Riyo(里誉)’s クレヨン

世田谷区桜新町のスピリチュアルカウンセリングサロン「フォルテネージュ」です☆

あらゆる連鎖反応を疑ってみる試み

2011-07-30 | フォルテネージュ


おひつじ座のオーラ層を持つ彼女との再びの御縁が織りなす技か、

私は、最近、
自分の体験のひとつひとつを、
初めて味わうものとして、見直してみようキャンペーンを繰り広げているの

 

 


今回の試みは、これ

これまで、
毎月、訪れるその痛みが始まると、
「女ってのはめんどくさいものだ」っていう、ステレオタイプな考え方みたいなのも頭をかすめつつ、

「あ~、まただぁ。。まったくユウウツ。どよ~ん(~_~)」って感情を、自動的につなげていたけど、


何も、そこ、セットにすることないんだから、


ちょっと、切り離してみようって、思ったのさ









ずんとしたその痛みを感じながら、
私は、自分の思考と感情を意識したの

「どんな考えや気持ちが湧いてくるかな・・」

本来、なんの因果関係もないと気づいちゃったから、
例のユーウツな気持ちはまったく顔を出さず、

反対に、まったく、おちゃらけた、おバカな気持ちが湧いてきた


「わー、なーんか、笑えるー!わたし、こわれているかも?」









そのノリで、友達におバカなメール出したりして、
あれあれ?いつもの生理痛とちがうじゃん

 

 

 

 


そうなんだよ!

痛みと、考えと、気持ちは、本来、まったく別々のものなのに、
勝手に、当然のように次々連鎖させていたのは、
自分の無意識の反応が、やっていただけのことだったんだ




長いこと、見直しもされず、
他のたくさんの選択肢を無視して、
わざわざ好きでもないのに選んでいただけのことだったんだ






それに気づいたとき、

その痛みと一緒にいることを初めて中立的に体験している気がしたよ

痛みはただそうあるだけ
他の何でもないし、
意味を与えていたのは、自分だった





「この痛みは抑圧された女性性の反乱じゃあ」みたいな意味づけを、
したければしてもいいの
何も悪くないよ

ただ、どうせ、意味づけするなら、
自分が経験したい気持ちにつながるものがいいよねっ




なにげに考えずにつなげてしまっている、
体調と気持ちと心の声、

この際、コンビ解消、メンバーチェンジしてみても、おもしろいって思うよん






           

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悲しいのがうれしいって気持ち

2011-07-28 | フォルテネージュ


確かに、私はよく泣く人で、

高校野球見ても、
映画の予告編だけでも、
クライエントさんの宇宙をかいま見たときも、

うるうると、ときに、ぽたぽたと、してしまうんだけど




憂鬱なときも、感激のときも、驚嘆のときも、賞賛のときも、
だいたいは、涙で反応することが多いって思う





泣きたいから泣いているから、
涙をこらえようって思わないし、

それは、たとえ、悲しくて泣いていても、心の底では泣くのを楽しんでいるんだ

そう!
泣くのが嬉しいの






その昔は、悲劇のヒロインしている自分が嫌いだったときもあるけど、
今はね、かなり、気に入っているよ

こんなに泣ける私は、心のひだひだにたくさんの感覚受容突起があって、
それはそれはたくさんのものごとの機微を受け取れて、反応してて、

繊細で敏感なんだ
良いでも悪いでもなく、個性のひとつ





人は、皆、自分の人生においてヒーロー、ヒロインなんだから、
自分に訪れた気持ちのひとつひとつを、
しっかり、抱きしめてあげればいいじゃない

「空」である私たちは、もともと、感情を味わいに、ここに来てるんだから、さ





だから、悲しくても、それは不幸ということじゃない
涙を流してできた心の空洞には、光が入ってくるんだよ








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それ、ホントに好き(嫌い)?って問いかけてみる

2011-07-27 | フォルテネージュ


もう数年間、毎週、あるアニメ番組を予約録画して見ていたんだけど、
惰性を感じ始めてかなり経ってたので、


大好きな番組だったし、
いろんな思い出があったし、
歴代の主題歌なんかも、聞くと心躍るから、
ちょっと、勇気が要ったけど・・・



思い切ってやめてみたのね
これも、断捨離の一部だと思い(笑)



そしたら、今、何も、思いを残していないよ
思い出すこともない自分がいて、びっくり






好きと思い込んでいたり、
反対に嫌いと思い込んでいたり、することって、
気づいて外していくと、フリーになっていいかも知れないって思った





あっさり醤油味ラーメンが好きって思って、
長年、こってりとんこつ味を敬遠していたけど、
あるとき、ふと、ニュートラルに味わってみたら、
結構、イケる!って発見した人、知ってるし





いろんな設定を解除して、
初期化していくと、自由になっていくでしょ
自由って、魂の本質だから、私たちは、とっても、うれしいはずなんだ


もちろん、設定が悪いワケじゃないから、
また新たな設定してもいいし、しなくてもいいし、

好きなものがそうでもなくなってもいいし、
嫌いなものがそうでもなくなってもいいし、
でも、やっぱり好きなままでも、嫌いなままでもいいし、

毒が薬になることもあるし、
薬が毒になることもあるし、





思い込みや制限を外すって、意識的に何でもありって思うことだものね

何でもありってことは、愛が拡大するってこと


 

 

だから、
フレンチブルドッグとパグを一緒に飼う気持ちも、ありじゃないかあー

・・・って、私は、パピヨンが一番だけど (ふぉるて命~~~






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ヴィーナスラインなボディになる!

2011-07-26 | フォルテネージュ


いやあ、忘れてたんだけど、

去年の夏、
私はこのブログを通して、
全世界に向けて、自分の願いを発信したの

「私は、豊満なボディが欲しい!」






そのオーダーが、叶いつつあるよ
数ヶ月前から、カラダのシルエットが、曲線的になってきている

急角度なウェストラインがなだらかになって、
もっともついて欲しかったところにも、
脂肪がついてきているのだ

でも、不思議なことに、体重は、昭和の時代から変わっていないんだよ 
体脂肪率は、やせ域から標準域に入ったから、
急ピッチで、体内の脂肪酸とグリセリンがエステル結合を進めているってところかな






先日、ネイルサロンで雑誌を読んでいたら、
「女性ホルモンは、卵巣から8割、残り2割は、脂肪から分泌される」って書いてあって、

だから、
ミロのヴィーナスとかって、確実に、ふくよか、だよね

適度な脂肪でもって、女性はますます女性らしくなるわけだね







去年の夏、
あるセラピストさんから、「あなたのカラダには二人の人が住んでいる」って言われたんだけど、

男性性優位の上半身と女性性優位の下半身が、
ここにきて、どうやら、統合を始めているって、感じるよ






やったね
やっぱり、オーダーはしとくに限るぜ

では、続いて・・・

  「さらにさらに、ヴィーナスラインなボディ、よろしく
 



       

 

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理不尽なできごとも完璧だと見ることで完璧になる

2011-07-24 | フォルテネージュ


キリストでさえ、自分の身に起こったあまりの理不尽に、
光を見失ったことがあるよね

「神よ、私をお見捨てになるのですか?」と絶望で天を仰いだ





できごとは完璧であると知っていたはずの彼でさえ、
とてもそうは見えなかったときがあるんだから、

私たちには、そういうことって、普通に起こるんだ


誰かの不正があること、
そのせいで誰かが被害者になっていること、
悲惨な出来事に多くの命が失われること、
利権を持つ立場の者がそれを濫用すること、

そんなことを目にすると、私たちは、誰でも、憤り、悲しくなる
「これを、完璧だと、誰が呼ぶか!?」とばかりに、この世を呪いたくなる







それでもそれは完璧だ
「完璧」と知っていたら、そうなるし、

同じように、
「正されるべき悪だ」と思ったら、そうなるし、
「どうしようもない腐敗した現状だ」と嘆いたら、そうなる





キリストの磔がプロセスの一部だったように、
今起こっている、目を覆いたくなる出来事も、栄光と驚嘆のプロセスの一部だ

そんな視点を持つことで、私たちにも、それを現実化できる
それをいつも忘れないでいようと思う






渦中にいて、一時、激しい感情に心奪われたとしても、
落ち着いたら、その後で、それと気づこう

胸が張り裂けんばかりに嘆き、髪を逆立て床に爪を立てて怒り、
荒海に吠えるようにして悲しみ、ひどい誰かを末代まで呪ったあとでいいから、

ただ、「このできごとは完璧だ」と受け取ろう

そのうえで、自分は何を選ぶか決めよう
大切なのは、自分がありたい自分を展開させること

 


今のうちに、ここで、確認しておこうと、
ものすごく、強く、思っているよ

 

 

 

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「ありのままでいい」と「こうありたい」の両立

2011-07-23 | フォルテネージュ


たとえばね、


私は、優しくありたいって思っている
できれば、どんなときも、ね


人からあらぬ誤解を受けたときでさえ、
何かの濡れ衣を着せられたときでさえ、

その人に対して優しくありたいと思っている



でも、実際には、そういうわけにもいかないときがあって、
ツンとしちゃったり、
イラッとしちゃったり、するわけだ



そんなとき、私は、
心のままにしたがって、そうしたのだから、
そんな自分も、ありだよねって思う

寂しいとき、不安なときは、優しくなれないのは、しかたないよ
そのまま、認めるしかないよね





そのうえで、
受け入れるけど、それはありたい自分じゃないから、
今度、チャンスがあったら、優しくあるぞ!って決めるの

そして、優しさの定義も、自分で決める






「優しくなければならない~」じゃなくて、「優しくありたい」の
それは、「優しくない自分はダメだ」ってことを伴わなくても、存在できると思うの





そうじゃないところを受け入れたうえで、これを選ぶ
こうありたい!と意図し、こうあるぞ!って、宣言する




いろんな自分をありのままに受け入れようっていろんなところで言われているけど、
「受け入れる」ってのは、「なんでも好きになる」ってことじゃないよね。
好みがあって、いいじゃない?
望みがあって、いいじゃない?




私は、甘いものが大好きで、甘いものがあると幸せだけど、
それは、甘いものがなければ不幸ってことではない

「好き」だけど、「依存」してるんじゃないんだ

 

 

そうでないとき、そうでない自分にOKを出し、
そのうえで、ありたい自分を選んで、そうあってこそ、楽しいんだと思う


何度、そうでなくても、ね





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あまりにシンプルな、幸福の招き方

2011-07-22 | フォルテネージュ


気づいちゃったんだけど、
私の周りには、歌う人が多いんだ



幼いころ、母は、テレビから流れる哀愁の懐メロをうるうるしながら歌ってたし、
今、現在、父は、カラオケの名手としてならしているし、



私の大親友もバンドで歌っているし、
私のソウルメイトも街を歩きながら歌っちゃう人だし、



私の夫ときたら、
驚くほどのバリエーションで、瞬時に作詞して替え歌を歌っちゃうんだよ(テーマはすべてフォルテ)

 




歌を歌っているとき、たいていの人は、頭の働きがストップしてる
ただ、歌うことに専心しているんだよね

踊るときもそう
踊りながら、頭を働かせ続けるのは、難しい


だから、歌うとか、踊るとかって、
人が自分の魂とつながりあうときなんじゃないかと思う






そういうものだからこそ、
昔から、謡(うたい)とか舞(まい)とかって、神に捧げるものとされたんだね

じつは、神とつながる方法って、言えるのかも知れない







幸せなとき、自然に鼻歌が出てくるのだから、
歌うことで自然に幸せはやってくるよ

笑うかどに福がやってくるのと同じ原理で

 

 

・・・・何を隠そう、私も、
学校で休み時間にピンクレディーを、歌って踊ってたクチだったっけ(復活、頑張れ~!)


・・・・はい、Mieちゃん役でしたけど、なにか


                         


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「下の道を行け」と言われた翌日のできごと

2011-07-21 | フォルテネージュ


その老婦人はきっと、
いつも進み続けなければならないって、生きてきたんだと思うの


人生とは、休みなく、歩き続けるもので、
それを阻むようなものが現れたら、自分で対処して、とにかく前進あるのみ

周囲にどんなにきれいな花が咲いていようと、
可愛い犬がいようと、
空が美しかろうと、
鳥の声が朗らかだろうと、


そんなものを楽しむことは、人生の目的ではなくて、
ただ、ただ、前へ前へと行くことが、
課された任務なんだって、

そうしなければならないって思って、生きてきたんじゃないかと思うの





家族の中でも、
彼女以外には、それぞれ、仕事だとか学校だとかって、大義名分があるから、
きっと、彼女が、家のために、何でも、合わせてきたんだよ


でも、もう、じつは、前を見るのも嫌だと思っている
何かに煩わされるのも嫌だと思いながらも、休まずにいる







そして、その日、そのとき、彼女は、私たちとすれ違った

前が見えないほど、まぶかに日傘を差してたから、
きっと、犬を連れた私たちが、突然出現したように見えたんだね

彼女にとって、私たちは、まさに、人生の障害物そのものだったんだろう


だから、すれ違いざま、彼女は、
「(あなたが)犬を連れていたら、私がよけなけりゃならないの?」って、心に澱(おり)のように積もった憤りを口にしたんだ


 

まだ少し距離があったのに、
彼女は、ものすごく素早く反応した
その機敏さで、いままで、いろんなことを、切り盛りしてきたんだろうなあ・・




でも、やっぱり、
そんなつもりがなかったのに、そう言われた私たちは、
ちょっと寂しくて、彼女の被害的な感情が連鎖した







・・・さあ、彼女の課題は、私たちの課題



ちゃんと回り道をしよう

周りにあるステキなものたちに目を向けよう


感情をしっかり見つめて味わうことをすっ飛ばしたら、
思わぬところで、無視されたそれが暴走するから、


悲しみや憤りを、ちゃんとそのときに、味わって、
鬱積しないうちに、まだマイルドなうちに、表現しよう

 

ときには、進まなくてもいいんだからさ、
ちょっと、ここらで、ひと休み、って、
何度、休憩しても、いいんだからさ


前進あるのみがいけないんじゃない
そうでなければならないって縛りを捨ててみようって言っているの


前日、チャネリングした「急がば回れ」の意味はこれだと思うよ






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過去はどうあれ、今はこうだ!と宣言すること

2011-07-19 | フォルテネージュ


たとえば、私たちを取り巻く集合的無意識の中に、
こんなデータがぷかぷか浮かんでいて、
あなたは、かなり前から、それを自分のものとして、つかまえて離さないでいるかも知れない




「友達でも、恋人でも、私が誰かと親しくすると、途中で思いがけない出来事が起こって、
心のすれ違いから、結局、その人と疎遠になってしまう。私は誰とも長続きしない。」





このストーリーは、いつの日か、あなたに自然にキャッチされ、
あなたの心に強く根を張り、
そのため、現実として、繰り返し起こったので、
いかにも、自分のアイデンティティらしく、あなたの前に立ちはだかっている・・





だから、疎遠になった誰かのことを考えるとき、
その誰かといかに楽しい時を過ごしたか、よりも、
最後の最後に起こった、苦々しい出来事だけを、繰り返し思い出して、
自分を責めて、とても、嫌な気持ちになったりするんだ・・

「私には、人とうまくやるための何かが欠けている。」
「私は、人の気持ちを思いやれない。」
「私はジコチュウだ。」







でも、気づいていると思うけど、
それは、あなたについての何の真実も語っていない
ひとつの、あなたについての歪んだバージョンを見せてくれただけ


きっと、あなたが、その誰かと、もうつきあいたくないと思ったから、
別れることになったというだけのこと

確実に、自分が願ったことが、現実になったんじゃないかな?









でも今、あなたは、これ以上、そういう現実を創りたくないと思っている
自分の人間関係を、変えたいと思っている

その願いだけで充分


あなたに何も欠けているところはない
あなたに何も直すべきところはない


過去、ああだったから、今度もそうだ、と思い込むのか、
過去、ああだった、 今度はこうだ、と宣言するのか、

それだけの違いで、出来事は、変わる
その理由は簡単だよ

















自分が変わっているから
今、ここを、生きるってことにしたから








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世界がどうあれ、自分はこうだと宣言すること

2011-07-18 | フォルテネージュ




不寛容を受け取ったときは、自分の中の寛容とつながろう
不信感を受け取ったときは、自分の中の信頼とつながろう

頑迷さを受け取ったときは、自分の中の柔軟さと、
停滞を受け取ったときは、自分の中の循環と、
絶望を受け取ったときは、自分の中の希望と、


周囲のあれこれに、圧倒されそうなときでも、
次の瞬間を喜びと共に迎えると決めよう








「争いの絶えないなか、どうやったら自分が平和でいられますか?」
「近くに愛が感じられないとき、どうやって自分が愛でいられますか?」





それは、きっと、
あなたの中に、ふんだんにあって決して枯渇しないそれらの資源を、
しっかりとあふれさせようという、自分自身の計画なんだよ

だから今こそ、
しっかり、内なる泉に、つながって、
ありたい自分を宣言するときなんだ

「私こそ平和だ!」 「私こそ、愛である!」





そうやって、
自分が次の瞬間をどう迎えるかを決めると、

暴れ馬のようだった環境は、あなたへの影響力を失う


あなたのまわりに、じんわり、あなた色の波紋が広がるにつれて、
あなたを取り巻く世界が変わっていき始める

 


そうやって、できごとを創っていこう
それは魔法のように働いて、
生きることを別の角度から見せてくれるんじゃないかと思う







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原因を究明すると問題が解決されないというパラドックス

2011-07-16 | フォルテネージュ


こと、人の心理ということにおいては特に、

“問題”の原因を究明することと、
“問題”を解決することとは、無関係だと考えたほうがいいと思う





ある人が、自分はどうしてこんなに対人恐怖があるのだろうと考え
幼い頃に、隣人からひどいことをされたからだという結論に達したとしても、

そのとき、顕在意識の部分では、
「なるほど~」って気づきはあり、
なんだか、すっきりするのかも知れないけど、

 

その気づきと、“問題解決”とは、
たいていの場合、直接、結びつかないんだ


それどころか、その原因に対してどう接するかで、
ますます、問題が、強化されることが、あるのではないか、とさえ思うの







だって、関心を向けたものは、存在感を増すようにできている

もし、抵抗したり、消滅させようと奮闘したりすると、
それに増強剤を打つことと、同じ意味を持つ





「この忌まわしい原因があったからこそ、この憎い問題が起きたのだ!」と、
因果関係に、念を送れば送るほど、
ますます、それは、現実となって、現れる・・・・






ひとつの方法としては、

因果の縁を、断ち切ることだと思うの

せっかく、究明した原因だけど、
それに焦点を合わせない、必要以上に扱わないことで、存在感を奪っていくんだ
すると、問題のほうも、立ち現れる頻度が、減少していくように思うんだよね






あるいは、

焦点の合わせ方として、分析や判断をやめて、
原因や問題と見えていたことに、完璧さを見ること

自分の人生を構成してくれるパーツとして認め、
拍手を持って迎え入れること





こんな方法は、とっても、いいと思うんだ

彩りと豊かさの視点に立つと、トラブルが、リソースに、変わる
あ、トラブルなんて、問題なんて、最初から、ないんだって思える

 

 

 

そして、どうか、テレずに、
過去の自分全部に、現在の自分全体に、「愛してる」って、言ってみて

ホント、言ったモン勝ちなんだってばさ





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自分の世界を変える方法

2011-07-15 | フォルテネージュ



30歳になった年の夏、
私は、イギリス南部のホーブという街にホームステイ&語学留学したことがあるんだけど、

その出発前日、
仕事を終えて、帰宅するとき、見上げた夕方の空が、

いつもと、ちがって、見えたのを覚えている

イギリスの空じゃなくて、日本の、当時住んでた佐賀県の空だよ





どうちがっていたのか、なかなか表しにくいんだけど、
なんだか、新しかったんだ

新しい眼で、新しい空を見ている感じがした、って言ったらいいのかな


まだなにも経験していないうちから、
私は、自分の世界を、新しくしたんだよ




 

 

 

minkの「世界で一番奇麗な場所」って唄の歌詞、
全部、紹介したいんだけど、一節だけね
(とってもいい唄だから、是非、聴いてみて)





     たとえば今から、あと100時間しか生きられないとしたら
        きっと、すべて、愛おしくて、すべてきらきらして
       でも寂しくて、そばにいて欲しくて

        たとえば今から、あと100秒間しか生きられないとしたら
       キミと、寝転がってみる 青い空を見る
       世界で一番ここは奇麗な場所       (lyrics Tomoya Kinoshita)

 

 

~としたらってイマジネーションだけで、
見える世界は、がわりと、変わるんだ

 

 

 

いつもの空がちがって見えるのも、
すべてのものが愛おしく感じるのも、

その対象のほうは、何も変わっていない


何かを見て、どう感じるかは、
経験や苦労や知識量なんか無関係、
ただ、自分の内側の要因だけで決まるの



「近頃の若者は、非常識な人が多すぎる!」とか、
「東北の人たちがかわいそう・・」とか、
「あの人が私に意地悪をしてくる!!!」とか、

今、自分が、状況判断していると思うそのことも、
ただ、そんな見方を自分が選んで採用したってだけのことなんだ

だから、
自分の内側の状態を変えて、
採用する見方をチェンジすれば、
ちがう時空の移行しちゃうってこと



だって、結局、何を選んでも、幻想なんだから、
どうせなら、好きなものを、ゲット、だよね








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自分が関心を向けたことが大きくなる

2011-07-15 | フォルテネージュ


自分が関心を向けたことが大きくなるのだから、
もう、「問題」に注意を向けることをしないと決めたあなた


そして、
その代わりに、自分が望むことを信じようと決めたあなた



そんなあなたを目の前にして、



じゃあ、私は、

あなたが決めたことを実行し続けてる情景に、フォーカスすることにしたよ



それが、奇跡を起こす近道だって思うから






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欲しいものを与える前に

2011-07-13 | フォルテネージュ



欲しかったら与えなさいって、よく言われるよね

愛でも、お金でも、時間でも、



自分が欲しいものを与えることによって、
自分にはすでにあまりあるほど豊かにあるという状態が創られるから



もちろん、そのとき、
与える行為そのものが、ポイントじゃなくて、
どう、与えるかが大切だから、

優雅に、余裕を持って、
心からの喜びにあふれて、
そんなエネルギーが、また、循環を生むよね





でね、

思ったのは、

そもそも、自分が欲しいという気持ちを、
ちゃんと、両手で、つかんでいるかってことなんだ


「お金が欲しい!」
「愛が欲しい!」

って、私たちは、ちゃんと、心に叫ばせてあげているだろうか・・


「欲しいなんて、ちょっとみっともない・・、でも、やっぱり、欲しいんだもん・・」なんて葛藤を、
流して、見てみないふりしていないだろうか?








まずは、
世界の中心で欲しいと叫ぶことで、
基礎工事ができるんじゃないかなって、思うの


そうすることで、
まるで、砂鉄に磁石を近づけたときのように、
あなたの宇宙全体が、望みを目指し、方向づけされるんだ






欲しい!ってエネルギーでもって、
私たちは、この地上にやって来たよね

すべてを経験したい、すべてを知りたい、って思って、やってきた

だから、欲しいのエネルギーは、存在の根源

命を命にしてくれている、最初の大切な衝動








だからね、
欲しいものを与える前に、「欲しい!」って表明してね

ただ、純粋に、力強く、
「私は、愛されたい!」
「私は、豊かになりたい!」って、宣言するって、

それだけでも、とっても、気持ちがいいもんなんだよ






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人を傷つけてはいけないという思い込み

2011-07-12 | フォルテネージュ


もちろん、誰だって、
人を傷つけることを良いことだと思っている人はいないけど、

人を傷つけることは、絶対に良くないと思い込み過ぎてると、
人と接するとき、
とにかく傷つけないよう、そおっと、そおっと、おっかなびっくり、振る舞うよね




それだけはしたくない、って思うから、
配慮に配慮を重ねるんだ


でも、

自分がそれだけ配慮しているから、
そんなこと、まったく、気にしていない人を見ると、
何だか極悪人に思えてきて、
その人を攻撃したくなる(傷つけたくなる)って矛盾が生まれてきたりする





そして、

万が一、自分が人を傷つけたって事実を突きつけられると、
ものすごく、落ち込んで、傷ついて、
傷つけられたと言った人を恨んだりすることもあるかも知れない

あらら~
これじゃ、傷つけ、傷つけられ、の連鎖は、止まらなくなっちゃうね

 

 

 

 

 

あのね、

私たちは、どんなに、注意しても、
人を傷つけてしまうことってあると思うの

生きてる限り、それって、しかたないんだよ


だから、傷つけることを恐れて、言いたいことを言わないんじゃなくて、
あなたはあなたを大切にしたほうがいい

そのうえで、もし、相手を傷つけてしまったら、
その後、どんなふうに、そのひとに接するかを考えたほうがいい


葛藤を避けるんじゃなくて、
葛藤に対応するレッスンを受けることのほうが、
魅力的だと思わない?









人を傷つけない人よりも、
人を傷つけてもそのフォローに心を砕ける人が、ホントにステキな人だよね

傷つけてしまった、その人と、
どう、その後、関わっていき続けるかってことだと思うの









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