先月から、私の頭の中に、響いている言葉があるの
傲慢とか、自我肥大とか、
そしりを受けやすい表現であることは、
充分、承知なのだけれど、
それでも言わずにおられない
「あなたのすることは、神がすることと思え」
この場合の「あなた」は、
この文章を書いている人も、
この文章を読んでいる人も読んでいない人も、
全員のことを、言っているよ
罪悪感というものが、
人の心で、否定や疑いや、善悪を作りだしているから、
罪悪感が湧いたときが、始めるチャンス
それは、自分の行為が神に程遠いと思う瞬間
それをね、
罪悪感という万能薬で、
「謙虚で良し!」って自己満足するんじゃなくて、
その行為が、自分を通して、
宇宙に創造されたからには、
それ相当の、意味があると、信頼してみる
何か、自分の「人」としての意識では
計り知れない、神の意図があると、想定してみる
この実験の間は、
これまでの人生で学んだ、
倫理とか、道徳とか、常識とか、
ちょっと、脇に置いてみても、バチは当たらないから
誰かの言うとおりにしなくても、
休日を、だらだら過ごしてしまっても、
誘いを断っても、
電話をすぐに返さなくても、
食べ過ぎちゃっても、
片づけをなかなかやらなくても、
とにかく、それは、
「私を通して神がしたこと」としてみることで、
その行為を、全体の中に、組み込むの
なかったことにしないで、
恥ずかしいことにしないで、
ちゃんと、居場所を、作っみるの
すると、なんだか、不思議な感覚になってくる
私が、私の神を、擁護するような。
私が、私という神を祀る一神教の、唯一の信奉者であるような。
そして、自分以外、
誰も、自分を、責めていなかったことに、気づくんだ
だって、
私が、私を神にした瞬間、
私の周囲のみんなが、同様に、神になっているから
寛容で、慈悲深く、完璧で、叡智の極みである神々に
さらに、注意深く、見守っていると、
その行為が、まさに、その行為でなきゃ、ならなかった理由が、
ちゃんと、見えてくるようになる
やっぱり、完璧だったんだと、
心の底から、思える展開が来る
だって、「神のすること」は完璧なんだもん!
そして、いろんなことに気がつくようになって、
自分のすることが、変わっていくようになる
まずはね、
「罪悪感」から始めるの
「罪悪感」は「神」へと至る道の第一歩なんだ