Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

デパートの中でテレポーテーションした話。

2016-05-24 | 量子論?

 

 

少し前のこと。

 

友人とデパートに入りました。

地下一階に私の見たい靴屋さんがあったので、

そこに行きましたが、

お目当てが見つからず、

 

その後、おしゃべりしながら、

同じ階を、見て歩いていました。

途中、昇りのエスカレーターがありましたが、

そこは通り過ぎました。

 

気になった店でまた靴を探したり、

食品雑貨やバックの店を見たりして、

最初の靴屋さんの前にまた戻り、

さて、そろそろ、

1階に上がって外に出ようとなりました。

 

エスカレーターを探しながら、

歩いていたのですが、

 

ある北欧雑貨の店があったので、

友人が「見たい!」と駆け寄って、しばらく私も一緒に見て、

その店を出て、

さて、また、エスカレーターを探そうとしたところ、

 

デパートの正面玄関が見えました。。。

 

 

なんと、私たちは、

すでに、1階に来ていたのです!

 

 

 

「あれ?エスカレーター、昇ったっけ?」

顔を見合わせて、二人で、

「????」

 

 

私たち、二人とも、

階段もエスカレーターにも乗っていないし、

スロープなどもなかったのです。

それなのに、地下1階から1階に来ていました。

 

たとえ、途中おしゃべりに夢中になって無意識だったとしても、

二人が二人とも、まったく記憶がないなんて・・・?

 

 

あとで、フロアガイドを見ながら、

あれこれ検証したのですが、

どうしても分かりませんでした。

 

やっぱり、

玉川タカシマヤの中で、

テレポーテーションしたとしか、

考えられないんですよねえ

 

 

 

 

May the FORCE be with you

ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

 

 

 

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光線、見える?

2015-02-17 | 量子論?

 

 

昔、どこかの先住民の地域に、

よそから黒船のような大きな船が渡来したとき、

 

 

沖を見ていた先住民たちには、

その黒船が見えなかった、という話があるの。

 

 

 

認識は記憶がなければ成り立たず、

記憶は認識がなければ成り立たない。

たとえば、

そこに花があるという認識は、花というものの記憶があるからできるし、

花を見たという記憶は、それが花であるという認識がないとできない。

 

 

見たことも聞いたこともないもの、

これまでのどんな記憶を動員しても推測が及ばないようなものに対するとき、

私たちは、その対象を認識することができない。

 

すなわち、

先住民は黒船を見ることができなかった。

[何か見えたけど、それが何か分からなかった]のではなくて、

[見る]ことができなかったんだ。

 

 

 

たとえて言えば、

それはきっとね、

 

小動物のかわいらしさを記憶していない人には、

フォルテの瞳から出るキラキラ光線が見えないのと、

同じ原理なんだと思うの

 

 

 

Things will be only better

ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

 

 

 

 

 

 

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砂漠に咲く薔薇

2014-07-01 | 量子論?

 

幼い頃、こんなことを思いました。

「一生誰にも知られずに咲いている砂漠の薔薇があったとして、
それは、存在していると言えるのか?」

結構、真剣に考えたのを、覚えています。

 

 

私は、そのとき、

けなげに咲く、その花に思いを馳せて、
誰にも知られなくても、 その薔薇は、やはり、確かにそこにある、と思いました。

 

 

 

そして、何十年もして、
最新科学は、その直感に、根拠を与えてくれました。

 

 

量子論では、「認識が存在を創る」、と言います。

存在が先にあるのではありません。
認識があるから、存在ができるのです。

 



そうなると、「その生涯を通じて、誰の目にも触れない薔薇の花」は、
誰にも認識されないのだから、

存在しない、となるのか・・・・・・?



いいえ、 

 

「認識」とは、感覚器官を通すだけに限るものではありません。

 

私は、想像の中で、それをはっきりと認識したのだから、

あの砂漠の薔薇は、存在しているのです!

 

 

 

 

 

 

 

サン・テクジュペリの「星の王子さま」が、


砂漠の星で、大切に育てた薔薇を、


自分にとってどれだけ特別な存在であるか話す場面が、

どうしてこんなに鮮明に記憶に残っているのか、





これを書きながら、ようやく、分かってきた気がします。

 

 

 

 ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

 

 

 

 

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悩みのホームで闘わない

2013-04-23 | 量子論?

 

たとえば


ある人との関係がうまくいかないときに
この状態をどうにかしたいと思うとする


これって、ごく普通の発想なんだけど、

 

ここから始めて、あれこれ対策しても、
たぶんうまくいかないの

 

 

 


「いま私はあの人とうまくいかないからどうにかしたい」

 

その前提の上に、
何を積み上げたとしても



そこに出来上がるもののトーンや色調は、
結局、基礎部分そのままなんだ


 

 

 

そこで、量子的飛躍の出番


 

アインシュタインの言う、

「問題を作りだしたときと同じ思考ではその問題は解決できない」ってやつね

 

 

 


 

前提を変えることから始めよう


「いま私はあの人とうまくいかない」から、


「いま私の人間関係は発展しつつある」とか
「いま私はより成熟した人間関係を持ちつつある」とか


「いま私たちは、誠実に真実を言い合えている」とか。。



自分が無理なく思えるところを探り当て

それを基礎に据えるわけ

 






いわば、悩みと同じ土壌では相撲を取らない

悩みのホームでは闘わない



 

 

そうすると、望む次元へのワープが果たされて



何をしても
その前提の発展形となるんだと思う

 


 

 

「だって、うまくいってると思えないから悩んでるんだよ~」の次元を満喫したら

 

自分の意志で
もうそれは選ばないと決めよう

 

どんなにリアルに思えても

所詮すべては
カプセルの中で夢を見ているだけなんだから



枯れススキを
幽霊だと言い張ってる自分から
幽体離脱して



俯瞰してみよう

 

 


 

 

存在のすべては、
多次元的なのだから、


同じものが必ず違って見えるはずだよ

 

 

 

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「真実はいつも無限大数」(by 迷探偵コナン)

2011-06-22 | 量子論?


古典物理学では、

客観的事実というものが、私たちとは別個に存在して、
私たちはそれを観測できるものということが、疑いなく信じられてきたけど、

量子論では、

客観的事実は存在しないってことが世に提示された


自然は、誰も観測していないときは何も決まっていなくて、
誰かが観測したときに、初めて状態が決まるんだ







電子は普段波の性質を示していて、
観測したときには粒の性質を示す


電子は、あちらにもある、こちらにもあるという非局在的性質を持っていて、
観測したときには、一カ所に収縮して、ある場所にいる状態になる


人は決して、波の状態にある非局在的な電子を見ることは、できないの
なぜなら、見ようとして光を当てることで、
光のエネルギーが対象に影響を与えてしまうから、
どうしても、その前の状態そのままを、見ることはできないんだ



ミクロの世界のものだけでなく、巨大な月でさえ、
誰にも見られていないときは、
厳密に言えば、ファジーでぼやけて、さまざまな場所にいる








アインシュタインやシュレディンガーは、
人間の観測に左右されない「客観的事実」や「実在」が存在することを信じたかったけど、

最後には、

「それ(量子論の考え方)は好きじゃない。」という渾身の反論に出るしかなかった









「客観的事実なんかない」

そういう立場に立ったとき、初めて、
人生が気づきのプロセスじゃなくて、創造のプロセスになると思う


確固としたものが、自分の外側にあるわけじゃないんだ
「真実」だって、「ライフパーパス」だってそう、
いつでも変わらずそこにあるものなんてないんだと思う、万物は流転しているんだしね


でも、そのときのそれを、観測することはできる

そして、観測は、自分という存在を通じてすることになるから、
自分と対象をセットで考える、一元論の見方になって、
そこで、陰陽の太極図のイメージが登場するの








自分という存在がある限り、
自分が知覚、体感、体験する「真実」は、
やはり、「自分にとっての真実」でしか、存在しない

・・というのが、「私の真実」なんだよ


   



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思念のテレポーテーション!

2011-06-01 | 量子論?


哲学者であり、未来学者であるアーヴィン・ラズロの「叡智の海・宇宙」を読んでたら、
こんなおもしろいことが書いてあったよ



2004年に証明されている量子物理学の実験に
こういうものがあるんだって




ここに絡み合った原子AとBがある。→第3の原子Pに、ある量子状態を可干渉性を持って重ね合わせ、暗号を付与する。→そして、Aが、Pと一緒に測定される。→この時点で、Bの内部の量子状態が変化する。BはPに付与されたまさにその状態を取る!→まるで、Pの量子状態がBにテレポーテーションされたかのように見える。。。

 

 

これって、人間レベルで起こると、こんなことらしい




深い絆で結ばれている古代進と森雪がいる。→第3の人物スターシャにあるイメージや考えを強く持ってもらう。→そして、古代進とスターシャが一緒に深い瞑想状態に入り、二人の間にトランスパーソナル的な結びつきをつくる。→すると、この時点で、森雪の心の中に、スターシャが持っていたイメージや考えがそのまま浮かぶ!→(スターシャの心からはそのイメージは消えている) まるで、スターシャから森雪に思念がテレポーテーションしたかのように見える。。。





ね!
すごいでしょ?
もちろん、人間の間の思念のテレポーテーションはまだ実験で証明されたわけではないけど、
量子が「モノの最小単位」であることを考えれば、
その集合体である人間に起こっても、おかしくないわけだ




ということは、
あなたに、ふと、湧いてきた考えやイメージは、
もしかしたら、あなたと深く結びついている人が、現在何かを共有しながら過ごしている他の人から、
あなたにテレポーテーションされてきたものかも知れないってこと・・・

 

 

そういう目で自分に訪れた思いや気持ちを見てみることは役に立つ

自分はキャッチされたほうじゃなくて、それを容れる「器」のほうなんだって、
改めて、思う里誉なのでした

 


                           
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重い感覚とブレークスルー

2011-05-01 | 量子論?


押入から出てきた、
「相対性理論」についての古本(相対性理論の世界 ジェームズA・コールマン著 中村誠太郎訳 講談社),

20年くらい前に買ったその本を読んでいたら、
こんなことが書いてあったの
(あ、はじめて学ぶひとのために、とっても分かりやすく書かれてるのだよ )





 

 

 

あるロケットが、乗客を乗せて、宇宙空間を飛んでいるとして、
遠方の星に向かって加速されるとき、乗客は椅子に押し戻されるような感覚がある

加速する方向と逆の方向に、圧力がかかるのは、
私たちも、エレベーターに乗っているときに、経験あるよね


でね、たとえば、
ロケットの後方に、
迷える惑星が現れ、通過していったとする


すると、ロケットはその惑星の重力につかまって、
やっぱり、乗客には、椅子に押し戻されるような感覚があるんだって
(ロケットは、重力の影響を受けても同じ速度で飛び続けるようにセットされているとして。。)

で、そのふたつの感覚は、まったく同じらしいんだ


そして、乗客は、
ロケットの外を見ないで、感じているこの圧力が、
惑星の出現によるものなのか、ロケットの加速によるものなのか、区別する方法はないんだって










この話を読んで、思っちゃった

宇宙で起こることは私たちひとりひとりの中でも起こるのだから、










私たちの心がなぜか後ろから引っ張られるように感じられるとき、
私たちの身体がなぜか重々しく沈み込むように感じられるとき、



それは、じつは、何かに向かって、スピードをあげて接近し始めたっていうことなのかも知れない

今、起こっているそのことが、
圧力なのか、大躍進なのかを区別する方法は、
幸いなことに、ないらしいから、ね

 



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一生誰にも見られない薔薇の花の話

2011-03-08 | 量子論?


子どもの頃に思っていたこと

たとえば、サハラ砂漠の真ん中に、
一生、誰にも見られることのない薔薇の花が咲いていたとして、

この薔薇の存在を、
誰がどうやったら、証明できるだろうか

証明しようと見つけてしまうと、
「一生、誰にも見られることのない薔薇の花」じゃなくなってしまうんだ


永遠に、「在る」と言い切れない
そんな存在は、果たして「在る」のかなぁ・・

 

 

 

今、思えば、
なんて量子学的発想なんだろう

観られないものは、ないのと、同じなんだ









子どもが、遊んでいて、
自分が何かしているところを、ママに見て欲しくて、

他のお母さんたちとおしゃべりしてるママに

「ママ、見てて!」って、よく言うじゃない?

子どもは得意気に見せつけて、ママが見ててくれたことを確かめると、それで満足する

別に褒めてもらいたいとか、じゃなくて、
ただ、見ててもらうだけで、
自分の偉業の存在が、証明できるってこと、

子どもは知っているんだよね

 

 

 

 

 

音波は、聞く人がいて、初めて音になる
光波は、観る人がいて、初めて光になる

観察するってことは、
その対象の質を劇的に変えるんだと思う

ファジーから、存在感が生まれ、
活き活きと、声高らかに、歌い始めるまでに

 

だから、私は、観察者であろうと、思うんだ

 

 

 

 

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心の在処を教えてよ。

2010-08-14 | 量子論?


ねえ、心ってどこにあるんだろうね

大脳生理学者が、研究を重ねても、
脳の中に、心がある場所は見つからなかったって話を聞いたことがあるよ








じゃあ、
ハート(心臓)にあるのかなあ

それとも、
お腹だったりする












私は、子ども心に、

「この肉体が、死んでも、
今、こうやってモノを考えている心だけは、何があっても、なくならない!」って、

根拠もなく、そう、思っていたことがあったっけ・・











心は、異次元のどこかにあって、
目に見えないその場所は、みんなが共有しているんだよね

ああ、そっか、

心は量子と同じ、「非局在的」ってやつで、

ここにあるとか、あそこにあるとか、言えなくて、
ここにないとか、あそこにないとかも、言えなくて、
すべての場所に存在するってことで、

因果関係で動かず、
刺激があったと同時に反応し、
移動も瞬時、

時間も空間もない、エネルギーのスープの中にあるんだったね









そこでは、この地球上の物理的法則は、一切、通じない

だって、
心を、このくらいの高さから落としたら、これくらい傷つく、とかって、相場がないし、

場合によっては、
豆腐の角が触れただけで、瀕死の重傷を負うこともあり得る。。











自分の体の細胞は、
自分の体を離れても、自分の心によって、反応するって実験結果があるらしいけど、

さらに進んで、

自分の体を離れた細胞が、
自分と深い精神的つながりのある人の心の変化によっても、
反応を示すって聞いたら、

ちょっと、ビックリしない?









心がある、その領域では、
すべてはひとつって、言えるんだね










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観察すると実体化すること

2010-07-25 | 量子論?


私は、生理の時、
何故か、死にたくなるんだけど、

実際、本当に自殺未遂をしたことはなくて、
「ああ、死にたいってこんな気持ちなんだろうなあ」って,
想像できる気分を味わうだけなんだ




だから、
私にとって、

生理痛=死にたくなる気分 って図式化ができてた


間違わないで欲しいのは、
死にたくなる気分を味わうことと、死のうと思うこととは、違うってことなんだ

私は、絶対に、自殺をする人間ではない









 

 

でもね、ある機会に、
’死にたくなる気分’と私が想像したその気分に、
スポットを当てて、見つめてみた


そしたらね、

それまでは、
曖昧模糊として、実体のなかったその部分が、

俄然、しっかと凝固し始めて、

私は、あきらかに絶望的になって、暗い洞窟の中に放り出された














朝起きてすぐに涙が出て、
ベッドからやっと起きあがって、
廊下で座り込んでまた泣いて、
トイレ行って泣いて、
顔を洗いながらも、涙が止まらなくて、
フォルテもシンクロして、ご飯食べないから、また悲しくなって泣いて、
調べものしながら、泣いて、
泣き疲れて眠って


体に力が入らず、
光が見えなくて、
酸素が薄くて、息をするのが苦しかった










 

 

その間の私の思考は停止してるから、
何を思って泣いたのかなんて、聞かれても、答えられやしない

ただ、
涙を流し続けることが、そのときの身体のニーズだったってだけ












涙が枯れると、ボーっとなって、
超大笑いしている、狂気なビジュアルの私がいたよ

一気に浄化の雨に打たれて、
時期が過ぎれば、また普通に日常に戻れることは、想定内だったんだ












 

何が起こったか考えてたんだけどね、

思うのは、

心って、観察すると、その部分、実体ができるんだよ。

ふだんは、もやぁ~とした混沌な超流動体なのに、
ある部分に、意識を向けた途端に、エネルギーが注がれて、
そこが、活性化して、機能し始める

観察していないときは、つかみどころのない波で、
観察すると、実体的な粒になる

量子論の常識は、心の世界の常識なんだ













って、ことは、
こんなことが言えるかも知れない

すべての、カウンセリングやリーディングや占いなど、心への働きかけは、
この自己観察を促すのが窮極の目的だと


本人が意識的に
自分の中にあると思って、光を当てるだけで、それは簡単に具現化する



問題を解決できる能力、
自信に満ちあふれて行動的な自分、
すべてを肯定して、愛を発揮する心、
奇跡を起こし続ける魔術性、



自分が望むものは、’意識’と呼ばれる、宇宙の一部に必ず存在するから、
それにアクセスすることは、人間であれば、誰でもできるから、


絶対に自殺しない私が、死にたい人の振る舞いにより近づいたように、


ただ、自分の中にあると思って見つめるだけで、
それを創り出すことは可能なんだ















意識は、非局在的で、
どこにあるとは言えないけど、必ずあるってものだから、
実感がなくたって、当たり前


今まで一度も考えたことがないことが心に浮かんだとき、
その考えが、これまで自分の心に絶対になかったって、言えないじゃない?

無意識の中に埋め込まれていて、
何かのきっかけで浮上して、意識に昇ってきた・・・


だからね、どんなに困難に思っていても、

悩んでいることに方向を見出し、
たとえ、まだ、現状は何も変わっていなくても、
幸せを感じて毎日を送れる自分の姿を、
誰でも、意識に昇らせることが、できるんだ



自己観察はそのきっかけになり得るし、
それを促すのが、
カウンセラーや占い師や、人の心をサポートする人の役割だと思う

 

 










えへへ

自称’ハートサポーター’の熱いつぶやき、聞いてくれて、どうもありがとう

 

 

 

 

 
 

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観察不可能なきらめき

2010-03-09 | 量子論?

視界の端っこでしか、とらえられないことって、あるのかなあ





今日、パソコンで作業していたら、
机の隅に置いてある名刺立てが、キラッ、キラッと、光った気がしたから、
ふと、そっちのほうを見たんだけど、




何も、起こらないの






気のせいかと思って、
パソコン画面に向き直ったら、
また、視界の端っこで、キラッって光ってくるのが分かったから、
再び、注目したんだけど、




やっぱり、何も、光らないし、何も起こらない







もちろん、キーボードを打ってみたり、
マウスを動かしてみたり、
視線以外は、同じ状況にしてみたんだけど・・・・





これって、どういうこと









観察していないときに起こって、
観察しているときには起こらない。

まさに、量子的な現象だわ








私の視線の中に何らかのエネルギーが含まれていて、
それが、キラッの源に作用したのかも知れない






まっこと、不思議なことよのぉ~







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感情・思考のテレポーテーション

2010-03-01 | 量子論?

イメージでとらえる感じで、いいんだけどね・・










「量子のテレポーテーション」って現象があって、
量子同士は、一旦、からみあうと、
一方の情報が、他方に瞬時のうちに伝わるんだって



伝わるのは、
どんなに距離が離れていても、(たとえ、1光年でも)時間ゼロ。

つまり、瞬間移動(テレポーテーション)









アインシュタインも異議を唱えていたこの理論、
1982年にフランスの物理学者アスペによって、証明されているんだってさ











イメージで、いいからね・・











で、
この「量子のテレポーテーション」なる出来事、

私が最近感じてることを、説明してくれそうな気がしたんだよね













クライエントさんとセッションの契約を結ぶとね、
その途端に、
私とクライエントさん、双方のエネルギーがからみあう状態になるんだと思うんだ

そして、
クライエントさんの世界の一片が、私のエネルギーに瞬時に伝わってくる。

私のエネルギーの特質は、
順応性が高くて、即、違う世界に浸れるってことだから、

私は、
それまで、考えなかったようなことを考えたり、
気にならなかったことが気になったり、
ある感情が泉のように湧き上がってきたり、

いろんな情報が、次々やってくるのが分かる











こういうことって、
恐怖を抱いたら、際限なく、恐ろしいことに思えてくるんだけど、

私は、
その点、根拠のない自信があって、
決して、双方にとって、悪いことにはならないと確信している。

むしろ、
セッションが、必ず、クライエントさんの気づきと実りのためになるって設定をしているから、

必要な情報がもたらされていると思えるんだ









潮来や霊媒と違うところは、

いろいろな素材を受け取って、
さらにそこから発展して生まれたものを、
私の左脳的な部分が、分析、判断、識別するところ。

そうして、
クライエントさんに伝えるべきことが、浮かび上がってくる













クライエントさんのほうにも、
私のエネルギーは、何らか、伝わっていると思うんだ。

だから、
セッションが始まる前に、実は、もう相互作用が始まっている











そして、セッションと、そのフォローが終われば、
からみあいは、終了して、
自分のエネルギーに戻る。

学びと気づきだけを残して、さよならする














エネルギーの正体が、量子だとすると、
テレポーテーションしていたのも、うなづけるんだよね











そう考えると、
自分に起こっていることについて納得できるから、
たぶん、私の中では、それが真実なんだ












妄想っぽいのは、十分承知さ。
でも、「妄想」って、物理学の世界では、「思考実験」と呼ぶこともあるらしいよ











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奇妙な真実☆量子論

2010-02-27 | 量子論?

最近、
前から興味のあった量子論の本を読んでいるんだけどね、
これが、まか不思議でおもしろいのさ












たとえば、
電子は粒でもあり、波でもあるという量子物理学の見解があるんだけど、
人間は、決して、波である電子を見ることはできないんだ。

人間が観察すると、同時に、
電子は粒になってしまうんだって

ちょうど、
「だるまさんが転んだ」って振り返ったら、皆が固まっているように・・・・











見ることができないのに、どうして、電子が波だって言えるのか?

そう仮定すると、
いろいろなことが説明できちゃうからなんだろうね












だから、
永久に、自然をあるがままに見るなんてことはできない。

見ると同時に、
それは、対象の中に、ある一定方向の動きを生じさせることになって、
見ていないときとは、別の態度(ふるまい)を示すんだ








何だか、
小学生の授業参観のような・・・

親は永久に、子どもの本当の姿を見ることはできない

可愛い子猫になっているかも知れないし、
荒れ狂う雷神になっているかも知れないし、
忍者のように気配をなくしているかも知れないし、
そのすべてかも知れない・・・













ニュートン以来の古典力学は、
自然は客観的な実在であり、それを人間が観察するとの立場だったけど、

そもそも、
客観的な実在があるということが成り立たないのが、量子の世界

観察する人も含めて自然を考える。
観察する人の意志が、対象を決めることがある













そして、
モノの位置だって、見ることによって定まる。

誰も見ていないときは、
量子は、ここにもいるし、あそこにもいるっていう、
ドライアイスの煙みたいなモヤモヤした状態

見ることによって、
その煙が、一気に集約して、確かな存在になる


量子論というのは、モノの最小レベルのことを説明する世界だから、
この世に存在するすべてのモノについてそれは言えるんだ。

机についても、夜空の月についても、
もちろん、人間についても












自分が自分であるのは、他の人がいてくれるから。
他人がいなければ、
何が自分か分からない、あやふやでふわふわした、とらえどころのない広がり












こんな感じで、
この世の非常識は、量子の常識

当分、はまりそうな予感だっちゃ








スピリチュアリズムに興味のある人は、きっとおもしろいはずだよ




参考:「図解 量子論がみるみるわかる本」 PHP研究所
    「ねこ耳少女の量子論」 PHP研究所












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