私の場合はそうだった







人をリスペクトする心が生まれるのは、



その対象の性質が、すでに自分の中にあるものだからだ



どんなところを尊敬するのか考えてみれば良い




            「人への愛にあふれているところ。」



            「困難に負けず、根気強いところ。」




            「頭脳明晰で先を見通すところ。」




そうやって、挙げたすべては、



すでに自分が潜在的に持っている性質だ



自分が見ているすべての現実は、



もれなく、自分の内側の投影だから



だから、人を尊敬する気持ちが生まれたときは、



なりたい自分になれるチャンス



自分のパラレルワールドのひとつに、



そんな自分はすでに存在しているから、ただ乗り移れば良いだけだ



なりたい自分に焦点を合わせて、



すでに自分はそうなっていると思って、



そのように振る舞えば良い



心配しなくても、形が中身を創るから、



気づいた時には、憧れの自分が今の自分






ちなみに、私の透視の先生は、


中世ヨーロッパで魔女狩りにも遭った魔女ですが、


平安の世でも活躍していたらしく、


ブログは、陰陽師ワールド炸裂です


 →  http://www.arkworld.co.jp/star-heart/



              











モノの気持ちを聞いてみる

2009-05-26 | フォルテネージュ
先日、お友達のところでタロットリーディングをして、

 持っていったクロスを置き忘れて帰ってしまった


紫色のストールで、 カードのためにテーブルに敷く布


私がタロットを習い始めた頃からずっと使っていて、


タロットの妖精「スィーニュ」同様、


リーディングのための大切な存在




今度うかがう時まで預かってもらうことにして、


さてその間どうしようかと考えたところ、


もうひとつ、質感が同じストールがあるのを思い出した


ベビーピンクの春色のもの


「これがいい!」とすぐに思ったけど、


念のために、ストールの気持ちを聞くことにした





ペンジュラムで


いつもテーブルの上に置いている、赤い瑪瑙(めのう)のペンジュラム


ストールのうえにかざして、


イエスとノーの動きの違いを確認したあと、


「タロットのための布になってくれますか?」と、問うと、


まもなく、イエスの動き(円を描く)を始めた




おもしろかったのは、


その円が、どんどんどんどん大きくなっていったことだ


もちろん、私は指をいっさい動かしていない


でも、


ペンジュラムは、まるで遊園地のアトラクションなみに、


チェーンがぐるぐると周り、


とうとう、最大の円を描いた


まるで、ピンクのストールが自分の出番を待っていたかのように思えた



そして、


さっそくテーブルにひいてみると、


上に重ねたレースのテーブルセンターとともに、


ベビーピンク×白 の世界を創り出した


私のホームページのヘッドラインの色合いとまったく同じ色あい

           (クリックしてご確認ください↓)


                           


「ああ、これだったんだ。」


紫が帰ってくるまでの代役のつもりだったけど、


もしかして、こちらが本命かも。。。。





ハワイやアボリジニの先住民たちは、


たとえば、石造りの建物を建てるとき、


採石場でそれぞれの石に、「建物になりたいか?」と質問して、


イエスと答えた石だけを切り出すらしい


私は、


うちにあるクリスタルや植物に、時々そうやって気持ちを聞いて確かめる


「置き場所はここで良いですか?」


「水は足りてますか?」


「何か、して欲しいことはありますか?」


ペンジュラムだと、イエスかノーではっきりするので、質問をさらに重ねていく


でも、ペンジュラムがなくても、


心の中でモノに質問していくと、


モノは必ず答えてくれるし、


その独特なエネルギーを伝えてくれる


それが分かると、ひとつひとつがとても個性的に感じる


とくに、


私のカウンセリングサロンにあるものは、


すべてチームを組んで仕事しているように感じてくる


そして、お互いの間でエネルギーチャージをし合って、


ますます、輝きを高めているように見える



先日、久しぶりに帰宅した夫が、


サロンのセレスタイトを見て、


「前よりも色が鮮やかになったね。」と指摘していました








                                                  

ソウルメイト感覚!?

2009-05-25 | フォルテネージュ

この1週間、

N市に単身赴任中の夫が、東京研修で戻ってきていたが、

今日からまた、うちは母子家庭



子どもは、

毛むくじゃらで、

があって、

のように家じゅうを駆けめぐる、

8歳のパピヨンですが




初めて夫が単身赴任するという日、

私はものすごく泣いた



ずっとふたりで16年間過ごしてきたから、
別々になるのが想像できなくて、マインドの防衛本能が作動したのだと思う


マインドは、いつも自分の知らないことには恐怖を感じるものだ



ずっと、泣いていたら、

ハートチャクラの後ろ側がすごく痛くなってきて、

サイキックコードが刺さったのが分かった



「夫にコントロールされたい。」との思いと、

「夫をコントロールしたい。」との思いが、同時にある



そうは言っても、
私と夫は、相性バツグンでは、決してない

常に、支配権を争っている感じがするし、

感性、考え方、価値観、まるで違う

夫は、「スピリチュアル的な考え方」を全面的に信頼しているわけではないし、

私の勧めるスピ本も、読んだり読まなかったりだし

読んだとしても、私の受けた感動は彼にはない

そして、彼の勧める歴史本やファンタジーは、私には読みこなせない



大学時代からユングを勉強する「ユンギアン」の夫は、

心理にはあくまでアカデミックにアプローチするとの姿勢を崩さないし


そして、何よりキツイのは、

夫は私の心の中の闇を言葉で表現する

「こうなったらどうしよう。」と私が思っていて抑圧している考えを、

夫は自分の思いとして言葉にする



夫の言葉に私がキレて部屋に閉じこもって怒り泣く・・・なんて、何度繰り返しただろう

そして、これからも繰り返すのだろうと思う




でも、

最終的に思うのは、

「つながっている」という感覚

自分の実の親きょうだいに感じるよりも強い、

「家族」だか「縁」だか分からないけど、そういう感覚がある

だから、もし、離婚して、それぞれ別の生活をするようになっても、

ずっとつながっているように思うだろうと想像できる



・・・・・・なにコレ、結局、ノロケ話・・・




今日の別れは泣かなかった

右手のヘナアートのおかげかも

そういえば、

昨日も、私は妙に饒舌でパワフルだったようだ

やっぱ、力強い大地のエネルギーが流れ込んできているのに違いない

いい感じかも



こんなに本人が気に入っているのに、

夫は、

「それ、シミみたいに見える」って、けなしてました

まったく、キミのにじみ出る鈍感力には脱帽でござるよ



                 











ヘナアートを体験

2009-05-23 | フォルテネージュ

ヘナアートをしていただきました



ハーブ染料である「ヘナ」を使ってボディに描いていきます
現在のテーマやインテンションがあれば(たとえば、恋愛運や金運アップなど)、
その内容に応じたデザインを描くそうです



イスラムやエジプトの世界では、神と一体化する祈りの儀式にも使われたとか


私にしてくださったアーティストのかたは、
「かえるカード」というカードからのメッセージにより、
即興インスピレーションで描いて下さいました

 

私のひいたカードは「強さ」
自分の中の強さを信頼し、表現しましょうとのメッセージです


私の大好きなロータス(蓮)のお花のような模様に大満足です




普通のタトゥーと違って、
茶色のような色が約2週間持続しますが、
消える頃には、その願いは成就されているそうですよ


パワーがみなぎりますように

 

                   

                


人がこわい-社会不安障害-

2009-05-22 | フォルテネージュ

私は、3年前まで「社会不安障害」と診断されて薬を服用していた



家族や友達など親しい間柄では普通に会話できるけど、



職場などの社会的場面では、



注目されることに極度の恐怖心を抱き、



ときに、動悸やふるえがくることがあった



たとえば、



職場で電話を受けるとき、



緊張して応対ができない



気にしているのは、周囲の同僚や上司たち



私の応答を聞いて、心の中で批判されているように感じる



会議での発言なんかも、



言いたいことが心に浮かんで発言しようとすると動悸がして、



勇気をふりしぼって挙手するが、声が震えて早く終わらせたくなる



一対一なら良いのだけれど、



複数の人に対するコミュニケーションが苦手で、



自分が取るに足らないおかしなことを言っているようで、



自分の個性を押し殺した



自分が自分を生きていない感じだった



肩が凝り、めまいがして、頭痛に悩まされた



自分でも「病的な自意識過剰だ」と思っていたが、



ありのままの自分ではダメだと、



悪いところは隠さなきゃと、



本当の自分を知られたら恥ずかしくて生きていけないと、思っていた



私はそうやって、



自分の中にある美しさや賢さや優しさを否定しまくってきたのだ



自分のなかに神がいるなんて、考えもしなかったから、



自分を全然大事にしなかった






でも、今、わかるのは、



その考え方をしていると、



自分で自分を幸せだと感じられないということだ



いつも、自分の外側に照準を合わせてばかりで、



自分の内側に愛を注いでいないから、干からびるのは当然のこと



だから、



その考え方を感謝して手放そう



感謝する理由は、



これまで、「私は今のままじゃダメなんだ。」という考えから



努力や向上心が生まれてきていて、自分を駆り立てる原動力になっていたから




でも、これからは、



そう考えないことにする



私は尊い存在だ



私は純粋で愛を知っている



私は自分の個性を喜んで外に表現し、



そのことで周囲の人たちをインスパイアする






こんなことを考えているうちに、



社会不安障害の症状は消えていった




「謙虚であること」とは、自分の尊厳をおとしめるのではなく、



自分にも他人にも、完璧を求めずに批判をしないことから始まると思う



社会不安障害については、こちらを参照ください。
              http://www.shypeople.gr.jp/  


                



          




























ものを見るのは目だけじゃない

2009-05-21 | チャネリング、透視

アメリカには、全盲ながら完璧に「見る」ことができる女性がいて、


NASAで研究対象としているとのこと




また、とある学習塾では、


子供たちが、


折りたたんだ小さな紙にどんなマークが描いてあるかを


指先で触れるだけで判別する訓練をしているとか


この能力は小学校中学年頃をピークにして徐々に衰える傾向らしい




リサ・ロイヤルさんは、


プレアデスの生命体サーシャと意識を交替するとき、


ずっと目を閉じたままで話をする


でも、リサのからだを借りているサーシャは、完璧にものが見えていて、


ホワイトボードに文字や絵を描き、


テーブルの上の物を正確にピックアップしたり、


質問のため手を挙げるオーディエンスに、


「そこの眼鏡をかけているかた、どうぞ」と促したりする


その間、一切、目を開けてはいない




 

他の感覚が鋭くなって視覚を補うようになるのではなくて、



目を使わずに見ることそのものができるのだ



こうもりが、超音波で物の見ることができるのと同じ能力??






透視もそれと同じかも知れない


私は手でそのひとのチャクラの状態を見る



オーラにあるチャクラのマトリックスには7つの層があり、


そこに手を入れると各チャクラの状態が映像となって現れる



宇宙の創生期のような星雲からビッグバンに至る情景だったり、



ピラミッドや人工衛星だったり、



ただ色が見えたり、



ひとによってさまざまだけれど、



何らかの、からだからのメッセージだ





人間の細胞ひとつひとつに、



DNA情報が全て書き込まれているのだから、



「ひとつ」は「全て」につながって、「全て」の能力を持つのだろう



人間ひとりひとりのスピリットが宇宙意識とつながって万能であるように。。。



だから、「見る」という能力が視覚細胞以外にも備わっているのだろう





さらに、


交通事故で頭部に重傷を受け、



手術で脳の大半を失ってしまったオーストラリアの女性が、



手術後何日もしてやっと意識が回復したとき、



ずっと看病してくれた母に向かって、



「ありがとう、愛しています。」と言ったという話を聞いたことがある



愛を感じるのも、言葉で表現するのも、



ハートや脳だけでしているのではなく、



からだの細胞全部がしているのだと思った





だから、からだは何でも知っている



人間は、からだのことを自分だと思いがちだけど、



本当はこの世での「借り物」だから、



友達を扱うように、



清潔に保ち、ケアをして、無理させずに、いたわって、感謝しようと思う


                 













プレアデスではネガティブ思考は存在不可能

2009-05-20 | フォルテネージュ

リサ・ロイヤルさんがチャネリングするプレアデスのサーシャから聞いたお話




プレアデス星団には、「等価値制度」という経済制度で成り立つ社会があり、




そこでは、地球上の社会のようなお金というものは存在しない




人々のひとりひとりに価値があり、




豊かな才能があるという考え方に基づき、




人は自分のできるサービスを無償ですることで自分の望みを叶えていくという




たとえば、




家を建ててもらいたいなと思えば、




家を建てることが大好きでワクワクしながらそれをしている人に




お願いして家を建ててもらい、




その人に対して、




自分は得意な編み物を心の底から喜びながらしてあげて、




セーターをプレゼントする




何をするにも、お金というやり取りはなくて、




社会に奉仕をすることが尊ばれるから、




「家を建てること」と「セーターを編むこと」が同じ価値となる、




それが、「等価値制度」というものらしい




ひとりひとりが、




本当に自分がしたいことをして、




なおかつ、全ての人が社会貢献を果たし、




そのことに情熱を持っている社会




その社会では、



皆がやりたくないようなゴミ回収の仕事なんかでも、




必ず情熱を燃って取り組む人が現れてくるとか。。。。




何か問題が起きれば、その解決に熱意を持って取り組む社会




追求されるのは「利潤」ではなく、「創造性」だ




人々が、




人間は本当に生まれながらに豊かだと知り、




必要なときには必ず必要なものが手に入ると信じることができると、




みんなが健康になって、活力が生まれて、




こんな素敵な社会がやってくる




もう、嫌いな仕事をして時間を売って「我慢料」をもらわなくても良い




仕事は、「自己実現」と「遊び心の追求」になる社会




そんな社会に生きていることを想像して、



その感情と感覚を、からだに染みこませることにしよう




「そんなの無理」という前に、




自分自身の現実は、自分次第であることを思い返して、




豊かさを目指していこうと思う


(参考:リサ・ロイヤル著「アセンションの道しるべ」有限会社ネオデルフィ)


                   




















ただ、引き寄せただけ

2009-05-19 | フォルテネージュ

天使のことを考えながら歩いていたら、


車体に大きく、「ANGEL」と描かれたバスが、



私の前を通り過ぎた








お友達の家に遊びに行くとき、



「今日はあの店のあの和菓子を買っていこうかなあ」と思ったら、



その店の手さげ袋を持った人を見かけた



店は電車に乗って何駅も行ったところにあるのに






ある数字について二人で話しながら歩いていたら、



その数字のナンバープレートをつけた車が駐車してあった



いつも通る道だけど、



今までその車を見たことは一度もなかった






こういうことがあると、




何だかそのことが神秘的に思えてきて、




「何か意味があるかも知れない




「神様からのメッセージかも知れない




などと考えたりする




でも、それは、もしかしたら、




ただ、引き寄せただけかも知れない




波動が同じものごとは引き寄せ合うから出会うことになる




目に見えない磁力がはたらいているのだから




たとえば、




磁石を使って砂場を探ったら、砂鉄がたくさんくっついてきたところで、




磁石にとって、砂鉄が特別な意味を持つわけではない




だから、そこには「神のお告げ」もないというわけだ




何かメッセージがあるとすれば、




「分かったかい




この宇宙には、引き寄せの法則が働いているんだよ




だから、自分から出る波動を自分の好ましいものにしていこうね。」




ってことで、




その和菓子にも、その数字にも、




特別な意味はないのかも知れない




夢がないように聞こえるかも知れないけれど、




でも、それだけ、人間の持つ思考の力は偉大だっていうことだ






もし、本当に何かの特別なメッセージで、




あなたにそれがどうしても必要なことだったとしたら、




そういうときは自分のインスピレーションが教えてくれることでしょう




「ANGEL」と描かれたバスを見てから、




私が天使の存在を絶対に信じるようになったことは事実です。。。


                










トラウマ(心的外傷)の向こう側

2009-05-17 | フォルテネージュ

とても傷つくことがあると、同じシチュエーションが怖くなる




だから、そうなりそうになると、一瞬にして自分にシールドをかけて、




これ以上傷つかないように防御する




着ていれば、




傷はしっかりと守られる




わずかに開いた隙間から、




狭い視界で外の世界をうかがい、




注意深く観察して動きを決める




そのよろい、




着心地がよいのなら、ずっと着ていることもできる




無理に脱がなきゃいけないことはない




でも、




重くなったり、外の空気に触れたくなったり、




あまり快適ではないなら、




ちょっと脱いでみても良いかも。。。




勇気を持ってそうしてみると、




前に傷ついた時の自分じゃない自分が必ずいる





青虫はいくらハチにいじめられた経験をしても、




サナギのままではいないもの




サナギを破れば、




その時点で蝶になっているから、




もうハチは襲ってこない




前とおなじようには傷つかない




からを破ろうとする決意とその行動が、




自分を変容させるから、




おなじことで傷つかなくなる





案外、傷はとっくに癒えていたのに、




「まだまだだめ」って恐怖を植えつける、




臆病なマインドの常套手段に、はまっていただけのこと








トラウマをかかえる人は、




蝶になる一歩手前のサナギの姿




変わろうとする意欲と、




絶対に大丈夫だという宇宙への信頼が




自分の中で十分に備わったタイミングで、




必ずよろいが要らなくなるから、



無理せず、焦らず、そのときを待っていよう









草食系男子に見る次元上昇

2009-05-16 | フォルテネージュ
今、ちまたで噂の草食系男子




恋愛や結婚に積極的でなく、




優しくて、誠実で、協調性があって、




肉欲よりもファッションなんかを重視して、



男女の友達も家族も尊重する若い男性たち




私は思う、




彼らこそ、アセンション(次元上昇)のシンボルであると




だって、これまでの、アメリカ型パワー重視の男性的リーダーシップが限界に来ていることは、



世界の惨状を見て明らか




移行の時代と言われる現在は、



男性性と女性性が中和する「陰陽の統合」の時代




草食系男子こそ、




戦わず、争わず、受容的で、平和で、穏やかで、




調和とバランスのエネルギーに満たされた世界にふさわしい




もともと、スピリットに男女の性差はないのだから、




肉体がスピリットのありように近づいたとも言えるかも








私には、




イスラムの女戦士だった過去生がある




中東の絶対的な男尊女卑の階級社会の中で、




女だてらに鼻息荒く、



馬に乗って戦っていた「肉食系女子」だった




さぞ、無理していたことだろう




日頃は軽蔑していた馬飼いの男性に対して、




最後には、




その優しさに癒されていったよう。。。。




それが、現世の私の夫なのだけれど








男性性から女性性へ、これから世界のリーダーシップは変わっていくだろう



とっちらかったブッシュから、エレガントなオバマへ




戦って何かを獲得することに終わりはないから、




何かを産んで育てて慈しむ、




それが本当に豊かなことなのだと思う




そして、きっと、



限界が近づいている「結婚」という制度も変わるにちがいない




お互いを幸せにすると誓いながらも、




結果的にはお互いを束縛することになっている、




そんな矛盾したシステムが長続きするとは思えないけど。。。




・・・・・決して、私は夫と離婚したいわけではありません(笑)




              








究極のポジティブ思考

2009-05-15 | フォルテネージュ

「恐怖に勝る宝なし


以前、私がチャネリングでガイドから得た言葉



この世には、おそれるものなど何もないのだから、



恐怖はその人の創り出した幻に過ぎない



ある人が、何を怖いと思っているかを見れば、



その人が持っている、不要になった古い信念の正体が分かる



自分の中で、一番光を必要としている場所



恐怖は心の闇なのだから


普通は、見たくないし、考えたくないことだ





でも、思うのは、



恐怖のドキドキと、喜びのワクワクは、


身体感覚として同じだということだ



マインドが、「今感じていることは恐怖だ」とレッテルを貼ったから、



「恐怖」になっただけなのだ




社会心理学の実験で有名な「吊り橋の上の恋」




ゆらゆら揺れる吊り橋の上でドキドキを感じると、




そこで出会った異性に恋をする確率がうんと高くなるという




恐怖のドキドキを恋愛のドキドキに変換したのだ



人間の知性はそれができる



混沌とした感情に名前をつけることができるのだ



これを、故意に、すればよい






周囲から期待を受けた人が、




プレッシャーという「圧力」を、



自分の力を出しきる「バネ」に変えるように




恐怖のドキドキは、喜びのワクワクに変えられる




恐怖に浸りきり、恐怖を味わいつくし、恐怖を行動する



どっぷりと浸かりきれば、



感情は流れて変化していくものだから、恐怖心は消えてなくなる





究極のポジティブ思考とは、




闇に光を当てること



ネガティブと見えることをポジティブに変換していくこと



この世に、人間が、



憎悪、孤独、恐怖、不安、絶望を創り出した意味を認めて、



その価値を愛でる



遠巻きにしてちらちら見るから怖いのだ



よく見ようとして闇に光を当てれば、



そこにあったはずの闇はなくなる




好きと嫌いが同じ軸の上にあるように、



恐怖と喜びは同じ軸の上にある



ボリュームレベルを上げるように、



レバーをうんと持ち上げてみよう



この世に恐怖を感じなければならないものなど何もないと信じて



                 

















「占い師」と呼ばれて。。

2009-05-14 | フォルテネージュ

私は、誇りを持って「スピリチュアルカウンセラー」だと名乗るけど、



別に、国家資格があるわけではないから、



あくまで、「自称」なのだ



そして、



カウンセリングツールとして、



タロットや占星術を使うので、



「占い師さん」と呼ばれることがある




私は、



大学から心理学を学んできたし、



臨床心理士資格はないけれど、



家庭裁判所調査官という心理学の専門職とも言える職業をしてきたので、



「占い師さん」という言葉の持つ妖しげなニュアンスが嫌だった




「占い師さん」と呼ばれると、



どうしてもひっかかって、



「私は占いはしません!」と言って否定していたけれど、



ふと、


呼び名は呼び名にすぎないのかも。。。。と思うようになっている




その人のマインドの中で、



私を呼ぶ最も適当な言葉が、「占い師さん」という言葉なのだ




スナックで、



サラリーマン客を「社長さん」と呼ぶようなものだと思えば良い



昔、



「キムタク」と呼ばれるのが大嫌いだった木村くんが、



さんま兄さんから「お前、まだそんなところでうろうろしているのか。」


と、言われて、


ふっと、こだわりを捨てたことがあった



皆が、



木村拓哉のことをさして、「キムタク」と呼ぶなら、



それは記号に過ぎないのだ



単なる、呼称



何と呼ばれるかが重要ではなく、



何をするかが重要だ



私は人を美しくしていきたい



人が本当の自分の魅力に気づいて、



明るさを取り戻して輝くことを手伝いたい



その意志が私にある限り、



たとえ、「占い師さん」と呼ばれても、



「占いをする人」にならなければよいことだ



自分のやりたいことを信じて、



淡々とこなしていく、



そんな人になろうと思う



いつかきっと、


「スピリチュアルカウンセラー」が国家資格化されるときが来るまでは。。



(このブログを書いている時、


「占い師さん」と入力したら、

「売らない資産」と変換した私のパソコンの何とユーモラスなこと