Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

ひとを助け(ようとし)ないという選択

2013-07-30 | フォルテネージュ

 

何ヶ月か前のこと、


ある知人が、宴の席で、

「私は、目の前で誰かが苦しんでいても、平気で見ていられる人だから。」

と、シリアスな表情で語っていたのを小耳に挟んで、



私は、一瞬ビックリしたの。



その人は、普段、
とても物腰柔らかな社交的な印象だったので、


その発言が、私の聞き間違いではないかと思って、
とっさに、確認できず、戸惑った。


結局、その言葉は、
その後、私の心に深く残ることになったんだ。







 

そして、その後、
別の、こんな話を聞いた。

セラピストだったある人は、
日頃から、人を助けないことを公言していたのだけど、

さすがに、海で溺れている人を見かけて、とっさに体が動いて助けてしまった、らしいと。


なるほど、

どんなに心で決めていても、

助けるときには、自然と体が動いて、助けちゃうんだね!

 

 

 

 

 

 

 

そして、

とうとう、私は、自分自身が、

目の前で苦しんでいる人を、

手を差し伸べて欲しいと私に頼むその人を、

じっと、見据えて、助けないという選択をしている場面に出会ったの。



そのとき、私の心にあったのは、
憎悪でも、冷酷でも、なく、


「手を出さず、絶望の渦中にあるその人をただ見守ろう」ということだった。


葛藤はなく、きっぱりと、

そうすることに、一ミリの疑念もなかった。







そしたらね、

それから30分後には、

私は、心の底から、

「ああ、さっき、助けなくて良かった」と思っていたよ。

その人は、自力で立ち直っていき、
別次元の別人となった。

 

自分の感情の波に呑まれて、
迷い、さまよっている人から、

どうにもならないことをどうにかしようとせず、
あきらめて、自分の方向性を明らかに見る人に、

みるみるうちに、変わっていったんだ

そして、たぶん、私に対して、
嫌悪を感じただろうけれど、


その経験さえも、自分の糧にして、
笑顔で、去っていったんだ

 

 

 

人を助けないことが、助けることになる、場合がある。


人を助けても、実際、全然助けていない、場合がある。

 

 

 

 

殊更、人を助けようと心がけていなくても、

必要なときには、とっさに反応的に、助けてしまうものなんじゃないかな。

 

役に立つ自分でいることなんて、

人の期待通り動かなくて人から嫌われることなんて、



どうでもよいと思える宇宙が、


本来の自分がいるにふさわしい、本来の宇宙なんだと思う

 

 

 

                          ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

 



 


故吉福伸逸氏の愛弟子による,体験的グループ・セラピー(8.31土-9.1日)のご案内

2013-07-30 | トランスパーソナル

 

さまざまなエクササイズやゲームを通して、
自分自身に向き合い,新たな自分を発見していくワークショップです。


この春亡くなられた吉福伸逸さんの愛弟子でいらした,

瞑想のピアニスト ウォン・ウィンツァン氏,
元理系エンジニアのカウンセラー 向後善之氏,
格闘技に精通したパーカッショニスト 新海正彦氏,


このユニークな3人のセラピストが,
吉福メソッドを踏襲しながら,ファシリテートし,

私たちを,気づきと目覚めに導き,成長のサポートをしてくれます。

 

どんなことをするかは,定かでは在りませんが,
吉福さんが降霊してスーパーバイズして下さるのは確実。。。

心と身体を柔軟してご参加下さい!

お申込は,日本トランスパーソナル学会HPからどうぞ。

 

「体験的グループ・セラピー」の継承と試み
今や伝説となった天才的なセラピスト、故・吉福伸逸氏は70年代から日本にアメリカのニューエイジ、トランスパーソナル心理学などを紹介し、日本の精神世界に大きな足跡を残しました。現代のスピリチャル・ムーブメントを担う人々にも大きな影響を受けた人が沢山います。亡くなられた今、彼の真骨頂ともいうべきワークショップ「体験的グループセラピー」を廃れさせないために、彼のインストラクションを受けたアシスタントたちによって、ワークショップを引き続き開催することになりました。
現在の日本は、東北沖大震災とそれに続く原発事故、領土問題などからくる隣国との緊張、グロー バリズムなど自由主義経済による格差社会の歪、などなど、多くの問題を抱えています。しかしそれらの問題を越えていくためには、何よりも個々人の意識の目覚め無くしては本格的な社会改革は起き得ないことを、多くの方が気づき始めています。その意味で「体験的グループセラピー」は癒しと気づきの「場」を提供するものと、私たちは期待しています。 (ウォン・ウィンツァン)

【日時】
2013年8月31日(土)10:00-18:00
    9月 1日(日)10:00-18:00(予定)
【会場】
8月31日(土)日本大学文理学部百周年記念館 多目的ホール(京王線 下高井戸駅)
9月1日(日)杉並区立浜田山会館 ホール(京王井の頭線 浜田山駅)

【講師】
ウォン・ウィンツァン(本学会常任理事)
向後 善之(本学会事務局長)
新海 正彦(覚技ワークス主宰)

【参加費】
(1日のみ):会員7,000円、一般10,000円
(2日通し):会員14,000円、一般20,000円

【定員】
各日40名

 

お申込は,日本トランスパーソナル学会HPからどうぞ。

 

 


裏切りのドリーミング

2013-07-25 | フォルテネージュ

 




ある国では、
人を殺すためだけの道具の所持が認められている一方、



ある国では、
今までたくさん暮らしのエネルギーを提供してくれた設備が、
「安全ではない」との理由で、憎まれている。

 

 

 

原発は、ピストルと違って、
一度に多くの人命に影響するから重大だ、
というのであれば、



 

戦時中に兵士がたくさんの敵を殺せば英雄となり、
日常、たった一人でも殺せば、罪人になるのは、



陰陽の逆転、メビウスの帯、だね。

 

 

 

「原発の問題は、

エネルギーとか安全性とか、そういうことじゃなく、

ああいうものを造る、人間性の問題なんだ。」  ( by  吉福伸逸)

 

 

原発がなくなったとしても、

私たちの内側がそのままであれば、

きっと、また、同じことを繰り返すんだろうと思う。

 



信頼が失われる、
安全性が崩れる、


一連のシーンに現れているのは、
裏切りのドリーミング、なんだと思う。

 

 


 


「そんなの、知っているよ」と言いたくなるとき

2013-07-18 | フォルテネージュ

 

スピリチュアルな話とか、
宇宙の法則の話を聞いたとき


時々、
こんなふうに思うことないかしら?


 

          「そんなこと、知ってるよ

 

 

その言葉の裏にある気持ちは

 

「もっと目新しいこと、聞かせてよ!」
「知っていたって、私はこんなに悩んでる

 

という,じれったさだったりする

 

 

 

 

 

誰かが教えてくれることについて

「そんなの知ってる!」
と思うときって、


たとえて言えば、

前から我が家にいた青い鳥を見つけた瞬間なんだと思うのね

 

遠い場所にいると思って

我が家を出て探しに出かけなければ

見つからなかった宝物を、

手の中に発見したってことなのだよ

 

「なあんだ! うちに居たのか!」

「大切なことは、私、もうちゃんと知っていたんだ!」と、

 

とっくのとうに持っていた、

奇跡の種、見っけ!って瞬間

 


 

 

 

有史以来人間が、


同じことで
悩み続けてるのはなぜだと思う?


ひととの関係だったり、
善悪の問題だったり、
気持ちの収めかただったり、


知りたいことは
学校では習わないし、

誰も教えてくれないのは

どうしてなんだろう?

 


それはたぶん、

大事なことは、

誰かに教えてもらうんじゃなくて

自分で見つけなきゃ意味がないから、なんだよ




経験の中から、立ちのぼってきて、

自分でつかみ取った感覚を伴ったものだけが、


自分に役に立ってくれるんだと思うの

 

 

 

 

「そんなの、知っている」というそのことを、
完全に自分のものにしたときには、


「知っている」じゃなくて、
「それ、私が見つけたの」って、言っている自分に気づくと思う

 

 

 

                            ハートサポートサロン「フォルテネージュ」

 

 


嗜好が語ってくるもの

2013-07-12 | フォルテネージュ

 

 

嗜好品には、
深層心理からのサインが秘められているらしい。





たとえば、

私は甘い物が大好きだけど、
いつでもウェルカムかと言えば違って、

お腹が減っているときは食べられないわけ





それは、

私が甘いものに求めているエッセンスが、

「余裕」や「遊び」、だからだと思うのね。


「主食」や「日々の糧」、ではなくて、

必要が満たされた次のステップに、

キャスティングしたいものなんだ



 

 

あるとき、

久しぶりに夜のニュース番組を見てたら、

10分もしないうちに、

甘い物が欲しくなっちゃって、



「あれえ、夕食とデザートで満腹だったはずなのに、

どうしてだろう?」と探っていったら、


ああ、

ニュース番組の深刻さ、重厚さ、悲壮感、切迫感、

そんな雰囲気と、私の内面が、
葛藤を起こしたらしくて、

明るさ、軽さ、遊びや笑顔、

そんなものを世界に登場させたくなって、

その役割を、甘い物に託したんだと分かったよ

 

 

私は、どうやら、

世界はもっと、
明るく、豊かで、遊びに満ちているべきだと思っているらしい


万が一、そのことに無自覚で、
自分自身でそれらエッセンスを生きていないと、


私は、たぶん、
甘い物依存症になるんだと思う

 

 


 

                   ハートサポートサロン「フォルテネージュ」