Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

60分の1の確率のことが毎日起こる☆

2011-04-30 | フォルテネージュ


うわあ、
そんな前のことだったんだ、
このことを書いたのは・・・・


去年の8月6日、ここに書いたのだけど、

私の恒常的ミラクル体験(!)のひとつに、
「<ふと、時計を見ると長針と短針が重なっているという現象>が、毎日1回以上起こっている」ってのがあるの






自宅リビングには、壁掛け時計と置き時計のふたつがあって、
ふたつは、微妙に8分ほど時間がずれているのだけど、

ふと見ると、私の見たほうの時計の長針と短針がぴったり重なっているの!
同じタイミングで、もう一方の時計を見ていたら、重なっていないんだ


どうも、重なっているほうを、見るように、できているみたい


何の計算も、予測も、期待もなく、
1分早くでもない、1分遅くでもない、ジャストのタイミングで、
私は、ふっと顔を上げて、重なっている長針と短針の映像を見るんだよ







これは、自宅内だけではなくて、
電車に乗る前に駅のホームにある時計でもそうなんだ

今日もね、電車に乗って出かけたんだけど、
乗る前、ホームの時計は、1時05分を指していた

そして、「帰りも、重なっているぞ 」って魔法をかけたんだけど、
そんなことは忘れて、あれこれ買い物と食事を楽しんで、
帰ってきたときに、駅で時計を見るのも忘れていたのね


でも、マンションに戻ってきて、
管理人室が閉まっていたから、「もう5時過ぎてるんだね。」って私が言ったとき、

夫が自分の腕時計を見た瞬間が、
5時27分頃
「ちょうど、ピッタリ、重なってやがるぜ!!!」



 

 

 

そう、
こういうことが確実に続いていると、

どんなに時空が隔たっているように見えたとしても、
あなたとわたしはひとつなんだってメッセージだとしか、

私には、もう、思えなくなっているの









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壊れたパソコンを接着剤で直す!

2011-04-29 | フォルテネージュ

夫のパソコンが壊れちゃったのね
彼は、ちょっと衝撃を受けたようだったけど、

すぐに、立ち直って、

懸命に、問題に取り組んだんだ






あれこれ、作業したけど、
でもなんか、やっぱり、うまくいかなくて、

「まあ、これ以上、いっか。だって、ちゃんと動くし・・!」って、よしとした







ラップトップとキーボードをつなぐ、蝶番(ちょうつがい)の片方が割れちゃったの

工具箱を持ち出して、まるで、プラモデル少年のように、
筒型部分を取り外し、部品を分解し、
接着剤なんかも買ってきて、
ちょっと、油を差したりとかして、

造形職人よろしく、トライしていたよ

最後は、まるで包帯のように、ビニールテープを巻いたんだけど、
ま、もう一方の蝶番があるから、優しくすれば何とか固定するし、

ソフトの起動には、まったく問題ないみたいで・・








それにしても、パソコンって、こんなふうにも、壊れるんだね











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偏頭痛からワンネスまで

2011-04-28 | フォルテネージュ


私は月に約10回の偏頭痛に見舞われるから、
処方箋薬をもらってて、
これがないと生きていけないって真剣に思う・・・





でも、最近ね、あるヒーリングを受けて、
なんとなく、カラダが変わってきているのが分かるから、

先日、偏頭痛があったとき、
薬を飲まず、痛みを感じてみようと思ったのね

その日のヤツは、久しぶりの、かなりビッグなもので、
光も音も匂いもすべての感覚刺激が痛みと化して、
右側の頭から肩にかけて、ズキズキと腫れているようになって、
胃の底から突きあげる吐き気と、胃液の嘔吐で、

本当に苦しかったけど、

偏頭痛に向かって、「あなたも私の一部なんだ」って心の中で繰り返した

 

 

 

 

病気の時って、
自分のカラダが自分のものじゃないようだって、思うじゃない?
あの、強烈な違和感

襲われているようにも思えるし、
自分は被害者で、病気は加害者で、
「こんな現実さえも、私が自分で創ったものだと言うの?」って、神様に訴えたくなるよね


そのとき、ふとやってきた直観は、
「すべてはひとつ」って言葉の意味

「わたしたちは皆つながっている」って言われても、
家族や友達ならまだ分かるけど、
見知らぬ他人や、敵対する人々のことまで、「ああ、彼らも自分なんだ、神の一部なんだ」って、
実感する糸口はホントに小さいように感じるけど、

それって、病気の時の感覚と、同じなんじゃないかって思ったの












自分のカラダじゃないような自分の一部、
とてもひとつだとは思えないような「彼ら」と私、
それは、私の場合、
偏頭痛と偏頭痛じゃない部分の関係と同じであって、

やっぱり、全部、自分自身なんだって真実が、
少し、覗けたように思ったのね





自分のカラダじゃないような部分がぐっと際立って見える瞬間、
それが起こることによって、自分の全体性を意識する

陰と陽が接する、その境界線の隙間があるからこそ、
「自分」という領域が、思っているより、まだ先に広がっていることが分かる

そんなことを、ぼんやりと、なんとなく、手探りで、探り当てたような、そんな気がしたんだ








・・・って、
当然、私のマインドにそんな洞察が訪れたのは、
頭痛が治って、あとから振り返ったときで、

その渦中にいるときは、「起こるに任せて経験する」だけで言葉はなかったんだけど・・




それにしても、
私が苦しんでいる間、フォルテは、朝ご飯やお散歩のおねだりもせず、
静かにおとなしく、そばにいてくれたんだ




ありがとね、私の騎士(ナイト)くん

 



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自分らしくない自分を経験すること

2011-04-27 | フォルテネージュ

 

そう、あなたが納得したように、
時には、自分らしくない自分を経験するのも、自分らしさを探求するのに、役立つんだよね



「こんなの自分じゃない!」って思いさえも浮かばないような、
感覚麻痺の寸前までいって、
自分がそんなに抑圧されているなんて気がつかない状態を生きるってことをすると、


あとになって、振り返ったとき、


自分が、なりたい自分の真反対にいたんだけど、
でも、それが、なりたい自分を、後ろからストレッチして、筋力をつけてくれ、
まるで、エキスパンダーのような役割を果たしてくれてたって、分かるんだ








対極にあるものは、一本の軸だから、
その軸を往来することで、その軸の存在を、ますます、確かなものにしていくんだね


自分の価値が、強靱で剛健に育つプロセスを実感すると、
まだ今は、自分の弱点に見えることへも、
「ダメダメ!」でなくて、「いいこ、いいこ!」って、お水をあげたくなってくる


あなたはそれを「革命」と呼んだけど、
なんて、優しくハートフルな革命なんだろう









「この年齢で、いつまで自分自身のことで悩んでいるんだろうって情けなく思う・・」って、あなたは言うけど、

人間ならば誰もが持っている、一番の願いは、「自分を知りたい」ってことだから、
私たちは、自分を知って経験するために、生まれようと思うのだから、

「自分自身のことで悩む」ってのは、
最も、王道、正統派な課題なんだって視点に立つことは、

あなたが生きるのを、もっと、楽にすると思う





大丈夫、あなたは、自分にとって、何が必要なのか、
本当に良く知っている人だからね、

私は、何にも、心配していないよ








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闇の中をガイドと歩く

2011-04-27 | フォルテネージュ

ビオダンサのヴィヴェンシア(エクササイズ)を経験して、
ふと、めぐってきた私の空想









家から、最寄りの駅まで、
「誰か」のエスコートを受けながら、
私自身は眼をつぶって、行くことができるかしら?



一瞬たりとも、眼を開けない
私の手を取って、ガイドしてくれる、その「誰か」に、完全に委ねて進むの

その「誰か」は、足元の段差やすれ違う人々や信号なんかについて、注意してくれるから、
私は、ただ、信頼して、

「誰か」を信頼した自分自身をも信頼して、

闇の中を、歩み続けることができるだろうか?







目の見える私たちが、完全に眼をつぶって歩くことは、
たとえ、安全な空間の中にあっても、勇気のいることだから、

やっぱり、

そのガイドが誰かってことによる?
家族や、親友や、心から愛する人であれば、大丈夫じゃない?って、そう思う?

うん、確かにそうだよね









でも、私の最近の変化はね、
たとえると、委ねても大丈夫だと思える人の範囲が広がっているって感じなの


極端に言うと、

こんな発想が浮かんでそれを実行しようとしたとき、
目の前に現れた人ならば、誰だって、信頼に価するんじゃないかと、思えるんだ


私たちが、何かができると思ったときには、
それを可能にする誰かがいることを、大きな自分が知っているからこそ、思いつく


だから、奇跡のタイミングでその役割を担おうとしてくれる人がいれば、
ただ、もう、それだけで、充分すぎるほどの、条件を、満たしているって思う


そして、究極を言えば、
ガイドは、必ずしも、人の形をした生命体でなくても、良いのかもしれないんだ・・・









言うまでもなく、
そんな実験をしなくても、
私たちは日常生活で、それと同様の場面に、いくつも遭遇しているんだよね

 

 

 


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「フォルテネージュ」2歳の誕生日です^-^*

2011-04-25 | フォルテネージュ


今日は、「フォルテネージュ」2周年の記念日です
2009年4月25日は、土曜日で、朝から雨の一日でした



牡牛座の新月の日で、
支配星は金星(ヴィーナス)だから、
価値、美意識、調和といったキーワードは、
「フォルテネージュ」のコンセプトにジャストフィットだったのです



2年という物理的な時間は、
私にとっては、これまでの10年分にも価するような、とってもバラエティ豊かな内容が詰まった濃ゆ~い時間でした


あらゆる感情を味わい、
あらゆる表現方法を試し、
ダイナミックに経験し、
祈りが、意図が、現実を、奇跡を、創ることを、実感してきました


クライエントのみなさまの中に、いつも神性を見ることが、私の喜びとなっています







今、自分の目の前にいる人を信じることが、
宇宙を信じることになり、

宇宙を信じることが、
自分自身を信じることになる、

そう、教えられたと、思っています








見かけに寄らず、しっかりした下半身に支えられ、
よちよち歩きながら、確かなあゆみを続けていきます

今後とも、ハートサポートサロン「フォルテネージュ」をよろしくお願いいたします


 

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子のない私の母性

2011-04-24 | フォルテネージュ


こないだね、

時々あるのだけど、
フォルテが、朝早くに、胃液を少しだけ、吐いちゃったの

いつもと違い、その日は、なんと、
私が寝ているベッドに乗っかってきて、
隅のほうで、やっちゃったのさ


「あーあ、もう、ふぉるちゃんったら!!!!」







しかたなく、
シーツと、ベッドパットを取り外して、洗濯し、

そして、新しく付け替えたんだけど、
うちのベッドは、クィーンサイズと大きいものだから、
ベッドメイキングは、結構、大変な作業なのだよ


いつもは夫の帰省中にやるんだけど、
そのときは、しかたなく、ひとりで、頑張ったのね








やっとの思いで、シーツをセットして、
「ふう~っ」と一息入れて、ベッドに上半身を預けたら、

なんと、フォルテが、ピョンと乗っかってきて、

真新しいシーツの真ん中に行って、ちょっと、前足でホリホリして、場を整えたかと思ったら、
そこで、くるんと、猫のように、丸まって、くつろいで、
おすまし顔で、私を、見たの

「あー、ここ、気持ちいいよー」って感じで








「もう、ふぉるちゃんったら!!!!」

なんだか、私、フォルテがとっても愛おしくなって、
フォルテに顔を近づけて、ニコニコ笑っちゃった

子を持つ親って、こんな気持ちで我が子を見るんだろうなって思ったよ

自分の心地よさと、幸福感を、とことん追求して、行動して、
それを、遂行している、その存在を見たとき、

「うん、うん、よし、よし」って、慈しみが湧いてくる




きっと、観音様ってのは、こんな心持ちで、衆生をご覧あそばしているのだろうと、

そんなことを、感じたのでした









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迷ったときはカラダに聞こっ!

2011-04-23 | フォルテネージュ


買い物で、あれかこれか迷ったとき、
レストランでメニュー選びに迷ったとき、

私は、シータヒーリングの筋肉反射テストを利用するの
いわゆる、O(オー)リングだね


親指と他の指での形を作り、
迷っているアイテムを手に持ちながら、「私はこれを買います。」って言った後、
くっついている指に、くっとチカラを込める


そして、誰かに、両指を持って開くように、引っ張ってもらうの


開かなければ、自分のカラダはYes!って言っている
開けば、自分のカラダはNo!って言っている



私は、ひとりで買い物に行って、迷ったときは、
ショップの人に手を貸してもらうよ

たいてい、店員さんは、ノリノリで手伝ってくれるんだ


この前も、夫の携帯選びのときにやって、大成功だったんだよ














ホテルのラウンジでお茶をしていて、
お友達が、お腹空いたから、サンドイッチを頼もうってことになったの

クラブサンドイッチか、
ベジタブルクラブサンドイッチかで、迷ったわけ

早速、筋肉反射テストしてみたら、
彼女の指のチカラは、ベジタブルクラブサンドイッチのほうが、強かった

で、オーダーしてみたら・・・









森のバター・アボカドやら、
ソテーした、オニオンスライスやら、キノコやらが、サンドされていて、

ハムやお肉類がなくても、二人とも、充分、お腹が満足したのだ

お~、やっぱり、カラダは、このサンドイッチがこういうふうだって、知っていたんだね




もっとも、
三段のアフタヌーンティーセットを、散々、いただいている、最中のことだったんだけどさ
(六本木のリッツカールトンの45階ラウンジ、heavenlyな眺めもいいし、グッドだよ







でも、実際、
カラダは、何でも、知っているんだよね


これから起こることが分かったり、
見えないものや聞こえないこと、
誰かが送っている想いさえも、しっかり、キャッチして、

私たちが、聞こうと思えば、いつでも、サインを送って、教えてくれる、

そんな、ありがたい、「彼」「彼女」を、
心から愛する恋人のように、大事にしよう、よね







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「あっという間」に起こっていること

2011-04-21 | フォルテネージュ


セッションのあと、クライエントさんが、
「なんだか、あっという間でした!」っておっしゃって下さるのを聞くと、

本当に、嬉しくなるんだ




物理次元では、2時間なり3時間なりの時間の中を、進んできたにも関わらず、
それを、「あっ」という、一瞬に感じるってことは、

まさに、魂の次元での時空の在り方、
過去も未来もない、たったひとつあるものである「いま、ここ」を、体験したってことだと思うから




「あっという間」は、
肉体にいながらにして、スピリットの経験をしたことを表現している言葉だね

その証拠に、
暗く、重苦しい顔をして、「あっという間でしたぁ~~」って言っている人を見たことがないでしょ?
必ず、歓喜の表情で発せられる言葉なんだ




だから、
毎日が「あっという間」に過ぎていくことほど、幸せなことはないと思うの



もしかしたら、私たちは、
その「あっという間」の瞬間に、

光の速さ以上のスピードで時空を旅して、
このうえなく、自由で永遠で無限の存在である自分を、思い出しているのかも知れないね


 



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マイブームな「ゲシュタルトの崩壊」

2011-04-19 | フォルテネージュ


漢字の書き取りの宿題とかしてて、
よく、この状態に陥ったよね

                                 ゲシュタルトの崩壊



同じ字を繰り返し書いていると、
初めて見る文字みたいに、奇妙に見えてくる、不思議な感覚
「え~ これって、こんな漢字だったっけ?」って、カオスに陥るあの瞬間



心理学的に言うと、

ゲシュタルト(まとまりを持つ全体性)が失われて、
構成要素である部分部分が、妙にクローズアップされ、
脳が他に意味を探り出す、

そんな状態なんだけど、



たとえば、声でも、顔でも、それは起こる



鏡を見ながら、
「お前はだれだ?」と、何度も言い続けると、
自分の声じゃないように聞こえ、自分の顔じゃないように見えてくるし、


私の経験では、

誰かとの会話を録音したのをずっと聞いているうち、
相手の声と自分の声が、完全に入れ替わったように感じたこともあったよ











とってもおもしろい瞬間なんだよね、ゲシュタルトが崩壊したときって
自分が、新しい視点を獲得したようで、
最近、とっても、注目している現象なのだ



だからね、漢字や顔だけじゃなく、
世界や自分の現実を見るときにも、そういうことって応用できるような気がするの
これまでの見方と違う見方ができるって、
ひとつ、人生が豊かになったってことじゃない?




自分の現実を、創っては壊し、壊しては創り、
そんなことを、何度も繰り返すなかで、
私たちは、いろんな感情を経験して、

その幾重もの気持ちの層が、すべて、魂に織り込められていくんだなって思う






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高田公園(新潟県)の桜!

2011-04-18 | フォルテネージュ


ねえ、「桜の名所」と「夜桜の名所」は、どう違うのだと思う?


そこは、「日本三大夜桜」のひとつとして有名なのらしいけど、
そして、誰も、他の2カ所がどこか、聞いたことがないのだけど、

今年は、節電でライトアップが少ないから、
やっぱり、夜桜を楽しむには、ちょっとした超人的イマジネーション力が必要だった・・・





でも、「『夜桜の名所』は、『桜の名所』の充分条件では?」という想像に違わず、
昼間のそこは、ものすごく、美しくかったよ





雲ひとつ無い青い空に、
まだ雪を残して、水墨画のようなモノトーンの山々、
うす桃色の満開の桜の木々、

その三つが、水面(みなも)に映って、天然の合わせ鏡ができているの

いやあ、まだ目に焼きついているあの景色





                     




そこは、公園にもなっていて、
お堀や、歩道や、芝生や、赤い橋なんかもあるんだけど、

ふと、気づいて、その場でくるりとターンしてみたら、
まわりの360°の景色、桜のない角度がひとつもないの


どこを向いても、桜並木が見えるんだ


しかも、今が見頃の満開を誇ってて、
空はどこまでも青くて、空気はひんやりと澄んでて、


ホントに、自然の生命(いのち)っていうのは、
与えることしか、しないんだね


                       



                           
 

                           

 

 

新潟県上越市から、東京の我が町に戻るとね、
出かけるときにはちらほら咲きだった、八重桜の並木が、いっきに咲いて迎えてくれたの


ふわあ
行って桜、
帰って桜、

今年ほど、桜のことを待ち焦がれて、そしてずっと桜と一緒にいる年はないように思う




でも、本当は、
咲くずっと前から、そこにいて、
そして、散ってからだって、そこにいて、
一度も、桜が私たちから離れたことなんか、ないんだけれどね








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「諦める」の再定義

2011-04-14 | フォルテネージュ


「諦める」って言葉が好きではなかったの

「人生は諦めの連続」とか、「人間、諦めが肝心」とか聞くと、
「成長に痛みはつきもの」ってのにも似た、どこか、苦々しく、もの悲しい気持ちになっていたのね

 

でも、思ったんだ
「諦める」ということに、必ずしも、もの悲しい気持ちが必要なのかなって
それが、私の思い込みだったとしたら・・・・?





感情を抜きにして、「諦める」を考えてみると、

これまで望んでいたことを望まなくなる (なぜなら望んでも叶わないことが分かったから) って感じかな

・・・これって、もしかしたら、

進化のらせんを移動して、視野が広がった結果、
以前、望んでいたことが自分に合わなくなり、執着しなくなった、

って、言えないかしら?



ひとつの執着から抜け出したけど、
何も、すべてがどーでもよくなったわけではなく、
自分のより深い望みに気づいて、その実現のために、方針を転換したってことではないかしら?
 


一方で、何かを獲得するとの思いに、見切りをつけ、
もう一方で、よりハートに近い高みに立って、
「真の望みの実現のためには、今はこっち!」っていう、新しく喜ばしい発見をしているのかも知れない




ただ、
その状態を、外側から見て、普遍化するとき、
これまでの望みについては断念する、ひとつの望みを失う って、言うんだと思うの

じつは、本人は、ちゃっかり、別の望みに向かって、歩み始めているとしても、ね









うん、そう考えると、
「諦める」が、とても賢く、成熟した、希望に満ちた行動に見えてきたよ

「あきらめる」の語源は、「あきらかに見る」
自分の心を、世の森羅万象を、より、大きな視点でとらえるようになったっていう、オトナの証だね









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ライフパーパスアストロロジー日本公式サイト完成!

2011-04-13 | ライフパーパス・リーディング


「フォルテネージュ」のクライエントさんには、前もってお知らせしておりましたが、
このたび、ライフパーパスアストロロジー日本公式サイトが完成いたしました!!!

 

「フォルテネージュ」のセッションの中でも、特に人気の高いライフパーパスアストロロジーは、
1970年代にオーストラリアのスピリチュアルティチャー、マーニーデューガン女史が、
不可視の霊的存在「ラーマトゥーラ」とともに開発した、新しい占星術リーディングです



ライフパーパスアストロロジーは、占いではありません
従来の占星術が、
人間の性格は固定的なものであり、未来の出来事は運命なので変えられないと捉えていたとすれば、


ライフパーパスアストロロジーは、
人間の中には、たくさんの可能性があり、生きたい「在り方」を選べ、
自分が創造してきた過去の意味を理解することで、今度は望むように未来を創造することができる、
自分の価値と自分自身を愛することが、社会に貢献することになる・・etc.そんな考え方に基づいています




「人生の目的」と言っても、
「あなたはバスの運転手さんになるために生まれてきました!」なんて、言いません(笑)
実際に何をするかは、自分で自由に選べるのです

どんなふうにそれをするかとか、自分の中のどんな資質を使うのか、何を目指そうとするのか・・
そんなことを、太陽系の惑星たちのエネルギーや星座の持つ性質から、
ヒントとしてお伝えしているのが、このライフパーパスリーディングです




ここで、
「フォルテネージュ」のHPから、実際にライフパーパスリーディングをお受けになった方々の感想をご紹介しますね

  

ライフパーパス・リーディングを受け、前々からの念願だった自分の人生の目的について、重要な示唆が与えられ、これからこんなふうに進んでいけばいいんだという指針を与えられました。椿さんのリーディングは、とても分かりやすく、的確で愛にあふれていて素晴らしかったと思います。時間があっという間に過ぎてしまいました。(R.Kさん)


ライフパーパス・リーディングを受けました。椿さんは、とても柔らかい雰囲気を持たれていて、話しやすく、リラックスできました。想像していた以上のこと・・自分の置かれている状況などのお話をうかがえて、とても驚いたのと同時に、なるほどな~とも思いました。興味深く、とても有意義なお話で、前向きになれました。(A.Bさん)


★報告書(リーディング結果)を読みながら、ちょっと寒気がするくらいびっくりしました。なんだかしっかり確認できた感覚です。そして、勇気づけられもしました。私の資質についてはほぼ星読みのとおりです。そんな性格ですし、そんな人生を送ってきました。報告書をいただいた今ここちょうど自分の再生が一段落した踊り場にいる感じです。次のステージへの準備中の絶妙なタイミングです。いろいろ確認できました。ありがとうございました。(S.Uさん)




また、日本公式サイトでは、現在国際認定資格を持つリーダーたちの情報も掲載されています
里誉もその中のひとりですが、他にもステキな仲間たちがいるんですよ

そして、何より、
60歳をとうに過ぎている(!)とは思えないマーニーの愛らしいことと言ったら



どうぞ、サイトをご覧になってみて下さい



                                                ライフパーパスアストロロジー日本公式サイト

 

 

 

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意図しないことを意図しよう!?

2011-04-12 | フォルテネージュ


泣ける映画だと聞いて、
「よ~し、思いっきり泣くぞぉ!」って意気込んで行ったのに、

期待したほどでもなかった、って経験、ないかしら?


「あれ・・・、号泣する準備はできていた(!)のになあ・・」って思って、ちょっとがっかりしたりして・・

思えば、感情など、そういうものかも知れないよね





「今日は、泣くぞ!」とか、「さて、私はこれから怒ります。」なんて計画が立てられるほど、
スケジュール管理できないのが、私たちの気持ちの流れ

ふいに降って湧いたように訪れて、
じんわりと広がったり、ロデオ馬のように暴れ回ったり、祝福のライスシャワーのように降り注いだり、
まるで、それ自体が、命を持っているようだから、

こうなれああなれと、強制することができないんだ








「~しようとする」とできない

これって、結構何にでも言えるかもと思うのは、


読もうとすると、書いている内容が頭に入ってこない
アイデアを出そうとすると、なかなか出てこない
誰かと仲良くしようとすると、自然に振る舞えない

そんなことって、あると思う
不要なワンクッションが置かれて、着地点がずれるんだ


だから、

何かをしようとする、そのブリリアントな左脳な働きは、別の機会に取っておいて、

ただ、真実の存在でいるってだけ決めて、
他に何も意図しないことが、
結果として、人生の醍醐味を味わうことにもつながるんだと思う


あ、もちろん、
計画は立てるけど、結果にこだわらないってスタンスなら、それもまた一興・・

 

 

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おはようって言ってもおはようが返ってこないとき

2011-04-10 | フォルテネージュ


「おはよう」って言っても「おはよう」って返ってこないとき、
前の人に続いて入ったのに、扉を閉められたとき、
誰かが約束の電話をかけてこなかったとき、

そういうとき、

「なんてひどいヤツなんだ!許せない!」とか、
「ああ、自分は価値のない人間だから、こういうことが起こるんだ」って思って、
煉獄の怒りや、奈落の悲しみに暮れるのも、ひとつの選択だから、

何も悪いことではないけど、

ただ、はっきり言えるのは、
そうしていても、絶対に、楽しくない・・よね




「なんてひどいヤツなんだ!」って責めても、「ひどいヤツ」を引き寄せたのは自分だって事実に行き当たるし、
「自分は価値のない人間だ」って嘆いても、その考えはなりたい自分になるのに、役に立ちそうにないから、

そうなってくると、あまり、快感ではないのに、気づいて、

 

「さあて、起こることはすべて完璧と言うではないか。では、この出来事が完璧だとしたら何が起こるだろう。」って、

起こったことをそのまま認めて、
何の考えにも価値観にも結びつけないとき、

何だか、気持ちがピースフルになってくる



 

誰にも親切にされなくても、
誰にも必要とされなくても、
そして、たとえ、誰にも愛されなくても、

「私はとてもステキな存在なんだ」って、分かっていよう



誰かに、何かを、してもらえなくても、
私は、私に認める最高の価値を自分に与えるんだっていう気持ちは、
涙や怒りをたくさん乗り越えた後にやってくるご褒美だと思うよ



そして、そのご褒美を手にすると、

誰かに親切にされたとき、
誰かに必要とされたとき、
誰かに愛されたとき、

人一倍、大きく成長したそのハートでも、まだ抱えきれないほど、
たくさんの贈り物を、次々と受け取ることができると思うんだ







                          ハートサポートサロン「フォルテネージュ」