Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

遠隔ヒーリング 秋冬の注意点

2009-11-30 | ヒーリング

先日、こんなことがありました

夜、あるレイキヒーラーさんから遠隔ヒーリングを受けていました

開始直後から、私の右足が細かく振動し始め、

続いて左足にもそのバイブレーションが伝わって、

さらに両腕もじわじわとしてきました

何故だか、ベルのビジョンがあって、

少しずつ、体幹部分へとエネルギーが近づいてくるのを感じていたのです












雪山などで遭難しかけた人を温めるときは、

いきなり心臓からではなく、

手や足といった末端部分から体の中央へとの順番じゃないとならないって、

昔、保健体育で習ったような気がするなあ などと、

思っていましたところ、

ん?

ここで、エネルギーがくるくると迷走を始めました

なかなか、ハートに入り込んで来なかったのです

最初からハートにズキュン!ってタイプのヒーラーさんもパワフルですが、

私としては、

送ってくれているヒーラーさんの楚々とした奥ゆかしさを感じておりました













ところが、

終了後、彼女から、

「もう少し体を開いてレイキを受け取ってもらえたら嬉しかった・・」とのコメントが届いたのです











特に拒否的な気持ちを持っていたわけではなかったので、

いったい、何が起こったのだろう と、考えてみたところ、













思い当たりました


















私は、そのとき、お風呂上がりでした

いつも、遠隔を受けるときには、

ベッドに仰向けになっているので、

そのときもそうしたのです

掛け布団をかけようかどうしようか迷ったのですが、

せっかくのレイキを遮ってしまうような気がして、

布団をかけずにパジャマのままで寝転びました















レイキを受けている30分の間、

私は、

いろんな体の感覚やビジョンなどを受け取りながら、

少しずつ、

お風呂上がりの体が湯冷めしていくのを感じていました

ちょっと、寒いなあ・・

そう思うと、心なしか、体に力が入って、冷えと闘いながら、ヒーリングを受けていたのです













そう、私は、冷気と闘っていました

冷気に抵抗し、体をこわばらせて ・・・

 

 

 

 





冷気とレイキ

ダジャレか

ダジャレじゃない

ダジャレじゃありません














私がそう返すと、ヒーラーさんも、ウケて下さいました













みなさまも、

これからの季節、

遠隔ヒーリングを受けるときには、

温かくしてリラックスを心がけましょうね

宇宙エネルギーがおふとんに遮られるなんて、

んなわけねぇだろ 














でも、気をつけないと、

ぬくぬくおふとん + レイキの熱さ で、暑くなりすぎる場合もあるようなので、

そのときどきで、臨機応変に










 

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ブリリアントな左脳の恵み

2009-11-26 | フォルテネージュ

私の左脳はキラキラしていて、超働き者だ

そのおかげで、

私は地に足をつけて、現実を生きられる

分析、判断、評価といった、明晰な頭脳労働は、彼の得意分野


ジャッジくんとでも、名づけようか











私が高校生のときはまだ、

彼はここまで育っていなかった

その頃、私は、

無意味な校則を何回も破り続けて、先生から「キミはアウトローだな!」と言われ、

友達の憧れの男の子から告白され、好奇心から、周囲に内緒で交際し、

受験勉強しなければならないのに、毎日居眠りばかりしていた













彼が育ち始めたのは、大学時代だ

ちょっと選民思想の入ったカルト的なサークルに所属した私は、

そこで、禁欲的な修業生活のような日々を送り、

苦しくて、途中、挫折して、おちこぼれた

その頃、私の「内なるジャッジ」は息を吹き込まれた















大学院を修了して、家庭裁判所に就職し、

それから約20年間は、まさに、ジャッジの急成長時代だ

裁判所ですから、ジャッジが仕事

分析し、評価し、判断して結論を出す

裁判官の法衣が黒いのは、

他の何物にも染まらない色だから

裁判官を補助する私の仕事は、判断、意味づけ、比較、断定、評価の連続で、

ジャッジの活躍は目覚ましかった

残業して、あるいは、休日のときも、

「もう、辞めた!」なんて、言わずに、常に全力投球で働いてくれた















そういう私の、左脳と内なるジャッジが、

輝いていないわけはない













スピリチュアルな教えでは、

物事をジャッジするなと何度も言われる

良い悪いの判断をせず、決めつけず、受け入れようという意味だろう

じゃあ、

相手の素晴らしいと思ったところを、素晴らしい!と言うことは?

「それもジャッジだ。投影、転移・逆転移の原因となる避けるべきことだ!」と、エライ先生は言うかも知れない

その先生を、私は心から敬愛している

でも、考え方においては、別のことを選択する

それは、建設的な評価だ

そこに、相手や状況をコントロールしようとの気持ちがないのなら、それは避けるべきでも何でもない

健康的で、のびやかな左脳の働きだ















「また、ジャッジしてしまった!いけないことだから、避けなければ!」

って思うことは、

やっぱり、ジャッジしているし、コントロールしようとしているし、矛盾をはらむ行為だ





















ジャッジしたことに気づいていて、

そのときそのときの自分を優しく寛容に認めていよう

ちまたでもてはやされる右脳と同じくらい、左脳を大切に思うこと

そのバランスが、

科学と芸術の両方に長けた、レオナルド・ダ・ヴィンチのような天才性につながるわけだ

セッションのとき、

そのコラボレーションがスパークする瞬間、私は時間を忘れている









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混沌は神聖な泉

2009-11-24 | フォルテネージュ

ボイジャータロットに、Confusion(クリスタル6)というカードがあって、

文字どおり、混乱、混沌って意味なんだけど、

絵は、赤、黄、青、さまざまな色と形のクリスタルが、

まだ磨かれていない原石に近い状態で、

ランダムに散らばる様子が描かれている

クリスタルのカードは、<思考>や<マインド>を表す














ともすれば、ネガティブに受け取られがちなこのカードだけど、

これを引くと、私は、

「ほ!何か産まれるぞ!」って思うようになった

星は、宇宙のちりやガスの混沌の中から産まれるし、

日本列島だって、

神々が海をかき混ぜて、撹拌の中から取り出したしずくが陸地になったって言われてる













マインドが混乱するのは、

既存の考え方では、収まりきれない何かが投げ込まれたからだ

異星人のようなその存在を理解する、新しい筋道や基準を見つけようとして、

ああでもない、こうでもない、と、

道を探している状態だ














そこに、秩序はまだないけれど、

パーツはすべて揃っている

サイズも色も形も質も違う、アイデアたちにあふれ、

刺激を受けまくっていて、

その豊富さゆえに、ぶつかり合っているだけなのだ














必要なのは、

そのアイデアのぶつかり合いを歓迎し、何かを産み出そうとの意志を持つこと

最初の命が海から生まれたように、

混沌の中から価値あるものが生まれるという、

この神聖なプロセスが、今、起きていることに気づくことができれば、

産まれる何かを想像して、

思わずにやついてしまったりして・・・








 



混乱が訪れたら、

それは、自分だけのオリジナルを生み出すチャンス

抜け出そうとやっきになったり、

あせって、急いで、とりあえずのものを創ってしまったり、

「こうでなければ!」なんてのからも縁を切って、

カオスな自分を認めて、その居心地を愛でていれば、

嵐の後みたいに、一条の光が差し込むってことになるんだと思う







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毎朝起きてるミラクル★☆

2009-11-20 | フォルテネージュ



朝、起きたときに、

一瞬、私が私でない感じが時々ある

<肉体>と<魂>との間に、距離がある感じというのか・・・

「えぇっと、今は、いつで、私は、誰なんだっけ???」みたいな感覚












「寝ぼけてんじゃないの?」って言われたこともあるけど、

そうではなくて、

離人感覚って、こんなかなあっていう、

自分に向かって、「この人、誰だっけ?」って言っている私がいる










 

眠っている間というのは、

魂が肉体を離れて、次元を超越して、宇宙に帰り、

充分にエネルギーを補充している時間なので、

再び肉体に戻ってきたとき、

ちょっと、微調整が必要なのだろう



ほんの十数秒といった時間だけど、

三次元仕様になるために、魂のサイズ合わせをしているのだ


だから、瞑想の後とか、過去世を旅した後なんかにも、なったことがある










 

 

ある精神疾患の症状に、

離人症的感覚というのがあって、

たぶん、

私の感じている感覚が長時間続くと、

精神病と診断されることになる



その人は、何かのきっかけで、魂がなかなか肉体に戻れなくなってしまったのだ


スピリチュアル・エマージェンシー、

魂の危機的状態

こうなると、精神科が処方する薬では治癒できない



実は、世の中で、統合失調症と診断されている人のなかにも、

魂と肉体の関係が崩れてしまったことが原因の人もいて、

世界的にそのような危機に陥った人々を誤診から守り、

必要な情報やケアを提供する目的の団体もあるとのこと










 

とりあえず、今の私は、

すぐに<今生の自分>を思い出せるようだ



ビックバン以来、いくつもの生を経て、

その記憶はすべて潜在意識に蓄積されているから、

その中から、

ズバリと今の自分に戻ってくるのは、

想像しただけで、

高度な技術が必要だよね

毎朝、ひっそり、魂たちは、奇跡の離れ技を見せてくれているのかも知れない









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私のガイドはユーモラス♪

2009-11-19 | フォルテネージュ

お友達からもらった、不思議なメッセージのことを考えていました

真実をついているからこそ、ちょっと痛くて、

でも、キラキラの愛情にあふれていて、

ちょっと束縛も感じられ、

親密さと優しさに満ちた、曖昧さを排除した言葉たち。。。













キッチンで、フルーツを用意しながら考えていたのです

その万華鏡的なメッセージの、

ひとつの側面だけを切り取って、何だか、怒りが湧きそうになったとき、

私の目の前には、

ハートの形の柿がありました

今、カットした、富士柿でした













「それは、愛のメッセージだよ」って、

ガイドが教えてくれました


こんなふうに導いてくれる,目に見えない存在たちって,

なんか,粋でカッコいいって思います



いつも,ありがとう

おかげで,ちゃんと,暗号が解読できました

 

 

 

 

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「戦士系」から「天使系」へ

2009-11-18 | フォルテネージュ

最近、ずっと、

ハートチャクラ、あるいは第三チャクラの裏側に疼きがある

私の場合、

ドキドキワクワクの感情は、このポイントに反映されるので、

嫌なことではないのだけど、

ちょっと、エネルギーが溜まっている感じ


いつか、

羽根でも生えてくるのかなと思う











 

 

 

およそ、

天使というものは、人間になったことがないから、

感情ってどういうものだか、分からないはず

窮屈な思考とか、

よどんで、ドロドロした感情とか、

悲しみにうちひしがれる気持ちとか、

そんな濁ったものは、天使は経験したことがない


いつも光に満ちあふれて、

人間を助けたい、人間の役に立ちたいという純粋な心だけで、

その心持ちに波があるわけでもなく、

「今日、ちょっと、調子悪いから、パス」とか、言わず、

どんなときでも、どこにいても、何があろうと、

一生懸命で、輝くことしか知らない存在

天使は呼んだらすぐに来てくれるし、

「何度も呼ばれたから、もう嫌だよ~ん」なんて、決して言わない

 














 

 

だから、天使と人間は違う

この世で天使に助けられることはたくさんあっても、

過去世で天使だった人はいない















だけど、

世の中には「天使系」という人たちがいて、

そういう人たちは、

ある特別の色合いを持っていると思う

まったく、別世界に住んでいるかという印象を与えるまぶしさ、強さを見せつけるのだ

そうである必要性があるから

ドロドロを共有する必要もなく、

凍りつくような冷たさに泣くでもなく、

ただ、まぶしい存在で、ぶれることなく、そこにいてくれること















まぶしくて、見られないときもあるから、

そういうときは、ちょっと、遠ざかってみるけれど、

近くても、遠くても、

絶対的なポジティブの指標として、やはり、存在の波動からは逃れられない





        

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上達のコツはエクスタシー

2009-11-17 | フォルテネージュ


どういうメカニズムになっているか、分からないけれど、

以前、興味があったことから、しばらく遠ざかる期間ができて、

その間、別のことに夢中になっていて、

また、ふとした拍子に、以前のことをやり始めたとき、

これまでとは違う世界が見えてきて、

何だか、深く、それをもうすでに知っている自分がいたりする
















たとえて言うと、

以前、英会話を熱心に勉強していて、

しばらく、英会話から離れてテニスに夢中になっていたとする

そして、

何かの拍子に、また、英会話に触れたとき、

全然、勉強してなかったにもかかわらず、

何故だか、英語がよく理解でき、聞けたり、話せたりしてしまう

 

 

 

もちろん、

すべてがそうだとは言えないかも知れないけれど、

こういうことが、実際にあることは、確かみたいだ

 

 

 





実際、私が今、興味を持って学び続けていることは、

ボイジャータロット、ライフパーパスアストロロジー、チャネリング、ヴァーチューズプロジェクト、レイキ、プロセス指向心理学、量子物理学、過去生療法、インナーチャイルドセラピー、ホ・オポノポノ、ネイティブ・ハワイアンの教え・・

まだまだ、これから、増えていくと思う

でも、さすがに、これだけあると、

すべてを、いつもいつもやり続けていられないので、

何か遠ざかる期間ができたりして、

そして、また、戻ってきたときに、

「あれ、前より深く理解できる!」ってことを経験している
















夢中になってテニスをしているうちに、

違う自分になったのだ

自分が変われば、世界が変わるから、

自分から見た英会話が違った世界となる

マンションでも、階が上がれば、窓から見える景色が違って見えるように、

魂の立ち位置が変わってくると、

体験する世界が変わってくるのだろうと思う
















そう考えてみると、

何をやるか<What>よりも、

どのようにやるか<How>がキーになる

たとえば、親は、

幼い子どもが、かくれんぼしようとも、鬼ごっこしようとも、構わない

ただ、夢中になって元気に遊んで欲しいだけ

夢中になることは、忘我の境地

光をたくさん受け取ることのできる、透明で曇りのない状態だ





 

 





だから、

何か、うまくできないことがあったとき、

目先を変えて、

他の、少しはうまくできること、やっていて楽しいことを、充分やってみて、

また改めてトライしてみると、

案外、前とは、違う感触が得られるはず














でも、私は、

「タロット研究家」とか、「アストロロジーの専門家」とか、分野限定の人には、なりたくない

それぞれの真髄に触れて、

その醍醐味を味わって、

ツールとして使いこなす人になる


より自由に、より幸福に生きる方法を、

私が試してみて良いと思った方法を、

「こんなのもあるよ」って、他の人に示していけるように






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物忘れする自分に乾杯!!

2009-11-16 | フォルテネージュ

「この頃、物忘れがひどくなって、もう、嫌だなあ・・・

こんなふうに嘆く人は多いだろうと思う

人の名前が出てこなくなったり、大事な物をどこに置いたか分からなくなったり・・

そして、

忘れてしまった自分をダメな自分として、がっかりしたりする










でも、

よくスピリチュアルな思想のなかで言われる、

<手放す>って言葉

「怒りや悲しみを手放す」とか、

「過去の記憶を手放す」とか、

「戦争を手放そう!」と言う、平和活動家もいる

<release>という英語だと思うけど、

あれって、要は、<忘れる>ってことじゃないのか















仏教では、

<手放す>ことを重ねていくと、

執着から離れていき、

<忘我>、すなわち、悟りの境地に至るらしい

だったら、

私たちは、ひとつ物忘れをするごとに、

悟りの境地に近づいているってことじゃないかしら












その証拠に、

青春まっただ中の若者は、

まだまだ悟りには早いから、

物忘れしないでしょ

忘れたくても忘れられない、その状態は<執着>そのもの

やっぱ、悟るには、それなりの人生の経験が必要ってものだから



















これからは、

忘れた自分に出会ったら、

ちょっと、自慢に思ってみよう


またひとつ、

自分の神々しさが増してきた、その証として









え?

自分が手放したいことは手放せないって?

そのコントロール欲求も、

忘れてみてはいかがかしら




               





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フォルテの毛って何本あるのかなあ

2009-11-12 | フォルテネージュ
昨夜、

フォルテの寝言がフランス語に聞こえた












                  



       









そういえば、

昼間、フォルテのウン○が、まっすぐに立ってて

何か、いいことあるかもっ と、思ったけど、

あれって、エッフェル塔をモチーフにしたのかな













                  










マリーアントワネットやポンパドゥール夫人が愛した犬、パピヨン

でも、

実は、祖先はスペイン産

ラテン男のパッションと、パリジャンのエスプリを併せ持つ、

キャバ嬢顔負けのアゲハなフォルちゃんに、メロメロっす








              


                  












「ごめんなさい」が言えないあなたへ

2009-11-11 | フォルテネージュ

ボイジャータロットに、「Growth(成長)」というカードあります

意味としては、

「自分の闇を探求することで、人は成長する」 ってな、感じです

植物が育つときって、

まず最初に、根を地中に張ってから、地上の部分が伸びていくでしょ?

あれと同じで、人間も、

最初に、自分の奥のほうの、埋もれて隠れて光の当たらない部分を探っていってから、

その後に、芽が出て、茎が伸びて、花が咲くってワケです


















そういうわけで、

最近は、闇の探検週間に入っている里誉です
















今日の私の闇は・・・

















「ごめんなさい」です
















罪悪感を抱くことが、人間、一番、自分を害することだと言いますよね

誰でも、そのとき、最善だと思う選択をして、

ベストを尽くしているのだから、

罪悪感なんて抱く必要はないのだと・・













でも、

ホ・オポノポノの魔法の言葉のなかには、

「ごめんなさい」ってのがあって、

私としては、これが、理解に苦しむところでした














罪悪感は必要ないのであれば、

どうして、謝らなければならないのか

なんか、矛盾を感じていました
















で、

ちょっと、考えてみたのですが、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たぶん、

「ごめんなさい」は、「私が悪かったです」という意味では、ないのです














誰でも、知らず知らずに、相手を怒らせてしまったり、

傷つけてしまったりすることって、あって、

そんな、「怒れる相手」「傷ついた相手」を作りだした自分をキャンセルするために、

自分で自分に向かって言う言葉なのではないかと、思うのです

自分の体験している現実に、不調和が出てきたとき、

それは、間違いなく、自分のなかにその種となる<しこり>があるってことだから、

その<しこり>に向かって、「ごめんなさい」って魔法をかけると、

溶けてなくなっていくのです

















だから、

「ごめんなさい」って言ったところで、

相手に服従するわけでもないし、

自分は罪深き存在ですって、ことでもない

ただ、

この魔法をかけると、自分が、ほんわかすることになって、

自分の内部がほんわかしていれば、自分の経験する外界もほんわかするから、

「怒れる相手」も「傷つく相手」もいなくなる
















こんなシステムになっているのではないかと、思うのです




















そう思うと、

「ごめんなさい」って言葉は、言いやすくなるような気がします

何せ、

罪悪感とも劣等感とも屈辱感とも無関係なのですから
















「ごめんなさい」は、

自分が<自分>を癒すために言う言葉

真理としての<自分>には、相手も社会も地球も宇宙も、含まれちゃいますから・・・












そういえば、

先日、ハイヤーセルフさんから言われました

              

                 すべてはひとつ、楽しく生きよ







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私の中の隠れキャラ

2009-11-10 | フォルテネージュ

先日、

トラウマとか、インナーチャイルドとかって書きましたが、

ついこの間まで、私は、この言葉たちがちょっと嫌いでした








美と賢さを追求する今世の私ですが、

実は、超意外な隠れキャラである<神経質なオヤジ>が潜んでいまして、

その部分が、

私に、こうつぶやいていたのです








「ケッ、トラウマだか、トラクマだか知らないけど、甘えてんじゃねえよ

自分のガキの頃を思い出して、かわいそがりやがって、胸くそワリィな

だいたい、子どもは親を選んで生まれてきて、その酷な経験をすることだって承知だったんだろ

それなら、それが予定どおりの計画だったんだから、

傷ついたも、へったくれも、ねえんじゃねえのか






ちょっと、大げさですが、こんなべらんめぇ調の言葉が聞こえてきて、

「トラウマ」や「インナーチャイルド」って聞くと、

正直、何だか、くさいヒロイズムを感じていたものでした













だから、

なりゆきで受けた、インナーチャイルドに出会う誘導瞑想のなかで、

出会ったチャイルドから、「明日も会いたい!」と言われたのに、

その約束をすっかり忘れてしまい、

さらに、会ったときにも、

「あんたはもう大丈夫なんだから、そんなにいつも会わなくてもいいでしょ?」

なんて、言ったりしちゃいました






思えば、その日から、私のハートチャクラの裏がズキズキと痛み始めたようです






そして、

時期を同じくして、

インナーチャイルドセラピーを受けたというお友達の話や、

自分の幼い頃のちょっとした体験を思い出したことで大きな気づきが得られたって話を

立て続けに聞く機会があり、

なんか、ちょっと、私も、やってみようかなって気持ちになったのです

(この、節操のなさ、いや、素直な柔軟性が、私の武器です )















自分で自分の幼い頃を回想し、

いろんな場面を思い出すと、

私が本当に安心できた場所は、なんと、大好きなお友達の家でした

自分の家ではなかったのです













その、お友達の家を想像して、

今の大人の私は、8,9歳頃の私(インナーチャイルド)と出会いました

すると、

やはり、その子の体は硬くて、その頃から緊張していたことが分かりました

そういえば、

私は、子どもの頃、母親に抱きつきたくても抱きつけなかった子で、

お友達がそうしているのを見て、

羨ましく思っていた・・・・・   

私は、長い間、放置してきたこの事実に気づきました















子どもの頃、私は、一度だって、母に抱きついたことはなかったし、

そうして欲しいと言ったこともなかったし、

何も言わなかったのでした

そうして、

そう思っていることさえも、見ないで、否定していたみたいです

それが、

<神経質なオヤジ>キャラの誕生秘話です

私の闇の部分が造りだした強がりキャラが、

すっかり、根づいて、毒を吐くことで、本当に自分が求めていることを隠してきたのです




















これに気づいたとき、目を閉じながら、私は号泣です













幼い頃は、生き延びるためには、強がりが必要だったから、そうしたけど、

今の私には、もう、不要な、古いシステム

長年、頑張ってくれた<神経質なオヤジ>には、ちょっと、休憩していてもらうことにしました










こうなったら、

大人の私が、何度でも、インナーチャイルドに会いに来て、

思う存分に、抱きしめてあげる他ありません

自分を癒せるのは、自分だけ

たとえ、素晴らしいヒーラーにお願いしても、

自分が自分を癒すという意識がなければ、何も変わりません









そして、そうすることに決めた頃から、

思ったとおり、私のハートチャクラの裏の痛みは、和らいでいったのでした










思うに、

放置していることが、一番、愛から遠い行為だということです

愛の反対は、憎しみではなく、無関心です

スピな世界で、「気づき」がなぜこれだけ強調されるかというと、

気づくと、そこに、関心が寄せられ、

エネルギーという愛が注がれるからで、

放置され、関心を払われない対象は、エネルギー枯渇状態

まだ、

憎しみのほうが、命が通っている気がします













インナーチャイルドに対して、

「可哀想に・・・」と思う必要はなく、

「お~、よしよし、もう大丈夫だよ・・・」と言う必要もなく、

ただ、存在を認めて、注目してあげるだけでいいのだと思いました

誰をも、悪者にせず、

チャイルドを被害者扱いもせず、

今の自分は、救世主気取りでもなく、

その場所で、動かず凍りついているチャイルドに、気づいて、横に並ぶこと

これが、

神聖で健やかな、全体性の回復










インナーチャイルドを癒すのに、犯人探しは不要です

親を責めるヒロイズムでは、本当のヒーリングは起きません

私の場合は、

身体接触を求めていたけれど、

そうでない人もいると思うし・・

幼い頃の自分が、周りの大人に、何を一番して欲しかったか

思い出せなかったら、

チャイルドを呼び出して聞いてみると、答えてくれると思いますよ







さて、今日も、あの小さな硬い体をさすってあげるとしますか・・・













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プチトラウマの癒し方

2009-11-08 | フォルテネージュ

日常のなかで、ちょっとした恐怖を感じる瞬間が訪れたら、

それは、自分の闇の部分(トラウマ)が表面化してきている証拠、

そのときこそ、自分で自分を癒すチャンスです

恐怖に勝る宝なし

今日は、そんな、生々しい実例を、ご紹介します











私は、ふだん、あまり、繁華街には出かけないのですが、

よく、駅の周辺とかで、

ティッシュ配りをしているお兄ちゃんたちがいるでしょ?

風俗関係のティッシュだと思うけど、

若い女の子を選んでティッシュを配っているじゃないですか・・













私は、

遠目で見ると、若く見えるらしく、(ティーンの服がジャストサイズなのでご愛用っす

お兄ちゃん達は、歩いてくる私に向かって、

ティッシュを渡そうと近づいてきます


でも、

ある程度の距離になると、

私が、ティッシュを配る対象ではないと判断して、

ふっと、テンションを下げて、

また別の通行人へと意識を向けます










私は、この瞬間が、嫌でたまりませんでした









この心理は、微妙なので、

よく、分かってもらいたいのですが、

私もさすがに、10代、20代に見られたいとは思っていないので、

自分の容姿が若くないことを突きつけられる、ということではないのです










私が、グサッとくるのは、

お兄ちゃんの<落胆>です。。











誰かが、私に、何かの期待をして、

直前になって、私が、その誰かの期待に、こたえられなくて、

相手をがっかりさせてしまった・・・

私は、そんな現象として、これを、とらえているわけです


そして、

そのことで、

自分がどうしようもなく無価値な存在だというメッセージを感じるのでしょう。。












で、

このことから、ある幼い頃のできごとが、想起されました














幼稚園卒園直前、5歳の頃です

劇の発表会で、

私は、主役のお雛さま役(ひな人形の話でした)をすることになりました

たぶん、ジャンケンか何かで勝ったのだと思います



その劇は、お雛さまが道に捨てられて、泣いている場面から始まります

最初のせりふは、

忘れもしない、「え~ん、え~ん、しくしくしく・・」 でした


でも、

練習のとき、

私は、そのせりふが、どうしても、言えなかったのです









のどが詰まったようになり、

言わなきゃいけないのに、声が出ませんでした

自分に何が起こっているのか、

分からなかったのですが、

とうとう、私は、声をあげて泣くってお芝居ができなかったのです




















当然のことながら、

役は交替となり、

私は、カエルさんの役になりました

なんか、ホッとして、

今度は、他のカエルさんたちと一緒に、「ケロケロ」と、鳴けました














あのとき、

幼稚園の先生や、私の親が、どんな表情で、どんなことを私に言ったか、

全然、覚えていません

でも、

たぶん、

私は、大人たちを、がっかりさせたのではないかと思います

やることをちゃんとやれなかった、情けない私・・・












その気持ちは、私のなかで、ずっと、息をひそめながらも、巣を作っていました

その後、どんなに、自分が頑張って成果をあげても、

その思いは、消えなかったのだと思います

その証拠に、

大きくなって、

親が、近所の人たちに、私の大学や職業を自慢していると、聞いたとき、

ちょっと、ビックリした気持ちになったくらいです

親が私を自慢に思うなんて・・って、思いました

<周りを落胆させる情けない私>が、私の中で、いつも、孤独に、乾いていました












ティッシュ配りのお兄ちゃんの<落胆>は、

私に、この感情を、思い起こさせるトリガーを引いていたのですね
















さて、そこまで、行きついたら、

あとは、

目を閉じて、

現在の、大人である自分の立場で、5歳の頃の私を呼び出して、

抱きしめてあげるだけです

劇の練習では泣けなかったけど、

その子はずっと大声で泣きたかったに違いありません

自分の中の傷ついた子どもを癒す、この作業が、インナーチャイルドセラピーです











もちろん、

傷の深さによったら、なかなか、癒されないインナーチャイルドもいるでしょうが、

自分でも、気がつかないほど、たくさんの子どもたちが、

自分の中で、孤独を感じているものです


できるところから、

少しずつ、見つけてあげると、

ホッとして、和らいで、

その子が、大人である自分に、元気をくれることになるのだと思います








こんな感じで、

ティッシュ配りのお兄ちゃんとの遭遇から、

私のプチトラウマを癒す体験が生まれました

今度、同じ場面になったら、お兄ちゃんに微笑みかけちゃうかも








皆さんも、是非、トライしてみると、

ほっこりした気持ちになれるかもだし、号泣しちゃうかも知れません


いつもはドライなかたでも、

せっかくの秋の夜長ですから、

こんな過ごし方も、たまには、良いと思いますよ












                     スピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」

                            
















サロン「フォルテネージュ」の結界

2009-11-07 | フォルテネージュ

以前からうすうす感じていたのだが、

今日、その確信が持てたので、ここに書き留めておきたいと思う






サロン「フォルテネージュ」のクライエントさんは、美しくて賢い人が圧倒的に多い







正確には、

「自分の美と賢さを自覚して、どう活かすかが、人生のテーマになっていて、

それによって人類に奉仕する選択をしている」人が、多いということだ









それは、ある意味、当たり前のことで、

カウンセラーがそれを課題として設定しているので、

同じ波動を持つクライエントさんが、引き寄せられてくる

そうでない人は、当サロンには、入れないようになっている


結界が張られていて、

近づけないばかりか、サロンの存在さえ見えないのだ










たぶん、

同じことが、このブログを読んで下さっている人にも言えると思う

美と賢さに無関心なかたは、

このブログをかすりもしないはずだ

そういうかたは、たぶん、

ランダムで選んだとしても、このブログには当たらないだろう・・・・












こう書くと、

「里誉って、なんて、高飛車なヤツ」って思われるかも知れない

事実、

そう思われるのが嫌で、このことを書いてこなかったふしもあったりする

でも、

思うのだけど、

人が人に対して嫌悪感を抱くときって、

その人本人が、自分のその性質を嫌って否定しているときじゃないかと思う






つまり、

私が、自分の高飛車ぶりを嫌って否定して隠そうとしていると、


それを敏感に察知した読者は、

里誉の高飛車ぶりに嫌悪感を抱くのだ








逆に、

自分の性質を隠そうとせずに、相手に誠実に嘘いつわりなく表現すると、

それは、もう、否定エネルギーを含んでいないので、

素晴らしい魅力になり得る


<高飛車>という性質が、<高貴さ>に変わるのだ

実際、

<高飛車>と<高貴さ>の違いは、自分自身の心の成熟度の違いでしかないと思う















だから、私は、隠さない

高慢だと思われたくないばかりに、自分を隠したり、照れたりしても、

みっともないだけだ

そのことを、私は、

拓哉クンが、どんなときも、照れたり、社交辞令で謙遜したりしないことから、教わった












私は、美しく賢く生きる女性になる、いや、なりつつある

だから、

クライエントさんのテーマも、美と賢さと高貴さであり、

その資質が、しっかりと、現れているし、

カウンセラーがそういう観点から見るから、

ますます、魅力に磨きがかかってくる


最初は、ご本人は、自覚していなかったり、

謙虚になろうとして、自分の魅力を否定していたり、

認めているけど、社会への活かし方の模索中だったり、するかも知れないけど・・

「フォルテネージュ」を訪れると決めたときから、

美の神アフロディーテの采配が始まっている












カウンセラー自身が、

<富と名声>にテーマがあれば、

クライエントさんは、お金や地位に関心のある人々が集まるし、

<リーダーシップと行動力>がテーマであれば、

やはり、バリバリのエグゼクティブが集まったりするだろう

「また、欲深い客が来た!」と思っているカウンセラーがいたとしたら、

カウンセラー自身が、欲深いということだ















と、いうことで、

ここに、宣言いたします

このブログをここまで読んで下さったあなた

あなたは、ご自分の美しさと賢さをしっかりと認めて、

高貴な自分を隠そうとせずに、堂々と振る舞うことで、

周囲の人々に奉仕する人です

そんなあなたを見て、人々は何かを得るのです

エゴを超えた、美と智恵の追求をしていきませんか





 

そういえば、

我が家のフォルテも、♂ながら、美しくて賢いワンコです









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来年のラッキーフラワーは・・

2009-11-06 | フォルテネージュ

来年の手帳をGet しました

風水によると、

2010年は、カメリア(椿)で愛情運とステイタスがアップ!

らしいです

椿さんとしては、とっても、楽しみ

ラッキーカラーは、チェリーレッド&ピュアホワイト とな







それから、

未来に起こって欲しいことを書く、未来手帳を作ると、

願望成就に拍車がかかるとか・・・

願いごとは、

夢想の状態から、言葉に変換すると、

まさに、物理次元に現れて、現実化の第一歩となるのですね









そろそろ、忘年会なんて、話も聞こえてきたりして・・・

残り少なくなってきた今年ですが、

椿さんには、まだまだ、やり残しがあります

使い古した古い信念に感謝して、さよならして、書き換えること









目指すは、

自由で、無垢で、無邪気で、無防備な、生まれたての子ども、

Fool Child 







そして、

来年の誕生日には、

Magician の年になるので、錬金術を使いこなす魔女となるのです

さっそく、

未来手帳に書き込むぞ









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過去生から持ち帰ったもの

2009-11-04 | 過去世

自分の過去生はいくつも知っている私ですが、

先日、誘導退行で、また新たな過去生を発見しました







ヨーロッパの石造りの街並みに、その男の子は立っていました

木の靴を履いていたので、オランダ辺りかも知れません

ザドという名前のその子は、

幼い頃に、何かの事情でお母さんと別れ別れとなりました

お母さんが、舟に乗って、離れていくのを、

ザドは、橋の上で泣き叫びながら、見ていました






やがて、

ザドは、成長していきました

幼い頃から、肉体労働をしてきて、筋肉隆々の体つきです

ザドが、こんな体になったのには、ある目的がありました

いつか、母の乗った舟の行方を追って、川を泳いでさかのぼろうと思ったからです









そして、とうとう、

川を泳いで上ってみました

どれくらい泳いだのか分かりませんが、

あるところで、滝のようなところにぶつかってしまいました


泳ぐことしか考えていなかったザドは、

いきなり、意気消沈して、

川岸に大の字になって寝ころびました

母は、途中のどこかの船着き場で降りたのか、

それとも、この滝の向こうにいるのかと、途方に暮れながら、

あんなに、頑張って、働いて、

たくましい体を作ったのに、無駄じゃないか、

結局、お母さんに会えないと考えていました・・・









迂回すれば滝を上る道があったのかも知れないのに、

ザドは、探そうとしませんでした

もう一度、そこまでの船着き場の街を調べることも、しませんでした

結局、ダメじゃないかって、

自分で決めてしまったみたいです












と、

私が見たビジョンはそこまででした

せっかくの積み重ねが徒労に終わったという、彼の無力感がありました














その過去生を見た翌日、

私は、朝から、思い立って、寝室の模様替えをしました

そして、

これが、かなり、ものすごいことなのですが、

ベッドを一人で動かしました

うちのベッドは、木製のクィーンサイズですので、重さは100kg以上は裕にあると思います

しかも、

(これは、自慢でも、コンプレックスでもなく、個性なのですが、)

私は、平均体重より15kgくらい少ないやせ型体型で、

決して、力持ちではありません 










でも、

模様替えをする前に、

大天使ミカエルに奇跡が起きるようにお願いして、

レイキで、最強のシンボルを使って、アファメーションしたところ、

最初は、押しても引いても動かなかったベッドが、少しずつ動き始め、

最終的には、

ベッドを180°回転させたのでした

本当に起きた奇跡で、

私は、充実感に満ちあふれていました

(翌日、背中の筋肉痛はありましたけど・・・












この2つのお話をこうやって書くと、

「里誉って単純なヤツ」って思うと思いますが、

模様替えを思い立ったとき、

私の顕在意識には、

前日に見た、筋肉隆々のザド君のことは、まったく頭になかったのです

ただ、

お友達から、枕の方角について話を聞いたので、変えてみようかなって思ったわけです














これは、

過去生のザドくんができなかったことの続きを、

現世の私が、まったく違うシチュエーションでやってみて、

その経験を昇華させたのだと思います

ダメだと思ったことも、やれる方法がある

せっかく、自分が持っている宝を無駄にするかどうかは、自分次第

無力感は、あきらめなければ、充実感に変えられる











そんなギフトをもらった経験でした












過去生を見るのは、トラウマを再体験して癒すためだけではなくて、

過去生での自分の能力を持ち帰るためにも利用できます

そんな感じで、

過去生療法、ただいま習得中の里誉です

しばらくしたら、

サロンの正式メニューに加える前に、

練習させて下さるかたを募集しますので、

ご興味あるかたは、お問い合わせくださいね



過去生への旅は、意外にシンプル、

新しい自分を開発できるツールとなるかも知れません













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