その感覚は、にわかにやって来たんだ
約1年ほど前に、ある人からいただいたお手紙があるの
私がその人に送ったメールへのお返しとして、受け取ったんだけど、
本当に心がジンとする文章で、
この1年、いつもいつもそばに置いて、何かあるごとに、読み返してきた
<りよさんから頂いたメール、毎日読みました。
そして、今も読んで、そして筆を取っています。
ありがたくて、もったいなくて、かみしめたくて、
毎日、心と身体に吸い込んでいました。>
暗記しているほどのその文章を、
なんとなく、読んでいたら、
このメッセージを送ってくれた人の優しさと同様に、
このメッセージを送られた人の美しさが、私に迫ってきたんだ
<一言一言に、りよさんがどれだけの思いを込めて下さっているか・・・>
・・・そう、このメッセージを送られた人は、1年前の自分なのだけど、
そのときはね、
自分と自分の間に、距離ができてた
<りよさんの深く人を想われる心に触れさせて頂き、私のほうが、深く癒されています。>
「ああ、りよさんって、本当に優しい人なんだねえ・・」なんて、思っちまって、
なんだか、そんな、あふれる愛の持ち主を、抱きしめたくなった
きっと、けなげに頑張って生きてるんだよね、ってね
<りよさんに出逢えたこと、私に命の泉を注いでくださったこと、
果てない感謝をりよさんの心に捧げます。>
もちろん、記憶喪失なわけじゃないから、
自分で自分のことを観察している視点を感じながら、
「こうやって、人を励ましたんだね、ステキなこと、したね」って思ったら、
なんか、心が震えて、涙があふれてきた
ハートが開いて、
ことばがなくなって、
私の中心の聖なる空間から、
私のひとつの表現体に対しての愛があふれて、
その音が、胸に響いて、私は、泣いてたんだ
この感覚を、「なんて、ナルシスト!」とか、「そういうの、自我肥大って言うんだよ・・」とかって、
戒める人が私の目の前に現れたら、
その人にそういうことを言わせている私の一部に、
まだまだ、自分で自分を責めている私の一部に、
私は、ありがとうって、感謝して、
精一杯の祝福を送ろうって、思うよ